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教師は労働者にあらず論

4623040720_2金子良事さんがときどき思い出したように『労働法政策』についてつぶやくのですが、

https://twitter.com/ryojikaneko/status/769927206101364738

濱口『労働法政策』を読み返しているけど、面白い。田中耕太郎文相が教師の争議権を禁止しようとしたら、GHQがダメといって否定された話のあとに、さらっと次のように書いてる。

https://twitter.com/ryojikaneko/status/769927408015187968

「教育関係者に根強い「教師は労働者にあらず論」があっさり否定されたわけで、その後も現在にいたるまで私立学校教員の争議権が否定されたことは一度もない」いろんな意味で、勘所だわ。

いや別に勘所も何も、文字通りなんですけど。

ただ、日教組が(今日に伝えられているもっぱら「教え子を戦場に送るな」的なイデオロギー的な文脈だけではなく)そういうまさに教育労働者の労働条件を改善するための労働運動そのものとしての文脈でもマクロ社会的アクターとして議論されていた、という歴史的事実自体がほとんど忘れ去れてしまっていることが問題なんだと思います。

ましてや、そういう教育労働者の本来的な労働運動としての日教組に対して、(政治イデオロギー的にはむしろより急進的なはずの)共産党が「教師は聖職だ」といって水をぶっかけていたこととかは、今ネット上で一生懸命リベサヨ叩きをしている人々のほとんどすべてが知らないのでしょうし。

本ブログでも繰り返し言っているように、その文脈が希薄化してしまったことが、今日の教育労働現場の様々なブラック的な労働問題の一つの遠因にもなっているように思います。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/vs_eccf.html(プリンスホテルvs日教組問題の文脈)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-4ed1.html(日本教職員組合の憲法的基礎)

※欄

正直言って、わたしは政治結社としての日教組を擁護する気持ちはありません。勝手に右翼と喧嘩してればよろしい。

しかし、全国の教育労働者の代表組織には、重要な存在意義と責任があります。近年、労働者としての権利主張をすること自体がけしからんかのような言論も多く見られるだけに、そこはきちんと言っておく必要がありましょう。わたしははじめからそこにしか関心はありません。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-b495.html(今こそ、教師だって労働者)

・・・しかし、ここで描かれている教師たちの姿は、ブラック企業で身をすり減らし、心を病み、自殺に追い込まれていくあの労働者たちとほとんど変わらないように見えます。

そう、これは何よりもまず「労働問題」、教師という名の労働者たちの限りなくブラックに近づいていく労働環境について問題を提起した本と言うべきでしょう。

彼ら教師たちの労働環境をブラック化していく元凶は、「教育問題」の山のような言説の中に詰め込まれている、文部省が悪いとか日教組が悪いとか、右翼がどうだとかサヨクがどうだとか、そういう過去の教育界の人々が口泡飛ばしてきた有象無象のことどもとはだいぶ違うところにあるということを、この秀逸なルポルタージュは浮き彫りにしています。

それは、親をはじめとした顧客たちによる、際限のないサービス要求。そしてそれに「スマイルゼロ円」で応えなければならない教師という名の労働者たち。

今日のさまざまなサービス業の職場で広く見られる「お客様は神さま」というブラック化第一段に、「この怠け者の公務員どもめ」というブラック化第2段階が重なり、さらに加えて横町のご隠居から猫のハチ公までいっぱしで語れる「教育問題」というブラック化第3段階で、ほぼ完成に近づいた教育労働ブラック化計画の、あまりにも見事な『成果』が、これでもかこれでもかと描かれていて、正直読むのが息苦しくなります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-ad08.html(認識はまったく同じなのですが・・・)

・・・ただ、それこそ大阪方面の出来事の推移を見てもわかることですが、日教組の労働組合としての本質ではない部分を意識的にフレームアップする政治意図と、その労働組合としては本来非本質的な部分を自分たちのこれこそ本質的な部分だと思いこんでいるある種の人々のパブロフの犬的条件反射的行動様式とが、ものの見事にぴったりと合わさって、政治結社としての日教組という定式化されたイメージを飽きもせず再生産するメカニズムが働き続けているという、(おそらく心ある労働運動家だけではいかんともしがたい)どうしようもなさがその根っこにあるので、この金子さんのそれ自体としてはまことに正しいつぶやきが、何の役にも立たないという事態がそのまま続いていくわけです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-92c4.html(公教育における集団的労使関係欠如の一帰結?)

・・・戦前以来の、そして右翼も左翼も共有してしまっている「教師は聖職」だから労働条件如きでぐたぐた文句を言うな感覚。

日教組自身がニッキョーソは政治団体という右翼側の思い込みに乗っかって政治イデオロギーの対決ばかりに熱中してきた歴史。

そういう空中戦ばかりの教育界で、全てのツケを回す対象とされてきた国法が認めてくれている残業代ゼロ制度。

そして何よりかにより、他の全ての国における「教師=教育というジョブを遂行する専門職」が共有されず、学齢期の子供(ときどきガキども)の世話を(学校内外を問わず、いつでもどこでも何でも)全て面倒見るのが仕事という、典型的にメンバーシップ型の教師像。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-cdda.html(日教組婦人部の偉大な実績)

・・・なんにせよ、日教組といえば妙な政治的イデオロギーの眼鏡越しでばかり論じようとする傾向が強いだけに、こういうまことにまっとうな労働組合としての本来あるべき政治活動を実践し、法律として実現させてきた日教組婦人部の歴史を、きちんと見直していく必要があると思われます。

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コメント

いつもありがとうございます。

私立教員のことをわざわざ書いたのは、日教組はその構成員の多くが地方公務員ですから、組織としては官公労運動としてやって来た、というのがあって、その意味で、私立教員は予想外でした。言われてみれば,当たり前ですが。

そこから、私立学校の助成の根拠問題があり、教育の公共性をどう考えるか、という問題につながります。私立学校における教育の公共性の問題です。私は私立学校教育に公共性はあると考えていて、それがあるから助成があると理解しています。

ただ、私立学校教育に公共性があっても、そもそも『労働法政策』のこの部分に書いてあるように、すぐに国家が崩壊する虞はないわけです。そうであるならば、公立学校の教員も、少なくともその仕事内容から見れば、争議権を否定する根拠はないということになるだろうと思います。

教育の公共性の問題は、福祉国家における教育をどう考えるか、という問題にも繋がっていくので、その意味でも重要だと思います。

ジョブ型、メンバーシップ型までたどり着きませんでしたが、とりあえず、こんなところです。

投稿: 金子良事 | 2016年8月30日 (火) 11時45分

「公共性」なる言葉が曖昧で、人によって勝手に自分の思い入れで語れる言葉になってしまっているからでしょう。

教育の世界プロパーは苦手なので、労働法の言葉で言えば、現在の公的部門の労働基本権の制限は身分の公共民間で線引きしているわけですが、その両側でまったく同じ仕事をしている現実によってその「公共性」は裏切られているという状態が続いていたわけです。

もちろん身分は民間労働者であってもやっている仕事に「公益性」があるというのはいくらでもあります。典型的なのが医療機関で、これもまた、身分は公共と民間に分かれていますが、別段市立病院の公務員医師は民間病院の民間医師よりも公共的な仕事をしているというわけではない。
で、そういう「公益性」には、一定の争議権の制限というかたちでの担保措置がありますが、それは身分とは独立の軸です。

ではさて、教育なる仕事はそういう意味での「公益性」があるのだろうか、というと、残念ながら日本国の労働関係調整法が「公衆の日常生活に欠くことのできない」ものとして定義している公益事業には含まれないのですね。

少なくとも日本国の労働法制の認識においては、教育なる事業は、運輸、郵便、電気通信、水道、電気、ガス供給、医療、公衆衛生のような意味での『公益性』を有しているとは認められておりません、ということです。

投稿: hamachan | 2016年8月30日 (火) 23時42分

???
教諭のことですかねえ?どうも正規の採用者に絞られた(日教組が出てきて、歴史的経緯の綴りがあるもので気になりまして)お話しのように思われましたので。

公共性・・・医療も?その役割はその社会の考え方で異なるのではないかなあと存じますし(なにやらお騒がせいたしましたし笑)、教育や医療は宇沢先生薫陶で公共であってほしいと思っている立場ですが、その規定は自然に確立されるのではなく我々=社会とそこに雇用される人々への所得財源のいわば分配の原理にあると存じます。それに言及あればこそが、はまちゃんぶろぐの面目躍如かな。と、今宵の相棒中座中にエントロピー増大中の困ったコメントを差し上げました。さ、・・・。

投稿: kohchan | 2016年9月 5日 (月) 19時35分

「教師は聖職者だ」は典型的な右翼保守の政策。日本教職員組合が変なイメージだけで語られているのは凄い同意。

「労働者論vs.聖職論」は組合員が多かった私の地元では本当に激しく議論された。

大学でたまたま教職の単位取った時は、「教師は待遇についてあれこれ要求すべきではない」という教育委員会に勤務するウヨク教員あり、「様々な資格のなかで教師だけ資格更新制度を作る理由はない。右派による圧迫だ。」という日教組員ありと非常に刺激を受けました。

生徒・児童だった時から現在まで、日教組の組合員の教師には多くの知り合いが居りますが、ネトウヨが言う極左的(共産主義的?)な人はゼロ。

私が中学生だった時の担任は、組合活動しまくってましたが能力主義者で小泉改革は容認。

ただ、資質によらない不当な差別には断固反対というのは、組合員におおむね共通しているのではないかと感じました。

投稿: 阿波 | 2016年11月23日 (水) 13時27分

このブログに(主に批判的な意味で)しょっちゅう出てくる「リベサヨ」なる用語、調べてみると濱口氏が考案?した「小さな政府を指向する左翼」の意味らしいが、
リベラルなのは間違いないにしても小さな政府なのだから経済右派なので「リベウヨ」だし、
そもそも何で「リベラル」なら「左翼」であるべき、またはその「反」や「逆」が正しいという前提なのか謎ですね。

そんで、先ほどのコメントの先生で思ったのですが、「自由を平等に分配し、個人主義で、個人の資質によらない不当な差別を許さない」というリベラルな思想からすれば、フラットな競争ではないこと(いわゆる既得権益)や国家の統制的な経済に反対し、能力主義者になるのは当然ではないですか。

リベラル+左翼vs.保守+右翼っていう米でも「社会も経済も自由にするのが正しいだろ!」という論理的な異議申し立てが出ています。
リベラル+経済右派はむしろ論理的だし、そういう空気(思想体系までは高まってない)が流れていた日本は米欧より先進的です。

投稿: 阿波 | 2016年11月23日 (水) 17時08分

>このブログに(主に批判的な意味で)しょっちゅう出てくる「リベサヨ」なる用語、調べてみると濱口氏が考案?した「小さな政府を指向する左翼」の意味らしいが、
リベラルなのは間違いないにしても小さな政府なのだから経済右派なので「リベウヨ」だし、
そもそも何で「リベラル」なら「左翼」であるべき、またはその「反」や「逆」が正しいという前提なのか謎ですね。


まさにその通り!

なのに、その「小さな政府を指向する」リベラルな人々を、マスコミやネット上の圧倒的に多くの人々が「サヨク」だ「サヨク」だと言って全然疑わないものだから、
それっておかしいのと違いますか?と皮肉交じりに疑問を提起するために造作した言葉がまさにその「リベサヨ」なんですが、その辺の経緯を余りよくご存じなかったようですね。

「そもそも何で「リベラル」なら「左翼」であるべき」だと皆さんが思い込んでいるのかをひっくり返すための言葉なのです。


詳しくは、このエントリをよくご覧ください。


http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-6bcb.html
(リベサヨって、リベラル左派の略だったの?)

自分で揶揄的にでっち上げた言葉のはずですが、いつのまにか流通するうちに意味のシフトが起こっていたそうです。

ちなみに、その(私が認識している限りの)発展史は次の通りです。

・・・・・

投稿: hamachan | 2016年11月23日 (水) 19時07分

ありがとうございます。
理解しました。

数年前に公安OBのお年寄りに「君はリベラルな活動をしていると言っていたがリベラルとは何か?」と聞かれ、「個人の自由な生活を守ったり身分制度や特権を否定する思想です」と言ったら、「えっ??社会主義のことじゃないの?」と驚かれました。

リベラルは全く理解されていないんですね><

投稿: 阿波 | 2016年11月24日 (木) 19時54分

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