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2015年12月

2015年12月31日 (木)

女性×働くに関するそもそも論

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbd_2 常見陽平さんが今年の10冊の一つとして、拙著『働く女子の運命』を挙げています。

http://www.yo-hey.com/archives/55443225.html

女性×働くに関するそもそも論。ここ数年、「女性の活躍」をテーマにして書かれた本は多数あるが、本書にはその「そもそも論」が書かれている。濱口桂一郎の視点はつねに日本的雇用のそもそも論に向かっていると思うし、その問題提起を続けてきた。我が国における女性の労働の歩みを丁寧に論じている。

そう。この本は、まさにホットなトピックのそもそも論を論じた本なんです。
なかなか、そういう観点から評価してくださる方がいないだけに、冒頭でそこを明確に示している常見さんにはとてもありがたい限りです。

そもそも論ばかり論じていて、手軽な処方箋が書かれていないのがけしからん、という人もいれば、ホットなトピックを取り上げていることに苦言を呈し、働く女子について論じるなら、そっちじゃなくてこっちだろう、と諭して下さる方もいる。
いやもちろん、そういう批評もありとは思うけど、やはり常見さんのように、視点をぴたりと合わせて論じてくれる方に巡りあえると、とても嬉しくなります。

読んでみて、もっと処方箋を提示して欲しいとか、最近の事例についても触れて欲しいなどと思うかもしれないが、女性の活躍にはそもそも論の確認が必要なのだ。

2015年12月30日 (水)

「アランの読書日記」の拙著評

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 「アランの読書日記」で、拙著『働く女子の運命』への書評がされています。

http://d.hatena.ne.jp/dokushonikki/20151230#p1

最初に読んでいる最中の不満とあとがきを読んで「納得」が書かれています。

上記はあとがきの文章である。本書を読んでいる途中で、メンバーシップ型/ジョブ型のことばかり書いてあって、社会福祉とか家族のありかたに触れていないではないかと一人で突っ込みを入れていたが、この文章で、本書のテーマは、「日本型雇用システムの中で苦しむ総合職女性」なのだと納得した。

うーん、実はあとがきに書いているように、初稿では非正規女性についてもそれなりに紙数を割いていたんですが、それを割愛した結果、確かに企業の中でそれなりに基幹的な仕事をしている総合職ないし準総合職の女性たちに焦点を絞ったような感じになりました。

その意味では、

総合職女性が苦しむ背景を、改めて整理できる一書である。

という評は正しいと言えるでしょう。

ただ、その将来像については、

日本型雇用システム(メンバーシップ型)が変わらないままだと、体力のある企業は、社内託児所・学童施設を設けたり、ベビーシッター・家事代行サービスにかかる負担を援助したりすることで、総合職女性を「男性化」していくだろう。以前私はこのブログで、「女性活躍」の議論が、日本型雇用システムへの最後の一撃になると書いたが、その予想は外れたようだ。そうではない道を歩みたいのなら、社会福祉や家族のありかたに手をつけないと、あるいは全く別の観点から手をつけていかないと、何も変わらないと思う。

総合職女性の「男性化」ではない方向をそれとなく指し示してみたつもりではあります。「女性活躍はもうやめよう」と。

26184472_1 ちなみに、「最後の一撃」云々は、拙著『日本の雇用と中高年』へのアランさんの書評で述べられたものです。

http://d.hatena.ne.jp/dokushonikki/20140808

ちなみに、最近求められている「女性活躍促進」は、ライフイベントでキャリア(育成)が中断しても活躍を目指すという点で、日本型雇用システムへの最後の一撃になると考える。著者の言うように進めていかないといけない時代かもしれない。

ほぼ大団円?

というわけで、いよいよ年末が迫る中で、金子・濱口劇場第何版かもそろそろ大団円のようです。

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-413.html (男女平等政策、ワーク・ライフ・バランス政策について)

基本的に同じ事をいろいろと言い換えている話なので、私も本書の構造を簡単に述べます。

06年改正で性差別も女性に対する差別だけじゃない両面性になったというのは、法律オタク向けの話で、世間の人には何のことかわかりません。間接差別といってもまだまだ素人拒絶的な玄人議論。

女性労働問題として議論されていたことが実は男性問題なんだよ、ということを、一番くっきりとわかりやすく訴えるためには、やはりワーク・ライフ・バランスの話にするのが一番です。女性だけ育児休業や短時間勤務やってれば良いよと思っていると「悶える職場」になっちゃうよ、という話。そこは意識的に戦略的に、そういう話の流れに繋がるような筆の運びにしています。

そして、何でそういう話になっちゃったのか、という話の伏線として、日本型雇用の(男性正社員に要求される)無限定性というのがあるので、本書のような流れにするのが一番わかりやすいと判断したわけです。

そして、最後のところで絶対的労働時間規制が出てくるのを、一番最初の工場法の(女子年少者だけの)絶対的労働時間規制が予め呼応しているという構造である以上、男女平等の話をするなら、それ以前は全部ぶった切れといわれても、はいそうですかというわけにはいかないということになります。

日本の女性の困難をそれなりに完結したストーリーとして描こうとすれば、だいたいこれくらいの範囲で描くのが一番適当でしょう(非正規のところだけは正直心残りはありますが)。それ以上縮めても膨らましても、うまくいかなかっただろうと思っています。

総合雑誌?

たまたま目に付いたのですが、

http://d.hatena.ne.jp/sakuranomori/20151216/p1

・・・「現代思想」のような雑誌を「総合雑誌」といいます。背伸びしたい(?)かつての大学生は「総合雑誌」によって、大学では出会うことのない学者や知識人などの思想を勉強して、あるいは、勉強するふりをしていました。しかし、私が大学生の頃すでに総合雑誌「離れ」が問題視されていて、むしろ講義を履修している先生の論考が掲載されているときだけ興味を持つような印象でした。そして他方で、コミック誌や趣味の雑誌ファッション、スポーツ、マネー、オタクカルチャーなど)はまだまだ健在でした。現代ではどうでしょうか。そもそも現代における知識人とはなんでしょう。

私の知る限り、総合雑誌とは『文藝春秋』『中央公論』『世界』『展望』といった政治経済系の評論を中心とする雑誌の謂であって、その亜種がいわゆるオピニオン誌であり、文学評論やら哲学やらのこ難しい屁理屈の一杯詰まった『現代思想』とかのたぐいは、ある時期にはニューアカ雑誌とか呼ばれていましたが、分類すれば『思想』とか『理想』などの哲学雑誌のたぐいであって、少なくとも総合雑誌などとは呼ばれていなかったことだけは間違いないか、と。

いや確かにここ数年、『現代思想』誌が時々教育問題とか労働問題といったトピックを、それもかつてのようなやたら哲学的ジャーゴンの一杯詰まった読んでもよく意味のわからない論文ばかりではなく、まさしく総合雑誌かな?と思われるような視角からの論文が結構載るようになったりしているので、まったく間違いではないと言えるようになってきているのかも知れませんが、少なくとも、バブル期に学生たちが総合雑誌離れした云々の話に持ち出すにはあまりにも不適当ではないか、と。

ある時期までの、そして現在においてもある程度までは、『現代思想』はまさしく「へたれ人文系インテリ」(@稲葉振一郎)の御用雑誌であった/あるというのが正確な認識であるように思われます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-41d5.html (『現代思想』6月号「特集ベーシックインカム」)

ちなみに、同じ特集の中の栗原康氏の「大学賭博論 債務奴隷かベーシックインカムか」という文章が、なんというか、もう「へたれ人文系インテリ」(@稲葉振一郎)の発想そのものという感じで、大変楽しめます。

栗原氏にとって、大学とは、

>一つは予測可能な見返りのある大学、もう一つは予測できない知性の爆発としての大学、この二つである。

ところが、前者の大学において「就職活動のための授業カリキュラム」というのは、

>コミュニケーション能力、情報処理能力、シンボル生産能力、問題解決能力、自己管理能力、生涯学習能力・・・・・・・・

と、まさしくシューカツ産業が提示する人間力以外の何ものでもないようです。大学で本来学ぶことになっているはずの知的分野は、卒業後の職業とは何の関係もないというのが、絶対的な前提になっているわけですね。

つまり、栗原氏にとっては、大学が大学としてその掲げる学部や学科の看板の中身というのは、原理的に「予測可能な見返り」のあるものではなく、「予測できない知性の爆発」という賭博でしかない、というわけで、まあ典型的なへたれ人文系インテリの発想ということなんですが、なんでこれがベーシックインカム論の特集に入ってくるかというと、

>大学には、二つの道がある。一つは債務奴隷化、もう一つはベーシックインカムである。・・・・・・この賭に負けはない。自分の身を賭して、好きなことを好きなように表現してみること。・・・・・・・

と、好きなことを好きなようにやるんだから、その生活費をお前ら出せよ、という主張につながってくるからなんですね。

いうまでもなく、大学という高等教育機関はへたれ人文系の学問ばかりをやっているわけではなく、大学で学ぶ学問それ自体に職業的レリバンスが高い分野も多くあります。そういう高級職業訓練機関に学ぶ学生がきちんと訓練を修了し、高い技能を持った労働者として就職していけるように、その生活費の面倒を見ようというのは、別段ベーシックインカム論を持ち出さなくても、アクティベーションの考え方からも十分説明できますし、むしろより説得的に説明できるでしょう。

大学や大学院の授業が給付付き職業訓練であっていけないなどというのは、本質的に同じものである「教育」と「訓練」を勝手に役所の縦割りで区別しているからだけのことであって、その方が頭が歪んでいるのです。職業訓練を受けるために学生を債務奴隷にするなんて、(教育政策としてはともかく)労働社会政策としては歪んでいるわけですから。

ところが、栗原氏の議論には、そういう発想はないんですね。学生に生活費を支給すべき根拠は、その受講する職業訓練の社会的有用性ではなく、「好きなことを好きなように表現してみること」であるわけです。

まさに、好きなことをやるかわいい子どもに糸目を付けずに大盤振る舞いしてくれる豊かな親になってくれよ、それがあんたらの責任だ、というのがへたれ人文系ベーシックインカム論であるようです。それは、親の年功賃金によっていままで維持されてきた仮想空間を全面的に拡大しようという試みなのでしょうが、いうまでもなくそれが実現する見込みは乏しいでしょうね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-4fd4.html (就活のリアル@『現代思想』4月号)

最近、むつかしげな哲学思想ばかりでなく現代社会のアクチュアルなテーマも時々取り上げるようになった『現代思想』が、「就活のリアル」という特集を組んでいます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/5-0c3d.html (『現代思想』5月号特集「自殺論」)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-0d09.html (教育クライシス@『現代思想』2015年4月号)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/11-b07c.html (『現代思想』11月号「大学の終焉」のミニ感想)

正直言って、4年以上前に『月刊社会民主』に書いた文章の、この最後の言葉に付け加えるべき感想は、特に感じられませんでした。

・・・やや皮肉な言い方をすれば、こういう教育と労働市場の在り方にもっとも消極的であるのは、「学問は実業に奉仕するものではない」と称して職業的意義の乏しい教育を行うことによって、暗黙裏に日本的企業の「素材」優先のメンバーシップ型雇用に役立っていた大学教授たちであろう。彼らの犠牲者が職業的意義の乏しい教育を受けさせられたまま労働市場に放り出される若者たちであることは、なお彼らの認識の範囲内には入ってきていないようである。

男女平等政策と女性労働政策の峻別!?

金子さんの『働く女子の運命』書評シリーズ最終章(ということになるのでしょう)がアップされています。

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-412.html

拙著の書評という形を取りながら、逆に金子さんの発想の有り様をとてもよく浮かび上がらせてくれている文章になっていると思います。

何よりもタイトルがすべてを物語っています。曰く:

男女平等政策は男女平等政策で、女性労働政策は女性労働政策で!

つまり、女性労働政策の叙述は男女平等政策なき女性労働政策として書かれるべきであり、男女平等政策の叙述は女性労働政策とは切り離してそれだけで書かれるべきである、と。

それはそれとしてひとつの考え方であると思います。

ただ、現実社会における法政策に即して物事を考え、論じていこうとすると、そういう峻別論では不都合が生じてしまいます。

言うまでもなく、現実社会の女性労働政策は、女子保護規制から始まり、戦後徐々に男女平等政策が強まり、逆に女子保護規制が薄れていってやがて消えます。その傍らで徐々にワークライフバランス政策が拡大していき、今日では男女平等(共同参画とか活躍とか言っても要は同じ事です)と二大柱というのが現状でしょう。

それを素直に描いていけば、拙著のような構成(あくまでも構成であって、使っている素材は決して素直ではありませんが)になるでしょう。

しかし、金子さんはその構成自体が気に入らないようです。「男女平等政策は男女平等政策で、女性労働政策は女性労働政策で!」と言われるのですから。

しかしそうなると、その言うところの男女平等政策なき女性労働政策は、労働省婦人少年局が一番力一杯仕事をしていた時代をすっぽり抜かして描き出されなければならないと言うことになります。

女性労働政策とは、かつては女子保護規制であり、ごく最近になってワークライフバランスが出てきたが、その間は空白期である、と。

いや正確には空白とまでは言えず、金子さんの挙げられる家内労働とか母子家庭の母とか書くことは若干ありそうですが、それにしても、女性労働行政がいの一番に取り組んでいたことをわざわざ外して、そういう周辺的なことどもだけを拾い集めて女性労働政策を構成しなければならないということになれば、それがそれとしてひとつのアカデミックな立場としてあり得ることは認めたとしても(というか、認められるかどうかもよくわかりませんが)、現実社会の映像としてあまりにも欠落感のあるものになってしまうように思われます。というか、なぜそんな現実の政策の流れと乖離した代物を作らなければならないのでしょうか。

まあ、でも、金子さんがどこに引っかかっていたかがこれでくっきり浮かび上がってきたことは確かなので、とりあえず話はここで一段落ということになるのでしょうね。

個人的には、ここまで男女平等政策なき女性労働政策にこだわる金子さんにこそ、上野千鶴子さんと対談して欲しいという気もしますが、機会がない以前に、多分あまり気が進まないのではないかとおもわれます。

2015年12月29日 (火)

権丈善一『医療介護の一体改革と財政』『年金、民主主義、経済学』

21950 権丈善一さんよりいずれも大著の『医療介護の一体改革と財政』と『年金、民主主義、経済学』(慶應義塾大学出版会)をお送りいただきました。ありがとうございます。

権丈さんの『再分配政策の政治経済学』の第6巻、第7巻に当たりますが、前の第5巻が出たのが2009年ですから、実に6年ぶりになります。この間、民主党への政権交代があり、自公政権への復帰があり、その中で、とりわけ年金が政争の具としてもみくちゃになり、それに対して権丈さんが鋭い筆鋒で批判を続けていたことは、本ブログの読者諸氏はよくご存じでしょう。

http://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766421958/

今回の2冊は、一冊目の医療介護の本は、権丈さん自身もポジティブにその改革を唱えて現実化しつつある地域包括ケアという方向性を中心に据えて、まさにあるべき姿を論じている読んでいてそれなりに気分が良くなる本であるのに対して、2冊目の年金の本は、ウソとインチキで世間を惑わし続けた一部年金学者と年金政治家のどうしようもない所行を一つ一つ丁寧に解剖しながら、そういうトンデモ年金論に惑わされてしまう有権者への悲しいまなざしと、しかしそれでもそれを何とかまともな方向に持っていこうとする勇敢なスタンスで彩られた、読んでいて決して気持ちが良くならない、しかしそれ故にこそ読まれなければならないネガティブな本という、絶妙の組み合わせになっています。

21960 年金の話は要するに、権丈さん言うところの天動説論者が嘘とわかっていることを騒ぎ立てることで国民が惑わされ失われた10年ということになるのでしょう。

http://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766421965/

・・・どうも年金論には、天動説と地動説の2種類があるようなんですね。頭を使わずに、ただ眺めただけでは、年金は、未納が増えると破綻し、莫大な超過債務があって、積み立て方式にすれば高齢化に耐えられ、財政が破綻しているから支給開始年齢引き上げが言われている、みたいに見える。でも、少し考えれば、これが全部大嘘だとわかる。僕のいう、年金論の天動説と地動説の違いです。

「話せばわかる」と言っている相手を前にして「天動説を認めぬか!」「問答無用!」と絶叫すれば、選挙くらいはできる。でも、法律を作るということは、ロケットを宇宙まで飛ばすような緻密な作業ですから、法案作成過程で天動説のウソが表面化してくる。中吊り広告レベルでの年金騒動は、もう十年以上も続いていて、今よりも派手な時期もありましたけど、大切なことは、考え抜いたタフな制度を作っていくことです。

まあしかし、この年金の話はもうお腹いっぱいという感じもします。愚かであるかさもなければ悪辣であるか、そのいずれでもあるかのエセ学者とインチキ政治家の手によって、ぐちゃぐちゃにされた年金制度のイロハを、わかりきったことを一から諄々と説いていかなければならなかった権丈さんはじめとする方々の徒労感溢れる使命感が本の至る所からじくじくとにじみ出ている感じです。

年金に虚構の問題を作り出したために、そのしわ寄せが本来問題山積できちんと対処していかなければならない医療介護の充実にしわ寄せされるというのが、1冊目の本のあちこちから響いてくる悲しい響きというところでしょうか。せめて中福祉を確立するために最低限必要な国民負担に、超視野狭窄症から猛攻撃を加えるリフレ派諸氏に対する皮肉交じりの批判も読みどころです。

以下に長大な目次をコピペしておきますが、そのさらに下に、本ブログで権丈さんについて取り上げたエントリをサルベージしておきます。ご参考までに。

『医療介護の一体改革と財政 再分配政策の政治経済学Ⅵ』

▼本当になすべき改革はここにある!

「医療介護の一体改革」の言葉を生んだ制度改革のキーパーソンが、一連の改革過程をたどりながら、社会保障の意義と役割、制度の仕組みと改革の概要、さらに医療と政治経済との関わりを平易に解説。そして、誰もが安心して暮らせる地域社会づくりに向け、喫緊に取り組むべき課題を提示する。

はじめに

医療介護一体改革 関連年表

  第Ⅰ部 賽は投げられた

  ―― 競争から協調の時代への第一歩 ――

第1講 医療介護一体改革の政治経済学

 ―― The die is cast, it’s your turn next

 The die is cast ―― 賽は投げられた

 国のガバナンス問題

 医療政策を取り巻く財政問題

 所得再分配制度としての社会保障制度

 医療者と保険のかかわり方

 税と社会保険料の政治経済学

 財源調達のあり方に関する考え方

 完全雇用余剰と日本の税構造の弱点

 財政の持続可能性とピケティの『21世紀の資本』

 公的年金と比べて明るい医療介護の財政ポジション

 人口減少社会に向けての街作り、コンパクト・シティと医療界

 It’s your turn next ―― 次はあなたたちの番

 改革の方向性

 医療は“競争から協調へ”

 役員との質疑応答より抜粋

第2講 医療は「競争から協調へ」

 社会保障制度改革国民会議での発案

 競争よりも協調が必要となる理由

 医療の経済特性とガバナンスの基本

 ご当地の社会的共通資本構築の理念として「競争よりも協調を」

  第Ⅱ部 混迷のなかで

  ―― 2009年から2012年 ――

第3講 依え怙こによっては弓矢はとらぬ、ただ筋目をもって何方へも合力す

 ―― 2009年総選挙直前のとある日に

第4講 多数決、民主主義、集合的意思決定考

 ―― はたして民意、団体の意思とは?

 追記

第5講 医療費の将来見通し方法の進化

 日本の前提としての政府債務

 「医療介護費用のシミュレーション」提出への道程

 社会保障国民会議の設置

 医療費の将来見通しに関する検討会

 医療費の将来見通し方法の進化

 あるべき医療介護の財政シミュレーション

 社会保障機能強化のための中期プログラム

第6講 増税と景気と社会保障

第7講 不磨の大典「総定員法」の弊

第8講 政界と税と社会保障

 参考資料 ―― 貧困の減らし方

第9講 皆保険50年の軌跡とわれわれが次世代に残した未来

 租税に強く依存した皆保険制度の財源

 必要に応じて利用できる“平等主義型の医療サービス”を実現した日本

 財源を租税に依存する“制度の危うさ”

 トレード・オフの関係にある制度の「普遍性」と「安定性」の価値

 なぜ、医療費が予算削減のターゲットになるのか

 高齢化と国民負担率

 財源確保のルール「ペイアズユーゴー」

 G20サミットで特別扱いされる日本

 消費税率アップが財政再建の鍵を握る

 われわれが次世代に残した未来は高負担・中福祉社会

 社会保障の機能強化で持続可能な中福祉国家へ

 恵まれた環境下にある日本

第10講 憲政史上最大の確信犯的公約違反とその後遺症への学術的関心

 2月24日の書き込み

 2月25日の書き込み

 2月26日の書き込み

第11講 消費税と福祉国家

第12講 震災復興と社会保障・税の一体改革の両立を

 以前から国難に足し合わされた新しい問題

 中福祉国家実現の負担とは

 社会保障は新たな改革が必要

 復興は前線、財政は兵站

第13講 財政・社会保障一体改革の工程表を

第14講 政治は税制改革を邪魔する存在

第15講 無政府状態下の日本の財政・社会保障

 日本が無政府状態に至った理由

 あるべき社会保障の「設計図」と「見積書」はとうの昔にできている

 前門の虎、後門の狼

 追記

第16講 いかにして社会保障を守るか

 100兆円って、何メートル?

 社会保障と市場の関係

 臼杵市から見通す日本の将来

 第2号保険料で地域間の再分配機能を

 税と社会保険料は何が違うのか

 借金のストック問題

 借金のフロー問題

 日本の財政支出構造

 日本は低負担すぎた

 社会保障の財政問題と政治の立ち位置

 ポピュリズムと戦う静かなる革命戦士

 民主党のマニフェストは何だったのか

 われわれが次世代に残した未来

第17構 合成の誤謬の経済学と福祉国家

 ―― そのなかでの医療団体の政治経済学的位置

 合成の誤謬と自由放任の終焉

 合成の誤謬を改善する政策に抗う経済界

 資本主義的民主主義のなかでの医療政策

 経済界のプロパガンダと規制緩和圧力

 資本主義的民主主義と対日圧力

 成長戦略と戦略的貿易論

 イノベーションと経済政策

 付加価値生産性と物的生産性

 福祉国家を支える集団としての医療界に求められるもの

第18構 持続可能な中福祉という国家を実現するために

 2012年春という今

 政権交代から一体改革法案提出までの財政運営

 今回の一体改革の意味

 持続可能な中福祉という国家像

 最後に ―― 胴上げ型、騎馬戦型、肩車型?

第19構 国民皆保険という不安定な政治均衡

 社会保障としての国民皆保険制度

 皆保険という不安定な政治均衡

 皆保険維持に要する費用とその負担

 社会保障としての国民皆保険の将来を左右するもの

第20構 研究と政策の間にある長い距離

 HTAとのかかわり

 実証分析と規範分析

 規範経済学の学説史 ―― 基数的効用から序数的効用へ

 厚生経済学から新厚生経済学へ

 アローの不可能性定理と分配問題

 経済学と価値判断

 QALYに内在する基数的効用

 HTAの政策立案への活用可能性

 パネルディスカッション

 後日談

第21講 税収の推移と見せかけの相関

 追記

  第Ⅲ部 大混乱期を過ぎて

第22講 あるべき医療と2つの国民会議

第23講 医師国保は必要か

 財政補助の論理性 ―― 支払能力に応じた負担が社会保険の原則

 医師国保がもし国庫補助を絶たれたら?

 47都道府県医師国保による健保組合で、「支払い側」交渉力を

第24講 社会保障制度のなかの歯科医療

 医療サービスと歯科サービス

 歯科サービスに対するニーズの変化と歯科医師数

 歯科口腔保健の推進に関する基本的事項と歯科サービス分配のあり方

第25講 日本的医療問題の解決に道筋を

第26講 医療介護の一体改革

第27講 国民会議報告は医療界の“ラストチャンス”

 日本の低い医療費水準、経済界は目を背けたい事実

 建て替えのタイミング、統合や連携を基金で後押し

 国民会議の見どころ、7月12日には“事件”も

 メディアの反応に見る「持てる者と持たざる者の戦い」

 追記

第28講 民主主義と歴史的経緯に漂う医療政策

 財政健全化のスピードと社会保障機能強化の取り分

 問題意識と事実認識という社会を見る角度

 社会保障制度改革国民会議の位置づけ

 制度設計における税と社会保険料の相違

 将来給付費の名目値と対GDP比

 社会保障給付費の経費別割合の見方

 胴上げ、騎馬戦、肩車論への批半と「サザエさん」の波平さん話

 「あるべき医療、あるべき介護」と2008年社会保障国民会議

第29講 競争ではなく協調に基づいた改革を

 社会保障国民会議から社会保障制度改革国民会議

 社会保障制度改革国民会議報告書のポイント

 2008年社会保障国民会議が示していた改革の方向性

 日本の医療制度の特徴

 行政や経済界への要望

 囚人のジレンマと競争から協調へ

第30講 守るべき国民医療とは何か

第31講 超高齢社会の医療を考える

 病院完結型から地域完結型へ

 医療と介護の一体化

 国民皆保険制度

第32講 医療供給体制と経済界のあり様

 経済界の社会保障に対する見識

 組合運営は瀬戸際? 問われる保険料格差

 保険者機能と被用者保険の一元化

 提供体制の改革を苦手とする診療報

  第Ⅳ部 国民会議と医療介護改革の政策形成過程

第33講 2025年に向け、 医療専門職集団に求められるもの

 「医療政策フィールド」のなかでの各国の位置と日本の特徴

 医療の経済特性と制度設計

 医療提供体制の制御機構

 医療とはQOLの維持・向上を目指すサービス

 患者側の意識とインセンティブ

 病状にふさわしい提供体制への改革と効率化の意味

 職能集団の責務

 医療職種の業務見直しと医師不足

 フリーアクセス

 国民健康保険の都道府県化と被用者保険のあり方

 提供体制の再編とホールディング、そしてまちづくり

 QOLとQOD

あとがき

主要参考文献

索引

『年金、民主主義、経済学 再分配政策の政治経済学Ⅶ』

▼本当になすべき改革はここにある!

年金破綻論など社会に蔓延する謬論を正し、年金経済学者らによる制度・歴史の軽視を鋭く批判してきた著者が、この10年に及ぶ混迷の原因と民主主義が内包する問題とを明快に指摘。そして、公的年金保険の意義と役割、一連の改革の内容を詳しく解説しつつ、喫緊に取り組むべき課題を提示する。

はじめに

年金、民主主義 関連年表

  第Ⅰ部 年金、民主主義、経済学

第1講 年金、民主主義、経済学Ⅰ

 年金批判は永続する

 年金界デビュー

 右側の経済学と左側の経済学

 ケインズの嫡子たち

 経済政策思想の流れ

 セイの法則かケインズの合成の誤謬か

 手にした学問が異なれば答えが変わる

 リスクと不確実性

 経済界とアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞

 積極的賦課方式論

 公的年金が実質価値を保障しようとしていることの説明の難しさ

 市場を利用することと引き替えに喪っていったもの

 素材的・物的な視点から見た積立方式と賦課方式の類似性

 積立方式信奉者たちの論

 本日のメッセージ

 追記

第2講 年金、民主主義、経済学Ⅱ

 年金数理人会で講演をするにあたって

 年金の一元化?

 2008年年金改革騒動の顚末

 未納が増えると年金が破綻するって誰が言った?

 2011年、年金制度改革2段階論?

 年金は「年金保険」と正しく呼ぼう

 ―― 世代間格差を不公平と言う間違い

 政治的駆け引きに利用された年金試算

 世代間格差という指標

 公的年金財政の破綻?

 賦課方式年金制度の正しいバランスシート

 マクロ経済スライドの意義と意味

 賦課方式の持つ世代間リスク・ヘッジ機能

 メディアはもう変わっている

 年金は将来の生産物への請求権

 積立金のメリット&デメリット

 世代間扶養の社会化

 受給開始年齢自由選択制における繰下げの推奨

 年金経済学の政策インプリケーションと結論

 短時間労働者への社会保険の適用拡大

 最低加入期間と受給開始年齢

 国民への正しい情報提供とメディアの役割

 世代間不公平論という行き詰まりの不毛な論

 年金をめぐるメディアと政治家のギャップ

 追記

第3講 政策技術学としての経済学を求めて

 ―― 分配、再分配問題を扱う研究者が見てきた世界

 経済学が問題なのではなく経済学教育、人の問題

 資本主義的民主主義と経済学

 価値判断と科学性

 効率性だけしか持たない分析視角がもたらすもの

 再び、経済学が限界を持っているのではなく、問題は教育、人なのである

  第Ⅱ部 平成26年財政検証の基礎知識

第4講 解説 平成26年財政検証

 04年フレームとは、そして04年フレームの宿命

 マクロ経済スライドのフル適用で完成するフレームA

 フレームB

 「100年安心バカ」だけが使うフレームC

 04年フレームの宿命

 短時間労働者に対する厚生年金適用拡大

 年金受給開始年齢と年金財政の関係

 受給開始年齢自由選択制

 「支給開始年齢引上げ」の種々の誤り

 雇用延長問題と年金

 年金不信を越えて

 保険料収入という人的資本からのリターン

第4講の補講 シンポジウムで準備していたけれども話せなかったことなど

 年金受給開始年齢(Pensionable Age)と雇用について

 2004年年金改正法の附則第2条について

 平成26年財政検証の意味

 ニコラス・バー教授の「支給開始年齢引上げ」の正確な意味

 年金部会における支給開始年齢

 社会保障制度改革推進会議における年金の議論

 年金制度、政策を考えるうえでの2つの前提

 今後の高齢期所得保障政策について

 年金は保険であることを忘れさせた原因

 日本の年金を世界がうらやましがっている理由

 保険としての年金の賢い使い方

 人はなぜ保険を買う?

第5講 Output is centralという考え方

 建設的な年金制度論、政策論を聞いてもらうための地ならしの必要性

 2013年1月のIMFシンポジウム

 Output is centralという考え方

第6講 年金、社会保障と少子高齢化

 就業者1人当たり人口の安定性と努力目標

 「サザエさん」の波平さんはいくつ?

第7講 100年安心バカ

第8講 財政検証の積立金運用利回り前提

第9講 微妙に積立金をもつ賦課方式のワナ

第10講 公的年金、公的扶助、そして保険と税

 救貧機能と防貧機能

 社会保険と税

 追記

第11講 公的年金保険は何のため?

 長生きがどうしてリスクなのか?

 ああ言えばこう言う人たちへの「ただし書き」

 では、年金は何のため?

 初等経済学を政策に当てはめることの危険性

第12講 日本の年金の負担と給付の構造

 国民皆年金というロマンを追った日本

  第Ⅲ部 混迷のなかで

第13講 民主主義とは「最大多数の最大幸福」か、それとも「多数の専制」か?

 ―― ベンサムとJ.S.ミルが見たそれぞれの世界

第14講 「市場」に挑む「社会」の勝算は?

第15講 政治的関心層の合理的無知がもたらした政治的帰結

 政治的関心層の合理的無知がもたらした政治的帰結

 北大シンポ「今ひとたび、政治の可能性を問う」

第16講 政争の具にされてきた年金の現状

第17講 運用3号とは何だったのか?

 追記

 参考資料

第18講 合成の誤謬考 ―― 企業の利潤極大化と社会の付加価値極大化は大いに異なる

第19講 大切なことは考え抜いた制度を作ること

 年金論議の天動説と地動説

 年金をめぐる大きな枠組み

 年金を政争の具とした政治家は、選挙で責任をとってもらおう

第20講 公的年金論議のパラドックス

第21講 歴史の共有と人間の感情 ―― 礼儀と歴史

 礼儀と歴史の関係

 YouTubeの映像による歴史の共有

 正しい歴史的事実への誤解と問題の根の深さ

 民主主義とB層

 再び礼儀と歴史と人間の感情の動き

第22講 年金政局の歴史と一体改革

第23講 少子高齢化と社会保障

第24講 年金制度の過去、現在と未来

 2009年政権交代後、初めての復帰

 2004年改正について

 年金制度の財政方式論の本質

 年金論議を理解するためのここ10年の歴史

 受給資格要件の10年への短縮について

 歳入庁の創設検討

 社会保険の考え方

 世代間格差論に対する「社会保障の教育推進に関する検討会」の見方

第25講 年金債務超過話の震源

  第Ⅳ部 大混乱期が過ぎて

第26講 社会保険一元化はタケコプター

第27講 年金改革2段階アプローチ ―― 歴史的経緯を知ろう

第28講 年金と政治家のレベル ―― 政争の具とした愚行

第29講 「防貧」と「救貧」は異質 ―― 政策の実行可能性を考える

第30講 保険方式と税 ―― 実行可能性を問う次のステップ

 参考資料

第31講 2度目の好機、生かせるか ―― 民主党の年金案ゼロベース見直し

 2度目の好機、生かせるか ―― 民主党の年金案ゼロベース見直し

 追記

第32講 「将来のことを論ずるにあたっての考え方」と年金

 2014年2月14日

 将来のことを論ずるにあたっての考え方とは

 予測と投影

 動学 ―― 歴史のなかで考える

 不確実性と公的年金

 予測可能性信仰を捨てて人知の限界の自覚を

 不確実性と胆力

第33講 この人民ありてこの政治あるなり

第34講 ホメオスタット機構としての年金制度と社会経済制度改革インセンティブ

 新年金制度が政策実行世代に組み込んだ社会経済改革インセンティブ

  第Ⅴ部 前途多難な社会保障教育

第35講 前途多難な社会保障教育

 社会保障問題と民主主義

 社会保障を率直に見れば

 社会保障の教育推進に関する検討会の誕生

 制度、歴史を知るということ

 いわゆる「経済学者」が無視する時代背景や歴史

 公的年金と財政方式

 「教育検討会作成ケーススタディ」の作成

 前途多難な社会保障教育?

 両論併記から脱却したメディア

 根暗で自虐的な社会保険の世代間不公平論

 公的年金誕生の簡単な歴史

 もちろん留意すべき世代間の問題

 公的年金のバランスシート

 参考資料

第36講 彼らが計算する世代間格差ははたして生活実感を表しているのか

 参考資料

第37講 過去の不毛な年金論議による社会的損失

第38講 給付負担倍率試算に関するスタンス

 ―― 社会保障教育検討会における過去への訣別

 追記1

 追記2

 追記3

あとがき

主要参考文献

索引

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_f49a.html (権丈先生ドンピシャ!)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_8560.html (権丈先生 年金租税論を轟沈)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-e3f6.html (権丈先生(夫)の政治学者・政治部記者観)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-c269.html (熊さんと八つぁんと与太郎@権丈節)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-7912.html (権丈節@朝日新聞)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/1-d8a0.html (権丈善一「社会保障と係わる経済学の系譜」序説・(1))

法政策を説明する

金子良事さんがわたくしの交通整理にリプライされています。

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-411.html

少し見通しが良くなったように見えますが、逆に言えば、双方の立ち位置の違いがよりクリアになったとも言えるかも知れません。

これはおそらく今までの本についてもそうなのですが、わたくしの関心と説明のありようは、基本的に法政策の動向を、実態の構造分析から説明するという両跨ぎのスタンスにあります。最初の『労働法政策』で流れだけを詳細に書いた労働法政策の個々の領域について、労働研究の成果等を用いてなぜそうなったかを構造的に説明するというのがそのスタイルになります。

ですから、日本の男女平等政策、ワークライフバランス政策がなぜ何故にこのような歴史をたどることになったのか、欧米のそれと異なるゆえんは那辺にあるのか、というのが私にとっての最大関心であって、それを説明するコアが雇用システム論であるとすると、その雇用システムを(どこまで意識的にであるかは別として)正当化する理論は、当該理論自体の純理論的吟味とかではなく、政策選択におけるその(言葉の正しい意味での)イデオロギー的役割においてのみ考察されることになります。おそらくそこが、そういう法政策を説明するという関心を共有しない金子さんにとっては、本来労働に関する理論として即自的に取り扱われるべきマル経なり小池理論なりを不当にもてあそんでいるように思え、拙著に対する低い評価をもたらしているようです。

多分この亀裂は極めて大きい。たとえば、近年の構造改革や規制緩和をめぐる政策過程論においては、その中に登場する経済学者も政治家や官僚や様々な利害関係者と同レベルのアクターとして分析対象として描き出されるわけですが、じぶんたちは(世の中を正しく)分析する側であってされる側なんかじゃないと思っている経済学者からすれば、そういう単なる分析客体におとしめられることは大変不愉快なのでしょう。

でも、正直言って、根っこがアカデミズムじゃない私にとって、学者であろうが何であろうが、政策過程の中のアクターに過ぎないんです。そして、その理論の土俵の中でどれだけ評価されているかいないかなどということはあまり関係がなく、現実社会の政治過程の中でどれだけどういう立場に役立つ理論として使われたか使われなかった、ということが主たる関心となる。

本書で言えば、第2章に出てくる理屈はすべて、伍堂卓雄であれ、皇国勤労観であれ、マル経であれ、総評であれ、日経連であれ、小池和男氏であれ、なんであれ、それでもって何かを切るための「包丁」ではなく、包丁で切られるべき「素材」に過ぎないのです。

マルクスの理論に何にも関心がないくせに、それが戦後日本の生活給を正当化したいという欲望にいかに使われたかという観点でのみ論じるような下賤な文章は、確かにある種の人には不快感を感じさせるであろうな、と思います。でも、それは、そもそもそういう観点で書かれた本なんですよ。

山下ゆさんの拙著評

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 書評ブログの最高峰とも呼ばれる山下ゆさんの「山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期」で『働く女子の運命』が取り上げられました。採点はやや辛めで7点。

http://blog.livedoor.jp/yamasitayu/archives/52127314.html

若者と中高年(男性)に関しては、「今までは日本型雇用の受益者の面も強かったが、現在はそうとも言えなくなってきた」という存在だと思います。一方、日本型雇用において一貫して不利を被っていたのが女性です。この本では、歴史的経緯を丁寧に紐解くことで、問題の所在と今後の展望を明らかにしようとしています。

山下ゆさんは、私が読んで欲しいと思ったまさにその筋道で本書を解説していき、その意味で十分に理解され尽くした上で、こう注文をつけます。

このように女性をめぐる雇用の問題と来歴を広範な知識で説明してくる面白い本ですし、「ジョブ型正社員」という回答も間違ってはいないと思うのですが、『若者と労働』や『日本の雇用と中高年』が雇用システムと教育や福祉といった外部のシステムとの「噛み合い」を鋭く指摘していたのに比べると、この本はそういった部分がやや弱いと思います。

この批判は、まさにその通りです。

あえて言い訳すれば、第2章で説明した賃金制度それ自体の間接差別性が、女性という対象の論理からすれば「外部のシステムとの噛み合い」に当たる部分という見方もあり得ると思うのですが。別の言い方をすれば、若者論における教育システム、中高年論における福祉システムに相当する部分は、社会システム論的に言えば家族システムであって、そこをまともに取り扱おうとすると、ただでさえ非正規の叙述を削除せざるを得ないくらい紙数の制約があった中では、とうてい無理であったということになります。

ただ、山下ゆさんが指摘されるのは、そこまでの話というよりも、むしろ中高年論と連続的な福祉システム論の欠落にあります。

ここからは本書から離れた完全な私見ですが、日本の女性の雇用問題を解決する一つの鍵は、公務員の数とそのあり方だと思います。

北欧の国というと男女平等のお手本のような国に見えますが、G・エスピン‐アンデルセン『福祉資本主義の三つの世界』でも指摘されているように、北欧諸国の女性の雇用は公的セクターに偏っています。つまり、女性の安定した雇用の多くは公務員なのです。そして、前田健太郎『市民を雇わない国家』が指摘するように、日本はその公務員が世界的に見ても極めて少ない国です。

少なすぎる公務員と、民間の大企業のような公務員の賃金体系、この2つの問題の改革が必要なのではないかなと考えています。

いや、「本書から離れた」ということはなく、女性雇用と公的部門というのは極めて重要なポイントで、そこの論点も本書では完全に欠落しているのもご指摘の通りです。ただ、これも言い訳になりますが、北欧型公的女性雇用というのは、それ自体が壮大なマクロ的ジョブセグレゲーションであって、うかつに論じようとすると、お前はどっちを褒めているのか貶しているのかという話になりかねず、手を出しかねたところです。いずれにしても、新書の限られた紙数の中で、面白そうなネタをそれなりにたっぷり入れながら、論点としてあまり複雑化しすぎないようにしようとすると、なかなか難しいところです。

2015年12月28日 (月)

交通整理の交通整理

金子良事さんが「交通整理」をされたというのですが、正直言ってますます交通渋滞になっているようにしか思えず、とはいえせっかく交通整理していただいているので、それに沿ったかたちで、自分なりに交通整理をしてみたいと思います。

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-410.html (働く女子の運命(続))

第一に、私はマルクス主義的な見解を支持するわけでもなんでもなくて、濱口先生がわざわざ引き合いに出されているので、伝統的なものをすっ飛ばした妙な読み替えはいかがなものかということを言っているのです。

私がマルクス経済学を引き合いに出したのは、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-ca5f.html

の追記にも書いたように、もっぱら

ある意味で「ソーシャル」な理論が、それ自体もっとも女性差別的なロジックとして機能した、というこのアイロニーの指摘

にあります。

マルクス経済学は労働者の味方だからとかそんなことは全く関係なく、マル経の理論構造それ自体が、否応なく男性が女房子供の分まで給料を稼ぐのだから、というかたちで女性差別的なベクトルを持っているという、大沢真理さんが20年以上も前から指摘している話を、それをほとんど知らない労働法などの分野の人々に示すという意味からであって、それ以外ではありません。

そして、その意味においては、これは「妙な読み替え」などではなく、まったくまっすぐなロジックをそのまま出しただけだと思います。「伝統的」という言葉の意味が不明ですが、マルクス主義が女性差別的であるはずがないという感覚であるとすれば、それはとっくに否定されているように思います。

大企業偏重で見るのはおかしいと言っていたのは、濱口先生自身ですし、小池先生の『賃金』には中小企業その他も出てくるので、そのことをすっ飛ばすのは二重基準です。

ここも話が二重三重にねじれているんですが、まさに中小企業が年功的ではないのは、知的熟練がないからだという小池和男氏の説明の仕方を、女性の賃金が年功的に上がらないのは知的熟練がないからだというロジックと同型的であり、そのロジック自体がインチキではないかと指摘しているのが再三出てくる大沢真理氏であり、そういうかたちでまさに「すっ飛ばす」どころか、議論のもっとも枢要の部分で利用していると思うのですが、何が二重基準なのか、よく理解できません。

そこで第2パラグラフで、こう繋がっていくのがますます意味不明になってきます。

第二に、それに対するお答えとして、80年代以降の女性政策を駆動したのが婦人少年局の官僚やフェミニストだから、そこのBGやOLの話が中心になるんだということでしょう。私も別にそういう側面があることを否定しているわけではありません。しかし、そうであるならば、正直、マル経や小池理論の読み直しでのずらしは蛇足でしょう。余計な捻りはなしで、婦人運動と、女性官僚の話だけで十分だったと思います。

上で述べたように、蛇足どころかまさに肝心要のキモのつもりなのです。実際、記述の上でもそうなるように書いているつもりであり、何人かの読者の方もそこが印象的という風に言われているだけに、どこをどう読んだら「蛇足でしょう」という解釈になるのか、ますますわからなくなります。素直に読んでいただければ良いと思うのですが。

次のパラグラフは、一見些細な言葉遣いのように見えますが、実は大きな「ずらし」がされています。

第三に、マルクス経済学的発想云々から離れても、女性の低賃金問題は婦人少年局の主要なテーマであったわけで、均等法もその延長線上にあったはずです。

婦人少年局の、そして男女平等を論ずる人々の「主要なテーマ」は、まさにその直後の大場綾子さんの引用自体が語っているように、断じて「女性の低賃金問題」などではありません。はっきり言って、これはかなり重大なごまかしになっているようにおもいます。いうまでもなく、彼らの「主要なテーマ」は、「男女同一賃金」であり、「賃金以外の雇用条件や待遇のうえでの男女平等」であって、そういう男女差別という視角を欠いた単なる「低賃金」問題ではありません。

男女平等という観点を抜きにした単なる低賃金問題「だけ」を問題にすることができれば、例えば本書で、「総評は賃上げ一本槍」の項で引用した1962年度運動方針のこの台詞でいいことになります。

われわれが要求しているのは、たんに、年功なり、男女なりの賃金格差が縮小すればよいということではなく、年配者、男子の賃金を引き上げながら、青年なり婦人なり、臨時工なりの賃金を一層大きく引き上げて短縮する。言い換えれば、同一労働同一賃金は賃金引き上げの原則であって、たんなる配分の原則ではない

これは、しかしながら男女格差それ自体を問題にしたくない男性組合員のロジックでしかないことは明らかでしょう。問題を格差ではなく低賃金にするというのは、半世紀以上も前からある議論ですが、今読み返せばその欺瞞性もよくわかります。講座派でも何でもいいですが、これは日本的低賃金構造という議論とは切れた話であって、それこそ伝統的な社会政策学の議論にあまり引きずられない方がいいとおもいます。

少なくとも、男女均等法に繋がる、そしてその後の議論に繋がるロジックは、単なる「低賃金」問題ではなかったことを出発点にしなければ、単に本書だけでなく、過去半世紀の政策の流れがまったく違う姿になってしまうでしょう。

第四に、大羽さんがおっしゃる法としての基準の問題は、基本的に97年と06年改正でもうほぼ終わってしまって、あとはそれを実現するために、何をするかというフェーズに入っているというのが私の認識です。

いや、法的平等の問題は97年改正でほぼ終わっているというのは、私もそう書いています。ただ、雇用社会の実態はその頃を境に、むしろ男並みに無限定に働く女は男並みに処遇するよ、というフェーズに移行し、問題は「均等世代から育休世代に」移行した、というのが、本書第4章で論じているところであるので、それは単なる「あとはそれを実現するために、何をするかというフェーズ」とはとても言えないと思います。

ごちゃごちゃとして、あまり交通整理にもなっていない気がしますが、少なくとも金子さんの文を読んで頭が交通渋滞状態になってしまったのを、何とか自分なりに解きほぐそうとしてずらずらと書き下ろしてみました。

改めて考えてみると、私がここがキモよ、ここを読んでね、というつもりで書いたところを、そういう風にとっていただけていないことが、交通渋滞の原因かな、という気がしました。

それはもちろん私も叙述ぶりにも原因があるのかも知れませんが、労働法学系の方はわりと素直に私の意図するかたちで読んでいただけているようなので、私が一言も言っていない「女性の低賃金問題」が、あたかも最大の課題のように飛び出してくるのを見ると、金子さんの読みぶりはやはりあまりにも「伝統的」な社会政策学的志向のゆえんではないかという感もあります。

大内伸哉『労働法で人事に新風を』

4785723774_3大内伸哉さんの新著『労働法で人事に新風を』(商事法務)をお送りいただきました。ありがとうございます。

https://www.shojihomu.co.jp/publication?publicationId=1220813

入社間もない主人公の戸川美智香(架空の人物、社会保険労務士)は、経験豊富な人事部長が進める人事改革に労働法の視点が希薄であることに気づき、「労働法で人事に新風を吹き込む」という理想のもとに、次々とチャレンジを開始する。本書は、主人公が入社してからの人事部の日常をストーリー仕立てで描く。

大内さんお得意の小説仕立ての労働法解説書です。中身はこんな感じ。

第1話 正社員って誰?
第2話 派遣社員は、よその社員?
第3話 書面で同意をしてもダメなの?
第4話 社員のメンタルヘルスに配慮せよ!
第5話 ワーク・ライフ・バランスって何?
第6話 半数以上が管理職で大丈夫?
第7話 できない社員こそ解雇できない!
第8話 ITを味方に!
第9話 人材の獲得は難しい!
第10話 ハラスメントに御用心!

全部の話をむりやり一つの会社の中で起きる問題に仕立て上げるためにやや無理無理な感じのものもありますが、それにしても大学の先生しながらよくこんな下世話な話ばかり思いつくなあ、と・・・。

ブログでいつも読んだ小説の感想を書かれていますが、その長年の蓄積が本書に現れていますね。

ここでは中身じゃなくて、読んでて気になったところを。いや労働法学的なところじゃありませんよ。小説として読んで見たらここが気になるというところ。

最後のセクハラ課長の田所がエレベーターの中で佐藤ゆかりとやりとりするところですが、

「今日は楽しかったな。実は、僕は君のことが前から気になっていたんだよ」

「あら、お上手ですわ」

「君はとても、魅力的だよ」

「あら、もっとすてきな女性は、世の中にいっぱいいますわよ」

「いや、君が一番輝いていると思うよ」

これ、平成20年代の会社の課長と女性社員の会話とは思えないのですが。なんだか昭和30年代のサラリーマン小説から抜け出してきたような感が・・・。

文句つけるのはそこかよ!と思われるかも知れませんが、やはりここまで小説仕立てにされているからには、直木賞選考委員会に出たつもりで注文をつけさせていただきました。




「有期契約労働者の育児休業問題」 @損保労連『GENKI』12月号

119損保労連『GENKI』12月号に「有期契約労働者の育児休業問題」を寄稿しました。

 前回(10月号)で取り上げた仕事と家庭の両立支援に係る育児・介護休業法の改正事項のうち、概観しただけではわかりにくいのが、有期契約労働者に係る育児休業の取得要件の見直し問題です。今回は、この問題の経緯を育児休業法の制定時に遡って詳しく見ていき、「この問題をどう考えたらいいのか」という物事の筋道を解説していきたいと思います。

 育児休業法が1991年5月に成立した時、育児休業を取得することのできる労働者から「日々雇用される者及び期間を定めて雇用される者」は除かれていました(旧第2条)。その理由を当時の解説書(高橋柵太郎『詳説育児休業等に関する法律』)は、「最大限子が一歳に達するまでの一年にわたる長期的な休業という育児休業の性質になじまない雇用形態の労働者であることによる」と説明しています。当時は労働基準法上の契約期間の上限は1年であったため、「1年以下の短い期間を定める雇用契約の下であっても、労働者の自由な選択によって育児休業の申出が行われ、本来の契約期間の一部の労務の提供義務をなくしてしまうというのは、労働基準法の下でも残されていた契約の自由を奪うことになる」し、「逆に育児休業の申出ができなくとも労働者の側には、使用者との合意で育児に専念したいと思う期間を除外して雇用契約を結ぶことができる」からというのです。

 「それでは、有期契約を反復更新して長期間就労している場合はどうなのか?」と多くの人が疑問に思うでしょう。国会審議で、当時の社会党の糸久八重子議員の質問に対して、高橋局長は「実態に応じて個別に判断すべきものではございますが、一般的に、反復継続したことだけで直ちに期間の定めのない労働契約と同様に取り扱うべきことにはならない」と答弁しています。このように、この頃から問題は孕まれていたのですが、法律を変えるには、労働基準法の契約上限規制の緩和が必要でした。

 2003年労働基準法改正により、契約期間の上限が一般3年、専門職5年となり、3年の間に1年間休業しても雇用継続が可能になったことから、2004年の育児・介護休業法改正で一定の有期労働者にも育児休業請求権が認められるようになりました。しかしその仕組み(現行)は大変複雑です。「申出時点で同一事業主に引き続き雇用された期間が1年以上で、子が1歳に達する日を超えて雇用が継続することが見込まれる者のうち、子が1歳に達する日から1年経過後までに雇用関係が終了することが申出時点で明らかである者を除く」というのです(現第5条)。このうち事前の1年勤続要件は、諸外国の育児休業法制でも同様の規定が多く見られます。問題は将来の休業後1年勤続「見込み」「明らか」要件です。そんな先のことを「見込む」のは誰でしょうか。使用者側が「雇止めするから見込まれない」といえば、「見込み」はないことになってしまいます。諸外国の育児休業法制に、そんな使用者の主観次第で労働者の権利が左右されるような要件を持ち込んだ例は見当たりません。

 今回の育児・介護休業法の改正の議論では、この問題が正面から提起されました。「今後の仕事と家庭の両立支援に関する研究会」の議事録を見ると、神吉知郁子立教大学准教授が、「制度設計として、この要件の充足というのが、結局、使用者側に委ねられているということが問題なのではないか」と、また両角道代慶應義塾大学教授は「雇用の継続を育休の唯一の目的のように考えること自体がおかしい」「本当に見込みは分からないし、明らかに終わる人を排除するというのはまだ分かるのですが、そういう『相当、見込まれる人』みたいなというのは、それ自体が分からない人を対象にしている要件ですし、かつ、諸外国でこれが全然要件になっていないということを考えると、これは育休の本質的な要件ではないのではないか」と論じています。最終的な報告書では、前回紹介したように、「こういう意見もあれば、そういう意見もある」と、やや並列的な記述に落ち着いていますが、少なくとも「雇用の継続を前提とした上で、紛争防止等の観点から、適用範囲が明確となるよう取得要件の見直しを検討すべき」とは明言しています。

 今年8月から始まった労働政策審議会雇用均等分科会では、労働側委員がこの問題を積極的に論じています。「10年経ってもトラブルが絶えず、パンフレットなどで周知を行っていても問題が収まらないのは要件に問題があるから」「連合の調査によれば、有期契約労働者の取得要件を緩和すべきという声は7割を占めている」「有期契約労働者に対する取得要件は、労働契約法第20条に抵触するのではないか」「有期契約労働者は更新されるか不安を抱える中で、雇用主に見込みがないと言われてしまえば争うことはできない」等の意見に対し、使用者側は「現在の要件を満たしているのに、育休を取得できないのであれば、企業側の対応も含めて指導が必要。要件がわかりにくいということならわかりやすくするべきである。一方、労働契約法で5年を超えれば有期契約労働者は無期転換となるので、その中での要件の議論となる」と抗弁しています。

 使用者側の本音を推測すれば、育児・介護休業法制の中で有期契約労働者の権利を認めすぎると、それが育児・介護休業の世界を超えて有期契約労働者の権利自体の増大につながりかねないことを危惧しているのではないかと思われます。つまり、労働契約法で「5年反復更新で無期転換が可能」となりましたが、逆に言えば5年に達するまでは雇止めの権利は維持しているということです。使用者側が雇止めの権利を手にしている状態では、育児休業後1年勤続の「見込み」はあるともないとも言うのは自由です。ところが、その「見込み」の有無にかかわらず、「過去勤続要件さえ充たせば育児休業を取得できる」ということになると、もちろん法的にはそれは何ら雇止めの権利を左右するわけではありませんが、今までの経緯からすると、「休業できるのだから勤続の『見込み』があるのだろうと判断されてしまい、だとすると『見込み』があったのに雇止めをするのは無効だ」と判断される可能性が高まってしまうのではないか、と心配しているのではないか、ということが推察されます。

12月7日現在では、現行要件のうち1歳以降雇用見込み要件は削除しつつ、「明らか」要件については「子が1歳6か月に達するまでの間に労働契約期間が満了し、かつ、労働契約の更新がないことが明らかであるものを除く」とした建議案が提起されています。

hamachanブログ2015年ランキング発表

1位:勤勉にサービスしすぎるから生産性が低いのだよ!日本人は 27,959件

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-ce16.html

日本のサービス業の生産性が低いというのは、つまりサービスそれ自体である労務の値段が低いということであって、製造業的に頑張れば頑張るほど、生産性は下がる一方です。

生産性を上げるには、もっと少ないサービス労務投入量に対して、もっと高額の料金を頂くようにするしかありません。

なにい?労働生産性が低いい?なんということだ、もっとビシバシ低賃金で死ぬ寸前まで働かせて、生産性を無理にでも引き上げろ!!!

いや、付加価値生産性の定義上、そういう風にすればする程、生産性は下がるわけですよ。

2位:あまりにもアカデミックすぎた菊池桃子さん 25,822件

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-b5ce.html

マスコミは、内田樹氏みたいな学生を呪うしかできないようなのを偉い「学者」扱いする一方で、菊池桃子さんみたいな雇用問題に見識を持つ人はいつまで経っても「タレント」扱いしたがるという抜きがたい偏見がありますね。

確かに出発点は「パンツの穴」だったかも知れないけれど、戸板女子短大客員教授でキャリア権推進ネットワーク理事の彼女をタレント枠に入れるのは、内田樹氏を学者枠に入れるのと同じくらい違和感があります。

3位:ベンチャー企業というのは夢を見て24時間働くというのが基本@三木谷浩史楽天会長 19,495件

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/24-89d1.html

いや、ベンチャー企業の経営者の方がベンチャー精神に満ちあふれて1日24時間、1年365日働こうが何しようが、誰からも指揮命令を受けているわけではないので、言葉の正確な意味での自己責任です。

しかし、そのベンチャー経営者との間に日本国民法第623条に基づき雇用契約を締結して、労務を提供して報酬を得る約束をしただけの、一介の労働者に対して、「ベンチャー企業というのは夢を見て24時間働くというのが基本」という倫理を要求するのが、契約関係に基づいて取引することを大原則とする我らが市場経済社会において正当なことであると心の底から考えておられるとするなら、それは残念ながら他のいかなる先進諸国においても共感を得られないでしょう。

実を言うと、日本のベンチャー型ブラック企業のロジックというのは、まさにこのタイプなんですね。職場の末端にまで経営者になったかのような感覚を要求する。

メンバーシップ感覚の上にベンチャー礼賛が乗っかると日本型ブラック企業が生み出されるわけです。

4位:日本のアニメ産業環境は厳しいのではない。”違法な劣悪環境”である。9,834件

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-ff8d.html

いま出版社は、労使関係とかいうとそれだけで尻込みするような感じですが、アニメ界の労使関係という切り口は突破口になりそうな気がします(もう一つはスポーツ界ですが)。知ってる人々が出てくるというのはすごく売りになるように思います。

そう、ジブリ関係の本を出しているところなんか、久美薫さんの本を出しませんか?(→中の人たち)

つまらん本を量産するより、よっぽど世のため人のためでしかもすごく面白い。

5位:俺のん,でかくて太いらしいねん。やっぱり若い子はその方がいいんかなあ。 7,169件

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-1549.html

「俺のん,でかくて太いらしいねん。やっぱり若い子はその方がいいんかなあ。」

「夫婦間はもう何年もセックスレスやねん。」,「で も俺の性欲は年々増すねん。なんでやろうな。」,「でも家庭サービスはきちんと やってるねん。切替えはしてるから。」

「この前,カー何々してん。」

「今日のお母さんよかったわ…。」,「かがんで中見えたんラッキー。」, 「好みの人がいたなあ。」

6位:日本は求人での年齢差別が禁止されて・・・いるんです、実は 5,757件

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-3d14.html

それにしても、施行規則の三のイなどを見れば、日本の労働社会というものがいかに、若者を優遇し、中高年を冷遇することを許す社会であるかということが、年齢差別禁止の例外という露骨な形でよく示されていることがおわかりでしょう。

薄っぺらな一部ワカモノ論者にはなかなか見えてこない日本社会の実相です。

7位:問題は障害云々ではなく捨て扶持論 5,557件

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-35e8.html

話が障害者差別か否かという方向にねじれてしまっているようですが、いうまでもなくホリエモン氏の昔からの持論は、障害者であるか否かを問わず、生産性の低い人間は下手に働いて人に迷惑をかけるんじゃなく、黙って捨て扶持をもらって引っ込んでろ、という点にあります。

8位: KDDI労組が11時間の勤務間インターバルを獲得 4,904件

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/11-b330.html

今春闘、もちろんお金の話が注目を集めていますが、お金以外の要求で妥結に至った事項の中に、注目に値するものがあります。

情報労連所属のKDDI労組が、安全衛生規定として、11時間の勤務間インターバルの導入で妥結したそうです。

9位:この期に及んでも未だに無期雇用と終身雇用の区別がつかない日経新聞 4,562件

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-b039.html

本日の日経新聞の社説が悲惨です。

これだけ口を酸っぱくして説き聞かせてきても、未だに特殊日本的な契約の中身が無限定であるが故の終身雇用と、欧米でもごく普通の単に期間の定めがないというだけの無期雇用との違いが全然理解できていないようなのです。

10位:中小企業ではスパスパ解雇してますよ 4,031件

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-12a7.html

世間では解雇規制の議論が盛り上がってきているそうですけど、何にせよ、日本社会の現実の姿からかけ離れた思い込みを前提に議論がされたのでは、あらぬ方向に走って行くばかりですので、

役に立たない人間を雇い続けなければいけない負担は中小企業には相当なもの。 解雇できないから、簡単に雇用も出来ない。

それはどこの国の中小企業なのでしょうか。多分、年間数十万件の労働紛争が労働裁判所にやってくるヨーロッパ諸国なんでしょう。

少なくとも、私が日本の労働局のあっせん事案を調べた限りでは、こういうのが日本の解雇の現実の姿ですけど。

この記事だけは、今年ではなく2013年の記事ですね。

以下、15位までをリンクだけ

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/12-5e9a.html(杉田真衣『高卒女性の12年』)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-1723.html(大学を「職業教育学校」に?)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/1765-9678.html(17歳アイドル 異性交際規約違反で65万賠償命令)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-b43f.html(「就活に喝」という内田樹に喝)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-67d2.html(はじめからメルトダウンしていた古賀茂明氏の倫理感覚)

『経営法曹』187号

経営法曹会議より、『経営法曹』187号をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.keieihoso.gr.jp/report.htm

314ページと、いつもにまして分厚くなっていて、その半分強を占める年間重要判例検討会の議事録は、頭を法律モードにしてからゆっくりと読ませていただくことにして、ここでは「座談会」という名の講演録に本庄淳志さんが登場しているので、そちらを。

ここで本庄さん、今までの派遣法の在り方や今回の派遣法改正について、いつも聞いている話をしていますが、後ろの方でかなり踏み込んでとりわけ登録型派遣の在り方について独自の見解を示しています。これはなかなか面白いので、是非図書館か何かでお読みになることをお奨めします。

おそらくそれらも含めて、本としてまとめて出す予定があるようです。曰く:

講師・本庄准教授 そうです。今日のこのテーマというのはまさに私の博士論文のテーマで、全く一言一句違わずに「労働市場における労働者派遣法の現代的役割」で、これにサブタイトルがついて、今日はどちらかというと日本の話を中核にしましたが、外国法との検討も踏まえて書きました。ただ、2008年当時の状況と今の状況はわずか7年の間にがらっと変わっています。それも含めて、今、手直しをして、それこそ大内先生に「早く出せ」と合うたびにお尻を叩かれていまして、今まさにその準備をしております。

だそうです。

拙著評いくつか

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5読書メーターで、「たまちゃん」さんが拙著を評しています。

http://bookmeter.com/cmt/52888211

年末にやたら(私の中で)盛り上がった「資生堂ショック」の1つの回答をいただけたかもという本。著者が男性というのは案外いいのかもしれぬ。女性の労働史については多少辟易だったが、1980年代からはものすごく現実味を帯びて頭に入ってきた。その時代からも働き方について考え方がずいぶん違ってきたのは事実だ。今の若者はどう考えているのか、もっとじっくりとヒアリングしたい。

そうか、例の「資生堂ショック」に対する一つの回答になっていたわけですね。

さらにamazonレビューで、「あきら」さんが取り上げています。

http://www.amazon.co.jp/review/R1FC2LZ38LSGKE/ref=cm_cr_dp_title?ie=UTF8&ASIN=4166610627&channel=detail-glance&nodeID=465392&store=books

女性の雇用問題がテーマではあるが、議論は雇用一般に及んでいる。

小池理論は宇野理論の影響!  第2章に書いてあったが、昔 宇野理論、宇野弘蔵の著作が必読書であった時代に生きていたものにとって ある種のなつかしさを感じたが、その影響力は大きいものがあったのだと妙に感心してしまった。すでに化石となっている理論だが 当時は一世を風靡したものである。それは ともかく、賃金理論というものがいかに当時の経済情勢や支配的な思潮に影響されているかがよくわかる。

職能資格制度に限らず、多くの賃金理論はもっともらしく、装飾を施しているがその実態は 当時の一般社会の思潮の反映に過ぎないということが良くわかる。とはいえ従業員にとって 自らの賃金が算出される根拠への関心は強いものだし、それへの対応に迫られながらこれからも新たな賃金理論や女性の雇用を含めて人事制度の理論がでてくるのであろう。

「蛇足」ではなく「キモ」のつもりで書いた部分に見事に反応していただいております。

2015年12月27日 (日)

法学部教育の職業的レリバンス

L20160458901 有斐閣の広報誌『書斎の窓』来年1月号に、池田真朗さんの「新世代法学部教育の実践 ―― 今,日本の法学教育に求められるもの① マジョリティの法学部生のための,専門性のある法学教育」という連載の第1回目が載っています。

http://www.yuhikaku.co.jp/static/shosai_mado/html/1601/03.html

ロースクールが批判の的になってきている今日の状況下で、改めて圧倒的大部分が法曹になるわけではない法学部の法学教育を、正体不明のリーガルマインドとかを振り回すリベラルアーツ論なんかではなく、「れっきとした「法学部専門教育」」のあり方を考えようという意欲的な考察です。というか、その序説ですね。

俗にいう「法学部出はつぶしがきく」という表現などは、まったく積極的な評価とはいえない。「法的思考力や判断力の涵養」などというお題目も、さらに具体化する必要がある。そこで私は、法学部は、社会のそれぞれのレベルの集団において、ルールを創り、集団の運営にリーダーシップを取り、構成員の幸福を考えていくような人材を輩出する社会インフラとなるべきものと考えた。

 そうであれば、ここは発想を転換する必要がある。「法律を教える」ことによって、法律を覚えることの得意な人間やそれを振りかざす人間を育てるのではなく、社会におけるルールのあり方を理解し、またその帰属する社会や集団での最適なルールを創れる人間、をどれだけ育成できるかが、本来の法学部の価値を決めるのではなかろうか。

 もちろん、そのルールというものも、国レベルの「法律」から敷衍して、地方自治体の条例、企業取引における契約、さらに、同業者組合やマンション管理組合の規約であったり、町内会の取り決めであったりと、所属する社会や集団のそれぞれのレベルで考えるべきである。

 新世代の法学部教育の「専門性」というものの核の部分は、具体的にこの「ルール創り」の能力を養成するというところにあるのではないかと私は考えているのである。

次号以降で、「新世代の法学部教育を考える道筋として、教授法、カリキュラム、教材、などを実践例を挙げて検討し、最後に、理念の問題に回帰しつつ、「ルールを創れる人を育てる」法学教育を探求してまとめとする予定である<」とのことなので、しばらく『書斎の窓』カラは目が離せません。

まことにまっとうなスポーツ労働者の要求

夕刊フジが、「白鵬、異例の提案書 強気の要求 休養日の増加、金銭的な改善を」といういささかミスリーディングな見出しで、力士会の「提案書」を報じています。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151225-00000000-ykf-spo

大相撲の十両以上の関取で構成する力士会が24日、東京・両国国技館で会合を開き、日本相撲協会巡業部へ待遇改善を求める「提案書」を提出した。力士会会長を務める横綱白鵬(30)が尾車巡業部長(元大関琴風)に6項目の要望を文書で渡した。休養日の増加、金銭的な改善を含めるなど、要求は強気で波紋を呼びそうだ。

いやもちろん、「要求は強気で波紋を呼びそうだ」とやたら経営者目線なのは夕刊フジの記者であって、中身は、

過密日程などで低調になりがちな巡業の稽古の質の向上が主な目的。移動時間の短縮や、稽古を番付の東西交代制にして休養を取りやすくすること、巡業手当の増額や稽古を怠った者への手当て減額などが記されている。専属トレーナーの増員も希望した。

と、まことにまっとうなスポーツ労働者としての要求です。

労働組合を作って要求するときの鉄則として、会社の中であいつは駄目な奴だと思われているようなのではなく、あいつはできると一目も二目も置かれているようなのを前面に出せ、というのがあるそうですが、そういう意味からすれば、誰一人その偉業に文句のつけようのない白鵬を前面に出すというのは、戦術としてはまさに定石。

それに対して、

白鵬も誤解を招きやすい発言で批判を受けることが多くなっている。新たな火種とならなければいいが…。

などと個人の問題であるかのようなつまらないツッコミをしてどや顔になっているこの記者こそ、相撲というスポーツの将来を真面目に考えた方が良いのでは?

(参考)

本ブログにおける相撲力士と労働法に係るエントリは以下の如し。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_c64e.html(力士の労働者性)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_fd03.html(時津風親方の労働者性)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_bbf0.html(幕下以下は労働者か?)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-d31a.html(力士の解雇訴訟)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-b776.html (朝青龍と労働法)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/by-916f.html(力士をめぐる労働法 by 水町勇一郎)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-4251.html(力士会は労組として八百長の必要性主張を@水谷研次さん)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-2ce8.html (力士の労働者性が労働判例に)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-5f5d.html (蒼国来の解雇無効判決)

老婆心ながら、この本で女性労働の歴史を学びたいという方には、おやめなさいと申し添えておきます

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 もったいぶらずにさっさと公開してくださいよ、とお願いしたら、さっさと公開していただきました。

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-408.html

結論としては、「老婆心ながら、この本で女性労働の歴史を学びたいという方には、おやめなさいと申し添えておきます」というかなりの辛口の批評です。

まあ、それはいつものことなのですが、今回の御批評には、正直かなりの立ち位置の違いを感じました。半封建的日本資本主義の構造とか低賃金とか、いかにも社会政策学会主流派の視点だな、と。もちろんそれはそれでいいのですが、本書で取り上げてきた一方では労働省婦人少年局の女性官僚たちからオビで「絶賛」している上野千鶴子さんたちフェミニストたちの視点をぬきに、法政策を軸にした女性労働の話はできないのも事実です。

まあ拙著はそれをそのままなぞるんではなく、マル経や小池理論の読み直しというかたちでそこの視座をずらしているつもりですが、基本はそこにあるので、それこそわざわざ予防線を張っていた「ここが足りない、あれが欠けているという話」をあれこれされると、いや確かにそれは仰るとおり、としか言えないのですが。

実は、金子さんが指摘する「農業労働、中小(零細)企業などにおける家族労働、女中(あるいは家政婦)、請負(要するに内職)の話がまったく出て来ません」以前に、第1章の最初のところで出てきた女工さんたちが、終戦直後の近江絹糸の人権争議を最後に出てこなくなります。いつの間にか、BGやOLが差別されてるってな話だけになっていて、それこそが女性労働の本といいながら最大の偏りではないか、と強く批判されてしかるべきところとすら言えるでしょう。

まあそこをわかった上で、そこが女性労働政策の転換を駆動した部分であるからそういう叙述にしているわけではあるのですが。なので、「この本で女性労働の歴史を学びたいという方には、おやめなさいと申し添えておきます」というのは、ある面では仰るとおりではあるのですが、とはいえそういう伝統的社会政策的視点だけでは逆に上野千鶴子さんとは対談の接ぎ穂がなくなってしまうかも知れませんね。

(追記)

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-410.html

金子さんがリプライを書かれたので、とりあえず一言だけ。

>正直、マル経や小池理論の読み直しでのずらしは蛇足でしょう。

いや、そこがこの本のある意味で肝です。蛇足どころかキモ。

何人かの労働法学系の方からの反応では、(他の部分はかなり学界の共通認識には入っていても、この部分はそうではないこともあってか)ここが結構受けていました。

ある意味で「ソーシャル」な理論が、それ自体もっとも女性差別的なロジックとして機能した、というこのアイロニーの指摘は、少なくとも社会政策学会の歴史では折に触れちらちらと出ていたはずで、おそらくそれを一番明確に言い切っているのは大沢真理さんでしょう。しかし、その外の世界ではほとんど認知されているとは言いがたい。莫迦なネトウヨがフェミとサヨクの区別も付かないためもあるでしょうが。

それがあるので、この本は何とか存在理由が残っているので、それがなければ大して意味はありません。少なくとも私はそう思っています。

2015年12月26日 (土)

レイアウト変更

何人かの方から、両サイドバーだと本文の幅が小さくなって読みにくい、というご意見をいただいたので、本ブログ発足以来初めてレイアウトを変更し、サイドバーは右側だけにして、本文領域を広げてみました。

実は、内閣府のGDP国際比較の表が前のレイアウトでは縮みすぎてしまうので、少しは見やすくしたいと思ったのが、本日思い立ったきっかけですが。

私としては実に下らなく感じた

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbd_2 読書メーターに拙著『働く女子の運命』に対して、極めて批判的な評がアップされています。評者は「はすのこ」さん。

http://bookmeter.com/cmt/52848104

賛否両論を生みそうな1冊。私としては実に下らなく感じた。女性の労働環境の問題点を主張するのはいいが、どういう未来を望んでいるのかが書かれていない。男女の役割としての分業を逆転させて、良い未来は絶対に訪れないと思う。

「私としては実に下らなく感じた」と、極めて厳しく斬って捨てていますね。

おそらくこの方には、雇用社会のあり方を的確に分析することには何の意味もなく、思いつきか口から出任せ的なもっともらしい「未来像」らしきものが描かれていれば満足されるのでしょう。そういう方のご満足が得られるような本を書くのは、ある種の経営コンサルみたいな人にしかできなさそうです。少なくとも私には無理ですね。

私の分析を面白く読まれる方であれば、「どういう未来を望んでいるか」は、事々しく叫び立てなくても、自ずから伝わるものがあるはずだと思われますが、そういう回路のない方には伝わりようはなさそうです。

日本経済収縮の20年

内閣府経済社会総合研究所が国民経済計算の確報を公表したというので見に行きました。

http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/kakuhou/files/h26/sankou/pdf/point20151225.pdf

正直、労働関係はこまめにフォローしていますが、それ以外の関係は新聞を斜め読みして済ませているので(圧倒的に多くの人々が自分の専門分野とそれ以外で使い分けているやり方だと思いますが)、あんまり真面目にここ20年間のGDPの国際比較をまじまじと眺めたことはなかったんですが、改めてみてみると、これはやっぱりこの20年間は国際比較的に見ても失われた20年だったということがよくわかります。

まず、主要国の名目GDPの推移ですが、

Gdp

日本は1996年に4.7兆ドルだったのが、去年は4.6兆ドルと言葉の正確な意味でゼロ成長。その間にアメリカは8兆ドルから17兆ドルに倍増、イギリスも1.3兆ドルから3兆ドルに倍増、ドイツでも2.5兆ドルから3.8兆ドルに5割増なのに、日本だけ収縮。その間に中国はたった8600億ドルから10兆ドルにまさに桁を駆け上がり、インドも4000億ドルから2兆ドルになってます。

日本と中国が逆転したのはわずか6年前の2009年なのに、それからの5年で倍以上に引き離されました。そして、そのこと自体も必ずしもきちんと認識されているわけではなさそうです。

1人あたりGDPの推移は次の通りです。

Gdppc

アメリカが3万ドルから5.4万ドルへ、ドイツが3万ドルから4.7万ドルへ、イギリスは2.2万ドルから4.6万ドルへという先進国中で、唯一3.7万ドルから3.6万ドルへの貧しくなっているのは日本だけ。貧しくなる日本の隣で、かつて700ドルと極めて貧しかった中国が7600ドルとこれまた一桁以上の上昇。

かつてわたくしの少年時代、1960年代には毎年日本のGNPが他の先進諸国を追い抜いていくという時代がありましたが、今はそれを巻き戻しているかのようです。

もったいぶらずに・・・

金子良事さんのつぶやき:

https://twitter.com/ryojikaneko/status/680060246216200192

もう一週間くらい前に『働く女子の運命』の感想エントリを書いたのだが、身もふたもない感じがして、公開をためらう。

そんな妙にもったいぶらずに、激烈な批判なら批判で大歓迎ですので、さっさと公開してくださいよ。

育児休業の法的本質は付与義務にある・・・のだが・・・

昨日からネット界隈を国会議員の「育児休業」問題が騒がせているようですが、

http://togetter.com/li/916542 (国会議員が育児休暇検討、それに対する様々な意見、熊谷市長や蓮舫議員のツイートを中心に)

言うまでもなく、育児休業とは法的には労働者の使用者に対する請求権であり、使用者の労働者に対する付与義務として構成されるものである以上、いかなる意味でも雇用労働者ではない国会議員が自らの育児のために自主的に休みを取ることは法的意義における育児休業ではあり得ない。いわば社長が自ら育児のために休みを取っているのと似た状態であって、取引先との関係で生ずる問題をどう処理するかも少なくとも労働法上の問題ではない・・・というだけのことでは、もちろん済まないわけです。

なぜかというと、これはlawkusさんが見事に指摘されていますが、

https://twitter.com/lawkus/status/680196920778727424

国会議員を労働者と同視する馬鹿な擁護論が続出したことの裏を返すと、「国民の大半は議員と労働者の区別もつかないから、議員の(自称)育休を批判して潰せば、国民全体が(制度上の)育休を取りにくくなるという(本来生じるはずのない)効果が生じる」という主張に説得力あるという話にはなる。

まさに!

労働者と使用者の区別が付かず、労働者と国会議員との区別が付かないような低レベルな議論のアリーナで、(法的観点からだけからすれば実は間違っているわけではない)議員の「育児休業」(なるもの)取得批判論がまかり通ることの、(非法的)現実社会的帰結は、法がまさに保障しようとしている正当な労働者の権利であり使用者の義務であるところの育児休業取得それ自体に対する、たとえば

国会議員でさえ、育児のために休むなんて言い出せば批判を浴びるんだから、況んやそんじょそこらのたかが労働者ごときが生意気にも育児のために休みますなんて、おこがましいにもほどがある!!

というたぐいの、法的観点からすればナンセンスの極みの、しかしながら現実の日本社会では結構あり得そうだったりするある種の雰囲気をますます醸成する効果を持ちかねないわけです。

こういう頭が痛い現象のもとをたどると、結局、労働者の権利と使用者の義務という労働法の基本枠組みを根本的なところで理解しないまま偉そうに物事を語る人々が世にはびこりすぎたことに原因があるのかも知れません。

やっぱり労働法教育が必要だな。

オベリスクさんの拙著書評

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 オベリスクさんのブログ「備忘録」で、拙著『働く女子の運命』への書評がされています。

http://d.hatena.ne.jp/obelisk2/20151225/1451002257

濱口桂一郎『働く女子の運命』読了。いやあ、おもしろかった。日本で女性が働くのがむずかしいのは、日本の男性がダメなためだけではないのである。ヨーロッパでは女性の社会進出が進んでいるが、ヨーロッパの男性だって頭が固かったのは似たようなものだ。・・・

そう、そこは結構本書で強調したところです。欧米は男女平等意識が高くて、日本はそうじゃないから・・・なんていう表層的な議論ではどうにもならない。

それは、両者の労働形態のちがい、つまり、著者の云うところの日本の「メンバーシップ型」社会と、ヨーロッパの「ジョブ型」社会のちがいに依るものだと云うのだ。著者のこの区別は、最近ではかなり知られてきたような気がする。・・・

オベリスクさんの個人的な思いがにじみ出ているのはこの一節。

しかし、女性ではないがそのうち労働弱者に転落しそうな自分としては、女性の労働問題は人ごとではない。同じ問題とリンクしているからだ。自分がすぐには悲惨な状況にならないであろうことは、ただ予め余裕を作っておいたからに過ぎない。ちなみに不況下にあって生きてきた若い人たちは、ネットを見ていると、色んなことをやっている。あくせくしないで生きるという技術を身につけているのは、若い人たちに多いようだ。見習いたいと思う。

(追記)

131039145988913400963 オベリスクさんは以前にも拙著を書評いただいたことがあります。

http://d.hatena.ne.jp/obelisk2/20090820/1250758999

議論はかなり専門的で、シンプルな解決策が書いてあるわけではない。もちろん、それが直ちに悪いということではないが、改革の実際については枝葉の議論が多く、大もとの原則は現状肯定的にも見えるのは確かだ。先日読んだ上野千鶴子と辻本元清美の本で強調された、「同一労働同一賃金」の原則は、日本の現状に合わないとして一蹴されている。これは理想を説く本ではなく、著者もそれを意図していないだろう。

そう、ちょうど『新しい労働社会』を出したのと同時に、同じ岩波新書から上野千鶴子さんと辻元清美さんの『世代間連帯』って本が出たんですね。確かに一見対照的に見える本ではあるんですが、この評に対するレスポンスとして、当時私はこう述べていました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-666a.html

えとですね、上野・辻元本との違いは、時間軸の短期・中長期とリアリズムの感覚の違いなので、実のところ結構共通するところはあるんですよ。

それはじっくり読むとにじみ出るんですが、卒然と読むと違いばかりが浮かび上がるのです。

この辺、実は面白いんですが、なかなか。

その辺の同じところと違うところが何なのかは、そのうち文春のサイトで公開される予定の上野・濱口対談でご確認いただければ、と。

26184472_1 もう一つ、『日本の雇用と中高年』も評していただいております。

http://d.hatena.ne.jp/obelisk2/20140530/1401412036

2015年12月25日 (金)

リベラルは経済右派に決まってる(アメリカ方言を除く)

これまた本ブログで百万回繰り返してきたことのような気がしますが・・・、

https://twitter.com/mnaoto/status/679576556239368192

リベラルは日本でも復権するか。学者ら、民主に政策提言へ

https://twitter.com/mnaoto/status/679577047107112965

“民主党は相も変わらず芸のない財政再建路線を捨てきれずにいる。積極的な雇用政策を提唱するわけでもなく、見当違いな「公務員の給与削減」などを目玉政策としてあげる始末だ。給与削減を政策に掲げるリベラル政党など世界のどこを探してないだろう”

https://twitter.com/mnaoto/status/679579629674348545

国会議員や公務員の数を減らしたり給与を減らしたりでなにかよいことを言ったような気になっている「リベラル」に未来はない。

いや、アメリカ方言という特殊な言語を除けば、それこそまさに「リベラル」の本質でしょう。

ヨーロッパの労働関係の本を見れば、「リベラル」ってのは市場原理、自由放任、構造改革、規制緩和等々を掲げる思想の謂いなのであって、その反対は「ソーシャル」。

労働法の教科書で「リベラル」な法学者の代表はたとえばエプスタイン。それが常識。

アメリカ方言では「ソーシャル」を「リベラル」と呼び、本来の「リベラル」を「ネオリベラル」とか「リバタリアン」と呼んでいるのに引きずられると、訳が分からなくなる。

世界中で、手を使ってはいけないのを「フットボール」と呼んでいるのに、アメリカ方言ではわざわざ手を使っていいゲームを「(アメリカン)フットボール」と呼んでいるようなものですが、だったらちゃんと分かるように、「アメリカンリベラル」と言って欲しい。

アメリカ以外では、上の言葉はすべて意味不明。「リベラル」を「ソーシャル」に入れ替えて初めて意味が通る。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_c7ac.html(リベラルとソーシャル)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_ce3c.html(ソーシャルなクルーグマン2)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-af5f.html(「ソーシャル」がかけらも出てこない・・・)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-cd63.html(ジュンク堂池袋店トークイベント実録(修正入り版))

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-787c.html(自民党は今でもリベラルと名乗っている唯一の政党である件について)

(追記)

こういう批判をする方がいるので、もう少し詳しく歴史的な経緯を略述しておきます。

https://twitter.com/kuroseventeen/status/680700514426695680

そうじゃないんだけどねw 欧州のはもっとめんどくさいけど、リベラルが左翼みたいに受け取るのはおかしいのは事実

https://twitter.com/kuroseventeen/status/680700771655004160

何度も書いてるけど英国が一番わかりやすい。自由党は左派じゃないよね?じゃあ、保守党はっていうと、昔、貴族というか土地持ちだった人の党なんだよ。

うーむ、これはトーリーとホイッグが二大政党だった19世紀の構図ですね。

確かに19世紀には、自由党が市場原理主義的であったのに対して、保守党は工場法の制定とかある意味で「ソーシャル」を志向してた面もあります。その代表がディズレーリ。

しかし、その後自由党に変わって労働党が二大政党の一角を占めるようになり、リベラリズムという意味での経済的右派のポジションは保守党が占めるようになります。

ただ、ある時期までは戦後ケインジアン福祉国家を労働党とともに支えるスタンスでしたが、60年代からもろにハイエク主義的な思想が力を得るようになっていき、70年代の経済の惨状を経て、サッチャー政権下で徹底的に「リベラル」な政権になったことはご承知の通り。

その間、自由党は細々と続いていましたが、その後労働党から分かれた社会民主党と一緒になって自由民主党(!)になりました。そういういきさつから、イギリスの自由民主党という唯一「リベラル」を冠する政党は、保守と労働の間の中間政党で、サッチャー以来市場原理主義で固めた保守党よりも経済政策では「リベラル」ではないということになっています。

法学部に進学される皆さんへ@東京大学法学部

Law 東京大学法学部が、『法学部に進学される皆さんへ 3年次・4年次開講科目のためのリーディングリスト』というパンフレットを公開しています。

http://www.j.u-tokyo.ac.jp/kyomu/fl-1/readinglist2016.pdf

民法、商法から始まって、法制史、政治学など様々な分野の先生方が、それぞれのリーディングリストを示しています。

その中で、労働法の荒木尚志先生は、次の二冊を挙げられています。

濱口桂一郎『若者と労働―「入社」の仕組みから解きほぐ す』(中公新書ラクレ、2013 年) 現在生じている種々の雇用労働問題を、特に若年雇用にフォーカスを 当てて、欧米諸国の「ジョブ型雇用」と日本の「メンバーシップ型雇 用」という視点で鮮やかに描き出し、今後の雇用政策のあり方も展望 するもの。「そういうことだったのか」と目からウロコの本。

赤松良子『均等法をつくる』(勁草書房、2003 年)  その立法の是非について国論を二分するほどに賛否の分かれた 1985 年男女雇用機会均等法。その立法責任者であった著者が、幾多の困難 に直面しつつ、立法にまで漕ぎ着けた舞台裏を綴ったもの。官僚とし て法律を作る苦労とやり甲斐、様々な利害関係者との関わりなど、興 味は尽きない。

ということで、拙著を推薦していただきました。恐縮です。

それ以外の先生方の推薦図書も、いくつか興味深いものがありますね。法社会学の太田勝造さんの黒木亮『法服の王国:小説裁判官(上)(下)』産経新聞 出版,2013 年が「小説であるが,現実以上に現実的な裁判官社会 」ってのは、これは読んでみたくなります。

 

2015年12月24日 (木)

労働法規課復活?

厚生労働省のサイトに、「平成28年度 厚生労働省機構・定員査定(概要)」がアップされています。

http://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-10108000-Daijinkanboujinjika-Jinjika/28kouseiroudou-kikouteiin-sateigaiyou.pdf

見ていくと、社会保障、労働の両政策統括官を統合するとともに、

労働基準局に賃金課及び労働組合法、労働契約法等を所管する労働関係法課を設置。

とあります。労働関係法課って、かつての労働法規課の復活かという感じですが、労働契約法等も所管するということで、これはいよいよ従業員代表制を睨んだ布陣でしょうか。

その先をさらに見ていくと、

○都道府県労働局雇用環境・均等部(室)の設置
女性活躍、働き方改革、ワーク・ライフ・バランスを推進するための体制を整備。

女性だけじゃなく、男性もワークライフバランス、働き方改革、という掛け声に、組織編成も合わせて変えていこうということでしょうか。

弁護士水口洋介さんの拙著評

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 労働弁護士の水口洋介さんのブログ「夜明け前の独り言」で、拙著『働く女子の運命』(文春新書)が取り上げられました。

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2015/12/post-636c.html

「通勤電車内で熱中して読んで、つい降車駅を乗り過ごしてしまいました。」とのこと。そこまで熱心に読んでいただき感謝に堪えません。

本書の議論を丁寧に追いかけて説明していただいた上で、若干異論を提起というか、私が反論している海老原さんの議論の方に共感しているところが、いろんな意味で面白いところです。

私は、海老原嗣生さん(「日本で働くのは本当に損なのか」)が提言する「入り口は日本型メンバーシップ型のままで、35歳くらいからジョブ型に着地させるという雇用モデル」がもっとも共感できます。

日本的なメンバーシップ型の働き方(チーム労働)の良さも維持でき、今の雇用の実態にあっているように思います。海老原氏の提言については過去のブログでふれました。

・・・濱口さんは、この海老原さんのモデルについて、働き続ける女性がジョブ型に移行する歳(35歳頃)まで子どもが産めず、高齢出産になりかねないことが問題だと指摘します。

しかし、現実には20代で子どもを産んで育休をとりながら働く女性も少なくないと思います。また、キャリアをきずいてから35歳以上の高齢出産をするのか、子育てではなくキャリアを優先させるのか、所詮は個々の女性の選択です。社会が介入すべき事柄ではないでしょう。

ここは、私としても議論を煽り立てようとしているところなので、こういう風に参戦していただけると大変ありがたいです。

ちなみに、先日オビで「絶賛」していただいた上野千鶴子さんと対談した際には(これはそのうち、文春のサイトにアップされる予定)、そこを一番斬って捨てていたので、いやいや海老原・上野対決が楽しみです。

2015年12月22日 (火)

NHK BSでミッキーマウスのストライキをやってる!

Image06 いま、NHKのBSで放送していた「シリーズ ウォルト・ディズニー」の第2回目で、まさにミッキーマウスのストライキをやっていました。4回シリーズです。

http://www6.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/?pid=151222

質の高い作品にこだわって膨大な資金を注ぎ込んだ、世界初の長編カラーアニメーション「白雪姫」が高い評価を得たディズニー。人間の動きを撮影して、それをもとに絵を描くという新手法も取り入れ、「ピノキオ」や「ファンタジア」といった話題作を次々と発表する。その一方で、彼の経営方針に社員の不満が高まり、待遇改善を求めるストライキに発展してしまう。

06111128_5397bedeedbb7 久美薫さんが訳した大著の世界(の片鱗)です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-cfbe.html (『ミッキーマウスのストライキ!』)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-abd9.html (『月刊連合』11月号でも、『ミッキーマウスのストライキ!』)

間接的過労死?

カフェイン中毒死の危険性ということですが、

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/214307(カフェイン常用 中毒死 「眠気覚まし」思わぬ危険も)

・・・同教室によると、男性は24時間営業のガソリンスタンドの従業員で、深夜から早朝に勤務。そのまま夕方まで起き、しばらく寝てから出勤する生活を繰り返していた。眠気を覚ますためにエナジードリンクを日常的に多用し、カフェイン錠剤も併用していたという。

 男性は昨年、帰宅後に吐いて寝込んでいて容体が急変。数時間後に同居する家族が気付き、救急搬送したが、手遅れだった。死亡の約1年前から体調不良を訴え、吐いて動けなくなることも数回あったという。

直接的にはエナジードリンクや錠剤によるカフェインの過剰摂取が死因なのでしょうが、そのまた原因をたどれば恒常的睡眠不足をもたらす勤務態勢にあったようにも思われ、この間接的因果関係をどこまで安全配慮義務で論ずることができるか否かの法学的議論はさておき、エナジードリンクを避けようね、だけじゃなく、それを常用せざるを得ないような勤務在り方を見直そうという議論につなげていきたいところではあります。

労働法学研究会のお知らせ

年の瀬も押し詰まってきたので、そろそろ来年の予告をしても鬼も笑わないでしょう。

来年2月5日、労働開発研究会主催の第2701回労働法学研究会で、「現在の紛争解決の実態」についてお話しを致します。

http://www.roudou-kk.co.jp/seminar/workshop/3579/

 解雇や労働条件の引き下げといった問題をめぐり、個々の労働者と使用者との間で生じる紛争については、労働局のあっせんや労働審判、民事訴訟など様々な解決手段が用意され、実際に利用されております。
 また、JILPT(労働政策研究・研修機構)において、「「日本再興戦略」改訂2014」に基づいて実施された「労働局あっせん、労働審判及び裁判上の和解における雇用紛争事案の比較分析」の結果等から厚生労働省では、個別労働関係紛争の解決状況における、解決状況確認ツールを公開しました。
 通常、解雇を始めとする雇用終了に関しては、裁判に持ち込まれ、解雇権乱用法理に基づいてその効力が判断され、日本の解雇規制は厳しいというイメージを抱いておられる方も多いと思いますが、現実の労働社会においては、時間と費用のかかる裁判に持ち込まれない膨大な数の解雇その他の雇用終了事案が発生しております。
 今回は労働政策研究・研修機構の濱口先生を講師にお招きし、労働局のあっせん、労働審判の調停・審判及び民事訴訟の和解についてを詳細に分析したJILPT調査をもとに、今日の日本の労働社会において日常的に発生している雇用終了と紛争解決の実態を、ありのままに認識し、職場のありようを考えます。ぜひご利用下さい。

中身は、今年6月に公表したあっせん、労働審判、裁判上の和解の比較分析(統計的分析)が半分、あっせん事案を解雇型雇用終了事案、非解雇型雇用終了事案、雇用終了以外の事案に分け、それぞれ細かく類型化して分析した内容分析が半分です。後者は、事実上本邦初公開に近いですが、実は講演の直前(1月末)頃には、一般刊行書として『日本の雇用紛争』というタイトルで出版されている予定です。『日本の雇用終了』の全面改訂版と考えていただければ。

なお、比較分析の報告書の概要英訳がJILPT英語サイトにアップされておりますので、ご利用頂ければ幸いです。

http://www.jil.go.jp/english/reports/jilpt_research/2015/no.174.htmlJILPT Research Report No.174  Comparative Analysis of Employment Dispute Cases Resolved by Labour Bureau Conciliation, Labour Tribunals and Court Settlement)

In the revised “Japan Revitalization Strategy” of 2014 (decided by the Cabinet on June 24, 2014), it was expressly stated that cases of conciliation by Prefectural Labour Bureaus, mediation and adjudication by labour tribunals, and settlement of civil litigation used as means of resolving labour disputes would be analyzed and classified during FY2014. Based on this requirement, the analysis and classification work has been carried out by the Japan Institute for Labour Policy and Training with the cooperation of the courts, in response to a request from the Ministry of Health, Labour and Welfare.・・・・

『HRreview』で拙著紹介

Chukoビズリーチ社の『HRreview』という経営者・人事担当者向け情報サイトに、五嶋正風さんが、拙著『若者と労働』を引きながら、「日本型雇用システムの変容と問題解決への処方箋」を書かれています。

https://www.hrreview.jp/mid-career/3378/

日本の雇用システムはどこが特殊で、どんな変容を起こしているのか。人事パーソンなら押さえておきたい重要テーマを、お手軽な新書スタイルで学べるのが、濱口桂一郎氏の著書『若者と労働』です。若者の労働問題をテーマにしながら、そこに限定されない日本の雇用に対する視野や、問題解決に向かうための処方箋ともいえる知識が得られる書となっています。今回はこの濱口氏の著書から学びを得たいと思います。

以下、拙著の論ずるところを順を追って丁寧に解説していただいております。

「無限定の義務を負う正社員か、さもなくば低待遇の非正規か」といった硬直的な働き方ではなく、一定水準以上の処遇を用意しながら、働く人のニーズにも柔軟に対応できる「ジョブ型正社員」という道も用意しておく。これは、「メンバーシップ型」労働社会の行き詰まりの影響を受ける若者たちだけでなく、年齢、性別、働き方など、多様化が進む労働社会で従業員の意欲を引き出すためにも必要な取り組みではないでしょうか。


2015年12月21日 (月)

所浩代『精神疾患と障害差別禁止法』

14085所浩代さんより博士論文をもとに大きく加筆された『精神疾患と障害差別禁止法 雇用・労働分野における日米法比較研究』(旬報社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.junposha.com/catalog/product_info.php/products_id/1051?osCsid=ggqjaad846vcjn5th1c2h6vsu6

1990年、米国大統領は障害差別禁止法の署名式に臨み、「本法への署名により、障害のある全ての人は、閉じられていた扉を再び開いて、平等・自立・自由が約束された明るい時代に向かって歩み始めることができる」と宣言した。アメリカの25年の歩みを検証し、日本の未来を考える。

下記目次に見られるように、アメリカの障害者法制を、とりわけ精神疾患について詳細かつ突っ込んで考究された著書です。ちょうど日本でも来年4月から障害者差別禁止規定が施行され、さらに2008年には精神障害者にも雇用義務が拡大されるという大きな変革期であるだけに、問題を原点に戻ってじっくりと考えてみるにはいい機会でしょう。

障害者差別の問題は、私は正直言って今まであまりきちんと詰めて考えられてこなかったのではないかと思っていることがありまして、それは、『働く女子の運命』などでも触れた雇用システムとの関係です。特定のジョブとの関係で初めて能力の低下や欠如が問題になり得る障害者について、ジョブ抜きの差別禁止や合理的配慮というのはあり得るのか、という問題です。

はしがき
序論
1 課題の設定
2 本書の構成

第Ⅰ部 アメリカの障害者法制
第1章 障害者法制の歴史的変遷
1 優生思想にもとづく障害者の排除
2 職業リハビリテーション事業の開始
3 障害者自身による権利主張
4 所得保障制度の整備
5 害者権利運動の萌芽
6 障害者運動を支えた2つの理論
7 連邦法初の障害差別禁止条項
8 障害者権利法の拡充
9 ADAの成立
第2章 現行の障害者法制
1 障害に基づく差別の禁止
2 傷病休暇の保障
3 労災補償
4 使用者への働きかけ
5 所得保障・就労支援
第3章 障害者の雇用状況
第4章 障害者法制におけるADAの意義
1 障害者法制の歴史的展開とADA
2 現行法制におけるADAの役割

第Ⅱ部 精神疾患とADA
第1章 ADA概説
1 ADAの目的
2 ADA全体の内容
3 ADA第1編(雇用分野)の内容
4 雇用機会均等委員会(EEOC)
第2章 ADAが精神疾患に適用される場合の解釈課題
第1節 障害の定義
1 A類型
2 B類型
3 C類型
第2節 適格者
 1 「適格者」の判断枠組み
 2 「直接的な脅威」の抗弁
第3節 合理的配慮
1 合理的配慮とは
 2 過重な負担とは
 3 合理的配慮義務の規範的根拠
 4 合理的配慮義務の存否
 5 配慮の提供に向けた話し合い(Interactive process)
第4節 障害に基づく差別
 1 ADA第1編における「差別」
 2 差別の立証
 3 判例の状況
第5節 医学的な検査と問合わせ
 1 規制の構造
 2 「医学的な検査」の定義
 3 障害のない者に対する検査
 4 医療情報の保管・使用ルール
 5 薬物の違法使用とアルコール依存
第3章 ADAの実効性確保に関わる問題
 1 雇用機会均等委員会(EEOC)
2 救済手続
 3 救済内容
 4 ADRを利用した自主的な解決
 5 検討

第Ⅲ部 日本への示唆
第1章 日本の状況
第1節 障害者の雇用義務
 1 沿革
 2 現行制度
第2節 障害を理由とする差別の禁止
 1 障害者基本法
 2  障害者差別解消法
 3 障害者雇用促進法
 4 判例の状況
第3節 傷病者への配慮
 1 安全配慮義務法理の発展
 2 安全配慮義務の具体的な内容―精神疾患の事案を中心に
第4節 障害者に対する措置義務
 1 障害者雇用促進法に基づく措置義務
 2 判例の状況
第5節 メンタルヘルスの調査
 1 労働安全衛生法における使用者の義務
 2 判例の状況
第6節 紛争の解決
 1 障害差別と合理的配慮に関わる苦情
 2 その他の相談・支援
 3 虐待への対応
第2章 日本法制の課題
 1 精神疾患にり患した者に対する雇用機会の保障
 2 精神疾患に対する配慮
 3 メンタルヘルス情報の把握
 4 精神疾患をめぐる紛争の解決
おわりに

補論 国連障害者権利条約
第1章 国際連合と障害者の権利
 1 世界人権宣言
 2 1950年代~1960年代
 3 1970年代
 4 1980年代
5 1990年代
 6 障害者権利条約
第2章 障害者権利条約の内容
 1 定義
2 労働および雇用
 3 国内における実施および監視
 4 締約国による報告

付録 EEOCが公表しているADAの指針


2015年12月20日 (日)

お金は百薬の長?

近年日本でもメンタルヘルス問題が大きな社会問題となり、今月から始まったストレスチェック制度も新聞雑誌等で取り上げられている中で、ついせんだっては愛知県方面でなにやらこの関連で不穏当なことを書き散らした社労士が話題になったりしています。

112050118 3年前の『日本の雇用終了』の中で、個別労働紛争事案におけるメンタルヘルスの悪化傾向について、こう述べたことがありますが、

 雇用終了事案の中でも、職業能力という観点からの精神疾患を理由とする雇用終了を始めとして、労働者側のメンタルヘルス上の問題が原因となっているケースが多いが、それ以外にも労働者のメンタルヘルス状態が何らかのかかわりを有する紛争はかなりの数に上り、今日の日本の職場における社会的精神健康状態の悪化を示唆している。

最近はますます昂進しているように思われます。

そういう中で、今更ながらな感もありますが、ある意味でコロンブスの卵的な意義があるのではないかと思われたのが、メンタルヘルスと「お金」の関係を、ストレートに実験で明らかにしたこの研究でしょう。

http://link.springer.com/article/10.1007%2Fs10597-015-9950-9

Money and Mental Illness: A Study of the Relationship Between Poverty and Serious Psychological Problems」(お金と精神疾患:貧困と深刻な精神的問題との関係に関する研究)

スウェーデンの研究者4人とアメリカの1人の計5人によるこの研究の概要は、

Abstract Several studies have indicated a co-occurrence between mental problems, a bad economy, and social isolation. Medical treatments focus on reducing the extent of psychiatric problems. Recent research, however, has highlighted the possible effects of social initiatives. The aim of this study was to examine the relation between severe mental illness, economic status, and social relations. Method: a financial contribution per month was granted to 100 individuals with severe mental illnesses for a 9-month period. Assessments of the subjects were made before the start of the intervention and after 7 months’ duration. A comparison group including treatment as usual only was followed using the same instruments. Significant improvements were found for depression and anxiety, social networks, and sense of self. No differences in functional level were found. Social initiatives may have treatment and other beneficial effects and should be integrated into working contextually with persons with severe mental illnesses.

重い精神疾患を患う100人に精神科治療と社会サービスに加えて、9ヶ月間毎月500クローネ(=73ドル、53ユーロ)の「financial contribution」を与えて、比較対照群の50人にはそちらは与えなかったと。そうしたら、うつや不安、社会ネットワーク、自己意識等に顕著な改善がありましたと。お金こそ百薬の長であったと。

厳密に言えば、比較対照群の方もスウェーデンの手厚い福祉を受けているんで、それも受けられずに見捨てられているメンヘラとの比較にはなっていませんが、それはスウェーデンの研究ですから。

早くも『働く女子の運命』にアマゾンレビュー

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 奥付の発行日は今日(12月20日)とはいえ、実際に書店に並んだのは一昨日(12月18日)ですが、それにしても早くも『働く女子の運命』にアマゾンレビューが現れました。

評者は小倉光雄さん。拙著の主張を丁寧にフォローしていただいております。

http://www.amazon.co.jp/review/R2IQBUL29A2QSZ/ref=cm_cr_dp_title?ie=UTF8&ASIN=4166610627&channel=detail-glance&nodeID=465392&store=books

働く女性がであう問題が、どうして起きているのかを問うと日本型雇用制度に行き着く。その歴史的成立を戦前期からひもといていく。欧米型がジョブ、仕事に対して賃金を支払うのに対して、日本では組織のメンバーである事に対して支払う。後者は、仕事の結果でなく生活できる賃金、家族を支える男性にそれが可能な賃金をを支払うという事だ。これは、戦後の組合運動で主張されてもきた事で、マルクス経済学の理論、つまり労働力とは労働者の再生産費用であり、それをきちんと要求しようと言うわけだ。戦後のある時期、高度成長期以前はジョブ型に移行しようと言う提言が少なくとも経営側からはされていたが、日本型経営システムの世界的評価も相まって、高度成長が揺り戻しを招いた。しかし、男女平等の世界的流れには日本も乗り、いろいろの施策が成されてきた。女性労働力がBGやOLと呼ばれていた時代の、事実上の30歳定年制、結婚退職の強制や”職場の花”扱いは、今では信じられないような状態であると感じるのも、少しずつ進歩しているからではある。多くの抵抗にあいながら1985年に成立した男女雇用機会均等法は努力目標であったが、1997年に大幅改正された事も進歩と言える。

しかし、その進歩は日本型雇用に平等政策を継ぎ木したせいで、企業の側では一般職と総合職のコース別採用にいたり、女性は主として転勤なしの一般職で採用した。今はこの部分が派遣職に置き換わりつつある。また、少数の総合職女性は一般職女性と軋轢を生みつつ、男性と時間無制限で働く前提で競争しなければならず、それにもかかわらずキャリア形成で差別があり疲弊していった。現在、少子化対策として育休の導入が図られ、少しずつ前進してはいるが、軋轢もある。それは皆が時間無制限で働く前提でお互い融通しあって回っていた仕事が、定時で帰る育休あけの女性のため残りのメンバーが極限まで働くはめになると言う問題だ。

著者の処方箋は、激変をさけつつ(日本型雇用が生む新入社員の一括雇用のため、欧米で問題になるような若年層だけ失業率が高くなる問題が避けられている)、一般職こそが普通の働きかたであり、男性も含めて働きようをかえる必要があり、そこから徐々にジョブ型に移行しようと言う物だ。経済成長なしでは福祉もできないし、少子化は確実に経済や年金に響く現実の中でうまくいくだろうか、心配である。

著者は労働省出身なので、理論や歴史的側面からの叙述が多く、企業の現場の話は多くはないが、女性の雇用の問題が男性をも含めた雇用システムに起因すると言う事はよくわかった。また、ここには非正規雇用の問題は扱われていない、著者あとがきによれば、あまりに大きな問題で新書の一部分としては扱えなかったのと、非正規問題は女性の働き方と言う観点からは、問題に迫れないと言う考えから、当初原稿には書いたものの削除せざるを得なかったそうだ。問題点の背景がよくわかる良書と思う。

2015年12月19日 (土)

勤勉にサービスしすぎるから生産性が低いのだよ!日本人は

産経の記事ですが、

http://www.sankei.com/politics/news/151218/plt1512180033-n1.html (労働生産性、先進7カ国で最低 茂木友三郎生産性本部会長「勤勉な日本が…残念な結果」)

日本の生産性が低いことは以前から繰り返し本ブログでも取り上げてきていますが、この新聞記事を見てがっくりきたのは、日本生産性本部のトップともあろうお方が、こんな認識であったのか、といういささかの絶望感でありました。

茂木会長は、「日本は勤勉な国で、生産性が高いはずと考えられるが、残念な結果だ」と評価した。

生産性のなんたるかがよくわかっていない市井の人々はよくこの手の間違いをしますが、さすがに日本生産性本部会長がこの言葉はないでしょう、と。

茂木会長は「労働人口が減少する日本が国内総生産(GDP)600兆円を達成させるためにも、生産性の向上が必要で、特にサービス産業の改善が求められる」と語った。

まさに、サービス業の生産性というのが何で決まってくるのかをしっかりと考えてこそ、その「改善」も可能になろうというものです。

あとはもう、以前から本ブログをお読みの皆様方にとっては今更的な話ばかりになりますが、せっかくですので、以前のエントリを引っ張り出して、皆様の復習の用に供しようと思います。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-8791.html (なにい?労働生産性が低いい?なんということだ、もっとビシバシ低賃金で死ぬ寸前まで働かせて、生産性を無理にでも引き上げろ!!!)

依然としてサービスの生産性が一部で話題になっているようなので、本ブログでかつて語ったことを・・・、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-107c.html(スマイル0円が諸悪の根源)

日本生産性本部が、毎年恒例の「労働生産性の国際比較2010年版」を公表しています。

http://activity.jpc-net.jp/detail/01.data/activity001013.html

>日本の労働生産性は65,896ドル(755万円/2009年)。1998年以来11年ぶりに前年水準を割り込み、順位もOECD加盟33カ国中第22位と前年から1つ低下。

>製造業の労働生産性は米国水準の70.6%、OECD加盟主要22カ国中第6位と上位を維持。

>サービス産業の労働生産性は、卸小売(米国水準比42.4%)や飲食宿泊(同37.8%)で大きく立ち遅れ。

前から、本ブログで繰り返していることですが、製造業(などの生産工程のある業種)における生産性と、労働者の労務それ自体が直接顧客へのサービスとなるサービス業とでは、生産性を考える筋道が違わなければいけないのに、ついつい製造業的センスでサービス業の生産性を考えるから、

>>お!日本はサービス業の生産性が低いぞ!もっともっと頑張って生産性向上運動をしなくちゃいけない!

という完全に間違った方向に議論が進んでしまうのですね。

製造業のような物的生産性概念がそもそもあり得ない以上、サービス業も含めた生産性概念は価値生産性、つまりいくらでそのサービスが売れたかによって決まるので、日本のサービス業の生産性が低いというのは、つまりサービスそれ自体である労務の値段が低いということであって、製造業的に頑張れば頑張るほど、生産性は下がる一方です。

http://activity.jpc-net.jp/detail/01.data/activity001013/attached.pdf

この詳細版で、どういう国のサービス生産性が高いか、4頁の図3を見て下さい。

1位はルクセンブルク、2位はオランダ、3位はベルギー、4位はデンマーク、5位はフィンランド、6位はドイツ・・・。

わたくしは3位の国に住んで、1位の国と2位の国によく行ってましたから、あえて断言しますが、サービスの「質」は日本と比べて天と地です。いうまでもなく、日本が「天」です。消費者にとっては。

それを裏返すと、消費者天国の日本だから、「スマイル0円」の日本だから、サービスの生産性が異常なまでに低いのです。膨大なサービス労務の投入量に対して、異常なまでに低い価格付けしか社会的にされていないことが、この生産性の低さをもたらしているのです。

ちなみに、世界中どこのマクドナルドのCMでも、日本以外で「スマイル0円」なんてのを見たことはありません。

生産性を上げるには、もっと少ないサービス労務投入量に対して、もっと高額の料金を頂くようにするしかありません。ところが、そういう議論はとても少ないのですね。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-2546.html(サービスの生産性ってなあに?)

(追記)

ついった上で、こういうコメントが、

http://twitter.com/nikoXco240628/status/17619055213027328

>サービスに「タダ」という意味を勝手に内包した日本人の価値観こそが諸悪の根源。

たしかに、「サービス残業」てのも不思議な言葉ですね。英語で「サービス」とは「労務」そのものですから素直に直訳すれば「労務残業」。はぁ?

どういう経緯で「サービスしまっせ」が「タダにしまっせ」という意味になっていったのか、日本語の歴史として興味深いところですね。

※欄

3法則氏の面目躍如:

http://twitter.com/ikedanob/status/17944582452944896

Zrzsj3tz_400x400 >日本の会社の問題は、正社員の人件費が高いことにつきる。サービス業の低生産性もこれが原因。

なるほど、ルクセンブルクやオランダやベルギーみたいに、人件費をとことん低くするとサービス業の生産性がダントツになるわけですな。

さすが事実への軽侮にも年季が入っていることで。

なんにせよ、このケーザイ学者というふれこみの御仁が、「おりゃぁ、てめえら、ろくに仕事もせずに高い給料とりやがって。だから生産性が低いんだよぉ」という、生産性概念の基本が分かっていないそこらのオッサン並みの認識で偉そうにつぶやいているというのは、大変に示唆的な現象ではありますな。

(追記)

http://twitter.com/WARE_bluefield/status/18056376509014017

>こりゃ面白い。池田先生への痛烈な皮肉だなぁ。/ スマイル0円が諸悪の根源・・・

いやぁ、別にそんなつもりはなくって、単純にいつも巡回している日本生産性本部の発表ものを見て、いつも考えていることを改めて書いただけなんですが、3法則氏が見事に突入してきただけで。それが結果的に皮肉になってしまうのですから、面白いものですが。

というか、この日本生産性本部発表資料の、サービス生産性の高い国の名前をちらっと見ただけで、上のようなアホな戯言は言えなくなるはずですが、絶対に原資料に確認しないというのが、この手の手合いの方々の行動原則なのでしょう。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-2546.html(サービスの生産性ってなあに?)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_b2df.html(労働市場改革専門調査会第2回議事録)

(参考)上記エントリのコメント欄に書いたことを再掲しておきます。

>とまさんという方から上のコメントで紹介のあったリンク先の生産性をめぐる「論争」(みたいなもの)を読むと、皆さん生産性という概念をどのように理解しているのかなあ?という疑問が湧きます。労働実務家の立場からすると、生産性って言葉にはいろんな意味があって、一番ポピュラーで多分このリンク先の論争でも意識されているであろう労働生産性にしたって、物的生産性を議論しているのか、価値生産性を議論しているのかで、全然違ってくるわけです。ていうか、多分皆さん、ケーザイ学の教科書的に、貨幣ヴェール説で、どっちでも同じだと思っているのかも知れないけれど。

もともと製造業をモデルに物的生産性で考えていたわけだけど、ロットで計ってたんでは自動車と電機の比較もできないし、技術進歩でたくさん作れるようになったというだけじゃなくて性能が上がったというのも計りたいから、結局値段で計ることになったわけですね。価値生産性という奴です。

価値生産性というのは値段で計るわけだから、値段が上がれば生産性が上がったことになるわけです。売れなきゃいつまでも高い値段を付けていられないから、まあ生産性を計るのにおおむね間違いではない、と製造業であればいえるでしょう。だけど、サービス業というのは労働供給即商品で加工過程はないわけだから、床屋さんでもメイドさんでもいいけど、労働市場で調達可能な給料を賄うためにサービス価格が上がれば生産性が上がったことになるわけですよ。日本国内で生身でサービスを提供する労働者の限界生産性は、途上国で同じサービスを提供する人のそれより高いということになるわけです。

どうもここんところが誤解されているような気がします。日本と途上国で同じ水準のサービスをしているんであれば、同じ生産性だという物的生産性概念で議論しているから混乱しているんではないのでしょうか。

>ていうか、そもそもサービス業の物的生産性って何で計るの?という大問題があるわけですよ。

価値生産性で考えればそこはスルーできるけど、逆に高い金出して買う客がいる限り生産性は高いと言わざるを得ない。

生身のカラダが必要なサービス業である限り、そもそも場所的なサービス提供者調達可能性抜きに生産性を議論できないはずです。

ここが、例えばインドのソフトウェア技術者にネットで仕事をやらせるというようなアタマの中味だけ持ってくれば済むサービス業と違うところでしょう。それはむしろ製造業に近いと思います。

そういうサービス業については生産性向上という議論は意味があると思うけれども、生身のカラダのサービス業にどれくらい意味があるかってことです(もっとも、技術進歩で、生身のカラダを持って行かなくてもそういうサービスが可能になることがないとは言えませんけど)。

>いやいや、製造業だろうが何だろうが、労働は生身の人間がやってるわけです。しかし、労働の結果はモノとして労働力とは切り離して売買されるから、単一のマーケットでついた値段で価値生産性を計れば、それが物的生産性の大体の指標になりうるわけでしょう。インドのソフトウェアサービスもそうですね。

しかし、生身のカラダ抜きにやれないサービスの場合、生身のサービス提供者がいるところでついた値段しか拠り所がないでしょうということを言いたいわけで。カラダをおいといてサービスの結果だけ持っていけないでしょう。

いくらフィクションといったって、フィリピン人の看護婦がフィリピンにいるままで日本の患者の面倒を見られない以上、場所の入れ替えに意味があるとは思えません。ただ、サービス業がより知的精神的なものになればなるほど、こういう場所的制約は薄れては行くでしょうね。医者の診断なんてのは、そうなっていく可能性はあるかも知れません。そのことは否定していませんよ。

>フィリピン人のウェイトレスさんを日本に連れてきてサービスして貰うためには、(合法的な外国人労働としてという前提での話ですが)日本の家に住み、日本の食事を食べ、日本の生活費をかけて労働力を再生産しなければならないのですから、フィリピンでかかる費用ではすまないですよ。パスポートを取り上げてタコ部屋に押し込めて働かせることを前提にしてはいけません。

もちろん、際限なくフィリピンの若い女性が悉く日本にやってくるまで行けば、長期的にはウェイトレスのサービス価格がフィリピンと同じまで行くかも知れないけれど、それはウェイトレスの価値生産性が下がったというしかないわけです。以前と同じことをしていてもね。しかしそれはあまりに非現実的な想定でしょう。

要するに、生産性という概念は比較活用できる概念としては価値生産性、つまり最終的についた値段で判断するしかないでしょう、ということであって。

>いやいや、労働生産性としての物的生産性の話なのですから、労働者(正確には組織体としての労働者集団ですが)の生産性ですよ。企業の資本生産性の話ではなかったはず。

製造業やそれに類する産業の場合、労務サービスと生産された商品は切り離されて取引されますから、国際的にその品質に応じて値段が付いて、それに基づいて価値生産性を測れば、それが物的生産性の指標になるわけでしょう。

ところが、労務サービス即商品である場合、当該労務サービスを提供する人とそれを消費する人が同じ空間にいなければならないので、当該労務サービスを消費できる人が物的生産性の高い人やその関係者であってサービスに高い値段を付けられるならば、当該労務サービスの価値生産性は高くなり、当該労務サービスを消費できる人が物的生産性の低い人やその関係者であってサービスに高い価格をつけられないならば、当該労務サービスの価値生産性は低くなると言うことです。

そして、労務サービスの場合、この価値生産性以外に、ナマの(貨幣価値を抜きにした)物的生産性をあれこれ論ずる意味はないのです。おなじ行為をしているじゃないかというのは、その行為を消費する人が同じである可能性がない限り意味がない。

そういう話を不用意な設定で議論しようとするから、某開発経済実務家の方も、某テレビ局出身情報経済専門家の方も、へんちくりんな方向に迷走していくんだと思うのですよ。

>まあ、製造業の高い物的生産性が国内で提供されるサービスにも均霑して高い価値生産性を示すという点は正しいわけですから。

問題は、それを、誰がどうやって計ればいいのか分からない、単位も不明なサービスの物的生産性という「本質」をまず設定して、それは本当は低いんだけれども、製造業の高い物的生産性と「平均」されて、本当の水準よりも高く「現象」するんだというような説明をしなければならない理由が明らかでないということですから。

それに、サービスの価値生産性が高いのは、製造業の物的生産性が高い国だけじゃなくって、石油がドバドバ噴き出て、寝そべっていてもカネが流れ込んでくる国もそうなわけで、その場合、原油が噴き出すという「高い生産性」と平均されるという説明になるのでしょうかね。

いずれにしても、サービスの生産性を高めるのはそれがどの国で提供されるかということであって、誰が提供するかではありません。フィリピン人メイドがフィリピンで提供するサービスは生産性が低く、ヨーロッパやアラブ産油国で提供するサービスは生産性が高いわけです。そこも、何となく誤解されている点のような気がします。

>大体、もともと「生産性」という言葉は、工場の中で生産性向上運動というような極めてミクロなレベルで使われていた言葉です。そういうミクロなレベルでは大変有意味な言葉ではあった。

だけど、それをマクロな国民経済に不用意に持ち込むと、今回の山形さんや池田さんのようなお馬鹿な騒ぎを引き起こす原因になる。マクロ経済において意味を持つ「生産性」とは値段で計った価値生産性以外にはあり得ない。

とすれば、その価値生産性とは財やサービスを売って得られた所得水準そのものなので、ほとんどトートロジーの世界になるわけです。というか、トートロジーとしてのみ意味がある。そこに個々のサービスの(値段とは切り離された本質的な)物的生産性が高いだの低いだのという無意味な議論を持ち込むと、見ての通りの空騒ぎしか残らない。

>いや、実質所得に意味があるのは、モノで考えているからでしょう。モノであれば、時間空間を超えて流通しますから、特定の時空間における値段のむこうに実質価値を想定しうるし、それとの比較で単なる値段の上昇という概念も意味がある。

逆に言えば、サービスの値段が上がったときに、それが「サービスの物的生産性が向上したからそれにともなって値段が上がった」と考えるのか、「サービス自体はなんら変わっていないのに、ただ値段が上昇した」と考えるのか、最終的な決め手はないのではないでしょうか。

このあたり、例の生産性上昇率格差インフレの議論の根っこにある議論ですよね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-0c56.html(誰の賃金が下がったのか?または国際競争ガーの誤解)

経済産業研究所が公表した「サービス産業における賃金低下の要因~誰の賃金が下がったのか~」というディスカッションペーパーは、最後に述べるように一点だけ注文がありますが、今日の賃金低迷現象の原因がどこにあるかについて、世間で蔓延する「国際競争ガー」という誤解を見事に解消し、問題の本質(の一歩手前)まで接近しています。・・・・・

国際競争に一番晒されている製造業ではなく、一番ドメスティックなサービス産業、とりわけ小売業や飲食店で一番賃金が下落しているということは、この間日本で起こったことを大変雄弁に物語っていますね。

「誰の賃金が下がったのか?」という疑問に対して一言で回答すると、国際的な価格競争に巻き込まれている製造業よりむしろ、サービス産業の賃金が下がった。また、サービス産業の中でも賃金が大きく下がっているのは、小売業、飲食サービス業、運輸業という国際競争に直接的にはさらされていない産業であり、サービス産業の中でも、金融保険業、卸売業、情報通信業といたサービスの提供範囲が地理的制約を受けにくいサービス産業では賃金の下落幅が小さい。

そう、そういうことなんですが、それをこのディスカッションペーパーみたいに、こういう表現をしてしまうと、一番肝心な真実から一歩足を引っ込めてしまうことになってしまいます。

本分析により、2000 年代に急速に進展した日本経済の特に製造業におけるグローバル化が賃金下落の要因ではなく、労働生産性が低迷するサービス産業において非正規労働者の増加及び全体の労働時間の抑制という形で平均賃金が下落したことが判明した。

念のため、この表現は、それ自体としては間違っていません。

確かにドメスティックなサービス産業で「労働生産性が低迷した」のが原因です。

ただ、付加価値生産性とは何であるかということをちゃんと分かっている人にはいうまでもないことですが、世の多くの人々は、こういう字面を見ると、パブロフの犬の如く条件反射的に、

なにい?労働生産性が低いい?なんということだ、もっとビシバシ低賃金で死ぬ寸前まで働かせて、生産性を無理にでも引き上げろ!!!

いや、付加価値生産性の定義上、そういう風にすればする程、生産性は下がるわけですよ。

そして、国際競争と関係の一番薄い分野でもっとも付加価値生産性が下落したのは、まさにそういう条件反射的「根本的に間違った生産性向上イデオロギー」が世を風靡したからじゃないのですかね。

以上は、経済産業研究所のDPそれ自体にケチをつけているわけではありません。でも、現在の日本人の平均的知的水準を考えると、上記引用の文章を、それだけ読んだ読者が、脳内でどういう奇怪な化学反応を起こすかというところまで思いが至っていないという点において、若干の留保をつけざるを得ません。

結局、どれだけ語ってみても、

なにい?労働生産性が低いい?なんということだ、もっとビシバシ低賃金で死ぬ寸前まで働かせて、生産性を無理にでも引き上げろ!!!

とわめき散らす方々の精神構造はこれっぽっちも動かなかったということでしょうか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-fcfc.html(労働生産性から考えるサービス業が低賃金なワケ@『東洋経済』)

今年の東洋経済でも取り上げたのですけどね。

「日本の消費者は安いサービスを求め、労働力を買いたたいている。海外にシフトできず日本に残るサービス業をわざわざ低賃金化しているわけだ。またその背景には、高度成長期からサービス業はパート労働者を使うのが上手だったという面もある」(労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎統括研究員)

こう考えると、サービス業の賃金上昇には、高付加価値化といった産業視点の戦略だけでなく、非正社員の待遇改善など労働政策も必須であることがわかる。「サービス価格は労働の値段である」という基本に立ち戻る必要がある。

2015年12月18日 (金)

『働く女子の運命』本日発売です!

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5ということで、ついに本日『働く女子の運命』(文春新書)が発売されました。

amazonでは、現在文春新書の第10位につけているようです。まだ分野別のランキングは表示されていませんが、トータル2,716位というのは、「労働問題」の枠では、『雇用身分社会』に次いで第2位のようですね。

http://www.amazon.co.jp/%E5%83%8D%E3%81%8F%E5%A5%B3%E5%AD%90%E3%81%AE%E9%81%8B%E5%91%BD-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%BF%B1%E5%8F%A3-%E6%A1%82%E4%B8%80%E9%83%8E/dp/4166610627/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1450426737&sr=1-1

ちなみに、同時にKindle版も発売されております。

http://www.amazon.co.jp/ebook/dp/B019GG3GCW/ref=tmm_kin_swatch_0?_encoding=UTF8&qid=1450426737&sr=1-1

オビについては、既にツイッター上でいろいろとご批評いただいておりますが、そのオビの文句のご本人が自ら、ツイートでこう語っておられます。

https://twitter.com/ueno_wan/status/677741069597937664

濱口桂一郎さんの新刊『働く女子の運命』(文春新書)。上野が帯を書きました。 「そうか、やっぱり、そうだったんだ。ニッポンの企業が女を使わない/使えない理由が腑に落ちた。」でも、これが「運命」だなんてひどすぎる。この「運命」は変えられるのか?

https://twitter.com/ueno_wan/status/677741100719706112

先日、濱口さんと対談。白熱した議論になりました。現状認識はぴったり一致しているのですが、噛み合わないのは経営サイドの目線で見るか、女性労働者サイドの目線で見るかの違いなのでしょうか。そのうち文春『本の話』web版に載ります。

実はそうなんです。

その現状認識の見事な一致ぶりと、処方箋の噛み合わなさの落差をご堪能いただければ幸いです。経営サイドと言うよりも、政策的リアリズムということだと思います。

2015年12月17日 (木)

矢野眞和『大学の条件』

9784130513326_2矢野眞和さんより『大学の条件 大衆化と市場化の経済分析』(東大出版会)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-051332-6.html

日本の大学には公的資金の投入が少なく,個々の家計に教育費の負担が重くのしかかっている.実証データを経済学的に分析し,大学進学機会の平等化が経済政策としても合理的であること,大学がエリートだけではなく,社会全体を支えるみんなのためにも有益であることを主張する.

学術書ですから『大学の条件』というタイトルになっていますが、一般向けの本だったら、間違いなく『みんなの大学』あるいはむしろ『大学はみんなのもの』というタイトルになっていたでしょう。

この本のエッセンスは、序章「それでも大学はみんなのためにある」という22ページに及ぶやや長い序章にあります。

現状を肯定する保守的世論-利己的家族主義と、機会の不平等を問題にしない世論-国立大学史観に抗して、「それでも大学はみんなのためにある」と一人荒野に呼ばわる預言者の風情です。

序章 それでも大学はみんなのためにある

I なぜ大学に進学しないのか――「家族資本主義」の限界
1章 「後期大衆化」段階の深い溝
2章 大学に進学しない理由(1)――顕在的進学需要の経済分析
3章 大学に進学しない理由(2)――進学と就職のゆらぎ
4章 大学に進学しない理由(3)―――ゆらぐ専門学校の立ち位置
5章 学力があるのに,親が大卒なのに,なぜ進学しないのか――家族資本主義の形成
6章 家族資本主義の帰結――機会不平等の政策的含意

II 雇用効率と学習効率の接続――大学教育の経済効果
7章 大衆化しても上昇する大卒プレミアム――平等化のための効率的公共投資
8章 誰のための大学か――費用負担の経済分析
9章 学習効率から雇用効率への接続――学び習慣仮説の提唱

III ポスト大学改革の課題――経営と政策のシナリオ
10章 日本的家族と日本的雇用の殉教者――幽閉された学生の解放
11章 制度改革から経営革新への転換――大学の使命―冒険・時間・仲間

終章 精神・制度・資源の再構築――みんなのための大学政策

参考文献
あとがき





2015年12月16日 (水)

千葉商科大学書評コンテストで『若者と労働』の書評が第1位

Chuko 以前本ブログで紹介した、千葉商科大学の学生による書評コンテストですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/1-6006.html

・・・その課題図書の一冊に、拙著『若者と労働』(中公新書ラクレ)がはいっています。

常見陽平さんの推薦・・・というわけでもないようですが、まあ学生の書評用図書としては手頃ということなのでしょう。

拙著『若者と労働』の書評が第1位になったようです。

http://www.cuc.ac.jp/current/news/2015/i8qio0000001i4vv.html (第1回書評コンテストで商経学部4年菊地良太さんの「若者と労働」の書評が最優秀賞を受賞)

・・・最優秀賞を受賞した菊地良太さんの書評は、若者の就労という、学生自身がまさに当事者となっている問題を分析した本として、実感をもって読み解いている姿が伝わり、就活に関心のある学生に響くものになっている点や、著者の見解を的確に整理し、焦点を絞り込んだことが書評全体を引き締め、それによって書評の基本である著者の主張を的確に表現した点が高く評価されました。

菊地さんは「本当に嬉しいです。私は来年から本に関わる仕事に就くため、書評を勧めるような仕事もしたいと思っています。」とコメントしました。

書評していただいた学生さんに、心から感謝したいと思います。

労務屋さんが早くも『働く女子の運命』を短評

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5奥付の発行日は12月20日、実際に書店に並ぶのは12月18日の予定なのに、もう昨日の段階で労務屋さんがブログで拙著の短評をアップされています。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20151215#p1

これは文藝春秋編集部がフライング気味に謹呈先にお送りしたためでありまして、今日書店に行っても多分まだ並んでいないと思います。

さて、労務屋さんの評は:

先生の以前の類書と同様、労働政策や人事管理の歴史を踏まえ、現状の日本の雇用システムと女性労働との不調和が解説されています。ジョブ型・労働時間上限規制付・ワークライフバランス指向の働き方をデフォルトルールに、という提言もこれまでと共通するものです。女性労働を論じるのであれば理解しておくべき内容がひととおり網羅されていて有益な本といえるでしょう。

と、一応公式的なご評価の後に、やや本音ベースで、

ただこれはこういう本なので致し方ないところはあるのでしょうが雇用システムを強調しすぎ・社会システムを軽視しすぎの感はかなりあり、そのせいもあってかストーリー展開が少々強引な印象は受けますし、例によって知的熟練論に対する評価など違和感を覚える部分もなくはありません。乱暴な言い方をすればこれが本当に雇用システムだけの問題なのであれば、政策的に誘導して改善していくことも、それなりの困難はあるでしょうが不可能ではないだろうと思いますが、性役割意識とか、勤労に対する価値観とかに立脚した社会システムの問題が大きいだけに困難もまた大きく、正直悲観的にならざるを得ないという、これもこれまで何度も書いたと思いますが、やはり今回も同様な感想を持ちました。

と、いささかの違和感を表明されておられます。


2015年12月15日 (火)

名目賃金、5~10%上げを@日経新聞経済教室

本日の日経新聞の経済教室は、「名目賃金、5~10%上げを」という目を剝くような字が躍っています。

http://www.nikkei.com/article/DGKKZO95100310U5A211C1KE8000/(日本の経済政策への提言 名目賃金、5~10%上げを )

日本はインフレを必要としている。日銀が量的・質的金融緩和により0.5%程度のインフレを達成したが、それ以上のインフレが必要だ。

インフレ2%くらいじゃ足りない、1桁台後半のインフレを目指せ、という意見です。著者は、A・ポーゼン ピーターソン国際経済研究所所長/O・ブランシャール ピーターソン国際経済研究所シニア・フェローの二人。

やや変わっているのは、そんな大幅なインフレを何のためにやるのかというと、財政再建のためだと平然と言ってのけているところでしょう。国債保有者のお金を納税者と債務者に返すのだと、まあ政府関係者なら口が裂けても言えないことを平気で言ってます。

とはいえ、伝統的な階級政治の発想からすれば、金利生活者から労働所得生活者に金を持ってくるというのはそれなりに「正義」だったはずですが、今日の進歩的左派にはそういう発想はほとんどなく、金利生活者こそかわいそうで守るべきという発想が強いので、こういう意見は赤旗ではなく日経新聞に出るわけですね。

それはともかく、この小文の面白いのは、そういうマクロ的な大胆さだけではなく、そのために繰り出せという施策が結構的を射ていることです。

曰く:

1)予定されている法人税減税の国会審議を、企業が賃上げを実施するまで中止する。

2)公的部門の名目賃金を引き上げ、優秀な人材の争奪戦を通じ民間の賃金上振れに圧力をかける。

3)最低賃金のほか、公共事業や規制部門など政府が管理する賃金を5%以上引き上げる。

4)政府が発注する業務の賃金を物価スライド制として、広範囲にこれを適用する法案を国会に提出する。

確かに賃金インフレを起こしたいのなら、(一部りふれはみたいに)口先で賃金上げろという一方で公務員賃金を下げ続けろなどという言行不一致ではなく、さっさと率先垂範、政府の力でやれる範囲でやればよいのは確かです。

このうち4)は、労働問題に詳しい方はお分かりの通り、まさに公契約法ですね。こういうのを、金融系の実務家研究者が説くという光景もいろんな意味で感慨深いものがあります。

西日本新聞「提論」に引用

福岡在住のある方から、日曜日の西日本新聞に名前が出てたよと言われて、探してみたら、こんな記事がありました。

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/teiron/article/212925(【社会を変えるイクボス】 松田 美幸さん)

全体としてはイクボスの話なんですが、やや唐突に、

>労働法政策の専門家・濱口桂一郎氏によれば、日本型雇用システムは、職務・勤務地・労働時間の三つを限定しないメンバーシップ型雇用が特徴。欧米では、これら三つの要素を限定したジョブ型雇用が一般的だ。日本のメンバーシップ型正社員には、「いつでも・どこでも・どんな仕事でもやります」という約束の代わりに、雇用が保障されてきた。従来の管理職の多くは、自身がいつでも・どこでも部下であり、そういう働き方を前提とした仕事の経験しかなく、イクボスには縁がなかった。

という記述が出てきます。

最後のところで、

ただ、管理職にイクボスをめざせというだけでは解決しない。メンバーシップ型正社員か非正規かの二者択一しかないという雇用制度そのものを見直す必要がある。「人間の可能性を開き、平等を推進する」雇用制度への改革が必須である。

という形で話がつながっているようです。

2015年12月14日 (月)

実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化

本日、WEB労政時報に「実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=474

高等教育における職業教育の強化については、この連載でも昨年11月の「『G型大学、L型大学』論の炎上を受け、議論していくべきこと」(本連載第40回)や、今年6月の「大学等の職業実践力育成プログラム」(本連載第55回)で取り上げてきましたが、文部科学省中央教育審議会(中教審)での議論もそろそろ大詰めにさしかかってきているようなので、現段階での状況を整理しておきましょう。

これはもともと中教審が2011年1月の答申「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について」(資料〔PDF〕はこちら)の中で、高等教育レベルにおける新たな「職業実践的な教育に特化した枠組み」を提起したことに始まります。その後、いったんは専修学校の枠内に「職業実践専門課程」を設けることに矮小(わいしょう)化されましたが、2014年7月に官邸の教育再生実行会議が第五次提言「今後の学制等の在り方について」の中で「実践的な職業教育を行う高等教育機関を制度化する」と再提起し、これを受けて文部科学省が・・・・

『福祉レジーム』

199095_2 新川敏光編著『福祉レジーム』(ミネルヴァ書房)を、著者の一人である水島治郎さんよりお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.minervashobo.co.jp/book/b199095.html

エスピング‐アンダーセンの社会民主主義、保守主義、自由主義の三類型論を見直し、新たに家族主義を含む四類型論を提起する。それとともに、福祉国家論から福祉レジーム論へと視座を移行させることによって、本書は、欧米、アジア諸国にとどまらず、ラテンアメリカ、東欧の福祉レジームをも射程に収め、21世紀型のポスト福祉国家レジームを展望する試みである。

この手の分野に詳しい方々にとっては、「福祉レジーム」というと、「ああ、あのエスピン・アンデルセンのあれね」と思うでしょうが、いやまさにそれで間違いはないのですが、アンデルセンやその修正版をはるかに超える世界的広がりの中で、それぞれの国の専門家が論じているという点では随一でしょう。どれくらいの諸国を相手にしているかというと、

はしがき
総 論 福祉レジーム論の視角(新川敏光)
第1章 日韓台の家族主義レジームの多様性(安周永/林成蔚/新川敏光
第2章 後発的福祉国家スペインの失われた改革(横田正顕)
第3章 イタリアの家族主義的福祉レジームの揺らぎ(伊藤 武)
第4章 保守主義レジームから変化するドイツ(近藤正基)
第5章 ポスト保守主義レジーム・オランダの可能性(水島治郎)
第6章 保守主義レジーム・フランスの状況(唐渡晃弘)
第7章 自由主義レジーム・アメリカの医療保険・年金・公的扶助(西山隆行)
第8章 賃金稼得者モデルから転換するオーストラリア(加藤雅俊)
第9章 イギリス「自由主義」レジームの変容と持続(島田幸典)
第10章 社会民主主義福祉レジーム・スウェーデンの所得保障と社会サービス(渡辺博明)
第11章 保守主義+インフォーマルセクターのアルゼンチン福祉レジーム(宇佐見耕一)
第12章 岐路に立つ「新しいブラジル」の福祉レジーム(近田亮平)
第13章 分断化された社会におけるメキシコ福祉レジーム(畑 惠子)
第14章 ポスト社会主義国ポーランドの福祉レジーム(仙石 学)
第15章 体制転換後のエストニアの福祉レジーム(小森宏美)
第16章 変容する旧社会主義国ハンガリーの福祉レジーム(柳原剛司)
第17章 チェコにおけるポスト社会主義のハイブリッド福祉レジーム(中田瑞穂)

日本と韓国と台湾をまとめて1章にしても全17章ですからなかなかの壮観です。

お送りいただいた水島さんの書かれたオランダ編は、保守主義レジームの「保守」って何だ?というところを突っ込んでいき、パートタイム労働促進という方向性は、社会民主主義レジームへの接近ではなく、ポスト保守主義レジームと解すべきと主張しています。このあたりの議論の展開はなかなか面白いです。もし書店で見かけたら、是非80ページから81ページのあたりをざっとでも読んで見てください。

中南米3つ、中東欧4つという諸国は、なかなか知る機会も少ない諸国なので、参考になります。

丸谷浩介『求職者支援と社会保障』

Isbn9784589037060丸谷浩介さんより『求職者支援と社会保障 イギリスにおける労働権保障の法政策分析』(法律文化社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.hou-bun.com/cgi-bin/search/detail.cgi?c=ISBN978-4-589-03706-0

求職者に対する所得保障と求職活動支援が、いかなる法的構造を有しており、いかなる法規範によって支えられているかをイギリスの法制度の分析から解明する。考察からの示唆を踏まえ、日本における「求職者法」を構想し、提起する。

この分野、ごく最近になるまで、労働法からは社会保障法の一部みたいに見られ、社会保障法からも労働法の一部みたいに見られ、つまりどちらからも継子みたいな目で見られて、あんまり真面目に突っ込んだ研究がされてこなかった領域です。

その分野に、研究の初期から取り組んでこられた数少ない一人がこの丸谷さんで、本書はイギリスの労働市場と社会保障をつなぐ分野の姿を詳細に明らかにしています。

私もその紹介の一翼を担った近年の欧米のワークフェアとかアクティベーション政策の一つの典型がイギリスですが、本書は救貧法、ベヴァレッジ報告からサッチャー、ブレア政権、そして今日の保守党政権下の改革まで一望でき、頭が整理されます。


2015年12月13日 (日)

スウェーデンは「ナチ」か?(再掲)

「スウェーデン政治経済情報」さんという方のツイートが、北欧福祉国家と移民・難民問題について、本田由紀さんに疑問を呈するかたちでこう述べていたので、

https://twitter.com/sweden_social/status/675697785140740096

日本における教育と労働に関する権威である本田由紀教授が、デンマークは欧州で最も移民・難民の受入要件が厳しい国で、デンマークの福祉制度はあくまでもデンマーク人のみを対象とする「閉じた福祉」であることを把握してないとは思えない。

https://twitter.com/sweden_social/status/675700059799851009

ここでも紹介しているとおり、デンマークの難民受入条件は最近急速に厳格化されている。「寛大な」福祉はこの「排除の論理」と表裏一体。この点に触れずに、いいところだけしか見せない大使館の宣伝を「すごすぎる」と無批判に垂れ流すことは、北欧信者には受けても、社会的には害悪にしかならない。

https://twitter.com/sweden_social/status/675710753962254336

雇用と福祉の両立という点で社会モデルの理想型であった北欧諸国は、経済のグローバル化や難民の大量流入でその存立基盤を急速に失っている。過去の遺産としての制度をただ賞賛する段階はとっくに過ぎていて、それをどう維持するのか(無理であっても)に注目すべき時に来ている。

6年以上も昔のエントリですが、本ブログで取り上げたこれを思い出しました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-7380.html (スウェーデンは「ナチ」か?)

・・・・もちろん、問題は、「ソーシャル」のかけらもないくせに、スウェーデンは解雇自由だという間違った思いこみだけでスウェーデンモデルを振り回す無知蒙昧さんなどではなく、国家はキライだけど「社会」はスキという「ラディカルな市民社会論」な方々にあります。北欧のことをよく知らないまま、そういう「左バージョンの反近代主義」(@高原基彰)でなんとなく憧れている人にとっては、次の会話は大変ためになるでしょう。

>市野川 ・・・それで、少し乱暴に言ってしまうと、今までソーシャルなものはナショナルなものと不可分で、ナショナル・ソーシャリズム、極論すれば「ナチ」しかなかった。つまり、ソーシャルなものがナショナルな境界、ナショナルな規制の中でしか担保されないというところがあったと思うんです。・・・・・・そこで、小川さんにお聞きしたいのは、北欧についてもソーシャルは結局「ナチ」でしかなかったのかどうかなんですが、その辺りいかがでしょうか。

小川 ナチス・ドイツのような自国民中心主義は、北欧のような小国ではそもそも成立しようがない。ただ、北欧福祉国家がナショナルなソーシャリズムから発展したかといえば、確かにそういう面があります。様々な歴史的背景がありますが、まず大きな転機として両大戦間の危機があった。世界大恐慌など戦間期に経済危機が深刻化する中で、共同体的な結合を志向するコミュニタリアン的な渇望が生まれていく。この時、議会制民主主義、社会民主主義が多くの国で挫折してしまいました。スウェーデンでは、社会民主党のハンソンがマルクス主義にはない「国民の家」というスローガンを唱えました。ソーシャルな救済とある種のコミュニタリアン的な価値が統合された形で、北欧の社会民主主義は生き残ったわけです。

つまり、一言で言えば、スウェーデンの社会民主主義とは「ナチ」である、と。

それが今もっとも先鋭的に現れている分野が移民問題になるわけです。

>現代ヨーロッパは、移民をめぐる問題で大きく揺れています。北欧も例外ではなく、福祉国家の価値観を共有せず、負担を十分に行わない移民、また男女平等とイスラム的な文化の衝突などに直面して、福祉国家の権利を国民に閉じようとする福祉国粋主義(ショービニズム)が問題になっています。つまり、国民的(ナショナル)に平等を確保することが、他者の排除を意味するようになってきている。それはまさにナショナル・ソーシャルゆえの境界化だと思うんですが、ではそこから、現実にここまできたナショナルな平等を否定すべきなのか、それは「赤子を風呂の水とともに捨てる」ことにならないかと。

こういう問題を真剣に考えないで、ふわふわと北欧ステキとかいってるのが「北欧神話」なんじゃないかとも思いますが、それはともかく、

>市野川 ソーシャルなものと多文化主義って、本来そりが合わないんですよね。・・・ソーシャルなものって、平等の創出に向けて介入や支援を呼び込んでいく一方、平等を求めるがゆえに、どうしても画一性の方に傾いてしまうんですね。

このナショナルな画一性、平等性ががっちりとあるがゆえに、解雇法制自体の規制度とは別に、北欧社会が雇用の流動性と社会の安定性を両立させているという面もあるわけです。わたしがよく引用する、「デンマーク社会って、国全体が一つのグループ企業みたいなもの」という某労組関係者の話ともつながってきます。

逆に日本はそういう画一性、平等性が欠けているというところから話が出発するのです。

>小川 北欧を持ち上げる論調では、最近ではしきりに「フレクシキュリティ」という言葉が濫用されていますが、大きな政府という部分はあえてあまり言われないんですね。公共部門により地方で雇用を創出し、男女の公私の共同参画を促進し、職業教育を行う。そうした公的な基礎的インフラがあっての労働市場の柔軟化であることが忘れられている。日本には市民的な反公務員・反増税感情があり、アナキズムの伝統もあり、北欧とはまったく異なる国家観を形成していると思います。

こういうところに、「左バージョンの反近代主義」(@高原基彰)が効いているんでしょうね。

ま、与党も野党も、公務員叩けば人気が出ると思い、実際その方が人気が出るような国に「フレクシキュリティ」は無理というのが本日の「ナチ」ならぬ「オチ」ということで。

(追記)

なんだか、相当な数のはてぶがついたようです。

http://b.hatena.ne.jp/entry/eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-7380.html

多くの方はご理解いただいているようですが、念のため一言だけ。上で市野川さんやそれを受けてわたしが言ってる「ナチ」ってのは、もちろんドイツの国家社会主義労働者党とわざとイメージを重ねることをねらってそういう言い方をしているのですが、文脈から判るように、あくまでも「ナショナル」&「ソーシャル」な社会システムという普通名詞の意味で言ってるわけで、ここでホロコーストだの南京虐殺だのといった話とは(根っこにさかのぼればもちろんつながりがないとは言えませんが)とりあえずは別次元の話です。

むしろ、これは必ずしも市野川さんの意見とは同じではないかも知れませんが、わたしの歴史観からすれば、アメリカのニューディールも、フランスの人民戦線も、日本の国家総動員も、スウェーデンの社会民主主義も、「ナショナル」&「ソーシャル」な社会システムへ、という同時代的な大きな変革のそれぞれの諸国における現れなのであって、その共通性にこそ着目すべきではないか、という話につながりますし、日本の話で言えば、戦時下の国家総動員体制と終戦直後の戦後改革とが一連の「ナショナル」&「ソーシャル」なシステム形成の一環としてとらえられるという話にもつながるわけです。

もう少し突っ込んで論じたエントリとしては、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-1c36.html (ナショナリズムにかかる以前のエントリ)

<tari-Gさんのコメント>

>自由や平等を考える立脚点は、まずもって「同胞」ではなくて「人」でなくてはならないと私は思います。本来言うまでもないことですが。それは今に至るまでNationがさんざんやってきている暴虐からもそう思います。

もちろん、Stateから離れることはできません。しかしだからといって、「人」ではなく「同胞」に基盤を置こうというのは、それこそ懲りずにNationに過度の楽観を抱いている脳天気にしか、どうしても私には思えないんですよ。

だいたい、Nationから独立した内心の自由すら未だに確立できないこの国にいながら、Nationに期待するということ自体、歴史どころか現在も把握できていないのではかなろうかと思わずにはいられませんが。

<hamachanの応答>

>私は別に「懲りずにNationに過度の楽観を抱いている」つもりはなく、「自分の経験」からも「他人の経験」からも、ネーションは劇薬であることは重々承知しているつもりです。

しかし、この劇薬は、危ない危ないと言っていればそこから逃れられるものではなく、インターナショナリズムを掲げた共産主義運動がまさに最悪の形のナショナリズムの泥沼に陥ったごとく、自分は逃れていると思っている人間が一番その危険に近いところにいるという逆説をもたらすということも、我々が歴史的経験から学んだところでしょう。

実を言えば、我々が自分以外のものに何らかの同情(シンパシー)の念を感じるのは、その自分ではないものに自分と通じる何物か共通性を感じるからであり、その自我包絡をどの範囲までに及ぼし、どの範囲には及ぼさないかは、必ずしも一義的に決まるものではありません。かつては親族などの血のつながりがその範囲を決定していたわけですし、現在でもそれが重要な要素であることには変わりはないでしょう。ネーションというのはそういう自我包絡のきわめて近代的な一形態であり、リアルなシンパシーを通常感じないような人々にまでそれを及ぼすための心理的な装置であることも、ご承知の通りです。

そんなものに何の意味があるのか?自分の親戚でもなければ縁者でもない人々になんで同情なんて及ぼすの?たとえば、日比谷公園に勝手に集まってきた失業した派遣労働者を何とかしなければいけないなどと、なぜ感じるの?ということですね。

仮に、「何を馬鹿なことを言っているのだ。世界の貧しい人々のことを考えろ。日本の派遣切りなんて天国みたいなものだ」と、国際政治学的には適切なことを言われたら、「いやあ、もっともだ」と納得するだろうか、ということでもあります。「同胞」と同胞でないただの「人」に差別をつけないということは、つまり「同胞」であってもその「人」並みにしか扱わないということなわけで。

そういう言葉の上では限りなく美しく、現実の行為においては冷酷でしかあり得ないコスモポリタニズムに対し、「つまり俺たちを仲間として扱わないということだな」という反発がどういう形態をとるであろうかと考えると、(まさに歴史の実例が語るように)「同胞」ではない「人」を「敵」として描き出し、その敵への敵愾心を煽り立てることによって、その対照物である「同胞」を仲間として手厚く扱えと主張する、悪い意味におけるナショナリズム(あるいはむしろショービニズム)が噴出し、瀰漫することになるでしょう。

いや、最近の右翼雑誌などを見ていると、まさにそういうメカニズムが働いているように思われます。

リベサヨがソシウヨをもたらすというのは、そういうことを言っているつもりです。

(追記)

dojinさんの「研究メモ」に、スウェーデン民主党という極右政党のTVCMの話題が取り上げられていて(本ブログにトラバをいただいています)、そこで「福祉ショービニズム」が論じられています。

http://d.hatena.ne.jp/dojin/20100830#p1(TV放映を拒否されたスウェーデン民主党の選挙CM)

>年金受給者用、移民用にそれぞれカウントされていく札束、そこによろよろと歩み寄るスウェーデン人のおばあさん。するとその横から、ブルカをかぶり、ベビーカーを引いた大量のムスリム系の女性が追い抜いていく。。。スウェーデンのテレビ局に放映を拒否されたこのスウェーデン民主党のCMは、ヨーロッパで台頭しつつある福祉ショービニズムを象徴的に描きだしている。

このエントリで、わたくしの過去のエントリがリンクされています。本エントリの参考として読まれてもいいと思われますので、ちょっと引用しておきます。

2015年12月12日 (土)

第15回日韓ワークショップ報告書 労働市場における格差拡大の現状と課題:日韓比較

Jil1512 『第15回日韓ワークショップ報告書 労働市場における格差拡大の現状と課題:日韓比較』がJILPTのサイトにアップされたので、こちらでもご紹介しておきます。

http://www.jil.go.jp/foreign/report/2015/1210.html

労働政策研究・研修機構(JILPT)は毎年、韓国労働研究院(KLI)と共催で日韓両国に共通する労働政策課題を取り上げて議論し、相互の研究の深化を図ることを目的に「日韓ワークショップ」を開催しています。2015年のワークショップは「労働市場における格差拡大の現状と課題」をテーマに、8月28日に韓国・釜山で開催しました。

日本は、1990年代のバブル経済の崩壊とその後のデフレを経験し、経済の長期停滞が続きました。企業は、パート、契約社員、派遣社員、請負といった非正規、非典型労働を進んで取り込み、その結果、正規労働者との格差はいっそう拡大していきました。格差はますます拡大し、貧困という深刻な社会問題をも引き起こすまでに至っています。

韓国においても、正規労働者と非正規労働者の格差がもたらす様々な社会問題は、日本と同様、大変厳しい状況にあり、特に構内下請けにおける問題は、韓国で深刻化しています。 本ワークショップでは、日韓ともに深刻な問題となっている格差問題、そして請負労働など非正規労働をとりまく状況について、両国の研究者がこれまでの研究成果に基づいて報告し、議論しました。

本報告書はワークショップに提出された論文を収録したものです。

内容は以下の通りですが、

「日本の請負労働問題―経緯と実態」(濱口 桂一郎 労働政策研究・研修機構 主席統括研究員) ··········· 1

「韓国の社内請負の現状と政策課題」(キム・ギソン 韓国労働研究院 研究委員) ························ 15

「韓国の元請・下請構造と労働条件の格差」(アン・ジュヨブ 韓国労働研究院 先任研究委員) ···················· 31

「格差社会に立ち向かう地域労働運動―個人加盟ユニオンの取組みを中心に―」(呉 学殊 労働政策研究・研修機構 主任研究員) ·············· 61

このうち、わたくしのペーパーはこちらです。

http://www.jil.go.jp/foreign/report/2015/pdf/1210_02.pdf

なお、先日このワークショップに出席していた上記アン・ジュヨプさんとオ・ソンジョンさんが来日され、労働時間その他の問題についていろいろとお話をしました。

『働く女子の運命』立ち読み

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 文春新書のサイトで、来週刊行予定の拙著『働く女子の運命』のはじめの部分が立ち読み可能になったようです。

http://books.bunshun.jp/list/browsing?num=9784166610624

はじめに

 2015年8月に「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律」(女性活躍推進法)が成立しました。この法律では、大企業は自社の女性の活躍状況を分析し、「行動計画」を作らなければなりません。中小企業は努力義務です。この分析事項の中に、女性の採用割合、勤続年数の男女差、女性管理職の割合があり、要するに間接的な形で女性管理職の比率を引き上げようとする法律です。

 この動きの出発点は2014年6月の「『日本再興戦略』改訂2014」に、数値目標として「2020年に指導的地位に占める女性の割合30%」(2013年管理職比率):7.5%、2012年:6.9%)が掲げられたことです。その少し前、2013年10月に世界経済フォーラムが発表した社会進出における男女格差を示す「ジェンダーギャップ指数2013」では、日本は136か国中105位でした。女性の健康分野などはトップクラスなので、この低さをもたらしているのは政治分野における女性の割合や女性管理職の割合の低さです。ここを何とかしないといけないという認識が、ようやく政権中枢に及んできたのでしょう。

 しかしなぜ日本の女性はこんなにも活躍していないのでしょうか。日本はもともと男尊女卑の国だから?いやいや、前近代社会からずっと、日本は決して女性の地位の低い国ではありませんでした。むしろ、昔から男女平等でやって来たような顔をしている欧米諸国の方が、ほんの数世代前に遡れば、働く場においてはかなり頑固な男性優位、女性排除が色濃く存在していたのです。男女平等がまともに議論されるようになったのは20世紀になってから。政府が取り組むべき喫緊の政策課題になったのはその後半からです。アメリカで公民権法ができたのが1964年、ヨーロッパ諸国で男女平等法ができていったのが1970年代、国連の女性差別撤廃条約ができたのが1979年、日本の男女雇用機会均等法(男女均等法)が1985年です。若干の時間差はありますが、既にその時間差以上の長い時が流れています。

 その後、男女均等法も努力義務から法的義務に強化され(1997年)、育児休業法もどんどん充実していき、少なくとも六法全書に載っている女性関係の法律を見る限り、欧米諸国に比べて遜色があるようには見えません。そう、字面の上では。ところが、ジェンダーギャップ指数で見ると、この10年間ですら、2006年に115か国中79位だったのが、どんどん順位を下げていき、2010年には134か国中94位、2013年には136か国中105位にまで落ちているのです。それで今ごろになって慌てて女性活躍推進法などを作りだしたわけです。2015年には145か国中101位とわずかに改善しましたが、これは女性閣僚が増えて「政治」の得点がアップしたためで、「職場」は悪化しています。

 ここには何か、法律の条文には現れていない、女性の活躍を阻害する要因が日本の社会に働いているに違いありません。

 その理由を手っ取り早く知りたい方は、とりあえず目次をめくって「序章 日本の女性はなぜ「活躍」できないのか?」に目を通してください。その根源にあるのは欧米社会と異なる日本独特の雇用システムであることが簡単に説明されています。それを読んでいまいち納得できない方は?是非第1章から始まる本書のメイン部分に取り組んでみてください。今まで見えなかった何かが見えてくるはずです。

メディアマーカーで拙著書評

Chuko メディアマーカーで拙著『若者と労働』への書評が載りました。「tsano」さんです。

http://mediamarker.net/u/tsato/?asin=4121504658

そもそも、なぜ日本では4月に新入社員を大量に採用するのか?他の国は欠員補充で通年採用なのに、何もできないヒヨッコどもを雇うのか?を手がかりに日本の雇用実態を解説してる。

企業が学校側に職業教育を期待せず、自前で教育する方向に舵を切ったのと、学校側も学問の探求に重きを置いて、職業訓練的なことをしてこなかった。だから、会社で何が具たて意的にできるのかということよりも、将来の可能性を示す学歴、偏差値が重視された。このシステムはシステムで、学歴による篩い分けはあるにせよ、どこかの会社に何もできない若者が入社できるようになっていたと。ただそれもバブル崩壊以降は、全体のパイが縮小して、全員が正社員になれず、非正規雇用が増えると、そもそも社会の福祉システムが正社員とその家族を前提としていたため、非正規雇用者への福祉が行き届かないという社会問題が生じたと。年越し派遣村とか。

じゃあその解決策は?ということで、ジョブ方正社員というのを提案している。まあ要するに、職務内容とか、就業地とかがしっかりと明記されている労働契約をメインにしていきましょうと。自分も正社員のみだけど、職務所掌があいまいなのが品質保証まずいんじゃない?とか思うので、この方向はいいとおもうけど、実際うまくいくのかねえ。

2015年12月10日 (木)

『働く女子の運命』の書影

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbd_2 『働く女子の運命』の書影が文藝春秋社のサイトに出ました。

http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166610624

女性の「活用」は叫ばれて久しいのに、日本の女性はなぜ「活躍」できないのか?

社会進出における男女格差を示す「ジェンダーギャップ指数2015」では、日本は145カ国中101位という低い数字。その理由は雇用システムの違いにある。

ジョブ(職務)=スキル(技能)に対して賃金を払う〈ジョブ型社会〉の欧米諸国と違い、日本社会では「社員」という名のメンバーを「入社」させ、定年退職までの長期間、どんな異動にも耐え、遠方への転勤も喜んで受ける「能力」と、企業へ忠誠を尽くす「態度」の積み重ねが査定基準になりがちだ。このような〈メンバーシップ型社会〉のもとでは、仕事がいくら出来ようとも、育児や出産の「リスク」を抱える女性は重要な業務から遠ざけられてきた。なぜそんな雇用になったのか――その答えは日本型雇用の歴史にある。

本書では、豊富な史料をもとに、当時の企業側、働く女子たち双方の肉声を多数紹介。歴史の中にこそ女子の働きづらさの本質があった! 老若男女必読の一冊。

〈〈目次〉〉

●序章 日本の女性はなぜ「活躍」できないのか?

――少子化ショックで慌てて“女性の活躍”が叫ばれるという皮肉

●1章 女子という身分

――基幹業務から遠ざけ、結婚退職制度などで「女の子」扱いしてきた戦後

●2章 女房子供を養う賃金

――問題の本質は賃金制度にあり。「男が家族の人数分を稼ぐ」システムとは?

●3章 日本型男女平等のねじれ

――1985年、男女雇用機会均等法成立。しかし欧米型男女平等とは遠く離れていた

●4章 均等世代から育休世代へ

――ワーキングマザーを苦しめる「時間無制限」「転勤無制限」の地獄

●終章 日本型雇用と女子の運命

――男女がともにワークライフバランスを望める未来はあるのか?

担当編集者より

つい最近まで、女子は「腰掛け就職」「職場の花」などと呼ばれ、重要な業務につけず、管理職にもなれない不遇を味わってきました。

そしてやってきた失われた20年以降、総合職というコースが用意された代わりに、“転勤も労働時間も無制限”に働けという。

さらには「少子化対策と女性の活躍」を両立させる、ですって――!?

いったい女性にどうしろと言うのでしょう。

本書では富岡製糸場から戦争時、職業婦人、ビジネス・ガールといった働く女子の歴史を追いながら、男性中心に成功してきた日本型雇用の問題点を探っていきます。

2015年12月 9日 (水)

川口美貴『労働法』

213909 川口美貴さんから、大著『労働法』(信山社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.shinzansha.co.jp/book/b213909.html

労働法全般にわたる、約1000ページの詳細なテキスト。細目次、索引も充実し、使いやすく、また、民法改正案・新労働者派遣法の最新情報も入れ込まれた、待望の労働法体系書。

1000ページのテキストということからもその詳細さがわかりますが、特筆に値するのは冒頭近くのの「労働法の形成と発展」です。

 第2章 労働法の形成と発展

  第1節 明治維新(1868年)からILO創立(1919年)まで

  第2節 ILO創設(1919年)から終戦(1945年)まで

  第3節 終戦(1945年)から現在まで

この第1節の最初に出てくるのは何だと思いますか。なんと明治5年の「地所永代売買ヲ許ス」と「地代店賃及奉公人雇夫等給料相対ヲ以テ取極メシム」です。労働法の前提となる近代的法基盤の整備ということで、所有権制度と契約自由の原則と合意原則の出発点というわけです。

労働法の教科書でここから話を始めているのは見たことがありません。

個別項目でも、川口さんが力を込めて通説判例に反論しているところは、かなりの紙数が割かれています。

2015年12月 7日 (月)

欧州労連はリフレ派(「りふれは」ではなく)

Howtoaverttheriskofdeflationineurop 欧州労連の研究機関である欧州労研(ETUI)が、「How to avert the risk of deflation in Europe: rethinking the policy mix and European economic governance」(欧州におけるデフレのリスクをいかに避けるか:政策ミックスと欧州経済ガバナンスを再考する)という政策ブリーフを出しています。

http://www.etui.org/content/download/21903/182909/file/Policy+Brief+2015.16+Theodoropoulou.pdf

これが、言葉の本来の意味における「リフレ派」の経済政策を訴えるものになっています。いうまでもなく、どこぞのシバキ大好き「りふれは」とは異なり、労働組合の主張として全く自然な主張です。

Two things are needed if Europe – in particular the Eurozone – is to avoid the deflation precipice before which it stands: first, a coordinated fiscal expansion by all but a very few member states; secondly, coordination of wage and price growth with, as the two overriding goals, stimulation to enable actual output production to achieve its sustainable potential, and restoration of the average inflation rate in the area to at least the 2-percent target. More generally, fiscal rules should be reformed to allow for more ‘constrained discretion’ of national fiscal policies which should target a national relative inflation rate instead of a government budget deficit, while at the same time aiming for long-run sustainability of public finances. This national inflation rate target should be decided for each member state at the EU level with the aim of contributing to stabilising output demand at its sustainable potential level and meeting the 2-percent target for the area as a whole. Collective bargaining institutions with the capacity to coordinate nominal wage and price developments in member states but also transnationally along the lines of a ‘Golden rule’ should be developed and reinstated as effective complements to national fiscal policies. Nationallevel tripartite institutions and macroeconomic dialogue should be established wherever they do not exist, and reinforced to coordinate developments in these fields at national, transnational and EU level.

もし欧州、とりわけユーロ圏がデフレの断崖を避けたいのなら、まずごく一部を除いてすべての加盟国による協調的財政拡大、次に産出高をその潜在力にまで刺激し、平均インフレ率を少なくとも2%に回復するための賃金と価格の協調的上昇が必要である。・・・・名目賃金・価格上昇を協調する能力のある団体交渉機構を発展させ、各国の財政政策の有効な補完として復活させるべきである。各国レベルの三者構成機構とマクロ経済対話が存在していないところでも確立され、強化されるべきである。

6ページほどのごく短いパンフレットですので、さらっと読めると思います。

常見陽平『僕たちはガンダムのジムである』日経ビジネス人文庫版

197823常見陽平さんから『僕たちはガンダムのジムである』をお送りいただきました。原本は3年前にヴィレッジブックスから出たものですが、今回は日経ビジネス人文庫から、対談も2本追加されて出ています。

http://www.nikkeibook.com/book_detail/19782/

一億総活躍時代の必読書。文庫化にあたって、働き方コラムや馳浩文部科学大臣、社会学者・田中俊之氏との対談を追加で収録。

馳文科相との対談は、これはやはり一橋大学時代に「うじきよわし」のリングネームでプロレスをやっていた常見さんにとっては心躍るものだったようで、嬉しそうな様子が伝わってきます。

3年前に原著が出た時のエントリでは、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-ffa2.html

ガンダム世代向けのこの表現は、それを「エリート労働者」と「ノンエリート労働者」というより普遍的な言葉に入れ替えれば、まさに普通の労働者のための普通の労働者の呼びかけであり、まことに普遍的なメッセージになるわけです。

と述べましたが、このメッセージの重要性はますます高まっていると思われます。

一緒に入っていたお手紙には、

・・・この本を最後に、私は一度、書籍の執筆活動をお休みすることにしました。

と書かれています。深く沈潜した後の常見さんが、さらなる爆弾を投下する日を期待して、暫くこの本に目を通しましょう。

2015年12月 5日 (土)

『HRmics』23号は「2030と「上げ底」女子活躍」特集

1 『HRmics』23号は「2030と「上げ底」女子活躍」が特集です。

http://www.nitchmo.biz/hrmics_23/_SWF_Window.html

1章 「女性活用」改め「活躍」。

01.2030って何? 最初に、女性活躍をめぐる社会の動きを整理しておこう。

02.根を張る「男社会」という現実 女性積極登用を謳っても、長年築きあげた岩盤がそこに……。

2章 今度の熱病は上げ底女子!?

01.雇用ジャーナリストは見た! 上げ底現場

02.実力派人事は2030をどう考えているのか

人事15年選手3名が「女性登用」について本音で語りあう覆面座談会

3章 「いつか来た道」か「今度は本気」か。

01.均等法世代を苦しめた過ちを繰り返してはならない

自らも均等法第一世代であり、社会を見続けたトップジャーナリストが語る

02.根本的に女性が働ける社会をつくること

女性学のパイオニアとの一問一答。女性問題の本質とは

conclusion 新たな日本型への“産みの苦しみ” 本誌編集長 海老原 嗣生

登場する女性の面々は、佐藤留美さん、野村浩子さん、そしてなんとなんと上野千鶴子さんも登場です。

ちょうど再来週刊行予定の拙著『働く女子の運命』と見事にかぶる特集になっておりますね。

というか、本誌今号の最終ページには、ちゃんとその拙著の案内まで載っている手回しの良さ!

Nicchimo

ということで、なぜか私も見ていない本の書影が載ってたりします。

さて、特集以外の記事には、わたくしの連載「原典回帰」の2回目として、『サミュエル・ゴンパーズ自伝 七十年の生涯と労働運動』を取り上げております。

ミニ感想への追記

月曜日のエントリは、目次の引用にかつてのエントリの一部を貼り付けただけのほんとにミニ感想だったのですが、なぜかコメントがたくさん付いてホットエントリ化したようです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/11-b07c.html

その中で、高木亮さんのコメントに対して「通りすがり2号」さんがこう述べたのがものごとのツボをとらえているように思えました。

うーん。。。

「基礎的教養」「基礎的素養」という言葉が意味するものについて各人ばらばらなので、議論がすれ違っているように見受けられますね。

まさにそうで、医学であれ工学であれ、法学であれ、職業的意義のある学問であればこそ、それをしっかりと基礎づける基礎的教養が必要であることはいうを待ちません。

実際、ここ数日ネット上を騒がした合法的にうつに追い込む技を伝授する某ブラック社労士氏は、ロースクールを出た法務博士だそうで、だとするとこれは社労士という職業の問題なのか、それとも(残念ながら弁護士にはなれなかったけれどもその関連職業に就いた)法律関連専門職業人を養成するロースクールの教育の問題なのか、いずれにしても、職業教育における倫理性の問題を提起していることは確かなようで、やはりその根底には、基礎的教養の欠如があるようにも思われます。

http://monju-associate.com/blog/info/%E7%AC%AC%EF%BC%94%EF%BC%90%E5%9B%9E%E3%80%80%E7%A4%BE%E5%93%A1%E3%82%92%E3%81%86%E3%81%A4%E7%97%85%E3%81%AB%E7%BD%B9%E6%82%A3%E3%81%95%E3%81%9B%E3%82%8B%E6%96%B9%E6%B3%95/ (モンスター社員の解雇方法 , 会社がやれることは何でもやろう  第40回 社員をうつ病に罹患させる方法)

http://53317837.at.webry.info/201512/article_3.html (労働者をうつ病で自殺させるマニュアルの恐怖)

(上記もとのリンク先が炎上のためメンテナンス中なので、「シジフォス」ブログにある魚拓を参照のこと)

問題は、しかしながら、そういう意味での基礎的教養とは対極的な位置に存するのが、ある種の人文的「教養」をひけらかす人々の基礎的教養なのではないかという点にあります。

『現代思想』の特集で議論している人々が問題にしている教養は、カント、ヘーゲルからデリダやフーコーなどフランス現代思想などに及ぶ哲学、思想、歴史、文学などの古典的教養ですよね。

そういうおフランス現代思想風味の基礎的教養のなれの果てが、例えば内田樹氏のこういう放言になるわけで、

http://president.jp/articles/-/16716 (“教養”があればブラック企業に騙されない!)

Img_835078583c522bbe39b3fd2af6cd7a8哲学者、思想家、倫理学者、武道家などいくつもの顔を持つ現代日本屈指の教養人・内田樹氏。混迷する今の時代にこそ「教養」で武装する必要があると説くそのワケは……。

「ブラック企業」での雇用条件のひどさがしばしば問題にされます。もちろん企業側が悪いのですが、気づかずにそういう企業に就職してしまう側にも責任の一端はあります。「怪しげな会社」というのはたとえ事業内容を知らなくても雰囲気でわかるものだからです。会社のドアを開けて、社員と一言言葉を交わしただけで、「ここはやばい」と感じて一目散に逃げ出すぐらいの感受性がないと世の中は渡れません。

「電車の中で化粧をする女性」もよく見かけます。これも問題なのは、そういう行為そのものが生きる力を衰えさせていることに彼女たち自身が気づいていないことです。彼女たちは周囲の刺すような視線を浴びてもまったく動じる気配がない。普通なら、あれだけ冷たいまなざしで周囲から見つめられたら「寿命が縮む思い」がするはずです。でも、彼女たちはそれに気づかないで平然としている。

ブラック企業に就職してしまう人も、電車の中で化粧する人も、どちらも周りから発信されている「シグナルが読めない」点が共通しています。目に見えないもの、言葉で表されないものに対する感受性が著しく鈍っている。・・・・

「そんな非科学的なことを」と笑う人がいるかもしれませんが、神社仏閣・教会などの霊的なセンターがない地域、霊的な防御の弱い地域では、あきらかに人間の生きる力は弱まります。自殺率は高くなるし、カルトも広まりやすいし、家庭内でのいさかいも増えるし、子供の学力も下がる。・・・

この世界には「人知の及ばぬ境域が存在する」ということをわきまえること、それが「教養」の第1歩です。・・・

こういうたぐいの「教養」を「現代日本屈指の教養人」と褒め称えてやまない現代日本の教養観の支配下においては、「教養」という字を見たときには、それがいかなる種類の教養であるのか、まずは眉に唾を1リットルくらいつけてからものを考えてみても遅くはないようにも思われます。

それこそ学ぶべき「真の教養」だと私は思います。

その正反対だと私は思いますがね。

2015年12月 2日 (水)

問題提起・LGBTと労働法@『季刊労働法』冬号

251_hp 『季刊労働法』冬号の案内が早くも労働開発研究会のサイトに出ています。

http://www.roudou-kk.co.jp/books/quarterly/3564/

特集は、「問題提起・LGBTと労働法」です。最近出たばかりの労働弁護団の『季刊・労働者の権利』最新号もLGBTを特集してましたし、さらにいえば、ここ数日ネット上でLGBTをdisって炎上する方々が相次いだことも含めて考えれば、時ならぬLGBTブームと言えるかも知れません。

●特集では、LGBTと労働法に焦点を当てます。LGBTについては、渋谷区議会で「同性婚」の条例案を委員会で可決されたこと、ある調査で、レズビアンやゲイら性的少数者の割合が、2012年に行った同調査で19人に1人だったものが13人に1人に増えたこと、LGBTを支援するNPOでは、LGBTが働きやすい職場作りのパンフレットを作成し、講演を多く行っていること、こうしたことトピックがマスコミ等で取り上げられています。LGBTと労働法を考える基本的視点、アメリカにおける性的少数者の現在などを論じます。

特集記事は以下の4本ですが、JILPT研究員の内藤忍さんに加えて、長沼祐介さんもJILPTのアシスタントフェローなので、なかなかの占有率ですな。

性的指向・性自認に関する問題と労働法政策の課題 労働政策研究・研修機構副主任研究員 内藤 忍

多様な労働者への対応とLGBTの労働問題 ―よりそいホットラインの相談事例の分析から 早稲田大学大学院博士後期課程 長沼裕介

性的指向および性自認を理由とする困難と差別禁止法私案 LGBT法連合会事務局長 神谷悠一

アメリカにおける性的少数者の現在 ~労働法の視点から 上智大学准教授 富永晃一

以前聞いていたのはLGBTは第2特集だということでしたが、世情を反映して第1特集に昇格したようです。変わって第2特集に降格(?)したのは「2015年改正法等の論点」で、以下の5法(案)が取り上げられています。

労働基準法(労働時間規制)改正案の検討 金沢大学教授 名古道功

平成27年改正労働者派遣法の検討 ~改正法の問題点とその解釈 立正大学准教授 高橋賢司

青少年の雇用促進等に関する法改正について 熊本大学大学院教授 紺屋博昭

外国人技能実習適正化法案 神戸大学准教授 斉藤善久

医療保険制度改革法の一考察 ―被用者保険への影響を中心に 駒澤大学教授 原田啓一郎

成立したのと成立に至らなかったのが混じり合っているため、いささか特集としては足並みがそろわない感じになってしまいました。これはもう不可抗力というべきでしょうが。

他の記事は以下の通りです。

■短期連載 「労働の場(site)」における契約外規範の探求■

ドイツにおける命令権の制限に関する新たな判例法理の展開 立正大学准教授 高橋賢司

イタリア労働契約論の展開 ―契約外規範研究序説として 姫路獨協大学准教授 大木正俊

アメリカにおける未組織労働者の新たな闘争戦術と労働法理 ―ウォルマート,ファストフードのストライキ 一橋大学教授 中窪裕也

■労働法の立法学 第41回■

雇用仲介事業の法政策 労働政策研究・研究機構主席統括研究員 濱口桂一郎

■文献研究労働法学 第17回■

採用・試用・採用内定(1)神戸大学教授 大内伸哉

■アジアの労働法と労働問題 第24回■

ミャンマーの最低賃金制度 大阪女学院大学教授 香川孝三

■イギリス労働法研究会 第23回■

イギリスにおけるパートタイム労働をめぐる法政策の動向 ―不利益取扱い禁止からパートタイム労働の創出へ― 京都産業大学准教授 岩永昌晃

■研究論文■

管理監督者における労働時間規制の適用除外の範囲 ―ことぶき事件(平成21年12月18日最二小判労判1000号5頁)再考― 神戸学院大学准教授 梶川敦子

■判例研究■

筑波大学労働判例研究会 第43回

私生活上の非違行為を理由とする懲戒処分の有効性 東京メトロ(諭旨解雇・仮処分)事件(東京地決平成26年8月12日労判1104号64頁)筑波大学大学院博士後期課程 荒井啓一

同志社大学労働法研究会 第14回

ストライキに参加した単純労務職員に対する一律懲戒処分の支配加入該当性 北海道・北海道教育委員会事件(平成27年2月26日札幌高等裁判所判決,平成26年(行コ)第3号,不当労働行為救済命令取消請求控訴事件,取消,別冊中央労働時報1481号54頁)労働政策研究・研修機構研究員 山本陽大

大阪市庁舎組合事務所不許可処分と労使関係条例―条例制定による「便宜供与」廃止 大阪市組合事務所退去事件(平成27年6月26日大阪高等裁判所判決,平成26年(行コ)第163号,建物使用不許可処分取消等・建物明渡・使用不許可処分取消等請求控訴事件,変更,一部棄却)甲南大学教授 武井 寛

育児休業取得を理由とする不昇給の取り扱いが違法とされた例 医療法人稲門会(いわくら病院)事件(大阪高判平成26年7月18日労判1104号71頁,原審:京都地判平成25年9月24日労判同号80頁)日本学術振興会特別研究員(DC2)/早稲田大学大学院博士後期課程 林 健太郎

■キャリア法学への誘い 第3回■

キャリア尊重に向けた流れ 法政大学名誉教授 諏訪康雄

●重要労働判例解説

大学専任教員に対する教職員研修室の兼務命令拒否を理由とする解雇の効力 学校法人越原学園(名古屋女子大学)事件(名古屋高判平成26年7月4日労判1101号65頁,TKC LEX/DB文献番号:25504374)淑徳大学助教 日野勝吾

HIV感染情報の無断共有及び病欠強要の違法性 社会医療法人天神会事件(福岡高判平成27年1月29日(労経速2239号21頁,労判1112号21頁,TKC LEX/DB文献番号: 25505686)専修大学法科大学院教授 小宮文人

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