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年齢差別禁止政策の浮上@『エルダー』8月号

Elder『エルダー』8月号に「年齢差別禁止政策の浮上」を寄稿しました。

http://www.jeed.or.jp/elderly/data/elder/201608.html

http://www.jeed.or.jp/elderly/data/elder/q2k4vk000000a6fr-att/q2k4vk000000a6ib.pdf

 日本型雇用システムはその入口(新卒採用)から出口(定年退職)まで、またその間の処遇(年功賃金や年功序列)についても、年齢を基軸とするシステムとなっています。そのような雇用システムにおいて、「年齢差別を禁止する」ということはシステムの根幹を揺るがすような意味を持ちます。
 一方で、その雇用システムの主流からこぼれ落ちてしまった労働者、とりわけ中高年労働者は、なまじ年齢相応の高い賃金水準をもらっていたがゆえに、企業側が採用に対して著しく消極的になり、再就職がきわめて困難になるという苦境に立たされます。若者に対しては異常なまでの求人過剰でありながら、年齢が高まると急速に求職者過剰となるという、日本の労働市場の特徴は、高度成長期以来ほとんど変わっていません。
 1960年代から1970年代初頭の時期には、日本政府の雇用政策は外部労働市場志向型であり、それゆえかかる労働市場の状況を是正するために職種別中高年齢者雇用率制度が採られました。当時は雇用率未達成の事業主が中高年齢者でないことを条件としてその職種についての求人の申込みを行った場合には、公共職業安定所はこれを受理しないことができるという規定もあり、求人における年齢差別に対する制裁規定の先駆けということもできます。
 しかしその後、1970年代から1980年代、そして1990年代にかけての雇用政策は内部労働市場志向型にシフトし、これまで見てきた定年延長や継続雇用が主たる政策手法となり、外部労働市場で再就職に苦しむ中高年は雇用政策の主たる関心からは見失われていきました。

年齢差別問題が再び政策課題に

 中高年問題が雇用政策に再び登場するのは、バブル崩壊後の1990年代半ば以降、中高年ホワイトカラー、とりわけ管理職クラスがリストラの標的となってからです。そうしたなかで、長らく忘れられていた年齢差別問題が再び政策課題として意識されるようになってきました。外部労働市場に投げ出された中高年労働者が再就職を試みても、求人に30歳未満とか40歳未満といった年齢制限があって、応募することすらできないのは不合理ではないかという疑問が提起されるようになったのです。
 こうした動きを政策に結びつけたのは、当時の経済企画庁の「雇用における年齢差別禁止に関する研究会」です。この研究会が2000(平成12)年6月に出した中間報告では、「年功賃金や年功的な処遇を改め、定年年齢までの雇用保障といったものを緩和することが必要となろう」と述べ、「このような年齢による区別を差別と考え、これを禁止するという手段について考えていくこと」を提起しています。日本政府の公式文書のなかで初めて年齢差別禁止を唱えたものといえます。
 これを受けて、2001年4月に成立した改正雇用対策法には、事業主の責務として「事業主は、労働者がその有する能力を有効に発揮するために必要であると認められるときは、労働者の募集及び採用について、その年齢にかかわりなく均等な機会を与えるように努めなければならない」(第7条)という規定が盛り込まれました。
 もっともこのときには努力義務に過ぎないのに、10項目にわたる例外規定が指針に盛り込まれていました。定年制の雇用保障機能を評価する内部労働市場政策と年齢差別禁止を志向する外部労働市場政策の間で悩む姿を示しています。その後、2004年には高齢法改正により、事業主が労働者の募集・採用時に年齢制限する場合にはその理由を示すべきこととされました。

政治主導による年齢に基づく雇用システムの見直し

 このあたりから、それまでもっぱら中高年対策として議論されてきた年齢差別問題が、若者雇用問題としても取り上げられるようになっていきます。2006年3月に再チャレンジ推進会議が設置され、年齢に基づく雇用システムの見直しに向けた政策を打ち出すようになります。2007年の雇用対策法改正においては、審議会では全くそういう議論はなかったのに、与党の政治過程に送られたところから急激に政治主導で求人の年齢制限禁止規定が盛り込まれるに至ります。その問題意識はもっぱら、格差問題対策としての、年長フリーターの正社員化促進というところにありました。
 ここには、年齢に基づく日本型雇用システムのなかでさまざまな利害関係に縛られて思い切った政策を打ちにくい労使当事者に比べて、政治家の政治主導による政治過程がより理念的な政策を推進しうる面があることが示されているともいえます。また、どうしてもいままでの経緯にとらわれて年齢差別禁止問題を中高年対策ととらえがちな労働関係者に比べて、新たな時代状況としての年長フリーター問題への対策として取り上げることにためらいのない政治家主導の特性が現れているともいえましょう。
 こうして「事業主は、労働者がその有する能力を有効に発揮するために必要であると認められるときとして厚生労働省令で定めるときは、労働者の募集及び採用について、その年齢に関わりなく均等な機会を与えなければならない」(第10条)という規定が成立するとともに、従来かなり広範に認められてきた年齢制限が認められる例外を、経験不問の新規学卒正社員採用などに大幅に縮小しました。
 しかしながら、年齢を基軸とするという日本型雇用システムの根幹はあまり変わっていないのですから、高給をもらっていた中高年労働者が失業してしまうと、なかなか再就職がむずかしいという労働市場の状況にも変わりはないようです。企業は依然として、貢献よりも報酬が高すぎるとして中高年労働者を狙い撃ちにしたリストラを続けていますし、それに人材ビジネスが関与したことがマスコミで批判され、労働移動支援助成金の支給要件が改正されるといった事態が今年も起こっています。
 このような状況のなかで、今年5月に東京地裁で出された長澤運輸事件判決は、直接的には労働契約法20条をめぐる訴訟ですが、定年前の正社員の処遇と定年後再雇用された嘱託の処遇の格差を不合理と認めたという意味において、年齢差別禁止政策の観点からも極めて重要な含意を持つものといえます。本件では定年前後でタンクローリー運転手という職種に変わりがなかったという事情はありますが、定年後再雇用で処遇が下がるのが当然と考えていた関係者にとっては大変衝撃的な判決であったことは間違いないでしょう。

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コメント

エントリのテーマである「定年」から話は逸れますが、ここで日本企業の「年齢」による人事管理についてあえて一言申し上げるとすれば、それは厳密に言うと(生物学的な)「年齢」ではなく、あくまでも「年次」管理(みなし年齢)です。職種別に、同じ年に入社した集団を「同期」として一様にみなし、そのコホート毎に異動&昇格&賃金の管理を「公平」に行うのがメンバーシップ雇用のキモであり、社員からすればその運用の公平性こそ長期にわたって会社にコミットし続けられる、暗黙の心理契約のベースとなっているはずです…。

ところで、最近ニュースになった某大臣の「就職協定、就活のあり方の見直し」発言についても、(脳科学者の茂木さんらが声高に主張するように)あるべき姿として「通年採用」がよく話題になります。ただ、採用する企業側に通年採用に消極的な理由があるとすれば、それは上でいう「同期」の一体感なりコホートとしての同質性が、つまりは日本企業の本質であるところのメンバーシップ雇用を支える「メンバー」自らのメンバーたる帰属集団へのアイデンティティが、通年採用によって知らぬ間に同期でも見たことがない仲間が増えてしまうことにより、崩れていってしまうのではないかという不安があるのではないかと推察します。通常、新人は4/1入社後最初の数カ月間を集団研修に費やしますが、この長期のトレーニング期間に醸成される同期の仲間意識というのが意外と無視できない無形資産なのかなぁと。

投稿: 海上周也 | 2016年8月16日 (火) 20時32分

海上さんのコメント、そうですねと賛同いたします。
茂木云々はどうでもよいのですが、脳科学上で文化的帰結を求めるとたとえばかの戦時にともすれば問答無用に国の都合で戦地に連れ去られた兵隊の戦闘意欲を少しでも維持する方法論、逃げることに”恥の文化”を使う方法論とはつまり「戦友」なのだと思っております。国家など一兵卒には遠すぎてリアリティがありませんが、戦友であればどうですか?その同じ釜の飯を食い生死を共にしてきた戦友の死に裏切りは許されないというきわめて日本人気質を考え抜かれたマネジメント法です。全く同じ理論を使ってきた成功体験者が戦後も権力を把握していたということになりませんか?私の考えですからアーティクルでもなんでもありませんからそこはよろしくです。
他のエントリ「新入社員が・・・」現象はその精神文化は維持不可能となったと私は積極的に理解しておりますし、先の支配者も時間軸(生物学上)で消え去るのみですので、サイクル論として遅きに逸した感はありますが、今こそ雇用環境を変えるチャンスが来たのではないかと思います。時間軸しか使えない日本が悲しいですけどね。

投稿: kohchan | 2016年8月17日 (水) 07時35分

海上さんにうっかりもので先発コメントのタイプ忘れを。
「戦友」は説明しましたが、それを具現化し海馬に植え付けるにうってつけの言葉と実在主義こそかの「同期(の桜)」です。これで生物学上戦争時代に近いものほど群を好み特に支配下に強要するエントリ問題行動の一つは説明可能です(とおもいます)。
最近の若者論を経済ロスジェネで説明してそれなりに説明していると思われますが、それよりも早すぎとはいえ生物学的進化論的立場で考えたほうが上記のそれがナイーブさを否定できないのに比して科学的ではと思っております。つまり若者は進化しているんですよ。それを認められない人は生殖活動を終え終末へまっしぐらの人といえると思います。科学的な思考とはこのように冷たいものでもありますね。

投稿: kohchan | 2016年8月17日 (水) 07時58分

海上殿

>エントリのテーマである「定年」から話は逸れますが、ここで日本企業の「年齢」による人事管理についてあえて一言申し上げるとすれば、それは厳密に 言うと(生物学的な)「年齢」ではなく、あくまでも「年次」管理(みなし年齢)です。職種別に、同じ年に入社した集団を「同期」として一様にみなし、その コホート毎に異動&昇格&賃金の管理を「公平」に行うのがメンバーシップ雇用のキモであり、社員からすればその運用の公平性こそ長期にわ たって会社にコミットし続けられる、暗黙の心理契約のベースとなっているはずです…。

  どちらがどちらに影響をしたのか分りませんが、「年次管理」は学校に似ていると思います。毎年同じ時期に(ほぼ)同年齢の集団が入ってくる。入って一年目、二年目・・に行う事は決まっていて、同期は(同じ場所で)全員が同じことを行う。やる事は毎年同じなので、先輩や後輩とも同じ体験を共有している事になります。
  日本はメンバーシップ社会だと言われていますが、そのメンバー意識は“同じ釜の飯を食べた事(同じ場所で同じ体験をした事)”に基づいていると聞いたことがあります(“遠くの親戚より近くの他人”、“去る者は日々に疎し”)。中根千枝氏によると、同じメンバーシップ社会でも中国は“血縁”に基づくメンバー意識なので、“近くの他人より遠くの親戚”であり、初対面でも曾祖父同士が兄弟だと分かるとすぐに親しくなるそうです。
  また旧日本軍も“同じ釜の飯”意識に基づく軍隊だったので、山本七平氏(陸軍少尉としてフィリピン戦に参加)によれば、米軍は“日本軍の弱点は小隊長だ”と言っていたそうです。つまり日本兵は“(同じ釜の飯を食べてきた)あの小隊長のため”という理由で奮戦するが、その小隊長が(戦死や負傷で)交代すると(後任の小隊長にはなじみがないので)兵の戦意が落ちる。だから米軍は“まず小隊長を倒せ”と指示したそうです。これに対して米軍は隊長と兵士は職務に基づく関係なので、小隊長が交代しても戦力はそれほど落ちなかったとか(ジョブ型軍隊?)
  企業の年次管理と学校の類似を申し上げましたが、(少なくとも初等教育の)学校は“同じ年齢の者が同じ場所で同じことを行う事(クラス単位で全員が同じ授業を受ける等)に基づくメンバー意識の養成”を今後しばらく行うと思います。その状況で企業がジョブ型に移行すると学校のシステムと異なる事になり、どうなるか興味があります。

投稿: Alberich | 2016年8月18日 (木) 23時58分

Alberichさん、詳細なコメントありがとうございます。会社と学校の「年次」社会の類似性については、私も全く同様に感じます。新卒社員は、たとえわずかな期間であっても「同じ場所で同じ体験をした事」によって長い会社生活を一緒に乗り切れるだけの大切な「仲間」を手に入れます。たとえライバルが先に昇進しても所詮同期は同期。飲み会では「タメ口」で話し通せる間柄です(この辺りは「半沢直樹」ですね)。

先のkohchanの考察もそうでしたが、戦友なり日本軍と会社員メンバーシップとの類似性や一貫性をご指摘されているあたりが小生には大変興味深い観点です。

ところで話はまたまた逸れますが…、中学校国語の時間に日本語の敬語には尊敬語・謙譲語・丁寧語の3種類と習いました。しかし社会に出てみると、実際には大きく分けて「身内語」と「他人語」の2区分がありました。前者の身内語(主に同じ組織内で使用)は「対先輩語」(尊敬語・謙譲語)、「対後輩語」(ぞんざい語)、「対同期語」(タメ口)、後者の他人語(主にメンバー外の人に使う)は「丁寧語」。合計4種類の用語法が存在します…。私は昔、日本の大企業で働いていた頃、この独特な用語法とそれに付随するビヘイビア(自分と相手の序列をみたうえで言葉遣いや距離感を変えていくこと)が、どうにも肌に合わずウソ臭く(演技しているように)感じたことを覚えています。

投稿: 海上周也 | 2016年8月19日 (金) 15時08分

海上さん、そうそう。
それに適応できるか拒否反応で悩むかは日本会社社会文化での生命線ですね。わたしもすこぶる違和感を感じましたし、その反面パーソナルとしては覚えよく、その帰結的嫉妬を個人化される経験もいたしましたし、その後ろには家族という抜き差しならぬ肩に背負ったモノがあることも斟酌しないと・・・これも負債経済の個人化をコメントさせていただいたいる要素の一つです。
Alberichさんの最終段落の問いこそに、こうしたコメントで細分化されたような(仕方がありませんし、それでよいのです)コメントをネットワークする建設的な姿勢がいずれかでパッションするおもわぬ新結合による解を引き出すのではと思います。
情報社会とはこれまで閉ざされてきた知性の玉石混交混乱状態を経て時のニーズに世界規模でアジャストできるツールを得たのだと思います。いまはその時間軸で過去と今と未来にいきる人の混濁が表層化していると考えております。
我慢ならんけどね。

投稿: kohchan | 2016年8月19日 (金) 18時13分

海上殿

>ところで話はまたまた逸れますが…、中学校国語の時間に日本語の敬語には尊敬語・謙譲語・丁寧語の3種類と習いました。しかし社会に出てみると、実際には大きく分けて「身内語」と「他人語」の2区分がありました。前者の身内語(主に同じ組織内で使用)は「対先輩語」(尊敬語・謙譲語)、「対後輩語」(ぞんざい語)、「対同期語」(タメ口)、後者の他人語(主にメンバー外の人に使う)は「丁寧語」。合計4種類の用語法が存在します…。
私は昔、日本の大企業で働いていた頃、この独特な用語法とそれに付随するビヘイビア(自分と相手の序列をみたうえで言葉遣いや距離感を変えていくこと)が、どうにも肌に合わずウソ臭く(演技しているように)感じたことを覚えています。

  日本では同じ体験を共有する事でメンバーになるので、同じ人と長期間付き合う事になります。このため他人との関係を壊さないよう配慮する(空気を読んで協調する)事が求められるのだと思います。
hamachan先生も以前に、”日本の判例は、整理解雇には厳格だが、労働者個人の行為言動に基づく解雇(協調性がない等)に対してはかなり緩やかな傾向がある”と述べておられました。
  会社ではありませんが、京都の中心部では住民はこれから何代もそこに住み続ける(メンバーシップ型)ので近所同士がもめると大変な事になる。だからなるべく角がたたない婉曲的な言い方をして言われた方が察するという文化ができた、という説を聞いた事があります(京都で隣から、”お嬢ちゃん、ピアノが上手ですね”と言われたら、”ピアノの音がうるさい”という意味だとか)
これに対して江戸は流入者が多くて住民の移動が激しく技術がある職人が中心だった(ジョブ型)ので、他人を考慮せず自分の言いたい事を言う文化になったそうです(火事と喧嘩は江戸の華)

投稿: Alberich | 2016年8月25日 (木) 23時42分

Alberichさん、コメントありがとうございます。歴史的な考察、大変面白いですねー人間の作る集団や都市、例えば京都と江戸で、所属構成要員の滞留期間や人員の流出入が彼らのコミュニケーションや言葉遣いに対して与える影響…。

その意味で現代の大都市Tokyoは、メンバーシップ型正社員サラリーマン&公務員集団と、専門職含むその他様々なワーカー集団(ジョブ型勢力)がモザイク状に混在しているように見えます。

当たり前ですが、個人の趣向は各々異なりまた変わりえますので、誰でもどちらの世界にキャリアの各ステージで気楽に行き来できるような雇用の柔軟性があると、個人の満足度はさらに上がるだろうなぁという気がします。

投稿: 海上周也 | 2016年8月26日 (金) 13時55分

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