児美川孝一郎『夢があふれる社会に希望はあるか』
児美川孝一郎さんから新著『夢があふれる社会に希望はあるか』(ベスト新書)をお送りいただきました。ありがとうございます。
http://www.kk-bestsellers.com/cgi-bin/detail.cgi?isbn=978-4-584-12502-1
なかなか皮肉の効いたタイトルですが、
夢を持つことは、いつもそれだけで良いこととして語られる。
夢を持って努力する人は素晴らしいと賞賛されるし、夢を実現させた人が「あきらめなければ夢はかなう」と言うと、なんだかそんな気がしてくる。
そういう意味で、この社会には「夢をあおる」風潮がある。
しかし、夢を持つことはそんなに素晴らしいことなのか?
「努力すれば夢はかなう」というのはある種の迷信だと、みんなどこかで気づいているはずなのに、夢がかなえられなかったときにどうすべきかについて、誰も言及しようとしない。
こんな無責任な社会の中で、周囲の理想論に惑わされずに人生設計をする方法とは?
キャリア教育の専門家である著者が提言する。
そもそも「就社」社会の日本で、ジョブの夢を追わせるということだけでもかなりインチキなんですが、「就職」社会の欧米ではそんな夢を追わせないということを考えると、むしろ、それだからこそ空疎な夢を追わせるしかない、という姿が浮かび上がってきます。
もちろん、児美川さん、夢をたたきつぶしてことたれり、というわけではありません。
エピローグに出てくる、
「等身大の、ありのままの自分が認められ、でも、少し背伸びすることを求め、励ます社会」
というのがいいですね。「少し背伸び」ってあたりが。
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日本特撮に「俺に言わせればな、夢ってのは呪いと同じなんだよ。呪いを解くには夢を叶えなければならない。でも、途中で挫折した人間はずっと呪われたままなんだよ。」という有名な台詞がありまして、、、、
投稿: Dursan | 2016年4月14日 (木) 06時51分
日本では持ち家制度を奨励し、それまさにその具現化代替物の筆頭が「持ち家」とされてきた(今はより家計負債経済邁進中ですが)わけですが、少なくとも米国発症のサブプライムローンによるパワーアップされた持ち家の家計負債型金融による作為性はあれ、夢実現に米国民は皆が狂乱した実証をみると、労働所得依存層もその昔とはすっかり変わり、あまり本質的な差異はなかったのではとも思われます。違いは労働にのみ束縛されない人生の余暇を政治を含めその影響下にある労使双方がどのように認識しているのかではと思われてなりません。いろいろと軋みもあれど、存外に今の若者のライフスタイルは日本の生活や文化慣習を破壊してくれるかもしれない可能性すら感じます。チョビットですが。キャリアアップビジネスに迎合し余暇を考えない若者の方に可能性は感じませんねえ。できる奴は最初からできて、ちょっと接するとすぐ解りますもんね。そういう意味でジョブ型の普及は望まれます。
投稿: kohchan | 2016年4月14日 (木) 11時35分