社会保険というのは、払った分は返ってくるのが大原則!!!???
マシナリさんのところのエントリを読んでいたら、信じられないような文章にぶち当たりました。
いや、もちろん、マシナリさんの地の文ではなく、引用ですがね。
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-671.html (団塊の世代が好きな「一点突破、全面展開」というやつ)
このエントリもいろいろな論点があって面白いのですが、ここに引用されている「経済を良くするって、どうすれば」というブログの文章を見て目が点になりました。
曰く:
・・・社会保険というのは、払った分は返ってくるのが大原則である。そこが反対給付と無関係に取られる税とは異なる。つまり、この576万円は、請求権という形ではあるが、貯金のようなものだ。
しゃ、社会保険は払った分は帰ってくるのが原則だって?貯金みたいなもんだって?
この人、そもそも保険と貯金の違いがわかっているんだろうか。
言うまでもなく社会保険の原点にして現在でも典型は健康保険ですが、払った保険料の分は返してもらおうとみんな思っててんでにわざと怪我をしたり病気になったりしたらあっという間に破綻します。保険料を払った大部分の人は怪我をしたり病気にならないことを前提にして、不運にして怪我をしたり病気になった人の高い治療費をまかなっているのですから。
社会保険以前に、民間の私保険でも、例えば火災保険でも傷害保険でも、払った分は返してもらおうとみんなやり出したら偉いことになりますよ。
保険は貯金にあらず。
こんなイロハのイがわかってない人が経済を説くのが日本の姿なんでしょうね。
まあ、その理由も明らかで、日本の生命保険が保険と称して貯金みたいな商品を売り続けてきたから、保険とは貯金なりと心得る人が一杯出てきてしまうのでしょう。
話を公的社会保険に戻すと、厚生年金保険も国民年金保険も、法律の名前から明らかなようにれっきとした「保険」であって、貯金じゃありません。老齢による稼得不能や障害による稼得不能を保険事故とする立派な社会保険です。ただ、世の経済学者と称する多くの人々が、法律をよく読まずに勝手に貯金だと思い込んであれこれ勝手な論をこね回すという悪癖がやたらにみられるだけで。
実を言うと、社会保険の中で保険を貯金と心得るモラルハザードが一番問題になってきたのが失業保険、雇用保険です。さすがに払った分を取り戻すためにわざと怪我をしたり病気になる人はあんまりいませんが、失業したと言い出す人は結構いるからです。
失業保険、雇用保険の歴史は、「社会保険というのは、払った分は返ってくるのが大原則」と心得る人々との闘いの歴史でもあったのです。詳しくはこちらを:
http://hamachan.on.coocan.jp/shitsugyohoken.html (「失業と生活保障の法政策」)
・・・しかしながら、失業保険制度の両性格は必ずしも常に整合的であるとは限りません。特に大きな問題となるのは、その生活保障のためのセーフティネットとしての性格がかえって再就職促進機能を阻害するモラルハザードとして逆機能しているのではないかという点です。これはまず何よりも、失業保険制度における保険事故たる「失業」が有する特殊性から生じます。すなわち「失業」には、労働の意思と能力という主観的要件が含まれ、とりわけ「労働の意思」は外部から客観的に判断することが困難です。これは離職後の失業状態の認定が内心の意思に関わるということだけでなく、離職そのものを任意に創出しうるという面も含みます。このような保険事故の主観性が、他の社会保険制度に比して濫用を容易にしている基本的原因です。つまり、失業保険制度は本質的にモラルハザードの危険性が高く、これを防止するために制度設計上の工夫が必要となってくるのです。
失業保険制度の歴史は、まさにモラルハザードとの戦いの歴史であったと言っても過言ではありません。以下にそれを見ていきましょう。
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コメント
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いわゆる「りふれは」もそうですが、「タダでいくらでもお金が手に入る方法がある」ということを信じている人達なのでしょうね。普通なら信じない類の話だと思いますけど、世の中、この手の詐欺商法に騙される人達が結構いるということを考えると、不思議というほどのことでもないのかなとも思います。
投稿: IG | 2016年1月30日 (土) 23時54分
これが「個人勘定」と「社会勘定」(あくまで私的造語ですのであしからず)を混同させている昨今の世代間格差はじめとする「公」批判学者およびメディアの拠り所の目指す帰結でございますね。
時間(歴史)を微分法でしかとらえられない訓練しか受けていない識者が、その忠誠心とアカデミックなポジション獲得を主に先導し、それを一部メディアが煽り売りで商売にし(特に悪はネット情報でステマにより情報操作を事実上しておりますし、特に紙媒体に触れないネットオンリーユーザーの人々は簡単に誘導されます)公も教育制度の欠如を許してきた結果、無知な大衆が帰着するゴールデン・ゴールなのです。まさにこれがオーバートークではなく日本のデモクラシーの現在地とすれば、やがて独裁者を喝采し呼び込むでしょうね。その兆候は3大経済ブロック圏で一人負けの近畿圏で実証されているわけですから(東海及び首都圏になぜ及ばないのかを考えると簡単に答えが出ますよね。けして2つが賢いからではありませんよね)。権丈善一氏の新刊本紹介記事のコメントで私が書いたもお読みいただけたら、無知な大衆とはけしていわゆる「無知」ではなく、りっぱな偏差値を有する「無知」も存在することを期しております。それもそれにて社会貢献と所得を得るプロの卵たちです。ですからすでに既存のプロもこの病気にはり患しています。はまちゃん先生、タイムリーによい記事を書いてくださいました。貯金は三角、保険は四角です。意味は字数も使いましたので個々にお調べください。理念ではなく制度の使命と限界を知ることで、次なる共鳴と新結合につながる社会イノベーションが理解されることを望みます。むろん私も微々たる努力はいたしますが。
投稿: kohchan | 2016年1月31日 (日) 07時39分
コメントいただきありがとうございます。
ご提示いただいたURLをクリックすると移転したと表示されますので、現在のURLはこちらでよろしいでしょうか。
http://hamachan.on.coocan.jp/shitsugyohoken.html
hamachan先生の上記の膨大なサルベージからも保険数理からも、あらゆる保険制度においてモラルハザード(と逆選択)との戦いは大きな問題となるはずですが、こちらのブログ主さんは年金が「保険」であることを都合よくお忘れになるようです。年金の現役世代への還付という名目で有力政治家の地元にグリーンピア施設が建設されましたが、それと同じ感覚なのかも知れません。
投稿: マシナリ | 2016年1月31日 (日) 12時18分
すみません。こちらのリンク先を書き換えるのを忘れていました。
もう10年以上にわたって使ってきたニフティのホームページサービスが今年半ばで廃止されるので、同じニフティのcoocanというサービスに移転しました。
ただ、今まで本ブログで山のように旧ホームページへのリンクを張っていたのを今更全部付け替えることが不可能なので、もし過去のエントリでのリンク先を見たい場合には、適宜「http://hamachan.on.coocan.jp」に書き換えてください。
投稿: hamachan | 2016年1月31日 (日) 13時04分
本ブログのコメント欄にてお名前は存じておりましたが、今回の件で初めてマシナリさんのブログ(今回部分)とコメントを拝見し、ブログってやっぱりやんなくてよかったと(笑)。
私ならキレております(笑)。いや、それが判るため、はまちゃん先生のブログにお邪魔して頻繁に毒を吐かせていただいております。若者対象の毒吐きライブだけでは物足りないもので(笑い)。
マシナリさんも、はまちゃん先生もなんとお心の広い方々かと、ブロガーとは仏様ですなあ(笑)。
投稿: kohchan | 2016年1月31日 (日) 15時18分
みなさん。少しだけ曲解では・・・
国民経済計算では年金保険料は貯蓄のはず。子育てのために現在お金を必要とする世代から強制貯蓄をさせるのはいかがなものか?政策的には再分配先を年金世代から子育て世代に少し動かせ、ということのレトリックだと思います。全体を読めば、年金を個人勘定として扱ってはいないと読めます。それこそ「脊髄反射」に近いような。権丈先生のHPも第一番にブックマークされておられますし。
投稿: 片桐晃 | 2016年2月 1日 (月) 10時46分
片桐様の肩の力を抜くようなニュートラルなコメント姿勢は、前回に続き小生とは雲泥の差で参考となります。
投稿: kohchan | 2016年2月 1日 (月) 14時07分