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2015年10月30日 (金)

あまりにもアカデミックすぎた菊池桃子さん

Lif1510290029p1マスコミは、内田樹氏みたいな学生を呪うしかできないようなのを偉い「学者」扱いする一方で、菊池桃子さんみたいな雇用問題に見識を持つ人はいつまで経っても「タレント」扱いしたがるという抜きがたい偏見がありますね。

確かに出発点は「パンツの穴」だったかも知れないけれど、戸板女子短大客員教授でキャリア権推進ネットワーク理事の彼女をタレント枠に入れるのは、内田樹氏を学者枠に入れるのと同じくらい違和感があります。

まあ、それはともかく、産経新聞にこんな記事が:

http://www.sankei.com/life/news/151029/lif1510290029-n1.html(菊池桃子氏が名前に「ダメ出し」 1億総活躍国民会議初会合 「ソーシャル・インクルージョンと言い換えては?」 記者団とのやり取り詳報)

「はい。1億総活躍のその定義につきましては、ちょっとなかなかご理解いただいていない部分があると思いますので、私の方からは、1つの見方として、言い方として『ソーシャル・インクルージョン』という言葉を使うのはどうでしょうかと申し上げました。ご存じのとおり、ソーシャル・インクルージョンというのは、社会の中から排除する者をつくらない、全ての人々に活躍の機会があるという言葉でございまして、反対の言葉は、対義語は「ソーシャル・エクスクルージョン」になります」

「今、排除されているであろうと思われる方々を全て見渡して救っていくことを、あらゆる視点から、今日各大臣がご参加いただきましたので、考えていただきたいと、そのように申し上げました」

彼女の過ちは、マスコミや政治家のレベルを高く見積もりすぎているという点であって、おそらくこの「ダメだし」記事を書いた記者も含めて、ソーシャル・インクルージョンといってもあまり理解していないようです。もちろん、社会政策学会とかそういう所に行けば、当たり前に通用しますが、どこでも通用するわけではない。

あまりにもアカデミックすぎる言葉遣いをすると、それについて行けない人々にちゃんと理解されないというリスクを負います。皮肉なことですが。

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コメント

菊池さん、いいじゃないですかねえ。ちまたの通説は、偏見が差別を生むとしますが、ホントは差別で偏見が生まれるようです。大学で教えておられそれなりに用語へのこだわりをお持ちなおでしょうかが、ただあのような会合は所詮落しどころは決まっておりますから、選んだ方が悪いのよくらいでちょうどいいかもしれませんね。小生の最近某紙web版のエッセイに菊池さんと同じ使い方でコメントしましたら、「読みもしないで恥を知れ。それくらいのことは社会は皆知っている」と罵倒されました。へ~、日本ってすごいなあ、最高水準の知能を有する大学で教えている学生たちが知らないとしていることを知っているのかぁwと。メディアもそうした大学出身者が多々なはずですから「恥を知れ」と社会からお叱りを受けていりますね、きっとw。

 で、後学の為、菊池客員教授の査読論文を拝読致して学識の博ろさ見識の深遠さ及び観点の独創性の一端にでも触れて見度いのですが、何処に行けば叶うのか御教示頂けると幸いです。 勿論、マネージャー乃至ライターのゴーストでは無い物を。 いや、ライターが未熟なのか知名度頼りの企画が阿呆だったのか、巷で全く見掛け無かった渾身の労作の料理本を二冊上梓されてるって風聞は訊いた憶えが有るやら無いやら。

横文字でも縦文字でもどちらでもいいような気もしますが・・・
ソーシャルインクルージョンって「社会参加」って意味なんですね。
折衷案として、「一億総社会参加」にするとかもいいかも?

まぁ担当大臣と、菊池桃子さんのお手並み拝見と言うところでしょうか。

普通、社会政策関係では「社会的包摂」と訳してますね。
とはいえ、それでも多くのマスコミの方々にはあまり通じないことには変わりはなさそうですが。
ちなみに反対語のソーシャル・エクスクルージョンは通常「社会的排除」と訳しますが。「社会的疎外」と訳す人もいます。

hamachan先生的にはソーシャル・インクルージョンも一億総活躍も国家総動員も根は同じという認識でよろしいでしょうか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_cda3.html
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_b0dc.html

うぃずさんhamachan先生、Inclusionって「外から包む/取り込む」ものだと思うのですがどうでしょう。

ラ・ムーもとい菊池さんのこれが、アンガージェしない人できない人を取りこぼしていかないという意思表明であってほしいと思います。等しく国民なのですから。

さすがhamachan先生

彼女にとっては命に等しい言葉ですからね。
要約すると多様で出自等の個性を認め合うことで進歩しようとする社会ですよね。
一方のインテグレートな社会とは、効率優先の中央集権(集約)社会ですよね。
高度発展した後の国には、たとえば日本に今必要なものはどちらなのでしょうというのが菊池さんの問いかけではと思います。

近年の社会政策界隈で流行っている連続的な言葉のスペクトラムで言うと、アクティベーションを真ん中において、ワークフェアがやや就労強制的ニュアンスがあるのに対して、ソーシャル・インクルージョンはエクスクルージョンの対義語として、誰一人としてのけ者にしないという包み込むイメージの強い言葉のだと思います。

菊池さんとしては、ややもすれば無理矢理活躍させるというイメージにとられがちな「一億総活躍」を、できるだけ後者のイメージに引きつける方向で進めたいという意図があったのでしょう。「ダメ出し」ではなく。

現政権は嫌な方向にばかりソーシャルで強権的だからなあ…

なぜこれが・・・というほどのコメント数ですが?新参者として疑問なのは、コメントは選別されているのでしょうが、もっとあるべき題材への無反応というか、私だけ吠えているというか、そもそも量が足りないというか、これでは質があがらないというか?なんなんでしょう?ブログだからではすまされない影響力をお持ちのサイトだと思っておりますので。
Hamachan先生や通行人様にお聞きしたいんですがいかがですか?

特定の人に対する誹謗中傷等公開することが適当でないと判断したものを除き、基本的にその意見立場の如何を問わず投稿されたコメントは公開することとしています。


ちなみに「ダメ出し」とは、「本来の意味は、囲碁における「駄目」であり、もはや勝敗に関係のない石を置くことである。/「ダメ出し」は、そこから派生した演劇などの用語で、演出家が、本番前に、念を入れて俳優の演技についての注意をおこなうことである。つまり、なくてもいいのだが、念のために言うという意味もあるし、最後の最後に注意しておくという意味でもある」。
そして「それが、「ダメだと言う」の意味に誤解されて誤用されるようにな」って、「私は六年くらい前から、誤用だと言っているが、直らない」のであって、やはりそれについて行けない人々(というか関心のないほとんどの人々)にちゃんと理解され(学習され)ることはないのでありましたとさ。

(引用は小谷野敦『頭の悪い日本語』p16,17、hamachan先生の言葉づかいをもダシに使うようなことになりまして、ちょっとすみません。)

hamachan先生
ご返答ありがとうございました
並びに、原口様のご意見は参考となりました。
相撲用語の「ダメ押し」といずれが早いかは別に同義語であるとして納得しました。
とうことは、小生の最初のコメントで、”落としどころは決まっておりますby選者側と選んだほうが悪いのよby菊池さん”は双方から見た正しい使用方法のダメ出しを解説したコメントとなったわけですね。よかったよかったです。

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