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2016年6月19日 (日)

拙著評2つ

112483 4月に『若者と労働』を書評していただいたグアルデリコさんの「世の中備忘録」というブログで、今度は『日本の雇用と労働法』を書評いただきました。

http://ameblo.jp/acdcrush/theme-10085976012.html

濱口氏の2冊目の本読了。

実に興味深い。日本の雇用問題の経緯は日露戦争から第一次世界大戦の頃に端を発しているというのも面白かった。

結局メンバーシップ型雇用(=いわゆる日本の正規雇用)からは当分日本の大企業は抜けられないのではと思う。・・・・

Chuko また、fktackさんの「意味をあたえる」というブログでは、『若者と労働』について、「こういうの待ってた」とコメントされています。

濱口桂一郎著「若者と労働(中公新書ラクレ)」を読んで、こういうの待ってた、という気になった。私は長い間組織に入ったらどうしてそこに忠誠を誓わなきゃいけないのか、会社のためにがんばらなきゃいけないのか、本当は社長や上司など見る角度によっては私よりもぜんぜん愚か者なのに、すべてのパラメーターが自分よりも上回っているような態度を取らなければならないのが疑問であったが、ある程度の答えを得ることができた。それまでは無能のふりをする罪の意識を、無気力、やるきゼロの態度でごまかしていたわけだが、著者の主張する世の中が実現するのなら、私はやる気を少しは出せるのかもしれない。・・・・・

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コメント

最近、「そもそも無限定正社員(メンバーシップ)は「契約」の基本要件を満たしてないのでは?」とツラツラ考えていた矢先に…ありましたよ、先日Hamachanが紹介していた「労働法」(磯田進著、1959)の中に関連コメントが…。

「こういう関係は「契約」関係ではない。民主主義社会ににおける労働関係は、本質において(労働力という商品の)売買関係だといったが、右の女中さんのような労働関係は、どう見ても売買関係の要素を備えていない。売り渡される商品の分量(労働時間)がキチンと決められていない、また代価の金高もきまってない、そういう売買契約はありえないのである。

・・・これを「給付・反対給付の定量性」の原則に反するという。売買契約に、あるいは契約関係一般に、通有の原則に反しているということである。

・・・ここに見られるような関係は、労働力の売買契約という原理とは全く別の原理によって規律されているというべきである。それはつまり、「一人の人間をまるまる抱えてしまう」ということ。相手方に無定量の服従・奉仕義務を負わせる、その代わりにこちらは無定量の生活保障を与えてやるということ―であって、これは封建時代の殿様と家来と(領主と家臣と)との間の関係を規律していたのと同じ原理に他ならない。

・・・すなわち、一方の側からは「忠勤・奉仕」を差し出すという関係であって、雇われている方からいえば、提供すべき労働の量も受け取るべき給与の量も予め契約によって定められておらず、ひとえに相手方の意志次第で決定される。

・・・かくのごときは「契約関係」ではなくて「身分関係」である。すなわち、いったん相手方との間に主従関係に入り、相手方の庇護のもとに身をおいた以上、相手方には絶対的、無条件に服従奉仕しなければならぬ、という関係なのである。」

ということで、せっかく作った「労働契約法」で今後堂々と取り締まれないものでしょうか…?わが国の「無限定正社員」(メンバーシップ)は労働契約上、NGですよって。

投稿: 海上周也 | 2016年6月20日 (月) 22時31分

いやいや、よくぞ磯田さんの『労働法』なんてみつけられましたね。今どき労働法関係者でも誰も知らないであろう本ですが。

投稿: hamachan | 2016年6月20日 (月) 22時39分

はい、日本人の「泣き所」ともいえる、非常に根の深い問題だと思ってますので古書でも洋書でも何でも調べますよ…。

「法」「自由」「契約」「労働」「個人」「権利」「労働時間」「賃金」・・・などの基本的概念とわが国での受容の歴史について、実務者の観点で人材マネジメントを語る前に(Hamachanのお力も借りながら)もっと深く追究&整理していきたいですね。

投稿: 海上周也 | 2016年6月21日 (火) 08時33分

先ほど掲載された盛田昭夫氏のエントリ(「56年前に全て言われ尽くしていた」)のちょうど同じ頃(1959年, 今から58年前)、上で引用の通り労働法学者 磯田氏が全く同じテーマ「契約か?奉仕か?」を論じています。

ニッポン企業で働く社員の「奉仕」が実際に問題となるケースは、ブラック企業や長時間過重労働(過労死や過労自殺)や転勤(単身赴任)やコンプライアンス(忖度や不正隠し)でしょうが、なぜかくも大勢の人が「奉仕」せざるを得ないかと言えば、「人事権」たる自分の職務と勤務地を決める権利を会社に委ねてしまっている故でしょう。(日本以外の国では、自分の職務と勤務地を決めるのは責任ある大人の自己決定権です)

今後、無限定社員が「奉公」から脱するには、やはり少なくとも中高年年代からは過当な長期トーナメント社内競争の原因といえる「無限定契約」を原則禁止し、本来の労働契約たる職務限定契約へ全員移行していくのが望ましいと考えます。

いやいやわが日本企業ではそれはまだ無理でしょ、と思っている間は、未だ「戦後」は終わってないのかもしれません…。

投稿: 海上周也 | 2017年8月18日 (金) 20時49分

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