『日本の雇用と労働法』第6刷
こちらは時論というよりも大学生向けの平易なテキストブックですが、5年足らずの間に6刷目と、やはり着実に読まれ続けているようで、有り難い限りです。
日本型雇用の特徴や、労働法制とその運用の実態、労使関係や非正規労働者の問題など、人事・労務関連を中心に、働くすべての人が知っておきたい知識を解説。過去の経緯、実態、これからの課題をバランスよく説明。
著者は労働法や、人事労務の世界で、実務家・研究者から高い評価を受ける気鋭の論客です。
本書をめぐっては、刊行時に金子良事さんと大変深く突っ込んだやりとりをしたことがありますので、そのときのお互いのエントリをお蔵出ししておきましょう。
http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-217.html(『日本の雇用と労働法』に寄せて)
濱口さんの『日本の雇用と労働法』日経文庫を何度かざっと読みながら、何ともいいようのない違和感があったので、改めて『新しい労働社会』岩波新書と『労働法政策』ミネルヴァ書房を比較しつつ、水町先生の『労働法入門』や野川先生の『労働法』などを横目にみながら、改めて日本の雇用と労使関係ということを考えることにしましょう。結局、何が違和感を覚えるかといえば、私は徹頭徹尾チャート式が嫌い、テストもテスト勉強も嫌いということに行きつくことが分かりました。・・・
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-a44e.html(金子良事さんの拙著評)
・・・どこまでこうした「ねじれ」を腑分けして解説するかというのは難しい問題です。本書では、学部学生用の教科書という性格を私なりに理解して設定したレベルに留めていますが、それが専門家の目から見て違和感を醸し出すものであろうこともまた当然だと考えています。・・・
いずれにしても、学部生向けの本書の書評でありながら、社会政策の専門家でないと何を批判しているのかよく分からないくらい高度な書評をいただいたことに、感謝申し上げたいと思います。
http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-218.html(濱口先生への再リプライ)
私の書き方が悪かったのと、少し考えが足りなかったせいで、ちょっとした誤解を与えてしまいました。チャート式が嫌いというのは、それはそうなんですが、別に不要であるという意味ではありません。ただ、今回の社会政策・労働問題チャート式への不満は内容がやや古いということです。逆に言うと、これはこの分野が学問的にほとんど見るべき進展を見せずに、停滞していることを意味しているのでしょう。それならば、むしろ、その責任は濱口さんではなく、教科書を書くと言って書かない某S先生に全部押し付けたいところですが、私も含めて学会員は等しく少なくともその一端を担うべきでしょう。・・・
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-9e2c.html(金子良事さんの再リプライ)
それはまったくその通りです。大河内一男まではいきませんが、私が学生時代に聴いた社会政策の講義は兵藤釗先生。頭の中の基本枠組みは『日本における労資関係の展開』で、その上に最近の菅山真次さんなどが乗っかってるだけですから。
ただ、それこそ「教科書を書くと言って書かない某S先生」に責任を押しつけるんじゃなく、kousyouさんの「金子さんの労働史を整理した本読んでみたいなぁ」という励ましのお便りに是非応えていただきたいところです。
http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-219.html(濱口先生への再々リプライ)
多分、今回もそうですが、別に濱口先生と私の間には、こうやってやり取りする中で、いろんな刺激を受ける方が出てくれば、もうちょっと砕けて言えば「面白いじゃん」と思ってより多くの関心を持ってもらうというのが狙い、というより願いです。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-d4cc.html(メンバーシップ型労働法規範理論)
・・・このあたり、規範理論としての理念型と、説明理論としての理念型がやや交錯してしまっていますが、それは、わたし自身が必ずしもメンバーシップ型の理念をあるべきものと考えているわけではないという前提で、現実社会を支配している理念の構造を説明しようとする以上、やむを得ない現象ではないかと思いますが、それと第1段階の現実そのものととりわけ第3段階の理念型としての規範理論の影響下で形成されてきた第2段階の判例法理という名の「現実」とが、すべて「現実」としてごっちゃに理解されてしまうことは危険ではないかという金子さんの指摘は、まさにその通りであろうと思います。
まあ、そこを単純化してしまっているところが、「社労士のテキスト」ではないにしても、「チャート式」である所以なのだ、と言ってしまうのは、盗っ人猛々しいと金子さんに批判されるかも知れませんが。
http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-220.html(労働法規範理論と社会科学としての法)
濱口さんは今回の本を労働法と労使関係論を繋ぎ合わせる必要があるという問題意識で書かれたわけですが、以上のような前提を踏まえて言えば、それも全部トータルで法学でやってください、と思わなくもない。法社会学をベースにした労働法をしっかり確立させるということでしょう(もちろん、末弘厳太郎以下、これが豊富な研究蓄積を残しているわけですが)。ただ、労働に関する法社会学が独立した成果を持っているかどうかというと、私の知る限りでは少し心許ないという気もするんです。・・・
濱口先生は私のことを社会政策学徒と呼んでくださって、私もそれが気に言っていたので、あえて言いませんでしたが、これまで議論してきたことは社会政策とか労働問題研究の枠組みで考えるよりも、繰り返しになりますが、全部法学内で何とかしてくれ的なことなわけです。産業社会学や労使関係研究から独立した分野として、労働の法社会学を確立させてくれ、ということなのです。そうして、我々隣接分野の人間はそうした分野の成果から痛切に新しい刺激を学びたいのです。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-bd25.html(そーゆーことは法社会学でやってくれ(意訳)@金子良事)
実をいえば、それができるような状況ではないから、労使関係論や社会政策の蓄積をそのまま流用するような形でしか、この分野が書けないのです。
「心許ない」どころの話ではない。ある意味では驚くべきことですが、日本の法社会学というそれなりに確立した学問分野において、労働の世界はほとんどその対象として取り上げられておらず、事実上欠落してしまっているのです。・・・
その意味で、金子さんの「そーゆーことは法社会学でやってくれ(意訳)」という言葉は、まことに厳しいものであるとともに、この分野の者がこれから何をやらなければならないかを指し示してくれるものでもあります。
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今週、ミーティングで香港に集まったアジア各国人事マネジャーに念のため聞いてみたのですが、やはり日本のような「メンバーシップ契約」(職務非限定契約)を適用している国は、一つもありませんでした。一部のグローバル企業で「職能組織別採用」(例えば「人事部」で雇用する場合は、採用、研修、給与など人事部内のどの職務にもアサインされうる)を適用するケースはあるものの、それでも他部門にはアサインできない(そうする場合は新たにその内容で契約を結び直す)ということです…。
投稿: 海上周也 | 2016年6月 3日 (金) 18時12分