量で戦う癖
陸上の為末大さんのブログに「量で戦う癖」というエントリが載っています。
もちろんはなしはスポーツ界のあり方に対する警告なんですが、読んでいくと日本の会社のあり方、仕事の仕方に対する苦言そのものとしか思えない文章になっています。
是非ご一読を。いちいち日本の働き方の話に解説する必要もないくらいです。
・・・トレーニングにおいての日本的根性論とは、諸所の問題に対し量の拡大で対応しようとすることである。バッティングがよくないとなれば、1日何時間もバットを振ってスランプを脱しようとし、世界で勝てなければ世界中の誰にも負けないぐらい練習(量)をして戦おうとする。・・・
なぜ、日本のスポーツ界が量をこれほど好むのかというと、日本人の性質というところにいくのかもしれないが、ここ最近で感じるのは、量で問題を解決した成功体験が多すぎるのではないかと思う。・・・・
量の拡大は結局人間の時間が356日(ママ)24時間しかないことを考えるといつか限界がくる。よく努力には限界がないというが、スポーツの世界ではだんだんと量が拡大して行って、いずれトレーングのしすぎで自分の努力で自分の体を壊すことができるようになる。量の確保で勝負をしてきた選手はこの辺りで脱落する。・・・
本当の意味では根性論は結果だけではなく、勝利への至り方にもこだわりが強い。変な話ではあるが、犠牲を払わずに勝ってしまうことを嫌がる傾向にある。満足を、疲労感や、トレーニングの量によって測り、いかにそれでパフォーマンスが上がったかでは計っていない。クタクタにならないと罪悪感さえ抱いてしまう。・・・
そして、考え続けることよりも、むしろ決められたことを淡々とこなすことの方がむしろ楽な時がある。スポーツの現場では根性を出して頑張っているのではなく、時々苦しくて根性に逃げていることすらある。・・・
ほらほら、そこの「頑張っている」あなた、「頑張っている自分にうっとりしている」あなた、あなたのことですよ。
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量なのです。とにかく量なのです。
突撃なのです。あとは神風頼みなのです。
結果を検証をしてならないのです。これが日本の公式です。ですから、その繰り返しなのです。
そして検証しないとは、その責任をしれっと逃れ、喉元すぎた頃にそれを指揮する同じ輩の登場を許し歴史を繰り返すのです。
長期的な戦略などは皆無の「○○の国」なのです。
「1分単位の賃金「エントリーでのはまちゃん先生や皆様各位のコメントで紹介されたように、検証などを要求する輩は変人扱いされ弾き飛ばされるのです。
ブラックの定理です(笑)。
投稿: kohchan | 2016年3月20日 (日) 14時44分
野村総研のコンサルタントが、あるグローバル外資企業の外国人トップから聞いたことば:
「2割の努力が8割の成果を生み出すのに、日本人の多くは、完璧を求めて努力し続け、たった2割の成果のレベルアップ(8割から10割へのアップ)のために、さらなる8割の無駄な努力をしているように見える。」
http://www.nri.com/jp/publicity/n_letter/50th/nl_vol3.html
海外のグローバル企業では、すべてが標準化され、業務のテンプレートもしっかりと決まっていることに驚かされると。そして、日本企業は、どんなにグローバル化しても、ROAは上昇していないと。
「完璧を求めて努力し続ける、たった2割の成果のレベルアップのためのさらなる8割の無駄な努力」が日本の製品・サービスの特長を形成している面もあるのかも知れませんが、あらゆる場面でそうする必要はないでしょう。
かつて「貸出」という擬似エクイティを企業に供給していた銀行は、貸出先の資本効率はさほど気にしていませんでしたが、いまは資本市場が企業のモニタリングを行う時代に変わりました。
日本の働き方改革は「資本市場からの圧力」と「グローバル化」により成し遂げられるのかも知れませんが、それをおもしろくないと思う向きもいることでしょう。
投稿: 500drachmas | 2016年3月22日 (火) 06時13分