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2016年8月

「労使自治と三者構成原則」@『損保労連GENKI』2016年8月号

123『損保労連GENKI』2016年8月号に「労使自治と三者構成原則」を寄稿しました。

 これまで3年間にわたり、本誌で「労働法制ニュース」を連載してきましたが、いよいよ今号が最終号となります。そこで、今までの連載を総まとめする意味も込めて、最近再び話題になりつつある労働法制の作り方に関わる問題を取り上げてみたいと思います。

 去る7月26日に、厚生労働大臣の私的諮問会議として「働き方に関する政策決定プロセス有識者会議」が設けられました。労働政策審議会のあり方を見直すということですが、この問題を考える上では、ILOに由来する三者構成原則の意義を改めてきちんと確認しておく必要があります。

 そもそも政労使三者構成なる制度が世界に登場したのは、第1次大戦後ヴェルサイユで開かれたパリ平和会議です。ここで労働条件の国際規制を促進するための常設機関(=ILO)を設置するための条約に向けて審議が進められ、その意思決定機関には各国から政府2名、労使各1名が出席することになりました。現在でもILOの総会や理事会は、政労使3者の席に分かれて議事が進められます。

 実はILO発足当初、日本政府はとんでもない恥をかいたことがあります。1919年ワシントンで開かれた第1回ILO総会への労働者代表として、条約では代表的な労働団体と合意して指名することになっているのに、わが国には未だ代表的な労働団体が存在しないと称して、鳥羽造船所技師長の桝本卯平を送り出し、労働組合から反発を受けたのです。第3回総会では政府が任命した松本圭一が自ら、条約違反として自らの資格を否認されんことを求めるという異常な事態となりました。こうした醜態が繰り返された挙げ句、労働問題の主管官庁がそれまでの農商務省から新設の内務省社会局に移され、日本労働総同盟会長鈴木文治を代表に選出することで決着しました。三者構成原則をおろそかに扱うととんでもないしっぺ返しを喰らうという百年前のこの教訓を、現代の政治家やマスコミ人がどこまでちゃんと理解しているのかがまず第一の論点です。

 戦後日本では労働組合法に基づき三者構成の労働委員会が設置され、さらに労働基準法等に基づき各種の審議会が設けられましたが、何れもILOの原則に従い、三者構成で審議し、立法や政策に関して決定してきました。ところが1990年代後半以降、規制緩和の波が押し寄せるようになり、労働省よりも上のレベルの政府機関が規制緩和路線を打ち出し、労働行政はそれの実行部隊という風に位置づけられてくると、労働省に設置された審議会でいかに三者構成が確保されていても、審議会で議論を始める前に既に外堀は埋まっているという状態になってきました。さらに2007年前後には、当時の規制改革会議からこのような議論が飛び出してきました(福井秀夫労働タスクフォース座長)。

現在の労働政策審議会は、政策決定の要の審議会であるにもかかわらず意見分布の固定化という弊害を持っている。労使代表は、決定権限を持たずに、その背後にある組織のメッセンジャーであることもないわけではなく、その場合には、同審議会の機能は、団体交渉にも及ばない。しかも、主として正社員を中心に組織化された労働組合の意見が、必ずしも、フリーター、派遣労働者等非正規労働者の再チャレンジの観点に立っている訳ではない。特定の利害関係は特定の行動をもたらすことに照らすと、使用者側委員、労働側委員といった利害団体の代表が調整を行う現行の政策決定の在り方を改め、利害当事者から広く、意見を聞きつつも、フェアな政策決定機関にその政策決定を委ねるべきである。

 労使団体は労働問題に関するもっとも切実な利害関係者であるからこそ、その意思決定への参加が必要だというILOの発想を真っ向から否定する議論です。とりわけ、労働者の声を排除してしまおうというこうした議論に対しては、思想的レベルできちんと批判していく必要があります。

 わたしが当時から繰り返し主張してきたのは、ILOが掲げる政労使三者構成原則とは、労使はその二者構成で、即ち労使自治で、労働条件を決めたりさまざまな問題を解決する能力を持っているからこそ、そこに政府を加えた三者構成でものごとを決めることができるのだということです。他の団体、たとえばNGOとかアドボカシーグループなどは、政府にある政策の採用を要求するための活動はできても、自分たちだけでルールを作ることはできません。労使自治こそが三者構成原則の基礎であるということも、政治家やマスコミ人たちに理解して欲しい重要な論点です。

 しかし同時に、ここで引き合いに出されている労働組合が正社員中心で、非正規労働者の声をきちんと代表していないという議論に対しては、労働組合のあり方を見直すことも含め、きちんと対応していくことも必要です。冒頭で述べた労政審の見直し論も、畢竟するところ現在の労働組合がどれだけ非正規労働者や中小零細企業労働者を代表しているのか、という問題に帰着するからです。

 とりわけ現在、非正規労働者の処遇格差問題をめぐって同一労働同一賃金原則が政府から提起され、議論が進められつつある中で、その基準を定め運用していく上で集団的労使関係の役割はこれまで以上に大きなものにならなければならないはずです。この点については一昨年、本誌2014年6月号で集団的労使関係の再構築について取り上げたところですが、労政審のあり方が政府から見直されようとしている今だからこそ、三者構成原則をきちんと守りながらそれができるだけ多くの労働者の声を代表するものとなるような方向に向けて、労働組合自身の覚悟も求められるでしょう。

 現在でも非正規労働者を積極的に加入させている産別もありますが、なお多くの労働組合の取り組みは消極的に見えます。労働組合の裾野を広げ、できるだけ多くの労働者の声を代表する存在になっていくことこそが、一世紀かけて構築してきた三者構成原則をこの日本で守っていく上で重要な一歩となるはずです。

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NPO法人人材派遣と請負会社のためのサポートセンター第4回勉強会

NPO法人人材派遣と請負会社のためのサポートセンターの第4回勉強会の案内が同NPOのHPにアップされています。

http://www.npo-jhk-support119.org/

◇開催日時 2016年10月3日(月) 開始13:30~終了17:40[13:00受付開始]

◇会場 アルカディア市ヶ谷 3階「富士」 TEL:03-3262-9921

◇対象 人材サービス企業経営者・人事・労務・コンプライアンス担当者、研究機関、マスコミ

◇参加費 無料(先着150名)

◇内容 

1.講演

(1)時局講演:日本労働組合総連合会(連合) 事務局長 逢見直人様

(2)雇用・労働問題講演:(注:講演テーマが変わる場合がございます)

①労働政策研究・研修機構 主席統括研究員 濱口桂一郎様  「これからの労働社会」

②東京大学社会科学研究所 教授 水町勇一郎様  「労働法制改革と人材サービスの課題」

③中央大学大学院戦略経営研究科 教授 佐藤博樹様  「人と企業と人材サービス」

2.講師への質疑応答

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堀有喜衣『高校就職指導の社会学』

239982堀有喜衣さんから『高校就職指導の社会学 「日本型」移行を再考する』(勁草書房)をお送りいただきました。ありがとうございます。本書は堀さんの博士論文をもとにしたもので、学校から職業への移行という堀さんのライフワークテーマの現時点での集大成という趣があります。

http://www.keisoshobo.co.jp/book/b239982.html

学校から職業へのスムーズな移行を促す高校就職指導は、若年失業率の低下に寄与しているとして、80年代には国際的にもその機能が高く評価されたが、90年代にはその評価は反転した。従来は、生徒の就職先の確保や配分を期待されてきた高校就職指導が、2000年代以降どのような状況となっているのか、実証データにより詳細に検討する。

既に雑誌論文や報告書の一部として読んでいた部分もありますが、新たに書き下ろされた章は面白いです。事実発見的な章としては第5章がそうで、これまで苅谷さんの本などでそうだと思われていたいわゆる80年代型の高校就職指導が、実はその80年代にさえ、必ずしもマジョリティというわけではなく、そうじゃないあり方が結構多かった、というちゃぶ台返しが楽しめます。

その必ずしも一般的でなかった80年代モデルが、90年代以降どんどん収縮して行く姿を描いているのがその前の第3章と第4章です。

終章の最後でこう語っているのは、まさに混迷の現代を示しているのでしょう。

・・・最後に、本書は選抜・配分を強調したこれまでの「日本型」移行は小さいながらも今後も存在しつつ、教育において職業的意義を重視するような方向性が強まっていくという当面の見通しを持っている。しかし日本社会において学校と労働市場との接続をどのように構築していくのかについて、長期的な見通しを示していないのは、大きな絵を描くことが可能だった時代は終わり、混迷の状況が続くと考えているからである。こうした不透明な状況の中でも、全体像を意識しながら一つずつ知見を積み上げていくことが将来の若者世代に対する責任だと本書は考える。

上記リンク先には目次もありますが、博士論文の要旨というのがここにアップされていて、一番簡明なので、それを引用しておきます。

http://teapot.lib.ocha.ac.jp/ocha/bitstream/10083/58188/1/o_360_sha_naiyo.pdf

高校就職指導の選抜・配分機能については教育社会学において多くの研究が行われてきた。先行研究においては、メリット原則が就職指導にまで貫徹しており「学校に委ねられた職業選抜」が行われていることを強調する説明がこれまで支配的だった。本論文をこれを「80 年代型仮説」と呼び、その妥当性を、統計的および事例的研究によって実証的に検証することを目的とする。
検証の結果、次の二つの点に関して、80 年代型仮説は知見の見直しが必要であることが明らかとなった。①80 年代までの日本の高校就職指導は、メリトクラシーが貫徹した「学校に委ねられた職業的選抜」によって特徴付けられるとされてきた点、②90 年代以降、高卒労働市場の狭隘化によって、高校就職指導の日本的特質が崩れ、高卒者の職業への移行が急速に不安定なものとなったとされてきた点。①については、80 年代までの高校就職指導には多様性が見られ、また学校から職業への移行が従前指摘されてきたほどスムーズなものではなかったことが、本論文では明らかとなった。②については、大都市を対象とした事例研究に依拠した知見に過ぎず、大都市での高卒者の移行の不安定さが強調されてしまったことを明らかにしている。
今後、多様な就職指導類型を設定した上で、大都市圏のみならずさまざまな労働市場環境を念頭におき、丹念に高卒就職指導の選抜・配分機能を明らかにしていく必要性を指摘している。

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奨学金破産の解消法

西川純さんのブログで、「奨学金破産の解消法」というエントリが上がっています。なかなかに刺激的に表現も含まれていますが、物事の本質をズバリと斬り込んでいますので、一服の清涼剤として是非服薬することをお奨めします。

ちなみに私はここまでラディカルではなく、中長期的にはいったん社会に出て就労してから大学進学というスタイルが一般化することを展望しつつも、当面は「18歳主義」は簡単になくならないだろうという前提で、いかに教育の職業的レリバンスを高められるかという生ぬるい考え方でいますが。

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20160829/1472423090

・・・奨学金破産の原因は奨学金ではなく、大学を卒業しても正規採用にならない点です。その原因は正規採用に値する能力、つまり、採用後直ちに給料分稼げる能力を大学が与えていないからです。

・・・大学進学率の高い国では、高校卒業後に直ちに大学に進学するのはトップ大学に進学する一部だけです。多くは就職します。日本もそうなればいいと思います。
 大学で学びたい人は数年間働いて、お金を貯めます。つまり、借金で大学に学びません。それだけの覚悟と意欲を持つ人だけが大学に進学します。働いてから大学に学ぶのですから、働いたことのない高校生とは選択の視点が違います。似非ジョブ型には厳しい目を向けます。結果として本当の専門職大学に学生は集まりますが、似非専門職大学には集まりません。

そこから、高校教師への提言もシビアなものになります。

・・・じゃあ、我々教師(特に高校教師)は何が出来るか?
 偏差値60を下回る子にはジョブ型大学を薦めるべきです。
 偏差値55を下回る子には大学進学は勧めず専門学校を薦めるべきです。そして、それを上回ることを学びたいならば、お金を貯めて大学に進学することを勧めてください。借金するとどうなるかを教えてください。

実際には、日本の企業の側がそれに対応できるような体制になっていないので、このジョブ型社会ではあまりにも正当なサジェスチョンがかえって逆効果をもたらせてしまうというもまた現実の日本の姿でもあるわけですが。

西川さんのブログを見るたび、自分の生ぬるさを思い知らされる尖ったエントリです。

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それってますますインターンじゃなくなる

日経夕刊に、

http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS28H2H_Z20C16A8MM0000/(インターン日数短く 経団連「最低3日」軸に)

経団連は年内にも、会員企業向けの採用活動の指針で定めているインターンシップ(就業体験)の下限日数を短縮する方向だ。現在は最低5日間としているが最低3日間に引き下げる案が軸となる。インターンを開く企業は増えており、学生の関心も高まっている。日数を減らすことで企業が実施回数を増やせば、学生も参加しやすくなる。

何をやろうが基本的に自由なので(少なくとも法的には何ら規制はないので)、別にとやかく言うつもりもありませんが、ただでさえインターンシップというのはおこがましいただの社会科見学に毛が生えたようなものが、毛も生えていないようなものになるのだろうな、と。

そもそも、インターンシップとは、ジョブ型社会でのジョブのスキルでもって採用されるかどうかが決まるような社会、すなわち言葉の正確な意味での就「職」がある社会において、ほっといたら採用して貰えないようなスキルの無い若者に、企業の中で実際に仕事を体験することで採用して貰えるようなところまで引き上げようという話なので、そんなものは何も求められず、まっさらな方が喜ばれるような社会においては、少なくとも就「職」しやすくするための仕組みとしてはほとんど意味が無いわけです。

Ebiharaこの問題については、海老原嗣生さんが先月、まとまった形で論じておられますので、是非そちらをご参照ください。

http://blogos.com/article/183980/(「インターンシップが若者を救う」論を駁す① 大手の早期横並びインターンというかつて来た道)

http://blogos.com/article/184058/(「インターンシップが若者を救う」論を駁す② 早期インターンでも中小はやっぱり不人気)

http://blogos.com/article/184269/(「インターンシップが若者を救う」論を駁す③ 欧米のエリート・インターンシップは年収600万円!? )

・・・仕事を覚えるためには、それくらいハードな実習が必要なのだ。職務別採用の世界で職にありつくためには、こうした下積みが必要となる。日本のように、1週間程度のアトラクションでインターンシップが事足りるのは、その前提に未経験者を採用するという、新卒慣行があるからだ、と気づいてほしい。

http://blogos.com/article/184344/(「インターンシップが若者を救う」論を駁す④欧州のインターン=偽装雇用=ブラックという構図)

雇用システム論への理解抜きに表層だけ捉えて雇用問題を論ずるとおかしなことになるというのはあちこちで見られますが、インターンシップなどはその典型といえるテーマでしょう。

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教師は労働者にあらず論

4623040720_2金子良事さんがときどき思い出したように『労働法政策』についてつぶやくのですが、

https://twitter.com/ryojikaneko/status/769927206101364738

濱口『労働法政策』を読み返しているけど、面白い。田中耕太郎文相が教師の争議権を禁止しようとしたら、GHQがダメといって否定された話のあとに、さらっと次のように書いてる。

https://twitter.com/ryojikaneko/status/769927408015187968

「教育関係者に根強い「教師は労働者にあらず論」があっさり否定されたわけで、その後も現在にいたるまで私立学校教員の争議権が否定されたことは一度もない」いろんな意味で、勘所だわ。

いや別に勘所も何も、文字通りなんですけど。

ただ、日教組が(今日に伝えられているもっぱら「教え子を戦場に送るな」的なイデオロギー的な文脈だけではなく)そういうまさに教育労働者の労働条件を改善するための労働運動そのものとしての文脈でもマクロ社会的アクターとして議論されていた、という歴史的事実自体がほとんど忘れ去れてしまっていることが問題なんだと思います。

ましてや、そういう教育労働者の本来的な労働運動としての日教組に対して、(政治イデオロギー的にはむしろより急進的なはずの)共産党が「教師は聖職だ」といって水をぶっかけていたこととかは、今ネット上で一生懸命リベサヨ叩きをしている人々のほとんどすべてが知らないのでしょうし。

本ブログでも繰り返し言っているように、その文脈が希薄化してしまったことが、今日の教育労働現場の様々なブラック的な労働問題の一つの遠因にもなっているように思います。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/vs_eccf.html(プリンスホテルvs日教組問題の文脈)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-4ed1.html(日本教職員組合の憲法的基礎)

※欄

正直言って、わたしは政治結社としての日教組を擁護する気持ちはありません。勝手に右翼と喧嘩してればよろしい。

しかし、全国の教育労働者の代表組織には、重要な存在意義と責任があります。近年、労働者としての権利主張をすること自体がけしからんかのような言論も多く見られるだけに、そこはきちんと言っておく必要がありましょう。わたしははじめからそこにしか関心はありません。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-b495.html(今こそ、教師だって労働者)

・・・しかし、ここで描かれている教師たちの姿は、ブラック企業で身をすり減らし、心を病み、自殺に追い込まれていくあの労働者たちとほとんど変わらないように見えます。

そう、これは何よりもまず「労働問題」、教師という名の労働者たちの限りなくブラックに近づいていく労働環境について問題を提起した本と言うべきでしょう。

彼ら教師たちの労働環境をブラック化していく元凶は、「教育問題」の山のような言説の中に詰め込まれている、文部省が悪いとか日教組が悪いとか、右翼がどうだとかサヨクがどうだとか、そういう過去の教育界の人々が口泡飛ばしてきた有象無象のことどもとはだいぶ違うところにあるということを、この秀逸なルポルタージュは浮き彫りにしています。

それは、親をはじめとした顧客たちによる、際限のないサービス要求。そしてそれに「スマイルゼロ円」で応えなければならない教師という名の労働者たち。

今日のさまざまなサービス業の職場で広く見られる「お客様は神さま」というブラック化第一段に、「この怠け者の公務員どもめ」というブラック化第2段階が重なり、さらに加えて横町のご隠居から猫のハチ公までいっぱしで語れる「教育問題」というブラック化第3段階で、ほぼ完成に近づいた教育労働ブラック化計画の、あまりにも見事な『成果』が、これでもかこれでもかと描かれていて、正直読むのが息苦しくなります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-ad08.html(認識はまったく同じなのですが・・・)

・・・ただ、それこそ大阪方面の出来事の推移を見てもわかることですが、日教組の労働組合としての本質ではない部分を意識的にフレームアップする政治意図と、その労働組合としては本来非本質的な部分を自分たちのこれこそ本質的な部分だと思いこんでいるある種の人々のパブロフの犬的条件反射的行動様式とが、ものの見事にぴったりと合わさって、政治結社としての日教組という定式化されたイメージを飽きもせず再生産するメカニズムが働き続けているという、(おそらく心ある労働運動家だけではいかんともしがたい)どうしようもなさがその根っこにあるので、この金子さんのそれ自体としてはまことに正しいつぶやきが、何の役にも立たないという事態がそのまま続いていくわけです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-92c4.html(公教育における集団的労使関係欠如の一帰結?)

・・・戦前以来の、そして右翼も左翼も共有してしまっている「教師は聖職」だから労働条件如きでぐたぐた文句を言うな感覚。

日教組自身がニッキョーソは政治団体という右翼側の思い込みに乗っかって政治イデオロギーの対決ばかりに熱中してきた歴史。

そういう空中戦ばかりの教育界で、全てのツケを回す対象とされてきた国法が認めてくれている残業代ゼロ制度。

そして何よりかにより、他の全ての国における「教師=教育というジョブを遂行する専門職」が共有されず、学齢期の子供(ときどきガキども)の世話を(学校内外を問わず、いつでもどこでも何でも)全て面倒見るのが仕事という、典型的にメンバーシップ型の教師像。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-cdda.html(日教組婦人部の偉大な実績)

・・・なんにせよ、日教組といえば妙な政治的イデオロギーの眼鏡越しでばかり論じようとする傾向が強いだけに、こういうまことにまっとうな労働組合としての本来あるべき政治活動を実践し、法律として実現させてきた日教組婦人部の歴史を、きちんと見直していく必要があると思われます。

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本庄著への毛塚批評@JIL雑誌

674_09日本労働研究雑誌9月号は、「人口構造の変化」という特集で、小峰隆夫、今野浩一郎氏らの論文を始めなかなか興味深く、とりわけ柳澤武さんの「高年齢者雇用の法政策」は、私の書いてきたものとほぼ同じ対象を取り上げているだけに、興味深く読みました。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/new/index.html

が、

215929ここでは、毛塚勝利さんによる本庄淳志著『労働市場における労働者派遣法の現代的役割』に対する書評について。

このうち、3つめの「疑問」として提示されている均等待遇原則への掘り下げ不足という批判は、本庄さんの立論に対するかなり刺さる批判になっているように思われます。

日本型雇用慣行への悪影響への懸念から制限的に作られた日本型派遣法について、それよりもむしろ派遣労働者の保護に重点を置いた制度にするべきと言うのであれば、西欧型の均等待遇規制を「非現実的」と一蹴するのは首尾一貫していないではないか、という一種の自己矛盾追及論法です。

確かにここで本庄さんは一種の妥協をしているように見えます。

ただこの論法で追及すると言うことは、逆に日本型雇用を崩すからという理由で派遣の拡大に反対する根拠もなくすことになるので、他の論者の方々が同じような指摘をできるかどうかは分かりません。

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労働協約を締結できるユニオン

昨日、エステユニオンがエステ界の最大手TBCと労働協約を締結したと報じられており、

http://www.asahi.com/articles/ASJ8V4WNRJ8VULFA01C.html (朝日:TBC、外部労組と「ホワイト求人労働協約」締結)

http://mainichi.jp/articles/20160827/k00/00m/040/069000c (毎日:エステ・ユニオン TBCと労働協約締結 固定残業代明示)

そのエステユニオンのブログに詳しい解説が載っていますが、

http://esthe-union.sblo.jp/article/176628406.html (エステティックTBCとエステ・ユニオンは「ホワイト求人労働協約」を締結しました!)

この度、エステティックTBC(TBCグループ株式会社)とエステ・ユニオン(総合サポートユニオンエステ支部)は、「ホワイト求人労働協約」(就活安心労働協約)という日本初の求人に関する包括的労働協約を締結しました。この協約は、求人に関する情報公開を会社が積極的に行うこと、労働契約は求人を下回らないことなどを約束することによって、求職者が安心して就職できるようにすることを目的としています。

 本日、エステティックTBCとエステ・ユニオンは、厚生労働省にて共同記者会見を行い、労働協約の締結とその内容について発表しました。

協約の中身はリンク先を見ていただくことにして、やはりエステユニオンというもともとは個別紛争解決型の典型的な外部ユニオンが、労働市場のあり方を規制する本来的なトレード・ユニオンとして労働協約というルール形成能力を獲得するにまで至っているということが、もっとも注目すべき点でしょう。

もともとトレード・ユニオンとはそういうもののはずですが、内部労働市場に閉鎖された企業別組合には、その企業内部のルール形成能力はあっても、それを一歩出ると何もできないし、一方その企業の外側で活動するいわゆる「ユニオン」はもっぱら個別の紛争を解決する能力のみによって評価されるにとどまり、それを超えた労働市場のルール形成能力はないものとみられていました。どちらも、トレード・ユニオンではなかったわけです。

その意味で、もちろん特殊な業界の一企業との協約に過ぎないということを前提にした上で、注目すべき協約であることは間違いないように思われます。

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それ、ジョブ型じゃねえし

なんだかこれが話題になっているようですが、

http://anond.hatelabo.jp/20160826202909 (即日解雇された)

これにこういうコメントがあったので、いやそれはちょっと違うでしょ、と。

https://twitter.com/ohtsuka/status/769314437366886400

気の毒ではあるけれどメンバーシップ型雇用からジョブ型雇用に移っていく過程でよく見られる光景になるのだろうな。

そもそも、ジョブ型だから即日解雇が許されるなんてのがトンデモ系の誤解ですが、そこは別としても、本件そもそも入り口からして全然ジョブ型じゃねえし。

面接では、あくまで私は未経験でその事が不安でしたが、社長が「それは了解している。ただ、君のポートフォリオを見る限り、見込みがあると思った」と言ってくれ嬉しく思い、頑張ろうと思いました。

入社して最初の週は社長の方からも、ひと月ぐらいはゆっくり色々と覚えていってくれと言われました。

って、完璧にメンバーシップ型の入り口じゃん。

未経験でも「見込みがある」からと採用しといて、

「もう来なくていい。お疲れ様でした。会社都合だと君も次の職探し大変だろうから退職届書かせてあげる。書いたら帰って」

ってのは、これはもうまともなジョブでもメンバーシップでも何でもないでしょ。

つか、こういうのをこれからの「ジョブ型」だと宣伝してしまう人が出てきてしまうのだなあ、と。

念のため付け加えておくと、ホントのジョブ型ではこういう人は採用してもらえないので、こういう悲劇には起こりにくい代わりに、若者未熟練労働者の失業がたまるわけです。

さらについでにいうと、正面からの採用はジョブ型しかないので、未経験の若者のためにインターンシップとかトレイニーシップとかいうバイパスを設けて、無給や薄給でいろんな仕事をやらせながら徐々にスキルをつけさせて、やがては明確な職務記述書に基づいた正規採用に至るというコースがあるわけですね。

その意味では日本のメンバーシップ型正社員というのはジョブ型社会の見習い期間を職業生活の全期間に引き延ばしたようなもので、一種の幼型進化かもしれません。

それはともかく、こういうといいようですが、それを悪用して、インターンシップという名目で若者をいつまでも無給や薄給で便利に使おうというジョブ型社会ならではのブラック企業も後を絶たないわけです。

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第31回女性労働問題研究会(再掲)

明日、第31回女性労働問題研究会で「日本型雇用と女子の運命」についてお話をしますので、再掲しておきます。

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愛知県経営者協会特別講演会のお知らせ

愛知県経営者協会特別講演会のお知らせが同協会HPにアップされているので、こちらでも広報しておきます。

Aichi

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「憎税」りふれはのアイドル クーリッジ

あんこれさんの「ニュースの社会科学的な裏側」が、なかなかに皮肉なエントリを書いています。

http://www.anlyznews.com/2016/08/blog-post_20.html (緊縮財政を主張する全ての皆さまへ)

どうもある種のりふれはの人が、緊縮財政を批判するツイートのつもりで、アメリカのクーリッジ大統領の「必要以上の税を集めるのは合法的強盗である」という台詞を引用していたらしいのですが、もちろんクーリッジ大統領は「緊縮財政の守護天使のような存在」であり、「大恐慌以前の市場原理主義者、シバキの代表」であります。『ただひたすらに「頑張る」というスローガンだけで、たいていの問題は解決できる』と言う名言が残っているんだそうです。

その昔世界史の教科書で読んだのを思い出していただければ、クーリッジの次のフーバー大統領のときにあの大恐慌が起こり、それでルーズベルトのニューディール政策が始まったわけです。思い出しましたか?

あんこれさんはこの歴史感覚の欠如した自分に都合の良い言葉尻だけに条件反射する愚かさをあざ笑っている訳なんですが、もうすこしつっこむと、ここにある種の「りふれは」の本性-ただひたすらに「憎税」-がにじみ出ているということもできるように思われます。

その帰結は、もちろん言うまでもなく、クーリッジ大統領の経済政策の追求以外の何物でもないわけで、その意味ではむしろ、あんこれさんの皮肉は皮肉ですらなく、この手のりふれはの明白な本性を明らかにしたというだけだったのかもしれません。

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「契約社員という不思議」 @『労基旬報』2016年8月25日号

『労基旬報』2016年8月25日号に「契約社員という不思議」を寄稿しました。「不思議」、って何が?

 以前にも本連載で述べましたが、「契約社員」という言葉は二重三重に奇妙な言葉です。そもそも日本国の法律上「社員」というのは出資者という意味なので、正社員も派遣社員もみな変なのですが、それを括弧に入れて社員とは労働者という意味だとしても、正社員だって派遣社員だってみんな雇用契約に基づいて働いているはずなので、わざわざ「契約」社員と呼ぶのは奇妙です。まあ、派遣社員は間接雇用で、直接雇用契約関係にないから「契約社員」と呼べないというのは分かりますが、それは枝葉末節。契約社員をわざわざ「契約」社員と呼ぶのは、正社員は「契約」などという無粋な関係じゃない、と働く側も働かせる側もみんな思っているからなのでしょう。つまり、正社員とは「身分」であると。まさに、日本型雇用システムのメンバーシップ感覚をそれとのコントラストによって如実に表している言葉が、この「契約社員」という言葉なのです。

 ところが、では「契約社員」とは一体どういう人々のことなのか?と改めて問うと、これほどつかみ所のない言葉はないのではないかというくらい、訳が分かりません。つまり、非正規社員と呼ばれる人々の中でどういう特徴を持った人々なのかということです。恐らく一般的なイメージでは、直接雇用であるという点で派遣社員と区別され、フルタイムであるという点でパートやアルバイトと区別される、というところは共通でしょう。しかしそれ以上になにがしかの専門職的イメージをもって語られる場合もあれば、全くそのような意味合いなく使われることもあります。後者の場合、フルタイム・パートと呼ばれる人々(これまた論理的にはむちゃくちゃな言葉ですが)と何が違うのか全く分かりません。さらに、「契約」という言葉のニュアンスからか、雇用契約ではなく請負・委託契約によって就労する個人請負労働者のことを「契約社員」と呼ぶ例もあるようです。

 従って、論理的整合性を命の次に大事にする労働法学の世界では「契約社員」などという不可解な言葉を不用意に使うことはあまりなく、権利義務関係について語るときにはたとえば「直接雇用有期フルタイム労働者」などと外延の明確な言葉を使うわけですが、労働実務家の世界では現実に使われる言葉こそが現実を映しているというわけで、「契約社員」という言葉が氾濫することになります。

 この不思議な「契約社員」という言葉はいつ頃から使われるようになったのでしょうか。学術情報ナビゲータ(Cinii)で検索してみると、1990年代までは圧倒的に労働関係実務雑誌にばかり出現しています。最初に本格的な特集を組んだのは『労政時報』1988年2月12日号の「契約社員制度はどう運用されているか」で15社の事例をかなり詳しく紹介しています。その後、1995年2月3日号「雇用多様化時代における契約社員制度の実際」、1996年11月8日号「契約社員制度-進むフロー型人材活用の実際」、1998年3月20日号「幅広い分野で活用進む契約社員制度」、同年10月16日号「契約社員制度の現状と動向」といった具合で、事例紹介を繰り返しています。また『労務事情』も1996年8月15日号で「96年女子パートと雇用形態多様化の実態」を特集して以後、1997年1月15日号「わが社の契約社員」、1998年1月15日号「わが社の契約社員・派遣社員活用」と事例紹介を載せていきます。

 1988年の『労政時報』では、特集名は「契約社員」ですが、各事例は「嘱託社員」「準社員」「ベンチャー要員」「専門社員」「挑戦社員」などさまざまな名称になっています。後になるにつれ、「契約社員」に統一されていく様子も窺えます。また、個々の事例を見ていくと当初から専門職的な位置づけをしている者とそうではない者が混在していたことも分かります。キーになる概念は「フロー型人材活用」であり、いわゆる正社員のストック型人材活用に対し、(専門職かどうかは別にして)基幹的な業務を即戦力として遂行する人材と位置づけられていたようです。

 実は、「契約社員」で検索するとヒットするものの、これに含めていいかどうか迷うのが『労政時報』1978年11月10日号の「有期契約社員の雇用実態を探る」です。「契約社員」の最初の特集の10年も前です。ここに並んでいるのは「特別嘱託」「パート、季節工、期間工」「嘱託社員」「ファッションコンパニオン」「特定社員」(=女子販売員)「パート・契約制社員」(=優秀なパートの登用)「販売社員」「準社員」「クルー」(=学生アルバイト)といった名称で、かつての臨時工の残存や当時非正規の中心だった主婦パート、学生アルバイトの基幹化型が中心ですが、若干後の契約社員の先行型も見られます。ただし、重要なのはその多くが家計維持型ではなく家計補助型と社会的にみなされる類型の人々(女性)を対象にしていたことでしょう。このことは、この特集号に掲載されている安西愈弁護士の「有期雇用契約をめぐる法的意義と留意点」の次の記述に明らかです。

 パートタイマー等の有期雇用契約を締結して雇用するに当たって注意すべきことは、雇用される労働者側にいわゆる終身雇用者となることに不適当な事由のある者を雇用しなければならないということである。・・・主婦、学生、兼業者等家庭生活等と両立した責任と義務の比較的軽い、また、中高年齢者等、年功賃金の適用不適当な、企業との関係も、希薄な雇用を望む就労者側の要望と合致した制度であるということになる。

 ・・・この点が実にポイントであって、生計維持の主体となっている男子をパートタイマーとか嘱託とかという名称のみで雇用し、契約の更新を繰り返しながら、「あなたは臨時社員だから仕事がなくなったので雇止めにする」という具合にはいかないのである。

 今日の目から見ると大変ジェンダーバイアスに満ちた文章に見えるかも知れませんが、この頃はまだこういう性差別的な形での非正規化への歯止めが効いていたということの裏返しでもあります。そういう時代には後に一般化するような意味での「契約社員」という言葉はまだ存在していなかったわけです。逆にいえば、こうした性別と年齢に基づく非正規化への歯止めが外れつつある状況の中で産み出されたのが、1988年以降実務誌で特集されていく「契約社員」であったと言えるかも知れません。

 こういう実態の進展を、いささか専門職的なバイアスを強く示しながら定式化したのが、1995年の有名な日経連の『新時代の「日本的経営」』における「高度専門能力活用型」であることは周知の通りです。そして、そのイメージに基づいてその後10年近くにわたって、労働契約の上限規制の延長(1年→3年→5年)などが行われたこともよく知られています。しかし20年以上経った今、天下三分の計で3大雇用類型の一つになるはずだった高度専門能力活用型はほとんど拡大せず、雇用柔軟型が量的に拡大するともに質的にも基幹化していったということも明らかになっています。やがて2000年代に入ると、契約社員を労働法的に捉えた有期契約労働者という概念が法政策の焦点になっていき、議論の末2012年労働契約法改正で無期転換や不合理な労働条件の禁止が規定されるに至ったことも周知のところです。

 パート店長やアルバイト店長が普通に存在するようになった今日、「契約社員」という言葉は、パートやアルバイトと違い性別や年齢にニュートラルな非正規社員と指す言葉として落ち着いているようです。

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山野晴雄さんの専門職業大学観

山野晴雄さんの「三鷹の一日」ブログで、専門職業大学についてこう語られています。

http://yamatea.at.webry.info/201608/article_7.html(「専門職業大学」)

・・・このアンケート結果からは、高校教員には専門職業大学に対して関心が持たれておらず、内容も理解されていないことが分かります。児美川さんが「今のところの教育界には、専門職業大学の創設をめぐって話題が沸騰するといった気配は、まるで感じられない。高校教育の関係者でさえ、関心を持つ者はほとんどいないのではないか」と書かれている通りの結果となっています。

専門職業大学(専門職大学)の創設が、既存の大学や専門学校にどのような影響をもたらすのか、もう少し様子を見る必要がありますが、少なくとも、実践的な職業教育に特化した新大学が創設されることは、大学などのアカデミックな教育を上に、職業教育を下に見る社会的風潮に風穴を開ける可能性があることに期待しています。これまで大学、特に文系の大学は「職業実践的な教育から隔離されたアカデミックな機関だという壮大なフィクション」を守り続けてきましたが(濱口桂一郎『若者と労働』中公新書クラレ、2013年)、「教育と職業の密接な関係」に向けた新大学の創設は、大学の位置づけを変え、「教育と職業の密接な無関係」を名実ともに「密接な関係」に転換していく突破口になる可能性を持っているからです。

まあ、レリバンスという文字を見ただけで逆上的反応をされる方々もおられるようですから・・・。

ただ、こういうやや大上段の話よりも、昨今話題の「絶望の国の不幸な奨学金」現象が何故ここまで拡大してしまったのかという問題に、関係者はもう少し真摯に取り組む必要があるようには思います。

所詮卒業したら役に立たない会社から全部忘れろと言われるような中身しかやっていない、と、(実際にはどうかは別にして)世間一般の共同主観では思われてしまっているような、そんな大学教育のためのコストを、どうして社会全体が負担しなければならないのか、そんなもの親が負担するのが当たり前だろ、という根っこにある感覚です。

それがもはや親が負担できない状況が拡大する中で、返済しなければならない有利子奨学金と、膨大な時間を吸収する時にはブラックなアルバイトで絞り出したお金を集めるという結構なビジネスモデルが、いつまで持続可能なものなのかは、のんきな大学関係者の皆様と言えども、そろそろ真面目に考えた方がいいようには思います。

詳しくは下記『POSSE』寄稿(予定)論文をご参照のこと。

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絶望の国の不幸な奨学金@『POSSE』32号

昨夜NHKで奨学金問題のドキュメンタリが流れたそうですが、奨学金問題と言えば、来月刊行予定の『POSSE』32号がこんな特集をしています。

http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784906708314

★特別寄稿★ベルンハルト・シュミット「フランスにおける労働法改正への抗議運動」

【特集】「絶望の国の不幸な奨学金」
木村草太「憲法から考える奨学金と大学進学」
大内裕和×布施祐仁「経済的徴兵制と奨学金(仮)」
濱口桂一郎「日本型雇用と日本型大学の歪み」

【単発】
温野菜殺人未遂事件(仮)
シャンティについて(仮)
『マルクスとエコロジー』発刊記念対談(仮)
ブラック部活顧問問題(仮)

【連載】
今どきの大学生
労働事件ファイル
ブラック企業のリアル
労働問題ニュース解説
労働と思想 カール・シュミットーー労働と遊び 大竹弘二
ともに挑む、ユニオン
POSSE最新ブックレビュー

NHKの報道をめぐって某女子高生が貧乏か貧乏じゃないかで炎上騒ぎになっているそうですが、この問題も根っこではつながっている話でしょう。

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倉重公太朗編集代表『民法を中心とする 人事六法入門』

9784897616155500倉重公太朗編集代表『民法を中心とする 人事六法入門』(労働新聞社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

https://www.rodo.co.jp/book/9784897616155/

これはなんというか、労働法以外の法律の超簡便な入門書ですね。

 労働法の本質的理解を進めるには、その基礎となる労働法以外の基本六法(憲法・民法・刑法・会社法・民事訴訟法・刑事訴訟法)を理解することが極めて有益です。しかし、基本六法については、法学部出身でもない限り、学んでいる方は多くないでしょう。
 本書は、人事労務に携わる方や社会保険労務士の方向けに、上記の法律を「人事」向けに特化して解説しています。また、基本六法以外にも、人事労務に携わる方が体系的に勉強することが少ないであろう労働組合法や労働委員会規則、個別労働紛争の解決手続に関する解説もしています。

どれくらい入門書かというと、ここに試し読みできるページが載ってて、冒頭の目次に続いて憲法の総論があって、立憲主義とは何かとか個人の尊重とはそういうことかが、ごくごく簡単に解説されています。でも、よくわからずに勝手なこと言っている人にとってはいい勉強材料かも知れません。

http://mixpaper.jp/scr/viewer.php?id=57aab0a6355f7

まあでもそういう目的ではなく、これは労働法を扱う実務家、人事部員や社会保険労務士が、わきまえておくべき労働法以外の法律知識をコンパクトにまとめたものなので、分量的に一番多いのはやはり民法です。そのはじめの方で、権利濫用の代表的な例としてどっかの温泉とかどっかの松とかがでてきて、その昔法学部を出たきり真面目に勉強していない人にとっては懐かしいかも知れません。

本書はそういういわゆる六法だけでなく、個別労働紛争解決手続や労働組合法・労働委員会規則についても手際よく解説しています。たしかに、労働問題とりあえずのこれ一冊という感じです。

あと、目次には並んでいないのですが、コラムが結構面白いです。

9784863193659051403編集代表の倉重公太朗さんは、安西法律事務所の若手俊英で、『なぜ景気が回復しても給料は上がらないのか 労働法の「ひずみ」を読み解く』(労働調査会)や『企業労働法実務入門』(日本リーダーズ協会)などで有名です。

所属する経営法曹会議の『経営法曹』185号で、拙著『日本の雇用終了』を書評していただいたこともあり、その見識にはいつも敬意を表しているところです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-6182.html(倉重公太朗さんの『日本の雇用終了』書評)

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雇用環境・均等局を新設?

今朝の産経新聞の1面トップは、「厚生労働省が「働き方改革」へ組織改編 雇用環境・均等局や人材開発局を新設」です。

http://www.sankei.com/economy/news/160824/ecn1608240005-n1.html

 厚生労働省は23日、安倍晋三首相が第3次再改造内閣での「最大のチャレンジ」と位置付ける「働き方改革」に対応するため、関係部局の大幅な組織改編に着手する方針を決めた。働き方改革に特化した「雇用環境・均等局」の新設が柱。平成29年度の機構・定員要求に、保健医療政策の司令塔となる事務次官級の医系技官ポスト「医務総監」の創設とともに盛り込む方向だ。

他の新聞には出ていないようなので、真偽の程は定かではありませんが、今年度から都道府県労働局で行われた組織改編の本省版という感じもします。

 雇用環境・均等局は、働き方改革を強力に推進するため、(1)同一労働同一賃金の実現など非正規労働者の処遇改善(2)女性活躍や均等処遇の推進(3)長時間労働削減などワークライフバランスの実現(4)短時間・在宅労働の雇用環境改善-を主な業務とし、現在の労働基準局や職業安定局などから担当課を移行させる。

まあ、確かにパートは雇児局、有期は基準局、派遣は安定局というばらばらの状態ではなかなか統一もとりにくいので、非正規関係をここに集めるというのはよくわかる反面、長時間労働の削減の話を、監督行政を所管する基準局から離してしまっていいのか、という議論もありそうです。

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『働く女子の運命』が第3刷

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5読者の皆様のおかげで、『働く女子の運命』(文春新書)に第3刷がかかりました。本当にありがとうございます。

この間にマスコミ、ブログやツイッター等ネット上、各種書評サイトでいただいた書評は、こちらにまとめてあります。

http://hamachan.on.coocan.jp/bunshunbookreview.html

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国民とは何か?

いや、そんな大それた話じゃありません。

国民健康保険とか国民年金保険とか言うときの「国民」って、一体何だろうか、という話。

もともと、雇われて働く労働者というのが少数派で、徴付きで、保護してあげなくちゃいけなくて、だから健康保険とか労働者年金保険とか作ったわけです。

その後に、それほど積極的に保護してあげなくちゃいけない訳ではないけれども、やっぱり国民みんな等しく守られるべきという趣旨で国民健康保険とか国民年金保険とかができたわけです(超大幅に簡略化しているので細かい文句は無し)。

その時の「国民」のイメージは、自らの労働力を売るしかない労働者でなく、自分の財産を持ち自らの計算で(小なりといえども)事業を遂行している農業商工業の自営業者のみなさんだったわけでしょう。

逆に言うと、おいおい、ブルジョワとプチブルだけが国民かよ、俺たちプロレタリアは国民じゃねえのかよ、非国民かよ、と、古典的左翼な人は文句を言ったのかも知れません。

それからはや半世紀以上の月日が経ち、いまや「国民」の内訳は、無職が4割以上、雇用労働者でありながら正社員用の健康保険(それも、大企業高給正社員用の健康保険組合と中小企業そこそこ正社員用の協会健保に階層化されていますが)に入れてくれない非正規労働者などが4割弱、自営業は併せても2割もないという状況です。

いや、社会保障関係者なら誰でも知っている常識的な話ですが、あらためてこの「国民」という言葉遣いがいろんな意味で面白い。

いまや、「国民」とは、健康保険や厚生年金保険に入れる会社のメンバーとしての「社員」じゃない人々という意味になってしまっているようです。

いわば、「非社員」というネガティブな概念のユーフェミズムとして、社員じゃないけど日本国の国民ではあるよね、といういみでの「国民」。

そして、マクロ政治方面で割と大きな声で「国民」をめぐって議論している人々の言葉の中に、この文脈での「国民」という概念ってかけらもなさそうだな、というあたりもいろいろ。

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東條由紀彦編著『「労働力」の成立と現代市民社会』

222297一言で言うと、東條由紀彦史観を全面的に展開した前半と、労務動員や東宝争議といった事例研究を一冊にまとめた本という感じ。

http://www.minervashobo.co.jp/book/b222297.html

前半は、その極めて特殊な用語法がいちいち引っかかるうちはなかなか読み進められないけど、筋道はある意味極めてすっきりとしているので、その掌の上に乗っかればわかりやすいと言えばわかりやすい。

個人的には、12年前に出した『労働法政策』の第1章「労働の文明史」で展開した議論と結構重なるものが多い気がした。

一昨日のユニオンサマーセミナーでもちらりと触れた「正社員体制の原点」を探る試みのうちで、恐らく現在の日本でもっとも深く考え詰めた人だと思う。

本書は市民社会における労働と人格の様相について、近代から現代の移行期を中心に、事例とそこから導き出された理論を展開する。具体的に第Ⅰ部の理論編では、近代および西欧との比較において、現代の雇用契約制、市民社会、国民統合、民主主義をテーマに検討する。また第Ⅱ部の事例編では、戦時期における労務動員の性格、終戦直後に起きた東宝争議、戦後占領期における中小炭坑の組夫と従業員を取り上げる。
このような社会の片隅に埋もれた出来事に光をあて、そこに隠された真実から「全体」を見渡すことを試み、独自の理論を構築した労作である。

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公益通報者保護制度の見直し@WEB労政時報

WEB労政時報に「公益通報者保護制度の見直し」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=566

 消費者庁といえば、徳島に移転するとかしないという話ばかりが報道されていますが、実は労働関係者にとって大変気になる問題が今議論されています。昨年6月から、「公益通報者保護制度の実効性の向上に関する検討会」が開催され、今年3月には第1次報告書が取りまとめられています。そしてその後、検討会の下に法律分野の学識者と実務家からなるワーキング・グループが設けられ、議論が進められているのです。これは、企業と労働者の関係に対して大きな影響を与えるものになる可能性があります。

 公益通報とはいわゆる「内部告発」のことです。2000年代始め頃、雪印や日本ハムなどで食品偽装事件が相次ぎ、また三菱自動車のリコール隠しなど消費者の信頼を裏切る企業不祥事が続発したことから、これらの犯罪行為や法令違反行為を知った内部労働者による公益通報を保護するために、2004年に公益通報者保護法が成立したのです。

 同法で「公益通報」とは、・・・

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非正規雇用はジョブ型か?

昨日、ユニオンサマーセミナーでお話ししてきました。

Union

講演後、かなりたっぷり質疑応答の時間があって、その中に非正規雇用はジョブ型なの?という質問がありました。質問したご本人がツイートしているので、それを引用しておきますと、

https://twitter.com/Ningensanka21/status/766981232609497088

今日はhamachan先生に「ぶっちゃけ非正規ってジョブ型じゃなくね?」という趣旨の質問をしてみたら、「ルールとしてのジョブ型」と「事実としてのジョブ型」という答が返ってきたが、どういう意味なんだろう。

個人的には、非正規労働者は就「職」でもなければ、賃金もほぼ最賃+αという感じで職務給でもなく、メンバーシップではないがかといってジョブに基づいて処遇されているというわけでもないよなぁと感じていた。

hamachan先生曰く、ルールとしてジョブに基づいた処遇をしているわけではないが、結果としてジョブ型(に近い)のだそうだ。

パートやアルバイトという雇用形態で求人していても実際にやる仕事はレジ打ち等と決まっていて、最賃+αでへばりついていてもそういう賃金体系と決まっていれば、ジョブを基準に処遇しますよというわけではないが、事実としてジョブ型(に近い)というお話(メモし切れなかったので違うかもしれない)

あらかじめ「ジョブを基準に処遇しますよ」というルールになっていて、運用もその通りになっている社会を「ジョブ型」と呼んでいて、日本の非正規労働者は別にそういうルールがあるわけではないが、運用の実態としてそれに近似しているということかな(違うかもしれない)

そういう意味でいえば「非正規はジョブ型」という言い方はジョブ型正社員などを考えていくときに変な誤解をされかねないので、あまり良い言い方ではなく注意が必要、とのことだった。

まぁ、メンバーシップ型/ジョブ型の分類はあくまで頭の整理に使うためのものであって、「これはメンバーシップ型/ジョブ型か?」という問そのものはあまり建設的ではなさそう。

若干解説的コメントをしておきますと、私の用語法がやや曖昧だということでしょう。労使関係とは労使が作り上げるルールのシステムであるという意味からすると、欧米のジョブ型社会のジョブを基底においたルールの体系も、日本の「正社員」の地位を基底においたルールの体系もいずれもひとつの労使間系システムといえますが、日本の非正規というのは会社のメンバーじゃないという否定的な規定に基づいたものなので、それ自体として積極的な、言い換えれば労働者がそのルールを根拠として権利を主張することができるようなものではない、ということです。

そんなのを「ジョブ型」とか言うな、というのは立派な根拠のあることなのですが、しかし消極的な規定とは言え、実際には仕事が決まっていて、賃金も決まっているという点に着目すれば、類型的にはジョブ型に近いし、何よりも「正社員」に求められている本来の雇用契約を超えたレベルの「義務」「責任」を負わないという点で、欧米のジョブ型労働者に近いのはむしろこっちだよという意味を込められるので、わざとこういう言い方をしている面があります。

遠藤公嗣さんなんかは、おそらく戦略的な意味を込めて、非正規労働者の職務給こそがこれからの職務給の元になるというような言い方をするわけですが、そこにも同じような問題点はあります。

そういう意味では、実は直接指揮命令関係にある当事者ではないレベルで職務範囲とそれに対応する賃金水準が決められる建前になっている労働者派遣というシステムは、もちろん現実には現実との妥協でかなり変形されているとはいえ、欧米のジョブ型システムに相対的には近いものになっているという面もあるのかも知れません。産業レベルの労使交渉でではなく、派遣会社という個別企業によるものですが。

(追記)

うむ、確かにジョブ型じゃねえな。

http://irorio.jp/natsukirio/20160823/345015/(面接で聞いてないことをやらされる…新人バイトが無断で辞めてしまう理由)

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Amazonにジェンダーというカテゴリができて

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5気がついたら、Amazonにジェンダーというカテゴリができていたのですが、その1位に拙著がランクインしちゃっていたようです。

https://www.amazon.co.jp/gp/bestsellers/books/562948/ref=pd_zg_hrsr_b_1_4_lastジェンダー の 売れ筋ランキング)

このジェンダーというカテゴリ分けも実はよくわからなくて、2位は福岡伸一さんの『できそこないの男たち』(光文社新書)、3位はLGBT支援法律家ネットワーク出版プロジェクトの『セクシュアル・マイノリティQ&A』、4位が水無田気流さんの『「居場所」のない男、「時間」がない女』だそうです、ふむ。

でもね、拙著も10位に入っている「労働問題」のカテゴリで2位に入っている鈴木大介さんの『最貧困女子』(幻冬舎新書)なんてのは、ジェンダーに関わる本じゃないんでしょうかね。

https://www.amazon.co.jp/gp/bestsellers/books/517840/ref=pd_zg_hrsr_b_2_4_last労働問題 の 売れ筋ランキング)

まあ、どっちでもいいんですけど。

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ユニオンサマーセミナー再告知

明日土曜日、ユニオンサマーセミナーの2回目に出ますので再告知。

http://www.seinen-u.org/2016.08.06-20%20union.summer.seminar.pdf

Union

ユニオンサマーセミナー(8月20日)

会場:東京都豊島区南大塚2丁目33番10号 東京労働会館 ラパスホール

2016年8月20日(土)13時~16時30分

講演2:「日本型雇用システムの特徴‐働く男子と女子の運命」

講師:労働政策研究・研修機構 統括研究員 濱口 桂一郎氏

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人事異動は「怪現象」

@ニフティニュースで、中国メディアの煎蛋網の報道を紹介していますが、そのタイトルが「日本のオフィスで起きる5つの「怪現象」―」

https://news.nifty.com/article/world/china/12181-147870/

何が「怪現象」かというと、ヤクルトレディがやってくることから始まって、朝礼のスピーチ、合唱、運動に至る5つですが、ニッポンあるあるネタだろうと思うとさに非ず、2番目に出てくるのがなんと「人事異動」です。

メンバーシップ型にどっぷり浸かっていると当たり前になってしまいますが、欧米人だけではなく中国人にとっても、人事異動というのは「怪現象」なんですね。

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小林美希『ルポ看護の質』

27922691_1小林美希さんの新著『ルポ看護の質』(岩波新書)をお送りいただきました。ありがとうございます。

https://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN978-4-00-431614-5

深刻さを増す人手不足の問題,また入院期間短縮化と在宅化が急速に政策的に推進される中で,ひずみをもろにかぶっている看護の現場ひいては患者の置かれた実態に,定評ある著者が鋭く切り込む迫力のルポルタージュ.看護の最前線で,いま何が起こっているのか.本来の看護とは何か,多職種による真のチーム医療とは何かを問う.

小林さんの看護問題に関する本は、2010年に『看護崩壊』という本が出ていて、その時にも本ブログで紹介していますが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-19db.html(小林美希『看護崩壊』)

その延長線上のルポです。

第1章 看護の質の劣化(「よくあの時、患者さんが死ななかった」/思うような看護ができない ほか)

第2章 姥捨て山の時代がやってきた(私の仕事は「追い出し屋」/「たらい回し」の仕組み ほか)

第3章 真のチーム医療とは何か(チーム医療の促進で、救命率が大きく変わった/周産期医療における多職種連携 ほか)

第4章 あるべき看護の姿とは(「特定行為に係る看護師の研修制度」/「いつ事故が起きても不思議ではない」 ほか)

どの章も、現場から上がる悲鳴を丹念に追いかけたいいルポではあるのですが、逆に日本の医療のマクロ的な状況から否応なくそういう方向に向かわざるを得なくなっているという構造的な姿が描き切れていないようにも感じました。

本来「療養上の世話」と「診療の補助」をするはずなのに、医師まがいの医療行為をどんどん押しつけられてリスクが高くて大変だ、というのはまさにそうなのでしょうが、それはこの日本社会が、それだけ膨大な量のそしてレベルの高い医療行為を医療の世界に求めるようになってしまっているからであるわけです。そして、それだけ医療行為のかなりの部分を看護師に回して何とか回して、それでも医師は過労状態で、こっちはこっちでいろいろと問題を生じさせているわけです。

医師から医療行為をどんどん押しつけられる看護師はそれに忙しくてとても本来の「ケア」などやっておられず、それが看護助手や介護士に回されていく、という姿は、確かに70年前の法律制定時の「看護婦」とは乖離してしまっているのでしょうが、看護師だけそこに戻れるわけでもない、というのもまた現実なのでしょう。

社会全体が、医療の世界に求める医療行為の量と質をもっと格段に減らして、「いやもうそれ以上ごちゃごちゃと医療なんかしなくていいから「療養上の世話」だけやっていてください」といってくれるのであれば別ですが、現実は少なくともそうではない、からこそ、病院も医師会も、厚生労働省も、関係者みんなその国民の意思を前提に振り回されざるを得ないのではないか、と、本書を読んだ関係者は思うのではないかな、と感じました。

突き詰めると、昔は平均寿命がずっと低かったのです。保助看法が出来た頃の平均寿命は50歳前後でしょう。後期高齢者が医療漬けで生きているというような状況は余りなかったはず。本書の指摘を本気で考えていくと、高齢者医療というものをどう考えるのかという哲学的な領域にまで踏み込まざるを得ない気がします。

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あのIMFが日本に賃上げを要求

いやいや、IMFといっても今はインダストリオールになったかつての国際金属労連じゃないですよ。

悪名高きインターナショナル・マネタリー・ファンド。

構造改革の名の下に賃金をむりやり引きずり下ろさせることを至上命題としてきた(はずの)あの国際通貨基金です。

そのマネタリーな方のIMFが、こともあろうに、日本に賃上げを求めようとしているという、ブルームバーグの記事。和文と英文両方あります。

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2016-08-14/OBSADF6TTDS801(IMFが日本に求める急進的賃金戦略、70年代の米所得政策とは真逆)

http://www.bloomberg.com/news/articles/2016-08-14/imf-s-radical-wage-plan-for-japan-turns-nixon-policy-on-its-headIMF Wants Japan to Boost Wages Using Nixon Strategy in Reverse

・・・所得政策と呼ばれるこうした措置は、多くのエコノミストが嫌う賃金設定への政府の直接的介入の一種だ。しかし、IMFが今の日本に望むのは、1970年代に米国の指導者が行った給与や物価の上昇抑制を目指すものではなく、良心に訴え、税制優遇措置を講じ、最後の手段としてペナルティーもちらつかせて企業に大幅な賃上げを促し、物価上昇を後押しすることだ。

・・・It’s called an incomes policy -- and it involves the kind of direct government intervention in the setting of wages that many economists now abhor.

But rather than employing it to try to contain salary and price pressures -- as U.S. leaders did in the 1970s -- the IMF wants Japan to use moral suasion, tax breaks and, as a last resort, penalties to prod companies into granting bigger pay gains and thus promote higher inflation.

賃上げしない企業にはペナルティを科せ、と、IMFが言い出すというこのアリスのワンダーランド。

英文記事の後半部分は和文記事に載っていないので、最後近くのところをちょっと引用しておきます。

・・・The idea is “to shame highly profitable companies into giving more wage increases,” Everaert said.

If that doesn’t work, Japan could broaden and enlarge an existing tax incentive program related to pay, he said.

Blanchard, now a senior fellow at the Peterson Institute, said that a wage-focused strategy is preferable to the launch of helicopter money because it targets what’s ailing the country.

“Japan needs inflation, not an increase in aggregate demand,” he said.

・・・アイディアとしては、「とても儲かっている会社にもっと賃金を上げるように辱めることだ」とエフェラールトはいう。

もしそれでも効かなければ日本は賃金にかかわる既存の優遇税制をもっと拡大すべきだ、ともいう。

ブランシャールは、賃金に焦点を絞った戦略は、この国を苦しめているものをターゲットにしているので、ヘリコプターマネーなんかよりも望ましいという。

「日本に必要なのはインフレだ、総需要の拡大じゃない」と。

(追記)

下記 pyonpyonさんのコメントの指摘に従い、訳を訂正しました。

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ドイツ連銀、年金制度維持のため定年69歳引き上げを政府に提言

ニューズウィークにロイターの記事の日本語版が出ているので、そこから、

http://www.newsweekjapan.jp/stories/2016/08/69.php(ドイツ連銀、年金制度維持のため定年69歳引き上げを政府に提言)

ドイツ連銀は15日に公表した月報で、現在65歳前後の退職年齢について、2060年までに69歳に引き上げる検討を政府に求めた。

年金納付額を大きく引き上げたり、支給水準を低下させたりする事態を回避するために必要と説明した。

欧米各紙でも報じられていますが、今のところ日本の新聞には出ていないようです。

少子高齢化は日本だけでなくドイツのような大陸欧州諸国でも進行していますが、それに対応しなければならないという意思と意欲は、少子高齢化の勢いがより少ないあちらの国の方がより高いようですね。

なにしろ「長く生き、長く働く」というOECDの常識を目の敵にする評論家が堂々と居座っている国ですから。

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最低賃金の大幅引き上げ、必ずしも低所得層にメリットはな・・・・かった、20年前までは

この2016年という時期になって、こういう20年前なら概ね正しかったんだけどねえ、という議論を平然と持ち出す感覚がなかなか興味深いものがあります。

http://news.livedoor.com/article/detail/11891396/ (最低賃金の大幅引き上げ、必ずしも低所得層にメリットはない)

安倍政権の強い意向を受け、最低賃金が大幅に引き上げられることになりました。日本の最低賃金は諸外国と比べて低かったという現実を考えると、今回の決定にはそれなりの意味があると評価してよいでしょう。ただ、最低賃金の引き上げは必ずしも低所得層にメリットをもたらすわけではありません。場合によっては、むしろ中間層に利益をもたらす可能性もあります。

・・・最低賃金労働者の多くは、主婦のパート労働なのです。

・・・したがって最低賃金を引き上げた場合、実際に所得が増えるのは低所得層ではなく中間層の可能性が高いということになるでしょう。

何というか、間違っていないんだけど、それは高度成長期から1990年代初め頃まではまず間違いなく世の中の大部分で正しかったんだけれども、その後バブルが崩壊して、それまでなら正社員就職できていたような若者が非正規化していき、そしてその人々がやがて次第に中高年化していく中で、だんだんとその正しさが削り取られて少なくなっていった、そういう話を、今更のごとく、20年遅れの出し遅れの証文を、たった今俺様が見つけたんだぜとどや顔で自慢たらしく持ち出してきているような、そういう記事ですな。

そう、だからほんの10年前、第1次安倍内閣のときに最低賃金の急激な引き上げが始まるまでは、どうせ最低賃金なんて主婦パートと学生アルバイト用のものなんだから、ちびちびと上げてるような上げてないような上げ方だったのが、再チャレンジ政策といううたい文句で急激に上げるようになったわけです。それが10年前ね。

世の中が変わりだしたのが20年前、政策の認識が変わりだしたのが10年前。

そして第1次安倍内閣から始まった最賃の引き上げが政権交代を貫いて10年間進められ、第2次安倍内閣で更なる引き上げ目標が立てられているというのが今ここ。

もちろん、それでもなお現在でも、非正規労働者の総数の過半数は未だにパート主婦型の家計補助的労働者です。しかしもはや家計維持的労働者は無視しうるような少数派ではなくなってしまったのであってね。

というようなことを全然知らない人が、何かを読み囓って、ちょいと深く勉強してみようという気持ちがこれっぽっちもないまま、原稿料稼ぎに書いてみました、という感じの文章ですね。

(追記)

一応念のため。いうまでもなく、20年前より以前でも、家計維持的に働く非正規労働者はいました。とりわけ、子どもを抱えたシングルマザーは、まさにワーキングプアの典型だったわけですが、当時のメインストリームからすればそんなのは周辺的な例外だったわけです。

それがだんだん認識されるようになり、国政の重要課題に盛り上がっていくためには、就職氷河期世代の(当時の)若者たちの姿が可視化される必要があったわけです。

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年齢差別禁止政策の浮上@『エルダー』8月号

Elder『エルダー』8月号に「年齢差別禁止政策の浮上」を寄稿しました。

http://www.jeed.or.jp/elderly/data/elder/201608.html

http://www.jeed.or.jp/elderly/data/elder/q2k4vk000000a6fr-att/q2k4vk000000a6ib.pdf

 日本型雇用システムはその入口(新卒採用)から出口(定年退職)まで、またその間の処遇(年功賃金や年功序列)についても、年齢を基軸とするシステムとなっています。そのような雇用システムにおいて、「年齢差別を禁止する」ということはシステムの根幹を揺るがすような意味を持ちます。
 一方で、その雇用システムの主流からこぼれ落ちてしまった労働者、とりわけ中高年労働者は、なまじ年齢相応の高い賃金水準をもらっていたがゆえに、企業側が採用に対して著しく消極的になり、再就職がきわめて困難になるという苦境に立たされます。若者に対しては異常なまでの求人過剰でありながら、年齢が高まると急速に求職者過剰となるという、日本の労働市場の特徴は、高度成長期以来ほとんど変わっていません。
 1960年代から1970年代初頭の時期には、日本政府の雇用政策は外部労働市場志向型であり、それゆえかかる労働市場の状況を是正するために職種別中高年齢者雇用率制度が採られました。当時は雇用率未達成の事業主が中高年齢者でないことを条件としてその職種についての求人の申込みを行った場合には、公共職業安定所はこれを受理しないことができるという規定もあり、求人における年齢差別に対する制裁規定の先駆けということもできます。
 しかしその後、1970年代から1980年代、そして1990年代にかけての雇用政策は内部労働市場志向型にシフトし、これまで見てきた定年延長や継続雇用が主たる政策手法となり、外部労働市場で再就職に苦しむ中高年は雇用政策の主たる関心からは見失われていきました。

年齢差別問題が再び政策課題に

 中高年問題が雇用政策に再び登場するのは、バブル崩壊後の1990年代半ば以降、中高年ホワイトカラー、とりわけ管理職クラスがリストラの標的となってからです。そうしたなかで、長らく忘れられていた年齢差別問題が再び政策課題として意識されるようになってきました。外部労働市場に投げ出された中高年労働者が再就職を試みても、求人に30歳未満とか40歳未満といった年齢制限があって、応募することすらできないのは不合理ではないかという疑問が提起されるようになったのです。
 こうした動きを政策に結びつけたのは、当時の経済企画庁の「雇用における年齢差別禁止に関する研究会」です。この研究会が2000(平成12)年6月に出した中間報告では、「年功賃金や年功的な処遇を改め、定年年齢までの雇用保障といったものを緩和することが必要となろう」と述べ、「このような年齢による区別を差別と考え、これを禁止するという手段について考えていくこと」を提起しています。日本政府の公式文書のなかで初めて年齢差別禁止を唱えたものといえます。
 これを受けて、2001年4月に成立した改正雇用対策法には、事業主の責務として「事業主は、労働者がその有する能力を有効に発揮するために必要であると認められるときは、労働者の募集及び採用について、その年齢にかかわりなく均等な機会を与えるように努めなければならない」(第7条)という規定が盛り込まれました。
 もっともこのときには努力義務に過ぎないのに、10項目にわたる例外規定が指針に盛り込まれていました。定年制の雇用保障機能を評価する内部労働市場政策と年齢差別禁止を志向する外部労働市場政策の間で悩む姿を示しています。その後、2004年には高齢法改正により、事業主が労働者の募集・採用時に年齢制限する場合にはその理由を示すべきこととされました。

政治主導による年齢に基づく雇用システムの見直し

 このあたりから、それまでもっぱら中高年対策として議論されてきた年齢差別問題が、若者雇用問題としても取り上げられるようになっていきます。2006年3月に再チャレンジ推進会議が設置され、年齢に基づく雇用システムの見直しに向けた政策を打ち出すようになります。2007年の雇用対策法改正においては、審議会では全くそういう議論はなかったのに、与党の政治過程に送られたところから急激に政治主導で求人の年齢制限禁止規定が盛り込まれるに至ります。その問題意識はもっぱら、格差問題対策としての、年長フリーターの正社員化促進というところにありました。
 ここには、年齢に基づく日本型雇用システムのなかでさまざまな利害関係に縛られて思い切った政策を打ちにくい労使当事者に比べて、政治家の政治主導による政治過程がより理念的な政策を推進しうる面があることが示されているともいえます。また、どうしてもいままでの経緯にとらわれて年齢差別禁止問題を中高年対策ととらえがちな労働関係者に比べて、新たな時代状況としての年長フリーター問題への対策として取り上げることにためらいのない政治家主導の特性が現れているともいえましょう。
 こうして「事業主は、労働者がその有する能力を有効に発揮するために必要であると認められるときとして厚生労働省令で定めるときは、労働者の募集及び採用について、その年齢に関わりなく均等な機会を与えなければならない」(第10条)という規定が成立するとともに、従来かなり広範に認められてきた年齢制限が認められる例外を、経験不問の新規学卒正社員採用などに大幅に縮小しました。
 しかしながら、年齢を基軸とするという日本型雇用システムの根幹はあまり変わっていないのですから、高給をもらっていた中高年労働者が失業してしまうと、なかなか再就職がむずかしいという労働市場の状況にも変わりはないようです。企業は依然として、貢献よりも報酬が高すぎるとして中高年労働者を狙い撃ちにしたリストラを続けていますし、それに人材ビジネスが関与したことがマスコミで批判され、労働移動支援助成金の支給要件が改正されるといった事態が今年も起こっています。
 このような状況のなかで、今年5月に東京地裁で出された長澤運輸事件判決は、直接的には労働契約法20条をめぐる訴訟ですが、定年前の正社員の処遇と定年後再雇用された嘱託の処遇の格差を不合理と認めたという意味において、年齢差別禁止政策の観点からも極めて重要な含意を持つものといえます。本件では定年前後でタンクローリー運転手という職種に変わりがなかったという事情はありますが、定年後再雇用で処遇が下がるのが当然と考えていた関係者にとっては大変衝撃的な判決であったことは間違いないでしょう。

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サービス残業すれば生産性が上がるだって!?

今だにこういう妄言がはびこっているのを見ると、生産性とは付加価値額÷投入労働量、つまり時間当たりでどれだけ稼いだかであるという基本のキをわきまえない人がいかにうじゃうじゃいるかがよくわかります。

https://twitter.com/kazu_fujisawa/status/764343908318846976

僕は外資系サラリーマンしかしたことがないけど、サラリーマンを辞めてみてつくづく思うのは、日本の長時間労働の文化は素晴らしいし、有給休暇を取らなかったり、サービス残業がデフォルトの文化も本当に素晴らしいということだ。こうした文化は大切に守って欲しいと思う。これこそが日本の強みだ。

https://twitter.com/kazu_fujisawa/status/764344501968130048

日本の労働者は生産性が低いという批判は、サービス残業をもっと積極的にこなせば、解決する。17時にタイムカード押して、サービス残業して、統計に出ない労働時間をどんどん増やせば、生産性は必ず上がるよ!

あまりにもひどいので、まずは過去のエントリを。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-8791.html (なにい?労働生産性が低いい?なんということだ、もっとビシバシ低賃金で死ぬ寸前まで働かせて、生産性を無理にでも引き上げろ!!!)

依然としてサービスの生産性が一部で話題になっているようなので、本ブログでかつて語ったことを・・・、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-107c.html(スマイル0円が諸悪の根源)

日本生産性本部が、毎年恒例の「労働生産性の国際比較2010年版」を公表しています。

http://activity.jpc-net.jp/detail/01.data/activity001013.html

>日本の労働生産性は65,896ドル(755万円/2009年)。1998年以来11年ぶりに前年水準を割り込み、順位もOECD加盟33カ国中第22位と前年から1つ低下。

>製造業の労働生産性は米国水準の70.6%、OECD加盟主要22カ国中第6位と上位を維持。

>サービス産業の労働生産性は、卸小売(米国水準比42.4%)や飲食宿泊(同37.8%)で大きく立ち遅れ。

前から、本ブログで繰り返していることですが、製造業(などの生産工程のある業種)における生産性と、労働者の労務それ自体が直接顧客へのサービスとなるサービス業とでは、生産性を考える筋道が違わなければいけないのに、ついつい製造業的センスでサービス業の生産性を考えるから、

>>お!日本はサービス業の生産性が低いぞ!もっともっと頑張って生産性向上運動をしなくちゃいけない!

という完全に間違った方向に議論が進んでしまうのですね。

製造業のような物的生産性概念がそもそもあり得ない以上、サービス業も含めた生産性概念は価値生産性、つまりいくらでそのサービスが売れたかによって決まるので、日本のサービス業の生産性が低いというのは、つまりサービスそれ自体である労務の値段が低いということであって、製造業的に頑張れば頑張るほど、生産性は下がる一方です。

http://activity.jpc-net.jp/detail/01.data/activity001013/attached.pdf

この詳細版で、どういう国のサービス生産性が高いか、4頁の図3を見て下さい。

1位はルクセンブルク、2位はオランダ、3位はベルギー、4位はデンマーク、5位はフィンランド、6位はドイツ・・・。

わたくしは3位の国に住んで、1位の国と2位の国によく行ってましたから、あえて断言しますが、サービスの「質」は日本と比べて天と地です。いうまでもなく、日本が「天」です。消費者にとっては。

それを裏返すと、消費者天国の日本だから、「スマイル0円」の日本だから、サービスの生産性が異常なまでに低いのです。膨大なサービス労務の投入量に対して、異常なまでに低い価格付けしか社会的にされていないことが、この生産性の低さをもたらしているのです。

ちなみに、世界中どこのマクドナルドのCMでも、日本以外で「スマイル0円」なんてのを見たことはありません。

生産性を上げるには、もっと少ないサービス労務投入量に対して、もっと高額の料金を頂くようにするしかありません。ところが、そういう議論はとても少ないのですね。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-2546.html(サービスの生産性ってなあに?)

(追記)

ついった上で、こういうコメントが、

http://twitter.com/nikoXco240628/status/17619055213027328

>サービスに「タダ」という意味を勝手に内包した日本人の価値観こそが諸悪の根源。

たしかに、「サービス残業」てのも不思議な言葉ですね。英語で「サービス」とは「労務」そのものですから素直に直訳すれば「労務残業」。はぁ?

どういう経緯で「サービスしまっせ」が「タダにしまっせ」という意味になっていったのか、日本語の歴史として興味深いところですね。

※欄

3法則氏の面目躍如:

http://twitter.com/ikedanob/status/17944582452944896

Zrzsj3tz_400x400> 日本の会社の問題は、正社員の人件費が高いことにつきる。サービス業の低生産性もこれが原因。

なるほど、ルクセンブルクやオランダやベルギーみたいに、人件費をとことん低くするとサービス業の生産性がダントツになるわけですな。

さすが事実への軽侮にも年季が入っていることで。

なんにせよ、このケーザイ学者というふれこみの御仁が、「おりゃぁ、てめえら、ろくに仕事もせずに高い給料とりやがって。だから生産性が低いんだよぉ」という、生産性概念の基本が分かっていないそこらのオッサン並みの認識で偉そうにつぶやいているというのは、大変に示唆的な現象ではありますな。

(追記)

http://twitter.com/WARE_bluefield/status/18056376509014017

>こりゃ面白い。池田先生への痛烈な皮肉だなぁ。/ スマイル0円が諸悪の根源・・・

いやぁ、別にそんなつもりはなくって、単純にいつも巡回している日本生産性本部の発表ものを見て、いつも考えていることを改めて書いただけなんですが、3法則氏が見事に突入してきただけで。それが結果的に皮肉になってしまうのですから、面白いものですが。

というか、この日本生産性本部発表資料の、サービス生産性の高い国の名前をちらっと見ただけで、上のようなアホな戯言は言えなくなるはずですが、絶対に原資料に確認しないというのが、この手の手合いの方々の行動原則なのでしょう。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-2546.html(サービスの生産性ってなあに?)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_b2df.html(労働市場改革専門調査会第2回議事録)

(参考)上記エントリのコメント欄に書いたことを再掲しておきます。

>とまさんという方から上のコメントで紹介のあったリンク先の生産性をめぐる「論争」(みたいなもの)を読むと、皆さん生産性という概念をどのように理解しているのかなあ?という疑問が湧きます。労働実務家の立場からすると、生産性って言葉にはいろんな意味があって、一番ポピュラーで多分このリンク先の論争でも意識されているであろう労働生産性にしたって、物的生産性を議論しているのか、価値生産性を議論しているのかで、全然違ってくるわけです。ていうか、多分皆さん、ケーザイ学の教科書的に、貨幣ヴェール説で、どっちでも同じだと思っているのかも知れないけれど。

もともと製造業をモデルに物的生産性で考えていたわけだけど、ロットで計ってたんでは自動車と電機の比較もできないし、技術進歩でたくさん作れるようになったというだけじゃなくて性能が上がったというのも計りたいから、結局値段で計ることになったわけですね。価値生産性という奴です。

価値生産性というのは値段で計るわけだから、値段が上がれば生産性が上がったことになるわけです。売れなきゃいつまでも高い値段を付けていられないから、まあ生産性を計るのにおおむね間違いではない、と製造業であればいえるでしょう。だけど、サービス業というのは労働供給即商品で加工過程はないわけだから、床屋さんでもメイドさんでもいいけど、労働市場で調達可能な給料を賄うためにサービス価格が上がれば生産性が上がったことになるわけですよ。日本国内で生身でサービスを提供する労働者の限界生産性は、途上国で同じサービスを提供する人のそれより高いということになるわけです。

どうもここんところが誤解されているような気がします。日本と途上国で同じ水準のサービスをしているんであれば、同じ生産性だという物的生産性概念で議論しているから混乱しているんではないのでしょうか。

>ていうか、そもそもサービス業の物的生産性って何で計るの?という大問題があるわけですよ。

価値生産性で考えればそこはスルーできるけど、逆に高い金出して買う客がいる限り生産性は高いと言わざるを得ない。

生身のカラダが必要なサービス業である限り、そもそも場所的なサービス提供者調達可能性抜きに生産性を議論できないはずです。

ここが、例えばインドのソフトウェア技術者にネットで仕事をやらせるというようなアタマの中味だけ持ってくれば済むサービス業と違うところでしょう。それはむしろ製造業に近いと思います。

そういうサービス業については生産性向上という議論は意味があると思うけれども、生身のカラダのサービス業にどれくらい意味があるかってことです(もっとも、技術進歩で、生身のカラダを持って行かなくてもそういうサービスが可能になることがないとは言えませんけど)。

>いやいや、製造業だろうが何だろうが、労働は生身の人間がやってるわけです。しかし、労働の結果はモノとして労働力とは切り離して売買されるから、単一のマーケットでついた値段で価値生産性を計れば、それが物的生産性の大体の指標になりうるわけでしょう。インドのソフトウェアサービスもそうですね。

しかし、生身のカラダ抜きにやれないサービスの場合、生身のサービス提供者がいるところでついた値段しか拠り所がないでしょうということを言いたいわけで。カラダをおいといてサービスの結果だけ持っていけないでしょう。

いくらフィクションといったって、フィリピン人の看護婦がフィリピンにいるままで日本の患者の面倒を見られない以上、場所の入れ替えに意味があるとは思えません。ただ、サービス業がより知的精神的なものになればなるほど、こういう場所的制約は薄れては行くでしょうね。医者の診断なんてのは、そうなっていく可能性はあるかも知れません。そのことは否定していませんよ。

>フィリピン人のウェイトレスさんを日本に連れてきてサービスして貰うためには、(合法的な外国人労働としてという前提での話ですが)日本の家に住み、日本の食事を食べ、日本の生活費をかけて労働力を再生産しなければならないのですから、フィリピンでかかる費用ではすまないですよ。パスポートを取り上げてタコ部屋に押し込めて働かせることを前提にしてはいけません。

もちろん、際限なくフィリピンの若い女性が悉く日本にやってくるまで行けば、長期的にはウェイトレスのサービス価格がフィリピンと同じまで行くかも知れないけれど、それはウェイトレスの価値生産性が下がったというしかないわけです。以前と同じことをしていてもね。しかしそれはあまりに非現実的な想定でしょう。

要するに、生産性という概念は比較活用できる概念としては価値生産性、つまり最終的についた値段で判断するしかないでしょう、ということであって。

>いやいや、労働生産性としての物的生産性の話なのですから、労働者(正確には組織体としての労働者集団ですが)の生産性ですよ。企業の資本生産性の話ではなかったはず。

製造業やそれに類する産業の場合、労務サービスと生産された商品は切り離されて取引されますから、国際的にその品質に応じて値段が付いて、それに基づいて価値生産性を測れば、それが物的生産性の指標になるわけでしょう。

ところが、労務サービス即商品である場合、当該労務サービスを提供する人とそれを消費する人が同じ空間にいなければならないので、当該労務サービスを消費できる人が物的生産性の高い人やその関係者であってサービスに高い値段を付けられるならば、当該労務サービスの価値生産性は高くなり、当該労務サービスを消費できる人が物的生産性の低い人やその関係者であってサービスに高い価格をつけられないならば、当該労務サービスの価値生産性は低くなると言うことです。

そして、労務サービスの場合、この価値生産性以外に、ナマの(貨幣価値を抜きにした)物的生産性をあれこれ論ずる意味はないのです。おなじ行為をしているじゃないかというのは、その行為を消費する人が同じである可能性がない限り意味がない。

そういう話を不用意な設定で議論しようとするから、某開発経済実務家の方も、某テレビ局出身情報経済専門家の方も、へんちくりんな方向に迷走していくんだと思うのですよ。

>まあ、製造業の高い物的生産性が国内で提供されるサービスにも均霑して高い価値生産性を示すという点は正しいわけですから。

問題は、それを、誰がどうやって計ればいいのか分からない、単位も不明なサービスの物的生産性という「本質」をまず設定して、それは本当は低いんだけれども、製造業の高い物的生産性と「平均」されて、本当の水準よりも高く「現象」するんだというような説明をしなければならない理由が明らかでないということですから。

それに、サービスの価値生産性が高いのは、製造業の物的生産性が高い国だけじゃなくって、石油がドバドバ噴き出て、寝そべっていてもカネが流れ込んでくる国もそうなわけで、その場合、原油が噴き出すという「高い生産性」と平均されるという説明になるのでしょうかね。

いずれにしても、サービスの生産性を高めるのはそれがどの国で提供されるかということであって、誰が提供するかではありません。フィリピン人メイドがフィリピンで提供するサービスは生産性が低く、ヨーロッパやアラブ産油国で提供するサービスは生産性が高いわけです。そこも、何となく誤解されている点のような気がします。

>大体、もともと「生産性」という言葉は、工場の中で生産性向上運動というような極めてミクロなレベルで使われていた言葉です。そういうミクロなレベルでは大変有意味な言葉ではあった。

だけど、それをマクロな国民経済に不用意に持ち込むと、今回の山形さんや池田さんのようなお馬鹿な騒ぎを引き起こす原因になる。マクロ経済において意味を持つ「生産性」とは値段で計った価値生産性以外にはあり得ない。

とすれば、その価値生産性とは財やサービスを売って得られた所得水準そのものなので、ほとんどトートロジーの世界になるわけです。というか、トートロジーとしてのみ意味がある。そこに個々のサービスの(値段とは切り離された本質的な)物的生産性が高いだの低いだのという無意味な議論を持ち込むと、見ての通りの空騒ぎしか残らない。

>いや、実質所得に意味があるのは、モノで考えているからでしょう。モノであれば、時間空間を超えて流通しますから、特定の時空間における値段のむこうに実質価値を想定しうるし、それとの比較で単なる値段の上昇という概念も意味がある。

逆に言えば、サービスの値段が上がったときに、それが「サービスの物的生産性が向上したからそれにともなって値段が上がった」と考えるのか、「サービス自体はなんら変わっていないのに、ただ値段が上昇した」と考えるのか、最終的な決め手はないのではないでしょうか。

このあたり、例の生産性上昇率格差インフレの議論の根っこにある議論ですよね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-0c56.html(誰の賃金が下がったのか?または国際競争ガーの誤解)

経済産業研究所が公表した「サービス産業における賃金低下の要因~誰の賃金が下がったのか~」というディスカッションペーパーは、最後に述べるように一点だけ注文がありますが、今日の賃金低迷現象の原因がどこにあるかについて、世間で蔓延する「国際競争ガー」という誤解を見事に解消し、問題の本質(の一歩手前)まで接近しています。・・・・・

国際競争に一番晒されている製造業ではなく、一番ドメスティックなサービス産業、とりわけ小売業や飲食店で一番賃金が下落しているということは、この間日本で起こったことを大変雄弁に物語っていますね。

「誰の賃金が下がったのか?」という疑問に対して一言で回答すると、国際的な価格競争に巻き込まれている製造業よりむしろ、サービス産業の賃金が下がった。また、サービス産業の中でも賃金が大きく下がっているのは、小売業、飲食サービス業、運輸業という国際競争に直接的にはさらされていない産業であり、サービス産業の中でも、金融保険業、卸売業、情報通信業といたサービスの提供範囲が地理的制約を受けにくいサービス産業では賃金の下落幅が小さい。

そう、そういうことなんですが、それをこのディスカッションペーパーみたいに、こういう表現をしてしまうと、一番肝心な真実から一歩足を引っ込めてしまうことになってしまいます。

本分析により、2000 年代に急速に進展した日本経済の特に製造業におけるグローバル化が賃金下落の要因ではなく、労働生産性が低迷するサービス産業において非正規労働者の増加及び全体の労働時間の抑制という形で平均賃金が下落したことが判明した。

念のため、この表現は、それ自体としては間違っていません。

確かにドメスティックなサービス産業で「労働生産性が低迷した」のが原因です。

ただ、付加価値生産性とは何であるかということをちゃんと分かっている人にはいうまでもないことですが、世の多くの人々は、こういう字面を見ると、パブロフの犬の如く条件反射的に、

なにい?労働生産性が低いい?なんということだ、もっとビシバシ低賃金で死ぬ寸前まで働かせて、生産性を無理にでも引き上げろ!!!

いや、付加価値生産性の定義上、そういう風にすればする程、生産性は下がるわけですよ。

そして、国際競争と関係の一番薄い分野でもっとも付加価値生産性が下落したのは、まさにそういう条件反射的「根本的に間違った生産性向上イデオロギー」が世を風靡したからじゃないのですかね。

以上は、経済産業研究所のDPそれ自体にケチをつけているわけではありません。でも、現在の日本人の平均的知的水準を考えると、上記引用の文章を、それだけ読んだ読者が、脳内でどういう奇怪な化学反応を起こすかというところまで思いが至っていないという点において、若干の留保をつけざるを得ません。

結局、どれだけ語ってみても、

なにい?労働生産性が低いい?なんということだ、もっとビシバシ低賃金で死ぬ寸前まで働かせて、生産性を無理にでも引き上げろ!!!

とわめき散らす方々の精神構造はこれっぽっちも動かなかったということでしょうか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-fcfc.html(労働生産性から考えるサービス業が低賃金なワケ@『東洋経済』)

20120627000143401今年の東洋経済でも取り上げたのですけどね。

「日本の消費者は安いサービスを求め、労働力を買いたたいている。海外にシフトできず日本に残るサービス業をわざわざ低賃金化しているわけだ。またその背景には、高度成長期からサービス業はパート労働者を使うのが上手だったという面もある」(労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎統括研究員)

こう考えると、サービス業の賃金上昇には、高付加価値化といった産業視点の戦略だけでなく、非正社員の待遇改善など労働政策も必須であることがわかる。「サービス価格は労働の値段である」という基本に立ち戻る必要がある。

残業すればするほど生産性が下がるということをこれでしっかり理解した上で、その残業やり過ぎで生産性が低すぎる実態をサービス残業で隠蔽したら、それほどむちゃくちゃ生産性が低い実情が隠せるという話、ということなのでしょうかね。

こんな御仁のご託宣を有り難がって拝んでいる人がたくさんいるというのですから、まあ呆れてものが言えません。

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ラスカルさんの拙著書評

26184472_1 ラスカルさんの「備忘録」で、拙著『日本の雇用と中高年』(ちくま新書)を書評いただいております。ありがとうございます。

http://d.hatena.ne.jp/kuma_asset/20160813/1471052174

実は一瞬、あれ?既に書評されてなかったっけ?と思ってしまいました。今まで、かなり突っ込んだ書評を書いていただいていたので、本書も既にされていると勝手に思い込んでいたのですが、初めてでした。

・・・著者はこれまで『新しい労働社会』、『日本の雇用と労働法』、『若者と労働』という3つの新書で、それぞれ違った切り口から、避け難く進行する少子・高齢社会の中での欧米の議論とも平仄の取れた労働政策の在り方や、多様化する雇用契約と働き方が広がる中での「ジョブ型」労働社会を提唱している。本書もまたその意味では同様であるが、特に「メンバーシップ型」雇用システムの中での中高年の問題に焦点を当てている。

で、労働経済の専門家であるラスカルさんの視点は、当然のことながらここに向けられます。

・・・知的熟練論では、不況期に中高年を標的として行われるリストラは技能を浪費しており大きな損失だと指摘されるが、これに対し著者は、日本企業が知的熟練論に従って人事管理をしているのであればこのような事態は生じないはずで、「小池(和男)氏よりも日本企業の方が冷静に労働者の価値を判断しているからこそ、中高年リストラが絶えず、高齢者雇用が問題になり続けるのではないでしょうか」と手厳しい。加えて、内部労働市場論が一般化したことの功罪として、雇用政策の中から中高年の視点が消え、高齢者対策は定年延長と継続雇用に焦点が絞られ、年齢差別禁止法制の試みはほとんど議論されず消え失せたことを上げる。こうした指摘から、著者自身の、これまでの(雇用維持を主眼とする)労働政策が前提としてきた雇用システム論からの決別を読み取るとすれば、少々大袈裟であろうか。

この点について、ラスカルさんはやや違う観点からコメントされます。

・・・ところで、知的熟練論が指摘する日本的雇用慣行の合理性が正しいものであるかどうかは、日本的雇用慣行の維持可能性の如何に直接的につながるものではない。中高年の仕事のパフォーマンスが仮に賃金に見合うものでなかったとしても、長期的な契約の仕組みとして合理的なものだとする説明は、生命保険の仕組みとの類推から可能である。・・・

またマクロ政治的コストという観点からのコメントも、

一方で、少子・高齢化や高学歴化、経済の低成長が続く現在においては、日本的雇用慣行の維持可能性に疑義が生じており、非正規雇用問題などもその延長線上にある。そうした文脈の中において、本書が最後に提唱するような「ジョブ型労働社会」という社会制度も説得力を持つものとなる。しかしそれは同時に、これまでは顕在化することのなかった「労働力の再生産」のための費用(家計の生計費や育児・教育費等)を誰が負担するのかという問題も招来することになる。これを欧米型社会システムがそうであるように国家が担うとしても、その結論を導くまでには多くの政治的資源を費やすことになる。このことは昨今の消費税をめぐる喧騒をみていても明らかであろう。むしろ、より安定的なマクロ経済のもと、現在の日本的雇用慣行を維持することの方がよりコストが少ないのではないか、との見方ももう一方の考え方としてあり得るものである。

たかが消費税増税ごときであれだけ大騒ぎになって何もできないような日本なんだから、じっとしていた方がまだましではないかという、なかなかにシニカルな意見です。

(追記)

下記コメントに基づき、引用文を正文に修正しました。

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政治部記者のイデアルティプス

今話題のこれですが、

http://www.huffingtonpost.jp/2016/08/10/shuntaro-torigoe_n_11422752.html(「ペンの力って今、ダメじゃん。だから選挙で訴えた」鳥越俊太郎氏、惨敗の都知事選を振り返る【独占インタビュー】)

思想の向きがどっちとかこっちとかいうどうでもいいことは全部抜きにして、なるほど、政治部記者というのはこういう人たちなんだな、ということがよおく分かりました。

Otorigoe9570・・・僕はテレビ番組のアンカーをやっていた時も、何日か取材して、全部自分の頭の中に入れて、それを自分の言葉で番組の中でしゃべるわけだから。新聞記者の時だってそうなんです。だから、僕はジャーナリストという言葉はあまり好きじゃないから使いませんけど、報道の現場の仕事をしていれば、何カ月もかけて物事に精通するとかではなく、本当に急ごしらえでガーッと詰め込まなければいけない仕事をしてきているわけ。50年間。だから、それについてはそんなには心配なかったよ。もちろん、すぐには分からないけれど。

そうか、50年間ずっと「何カ月もかけて物事に精通するとかではなく、本当に急ごしらえでガーッと詰め込まなければいけない」という類の仕事の仕方をしてきたわけですね。

もちろん、新聞記者の中には、そういう類いじゃない、労働でも社会保障でも、きちんと勉強し、熱心に事実を追いかけて、立派な記事を書くような記者もいますよ。でも、新聞社の中のカースト制ではそういうのはB級記者であって、その時の政治的気流に敏感に反応して「本当に急ごしらえでガーッと詰め込」む類の人がA級スター記者になるわけですね。

そういう類いの人に「ペンの力って今、ダメじゃん。全然ダメじゃん」とか平然と言われると、なかなか脱力感が半端ないものがありますね。そのふにゃペンは、あんたのふにゃペンだろが、って。

(参考)

ちなみに、「ある日突然、「鳥越さん、都知事選出ないの?」って聞いてきた」という古賀茂明氏に関しては、このエントリをどうぞ

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-916a.html(古賀茂明氏の偉大なる「実績」)

・・・それにしても、こういう本来政策的な正々堂々たる議論(もちろんその中には政治家やマスコミに対する説得活動も当然ありますが)によって決着を付け、方向性を決めていくべきまさに国家戦略を、役所同士のポストの取引でやってのけたと、自慢たらたら書く方が、どの面下げて「日本中枢の崩壊」とか語るのだろうか、いや、今の日本の中枢が崩壊しているかどうかの判断はとりあえず別にして、少なくとも古賀氏の倫理感覚も同じくらいメルトダウンしているのではなかろうか、と感じずにはいられませんでした。

(追記)

続きの方も、大変話題のようですが、

http://www.huffingtonpost.jp/2016/08/10/shuntaro-torigoe-2_n_11424086.html (「戦後社会は落ちるところまで落ちた」鳥越俊太郎氏、惨敗の都知事選を振り返る【独占インタビュー】)

文字通り、「落ちるところまで落ちた」内容になっていますが、リベサヨさんとネトウヨさんが大好きな空中戦の部分は全部スルーして、本気で都知事になって何とかしようと思っていた人にとってはこれを聞かされたら逆上するだろうなという一節を。

Otorigoe3570 保育園、介護、新国立競技場の建設現場、伊豆大島、多摩ニュータウンにも行った。やっぱり僕らは見れば分かる、聞けば分かる。現場に行けば分かるというのがあるじゃないですか。ところが現場行かないでレクチャーを聞くだけだと、どうしてもピンと来ない。ようやく保育の現場に行って、保育士からいろんな話を聞いて、「あなたの手取りいくら?」「そうなの、そんなに安いの」という話を交わしてようやく、待機児童の問題について語れる自分がいた。

いやいや、選挙戦の残り10日になってようやく「待機児童の問題について語れる自分がいた」ですか。さすが、そういう下界の細々としたことには関心を払わずに、政策がどうしたこうしたなんていうつまらないことには関心を持たずに、高邁な「政治」だけに関心を向けてきた「じゃーなりすと」の面目躍如たるものがあります。

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新入社員が定時になると即帰る、アイツはだめだ

いろんな所に呼ばれて日本型雇用となんたらかんたらとかいうテーマでお話しするときに、だいたいはじめの方は定番のパターンがあって、そこでは、

http://hamachan.on.coocan.jp/roujun1107.htmlどのような社会をめざすのか?ヨーロッパと日本(上)

・・・さらに、日本の正社員には労働時間の制限がありません。もちろん、日本には最低労働基準を決めた労働基準法があり、この32条に「使用者は労働者に1日8時間、1週間に40時間を超えて労働させてはならない」と書いてあります。法律があるのだから、日本には労働時間の上限があるだろうと思うのが自然です。労働法の教科書にもそう書いてあります。

 しかし、日本で働いている正社員たちは、そういうものはないと思っています。1日8時間働いたから「俺は帰ります」と言ったら、「こいつは何を考えているんだ。馬鹿じゃないか」と言われます。皆さんが、これから新入社員となって、自分の与えられた仕事が終わったから、あるいは決まった時間がきたから「帰ります」と言ったら、最初は先輩がやさしく「お前、大丈夫か」とくる。それでも何回も繰り返していると「こいつは変な奴だな」とレッテルを貼られる。その先も続けていると、どうなるかわかりません。

てな話をするのですが、まさにそれそれという記事がダイヤモンドオンラインにありました。タイトルがまさにどんぴしゃ、「なぜイマドキ新入社員は定時で即帰ってしまうのか」

 今年の新入社員もそろそろ職場に慣れてきた頃でしょうか。しかし、現場のマネジャーや先輩写真からは、こんな声が聞こえてきます。

「新入社員が定時になると即帰る、アイツはだめだ」

 新入社員の立場からすれば、「仕事が終わっているからいいでしょう」と言いたくなるかもしれません。しかし、上司世代には彼らがいつも定時に帰るという行動が理解できないのです。・・・

そしてその次の説明もまさに、日本国労働法制が想定するジョブ型雇用関係とは遠く離れた「所属意識」(カタカナで言えばメンバーシップ意識)が出てきます。

・・・新入社員が定時で帰ってしまう理由の1つに「所属意識の違い」が挙げられます。

 決められた時間の中で、業務をこなす。こういったアルバイト感覚、学生感覚が抜けきっていないうちは、組織に所属しているという意識が根付くまでに時間がかかります。新入社員が「定時だから帰る」という行動は、まさにその意識の延長線上にあります。

いやいや、アルバイト感覚、学生感覚、って、それこそが日本以外の万国共通の労働者感覚というものなんですが、まあでもドイツ語のアルバイター感覚という意味ではその通りかも知れない。

その後、なかなかまともな分析も出てくるのですが、

・・・逆に多くの時間を残業に費やしている中堅以上の社員は、所属意識だけでなく「居場所」を会社に求めている場合があります。ただ単に家に帰りたくない場合や、家庭の中で居場所がない場合。少し早く仕事が終わっても、まっすぐに帰らずに周りを食事や飲み会に誘う上司。これらは定時に帰るトンデモ新入社員とは、正反対だと言えます。

 つまり会社がホームとなっており、家や家庭がアウェイという状況なのです。実際に10年程前に私自身が会社勤めをしていた際、タイムカードは退社時間でしっかりと打刻していたものの、毎日のように深夜まで雑談をしていたり、部署の誰かを飲みに誘う上司もいました。

上司いるいる、ですが。

ところがその後の処方箋は、いかにして「トンデモ新入社員」に「会社「も」居場所と思えるような仕事を与えていくことが必要」というのが結論なんですな。

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保守とリベラルというアメリカ方言でものを考えるのはもうやめよう

今一番いきのいい政治思想研究者の宇野重規さんと、神出鬼没の山本一郎さんが対談しているんですが、

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/08/1-19.php(「保守」「リベラル」で思考停止するのはもうやめよう~宇野重規×山本一郎対談)

いやだから、何よりかにより、近代社会の基本構造では、保守の反対語は革新、進歩主義であり、リベラルの反対語はソーシャルなのだから、こういう本来対にならないのを対にして「もうやめよう」とかいうのもそろそろもうやめたいところなんですけど。

つうかさ、だいたいリベラル・デモクラティック・パーティ(自由民主党)から分裂してできたいろんな政党の一つのなれの果てが「自由党」(リベラル・パーティ)と名乗り(いわゆる自自公政権)、それがさらに分裂して「保守党」(コンサバティブ・パーティ)になった(いわゆる自公保政権)んだから、20世紀末の日本でも、ほぼ「保守」≑「リベラル」だったはずなんですけどね。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-787c.html(自民党は今でもリベラルと名乗っている唯一の政党である件について)

・・・「左翼=リベラルというイメージがしっかり張り付い」たまま、「リベ=サヨ」を目の敵にするいわゆるネトウヨの諸氏は、やはり一度、自由民主党の英語名を復誦してみるところから始めた方がいいのかもしれません。

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いやだから、こういうのがデュアルシステム

もう10年以上前に、日本版デュアルシステムという、全然デュアルでも何でもないのがありましたが、そして今日でも単なる会社見学をインターンシップとか称している会社が圧倒的大部分であり続けている今日この頃ですが、そういうのが忘れ去られた今になって、不意にこういうのが出てきたりするのが面白いところです。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160809/k10010628921000.html(学生が有給で長期間働く新たな実習開始へ)

職業教育の一環として、学生が企業から給料をもらいながら長期間働く新たな実習を東京・八王子市の大学が始めることになり、9日学生と企業の面談が行われました。

この新たな実習を始めたのは東京・八王子市の東京工科大学です。

9日開かれた面談には、工学部の2年生およそ120人と製造業やIT関係などの中小企業60社余りが参加しました。

いやだからまさに、これこそが本当の意味でのドイツ語で言うデュアルシステムだし、英語で言うインターンシップっていう奴なんですね。

小学校の社会科見学に毛が生えた(か毛が抜けた)ようなのをワンデーインターンシップとか称する笑止なお芝居はそろそろやめて欲しいところです。

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第7回高齢者の就労を考えるシンポジウム

一般社団法人高齢者活躍支援協議会の「第7回高齢者の就労を考えるシンポジウム」開催のご案内です。

http://jcasca.org/modules/news/details.php?bid=20

◇日時:1027日(木)1330分~1630

◇会場:千代田区立内幸町ホール(地下1階)

http://jcasca.org/uploads/photos1/41.pdf

第1部基調講演「変わる中高年の雇⽤環境」濱口桂一郎氏(労働政策研究・研修機構労使関係部門主席統括研究員)

第2部パネルディスカッション「高齢者就労市場の最前線を語る︕」

コーディネータ 岡本憲之(一社)高齢者活躍支援協議会副理事⻑

パネリスト 幸山明雄㈱高齢社相談役

      小松剛之㈱高年社60 代表取締役社⻑

      ⾦森道雄イー・ナレッジ㈱会⻑

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来年度の社労士試験を目指している受験生には

社会保険労務士試験講師の大河内満博さんが、ツイートで、先日の年金がらみの上野千鶴子さんへの批判を取り上げて、こう語っているのですが。

https://twitter.com/tomofullmoon/status/762346813600833536

濱口桂一郎氏をして「労働教育より先に年金教育が必要」とまで言わしめる年金認識…。

社労士に対しても重責が課せられていると思います。

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 はい、そうですね、というとこなんですが、そのあとで突然、藪から棒に拙著を推薦し始めています・・・。

なお、来年度の社労士試験を目指している受験生には、濱口桂一郎氏の『働く女子の運命』を推薦します。

はい、ありがとうございます、なんですが、これってやっぱり、拙著のオビが余りにも印象が強いものだから、連想でそうなったんでしょうね。

(追記)

「藪から棒」というわけではなかったようです。

いずれにしても、ありがとうございます。

https://twitter.com/tomofullmoon/status/763473364170084352

hamachanブログで、私が藪から棒に『働く女子の運命』を推薦したかのように思われましたが、実はそうでもないのです。

社労士受験生に濱口氏のどの書物を推薦しようかと考慮していたところ、社労士受験生には女性受験生が多いこともあり、

https://twitter.com/tomofullmoon/status/763473386496335872

さらに、文字数制限と相まって、藪から棒に『働く女子の運命』が出てきたような形になってしまったという次第です。実は、『若者と労働』、『新しい労働社会』、『日本の雇用と労働法』をも候補に考えていましたので、オビが余りにも印象が強いものだから連想でそうなった、というわけではないのです。

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管理監督者以外はみんな時給制!

「管理職以外が全員時給制」というのが、何かとても珍しいニュースとして報じられているんですが。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160809-00010001-biz_plus-bus_all&p=2 (コストコが管理職以外「全員時給制」なワケ)

・・・コストコの興味深い点は、正社員でも管理職以外は時給制を取っていることだ。これは一見、労働者に不利なように見えるが、同一労働同一賃金の考え方によるものだ。・・・

いやいや、なんだかとても話が混乱していますが、時給制か否かというのは、あくまでも賃金計算の単位の問題であって、同一労働同一賃金とは直接関係ありません。

というより、実はそもそも、現行日本国の労働基準法の上では、自分は時給制じゃないと勝手に思い込んでいる正社員たちも、管理監督者じゃない限り、法律上は時給制なんですよ。それに気がついていない人が圧倒的に大部分ですが。

この問題については、既に8年前の2008年に、『賃金事情』に寄稿した文章でちゃんと説明しているのですが、なかなか世の中に伝わらないようです。

「日本の労働システム④月給制と時給制」(『賃金事情』2008年5月号

 昨年6月に成立し、今年4月から施行されている改正パート労働法は、短時間労働者と「通常の労働者」の均等待遇や均衡処遇を求めている。また同法の審議で指摘された短時間勤務ではない非正規労働者(いわゆるフルタイム・パート)の問題に対応するため、昨年12月に成立し、今年3月から施行されている労働契約法では、国会修正により「労働契約は、労働者及び使用者が、就業の実態に応じて、均衡を考慮しつつ締結し、又は変更すべきものとする」といういささか意味不明の条項が挿入されている。均等待遇や均衡処遇といったときにもっとも重要なのはもちろん賃金であるが、現実の労務管理の世界では正規労働者と非正規労働者を分かつ賃金制度上の最大の違いは、前者が月給制であり、後者が時給制であるという点にある。長期雇用を前提とする正規労働者に適用される月給制においては、学卒初任給に始まり、毎年の定期昇給によって賃金額が年功的に上昇していくことが普通である。その際、人事査定によって年功的上昇の度合いに格差がついていく。一方、非正規労働者に適用される時給制においては、そのつどの外部労働市場の状況によって賃金額が決まってくるのであり、年功的上昇や査定は原則として存在しない。

 厳密に言えば、月給制の賃金額と時給制の賃金額は比較することが容易ではないはずである。なぜならば、本来の月給制とは、その月に何時間労働しようがしまいが、月当たりの固定給として一定額を渡し切りで支給するものであり、時間当たりの賃金額を一義的に算出することはそもそもできないはずのものだからである。実際、戦前の日本でホワイトカラー職員に適用されていた月給制とは、そのような純粋月給制であった。彼らに残業手当という概念はなかったのである。これに対し、ブルーカラー層に適用されていた日給制とは、残業すれば割増がつく時給制であった。

 この両者が入り混じってきたのは、戦時下にブルーカラーの工員にも月給制が適用され、その際月給制であるにもかかわらず残業手当が支払われることとされたことが大きい。。これは厚生省労働局の主導で行われたが、一方で大蔵省により、ホワイトカラー職員の給与にも残業手当を支給するよう指導が行われた。この職員も工員も陛下の赤子たる産業戦士であるという戦時体制の産物が、敗戦後の活発な労働運動によって工職身分差別撤廃闘争として展開され、多くのホワイトカラー労働者とブルーカラー労働者が残業代のつく月給制という仕組みの下に置かれることとなった。

 労働基準法第37条もこの土俵の上に立って、労働時間規制の適用が除外される管理監督者でない限りは、すべての労働者に対して残業代の支給を義務づけている。同法施行規則第19条は、月給制であってもその額を1月の所定労働時間で割った時間当たり賃金を算出し、それをもとに割増額を算定することを求めている。これは、管理監督者でない限り、月給制といえども月単位にまとめて支払われる時給制であると見なしているのと同じである。つまり、正規労働者と非正規労働者を分かつ最大の違いであったはずの賃金制度は実は共通であり、両者は時間当たり賃金において比較可能であるという意外な結論に導かれる。

 ここからどういう結論を展開するかは、読者の関心によって様々であり得る。正規労働者も実は時給制であるのであれば、時給ベースで均等待遇を論ずることができるはずだという議論もあり得るし、本来の月給制は残業代無しの渡し切りなのだから、そういうエグゼンプトは均等待遇の議論には乗らないはずだという議論もあり得よう。昨年初頭のホワイトカラー・エグゼンプションの議論は「残業代ゼロ法案」というマスコミの批判で潰えたが、残業代ゼロでないような正規労働者は、その時給額が非正規労働者との関係で均等ないし均衡が問題となりうるような労働者であるという認識があったとは必ずしも言えないように思われる。

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第31回女性労働問題研究会

8月28日に第31回女性労働問題研究会が開かれます。わたくしは例によって、「日本型雇用と女子の運命」についてお話をします。

Ww

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労働政策決定システムの問題@WEB労政時報

WEB労政時報に「労働政策決定システムの問題」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=561

去る7月26日(火)、厚生労働省は第1回「働き方に関する政策決定プロセス有識者会議」(座長:小峰隆夫、法政大学大学院政策創造研究科教授)を開催しました。その開催要綱には、こう書かれています。
 
…労働政策の推進にあたっては、公労使の三者で構成される労働政策審議会が重要な役割を果たしているが、今後、少子高齢化のさらなる進行とそれに伴う労働力供給の減少や多様な価値観に対応し、労働参加率向上やイノベーション創出等を実現する誰もが活躍できる社会を構築するためには、これまで以上に様々な分野や立場の人の声を広く吸収し、機動的な政策決定を行うことが不可欠である。…
※厚生労働省「働き方に関する政策決定プロセス有識者会議 開催要綱」→資料(PDF)はこちら
 修飾語を抜いて反転させると、現状の労働政策審議会は「様々な分野や立場の人の声を広く吸収」できておらず、「機動的な政策決定を行」えていないという問題意識があるようです。・・・・・

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上野千鶴子氏の年金認識

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 いやもちろん、拙著『働く女子の運命』の腰巻で「絶賛」していただいた方ですから、悪口を言いたいわけではないのですが、やはり問題の筋道は筋道として明らかにしておく必要があろうかと思います。

上野千鶴子さんがツイートでこう語っておられます。話の発端は例の森元首相の発言に対する反発なのですが、

https://twitter.com/ueno_wan/status/761369525627473920

AERA34号「子のない人生」特集。上野も登場。香山リカさん、酒井順子さんの対談も。取材されたのに記事に書かれていないことが。森元首相が「子どもを一人もつくらない女性が年をとって税金で面倒を見なさいというのはおかしな話だ」とふられたが、この認識は完全なまちがい。(続き)

https://twitter.com/ueno_wan/status/761369676756549632

そもそも年金保険は払った人が受け取るしくみ。もとは積み立て方式だったのを原資に手をつけて拠出方式(世代間仕送り制度)に変えたのは制度設計ミス。政治の責任だ。自分で積み立てた年金を自分が受け取って何が悪い、と言うべき。そもそもそのために働いて年金を納め続けてきたのだから。

https://twitter.com/ueno_wan/status/761369839466184704

「私たちが育てた子どもが子どものないひとの老後を支えるのか」という認識も間違い。年金保険は保険、すなわち加入者のみが受け取れるしくみ。自分の積み立てた年金を自分が受け取るだけ。それどころか、保険料の支払いなしに基礎年金を受け取る特権を無業の主婦に与えたのは保守党政治だ、

そして最後の第3号被保険者に対するフェミニストとしての批判もよく理解できるものですが、しかしながらその間に挟まれた年金認識は、まったく間違っている、というよりもむしろ、そういう考え方はありうるけれどもそれが全く金融市場原理主義的なものであり、公的年金を私保険的に考えるものであることをどこまで理解しておられるのか、そこのところがたいへん疑問です。

この問題については、本ブログでも何回も取り上げてきていますが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-f716.html (年金世代の大いなる勘違い)

・・・公的年金とは今現在の現役世代が稼いだ金を国家権力を通じて高齢世代に再分配しているのだということがちゃんと分かっていれば、年金をもらっている側がそういう発想になることはあり得ないはずだと、普通思うわけです。

でも、年金世代はそう思っていないんです。この金は、俺たちが若い頃に預けた金じゃ、預けた金を返してもらっとるんじゃから、現役世代に感謝するいわれなんぞないわい、と、まあ、そういう風に思っているんです。

自分が今受け取っている年金を社会保障だと思っていないんです。

まるで民間銀行に預けた金を受け取っているかのように思っているんです。

だから、年金生活しながら、平然と「小さな政府」万歳とか言っていられるんでしょう。

自分の生計がもっぱら「大きな政府」のおかげで成り立っているなんて、これっぽっちも思っていないので、「近ごろの若い連中」にお金を渡すような「大きな政府」は無駄じゃ無駄じゃ、と思うわけですね。

社会保障学者たちは、始末に負えないインチキ経済学者の相手をする以上に、こういう国民の迷信をなんとかする必要がありますよ。

労働教育より先に年金教育が必要というのが、本日のオチでしたか

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-9649.html (財・サービスは積み立てられない)

・・・財やサービスは積み立てられません。どんなに紙の上にお金を積み立てても、いざ財やサービスが必要になったときには、その時に生産された財やサービスを移転するしかないわけです。そのときに、どういう立場でそれを要求するのか。積み立て方式とは、引退者が(死せる労働を債権として保有する)資本家としてそれを現役世代に要求するという仕組みであるわけです。

かつてカリフォルニア州職員だった引退者は自ら財やサービスを生産しない以上、その生活を維持するためには、現在の生産年齢人口が生み出した財・サービスを移転するしかないわけですが、それを彼らの代表が金融資本として行動するやり方でやることによって、現在の生産年齢人口に対して(その意に反して・・・かどうかは別として)搾取者として立ち現れざるを得ないということですね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-a96e.html (積み立て方式って、一体何が積み立てられると思っているんだろうか?)

・・・「積み立て方式」という言葉を使うことによって、あたかも財やサービスといった効用ある経済的価値そのものが、どこかで積み立てられているかの如き空想がにょきにょきと頭の中に生え茂ってしまうのでしょうね。

非常に単純化して言えば、少子化が超絶的に急激に進んで、今の現役世代が年金受給者になったときに働いてくれる若者がほとんどいなくなってしまえば、どんなに年金証書だけがしっかりと整備されていたところで、その紙の上の数字を実体的な財やサービスと交換してくれる奇特な人はいなくなっているという、小学生でも分かる実体経済の話なんですが、経済を実体ではなく紙の上の数字でのみ考える癖の付いた自称専門家になればなるほど、この真理が見えなくなるのでしょう。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-545a.html (年金証書は積み立てられても財やサービスは積み立てられない)

・・・従って、人口構成の高齢化に対して年金制度を適応させるやり方は、原理的にはたった一つしかあり得ません。年金保険料を払う経済的現役世代の人口と年金給付をもらう経済的引退世代の人口との比率を一定に保つという、これだけです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-7e36.html (「ワシの年金」バカが福祉を殺す)

・・・この問題をめぐるミスコミュニケーションのひとつの大きな理由は、一方は社会保障という言葉で、税金を原資にまかなわなければならない様々な現場の福祉を考えているのに対し、他方は年金のような国民が拠出している社会保険を想定しているということもあるように思います。

いや、駒崎さんをクローニー呼ばわりする下司下郎は、まさに税金を原資にするしかない福祉を目の敵にしているわけですが、そういうのをおいといて、マスコミや政治家といった「世間」感覚の人々の場合、福祉といえばまずなにより年金という素朴な感覚と、しかし年金の金はワシが若い頃払った金じゃという私保険感覚が、(本来矛盾するはずなのに)頭の中でべたりとくっついて、増税は我々の福祉のためという北欧諸国ではごく当たり前の感覚が広まるのを阻害しているように思われます。

・・・その感覚が回り回って、現場の福祉を殺す逆機能を果たしているというアイロニーにも、もう少し多くの人が意識を持って欲しいところです。

年金というものを「ワシが積み立てたものじゃ」と認識する私保険的感覚(それ自体は一つの経済イデオロギーとしてありうることは否定しませんが)の社会政策的帰結に対して、もう少し敏感であってほしいという思いは否めません。

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リベサヨとソーシャルのねじれにねじれた関係

都知事選については何も言うつもりはありませんが、それへの批評としてこんな記事が目に付いたので、さすがに一言だけ。

http://agora-web.jp/archives/2020627.html(さようなら  オールド左翼)

・・・何れにせよ、今回の鳥越氏の都知事選での惨敗で、多くの人達の目が現実を直視し、彼に代表される様な「オールド左翼」に最終的に決別して、米国のサンダース氏に比肩しうる様な「新しい時代の左翼」を模索する方向へと進んでいけば、大変よい事だと思う。

いやいやいやいや、鳥越氏が「オールド左翼」だって?

こういうリベラルだけは全開だけど、ソーシャルはいかにもとってつけたような表層的ジャーナリストを「オールド左翼」と呼んでしまうくらい、日本の政治思想地図というのはねじれきってしまっているわけですね。

そういうねじれの原因は、つまりヨーロッパのように素直に右派リベラル対左派ソーシャルという対立図式にならない理由は、わたしはずっとアメリカ方言の「リベラル」が諸悪の根源だと(やや単純化して)言ってきたわけですけど、そのアメリカで、自らをデモクラティックなソーシャリストだと公然と標榜するサンダース氏が大統領候補としてあれだけ善戦したことを考えれば、有力政治家の誰一人としてソーシャルを掲げない日本はあまりにも特殊ですね。

少なくとも、サンダース氏の言っていることは、リベサヨがはびこり出す以前の「オールド左翼」に近いはずなので、上の引用文のねじれっぷりは気が遠くなるような思いがします。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2af2.html(赤木智弘氏の新著その2~リベサヨからソーシャルへ)

41ad8n5htal_ss500_・・・をいをい、「労働者の立場を尊重する」ってのは、どこか遠くの「労働者」さんという人のことで、自分のことじゃなかったのかよ、低賃金で過酷な労働条件の中で不安定な雇傭を強いられている自分のことじゃなかったのかよ、とんでもないリベサヨの坊ちゃんだね、と、ゴリゴリ左翼の人は言うでしょう。

・・・よくぞ気がついたな、若いの。生粋のプロレタリアがプチブルの真似事をしたってしょうがねえんだよ、俺たち貧乏人にカネをよこせ、まともな仕事をよこせ、と、あんたは言うべきだったんだ、と、オールド左翼オヤジは言うでしょう。

もちろん、半世紀前の左翼オヤジの論理がそのまま現代に通用するわけではありませんが、リベサヨに目眩ましされていた赤木さんにとっては、これは「ソーシャルへの回心」とでも言うべき出来事であったと言えます。

問題は、赤木さんの辞書に「ザ・ソーシャル」という言葉がないこと。そのため、「左派」という概念がずるずると彼の思考の足を引っ張り続けるのです。

彼の主張は、思われている以上にまっとうです。「俺たち貧乏人にカネをよこせ、まともな仕事をよこせ」と言ってるわけですから。そして、戦争になればその可能性が高まるというのも、日中戦争期の日本の労働者たちの経験からしてまさに正しい。それこそ正しい意味での「ソーシャリズム」でしょう。

ところが、「左派」という歪んだ認識枠組みが、自分のまっとうな主張をまっとうな主張であると認識することを妨げてしまっているようで、わざとねじけた主張であるかのような偽悪的な演技をする方向に突き進んでしまいます。・・・・・

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都知事誕生! 続く「女性初」、残るはあのポスト?@読売オンライン

読売オンラインに京極理恵記者の「都知事誕生! 続く「女性初」、残るはあのポスト?」という記事が載っています。

http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20160802-OYT8T50057.html

20160803oyt8i50036l女性初の東京都知事が誕生した。折しも、男女雇用機会均等法施行30年を迎え、女性活躍推進法が施行された今年、日本公認会計士協会会長、サッカーの日本女子代表チーム「なでしこジャパン」監督など様々な分野で「女性初」のリーダー就任のニュースが続いている。といっても、女性初がニュースになるのは、男性が組織社会で多数派や主流派を占めてきた裏返しで、やっと「席を確保」した状況だ。国連のジェンダー関連指数で先進国の中でも低い順位が続く日本。この女性初ニュース、いつまで続くのか。

政治家から官僚から経営者からスポーツ界からいろんな話を「女性初」という切り口でごった煮にしたような記事ですが、その中に私もちょびっとだけ登場しています。

・・・採用や昇進、定年、解雇などでの性差別を禁じた均等法は施行当時、企業が違反した場合の罰則規定がないなど「ザル法」と非難された。また企業側が女性の待遇を模索しつつスタートした中、一握りに過ぎない「総合職」が孤立し、退職を余儀なくされる状況も報道された。『働く女子の運命』を著した労働政策研究・研修機構主席統括研究員の濱口桂一郎さんは、「家計を背負う男性正社員に安定した『生活給』を与えるというそれまでの『日本型雇用システム』を変えないまま、男女平等の概念を導入したため、女性を“男性扱い”する『総合職』と従来の女性枠の『一般職』に分けるコース別管理にならざるをえなかった」と、当時のシステムの不備を指摘する。・・・

個人的には、記事に挟まれている「これまでの女性初その1」という表の「霞が関(中央省庁)関連」の一番最初に、つまり山川菊栄初代婦人少年局長の前に、

1928 内務省工場監督官補 谷野せつ

と書かれているのがツボにはまっています。

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経済同友会提言から

昨日(8月1日)、経済同友会が「新産業革命による労働市場のパラダイムシフトへの対応-「肉体労働(マッスル)」「知的労働(ブレイン)」から「価値労働(バリュー)」へ-」という提言を発表しています。

http://www.doyukai.or.jp/policyproposals/articles/2016/pdf/160801a_01.pdf

最近話題の新産業革命がらみでいろんなことが書かれていますが(目次は下にコピペ)、メインはだからもっと規制緩和という話ではありますが、注目すべきは個人請負型の新しい働き方に対してなんらかの権利保護の仕組みを導入すべきだと指摘しているところでしょう。

③新しい働き方を選択した個人事業主の権利保護の仕組みの導入

現行の労働法が想定していない新しい働き方の一つである「アライアンス」や「クラウドソーシング」は厳密には雇用契約ではなく、業務委託契約や請負契約の形式をとるが、依頼人(企業)、請負人(個人)、仲介者の力関係に不均衡が生じ、例えば、報酬を作業時間で割った時間単価が最低賃金を下回るなど、請負人(個人)を労働者と同様に保護しなければならない場合がある。したがって、このような観点から、必要に応じて労働法の適用対象を見直す必要がある。

また、労使関係のあり方においても、これまでのように特定の企業に属する社員を中心とする労働者の代表と使用者を前提とした仕組みが良いのか検討していく必要がある。例えば、SNS やプラットフォーム上で連携した複数の個人事業主と企業が労働条件に関して交渉するといった方式なども今後出現してくるかもしれない。

④新しい働き方に対応する社会保障の再設計

アライアンス、クラウドソーシング等、新しい形の働き方が普及してくると、こうした形態で働く個人の年金、健康保険、労働保険など社会保障制度のあり方も課題になってくる。これまでのように、個人事業主としての制度加入で良いのか、個人事業主と被雇用者との間で立場が頻繁に変わる人財の扱いをどうするかなど、持続可能な社会保障制度に向けた改革議論の中の一つの論点として、こうした課題も早急に検討が必要である。

こういう問題、本来なら労働サイドや労働法学者などの方がもっと敏感に提起していかなければいけないテーマのはず。

はじめに
1.労働市場を取り巻く新産業革命による環境変化とその影響   
◦(1)  人財の量と質の需給ミスマッチ
◦(2)グローバルな人財獲得競争と人財育成競争
◦(3)職種の消滅/誕生
◦(4)ライフスタイルや働き方の変化

2.激変しつつある労働市場――その将来像を展望する   
◦(1)  新産業革命がもたらす就業構造の変化
◦(2)「労働」のパラダイムシフト
◦(3)「労働市場」のパラダイムシフト

3.提言――労働市場のパラダイムシフトへの対応   
◦(1)  企業の取り組み
(a)2020年までの課題(Japan 2.0の準備期間)
①スマート・ワークの実現
②価値創出人財の育成・兼業禁止規定の緩和
(b)2021年以降に向けた課題
○雇用形態の多様化、新しい企業と個人の関係の構築な環境の整備    
◦(2)政府としての取り組み
(a)2020年までの課題(Japan 2.0の準備期間)
①「日本再興戦略」の着実な実行と効果検証
②同一価値労働同一賃金に関する法整備
(b)2021年以降に向けた課題
①新産業革命を踏まえた労働行政の転換
②新しい働き方に対応する社会保障の再設計
③柔軟で安定した労働市場の構築
◦(3)教育機関の取り組み
◦(4)個人としての取り組み

おわりに

2015年度雇用・労働市場委員会委員名簿

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広島経済大学入試問題(国語総合・現代文B)

0283560広島経済大学の今年の入試問題(国語総合・現代文B)に、私の論文「『正社員』体制の制度論」(『自由への問い6 労働』岩波書店)からのかなり長い抜粋が使われております。

http://www.hue.ac.jp/exam/images/h28sen2.pdf

傍線部ア「日本型雇用システムの特徴とされる長期雇用制度、年功賃金制度及び企業別組合」とあるが、日本型雇用システムの特徴についての説明として最も適切なものを、次の1~4の中から一つ選び、【OCR解答用紙】にその番号を記入せよ。

とか、

傍線部イ「日本には膨大な数の非正規労働者が存在している」とあるが、非正規労働者の現状はどのようなものか。不適切なものを、次の1~4の中から一つ選び、【OCR解答用紙】にその番号を記入せよ。

とか、御用とお急ぎでない方はちょっくら解いてみてはいかがでせうか。

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森井じゅん「新卒一括採用の限界!?」 雇用形態 メンバーシップ型・ジョブ型 [モーニングCROSS]

TOKYO MXテレビの朝のニュース情報番組に「モーニングCROSS」というのがあるらしくて、その動画がアップされていたので見てみたら、公認会計士・税理士の森井じゅんさんという方が、ジョブ型とかメンバーシップ型とかいろいろと説明していました。

それだけごく普通に使われる用語になったということですね。

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