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2016年7月

『POSSE』Vol.32の案内

ややフライング気味ですが、9月1日発行予定の『POSSE』Vol.32の案内がこちらにアップされていたので、ご紹介。

http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784906708314

★特別寄稿★ベルンハルト・シュミット「フランスにおける労働法改正への抗議運動」

【特集】「絶望の国の不幸な奨学金」

大内裕和×布施祐仁「経済的徴兵制と奨学金(仮)」

濱口桂一郎「日本型雇用と日本型大学の歪み」

【単発】

温野菜殺人未遂事件

シャンティについて

【連載】

今どきの大学生

労働事件ファイル

ブラック企業のリアル

労働問題ニュース解説

労働と思想

ともに挑む、ユニオン

POSSE最新ブックレビュー

というわけで、特集は「絶望の国の不幸な奨学金」。この問題をリードしてきた大内さんの対談に併せて、わたくしも一本文章を寄せております。

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7月の拙著短評あれこれ

7月に目に付いた拙著への短評をまとめてご紹介しておきます。

131039145988913400963 まず2009年に出した『新しい労働社会』(岩波新書)について、歴代作家書店店長による『憲法』と『日本のいま・これから』推薦書というコーナーで、小熊英二店長がこういうコメントを。

http://honto.jp/store/news/detail_041000019379.html

日本と西欧の雇用原理の違いから、未来の雇用原理を展望する。

112483 次に2011年の『日本の雇用と労働法』(日経文庫)について、神奈川建一(ケンザン中の人)がこうツイート。

https://twitter.com/KanagawaKenichi/status/752848017238036480

濱口桂一郎「日本の雇用と労働法」熟読中。日本の労働契約は、仕事に対する報酬ではなく、組織に属することに対する報酬を取り決めた契約であると解説する本。社会人になって数年経ったらぜひ読んで欲しい。どれだけ歴史の積み重ねが重いかわかるよ。

また、読書メーターでも、YTさんが、

http://bookmeter.com/cmt/57518200

『タテ社会の人間関係』や『どうして若者は3年目で辞めるのか』で述べられる日本型雇用システムが歴史的にどうやって形成されていったのかを歴史と裁判例から追って行くもの。所謂日本の大企業に勤める方は読むと日々の疑問が幾らか解ける。

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 昨年末の『働く女子の運命』には、かなり多くの短評が。先月末ですが「2016年参院選特別企画−有名教授陣が民主主義を再考する本を選書しました」というコーナーで、京都大学の国際法の教授である濱本正太郎さんに、「問題解明の見事なお手本」と褒めていただきました。

http://i-vote.jp/selection4election/2016/06/27/%E3%80%90%E6%BF%B1%E6%9C%AC%E6%AD%A3%E5%A4%AA%E9%83%8E%E6%95%99%E6%8E%88%E3%80%91%E6%BF%B1%E5%8F%A3%E6%A1%82%E4%B8%80%E9%83%8E%E3%80%8E%E5%83%8D%E3%81%8F%E5%A5%B3%E5%AD%90%E3%81%AE%E9%81%8B%E5%91%BD/

社会にある困った問題を解決しようとする場合、何よりもまず問題を理解しなければならない。それは、その問題を作り出している「悪者」を見つけることではない。では、どういうことか。「なぜ、女性は日本社会において働きづらいのか」という問題を徹底的に読者に理解させようとする本書は、問題解明の見事なお手本である。

その他、

http://scbookinfo.seesaa.net/article/439871165.html

今なおなぜ”女子”が働きづらいのか、明治期からの女子の働き方、日本の雇用(男性の)の歴史を概観することで、今の”女子”の置かれた状況をあぶりだす。

http://blog.goo.ne.jp/yuki_523/e/c2b8e1b5b359721ecb97e0b885140f09

タイトルに「女子」と書かれていますが男性の労働についても取り上げられていますし、男性にも読んでほしい1冊。

http://maiumy.exblog.jp/25493457/

これは労作、且つ重要作。

「(失われた20年は)それまでの日本型雇用システムを否定することなく、むしろその中核をより純粋に少数精鋭化しながら維持しつつ、もっぱらその周辺部を狙って規制緩和をしてきた」という流れの中で、いかに働く女性が虐げられてきたかの考察。

フェミニストならずとも、その分析の鋭さが面白い。

http://www2.hplibra.pref.hiroshima.jp/?page_id=1195

男女雇用機会均等法施行以後も,日本の企業等での女性の活躍はまだまだです。日本の女性はなぜ「活躍」できないのか。データや当事者の肉声を交え,「働きにくさ」の真相を解説しています。女性と比べると家事や育児負担が(少)ない男性にも,読んで考えてほしい一冊です。

http://ameblo.jp/fuyugare/entry-12185606384.html

メンバーシップ型とジョブ型の切り口で日本の労働問題を綺麗に整理する仕事の一環。男女雇用機会均等法の理念が目指してきた何かと、現実の落差を埋めるピースを提供する。端的に言えば、メンバーシップ型→職能給へ変換され、ジョブ型→職務給と翻訳して理解するというもの。この捻れを温存したままに、男女平等に取り扱うということを企業がどのように受け止めたか、そして男女ともに等しく劣悪な労働環境に貶める方向で理念が達成されうるのかという疑問符をつきつけるところで幕引き。 労働「諸」問題を考えるにワークライフバランスを取り戻すには、メンバーシップ型の有益性を残しつついかにしてジョブ型へ転換できるかを慎重に考えていかないといけない。

読書メーターでも、

http://bookmeter.com/b/4166610627

7/11 :inu , 難しい。どうすれば良いのか悩ましい。

7/13 :yurari , 昔よりはだいぶマシになってると思う。

7/17 :たろさん , 働く女子を巡る法規の変容や社会の変容について書かれた本。著者によれば第一次ワークライフバランス、すなわち労働時間の削減やマミートラックの解消が空洞化している中で、第二次ワークライフバランス、すなわち、時短勤務や育休だけが充実している問題点をあげている。ホワイトカラーエグゼプションにおいてもアメリカでの意味とは違い、少子化対策の改善と考えられている。日本の就業問題をとらえた本。

7/20 :Murakami, 現代まで続く女性労働者差別の歴史が良く分かった。

7/20 :cino , 欧米のジョブ型と日本のメンバーシップ型について書いてあったが日本以外のアジア他国はどうなのかなー

7/26 :Munedori , 労働の提供ではなく、労働力の提供。マミートラックがある理由がよく分かった。働く親(特に母)は会社にすべての時間を捧げられないから。でも、子供がいない人だって、親はいる。介護は育児以上に男性にも降りかかってくるだろう。どちらにしても、高度成長期時代に構築されたシステムは崩壊の道を辿ってるかと。

7/27 :じゅりあ , ゼミの文献として再読。

またブクログレビューでも、

http://booklog.jp/item/1/4166610627

7/9 : bukurose, 今なおなぜ”女子”が働きづらいのか、明治期からの女子の働き方、日本の雇用(男性の)の歴史を概観することで、今の”女子”の置かれた状況をあぶりだす。 欧米では日本より女性が働きやすくなっており、M字型も台形型になっているが、それはそう昔のことではなく60年代になってからだという。その源泉は賃金に対する考え方で、欧米では企業の中の労働をその種類ごとに職務(ジョブ)として切り出し、その各職務を遂行する技能(スキル)のある労働者をはめこみ、それに対して賃金を払う。経理のできる人、旋盤のできる人といったように。なので女性の労働問題は、女性の多い職種はおおむね賃金が安く、男性の多い職種(管理職とか)に女性も進出する、ということであったという。 それに対し日本は、会社のメンバーを募りメンバーはどんな職務内容でもやるというやり方。しかも賃金は労働者の生活を保障するべきものである、という生活給思想が根本にある。それは大正11年に呉海軍工廠の伍堂卓雄の発表した「職工給与標準の要」であるという。それは第二次大戦中、戦後の労働運動の中でも継承された。扶養手当の思想はここから始まっていたのだ。 そして85年に均等法ができるが、それは世界的に男女平等が進められた時代で、欧米はジョブ型に立脚して女性の雇用を進めたのに対し、日本は生活給という日本型雇用・会社のメンバーとして一丸で働くという立脚点で進められた点にねじれがある、というのだ。 日本型の女性労働の平等化は会社のためなら深夜でも外国でもいとわず、どんな仕事でもやります、という男性の土俵に女性も乗せるもの。均等法から30年、ワークライフバランスという言葉がむなしく響く。

7/20 : shiitake, 良い本。ハイパー知的刺激あった。

Chuko なお、『若者と労働』も含めて3冊まとめてのついーとがこちら。

https://twitter.com/ripplemirror/status/758651573740253184

メンバーシップ型社会(日本)とジョブ型社会(欧米)という切り口で新卒一括採用に批判的な内容だったが、この議論の主提唱者たる濱口桂一郎氏の議論を参照しているのか疑問符。若者にとってジョブ型社会の方が厳しいことは若者の失業率を一瞥すれば明々白々。

https://twitter.com/ripplemirror/status/758653249289269248

メンバーシップ型だからこそ白紙の若者でも企業が一定数採用し「OJT」を施している。この手の隣の芝生は青い的つまみ喰いこそ日本の労働問題を深刻化させている―というところまで「新しい労働社会」「若者と労働」「働く女性の運命」などを読めばわかるだろうに。

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平成28年度昭和女子大学生活心理研究所公開講座

平成28年度昭和女子大学生活心理研究所公開講座のポスターが届きました。

Showa

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人員問題の希薄化

今野さんのつぶやきから、

https://twitter.com/konno_haruki/status/758536763484712961

結局、業務量の問題である。効率や努力、あるいは「工夫」に問題をすり替えてはならない。

https://twitter.com/konno_haruki/status/758537556958949376

ワークライフバランスやらストレス対策やらをいって「有名」になっている人たちは、絶対に「業務量」を測定したり調査したりはしない。業務量が増えることは前提で、個々人のストレス管理を向上させたり、効率的な作業環境を追及する。本当に過労死や残業を減らしたいなら、「業務量」を分析すべきだ。

https://twitter.com/konno_haruki/status/758538192605765636

「業務量」が残業や過労死の本質的な問題だと、実は、専門家の多くは気づいている。だが「業務量を測定し、減らす努力をしよう」と唱えたところで、政府にも経済化にも「受けない」。だから、個々人のストレス管理やサマータイムなどの「効果検証」ばかりに熱心になる。学問も中立ではない。

ある意味その通りなのですが、とはいえ「業務量」はまさに業務サイドから決まってくるため、労働サイドでは「この業務は要らないだろう」というのはなかなか言いにくい面があるのでしょう。

とはいえ、業務量=人員×労働時間なのですから、過重労働を減らすためには人員を増やすしかないはず。そして、かつては結構労使交渉のテーマに人員の問題が取り上げられたりしていたのですが、それが希薄化してしまい、人員問題は専ら財務問題としてしか見られなくなってしまっている、という点が、むしろ考え直すべきことのように思えます。

「仕事が多いのは当たり前」に加えて、「人が足りないのも当たり前」になってしまったのはなぜか、メスを入れるとすればそのあたりなのではないか、ということです。

(ついでに)

ちなみに、先週紹介した船員法ですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/11472-bfad.html(1日14時間、週72時間の「上限」@船員法)

労働時間の上限や休息時間を規定するだけではなく、労働時間、休日と同じ章に定員まで規定しています。労働時間を守らせるためには、そこまでやるという一つの見識でしょう。

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO100.html

   第六章 労働時間、休日及び定員 

(労働時間)
  第六十条   船員の一日当たりの労働時間は、八時間以内とする。

(定員)
第六十九条   船舶所有者は、国土交通省令で定める場合を除いて、第六十条第一項の規定又は第七十二条の国土交通省令の規定を遵守するために必要な海員の定員を定めて、その員数の海員を乗り組ませなければならない。
2   船舶所有者は、航海中海員に欠員を生じたときは、遅滞なくその欠員を補充しなければならない。

第七十条    船舶所有者は、前条の規定によるほか、航海当直その他の船舶の航海の安全を確保するための作業を適切に実施するために必要な員数の海員を乗り組ませなければならない。

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小酒部さやか『マタハラ問題』

9784480068729 小酒部さやかさんの『マタハラ問題』(ちくま新書)をお送りいただきました。

実は、先日のこのエントリで、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/12research-365b.html (第1次ワークライフバランスと第2次ワークライフバランス@『JP総研Research』第34号)

つい名前をうろ覚えのまま、こんなことを書いてしまったのです。

そこのところはよくわかります。六法全書にどう書いてあろうが、現実の労働社会の「常識」-生きられた法-がそうなっていなかったのを、(いかに法律用語的に変であろうが)マタハラというインパクトのある言葉を打ち出すことで現実を、職場の男性たちの意識を揺るがしたではないか、という社会学的な意味では全く杉浦さんに同意します。

その上で、それを全部分かった上で、法律を扱う人はちゃんと分かってやってねという意味合いで書いた小文ですので、決してこの間杉浦さんや小谷部さんらを批判する意図ではありません。社会運動的には「マタハラ」という言葉は近来まれにみる成功を収めたコンセプトだったと思います。

もちろん、小酒部さんと書くべきところを小谷部さんと書いてしまったのです。それを見たある方が、本書を送っていただきました。

http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480068729/

働く女性が妊娠・出産・育児を理由に退職を迫られたり、嫌がらせを受けたりする「マタニティハラスメント(マタハラ)」。労働局へのマタハラに関する相談は急増し、いまや働く女性の3人に1人がマタハラを経験していると言われている。本書は「NPO法人マタハラNet」代表による「マタハラ問題」の総括である。マタハラとは何なのか。その実態は、どのようなものなのか。当事者の生の声から問題を掘り下げる。

やはり一番インパクトが強いのは、小酒部さん自身が経験した出版社での凄烈なマタハラぶりでしょう。直属上司のAもすさまじいですが、ある意味ではよくいるタイプの「粘土層」とも言えます。企業戦略という意味で大きな問題は人事部長の発言ぶりでしょうね。彼女の経験が描かれた第1章は、下手な小説も顔負けの生々しい発言がこれでもかこれでもかと出てきます。

本書を読んで改めて、「社会運動的には「マタハラ」という言葉は近来まれにみる成功を収めたコンセプトだった」と感じ入りました。

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早川英男『金融政策の「誤解」』

41edvkecfml_sx336_bo1204203200_ ある方から、この本の中でhamachanの議論がかなり引用されていると教えられていたので、たまたまそのことを思い出し本屋で手に取りました。

http://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766423563/

▼緩和一辺倒の政策手段から、いかに脱却するか

黒田東彦日銀総裁が遂行する「異次元緩和」政策は、目標に掲げたインフレ率2%の達成・維持と経済停滞からの脱却に至らないまま、「マイナス金利」という奥の手を導入した。この先の政策運営に暗雲が漂い始めているなか、日銀きっての論客と言われた筆者が、日銀を退職後、ついに沈黙を破って持論を開陳する注目の書!

日銀は何ができて、何ができないのか ――

という風に、基本的にはいわゆるリフレ派批判の本です。例の「りふれは」の汚らしい怪しげな振る舞いを批判した本ではなく、まっとうな「リフレ派」の議論を経済学の土俵で批判している本ですのでお間違えのないよう。

なので、通常は私とはフィールドが違うので、私が本屋で手に取ることはない種類の本なのですが、ある方から言われていたのを思いだしてぱらぱらとめくってみると、「第4章 デフレ・マインドとの闘い」の「2 「日本的雇用」とデフレ・マインド」の中に、「メンバーシップ型雇用の呪縛」という項があって、まさに私の議論が引用されておりました。

端的に言うと、人手不足になっても労働組合が賃上げに及び腰なのはメンバーシップ型雇用の呪縛によるものだという議論です。

振り返ってみると、本ブログでも過去に何回か早川さんの書いたものを紹介していました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-2ce5.html (富士通総研早川英男氏の「今こそ「日本的雇用」を変えよう」)

読んでいくと、どこかで見たような記述がいっぱい出てきます。

というか、こういうのを見ると金子良事さんあたりはまた「hamachanの影響力おそるべし」とか云ってからかうんでしょうけど。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/34-7fa3.html (富士通総研早川英男氏の「今こそ「日本的雇用」を変えよう」(3)(4))

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副業・兼業と労働法上の問題@WEB労政時報

WEB労政時報に「副業・兼業と労働法上の問題」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=557

ロート製薬が副業を容認するなど、最近また労働者の副業・兼業が話題になっています。政府機関でも、今年3月11日の経済財政諮問会議で、有識者議員4人(伊藤元重、榊原定征、高橋進、新浪剛史)から提出された「600兆円経済の実現に向けて~好循環の強化・拡大に向けた分配面の強化~」が、「生産性の高い働き方の実現」の②として「兼業・副業の促進」を掲げています。

・副業を希望する者は、近年増加(2012年合計368万人)。低所得者層と、男性の中高所得層で兼業・副業の意向を有する者が多くみられることから、所得を向上する観点と、高い技能を活かす観点の双方の理由があることが示唆される。
・後者について企業の中には兼業・副業を容認する動きもある(図表26)。キャリアの複線化、能力・スキルを有する企業人材の活躍の場の拡大や大企業人材の中小企業・地域企業での就業促進などの観点から、積極的に兼業・副業を促進してはどうか。・・・・・

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平成28年度昭和女子大学生活心理研究所公開講座

平成28年度昭和女子大学生活心理研究所公開講座の案内がアップされているようなので、こちらでも宣伝。

http://content.swu.ac.jp/shinriken-blog/

今年度の公開講座のテーマは、「若者・しごと・支援」です。一般の方々、専門職の方々等、たくさんの方のご参加をお待ちしております。

第1回目 10月8日(土)14:00~16:00
日本の若者と労働
独立行政法人労働政策研究・研修機構 濱口 桂一郎 先生

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1日14時間、週72時間の「上限」@船員法

先日都内某所である方にお話ししたネタですが、どうもあんまり知られていなさそうなのでこちらでも書いておきます。といっても、六法全書を開ければ誰でも目に付く規定なんですが。

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO100.html

労働時間を定めているのは労働基準法、というのが陸上の常識ですが、海上では船員法です。

労働時間の原則は労基法と同じですが、

(労働時間)

第六十条  船員の一日当たりの労働時間は、八時間以内とする。

2  船員の一週間当たりの労働時間は、基準労働期間について平均四十時間以内とする。

時間外労働には3種類あります。「船舶の航海の安全を確保するため臨時の必要があるとき」(第64条1項)、「船舶が狭い水路を通過するため航海当直の員数を増加する必要がある場合その他の国土交通省令で定める特別の必要がある場合」(同第2項)、そして労基法36条と同じく「その使用する船員の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、船員の過半数で組織する労働組合がないときは船員の過半数を代表する者との書面による協定をし、これを国土交通大臣に届け出た場合」(第64条の2)です。

この3種類の時間外労働のうち、はじめのもの、つまり「船舶の航海の安全を確保するため臨時の必要があるとき」については性質上上限はないのですが(これ以上働けないからと言って船を危険にさらすわけには行かない)、あとの二つについては法律上の上限が規定されています。

(労働時間の限度)

第六十五条の二  第六十四条第二項の規定により第六十条第一項の規定又は第七十二条の国土交通省令の規定による労働時間の制限を超えて船員を作業に従事させる場合であつても、船員の一日当たりの労働時間及び一週間当たりの労働時間は、第六十条第一項の規定及び第七十二条の国土交通省令の規定による労働時間並びに海員にあつては次項の規定による作業に従事する労働時間を含め、それぞれ十四時間及び七十二時間を限度とする

2  第六十四条の二第一項の規定により第六十条第一項の規定又は第七十二条の国土交通省令の規定による労働時間の制限を超えて海員を作業に従事させる場合であつても、海員の一日当たりの労働時間及び一週間当たりの労働時間は、第六十条第一項の規定及び第七十二条の国土交通省令の規定による労働時間並びに前項の規定による作業に従事する労働時間を含め、それぞれ十四時間及び七十二時間を限度とする

3  船舶所有者は、船員を前二項に規定する労働時間の限度を超えて作業に従事させてはならない。

4  第六十四条第一項の規定により船員が作業に従事した労働時間は、第一項及び第二項に規定する労働時間には算入しないものとする。

さらに、船員法には休息時間という規定もあります。

(休息時間)

第六十五条の三  船舶所有者は、休息時間を一日について三回以上に分割して船員に与えてはならない。

2  船舶所有者は、前項に規定する休息時間を一日について二回に分割して船員に与える場合において、休息時間のうち、いずれか長い方の休息時間を六時間以上としなければならない。

もっとも、EUの陸上の労働時間規制と違って、1日最低連続11時間というわけではなく、1日2回まで分割してもいいというかたちです。1日の労働時間の上限が14時間ですから、休息時間を1日で計10時間とすると、5時間と5時間ではダメで、せめて6時間と4時間にしろということになりますね。

いろいろな意見があると思いますが、何にせよ海上ではこういう法律に現に存在しているということは、陸上の労働法を論じる人々も頭の片隅には置いておいた方が良いようにも思われます。

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労働法の立法過程-三者構成審議会

厚生労働省が「働き方に関する政策決定プロセス有識者会議」を開催するそうです。

http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi2/0000130984.html

平成28年7月26日(火)16:00~18:00に、一回目を開くとのこと。

一昨日の日経に、背景も含めて報じられていました。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASGC21H0Z_R20C16A7EE8000/ (労政審見直しへ有識者会議 厚労省、非正規労働者の声反映)

厚生労働省は21日、労働政策に関する厚労相の諮問機関「労働政策審議会(労政審)」のあり方などについて考える有識者会議を設けると発表した。増加を続ける非正規労働者などの声を政策決定に反映しやすくする。来年4月の委員改選の時期までに改革案をまとめる。

労政審は公益、労働者、使用者を代表する有識者各10人で作る。新たに設ける有識者会議は「働き方に関する政策決定プロセス有識者会議」。元厚労事務次官の村木厚子氏や、日立製作所会長の中西宏明氏ら13人が参加する。

労政審の見直しのために有識者会議を設けるやり方には「屋上屋を架すようなもので、民間企業ではあり得ない」と疑問視する声もある。

26日に第1回の会合を開く。塩崎恭久厚労相は6月の閣議後の記者会見で「色々な働き方をしている人たちの声がきちんと政策に反映されることが大事」と述べ、労政審の委員構成などを見直す考えを示していた。

この問題を考えるためには、まずは労政審の三者構成がどういう歴史的経緯の上に成り立ってきているかを知る必要があります。

この問題についてはじめに話をしたのはもう11年前になります。2005年10月に国会図書館の調査及び立法考査局で「行政機関における政策形成過程-労働法制を中心に」というテーマで講演したのが最初でした。

http://hamachan.on.coocan.jp/ndl.html

その後、経済財政諮問会議や規制改革会議でいろいろ論じられるようになり、2007年8月に連合に呼ばれてお話ししたのがこれです。

http://hamachan.on.coocan.jp/rouseishin.html (「労働法の立法過程-三者構成審議会」)

やたらに長いですが、一部だけコピペしておきます。

労働法の立法過程の特徴といえば、三者構成原則ということになるが、その歴史や意義については必ずしも明確に認識されているとは言いがたい。近年、内閣府の経済財政諮問会議や規制改革会議から、三者構成原則に対する疑問や批判が投げかけられているが、これに的確に反論するためにも、ここではまず、日本におけるその形成過程、展開過程、そして最近の変容過程を、具体的な例をお示ししながら、歴史的に振り返って説明していきたい。

Ⅰ 日本における三者構成原則の展開

1 ILOにおける三者構成原則の形成とその日本への影響

 そもそも政労使三者構成なる制度が世界に登場したのは、第1次大戦後にその処理を行うためにパリ郊外のヴェルサイユで開かれたパリ平和会議においてであった。この大戦において、日本が連合国の一員として参戦し、アメリカ、イギリス、フランス、イタリアと並ぶ五大強国の一つとして平和会議に参加した。日本の全権代表は西園寺公望侯爵、牧野伸顕男爵ら5人であった。平和会議には問題ごとに委員会が設置され、その一つとして国際労働立法委員会が設けられた。日本からは前農商務省商工局長で工場法制定時の担当局長である岡実ら2人が委員として入り、当時ロンドンに出張していた工場監督官で後に内務省社会局監督課長を務める吉阪俊蔵が補佐についた。

 各国からはサムエル・ゴンパースAFL会長(米)やレオン・ジュオーCGT書記長(仏)のような労働界の大立者が参加していた。ゴンパースが議長となり、イギリス提案の原案をもとに、労働条件の国際規制を促進するための常設機関を設置するための条約に向けて、審議が進められた。その中で特に議論となったのは国際労働総会に出席する代表の議席配分で、結局政府2名2票、労使各1名1票という案に落ち着いた。

 ところが、日本の方はそれ以前の問題があった。誰が労働者代表になるかという問題である。岡代表は「労働組合も使用者団体もない国ではどう選定すればよいのか」と質問している。1900年に治安警察法を制定して労働組合活動を抑圧していた政府では、(内務省内部に改革への志向が生まれ始めてはいたが)なお国際機関に労働組合を公的な代表として送るなどという発想は欠如していた。1919年6月、ヴェルサイユ平和条約が調印され、これに基づき同年10月、ワシントンで第1回ILO総会を開催することが決まった。

 さあ、労働者代表を選定しなければならない。条約第389条は加盟国に、「使用者又は労働者をそれぞれ最もよく代表する産業上の団体がある場合は、それら団体と合意して選んだ民間の代表及び顧問を指名する」ことを求めている。ところが政府は、わが国には未だ代表的な労働団体が存在しないとの見地に立って、総員75名(うち労働組合5名、残りは工場等の代表)の労働者代表選定協議委員会を設け、第3候補であった鳥羽造船所技師長の桝本卯平を選定した。ところがこれに対して労働組合側の反発は猛烈で、またILO総会でもその資格が問題となり、政府代表がわが国産業の実情を説明して何とかくぐり抜けた。

 第2回総会は海事総会で、逓信省が海員組合の代表を選定したので問題は起きなかった。第3回総会では政府が任命した松本圭一が自ら、条約第389条違反として自らの資格を否認されんことを求めるという異常な事態となったが、政府の弁明で何とか乗り切った。第4回、第5回総会でも同様の事態が続き、条約に従って選定すべしとの総会決議が繰り返された。

 こういう状況が、実は労働問題の主管官庁の変化の背後にあった。第3回総会でひどい目にあった農商務省は第4回総会を外務省に押しつけ、国際労働問題の主管官庁がないということを曝露した。当時農商務省の工場監督官として工場法の施行に当たっていた若き日の河合栄治郎は、この問題で上層部と対立し、「官を辞するに当たって」を朝日新聞に発表して農商務省を辞職した。結局、農商務省は国際労働問題を嫌ってこの問題をほっぽり出したと解釈され、農商務省は労働問題に熱意がないという印象を与えた。当時の水野内相は、労働問題のような大きな問題の所管が各省で分かれ、権限を奪い合ったり押しつけ合ったりしているのは遺憾なりとして、内務省に労働問題を統一的に所管する社会局を新設するという案を提出し、農商務省も労働問題を忌避した実績から反論できず、容易に閣議決定に至ったという。このとき労働問題をやりたいと農商務省に入っていた若手は一斉に社会局に異動した。

 新生内務省社会局は、労働組合のみを労働者代表の選定に参加させ(組合員1000人当たり1票)、日本労働総同盟会長鈴木文治を代表に選出した。これは、日本政府が少なくとも国際的には労働組合を含む三者構成原則を受け入れたことを意味する。ところが、日本にはまだ労働組合法がなく、三者構成原則の法的基盤が確立されていなかった。内務省社会局の課題は労働組合法の制定であったが、先進的な社会局案が政府部内で骨抜きとなり、議会までいっても若槻内閣時には衆議院で、濱口内閣時には貴族院で審議未了廃案となり、遂に制定に至らなかった。・・・

2 終戦直後の立法期における三者構成原則の急速な確立

3 日本的三者構成システムの展開

4 規制緩和の波と三者構成原則

5 直近の労働立法と三者構成原則-ホワイトカラーエグゼンプション

6 直近の労働立法と三者構成原則-就業規則の不利益変更

Ⅱ 三者構成原則の基盤としての二者構成労使自治原則

1 二者構成労使自治原則

 そもそも、マクロな労働政策決定における三者構成原則の基盤はミクロな二者構成原則、すなわち労使自治原則である。ミクロレベルで、利害が対立する労使当事者同士がカードを出し合い、どの措置がどちらにとって得でありどちらにとって損であるかということを明確に認識しあった上で、一方的にいずれかが得をし他方が損をするのではない形で妥協に達することを目指して交渉するという能力があることが前提である。

 他の社会集団には、このような二者構成的集団的自治の能力は認められていない。他の利益集団はすべて、特定の利害を代表する集団がそれ以外の一般社会ないし政治的意思決定過程に対して自分たちの利害を主張し実現を目指すというものに過ぎない。これは典型的な圧力団体モデルであり、それゆえミクロに自律した二者構成的自治とは全く異なる。もちろん、当該利益集団内部においては自治原則が働くが、それはあらゆる集団共通のものに過ぎない。問題は利害の明確に対立する二者による自治が存立しうるか否かである。ここが擬似的三者構成システムと真正の三者構成システムの違いである。医師ないし医療関係者と患者集団の間に二者構成的自治は存立し得ない。政府の診療報酬決定という公的メカニズムの上に、利害関係者としてそれらが擬似的に三者構成的に座席を与えられているに過ぎない。

 それに対して、労働関係の三者構成原則とは、本来自律的に決定能力を有する労使という二者構成の集団的自治に公的な権限を付与したものである。このことが明確に示されているのが、労働協約の一般的拘束力制度と最低賃金の三者構成的決定制度であろう。この両者は実は内容的にはほとんど同じものである。実体的にはそれは労使の賃金交渉と政府の公権力行使の組み合わせである。中味を決めるのは労使という自律的利害対立集団であり、そこで成立した妥協に法的拘束力を付与するのが政府の役割となる。

2 欧州諸国における二者構成原則と三者構成原則

3 EUにおける労使立法システム

4 差別禁止立法における集団的自治の困難性

5 三者構成原則への政治的攻撃の思想的基盤

6 参加民主主義としての労使自治

Ⅲ 集団的労使関係原理の再構築

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伍賀一道・脇田滋・森﨑巌編著『劣化する雇用』

14696伍賀一道・脇田滋・森﨑巌編著『劣化する雇用 ビジネス化する労働市場政策』(旬報社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.junposha.com/catalog/product_info.php/products_id/1096?osCsid=ubhfoob816sggmjfdn46qnrfg3

拡大する人材ビジネス、商品化する労働者
「失業なき労働移動」を謳う労働市場の変容と実態をとらえ、
労働市場政策のあるべき方向性を提言する

「労働市場政策のあり方研究会」の議論をまとめたものということで、他に後藤道夫、河村直樹、秋山正臣、藤田和恵、津川剛、中村和雄といった方々が執筆しています。

スタンスは人材ビジネスの拡大に対して雇用の劣化をもたらすとして警告を発する立場で、それはそれでありうると思います。むしろ、ILO始め、かつての世界共通のスタンスであったわけですから、そういう議論自体は不思議ではないと思います。

ただ、本書を読んでいって大変違和感を感じたのは、そういう人材ビジネス拡大とは一応別次元の、ジョブ・カードなどのいわゆる職業能力の見える化政策に対しても極めて懐疑的なスタンスをとっていることでした。

公的な技能検定に基づいて、労働者個人の職種と職業能力に基づいた労働市場という理念は、かつて高度成長期には高く掲げられていましたが、1970年代以降は企業中心の社内人材育成が中心となり、見捨てられていった、と言うことは繰り返し述べてきたところですが、どうも本書のスタンスからは、そういう公的な労働市場機構を確立するということにもあまり積極的でないようです。

雇用が劣化するのは人材ビジネスが悪いからだけなのか、日本型雇用システムを堅持していれば万事丸く収まるのか、という観点からすると、内部労働市場さえあればOKというはずはないのであって、正しい意味での外部労働市場政策の確立が必要だという議論が出てきてもいいと思うのですが、そういう積極的な方向性を指し示す面がいささか弱いように感じました。

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産別最賃は再生できるか?

1607_cover情報労連から機関誌『情報労連REPORT』7月号をお送りいただきました。特集はズバリ「同一労働同一賃金 格差是正をもっと前へ」。

http://ictj-report.joho.or.jp/1607/

特集記事は以下の通りで、おおむねおなじみの皆様によるものですが、

処遇全般を含めて雇用形態間における均等待遇の実現をめざす 安永貴夫 連合副事務局長

正社員とパートタイマーの「宿命」の違いに目を向けて 渋谷龍一 労働ジャーナリスト

「同一労働同一賃金」は「ブラック企業」で働く正社員の処遇を底上げする 今野晴貴 NPO法人POSSE代表

労働契約法20条違反で初の判決 労使に与える影響は? 宮里邦雄 弁護士

「同一価値労働同一賃金」へ「基本給」に踏み込んだ議論を 浅倉むつ子 早稲田大学教授

職務評価の導入こそ格差是正の国際スタンダードだ 遠藤公嗣 明治大学教授

産業別最低賃金の引き上げが「底上げ」の次なる突破口になる 神吉知郁子教大学法学部 国際ビジネス法学科 准教授

1607_sp07_face_2この中でトピックとしてひと味違っているのが最後の神吉さんの文章です。え?いまどき産業別最賃?と思った人も多いでしょうが、賃金論の根っこを論じようとすれば、そこに一つの論点があるのも確かです。

http://ictj-report.joho.or.jp/1607/sp07.html

・・・そこで私は、産業別という規模に注目しています。産業という規模は、国と個別企業の間に位置します。産業規模であれば、個別企業の雇用保障問題とは一定の距離を保てます。また、国のように、ターゲットが広がりすぎて利害が拡散することもありません。このように、産業という規模は、適度な規模感で賃金底上げに役割を発揮することが期待できます。

その際、産別最賃は、地域別最賃の「代わり」になる必要はありません。その産業の労働者のために、公正な賃金を追求することを目的とすべきです。そもそも最賃には、セーフティネットや公正競争、経済発展などさまざまな目的があり、どのような水準が適切なのかを判断することが困難です。これがネックになって、長年、地域別最賃の引き上げは、従来の金額にプラス何円という議論しかできませんでした。生活保護との逆転現象解消という最賃引き上げのエンジンが弱まりつつあるなか、目的とターゲットを絞りこむことが、突破口となるはずです。

・・・高い最賃をアピールできれば、良い人材が集まり、労働者のモチベーションも向上し、企業の業績もアップするという好循環を生み出すことが可能です。企業の支払い能力にとらわれて、低賃金で労働者を使い続けることは、その産業にとって長期的に見ればマイナスです。

そのことを実証するためにも、産業の労使には、一度、思い切って産別最賃を引き上げることを提案します。そのうえで、当該引き上げがどのような属性の労働者にどのような好影響・悪影響が生じたかを検証していただきたいのです。最賃引き上げの実証研究は、日本ではほとんどありません。実は、最賃引き上げによる影響が誰にどの程度及ぶのかよくわからないまま、雇用の減少を心配して抑制的になっているのが現状です。変数が多すぎる地域別よりも、産業ごとに分析したほうがクリアな分析ができます。実際にアメリカでは産業別の実証研究が重ねられ、政策に生かされています。

日本で産業別最賃の大幅な賃上げを実現し、その影響がフィードバックされてきちんと分析されれば、それがモデルケースとなり、地域別最賃引き上げの次なる突破口になるはずです。労使が主導する産業別最賃の意義を再確認することが、底上げの実現になるのです。最賃引き上げが経営や経済全体にとってもプラスであることを示すためには、具体的な成功例が何より有効ではないでしょうか。産業別労組こそそれを実践できる主体として、皆さんに大いに期待しています。

産別最賃の歴史を振り返ると、なかなかそう楽観的な議論をしにくいのも事実ですが、二つに分断された賃金論を結合する道がそこにあるのも確かなので、この議論は是非深めていってもらいたいところです。

(参考)

最低賃金と業者間協定(『生産性新聞』2016年2月15日号)

http://www.jpc-net.jp/paper/zokunihonjinji/20160215zokunihonjinji.pdf

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池田心豪さんが拙論文を紹介

96958a9f889de2e6e5eae4e2e4e2e3e1e2e JILPTのイケメンかつイクメンとして有名な(?)池田心豪さんがここのところ日経新聞に連載記事を書かれているのですが、最近のそれで、わたくしの『日本労働研究雑誌』7月号に寄稿した論文を紹介していただいています。

http://style.nikkei.com/article/DGXMZO04786060T10C16A7TY5000

記事の半分近くを拙論文の紹介に充てていただいておりまして、恐縮至極でありますが、

・・・政策の歴史を解説した濱口桂一郎氏の論文によれば、非正規雇用問題の源流は戦前の臨時工に遡ることができる。だが、戦後に臨時工が減り、代わってパートが増えるとその低い待遇が問題にされなくなる。理由は臨時工が成人男性の問題として認識されていたのに対し、パートは家計補助的な主婦の働き方とされていたことによる。また事務職の登録型派遣は結婚退職した女性がその後に就くことを想定して制度がつくられたという。

アルバイトはもともと学生の働き方であったが、フリーターが増えても正社員の賃金が低い若年期はあまり問題にならなかった。しかし、年齢を重ねてなお低賃金に留まる年長フリーターが増え、若い男性の「派遣切り」が社会的関心を集めたことを機に非正規雇用は政策的な問題となった。

主婦パートの低賃金・不安定雇用が問題にならないのも男性の年長フリーターや派遣切りが問題になるのも、ともにジェンダー・バイアスに満ちた話なのだ。

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同一労働同一賃金の実現に向けて@経団連

経団連が満を持して(?)「同一労働同一賃金の実現に向けて」という提言を公表しています。

http://www.keidanren.or.jp/policy/2016/053.html

http://www.keidanren.or.jp/policy/2016/053_honbun.pdf

日本と西欧の賃金制度や雇用慣行がいかに違うかというところから説き起こし、欧州型ではなく「日本型」同一労働同一賃金原則を目指すべきと論じています。

賃金制度や雇用慣行についての事実認識はほぼ正確と言って良いと思います。この問題を論じる時に、うかつに「いやあ、欧米も日本に似てきてるんだよ」みたいな表層的な議論に乗っかると、とんでもない話になりかねませんから、ここは適切です。

その上で、その論じる非正規従業員の総合的な待遇改善の策がどう評価されるかは、これからの議論の行方を注意深く観察していきたいと思います。

この提言を書いた方は、おそらく将来の姿としては、「おわりに」で述べられている

・・・①勤務地および職種が限定され ない「就社型従業員」には「将来の仕事・役割・貢献度の発揮期待」を加味し て処遇する一方、②自らの希望により、職種を限定して専門性を高めていく、 「就職型従業員」は「現在の仕事・役割・貢献度」で処遇する、という考え方 が広がっていくことも考えられる

という姿をあるべき姿と思い描いているのではないかと想像されますが、現段階ではあくまでも、

・・・現場の混乱 を避けるべく現時点でのわが国の雇用慣行に十分に留意した日本型同一労働同 一賃金のあり方についてまとめた

というスタンスでこの提言をまとめたということなのでしょう。

今後、連合はじめ労働団体や他の関係者がどのような反応をするか、注目されます。

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Yukiさんの拙著評

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 Yukiさんの「Where there's a will, there's a way.」というブログで、拙著『働く女子の運命』への短評が書かれています。

http://blog.goo.ne.jp/yuki_523/e/c2b8e1b5b359721ecb97e0b885140f09

タイトルに「女子」と書かれていますが男性の労働についても取り上げられていますし、男性にも読んでほしい1冊。・・・・・

はい、それはもちろん、女性の皆様に読んで欲しいのはもちろんですが、(オビの顔にめげずに)日本の労働問題を突っ込んで考えたい男性諸氏にも是非とも読んで欲しい一冊として書きました。

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「雇用保険制度と年齢」@『エルダー』2016年7月号

Elder 『エルダー』2016年7月号に「雇用保険制度と年齢」を寄稿しました。

高齢・障害・求職者雇用支援機構(JEED)のサイトに雑誌の全文がアップされています。

http://www.jeed.or.jp/elderly/data/elder/201607.html

http://www.jeed.or.jp/elderly/data/elder/q2k4vk0000008was-att/q2k4vk0000008wd6.pdf

 日本の労働法政策の転換点は1974年末の雇用保険法(失業保険法の改正)であり、とりわけ雇用調整給付金(後に雇用調整助成金)がその象徴ですが、実は失業給付という本体においてもこの転換が起こっていました。今日に至るまで制度の根幹をなしている年齢階層別の給付日数という制度設計が、この法改正によって導入されたのです。

 もともと1947年に失業保険法が制定されたときには、適用においても給付においても年齢などという要件は一切存在していませんでした。原則として全ての労働者について一律に、6か月の被保険者期間があれば180日分の給付が支給されるという簡素な作りだったのです。その後半年働けば半年寝て暮らせるデカンショ保険などと批判されたため、1955年には給付日数を被保険者期間に応じて90日から270日まで段階化する改正が行われましたが、依然として年齢という要件は一切ありませんでした。

 日本型雇用システムの下においては若年層に求人が殺到し、中高年層は著しく就職が困難になるという現象は当時から今日に至るまで何ら変わりません。しかし、1960年代を中心とする「職業能力と職種を中心とする近代的労働市場」を目指した時代においては、だから年齢の高い層の失業給付を手厚くしようというような発想は労働行政にはみられませんでした。

 年齢と給付日数をリンクさせるという考え方を最初に提起したのは1962年の社会保障制度審議会答申・勧告です。「できる限り保険料と給付との比例関係を排し、保険料は能力に、給付は必要に応じる方向に進むべき」、特に「中高年齢層で受給期間中に就職できない者の場合等には実情に即した日数の延長が必要」等と論じていましたが、労働行政は長い間その考え方を採用しませんでした。しかし1973年に開かれた失業保険制度研究会において、当時の同盟が「給付日数は・・・年齢別に検討すべき」と主張し、報告書に「年齢等の就職の難易度に応じて給付日数を定める」と盛り込まれ、紆余曲折の結果1974年末に成立に至ったわけです。これにより給付日数は、30歳未満は90日、30~45歳未満は180日、45~55歳未満は240日、55歳以上は300日とされました。最後の枡目は「55歳以上」であって、上限はありませんでした。

 興味深いのは当時の総評・中立労連がこれを「保険原理の否定」だと批判していることです。担当局長による遠藤政夫『雇用保険の理論』(日刊労働通信社、1975年)では、「このような考え方は保険料負担と保険給付をできるだけ対応させようとする私保険的な考えであり、これに対して雇用保険の考え方は、必要に応じて手厚い給付を行うという社会保障の理念に沿ったものである」と反論しています。

 ところが、その「私保険的な考え」が10年後の1984年改正で再度導入されました。給付日数は年齢階層と被保険者期間の両方によって決まるマトリックス方式になったのです。その際に年齢区分の上限も65歳に設定され、最後の枡目は55歳~65歳未満となりました。そして、65歳以上の者に対しては高年齢継続被保険者として高年齢求職者給付金という一時金を支払うこととし、65歳以上で新たに雇用された者は適用除外とされたのです。その経緯を当時の解説書(加藤孝『改正雇用保険法の理論』財形福祉協会)で見ると、1983年4月27日付け北日本新聞の投書が載っていますが、これが当時の高齢者に対する一般的なまなざしであったことがうかがわれます。

 先日、私の友人は、ある工場で定年まで働き、その後もアルバイトとして68歳まで勤めましたが、寄る年波に勝てず、これが限界だと辞め、失業保険の手続に職安に行って驚いたという。それは、再就職の手続をとってくれといわれたことです。限界を知って辞めたので、他の会社で働くのなら辞める必要もない。以下に高齢者雇用といっても、人生の定年にまでいくらもない老人を、どこの企業が採用してくれるのか、…などと話したが「これは規則だから、一応書いてくれ」とのことだったという。こんな規則は、定年前の人に適用されても、68歳の老人に適用されるものか? 行革問題がやかましい折、こうした決まりが、高齢者に適用される行政に疑問を感じる。…

 こうした流れをみてくると、私保険的かどうかという理念よりも、現実の労働市場が年齢によって大きく条件付けられているという事実に対応することが制度改正の最大の動因であったことが窺われます。その意味で、年齢に基づく雇用管理を基軸とする日本型雇用システムを所与の前提とし、それに即した形で制度設計をするという点で、雇用保険制度は一貫して内部労働市場型であり続けているとも言えます。

 この1984年改正は、65歳前から引き続いて65歳以降も雇用されている者を一般被保険者ではなく高年齢継続被保険者として、一時金である高年齢求職者給付金を支給することとしました。また、65歳以上で新たに雇用された者は原則として被保険者とならないこととされました。これは、65歳以上の高齢者は労働生活から引退する者が大半であり、強制保険を65歳以上の者についても適用することは実態に合わない、という理由です。30年前の常識からすれば、確かにそうであったのでしょう。なおこの時に、雇用保険法で導入された保険料が免除される高年齢者について、60歳以上から64歳以上に引き上げられました。

 今年3月の雇用保険法改正では、失業者のセーフティネット確保の観点から、新たに65歳以上に雇用される者についても雇用保険の対象とされました。ただし、1984年改正前に戻すのではなく、同改正で導入された高年齢者求職者給付金の対象とするというやや中途半端な改正です。また高年齢者に対する保険料免除も経過措置つきで原則通り徴収することとされました。

 こうみてくると、年齢に基づく雇用システムが労働力人口の高齢化と矛盾を来しているその最前線においては、対症療法的にかつて導入された周辺的制度における年齢基準を解消しつつあるとはいえ、制度の根幹においてはなお年齢基準が維持され続けていることが分かります。これが今後どのような方向に向かっていくかは、日本型雇用システムの動向と密接に絡んでいるはずです。

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『諸外国における非正規労働者の処遇の実態に関する研究会報告書』

Jiljil_2厚生労働省の要請に基づき、労働政策研究・研修機構がとりまとめた『諸外国における非正規労働者の処遇の実態に関する研究会報告書』がアップされました。

http://www.jil.go.jp/foreign/report/2016/0715_03.html

http://www.jil.go.jp/foreign/report/2016/pdf/0715_03.pdf

本調査は、厚生労働省の要請に基づき、EU、ドイツ、フランス、イギリス、韓国、アメリカにおける非正規労働者(パート・有期・派遣)の処遇に関する法規制と実態について調査したものである。

お忙しい方は、とりあえず総論だけでも目を通して下さい。

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大卒の採用は全く自由、少なくとも法律上は

日経に載ったこの記事に、

http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS12H3S_S6A710C1EE8000/(文科省などインターン実態調査へ 採用との関係焦点)

文部科学省、経済産業省、厚生労働省は12日、学生が参加するインターンシップ(職業体験)の推進に向けた検討会の初会合を開いた。検討会は年内にインターンを通じた企業の採用活動の実態や教育効果を調査する。中小企業はインターンを通じた採用活動を認めるよう求めており、検討会での論点の一つになる。

検討会には経団連と経済同友会、日本商工会議所も参加した。

こんな意味不明の一節があるのですが、

現在は経団連が定める企業紹介の解禁日前に、インターンで得た学生の情報をもとに採用活動をすることは認められていない。

はぁ?

認めるも認めないも、そもそも大学生の就職採用に関しては、中学生や高校生と違って、労働市場法制上の規制としては、いかなる規制も存在しませんが。

「認められていない」って、誰がどんな権限で?

立派な大人であり、自らの職業人生設計を自らの責任で考える十分な能力を持っているはずの大学生が、インターンシップを通じて自らの就職活動をしようとすることを、禁止したり規制したりする権限は、少なくとも実定法上はいかなる政府機関にも団体にも存在しないはずです。あるというのなら示していただきたい。

とにかく、日本では、法律で禁止、規制されていることと、そうじゃなくて単に世の中の慣行でそうなっているとか、法的根拠のない申し合わせでそうしているだけみたいなこととの区別がつかない人が多すぎる。

(追記)

Kyoiku_mondai_04こういうばかげた発想が平然とまかり通る理由として、矢野眞和さんの指摘するニッポンの大学の習慣病である18歳主義、卒業主義、親負担主義があるのでしょう。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-e936.html

1.新入生が若者ばかりなのは当たり前?(18歳主義)

2.学生も大学も卒業ばかりを重視するのは当たり前?(卒業主義)

3.高い授業料を親が負担しているのは当たり前?(親負担主義)

いいえ、この3つの当たり前こそ、
ニッポンの大学をダメにしている「習慣病」!!

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団体交渉と社会保険労務士@WEB労政時報

WEB労政時報に「団体交渉と社会保険労務士」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=551

 最近、社会保険労務士(以下「社労士」)をめぐる話題が絶えません。「社員をうつ病に罹患(りかん)させる方法」と題する文章をブログに掲載した社労士については、業務停止3カ月の懲戒処分を受け、本人はその取り消しを求めて提訴しているようですが、これはさすがに人間性を疑わせるもので、擁護の余地はないでしょう。

 しかし、社労士の行為をめぐっては、より深刻な論点が浮上してきています。それは、社労士は団体交渉にどこまで関与することができるのか、という問題です。最近では5月13日に、連合の逢見事務局長が山越労働基準局長に「正常な労使関係を損なう社労士の不適切な行為の是正を求める要請書」を手渡しています。

 この問題の根源は1968年に社労士法ができた時点にさかのぼります。昔の社労士法には「社会保険労務士業を行う社会保険労務士は、法令の定めによる場合を除き、労働争議に介入してはならない」(23条)という規定がありました。当時・・・・・

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連合は8勝4敗

昨日の参議院選挙、政治学者や政治評論家とは違った角度から、すなわち労働組合の組織内候補がどれだけ当選し、落選したかという観点から見ると、比例代表区に出馬した連合の各単産の組織内候補者12人は、8勝4敗という結果に終わったようです。

まだ票数の数字が確定していませんが、当選者は確定しているようなので、朝日の開票速報サイトからコピペしておきます。

http://www.asahi.com/senkyo/senkyo2016/kaihyo/C01.html

小林 正夫 268,317 電力総連
浜口 誠 265,756 自動車総連
矢田 稚子 213,323 電機連合
川合 孝典 193,945 UAゼンセン
難波 奨二 190,876 JP労組
江崎 孝 183,618 自治労
那谷屋 正義 175,756 日教組
石橋 通宏 170,338 情報労連(以上当選)

田城 郁 113,182 JR総連
藤川 慎一 112,070 JAM
轟木 利治 107,780 基幹労連
森屋 隆 101,652 私鉄総連

それぞれの方については連合のここにまとめられていますので参考のこと。

https://www.jtuc-rengo.or.jp/saninsen24/

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『DIO』317号

Dio 連合総研の機関誌『DIO』317号をお送りいただきました。今月号の特集は「これからの時代の職業能力開発・ キャリア形成について考える」です。

http://rengo-soken.or.jp/dio/pdf/dio317.pdf

生涯現役社会実現のための能力開発を考える 藤村 博之

介護分野における人材育成・キャリア形成 大木 栄一

非正規雇用者の職業能力開発機会を確保するために何が必要か 原 ひろみ

また、先日ご紹介した『派遣労働における集団的労使関係に 関する調査研究報告書』の概要も載っています。

しかしここでは、書評欄に載ったある本を。杉山豊治さんが、イアン・ゲーリー『通勤の社会史』を紹介していて、これがなかなか面白そうなんですね。

特に第3部の通勤の未来というところ。

Dio_3 ・・・通勤を不要にするための技術に大き く貢献したIT産業であるが、むしろ 物理的な通勤に重きを置き、そうした 企業の多くが在宅勤務制度を掲げなが らも、その制度を活用することについ ては奨励していないことが語られる。

・・・こうした事例(=ツイッター社やグーグル社、ヤフー社)を踏まえ、作者はテレコミューティングの実現が極めて容易になったにもかかわらず、実態は逆の方向に進んでいるようだと語る。従業員も雇用する企業側も、理由や思惑はどうあれ、実際に顔を合わせる時間を 欲していると。

いかにもテレワークしてまっせみたいな先端企業ほど「同じ屋根の下で働くことに 有形無形の利点があると考え」ているというところが何とも皮肉で興味深いところです。

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第1次ワークライフバランスと第2次ワークライフバランス@『JP総研Research』第34号

Jp 『JP総研Research』第34号(2016年7月)に「第1次ワークライフバランスと第2次ワークライフバランス」を寄稿しました。

https://www.jprouso.or.jp/activity/lab/publish/pdf/jpresearch_contents34.pdf

「女性が仕事と子育てを両立するために」という特集の一環で、他の寄稿は次の通りです。

生み育てやすい社会のカギは「脱家事ハラ」 和光大学 教授 / ジャーナリスト 竹信三恵子

第一次 ワークライフバランスと第二次 ワークライフバランス 独立行政法人 労働政策研究・研修機構(JILPT)主席統括研究員 濱口桂一郎

働く妊婦の「就業環境」を考える― マタニティ ・ ハラスメント防止措置義務化に向けて 埼玉学園大学 大学院 専任講師 杉浦浩美

保育現場の実情 労働経済ジャーナリスト 小林美希

データで見る 働く女性をとりまく現状と課題 編集部

拙稿の目次は次の通りです。

1 規制緩和でワークライフバランスを実現?
2 第一次ワークライフバランスが空洞化
3 第二次ワークライフバランスだけが遜色なく充実
4 育休世代のジレンマで悶える職場
5 原則と例外の逆転
6 いまこそ労働時間の上限規制を

(追記)

上記杉浦浩美さんのマタハラに関する文章では、わたくしの「マタハラ」という言葉の用法に対する批判に対する反論(?)が書かれています。

私の文章は『生産性新聞』に載ったこれですが、

http://www.jpc-net.jp/paper/zokunihonjinji/20160405zokunihonjinji.pdf

そこの

 一方で、2000年代末頃からマスコミ等でマタニティハラスメントという言葉がよく用いられるようになり、2014年には新語・流行語大賞にも選出されました。ただしその内容は、妊娠・出産を理由とした解雇や不利益取扱いが多く、セクシュアルハラスメントやパワーハラスメントなど、ハラスメント独自の規定がなければそもそも規制の対象とならないものとの区別が必ずしもついていない面も見受けられます。たとえば2015年9月、厚生労働省は初めて妊娠を理由とする解雇事案を悪質として公表しましたが、主要マスコミはほとんど「マタハラ」と報じていました。解雇してもハラスメントで済むのなら、こんな楽なことはありません。

という一節について、

・・・だが、法令で禁じられているにもかかわらず、「働く妊婦の権利」が軽んじられ、守られてこなかったのは事実である。・・・「解雇してもハラスメントで済む」のではなく、「ハラスメント」として訴える声が高まったことを受けて、やっと、横行していた解雇事案が「法律違反」として非難され、炙り出されたのである。・・・

と指摘されています。

そこのところはよくわかります。六法全書にどう書いてあろうが、現実の労働社会の「常識」-生きられた法-がそうなっていなかったのを、(いかに法律用語的に変であろうが)マタハラというインパクトのある言葉を打ち出すことで現実を、職場の男性たちの意識を揺るがしたではないか、という社会学的な意味では全く杉浦さんに同意します。

その上で、それを全部分かった上で、法律を扱う人はちゃんと分かってやってねという意味合いで書いた小文ですので、決してこの間杉浦さんや小谷部さんらを批判する意図ではありません。社会運動的には「マタハラ」という言葉は近来まれにみる成功を収めたコンセプトだったと思います。

せいぜい、そうですね、日本労働法学会でこの問題を取り上げる際には、ちゃんと概念規定をして下さいね、と某方面に言うくらいでしょうか。

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千葉商科大学図書館書評コンテストに『働く女子の運命』

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 常見陽平さんが知らせてくれました。千葉商科大学図書館書評コンテストの課題図書に『働く女子の運命』がラインナップされているようです。

https://twitter.com/yoheitsunemi/status/751424402076557312

千葉商科大学の図書館の

書評コンテンスト

今年は雇用・労働関連だと

今野晴貴さんの『ブラックバイト』(岩波新書)

濱口桂一郎さんの『働く女子の運命』(文春新書)が入ってる

他も面白そう

早速千葉商大図書館を見に行くと、

http://www.lib.cuc.ac.jp/search/bookreview_contest2016.html

確かに、今野さんの『ブラックバイト』等と並んで『働く女子の運命』も並んでますね。

Chuko 昨年の同じコンテストでは、『若者と労働』が1位に入賞しましたが、今年は『女子』本。是非女子学生に意欲的な書評を書いて欲しいと思います。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-37c7.html (千葉商科大学書評コンテストで『若者と労働』の書評が第1位)

・・・最優秀賞を受賞した菊地良太さんの書評は、若者の就労という、学生自身がまさに当事者となっている問題を分析した本として、実感をもって読み解いている姿が伝わり、就活に関心のある学生に響くものになっている点や、著者の見解を的確に整理し、焦点を絞り込んだことが書評全体を引き締め、それによって書評の基本である著者の主張を的確に表現した点が高く評価されました。

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飲み会は業務@最高裁

本日、最高裁が飲み会から会社に戻る途中の交通事故を労災と認定しました。

労働法の基礎の基礎みたいな本で必ず出てくるのが、会社からまっすぐ家に帰れよ、途中で吞みによったりしたら、そのあと交通事故で死んでも一切労災にはならないぞ、という脅しですが、今日の最高裁判決で書き直さなければならない本でいっぱい出てきそうです。

その判決はこちらにアップされています。

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/000/086000_hanrei.pdf

その理屈の部分を引用しておきます。

(1) 労働者の負傷,疾病,障害又は死亡(以下「災害」という。)が労働者災補償保険法に基づく業務災害に関する保険給付の対象となるには,それが業務上の事由によるものであることを要するところ,そのための要件の一つとして,労働者が労働契約に基づき事業主の支配下にある状態において当該災害が発生したことが必要であると解するのが相当である(最高裁昭和57年(行ツ)第182号同59年5月29日第三小法廷判決・裁判集民事142号183頁参照)。

(2) 前記事実関係等によれば,本件事故は,D社長に提出すべき期限が翌日に迫った本件資料の作成業務を本件歓送迎会の開始時刻後も本件工場で行っていたBが,当該業務を一時中断して本件歓送迎会に途中から参加した後,当該業務を再開するため本件会社の所有に係る本件車両を運転して本件工場に戻る際,併せて本件研修生らを送るため,本件研修生らを同乗させて本件アパートに向かう途上で発生したものであるところ,本件については,次の各点を指摘することができる。

ア Bが本件資料の作成業務の途中で本件歓送迎会に参加して再び本件工場に戻ることになったのは,本件会社の社長業務を代行していたE部長から,本件歓送迎会への参加を個別に打診された際に,本件資料の提出期限が翌日に迫っていることを理由に断ったにもかかわらず,「今日が最後だから」などとして,本件歓送迎会に参加してほしい旨の強い意向を示される一方で,本件資料の提出期限を延期するなどの措置は執られず,むしろ本件歓送迎会の終了後には本件資料の作成業務にE部長も加わる旨を伝えられたためであったというのである。そうすると,Bは,E部長の上記意向等により本件歓送迎会に参加しないわけにはいかない状況に置かれ,その結果,本件歓送迎会の終了後に当該業務を再開するために本件工場に戻ることを余儀なくされたものというべきであり,このことは,本件会社からみると,Bに対し,職務上,上記の一連の行動をとることを要請していたものということができる。

イ そして,上記アの経過でBが途中参加した本件歓送迎会は,従業員7名の本件会社において,本件親会社の中国における子会社から本件会社の事業との関連で中国人研修生を定期的に受け入れるに当たり,本件会社の社長業務を代行していたE部長の発案により,中国人研修生と従業員との親睦を図る目的で開催されてきたものであり,E部長の意向により当時の従業員7名及び本件研修生らの全員が参加し,その費用が本件会社の経費から支払われ,特に本件研修生らについては,本件アパート及び本件飲食店間の送迎が本件会社の所有に係る自動車によって行われていたというのである。そうすると,本件歓送迎会は,研修の目的を達成するために本件会社において企画された行事の一環であると評価することができ,中国人研修生と従業員との親睦を図ることにより,本件会社及び本件親会社と上記子会社との関係の強化等に寄与するものであり,本件会社の事業活動に密接に関連して行われたものというべきである。

ウ また,Bは,本件資料の作成業務を再開するため本件車両を運転して本件工場に戻る際,併せて本件研修生らを本件アパートまで送っていたところ,もともと本件研修生らを本件アパートまで送ることは,本件歓送迎会の開催に当たり,E部長により行われることが予定されていたものであり,本件工場と本件アパートの位置関係に照らし,本件飲食店から本件工場へ戻る経路から大きく逸脱するものではないことにも鑑みれば,BがE部長に代わってこれを行ったことは,本件会社から要請されていた一連の行動の範囲内のものであったということができる。

(3) 以上の諸事情を総合すれば,Bは,本件会社により,その事業活動に密接に関連するものである本件歓送迎会に参加しないわけにはいかない状況に置かれ,本件工場における自己の業務を一時中断してこれに途中参加することになり,本件歓送迎会の終了後に当該業務を再開するため本件車両を運転して本件工場に戻るに当たり,併せてE部長に代わり本件研修生らを本件アパートまで送っていた際に本件事故に遭ったものということができるから,本件歓送迎会が事業場外で開催され,アルコール飲料も供されたものであり,本件研修生らを本件アパートまで送ることがE部長らの明示的な指示を受けてされたものとはうかがわれないこと等を考慮しても,Bは,本件事故の際,なお本件会社の支配下にあったというべきである。また,本件事故によるBの死亡と上記の運転行為との間に相当因果関係の存在を肯定することができることも明らかである。

以上によれば,本件事故によるBの死亡は,労働者災害補償保険法1条,12条の8第2項,労働基準法79条,80条所定の業務上の事由による災害に当たるというべきである。

もちろん、会社の飲み会なら業務というわけではありませんが、こういうケースのような状況下では、業務上と認めないわけにはいかないということですね。

こういうのを見ると、法律の本来の趣旨と日本の労働社会の現実、とりわけ職場の現場でみんながそれが当たり前だと思って行動している原理が乖離している場合、日本の裁判所はその労働社会の現実に身を寄せた解釈をしないわけには行かず、そういう判決が積み重なって、六法全書に書かれていた本来の姿とはかなり乖離した「判例法理」が確立してきたという戦後日本の歴史が、依然としてなお脈々と息づいていることがわかります。

そりゃ、日本型雇用のまっただ中で生きてる人々にとって、この飲み会は業務中の業務、業務以外の何物でもないというのが、その「生きられた現実」なのであってみれば・・・。

(追記)

これまでは飲み会に出ろと言われても、日本国の判例ではそんなのは業務じゃないことになっています、飲み会のあとで交通事故に遭っても金が出ないんならイヤですと(心臓に毛が生えていれば)言えたのが、飲み会も業務だと最高裁が認めたということになると、ますます当然の義務として飲み会に出なきゃいけなくなるという効果もあるかも知れず、こういう労働社会の現実を容認する方向への判決はその現実をますます正当化し増幅する効果を持ちうる、ということも頭の片隅において、しかしとはいえ、本件のような事案ではそりゃあ救わないとこの世に正義はないよなあ、という思いとを頭の中で比較考量しながら味わうべき判決と言えましょう。

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勤労の義務 再掲

昨日の朝日にこんな記事が載っていたこともあり、

http://www.asahi.com/articles/DA3S12446159.html((憲法をつかう)勤労 働く、支え合いながら 「義務」…能力に応じた環境で)

Asahi・・・現行憲法ができる際、連合国軍総司令部(GHQ)の憲法草案や、日本政府案にあったのは「権利」だけで、[義務]はなかった。・・・一方、議会側には「義務の方面が十分ではない」との意見があり、政府案が修正された。・・・

この記事の最後の方にはPOSSEの今野さんや弁護士の佐々木さんも登場して「限りない義務に法律で歯止めをかける」とか言っているのですが、いやそれは実は憲法制定時の文脈とは正反対なんですよ。

このブログを立ち上げてもう10年になりますが、その初期の頃の2006年のエントリで、憲法の「勤労の義務」が、どういう人々のどういう考え方に基づいて挿入されたものなのかを説明しているのですが、なかなか世間に広がらないようです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_90fd.html(勤労の義務)

およそ、憲法も含めて、法律について何事かを論じようとする際に、立法者意思を確認するというのは不可欠の基礎作業なんですよ。

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20060921/p2

現行憲法第27条第1項は、衆議院で修正されています。修正前の政府原案は「すべて国民は、勤労の権利を有する」であったのですが、それが「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」と修正されているのです。つまり、勤労の義務は当時の国民の代表である衆議院の意思によって敢えて挿入された規定なのです。

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○黒田委員 勞働關係に付きまして午前中に多少御尋ね致しましたが、尚ほ申し殘して居りました點に付て、今少しく質問を致して見たいと思ひます、第二十五條で、國民は勤勞の權利を有すと規定されて居りますが、我々總て健康な國民は勤勞の義務を有する、働かない者は食ふべからずと云ふ原則を打立つべきであると考へます、殊に敗戰後の我が國に於きましては、一人と雖も無爲徒食する者があつてはならないのでありまして、單に權利を有すると云ふばかりでなく、義務を有すると云ふことを私ははつきりと規定すべきであると考へます、政府原案に於きましては、唯勤勞の權利を有すと云ふだけになつて居りますが、積極的に義務を有することまでも規定する、政府に其のやうな御意思はございませぬでせうか

○金森國務大臣 御尋ねの點は他の機會に於て申述べたことがあると記憶して居りますが、憲法の建前は一切の所謂自由權、基本權の其の裏には、義務があると云ふことを前提と致して居りまして、權利は一つ一つにありますけれども、之に對應する義務は一括して第十一條に包括的なる内容として、之に對應する義務を規定して居るのであります、そして憲法の中に特に義務と云うて擧げて居りますのは、前の義務教育の規定の如き特殊な意義を持つて居るものに限定して居ります、大體此の憲法の案文の立て方に付きましては、色々の基本方針と云ふものが立て得ると思ひまして、其の總ての原理を採用する譯には行きませぬ、此の憲法は或る考へ方に基いて條文を整理して居るのであります、其の一つの原理を的確に適用し得るものを原則とし、理論の主張として將來強く發展し得べき可能性がありまするにしても、實行的に直ちに現實の制度となし得ざる程度のものに付きましては、比較的抽象的なる言葉を用ひて解決し、又各種の權利に付きましては、權利の方面より規定することを主として、之に伴うて義務の存在する部分は、包括的に一つの條文で解決して居ると云ふ建前になつて居りまする爲に、御尋ねになりまする點に付て、十分の御滿足を與ふるやうな御答へが出來ませぬことは、洵に遺憾でありまするけれども、建物の趣旨がさう云ふ風になつて居ることを御承知を願ひたいと思ひます

○棚橋委員 色々御説明がありましたが、依然として私の不滿は解消されないのであります、併し此の問題に付て尚ほ論議することは是で止めて置きます其の次には勤勞の義務と云ふことでありますが世の中には勤勞の能力もあり勤勞の意思もあつて、而も勤勞の機會を與へられない爲に、生活の保障を得ることが出來ない、さう云ふものが存在して居るが、又反對に完全に勤勞の能力を持つて居る、併し勤勞の意思を有しない、又は勞働せずにも生活することの出來る資力を持つて居れが爲に、敢て勤勞することをしないと云ふ人々も存在して居るのであります「ドイツ」の民法等を見ますと、總ての「ドイツ」人は其の精神的及び肉體的の力を社會公共の利益の爲に提供活用すべき義務がある、斯う云ふことを申して居りますが、私は是は今日の日本の國情にあつては殊に大切なことではないかと考へるのであります、我が國の現状から申しますと、國民の生活に必要な食糧すらも、今日ことを缺いて居るのでありまして、お互ひに其乏しきを分ち合つて、さうして生活をして行かなければならぬ状態にあるのであります、然るに自分は完全な勞働能力を有しながら其の少い食糧を分ちあつて食べる生活資料を消費して居りながら自分の勞力を國家、社會に提供して此の社會に寄與することをしないで漫然と暮して居ると云ふことは、社會正義の上から申しましても許すことが出來ない、又國民經濟の上から申しましても許すことの出來ないことであると考へるのであります、又我が國は敗戰の結果、今日非常な打撃を被つて居るのでありますが、此の状態から起ち上つて國家を再建する爲には、國民の大きな努力、獻身を要求しなければならぬのでありますけれども、其の國民は今日道義的には非常に低下して居る責任觀念は地を拂つて居る、利己的な考へが社會全般に横行して居る、此の國民の精神を振作、作興して行かなければ、我が國の再建は難かしいのであります、此の秋に方りまして國民皆勞の原則を憲法に明かに掲げまして、國民精神の緊張を圖ると云ふことは、此の點から考へましても、國民に勤勞の義務を課すると云ふことは大切なことであると考へるのであります、此の點に關する國務大臣の御考へを承りたいのであります

○金森國務大臣 御説のある所は能く了承致しました、私もものの原理に於きまして左樣な考へが十分尊重さるべきものと思つて居ります、併しながら此の憲法の建前は、第二十五條に於きまして、我が國民は勤勞の權利を有すると云ふ根本の原理をはつきり認めますと同時に、憲法の第十一條に於きまして、斯樣な權利は一面に於て濫用してはならぬと云ふことと同時に、之を利用する責任を持つて居る、即ち權利を持つと同時に、其の國民の權利を公共の福祉の爲に之を利用する責任を持つて居ると云ふ風に書いてあります、隨て權利に對する規定と、第十一條の規定と相承けまして、國民全般が公共の爲にする奉仕の責任を負ふと云ふことは明かになつて居ると信じて居ります

○芦田均君 本日いとも嚴肅なる本會議の議場に於て、憲法改正案委員會の議事の經過竝に結果を御報告し得ることは深く私の光榮とする所であります
 本委員會は六月二十九日より改正案の審議に入りまして、前後二十一囘の會合を開きました、七月二十三日質疑を終了して懇談會に入り、小委員會を開くこと十三囘、案文の條正案を得て、八月二十一日之を委員會に報告し、委員會は多數を以て之を可決致しました、其の間に於ける質疑應答の概要竝に修正案文に付て説明致します・・・・・次に憲法改正案委員會に於て原案に修正を加へた諸點に付き報告致します、・・・・・・更に個人の生活權を認めた修正案第二十五條に付ては、多少の説明を必要とするかと考へます、改正案第二十五條に於ては、總て國民は勤勞の權利を持つと規定して、勤勞意欲ある民衆には勤勞の機會を與へられることを示唆致して居ります、此の勤勞權は民衆に一定の生活水準を保障し、延いて國民の文化生活の水準を高めようとするものであり、國は此の點に付き社會保障制度、社會福祉に付て十分の努力をなすべき旨を第二十三條に規定して居ります、併しながら第二十三條の字句には、多少意を盡さない憾みがある如く考へられまするので、委員會に於ては、一層明白に個人の生活權を認める趣旨を以て、原案第二十三條に、「すべて國民は、健康で文化的な最低限度の生活を營む權利を有する。」との條項を挿入し、原案を第二項として、「國は、すべての生活部面について、社會福祉、社會保障及び公衆衞生の向上及び増進に努めなければならない。」と修正した次第であります、斯樣に生活權の保障を規定する以上、他方に勞働の義務も規定することが至當であるとの意見に從つて、原案第二十五條に修正を加へて、「すべて國民は、勤勞の權利を有し、義務を負ふ。」としたのであります(拍手)

ちなみに、黒田寿男、棚橋小虎ともに社会党の議員です。

この修正に対して、貴族院では、

○小山完吾君 私は衆議院修正案の二十七條、原案の二十五條の規定を、極めて簡單なことを伺ひたいと思ふのであります、或は私は遲參致しました爲に、牧野委員と金森國務相との間に、既に御解説になつて居るかと思ひます、私は此の二十七條、衆議院で修正の二十七條を讀みまして、勤勞の權利迄は理解出來るのであります、是はこんなことは書いてなくても宜いことと思ひますけれども、近世の是は傾向で、勞働は權利だと云ふことで、一種の人格、生活權の要求と思ひますから、是は有つても宜いと思ひますが、併し義務を負ふと云ふことは、一體どう云ふことになるのでありませうか、どう云ふ積りで、此の權利を有すると云ふ上に、義務を負ふと云ふことを附加へたのか、一體其の義務と云ふものの内容はどう云ふことになるのでありませうか、と云ふのは、是は甚だどうも法律を知らない素人の質問と御笑ひになるかも知れませぬが、義務を負ふと云ふことは、國民に取つてそれだけの詰り國家の方なり、或は社會全般の方から要請する權利があると云ふことになる譯でありますが、勤勞と云ふ文字の中には、精神勤勞もありませうし、勞働勤勞もありませう、必ずしも勤勞と云ふ文字は有形の力を以て働く所の其の勤勞のみを意味して居ないことと思ひますが、此の義務を負ふと云ふことは、餘程用心しないと云ふと、我々の基本權を國家にも害せられ、又心なき民衆にも害せられる、我々の基本權と云ふものが害を受けると云ふことが生ずるのであります、現に實例を以てしましても、先達て總論の時にもちよつと觸れて居つたのですけれども、此の個人の基本權を理解しない所の民衆と云ふものは、隨分我々の「プライベーシー」に對して無用な干渉をする、強制をすると云ふことが、文明の程度の低い社會に於て、往々有り勝ちであります、殊に戰爭中の如き、例へば町會と云ふやうなものは、我々の意見を代表して、さうして國家の爲に協力すると云ふ機關でなければならないのでありますけれども、日本の民衆の教育の程度と云ふものが低いものですから、町會と云ふものを作れば、直ぐ區役所の知識なき小役人の言ふことを其の儘押し附けると云ふことが起る、例へば義務を負ふと、勤勞の義務を負ふと云ふことは、どう云ふ事柄になつて現れて來るかと云ふことは、私共は自分の爲に勤勞を毎日して居つても、其の勤勞は、必ずしも山に行つて松の根を掘ると云ふ勤勞ではない、又開拓の爲に山に行つて木を伐ると云ふ勤勞でもありませぬ、併しながら國家の爲、又自分の爲に勤勞は一日も休むべきことでない、然るにも拘らず、今開墾が必要だと云ふことになれば、村中で、町中で行つて、さうして山の開墾をせなければならぬ、あなた出て呉れと、斯う云ふことになる、又松の根を掘つて松根油を作つて、是で戰爭するなんてのは恐るべき無智な話でありますけれども、併し其の當時の指導者の方針としては、之をやらせると云ふことで、さうすると私共に向つてちやんと自己の勤勞をして居る者に向つて、山に一緒に行つて松の根を掘れ、或は女だけの世帶に對して、女に對しても一世帶持つて居れば、それを強制すると、斯う云ふやうなことを言つて來るのですが、私は少數の專制と云ふことがあるし、多數の專制と云ふこともある、民主政治の世の中に於て、多數の理解なき專制と云ふものは、最も警戒しなくちやならぬ、さう云ふことを考へ及びますると云ふと、此の義務を負ふと云ふことは、一體其の内容は、どう云ふことを御考になつて、之に同意なさつたのですか、それを私教へて戴きたいと思ふのです

○國務大臣(金森徳次郎君) 仰せになりましたやうに、此處に勤勞の義務と云ふ言葉を書きますることは、若し之を錯覺して濫用を致しまするならば、社會に相當の影響がある虞があらうと考ふるのでありまして、そこで原案を作りまする時には、左樣なことをも顧念を致しまして、其の規定を設けないで置きました、さうして憲法の草案の修正第十二條に於きまして、既に勤勞の權利ありとすれば、之を公益の爲に使はなければならない、濫用してはならないと、斯う云ふ風に働かせようと云ふ趣旨であつた譯であります、處が衆議院に於きましては、多分は勤勞の權利を先に考ふるのは、必ずしも正しくない、勤勞の義務をも同時に考ふべきものではなからうかと云ふ御説であらうと思ひます、そこで本文の中には矢張り勤勞の義務と云ふものを書き入れるのが正當であると云ふ御考の下に修正せられたものと思つて居ります、で、政府と致しましては、初めは斯樣な規定を入れることに付きまして、若干の誤り用ひらるる虞を心配して居つたのでありまするけれども、物の道理に於きましては、之を入れますることに何の間違ひはない、斯う云ふやうな考を以ちまして、御同感を申上げた譯であります、そこで此の勤勞の義務を此處に入れると云ふことは、如何なる趣旨を持つて居るのであらうかと云ふことになりまするが、豫豫私から申上げましたやうに、此の憲法は、積極的に經濟的な「イデオロギー」の孰れを採用すると云ふ態度は執つて居りませぬ、大體民主政治と云ふものに必要なる原理を取り、又現在に於てはつきりして居る所に根據を取りまするけれども、それ以上に進みまして、甲の集團に於ては此の考が正當でありとなし、乙の集團に於ては此の考が正當でありとなし、又學説の範圍に於きましても、甲の側の學説と、乙の側の學説があつて、論議、今將に盛であると云ふやうなものに付きましては、絶對必要がない限りは、是には關與しないと云ふ態度を執つて居るのであります、斯樣に致しますると、中味が雜駁であるとか、或ははつきりした筋が通らぬと云ふ御非難は起り得るかも知れませぬけれども、國家の運命を擔つて將來の發展を豐かに、それは將來の問題として、殘して、此の際の根本方策たる此の組織法を決めまする上に於きましては、私の申しましたやうな態度が賢明であると信じたからであります、此の委員會に於きまして物足らぬとか、何とか云ふ御非難は、或程度迄私は心の中に個人的な主義からして御贊同申上げることはありまするけれども、併し全體の道筋としては、今申上げましたやうな趣旨に立つて居るのであります、そこで此の第二十七條に、此の勤勞の義務を負ふと云ふ規定を御入れになりました趣旨は、私共特殊なる經濟的の「イデオロギー」、特殊なる學問上の「イデオロギー」と云ふものに關係なく、此處に入れられました文字其のものとして受け容れて、御贊同を申上げた譯です、何故に之を、文字其のものとして受け容れるかと申しますると、是は常識的でありまするが、我々個人の尊重と云ふことを旗印にして、此の憲法の原則を樹てて居りまするけれども、自由、平等、是だけでは我々の社會的生活を完うすることが出來ませぬので、少くとも、更にそれを一歩はみ出した所の協同生活相互に亙る所の考へ方がなければならぬのであります、唯此の憲法は、露骨にはそれを言つて居りませぬが、其の精神はそれを取込んで居ります、さうすれば協同生活をお互にして居りますれば、お互に働く權利があると同時に、又お互に働く義務を持つのではなからうか、其の義務は何であるかかにであるかと云ふことではなくて、兎に角協同生活と云ふ今日の常識に於て、お互に何か物を、詰り勤勞を、自由にしないで、權利義務の形に於て、受け容れるだけの心持になつて居るのであらう、然らば此處に義務と云ふ言葉を入れることには、何等の過ちはないと考へたのであります、從つて此處に義務と書きましたのは、是は午前中にも申上げましたが、具體的に一定時間の勤勞を仲間の間に、部落の間にするとか、國家に對して何か一年に何日の勤務の義務を捧げるとか何とか、さう云ふ具體的な内容を一つも考へて居りませぬ、大體さう云ふことは、斯う云ふ義務がありと考へることが人間の本義である、そこで國家は之に對して、此の憲法に於て明かな規定を設けると云ふ非常に廣い意味であります、そこで今度は此の義務を現實の世界に具體的に致しまするには、積極的に法律を設けなければならぬと思ひます、現在でも賦役などと云ふ場合に、其の賦役と云ふことは、勤勞の義務を含んで居ります、既に法律世界には左樣なものが誌められて居ります、今後の場合に於きましても、斯樣な一般的原則を基礎と致しまして、之に正當な判斷を加へて、一つ一つの法律が出來て、それで現實の義務は出來て行くものと存ずるのであります、斯樣に考へますると、是は物の考へ方に於て尠くとも現代の常識に照らして間違ひはない、而かも實行上懸念はない、斯う考へて居るのであります

○小山完吾君 大變に、金森國務相としては心を入れた御説明であつたのですが、私は根本から思想を異にして居りますから、是以上御聽きすることもないのですが、私の考を申上げれば、一體此の二十五條の「すべて國民は、勤勞の權利を有する」此の言葉はあつてもなくても宜しいことですけれども、併し社會主義者とか、さう云ふ方面の人は勤勞と云ふことを一つの生活權と認めて居るのでありますから、それは入れても惡いことはない、殊に第二項、第三項と云ふやうな問題が常に起つて來るので、先刻の御説明に依りますれば、二項三項は補強的の規定だと言はれますが、私の見る所では補強的の規定でない、之を言ひたいから、「すべての國民は、勤勞の權利を有する」、斯う書かねばならぬことになつて居るものと私は考へて居る、それでそれに義務を負ふと云ふ字を附加へたと云ふことは、政府も、初めは私と恐らくは御考が同じであつたから、其の時は加つて居なかつた、只今の御説明を伺ひますと、權利の裏には常に義務があると云ふやうな極めて通俗的な考で、少しも學問上、法律上の根據はないものと言はねばならぬやうな御説明でありまして、甚だ私は此の衆議院の修正を遺憾とすると云ふだけの意見を述べまして、私の質問は是で打切ります

○子爵大河内輝耕君 私は二十七條の勤勞の義務に付て伺ひたいのですが、是は衆議院で入つたので、政府がどう云ふ意味で是等に御贊成になりましたのですか、一體勤勞の義務などと云ふことをどう云ふ風に解して居られますか、其の具體的な範圍と云ふものはどう云ふものでせうか、是は政治的なこと、其の他のことに隨分濫用すると云ふ傾もありますし、又十八條の「何人も、いかなる奴隸的拘束も受けない。又犯罪に因る處罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」と云ふやうなことと是がどうして調和しますか、刑務所でやるのさへ就役は修養だと云ふのに、何も惡いことをしない國民が無暗に勞働をさせられても困りますし、さう云ふ點は如何なものでございませうか、出來得る限り勤勞の義務に對する具體的のことを伺ひたい

○國務大臣(金森徳次郎君) 只今御質疑を受けました勤勞の義務の所は、是も度々申上げまするやうに、斯く入れられたことに依りまして、衆議院がどう云ふ氣持を以て入れられたかと云ふことは、實は推測だけでありまして、殘る問題は、政府は斯樣な文字が入つたことに付てどう了解して居るか、從つてそれをどう感じたかと云ふ點から御答を申上げます、原案に於きまして度々申上げまするやうに、我々は個人生活と云ふものに相當重きを置いて居ると云ふこと、即ち人間自身の尊重と云ふことから、此の憲法が出發して居ることは申す迄もない譯であります、併しながらそれは決して純粹の個人主義を讃へるものではありませぬ、個人を尊重しつつ全體の福祉と云ふことを考へて行かなければならぬ、斯う云ふ範圍に於きまして、當然各人は御互に協力し合つて、此の共同生活を導いて行かなければならぬと云ふことになりますると、人間は働くべき權利を持つと同時に、又それは働くのみに止まらずして御互に働くことに依つて、共同の利益を高めて行くべきものであると云ふことは當然である、斯う云ふ風な結論に到達すると存じます、併し是は謂はば道徳上、或は社會上の問題でありまして、それを憲法に採り入れるのはどうかと云ふことになりますると、其の法的價値を考へつつ若し法的價値を附與することに意義があるならば、憲法上それを採り入れる、それがなければ、憲法上は必ずしも採り入れる必要はないと云ふことにならうと思ひます、そこで原案に於きましては、國民が其の本來存して居る勤勞の權利とも謂ふべき社會的な働きに付きまして、國家が之を國法を以て妨げる、例へばお前は働いてはいかぬ、職業選擇の自由などとも關係を致しまして、故なく其の活動を止めると云ふことは宜しくない、從つて斯樣な意味に於きまして勤勞の權利を認むることが正當である、斯う云ふ風に考へまして、第二十七條の中に「すべて國民は、勤勞の權利を有する。」と斯う書きました、義務の方面は其處迄行かなくても、大體十一條のやうに、勤勞の權利があれば、當然之を行使する義務のあることは、總括的な規定から來るからして宜からうと、斯う云ふ考で草案を固めて議會の御審議を仰いだ譯であります、處が衆議院に於ては、左樣な考へ方を恐らく認められないのであります、勤勞の權利があるから、之に伴つて義務がある、斯う云ふ考へ方でなくて、初めから人間が共同生活をする限りは權利もあり、同時に義務もある、權利の方から言ふよりも、先とか後とか言ふのではありませぬが、同時に勤勞の義務があつて、協同生活を健全に發達せしめて行かなければならぬ、斯う云ふ趣旨に於て勤勞の義務の規定を入れられたものと察して居ります、從つて法律的に申しますると、勤勞の義務を妨げると云ふやうなことは、國家の方からは想像は出來ませぬ、國民の側から申しますれば、さう云ふ大原則を茲に確立せられたと云ふことを、はつきりした姿で認める、斯う云ふ權利義務の宣言と云ふやうな意味にならうと思ひます、從つて是から直接に何の具體的な義務が出て來る譯でもないと考へて居ります、尚當時の經緯からと申しまするか、衆議院の此の論議のありました經緯から想像して見まして、勤勞の義務と申しまするのは、例へば能く戰時中にありました徴用せられまして働くとか、何か「ドイツ」にありましたが、若い者は學校を出てから或期間勤勞の義務を果すことに依つて、初めて國民的な一人前の仕事が出來ると云ふやうな思想があつたやうでありますが、此處の勤勞の義務と云ふものは、さう云ふ箇々の具體的のことを言ふのでなくて、人間と云ふものは協同生活に對して貢獻すべき勤勞の義務を持つて居るのだと云ふので、原則を表明したと、さう云ふ趣旨に了解して、それならば極めて正道な規定であるとして、御同感を申上げたのであります

○子爵大河内輝耕君 私はもうありませぬ

○子爵大河内輝耕君 私は仕方ないから始めますが、全く是は困ります、斯う云ふ手違ひは……、私のは前文、第四條、第五條、第六條、第七條を削除して、第三條を削除して別に左の一文を加ふ「天皇は國政に關する權能を有しない」、是は度々説明して居りますから理由は省略致します、それから第二十七條第一項の「義務を負ふ」を削る、是は實は金森國務大臣に此處に來て戴いて私も質問しまして、さうして其の工合に依つては撤囘しようと思ひましたが、御出でがありませぬから甚だ兩大臣御迷惑でございませうが、私の伺ひたいことは斯う云ふことなんです、第二十七條の、勤勞の義務を負ふ、と云ふことになればどんなことでもやらされはしないか、「アルバイト・ディーンスト」のやうなことでもやらされはしないか、お前ちよつと此所へ來い、此所へ來て此の土擔ぎをやれ、或はさう云ふやうな種類のことを此の結果やらせはしないかと云ふことを憂へて質問しました處、それに對する金森國務大臣の答辯は、それは決してさうでない、是は唯勤勞と云ふものは權利ばかり見てはいけない、勤勞者と云ふものは兎角、勤勞者と言つてはいけないが、世間には勤勞した以上は權利ばかりを主張すれば宜いと思つて義務と云ふものを兎角怠り勝ちであるから、自分は義務として之をやると云ふ觀念を強める爲に此の規定を置いたと云ふ御話、それなら甚だ危險な書き方であります、私としては別に何も削除する必要はない、それで伺ひたいのは此の二十七條には、法律で之を定める、と云ふことが書いてある、色々な條件は法律で定めると書いてありますから、其の法律はどう云ふ風に御規定になるか、十分私の言つたやうな意味が其の法律で現れますものなら是があつても差支ない、其の點で實は政府に伺ひたいのでありますが、御差支なければ兩大臣の中から御答を願ひたいと思ひます

○國務大臣(植原悦二郎君) 大河内子爵に御答へ致します、此の規定の趣旨は先程御述になりました大河内子爵に對する金森國務大臣の御答になつた通りだと思ひます、さうして直ぐに賃銀、就職時間等の勤勞條件に關する規準は法律で定める、勞働者に對して最低最高の賃銀を定めると云ふやうなことは軈て法律ですることが起ると思ひます、それから就職時間は八時間にするとか、十時間にするとか、其の八時間は實働時間八時間にすると云ふやうなことも軈て法律で定まることと思ひます、それから休息、一週間に一度休息するとか云ふやうなことも勤勞條件に關する勞働の基準としてのことを法律で定めると云ふことに考へて居るのであります、それから未成年の年齡も軈て定まるでせうが、何歳以上の男女兒童は勞働に從事させてはならない、或は兒童を使ふ場合に於ては其の勞働時間をどうしてはならないと云ふやうなことで、何れ斯う云ふことは法律で定まることと思ひます、左樣御承知を願ひます

○子爵大河内輝耕君 金森大臣が御出席になりましたから、今一應此の二十七條の質問を御許し願ひたい、只今植原大臣から伺ひまして、大變御丁寧な御答で大體分つて居りますが、尚金森大臣御出席のことでありますから一應伺ひます、第二十七條第一項の「義務を負ふ。」を削ると云ふ私は修正案を出し掛けて居るのです、此の二十七條の一項と云ふのは、[すべて國民は、勤勞の權利を有し、義務を負ふ。」此の「義務を負ふ。」を廢めよう、「有す」とする、なぜさうしたかと申せば、此の間も申した通り、是が「ドイツ」の「アルバイト・ディーンスト」のやうに人を何でもかんでも連れて行つてやらせると云ふやうなことがあつては困ると云ふ心配からやつたのでありますが、只今植原大臣の御説明ではさう云ふことは心配ないと云ふ御話でありますが、どうも私は心配なんです、植原大臣のやうに心配はないと思ひますけれども、萬一の場合を考へて是は削つたら宜い、幸にして此の第二項に「基準は、法律でこれを定める。」とありますから、此の法律の中へでも織込んで、こんなことは決してさせないのだと云ふやうなことでもあれば強いて私は提案することもない、さう云ふことは禁ずると云ふことを法律に書いて貰へば、法律だから輕くなるが、そんなことはお負けしても宜いと思ひます、で金森大臣の御説を一應承りたいと思ひます

○國務大臣(金森徳次郎君) 御答を申上げますが、此の憲法の規定は民法や其の他の個々の法律とは趣を異に致しまして、結局大原則を表明すると云ふことが重點でありまして、現實の場合の權利や義務其のものを規定して居る趣旨ではございませぬ、此處で「國民は勤勞の權利を有し、義務を負ふ。」とすると云ふことは衆議院で入れられました趣旨を考へて見ましても、一體人間が共同生活を致して居りますれば、お互に盡すべきことを盡し、盡さるべきことを盡さるべきであると云ふ基本の考へ方がありまして、人間共同生活に於きましての各人の勤勞に關する基本の考を此處にまあ表明したと云ふだけでありまして、之に依りまして現實の義務を負ふと、斯う云ふ趣旨ではなかつたと衆議院の解釋を考へて居ります、と申しまするのは、當時衆議院で此の言葉を入れられまする時に、或人人は或年齡に達すれば勤勞をするとかと云ふやうな具體的なことを豫想せられて居つたが如き語氣があつたのでありますけれども、大局に於きましてさう云ふ細かいことを毛頭考へて居るのぢやないと云ふ風に道義的方針と云ふものを明かにすると斯う云ふことに落著いたやうに存じて居りまするから、今仰せになりましたやうな點は何等御懸念になる必要はない、之に基きまして各種の具體な法律があの勤勞の義務を強制するならば、現實の問題はそこから發生すると考へて居る次第であります

○子爵大河内輝耕君 植原大臣から政治的の御答があり、金森大臣からは今迄の經過を其體的に御述べ下すつて能く分りましたので、兩大臣の言明に信頼致しまして二十七條第一項の修正案を撤囘政します

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

勤労の権利だけでなく義務を規定せよと主張して、実際にそういう修正を勝ち取ったのは社会党の側であり、当初それに消極的な姿勢を示しつつも最終的にそれに同意したのが吉田茂の自由党政府であり、なおもそれに「多数の専制」の危険を感じて疑問を呈していたのが貴族院議員であったというのは、もちろん近代思想の配置構造からすれば当たり前のことなんですが、もはやその当たり前がまったく共有されなくなるにいたった現在においては、極めて奇妙に見えてしまうのでしょうね。

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水島治郎編『保守の比較政治学』

41dmetj5ptl_sx349_bo1204203200_ 水島治郎編『保守の比較政治学―― 欧州・日本の保守政党とポピュリズム ――』(岩波書店)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/X/0247930.html

現在のヨーロッパでは,既成保守政党のかつての支持基盤が弱体化する一方,右翼ポピュリスト政党への支持が急速に伸びている.それに対応する各国の保守政党の変容・再編を比較し,現代ヨーロッパ政治を読み解く視座を提供する.日本の保守政党を分析する一章を加え,日本の政治状況を世界的文脈のなかに位置づける.保守政治に関する初の体系的研究.

水島さんをはじめとするヨーロッパ諸国を専門とする比較政治学者のみなさんが、「保守」と「右翼」という切り口から分析した本で、ヨーロッパ政治に関心のある人にとって面白いのはもちろんですが、日本との共通性と相違点を考えることも興味深い論点になります。

水島さんの導入部に続いて、古賀光生さんの「西欧保守における政権枠組の変容」、中山洋平さんの「福祉国家と西ヨーロッパ政党制の凍結」が総論的に概観し、そのあとオランダ、スイス、フランス、オランダ、イギリス、ドイツ、イタリアといった諸国ごとにみていきます。そして最後に中北浩爾さんが日本の近年の政治動向を整理しています。

冒頭部分がここにPDFファイルで載っていますので、関心のある方は是非目を通してください。

http://www.iwanami.co.jp/.PDFS/02/X/0247930.pdf

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『月刊連合』7月号に斬り込み隊長登場

201607cover今月も『月刊連合』7月号をお送りいただきました。いつもありがとうございます。なんですが・・・、

http://www.jtuc-rengo.or.jp/shuppan/teiki/gekkanrengo/backnumber/new.html

表紙に「次世代にツケを回さないために 山本一郎×神津里季生」とあります。

え?やまもといちろう?やまもとたろうでもなく、やまだいちろうでもなく、あのやまもといちろう?

表紙をめくると、確かにそこには斬り込み隊長の顔が神津会長と並んでいます。

201607_p2

斬り込み隊長の名前の下には、「東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員」というもっともらしい肩書きがついていますが、その下の細かい字を読んでいくと確かにまごうことなきあのやまもといちろうさんですね。

その山本一郎さんの言葉は真っ向勝負のど直球。

-今回の選挙の争点は?

山本 ズバリ「社会保障」、そして財政です。・・・

山本 実際の選挙戦では、各候補とも「社会保障は大事」だと主張しつつも、争点として具体的な内容にまで踏み込んで問題を提起しなかった。・・・

神津 なるほど。今回の参院選で同じ轍を踏まないことが大事ですね。・・・

山本 仰るとおり、安倍政権が成立して以降、まさに具体的な社会保障の政策議論がすっぽり抜け落ちているんです。景気さえ良くなれば、全て解決するのだと。・・・

ここで斬り込み隊長が「同じ轍を踏んでいるんじゃないですか?」とか口走ると面白いところですが、ここでは紳士に徹しているようです。

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経団連産業技術本部編著『 職務発明制度Q&A』

Bk00000438同じく讃井暢子さんからお送りいただいたのが経団連産業技術本部編著『 職務発明制度Q&A-平成27年改正特許法・ガイドライン実務対応ポイント』(経団連出版)です。

https://www.keidanren-jigyoservice.or.jp/public/book/index.php?mode=show&seq=438&fl=1

平成27年改正特許法は約90年ぶりの大改正となり、28年4月には新たなガイドラインも公表されました。今回の改正は、企業にとってビジネスの実態により即した「原始法人帰属」を認め、発明者に付与する「対価」を「相当の利益」とすることで、知財戦略の選択肢を広げました。この改正の趣旨に沿った、民間企業による実務面での具体的な対応が求められています。
 本書は今回の改正に完全対応し、わかりやすいQ&A形式で解説しました。人事・労務担当者から、知財のベテランまで必携の一冊です。

この職務発明制度の改正は、経団連が強くプッシュしたもので、連合はかなり強く反対していたもので、その意味ではその一方当事者の立場からの解説書ということになりましょう。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-0376.html(職務発明への労使の意見)

・・・つまり、労働組合側が労働者個人個人の貢献と報酬を明確にするジョブ型のルールを求めているのに対して、経営側は会社のみんなが頑張ったんだから、独り占めせずにみんなのものにせよと、メンバーシップ型のルールを要求するという、まことに興味深い対立図式となっていることがわかります。

・・・ただ、発明という世界のことを、そういう会社員の共同体世界の感覚だけで論じていいのかについては、なまじ私がそういう世界とは縁遠い人間であるがゆえに、留保しておきたいところもあります。

そもそも、民法246条1項但し書きにもかかわらず、雇用労働者の加工による労働生産物についてはいかなる場合でも労働者の所有にならない所以については、19世紀ドイツ以来民法学における一つの論点であったわけですが、そのさらに例外として知的生産物については雇用労働者たる発明者に帰属するという二重の例外を設けていることの意義についても、必ずしもきちんと議論され尽くしているようには思えません。

そして、一番興味深いのは、何かというとメンバーシップ型は奴隷制だとか、ジョブ型正社員はメンバーシップ型を賞賛するものだとか、口を極めて罵っている評論家さんたち当の御仁が、こういう問題になると、あら不思議、成果を挙げた発明者なんかよりもそのまわりで貢献した従業員たちのためにというメンバーシップ型全開のイデオロギーを振り回して何の疑いも抱かないというところでしょうか。

この問題に関する限り、城繁幸氏の同志は労務屋さんであるようです。

・・・なんにせよ、労務屋さんのロジックからすれば、発明者というごく一部のエリートだけに莫大な利権を与えるのではなく、縁の下の力持ちとして貢献した名も無き組織の人々のことも考えろという、まことに共同体的連帯意識あふるる主張であるはずが、こともあろうに発明者保護を弱者保護だとかソーシャリズムだとかと罵る人によって主張されているというところにこそ、この問題の皮肉な構造が露呈していると思うわけです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-22e8.html(ノーベル賞:物理学賞に中村修二氏ら日本人3氏)

・・・ちなみに、これまた全く図ったわけではないのでしょうが」、『月刊連合』が「職務発明に関する権利の法人帰属化は発明のインセンティブを削ぎ、人材流出を招く」という座談会をやってますね。水町勇一郎さんが労働法サイドから出席しています。

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「ニッポン一億総活躍プラン」を読む@『先見労務管理』7月10日号

1281682003_p『先見労務管理』7月10日号に「「ニッポン一億総活躍プラン」を読む」を寄稿しました。

http://senken.chosakai.ne.jp/

去る6月2日に「ニッポン一億総活躍プラン」が閣議決定された。昨年10月以来、アベノミクスの新しい三本の矢とともに打ち出された第3次安倍内閣の目玉プランとして、この半年間さまざまな議論を巻き起こしながら練られてきた政策の集大成である。本稿では、これまでの動きを簡単におさらいするとともに、プランの内容についてはとりわけ企業の人事労務管理や労働法制への影響の高いものを中心にみていきたい。

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山極清子『女性活躍の推進』

Bk00000436_2例によって讃井暢子さんより、山極清子『女性活躍の推進-資生堂が実践するダイバーシティ経営と働き方改革』(経団連出版)をお送りいただきました。

https://www.keidanren-jigyoservice.or.jp/public/book/index.php?mode=show&seq=436&fl=1

市場の成熟化や少子高齢化、グローバル化が進展し、顧客ニーズが多様化するなかで企業が発展を続けるには、多様な人材を活用していくことが求められます。とりわけ人口が急速に減少していく今後は、女性社員を積極的に管理職そして役員に登用していくことが不可欠です。女性の活用により、企業内のパワーバランスを変え、組織変革を通じて生産性を向上させ、価値創造性を高めていくのです。そのためには、ジェンダー・ダイバーシティ施策とワーク・ライフ・バランス施策を組み合わせて進めることが欠かせません。本書では、資生堂でダイバーシティ経営に向けた意識改革・行動改革と女性の活躍推進を実践してきた著者が、その具体的取り組みを詳述します。
 各社の「女性活躍推進・次世代育成支援行動計画」実現に欠かせない一冊です。

これではあたかも、資生堂の経験に基づくハウツー本のようですが、いやいや、これは著者の博士論文「日本的雇用慣行を変える「ダイバーシティ経営」-女性管理職登用が経営パフォーマンスに与える影響」(2014年度、立教大学)をベースに一般向けに書き直したもので、本格的な論文です。

さいごの「おわりに」から、著者の山極さんがこの本を書かれた思いが伝わってくる一節を引用しておきましょう。

・・・今日、高成長モデルが破綻し、かつての日本的経営を構成していた年功序列賃金や終身雇用、男性片働き世帯を支える客観的条件はもはや存在しない。それでも男性はもっぱら仕事を担い、女性はフルタイムの従業員であっても家事や育児を担うという性別役割分担の状況は変わっていない。働き方・働かせ方においても、職務が明確になっておらず、労働時間の長さで評価される傾向があるため、長時間労働などの状況も続いている。

その結果、恒常的な長時間労働と固定的な性別役割分担とが対構造となって、日本的雇用慣行は温存されている。・・・こんなことで、日本の経済や社会が今後まともに維持発展できるとはとても思えない。

このような閉塞状況の中で、どうしたら女性活躍の阻害要因を取り除き、女性管理職登用が実現できるのか、筆者の思考の拠り所となったのが、アメリカの「ジェンダー・ダイバーシティ・マネジメント」という経営理念である。・・・

日本とアメリカでは労働環境も企業を取り巻く社会的条件も同じではないが、ジェンダー・ダイバーシティ・マネジメントの導入は、日本的雇用慣行を変革する経営手法として有効であるはずだ。なぜなら、これからの日本の企業経営には、従業員の多様性、とりわけ、これまで活かされてこなかった女性人材を企業組織の管理職、役員に積極的に登用して企業内のパワーバランスを変え、加えて組織変革を通じて時間当たりの生産性を向上させ、価値創造性を高めていくことにつながるからである。・・・

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エマニュエル・トッド『家族システムの起源Ⅰユーラシア(下)』

9784865780772pt01 昨日のエントリの続き。エマニュエル・トッドの大著『家族システムの起源Ⅰユーラシア』の下巻です。

http://www.fujiwara-shoten.co.jp/shop/index.php?main_page=product_info&products_id=1500

下巻はヨーロッパと中東。

ヨーロッパは、『新ヨーロッパ大全』を歴史的に語り直したものですが、とても話が入り組んでややこしい。

どうもよくわからないのが、ローマ帝国がなぜ直系家族的社会から平等核家族社会に変わっていったのかという説明のところ。

ローマ法が繰り返し引用されているんだけど、法律が社会を作ったわけではなく、社会が法律を作ったはずなので、ここのところが今ひとつ腑に落ちない。

トッドの全体のイメージが、核家族→直系家族→共同体家族という発展図式なので、ここは逆転現象、を起こしていることになってしまっている。そのメカニズムの説明が不明。

しかし、ここで古代末期西欧社会が平等核家族社会であったことが、その後東からの共同体家族の侵入や、内部での直系家族の創発にもかかわらず、ヨーロッパに(アルカイックな!)核家族が残存する原因となるというのだから、そこはやっぱり重要でしょう。

中東の話はもっと目が回る。メソポタミア文明の歴史の中に中国文明がまるまる収まってしまうと言うのは面白い。

あと、この本ではおそらくあえてイスラエルの話は正面から論じていないのでしょうが、古代オリエントの辺境の直系家族社会として生まれたユダヤ人がその後ディアスポラとなってその性格を維持し続けるという話は、おそらく1章割いてもいいくらいの話だったはず。

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国際女性の地位協会シンポジウム

2016年8月6日(土)に国際女性の地位協会が開くシンポジウムに出席します。

均等法から女性活躍へ

8月6日(土)午後1:30~4:00

港区立男女平等参画センター リーブラ

赤松名誉会長が基調講演

シンポジウム:

たかまつなな・濱口桂一郎・越堂静子・堀内光子

Wwn

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エマニュエル・トッド『家族システムの起源Ⅰユーラシア(上)』

9784865780727pt01 最近はドイツをdisったり、フランスの反イスラムを批判したり、で有名なトッドですが、四半世紀前に『新ヨーロッパ大全』を読んだ時の衝撃は今でも覚えています。

そのトッドの、全世界の家族システムの歴史的展開を壮大にかつ事細かに描き出した大著。

http://www.fujiwara-shoten.co.jp/shop/index.php?main_page=product_info&products_id=1496#details

上巻のアジア編を読んだところで、いくつか感じた既視感をメモ。

まず一番マクロには、中国、ロシア、インド、中東の父系大家族共同体システムが、ユーラシアの遊牧民族と直系家族化していた農耕民族の接触から生まれた、というストーリーが、半世紀以上前に梅棹忠夫が唱えた文明の生態史観を思わせる。

中国自体については、春秋戦国時代には兄弟不平等の直系家族社会だったのが、北方遊牧民族の影響で兄弟平等の共同体家族にかわっていき、名残が南方の福建や客家に残るというイメージは、岡田英弘の中国史のイメージに近い。

日本については、今日ドイツ等とともに世界で数少ない直系家族型の代表である日本におけるその始まりが東国の農民貴族(武士)でそれが広がっていったというイメージは、『文明としてイエ社会』の歴史像によく似ている。

トッドがそれらに影響を受けたとは思えないので、偶然なのでしょうが。

序 説 人類の分裂から統一へ、もしくは核家族の謎

第1章 類型体系を求めて

第2章 概観――ユーラシアにおける双処居住、父方居住、母方居住

第3章 中国とその周縁部――中央アジアおよび北アジア

第4章 日 本

第5章 インド亜大陸

第6章 東南アジア

下巻はヨーロッパと中東。『大全』で近現代史を斬った道具立てで古代にさかのぼる歴史をどう料理するか楽しみ。

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『現代の理論』改題1号

封筒を開けたら、『現代の理論』という大きな文字が目に飛び込んできました。

あれ?明石書店から出ていた『現代の理論』は4年前に終刊し、その後2年前からデジタル版としてネット上でアップされていたはずだけど、また紙媒体になったのかな?と思いましたが、そうではなかったようです。

私も両者の関係がよくわからないのですが、デジタル化した『現代の理論』はこっちにちゃんとあるので、

http://gendainoriron.jp/

今回送られてきたのはそれとは別の『現代の理論』のようです。表紙をよく見ると、「改題1号(季刊・FORUM OPINION・通巻33号)」とあるので、そういうことなんですね。

https://sites.google.com/site/gendainoriron/home

こちらにはまだアップされていないようですが、ここにある『FORUM OPINION』の改題版ということなのでしょう。

ざっと見た限り、どちらもいわゆるリベラル左派の論者がずらりと並んでいるので、何らかのつながりはありそうですが、よくわかりません。

ただまあ、特集が「参院選・安倍改憲政治と立憲主義」で、表紙に並んでいる論文が

安倍政権の歴史的位置と野党・市民連合の可能性 中野晃一

言論の自由の危機にいかに対峙するか 山田健太

原発廃炉の時代に突入したが廃炉は可能か 小出裕章

といった、いかにも典型的なリベラル左派然としたものばかりで、どうも食指が・・・・・。

あえてその中でも探せば、被曝労働を考えるネットワークの中村光男氏の「孤立無援の被曝労働者 除染作業下で人間が潰される福島第一で初の労災認定」が、最近余り関心が向けられなくなった原発関係の被曝労働の問題を取り上げていて興味深かったのですが、この雑誌全体の中では、原発批判の文脈に含まれてしまっているように見えて、労働問題としての展開がどうなんだろうという気がしました。

この論文自体は、原発労働から話を広げて、日本の産業構造の重層下請制度の問題だと論じているんですが、そっちの、社会政策的な問題意識は雑誌全体としては必ずしも余りメインではないような感じです。

あと、蜂谷隆氏の「日本経済を俯瞰する本」の中で、松尾匡さんの『この経済政策が民主主義を救う』が取り上げられていたことは報告しておきますね。

・・・ところで、同書が出版されて以降のことではあるが、金融政策に行き詰まったことでアベノミクスは、第2の矢である財政出動にシフトしつつある。「復活ケインズ理論のリフレ派」もオールドケインズ理論に戻り始めた。松尾氏は現時点でどのようなスタンスを取っているのか、是非聞きたいものである。

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大内裕和『ブラックバイトに騙されるな!』

0994_detail大内裕和さんの『ブラックバイトに騙されるな!』(集英社)をお送りいただきました。ありがとうございます。「ブラックバイト」という言葉を世に広めた、というよりも、ブラックな学生アルバイトの実態を「発見」し世間に広めた、と言うべきでしょう、大内さんの単著です。

http://www.shueisha-cr.co.jp/CGI/book/detail.cgi/0994/

長時間労働に無理なシフト、罰金、売り上げノルマ、果ては自爆営業の強要まで――。まだ社会経験の浅い学生を都合のいい労働力として、過酷な条件で働かせる「ブラックバイト」。その問題点を浮き彫りにし、解決策までを提示する。

昨年、今野晴貴さんとの共著『ブラックバイト』(堀之内出版)を出し、今年はそれぞれ単著を世に問うています。

ブラックバイトの巧妙な手口とは? やめたくてもやめられないバイトから抜け出す方法、身を守る方法とは? 困っている本人に仲間・友人、大人たちは何ができるのか?
学生たちから直接相談を受け、早くからブラックバイトの問題提起を行ってきた第一人者による決定版。もはや知らないでは済まされない、若者をむしばむブラックバイトの実態が明らかになる!

『下流老人』『貧困世代』著者の藤田孝典氏、推薦!
「断言できる。これほどまで学生の生活について熟知している研究者はいない。
だから言える。学生よ! 親よ! いますぐブラックバイトに備えよ!」

この概念を作り出した大内さんが、どうしてこの「見えなかった現実」に気がついたのかを語る冒頭部分が興味深いです。

また、50歳間近という年齢層であることから、自分の経験に引っ張られてブラックバイトの現実が分からない中高年世代を念頭に置いて、噛んで含めるようにいかにアルバイトの現場が変わったのかを説明していく姿は、今野さんの本とはちょっとひと味違うところでしょうか。

はじめに
●1章 ブラックバイトってなんだ?
●2章 昔とまったく違う現代のバイト事情
●3章 働くことを義務づけられた学生たち
●4章 なぜ学生たちは進んで劣悪な職場にはまり込むのか
●5章 若者を食いものにする貧困ビジネス
●6章 ブラックバイトは日本社会を壊す!?
●7章 法律のプロが語る対応策はこれだ
●8章 学生としての自分をもっと大切に
●資料集 ブラックバイトに遭遇したら

私個人の問題関心からすると、家計補助的であるがゆえに責任も軽かったかつての気楽な学生アルバイトの前提条件であった日本型雇用システムが収縮し、その周辺部が家計補助的賃金で家計維持しなければならず、正社員的重責任を負わされながら非正規的軽処遇で働かされるという問題を発生させてきている一つの現れと言うことになります。この問題を突き詰めていくと、「学生であることを尊重しないアルバイト」の、その「学生であること」の社会的意味は何なのか?という問いにつながっていきます。

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