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2016年1月11日 (月)

2種類の「社会主義市場経済」

時事通信で、

http://www.jiji.com/jc/zc?k=201601/2016010900171&g(労働NGO4人を逮捕=出稼ぎ者支援で存在感-中国広東省)

【北京時事】中国で工場の多い南部・広東省で出稼ぎ労働者らのための支援活動を展開するNGO関係者が相次ぎ拘束された事件で、幹部ら4人が正式に逮捕された。中国人権問題を扱うサイト「維権網」が9日までに伝えた。

広東省では経済減速の影響で工場の閉鎖が相次ぎ、給与不払いなどに不満を持つ労働者による抗議活動が多発している。NGOは労働者、工場経営側、政府の3者を仲介。労働者への法律相談をはじめとする援助を通じて解決を目指し、存在感を高めており、当局側は警戒を強めていたとみられる。・・・

公安当局は昨年12月3日から、広東省の六つの労働NGOの幹部や関係者を一斉に連行。国営新華社通信は同月22日、7人を拘束したと伝え、NGOについて「労働者と中国政府の矛盾・衝突を歪曲(わいきょく)し、国家イメージに泥を塗り、社会制度を攻撃している」と批判する報道を展開した。

22659_2という記事を見て、つい先日読んだばかりのこの本を思い出しました。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-8769.html (『中国リベラリズムの政治空間』)

石井知章さんよりその編著になる『中国リベラリズムの政治空間』(勉誠出版)をお送りいただきました。ありがとうございます。先日の『現代中国のリベラリズム思潮』(藤原書店)と同様、日本と中国の知識人による真摯な現代中国批判が展開されています。

 

上記エントリでは、李偉東さんの発言が印象深かったのでそれしか紹介しませんでしたが、お送りいただいた石井さんの書かれている「習近平時代の労使関係―「体制内」労働組合と「体制外」労働NGOとの間」という論文が、まさに上の時事の記事に関わる問題を論じているのです。

ご存じのように、「労働組合」と和訳されている「工会」とは、共産党の支配下で企業経営者も入った官製従業員組織ですが、そういう「工会」とは別に、実際に労働者とりわけ権利の乏しい農民工の権利擁護のために活動しているのが労働NGOです。ところが、習近平体制下でこの労働NGOに対する弾圧が強まってきている、というのが石井さんの論文です。

・・・現在、若年層における横の連帯は、既に「工会」という組織を必要とせずに「集団的」行為を可能ならしめているものの、他方、とりわけ習近平体制の成立後、党=国家側は「和偕社会」という名目で、労使関係の敵対的性格を隠そうとする傾向を強めている。しかも、様々な使用者団体の設立など、資本側には「結社の自由」が大幅に認められつつあるものの、他方、労働側には官製工会たる中華全国総工会による独占的な「団結権」のみが許され、それ以外の労働者集団に対する「結社の自由」は未だにまったく認められていない。・・・

資本側には結社の自由があるのに、労働側には事実上結社の自由がないという、某経済評論家が涙を流して喜びそうな、まことに資本にとってのパラダイスが、共産党という名の政権下で実現しているというのが最大の皮肉なのでしょう。

このアイロニーを、ピケティの『21世紀の資本』に対する批評というややひねったかたちで論じているのが、秦暉さんの「二十一世紀におけるグローバル化のジレンマ:原因と活路―『21世紀の資本』の書評を兼ねて」という論文です。

秦暉さんいわく、世界には二種類の「社会主義市場経済」があるんだと。

Aタイプの社会主義市場経済というのは、西側福祉国家の体制で、「社会主義」というのは政府による福祉と保障、つまり福祉国家を意味する。言い換えれば英府の責任がますます大きくなることを意味する。「市場経済」というのは契約や行動の自由を意味する。言い換えれば政府の権力が弱くなることを意味する。ピケティは、それを当然の前提に考えて論じている。

しかし世界にはもう一つの、Bタイプの社会主義市場経済がある。中国の体制だ。そこでは、「社会主義」というのは政府が無制限の権力を持つことを意味し、「市場経済」とは政府が責任から逃れることができることを意味する、と。

この、見事に対照的な二つの「社会主義市場経済」が組み合わさるとどうなるか。秦暉さんいわく、

・・・Aモデルの国家の資本が大量にB種類の国家へ流入し-これらの国家は専制的体制で生産要素のコストを低下させ、投資を募るための「低人権優勢」(人権が保障されないことが逆に対外的に有利になること)を備えている。Aモデルの国家の資本は、これらの国家に流入し、搾取工場を経営し、そこで生産された廉価な商品が逆にA種類の国家の市場を占領している。・・・

秦暉さんは、ピケティを批判して、r>gという法則じゃなく、このメカニズムがAモデルでもBモデルでも格差を拡大させているのだ、と主張するわけです。

残念ながら、日本の右派を批判するために中国の体制を批判したくないししようとしない日本の左派にはあまり受けそうもない議論ですが。

あと、中国の体制派(新左派)の議論をもてはやす日本の左派、とりわけ柄谷公人らに対する石井さんの筆誅の勢いは依然として強烈ですね。

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コメント

二つの「社会主義市場経済」間の交易も(これそのものがムリ筋な決定論で通じる水先案内です)も自由貿易体制も開放経済においては問題しかなく、それはケインズ卿の「一般理論」は決定論主流経済学のこれまたムリ筋都合で閉鎖経済理論だと”定説化=神話”とされ、日本でも枕詞のように無批判に使用されておりますが、「一般理論」にこそその交易のメリットとともに、各国各々が利己的政策を続け競争に明け暮れた場合、相手国のみならず世界経済全体にとって破壊的な帰結をもたらすとして、”団結”の重要性を呼びかけております。ピケティ本も部分問題を全体の解決の一助に使用したため批判しやすい仕上がりをあえて選んであるようで、師匠格にあたるアトキンソンが近著にてフォローしておりますから合わせ技で福祉国家の正当性は実証されるのではないかと思いますが、中国が共産党あるいは共産主義的国家経済を本当に守ろうとしているのであれば、そもそも主流経済学同様に決定論で解決を求めますから「一国内における労働を挟んでの三者交易の衝突」といえるのかもしれません。いずれにしても日本の右や左の旦那様方が語れるレベルを超えております。なにせ良し悪しは別に国民(人民ですか)がリアルに生活している実績はあるのですから、バーチャルは空想にも届かない妄想でしかないのです。残念ながらフォイエルバッハに断る時空移動の術もなく「空想から科学へ」を私は無断使用させていただき、このように人々を「妄想から夢想へ」の監禁を心配する心配のない幸せの国に住む人々だよと言っております。この幸せを守り切るかが本ブログの使命かなとも思っております。はまちゃん先生へ。

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