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2015年12月29日 (火)

法政策を説明する

金子良事さんがわたくしの交通整理にリプライされています。

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-411.html

少し見通しが良くなったように見えますが、逆に言えば、双方の立ち位置の違いがよりクリアになったとも言えるかも知れません。

これはおそらく今までの本についてもそうなのですが、わたくしの関心と説明のありようは、基本的に法政策の動向を、実態の構造分析から説明するという両跨ぎのスタンスにあります。最初の『労働法政策』で流れだけを詳細に書いた労働法政策の個々の領域について、労働研究の成果等を用いてなぜそうなったかを構造的に説明するというのがそのスタイルになります。

ですから、日本の男女平等政策、ワークライフバランス政策がなぜ何故にこのような歴史をたどることになったのか、欧米のそれと異なるゆえんは那辺にあるのか、というのが私にとっての最大関心であって、それを説明するコアが雇用システム論であるとすると、その雇用システムを(どこまで意識的にであるかは別として)正当化する理論は、当該理論自体の純理論的吟味とかではなく、政策選択におけるその(言葉の正しい意味での)イデオロギー的役割においてのみ考察されることになります。おそらくそこが、そういう法政策を説明するという関心を共有しない金子さんにとっては、本来労働に関する理論として即自的に取り扱われるべきマル経なり小池理論なりを不当にもてあそんでいるように思え、拙著に対する低い評価をもたらしているようです。

多分この亀裂は極めて大きい。たとえば、近年の構造改革や規制緩和をめぐる政策過程論においては、その中に登場する経済学者も政治家や官僚や様々な利害関係者と同レベルのアクターとして分析対象として描き出されるわけですが、じぶんたちは(世の中を正しく)分析する側であってされる側なんかじゃないと思っている経済学者からすれば、そういう単なる分析客体におとしめられることは大変不愉快なのでしょう。

でも、正直言って、根っこがアカデミズムじゃない私にとって、学者であろうが何であろうが、政策過程の中のアクターに過ぎないんです。そして、その理論の土俵の中でどれだけ評価されているかいないかなどということはあまり関係がなく、現実社会の政治過程の中でどれだけどういう立場に役立つ理論として使われたか使われなかった、ということが主たる関心となる。

本書で言えば、第2章に出てくる理屈はすべて、伍堂卓雄であれ、皇国勤労観であれ、マル経であれ、総評であれ、日経連であれ、小池和男氏であれ、なんであれ、それでもって何かを切るための「包丁」ではなく、包丁で切られるべき「素材」に過ぎないのです。

マルクスの理論に何にも関心がないくせに、それが戦後日本の生活給を正当化したいという欲望にいかに使われたかという観点でのみ論じるような下賤な文章は、確かにある種の人には不快感を感じさせるであろうな、と思います。でも、それは、そもそもそういう観点で書かれた本なんですよ。

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