エマニュエル・トッド『家族システムの起源Ⅰユーラシア(下)』
昨日のエントリの続き。エマニュエル・トッドの大著『家族システムの起源Ⅰユーラシア』の下巻です。
http://www.fujiwara-shoten.co.jp/shop/index.php?main_page=product_info&products_id=1500
下巻はヨーロッパと中東。
ヨーロッパは、『新ヨーロッパ大全』を歴史的に語り直したものですが、とても話が入り組んでややこしい。
どうもよくわからないのが、ローマ帝国がなぜ直系家族的社会から平等核家族社会に変わっていったのかという説明のところ。
ローマ法が繰り返し引用されているんだけど、法律が社会を作ったわけではなく、社会が法律を作ったはずなので、ここのところが今ひとつ腑に落ちない。
トッドの全体のイメージが、核家族→直系家族→共同体家族という発展図式なので、ここは逆転現象、を起こしていることになってしまっている。そのメカニズムの説明が不明。
しかし、ここで古代末期西欧社会が平等核家族社会であったことが、その後東からの共同体家族の侵入や、内部での直系家族の創発にもかかわらず、ヨーロッパに(アルカイックな!)核家族が残存する原因となるというのだから、そこはやっぱり重要でしょう。
中東の話はもっと目が回る。メソポタミア文明の歴史の中に中国文明がまるまる収まってしまうと言うのは面白い。
あと、この本ではおそらくあえてイスラエルの話は正面から論じていないのでしょうが、古代オリエントの辺境の直系家族社会として生まれたユダヤ人がその後ディアスポラとなってその性格を維持し続けるという話は、おそらく1章割いてもいいくらいの話だったはず。
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総じてこうした起源ものは、その書き手の出自や属性に自然と影響を受けてしまっているため、課題ピンポイントものと歴史の流れに沿って大局的に語らざるを得ない場合に自説とも齟齬をきたしてしまうのかもしれませんねえ。
しかし早いな、読み込むの(笑)。
スタイルも思考法も違えど、フランシス・フクヤマ「政治の起源」(フランス革命まででしたでしょうか?)と比較文化論的な弁証実験素材としておもしろいかもしれません。
下はやはりバビロンですか。ドットの本(下)がギルガメッシュ叙情詩を起源と規定していればユダヤ教を始発の西洋歴史史観中心主義世界でのマクロでは今のカオス的世界情勢から私が関係するミクロセクターである医学(西洋)のコア思想がどこに起源をもち、それがいまの超細分化してしまった医学、疫学、公衆衛生学とその制度の遍歴、たとえば本ブログでも紹介のストレスチェック、あるいは人材コンサルタントお得意の啓蒙法である行動変容アプローチ(危ないんです、教育水準が低い人が使うと、最後はできない対象者を追いつめてしまう場合が多々ありますので、その意味においてもストレスチェック制度導入はこれまでのOJT中心から個人へ価案現してしまっていますからマッチポンプともいえますが労働者の心的バランスをことさら気遣う必要性が
高まってきました)等々、”起源”を探る巨視的ものの見方は、AI、ゲノム等々シンギュラリティを迎えつつある時間からの要請かもしれませんね。おまえたち、これからどうするんだ?と。
投稿: kohchan | 2016年7月 4日 (月) 11時59分