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2016年5月16日 (月)

「定年制の歴史と将来」@『エルダー』2016年5月号

先週金曜日に定年後再雇用の賃金差別についてのインパクトのある判決が出たところですが、この問題を考えるためには、そもそも定年とは何か?という大問題とがっぷり取り組む必要があります。

Elder たまたま、雑誌『エルダー』の5月号から、1年間高齢者雇用に関する連載をすることになり、その第1回目が「定年制の歴史と将来」というテーマだったので、この号がJEEDのホームページに公開されたのを機に、こちらでもアップしておきたいと思います。いろいろと考えるヒントがあるのではないかと思います。

http://www.jeed.or.jp/elderly/data/elder/q2k4vk0000004klm-att/q2k4vk0000004ko0.pdf

 定年制とは、労働者が一定の年齢に達したときに労働契約が終了する強制退職制度です。しかしながら、有期労働契約の期間の定めとは異なり、定年到達以前の退職や解雇が(定年の存在によって)制限されるわけではありません。この点だけで見れば、これは一定年齢到達を理由として労働関係を終了させる制度であり、労働者の雇用を保障する制度ではないことになります。しかしながら、一般的に期間の定めのない労働契約であっても合理的な理由がなければ解雇することができないという法規範が存在しているならば、これは定年年齢までは雇用の継続を保障するという機能をも有することになります。ところが、解雇権濫用法理は戦後1950年代に下級審で発達し、1970年代になって最高裁が認めたものです。それ以前にも定年制は存在していましたが、それはどういう性格だったのでしょうか。

 日本型雇用システムの原型が大企業セクターに成立するのは第1次世界大戦後の不況期でした。この時期に子飼いの本工について概ね55歳の定年制が普及していきます。しかし当時は雇用保障という意味合いはほとんどありませんでした。現に昭和ゼロ年代は、不況の中で全産業にわたって多数の解雇が行われ、激しい労使紛争が頻発した時代です。定年退職までたどり着く労働者はまだほとんどいませんでした。

 日本の企業に定年制が広がったのは終戦後です。これは、全国で解雇をめぐる争議が頻発している時期において、過剰人員を整理解雇という形をとらないで退職させることができるという意味を持ったからです。日経連は後に『定年制度の研究』において「定年制度制定の必要性は戦後益々強まってきた。それは戦時生産遂行のために極度に膨れあがった過剰雇用の問題を急速に解決する必要に迫られたからである。しかも戦後の労基法その他の労働立法や労働運動によって過剰人員の整理は益々困難の度を加えてきたことも定年制度の設定を促進した」と述べています。

 一方、定年制の導入は雇用保障という意味で労働側の要求事項でもありました。1946年4月、日清紡績美合工場では「定年制確立」を要求し、これを受けて男子55歳、女子50歳の定年制を導入しています。ここでは定年制の導入は、定年到達までは解雇させないという意味合いを持っていたのです。多くの企業で1940年代後半期に定年制が導入されています。人員整理のさなかで、使用者にとっての雇用終了機能と、労働者にとっての雇用保障機能とを、同床異夢的に組み合わせた制度としての戦後定年制がここに生み出されたということができるでしょう。1950年代前半に裁判例として解雇を制約する法理が形成されたことも、定年制の雇用保障機能を高めることになりました。

 1954年の厚生年金保険法改正により男子の支給開始年齢は3年ごとに1歳ずつ引き上げられて、最終的には1974年に60歳に到達することになりました。実際に支給開始年齢が引き上げられていくようになってから、労働組合による定年延長要求が現れてきます。例えばナショナルセンターでは総評、同盟いずれも1967年の運動方針で60歳定年を目標に掲げています。

 政府の法政策が本格的に動き出すのは1970年代になってからで、1973年の第2次雇用対策基本計画において「計画期間中に60歳を目標に定年を延長する」ことが打ち出され、同年の改正雇用対策法により、国が定年の引上げを促進するという宣言的規定が設けられました。これに併せて、定年を引き上げた中小企業に定年延長奨励金が支給されることとなり、以後十年あまり、定年延長は予算措置を伴う行政指導ベースで進められていくことになります。1970年代は、民間大企業を中心に55歳定年制から60歳定年制に移行していった時期です。55歳定年は1968年には63%でしたが1980年には40%に減り、逆に60歳以上定年はこの間22%から40%に増えて、ほぼ交差するところまできました。特に1980年前後に大手鉄鋼業や銀行などが60歳定年の実施を決めています。

 定年延長の立法化問題が政治課題となったのは1979年、野党の社会党及び公明党から60歳未満の定年を禁止する法案が提出され、労働大臣から雇用審議会に諮問する旨表明されたことによります。「昭和60年に60歳定年」というスローガンの下審議が繰り返され、1985年にようやく労使の合意が得られ、これに基づき1986年に成立したのが高齢者雇用安定法です。これにより「事業主は、定年を定める場合には、60歳を下回らないように努める」こととされ、これを実効あらしめるための行政措置規定として、定年引上げの要請、定年引上げ計画の作成命令、その適正実施勧告、さらには従わない場合の公表の規定が盛り込まれました。その後、60歳以上定年企業は上昇の一途をたどり、1993年には80%に達しています。こういった状況もあり、1994年改正により60歳未満定年が禁止され(施行は1998年)、1970年代初頭の問題提起以来、20年あまりの紆余曲折の末、ようやく法的義務化という形で最終決着に至りました。

 さて、その後の年金改正により支給開始年齢は60歳から65歳に引き上げられていきますが、今度は雇用政策の主たる方向は定年の引上げではなく、継続雇用という形を取っていきます。その理由や問題点は次回に取り上げることとしますが、ここでは一点だけやや細かい法律論を展開しておきます。とりわけ2012年改正により原則として例外なく希望者全員の65歳までの継続雇用が義務づけられたことを前提に、改めて冒頭の定年制の定義をじっくりと読み直してください。希望者全員を65歳まで継続雇用しなければならないということは、定年と称している60歳はいかなる意味でもそこで労働契約が終了する年齢ではあり得ないということです。もちろん人事労務管理の実務からいえば、賃金制度や退職金の扱いなど大きな違いがあるわけですが、法的にいえば、定年到達前の段階で賃金を大幅に引き下げたり、退職金を精算してしまうこともありえます。いわゆる選択定年制における早期退職年齢が法的に定年(強制退職年齢)でないのと同様に、希望者全員が65歳まで継続雇用される制度における60歳は法理論的には定年ではないはずです。2004年改正では労使協定による選別を認めていたので強制退職年齢という性格も残っていましたが、今やそれもありません。

 やや皮肉な言い方になりますが、法的には65歳定年の義務化であるものを65歳継続雇用の義務化と呼ぶことによって、60歳時点での賃金や退職金その他人事労務管理上の扱いを変えることを公認していると言えましょうか。

まさに「60歳時点での賃金や退職金その他人事労務管理上の扱いを変えることを公認」するために、強制退職年齢という本来の意味からは60歳定年とはいかなる意味でももはや呼び得ないものをあえて「定年は60歳だよ、そのあと65歳までは継続雇用だよ」ということにしていたのに、そしてご丁寧に高年齢者雇用継続給付によってそれを法制的にも当然の前提としていたのに、労働契約法20条という異次元からの正義でもってそれをあっさりとひっくり返してしまったのですから、今回の判決のインパクトは大きいわけです。

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コメント

ルール上でのインパクトが得られたとすれば、次はやはり当事者たちということになりますね。
ここはぜひとも、「インパクト」というより「転換点」であると覚悟を持って楽観的に捉えるくらいの器量を労組には見せてほしいのです。今、所得依存者に何がほしいかといえば、やはり希望であり、期待であろうかと思うのです。その後継者となる学生はそれ以上に不安を抱えているでしょうし、人のさがは今日以上に危機を覚えると協調ではなく自らの生き残りを選択することになりましょう。もう何としてもそれは避けなければと思います。
金融マーケットなんてこれ一本やりで中央銀行への圧力と期待(おねだり)をするまさに先験を示してくれておりますから、したたかに新たなる「拮抗」とはいかなるものかを労組各々早急な意見集約を期待したいなあと思います。

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