当たり前のことばかり書いてあるように感じるかもしれないが
「松宮慎治の憂鬱」というブログで、拙著『日本の雇用と中高年』がさらりと短評されています。
http://shinnji28.hatenablog.com/entry/2016/05/28/050000
本書を執筆しているのは労働政策研究・研修機構の首席統括研究員である。
その意味で,アカデミズムを背景とした新書になってるため,特定の価値観を煽るものではなかった。読む人によっては,当たり前のことばかり書いてあるように感じるかもしれないが,自明のことを正確な論拠をもって示されている好著である。
はい、仰るとおりです。「当たり前のことばかり書いてあ」ります。「特定の価値観を煽るもの」ではありません。
でもそれを「自明のことを正確な論拠をもって示されている好著」という風に、評していただけることに感謝の言葉もありません。
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本人です。まさか見ていただけるとは思わず、不遜な表現になってしまいました。申し訳ありません。
引き続き、勉強させてください。
投稿: 松宮慎治 | 2016年6月10日 (金) 12時25分
いえいえ、ありがたい書評でした。
他の本もお読みいただければ幸いです。
投稿: hamachan | 2016年6月10日 (金) 19時52分
いまある雇用社会の姿が多くの人にとって「あたりまえ」で「自明」であるからといって、それが全く「必然」でもなければ、現時点において必ずしも「望ましい」ものであるとも限らない、ということを実証的かつ客観的に、一方で水面下に煮えたぎる「熱い意志」を抑えつつ執筆されたのが本書の相貌かと…。
投稿: 海上周也 | 2016年6月10日 (金) 22時19分
海上さんのコメント内容にこそ熱き思いを感じられますが、諸問題が顕在化しない大衆の無知と家庭やリージョナルの犠牲を越える再分配システムがせめぎ合っても余りある便益を多数=総中流神話でええじゃないかとできていた「後払いのツケ」を今払えないからと、その先人発行手形をジャンプしてといっても仲間と思っていた業界内が実は火の車でツケ回しが効かない不渡り一歩手前をはまちゃん先生は研究分野を介して発信しておられるのでしょう。ですが、こうした社会分野の論評に客観は存在しませんよ。後段の熱い意志があると言われたら「そりゃそうでしょう。でなければ私のような難癖つける輩を相手にすることをいとわないブログなんか主催されないでしょうか
ら」と思うのです。客観ってあるものすべてをすくなくとも醒めてみているなあと思わせることではじめて他者がそれに反証を保障されるべき不完全ながら議論を健全に展開できるいわば担保みたいなものですし、それは結果冷酷なものです。稚拙な私が想像できるとすれば、マーシャルを念頭に仰ったのかも知れませんし、けっして揶揄しているわけではないことはお断りしておきます。が、ブログ主がのお立場から単純に私的とはいえないと思われますので気になりました。どなたも気にならないのでしょうかねえ?そうだとすれば、そちらのほうがすべてのエントリを凌駕する、まさに一刻も早くその客観性を認められる方向性でこうした双方性ツールの利点を最大化した市民の便益に供されるべき大本の問題のように思われてなりませんですから、まさに俗人ブログ発言とは違い、商業本での取り扱いに本質的な客観は存在できないと思います。そこには売買契約があり、それを扱うことで生業とし所得を得る出版業のステークホルダーが各段階でおられるのですから表層と深層の両方を捉えてしかるべきかと思います。
私にはよかった、と仰られていることは重々承知で、しかし影響力のあるブログと思われますのでかなり気になりました。
海上さん、失礼しました。
投稿: kohchan | 2016年6月12日 (日) 21時14分
Kohchanさん、上記コメントありがとうございます…。私も正直どれだけ正確に理解できているか自信はありませんが、いつも貴殿のスタンスと論評内容から相応の刺激と影響を受け、勉強させていただいてます。今後も微力ながら、当分野の実践家として自分なりに妥当と考えるコメントや見解を発信していく所存です。
投稿: 海上周也 | 2016年6月13日 (月) 08時42分
海上さん、そしてバカコメントを懲りもせずに掲載してくださるはまちゃん先生に感謝申し上げます。
少しでも未来の人に判別可能でシンプルに生きていける、そしてそれによる余剰を利用してその人々がまた考え抜き、そのまた未来の人へ先人としての社会的なプレゼントができるような連続的な紡ぎが私の理想です。
投稿: kohchan | 2016年6月13日 (月) 09時59分