日本経済収縮の20年
内閣府経済社会総合研究所が国民経済計算の確報を公表したというので見に行きました。
http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/kakuhou/files/h26/sankou/pdf/point20151225.pdf
正直、労働関係はこまめにフォローしていますが、それ以外の関係は新聞を斜め読みして済ませているので(圧倒的に多くの人々が自分の専門分野とそれ以外で使い分けているやり方だと思いますが)、あんまり真面目にここ20年間のGDPの国際比較をまじまじと眺めたことはなかったんですが、改めてみてみると、これはやっぱりこの20年間は国際比較的に見ても失われた20年だったということがよくわかります。
まず、主要国の名目GDPの推移ですが、
日本は1996年に4.7兆ドルだったのが、去年は4.6兆ドルと言葉の正確な意味でゼロ成長。その間にアメリカは8兆ドルから17兆ドルに倍増、イギリスも1.3兆ドルから3兆ドルに倍増、ドイツでも2.5兆ドルから3.8兆ドルに5割増なのに、日本だけ収縮。その間に中国はたった8600億ドルから10兆ドルにまさに桁を駆け上がり、インドも4000億ドルから2兆ドルになってます。
日本と中国が逆転したのはわずか6年前の2009年なのに、それからの5年で倍以上に引き離されました。そして、そのこと自体も必ずしもきちんと認識されているわけではなさそうです。
1人あたりGDPの推移は次の通りです。
アメリカが3万ドルから5.4万ドルへ、ドイツが3万ドルから4.7万ドルへ、イギリスは2.2万ドルから4.6万ドルへという先進国中で、唯一3.7万ドルから3.6万ドルへの貧しくなっているのは日本だけ。貧しくなる日本の隣で、かつて700ドルと極めて貧しかった中国が7600ドルとこれまた一桁以上の上昇。
かつてわたくしの少年時代、1960年代には毎年日本のGNPが他の先進諸国を追い抜いていくという時代がありましたが、今はそれを巻き戻しているかのようです。
« もったいぶらずに・・・ | トップページ | 私としては実に下らなく感じた »
はまちゃん先生の研究セクターと御著書にも風あたりが強いはずですね。「私としては実に下らなく感じた」もよくよく起成原因を求めると、これによる苛立ちの現れともいえるように思われます。その方は別にしても、この20年停滞を是とすればそこには産まれて成人するまでの人生があるわけで、やはり成功体験をその世代に味あってもらうことが喫緊の政策課題と思いますが、それを上の世代があ~だこ~だとイザコザでハザード化しているのがニッポン病かもしれませんね。成功体験依存症とでも診断いたしましょうか。薬物療法は未開のため、ここは適者生存でいかがでしょう?ね、くみさん。
投稿: kohchan | 2015年12月26日 (土) 19時47分
濱口先生は経済分析はやや不得手なのかな?私なら世界における比率のほうを見ますね。これドル換算なのだし、そのほうが実態をよく把握できると思いますが。ドイツもアメリカも世界のなかで存在感を薄めています。
投稿: くみかおる | 2015年12月27日 (日) 09時31分
なるほど、マクロシェアですね。日本もGDP600兆大作戦を掲げましたので、欧米諸国がすでに取り入れた算出法を来年度から取り入れるそうですが、とはいっても相も変わらずの「支出GDP」優先で、三面等価原理のあとの「生産GDP」と「分配GDP」を引き上げる昨今の政府主導方法論とミドル以下の人々の実感のなさへのむなしさをはまちゃん先生の最終段落に認められるということなのでしょう。算出法は確かに時代に沿って変更すべきテクニカルな問題ですが、要するに昔も今も何が世界のスタンダードであるのかを各国発展の実状(立ち位置)とあわせた総合算出法がないと、一国の推移も比較の推移もスタンダード=ルールを作ったもの勝ちの意味しかないものともいえるでしょう。ルールこそ米国の力の源泉ですから。
投稿: kohchan | 2015年12月27日 (日) 10時58分
ドル円レートの影響ってどないやねんと思ってたら、
2009年、2010年でも14位くらいなんすね。
投稿: Dursan | 2015年12月27日 (日) 11時41分
クルーグマンの著作はすべてチェックしているとおっしゃっていたと記憶していますので、
クルーグマンファンのはまちゃん先生が、最近とくに反響が大きかった10月20日のコラム、
Rethinking Japan(日本再考)を読んでいないとは考えられないのですが、
クルーグマンの見解をあえて今回のブログ記事に反映させていないのは
どのような意図でしょうか?
http://krugman.blogs.nytimes.com/2015/10/20/rethinking-japan/?_r=0
労働人口あたりのGDPは、失われた10年では停滞したが、2000年ごろからはアメリカを超える
成長をみせ、この25年間を通しての成長は日米ほぼ同じ、
つまり、停滞の主因は人口動態(高齢化)、とクルーグマンは指摘しています。
(なお、このコラム以前にも、何度か労働人口あたりGDPを取り上げています)
分子として、付加価値を創造する労働者が、アメリカに引けをとらない成果をあげても、
分母のなかで高齢者がどんどん増加しているわけで、
ひとりあたりGDPがさえなくなるのは当然ですね。
投稿: ヒロミ | 2015年12月27日 (日) 14時10分
>クルーグマンの著作はすべてチェックしているとおっしゃっていたと記憶していますので、
そんなこと言った記憶は全くありませんね。もし御「記憶」と言われるなら、どこでそんなことを言ったかご教示ください。
>クルーグマンファンのはまちゃん先生が
私は労働問題が主たる土俵であり、その関わりで社会問題にも言及しますが、経済学プロパーの対立や論争は、それ自体としては大して関心はありません。
私が本ブログでクルーグマンを時々引用するのも、、下のリンク先からもわかるように、主として労働社会問題への発言についてであって、それ以上ではありません。もっぱら彼の発言の「ソーシャル」な点(彼自身はアメリカ方言でそれを「リベラル」と称していますが)二着目しているだけです。
ついでにいえば、わたしが「りふれは」をからかったり時に批判したりするのも、私の土俵に関わる問題についてであって、経済理論上のリフレーション理論の是非などに首を突っ込む意図はまるでなく、それゆえにわざわざ「リフレ派」ではなく「りふれは」と表記しているわけですからね。
なんにせよ、それ以上クルーグマンという名の経済学者に関心がなく、従って極めて限られた意味でしか「ファン」ではなく、それ故に「クルーグマンの著作はすべてチェック」などハナからする気のないこの私に、あたかも一部経済クラスタの人々に問いかけるかのように、あれを読んだかこれを読んだか、それなのにこれをわざわざブログに書かないのはなぜか?などと見当外れの詰問をされるのは、正直言ってこれほど心外なことはありません。
それこそ、時々相撲力士の労働者性について書くからといって、相撲界のありとあらゆることをフォローしていないかのように言われたらびっくりしますよ。
何回も申し上げてきたかと思いますが、本ブログは労働問題を主たる土俵とするブログでありまして、経済プロパーの喧嘩はどこかほかでやっていただければ幸いです。そこまで手を広げる気は毛頭ありません。
(参考)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_887a.html">http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_887a.html (ソーシャルなクルーグマン)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_ce3c.html">http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_ce3c.html (ソーシャルなクルーグマン2)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-00ac.html">http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-00ac.html (クルーグマンの「ヨーロッパに学ぶ」)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-ef27.html">http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-ef27.html (最低賃金を上げよ@クルーグマン)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/on-da7a.html">http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/on-da7a.html (クルーグマン on 最低賃金)
投稿: hamachan | 2015年12月27日 (日) 16時01分
なんともはや。誤った付加価値についてまたもw。大変ですね、はまちゃん先生。
日本の経営と労働(お互い独占的貴族ですが)は付加価値を創造!するどころか、賃金と雇用をケインズの硬直性を欧米では理解できない相互融和で20年に渡り凌いだケインズが嫌ったピグーの理論に良し悪しは別にして類似させた効用で雇用を守ってきたのですが、まあ来るべきそのツケの帰結(GDP)ですからその始末に日本はこれから立ち向かわなければ成らないのでしょうが、付加価値だけを労働の指標と考えると日本の今の社会システムを認めていないことに行き着くのです。
クルーグマンはbMとMSのフィッシャー先生金融外生理論を日本の人口動態も鑑みず期待理論まで持ち出してバカにしてさんざんほざいていた自分の取り違えを、コラム二ストとして反省したのです。
藻谷さんと吉川さんの検証と処方をはまちゃん先生の労働セクターにミキシングして建設的な議論をしていきたいものです。
投稿: kohchan | 2015年12月27日 (日) 18時33分