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2015年12月29日 (火)

山下ゆさんの拙著評

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 書評ブログの最高峰とも呼ばれる山下ゆさんの「山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期」で『働く女子の運命』が取り上げられました。採点はやや辛めで7点。

http://blog.livedoor.jp/yamasitayu/archives/52127314.html

若者と中高年(男性)に関しては、「今までは日本型雇用の受益者の面も強かったが、現在はそうとも言えなくなってきた」という存在だと思います。一方、日本型雇用において一貫して不利を被っていたのが女性です。この本では、歴史的経緯を丁寧に紐解くことで、問題の所在と今後の展望を明らかにしようとしています。

山下ゆさんは、私が読んで欲しいと思ったまさにその筋道で本書を解説していき、その意味で十分に理解され尽くした上で、こう注文をつけます。

このように女性をめぐる雇用の問題と来歴を広範な知識で説明してくる面白い本ですし、「ジョブ型正社員」という回答も間違ってはいないと思うのですが、『若者と労働』や『日本の雇用と中高年』が雇用システムと教育や福祉といった外部のシステムとの「噛み合い」を鋭く指摘していたのに比べると、この本はそういった部分がやや弱いと思います。

この批判は、まさにその通りです。

あえて言い訳すれば、第2章で説明した賃金制度それ自体の間接差別性が、女性という対象の論理からすれば「外部のシステムとの噛み合い」に当たる部分という見方もあり得ると思うのですが。別の言い方をすれば、若者論における教育システム、中高年論における福祉システムに相当する部分は、社会システム論的に言えば家族システムであって、そこをまともに取り扱おうとすると、ただでさえ非正規の叙述を削除せざるを得ないくらい紙数の制約があった中では、とうてい無理であったということになります。

ただ、山下ゆさんが指摘されるのは、そこまでの話というよりも、むしろ中高年論と連続的な福祉システム論の欠落にあります。

ここからは本書から離れた完全な私見ですが、日本の女性の雇用問題を解決する一つの鍵は、公務員の数とそのあり方だと思います。

北欧の国というと男女平等のお手本のような国に見えますが、G・エスピン‐アンデルセン『福祉資本主義の三つの世界』でも指摘されているように、北欧諸国の女性の雇用は公的セクターに偏っています。つまり、女性の安定した雇用の多くは公務員なのです。そして、前田健太郎『市民を雇わない国家』が指摘するように、日本はその公務員が世界的に見ても極めて少ない国です。

少なすぎる公務員と、民間の大企業のような公務員の賃金体系、この2つの問題の改革が必要なのではないかなと考えています。

いや、「本書から離れた」ということはなく、女性雇用と公的部門というのは極めて重要なポイントで、そこの論点も本書では完全に欠落しているのもご指摘の通りです。ただ、これも言い訳になりますが、北欧型公的女性雇用というのは、それ自体が壮大なマクロ的ジョブセグレゲーションであって、うかつに論じようとすると、お前はどっちを褒めているのか貶しているのかという話になりかねず、手を出しかねたところです。いずれにしても、新書の限られた紙数の中で、面白そうなネタをそれなりにたっぷり入れながら、論点としてあまり複雑化しすぎないようにしようとすると、なかなか難しいところです。

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コメント

>それ自体が壮大なマクロ的ジョブセグレゲーション

こちらで論じておいでですね。
http://homepage3.nifty.com/hamachan/webrousei141027.html

>欧米社会では女性活用の数値目標を議論する際にも、このジョブ型ルールを大前提にしています。例えば、ある病院で医者が男性ばかりだから、看護師から女性を昇進させて数合わせをしよう――なんてことはあり得ないわけです。そういう性別職務分離(ジョブセグレゲーション)を解消するためには、まずは女子が医学部にどんどん進学して資格のある女性をたくさん作らないといけません。日本も医療界はジョブ型社会ですから、そういうことになります。

>ところが、そういうジョブ型ルールで動いていない日本のメンバーシップ型社会では、話がまったく違う様相を呈します。そもそも「同じ職業資格を持っているのに差別される云々(うんぬん)」というところが不明確です。日本ではそんなもので採用したり昇進させたりしているわけではないので、判断基準は結局はなはだ一般的な「人間力」になってしまい、仮に差別があってもそれを差別だと立証しにくいという面が間違いなくあります。

 

医療(医師職)がジョブ型に表層で近似していることは私も講義の中でにいくら増員政策を採っても効果が薄い理由の一つに、特に専門科選択の際、男性絶対優位の診療科希望への露骨な入局拒否等々の誘導を体験または先人女医によるレクチャーによりまずは熱意を失い、そのパラドクスとしてそれによる医師としての人生設計を受け入れ、よって医師国家政策はその意図とは別に機能しておりません。「働く女子の運命」はその問題点をついておられるのでしょうが、解決は次の課題を産むホメオスタット性も視野に入れた長い長い課題といえるのではと思います。ということは、この本で示されている越えられていない課題をさっさとクリアし、その次に来るべき課題に我々か、その次の世代が挑める社会的な認知こそ必要だということでしょうか。ジョブかメンバーシップか以前のジェンダー問題の抱える社会的不利益解決法(差異を認める)を認識し探らないと、医師養成の場合の社会的利益を功利的に求めてしまうとその帰結は当然女性排除、女性は看護学へと成る危険すらはらんでいる危険があります。約3割が女性で構成されてきた医学科の時代的進歩とそのホメオスタットもはまちゃん先生のご本の問題提起とともにミクロ課題として考えなければならないと思っています。

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