法学部教育の職業的レリバンス
有斐閣の広報誌『書斎の窓』来年1月号に、池田真朗さんの「新世代法学部教育の実践 ―― 今,日本の法学教育に求められるもの① マジョリティの法学部生のための,専門性のある法学教育」という連載の第1回目が載っています。
http://www.yuhikaku.co.jp/static/shosai_mado/html/1601/03.html
ロースクールが批判の的になってきている今日の状況下で、改めて圧倒的大部分が法曹になるわけではない法学部の法学教育を、正体不明のリーガルマインドとかを振り回すリベラルアーツ論なんかではなく、「れっきとした「法学部専門教育」」のあり方を考えようという意欲的な考察です。というか、その序説ですね。
俗にいう「法学部出はつぶしがきく」という表現などは、まったく積極的な評価とはいえない。「法的思考力や判断力の涵養」などというお題目も、さらに具体化する必要がある。そこで私は、法学部は、社会のそれぞれのレベルの集団において、ルールを創り、集団の運営にリーダーシップを取り、構成員の幸福を考えていくような人材を輩出する社会インフラとなるべきものと考えた。 そうであれば、ここは発想を転換する必要がある。「法律を教える」ことによって、法律を覚えることの得意な人間やそれを振りかざす人間を育てるのではなく、社会におけるルールのあり方を理解し、またその帰属する社会や集団での最適なルールを創れる人間、をどれだけ育成できるかが、本来の法学部の価値を決めるのではなかろうか。 もちろん、そのルールというものも、国レベルの「法律」から敷衍して、地方自治体の条例、企業取引における契約、さらに、同業者組合やマンション管理組合の規約であったり、町内会の取り決めであったりと、所属する社会や集団のそれぞれのレベルで考えるべきである。 新世代の法学部教育の「専門性」というものの核の部分は、具体的にこの「ルール創り」の能力を養成するというところにあるのではないかと私は考えているのである。
次号以降で、「新世代の法学部教育を考える道筋として、教授法、カリキュラム、教材、などを実践例を挙げて検討し、最後に、理念の問題に回帰しつつ、「ルールを創れる人を育てる」法学教育を探求してまとめとする予定である<」とのことなので、しばらく『書斎の窓』カラは目が離せません。
« まことにまっとうなスポーツ労働者の要求 | トップページ | 拙著評いくつか »
コメント