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2016年8月 5日 (金)

リベサヨとソーシャルのねじれにねじれた関係

都知事選については何も言うつもりはありませんが、それへの批評としてこんな記事が目に付いたので、さすがに一言だけ。

http://agora-web.jp/archives/2020627.html(さようなら  オールド左翼)

・・・何れにせよ、今回の鳥越氏の都知事選での惨敗で、多くの人達の目が現実を直視し、彼に代表される様な「オールド左翼」に最終的に決別して、米国のサンダース氏に比肩しうる様な「新しい時代の左翼」を模索する方向へと進んでいけば、大変よい事だと思う。

いやいやいやいや、鳥越氏が「オールド左翼」だって?

こういうリベラルだけは全開だけど、ソーシャルはいかにもとってつけたような表層的ジャーナリストを「オールド左翼」と呼んでしまうくらい、日本の政治思想地図というのはねじれきってしまっているわけですね。

そういうねじれの原因は、つまりヨーロッパのように素直に右派リベラル対左派ソーシャルという対立図式にならない理由は、わたしはずっとアメリカ方言の「リベラル」が諸悪の根源だと(やや単純化して)言ってきたわけですけど、そのアメリカで、自らをデモクラティックなソーシャリストだと公然と標榜するサンダース氏が大統領候補としてあれだけ善戦したことを考えれば、有力政治家の誰一人としてソーシャルを掲げない日本はあまりにも特殊ですね。

少なくとも、サンダース氏の言っていることは、リベサヨがはびこり出す以前の「オールド左翼」に近いはずなので、上の引用文のねじれっぷりは気が遠くなるような思いがします。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2af2.html(赤木智弘氏の新著その2~リベサヨからソーシャルへ)

41ad8n5htal_ss500_・・・をいをい、「労働者の立場を尊重する」ってのは、どこか遠くの「労働者」さんという人のことで、自分のことじゃなかったのかよ、低賃金で過酷な労働条件の中で不安定な雇傭を強いられている自分のことじゃなかったのかよ、とんでもないリベサヨの坊ちゃんだね、と、ゴリゴリ左翼の人は言うでしょう。

・・・よくぞ気がついたな、若いの。生粋のプロレタリアがプチブルの真似事をしたってしょうがねえんだよ、俺たち貧乏人にカネをよこせ、まともな仕事をよこせ、と、あんたは言うべきだったんだ、と、オールド左翼オヤジは言うでしょう。

もちろん、半世紀前の左翼オヤジの論理がそのまま現代に通用するわけではありませんが、リベサヨに目眩ましされていた赤木さんにとっては、これは「ソーシャルへの回心」とでも言うべき出来事であったと言えます。

問題は、赤木さんの辞書に「ザ・ソーシャル」という言葉がないこと。そのため、「左派」という概念がずるずると彼の思考の足を引っ張り続けるのです。

彼の主張は、思われている以上にまっとうです。「俺たち貧乏人にカネをよこせ、まともな仕事をよこせ」と言ってるわけですから。そして、戦争になればその可能性が高まるというのも、日中戦争期の日本の労働者たちの経験からしてまさに正しい。それこそ正しい意味での「ソーシャリズム」でしょう。

ところが、「左派」という歪んだ認識枠組みが、自分のまっとうな主張をまっとうな主張であると認識することを妨げてしまっているようで、わざとねじけた主張であるかのような偽悪的な演技をする方向に突き進んでしまいます。・・・・・

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コメント

いやいやいや、鳥越さん(先輩)のお父様が当時の左翼運動シンパだったようで、吉井町では有名ですね。彼は超進学校である久留米付設から京大、毎日新聞と進歩エリートコース・モデルを歩み今日に至るのです。権力への反骨はあっても左翼でも何でもありません。左翼と見えるとしたらそれがはまちゃん先生のおっしゃる”ねじれ”現象の反射板であったということでしょうね。
定義にねじれがありそのねじれの素である米国中心のものの見方に何とも思わない日本の教育やメディア等々にこそ問題ありで、その意味でのみそこで活躍してきた鳥越先輩への”さよならオールド左翼”はその通りという解釈ですよね。
トクヴィル、フランス視点からみた「政治哲学的考察 リベラルとソーシャルの間」宇野重規著 岩波書店がすでに手元にありますがどんな内容かな。はまちゃん先生もいかがですか?

オールド左翼と鳥越さんに関するコメントが掲載されるかどうか解りませんがもう一言だけ。こっちが大切なことで、これは先のエントリ・都知事誕生・・・にも関することで。

主要3候補に共通するものは、たとえば当選者ですから小池ゆりこさんを活用すれば「都民ファースト」でしたね。
増田さんも鳥越先輩もそのメインテーマへのアプローチこそ支援政党や団体ともシンクロするような物言いでしたが用は同じく「都民ファースト」。言葉を換えて「都民の税は都民のために使いますよ~」で3人お顔が違う、あるいは性が違うだけで要約すれば「自分のもの(都民の納税分)は自分だけのもの(都民対象の再分配しかしまんよ~)です。舛添さんみたいに自分(私)のものにはしませんから安心してね」競争でしたね。寂しい限りの候補者でしたよ。むろん政党や支援団体も。
内容は違いますが、都民の税って様々な地域アドバンテージがありますでしょ?地方から出てきて都民となって税を納める人も法人本社を設置するも。とくに小さいときから育ててきた人材が納税者となるときに持って行かれる地方との地域ポテンシャルを全く無視しておりましたね。自分の資産なら別ですが、税もかよとおもいました。これが日本が高度成長から脱皮できない最大の理由です。これもまた選択と集中でしょうね。
英国にはロイド・ジョージがおり、米国にはジョン・F・ケネディがおりましたね。けっして誉められるばかりの政治家ではなかったでしょうが、両者には日本の政治家にはない「政治への矜持」をもっており、実際にロイド・ジョージは増税への政治家が避けたがる方針を、ケネディは国家(実際は連邦ではなく州政府へのだと思われますが)への国民の役割を謳っておりますね。政治的スタンス以前にこうした人が出てきてはじめてそうした議論はスタートできるのではと思ったわけです。都民に「最大に税ポテンシャルを享受してきた我々は今こそ日本再生に向かう第一歩として、再分配政策の礎になろうではないか」と演説すればカッコよかったのにねえ。

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