一斉閉店制
引き続き、「こたつ@人柱」さんのつぶやきに反応しておきます。
https://twitter.com/Ningensanka21/status/723700462575218688
前に読んだ『労働基準法が世に出るまで』で、筆者がどこかの地方局のお偉いさんの時に、深夜・長時間労働抑制のために、その地域全体の店舗に最終営業時間を「指導」して回ったというエピソードが描かれていた(あまり定着しなかったようだけど)
これはおそらく、50~60年代初め頃の時短指導のエピソードだと思われます。
労働時間法制の規制緩和をめぐる攻防が終わった地点から、今度は労働時間短縮に向けた行政指導の時代が始まる。まずは、中小企業を労働基準法の求める水準まで持っていくための行政指導が行われた段階である。
そのきっかけになったのは、1955年春、大阪市内で起こった休日もなく働かされることを恨んだ店員による店主殺害事件であった。これを契機に、翌1956年5月から、大阪労働基準局の指導のもとに、大阪松屋町地区商店街が毎日曜日一斉休日に踏み切った。続いて1957年9月から東京労働基準局の指導のもと、東京日本橋横山町問屋街が毎日曜日一斉休日を実施し、以後全国に広がり、1958年9月末までに2000以上の団体で実施されるに至った。同業者が軒を並べ互いに競争関係にある中小商業サービス業においては、自分の店だけ休むと他の店に客を取られるということから、一斉休業方式が有効な手段であり、労働省は同年10月「週休制の推進及びこれに伴う余暇の善用について」(基発第663号)を発出して、全産業に週休制を普及することとした。
また、戦前は商店法で規制されていたが戦後規制のなくなった閉店時刻についても、1960年10月から千葉労働基準局の勧奨により全県下一斉に閉店時刻を午後9時とする一斉閉店制を実施し、ついで労働省も同年12月「商店街等一斉閉店制普及推進要領」(基発第1007号)を発出して、その普及を図った。
このころはこういう、開店日や開店時間そのものを労働行政が指導するということが行われていたんですね。
その後はこういうのは絶えてみられませんが。
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コメント
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つぶやきに”反応”して・・・。あくまでも私の独りよがりですが、”反射”ではなく”反応”をご使用いただきどうもです。
投稿: kohchan | 2016年4月24日 (日) 10時36分