女性労働を補助線にして日本型雇用を論じた本
ブクログに、「井上」さんの拙著評が載っていますが、本書の本性(?)を見事に言い当てています。
http://booklog.jp/users/shtr1006/archives/1/4166610627
①女性の労働史・日本型雇用の生成史という歴史的記述、②日本型雇用がいかに女性の活躍を難しくしているかという現状の分析、の両点につき興味深い分析がなされている本だと思います。
①まず、第一点について。日本のメンバーシップ型の雇用が、戦時中の皇国勤労観を基礎として、戦後の労働運動の成果として受け継がれたという記述など、さまざまな面白い歴史的記述がなされていました。
②第二点について。日本のメンバーシップ型雇用は、銃後の女性によって支えられた男性をモデルに組み立てられたものであるがゆえに、男女平等も、女性がそうした男性のように働くことができる平等とされており、育児や家事などの負担を負う女性の活躍を難しくしていることが指摘されています。
育介法での労働時間規制(17・18条)への言及などを通して、無限定な労働義務を課す日本型メンバーシップ雇用の異常性が炙り出されていく過程が非常に面白い記述となっていました。あとがきで「本書の特徴」として、女性労働を「徹頭徹尾日本型雇用という補助線を引いて、そこから論じたところにある」としていますが(250頁)、むしろ、女性労働を補助線にして日本型雇用を論じた本といった印象があります。
本書で指摘されているとおり、ジョブ型雇用にはスキルのない若者の雇用問題もあるので、問題は簡単ではないと思います。
確かにあとがきでは、日本型雇用を補助線にして女性労働を論じた本だと述べましたが、そしてそれは販売政策的には全く正しいのですが、書いた私の本音としてはむしろ、井上さんの指摘されるとおり、「女性労働を補助線にして日本型雇用を論じた本」になっていたのも確かです。
まあ、だからこそ、あらかじめ予防線を張っておいても、あれもない、これも欠けていると言われることになるわけですが・・・。
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都度、壊れたレコードのように思われるとは存じますが、あえて言わせていただくと、とどのつまり本ブログの隠れ(てはしませんが)イシューは、ジェンダー論に行き着くのかなあと感じざるをえませんね。私に認識に問題があるのでしょうが、少子化や高齢化に対峙できる一億総活躍社会と介護離職ゼロだの、働く女の子の運命だの、中年だの、アニメだの多岐にわたる諸問題の因果律には日本社会(むろん今に通じる歴史の出発点を実証、認識する大切な作業の抜きにしてはなりませんが)に隠然と潜むジェンダー問題に行き着くのではないかと思われまして、そこにマルクス先生のどうたらこうたらなんて、所詮は時間を静態(ストック)でしか見ないなんちゃって知性の披露ではないかと暴論を吐きたくなりました。そうした一シーンとしての良書ではありましょうが、池井優先生の「女子学生興国論」(だったかな)なんて上記そのもののように失礼ながらも笑えるのですが、はまちゃん先生はどのようにお考えなのでしょう?日本の文化圏でそれなりに社会的秩序として存在し機能もしてきた事実と、それを変えなければ「次」がない状況であるとしたらですね。人間は追い込まれるまでなにも変えようとはしないと、どなたかがおっしゃられておりますが、すでにそこにきているのか?それとも今を見るに限り、まだ余裕があるんだよな、なのかを知りたい気分です。
投稿: kohchan | 2016年1月 7日 (木) 11時15分