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2015年10月20日 (火)

「団体」であることへの理屈を超えた敵意

なんだか・・・

https://mobile.twitter.com/yeuxqui/status/655987578236108800?p=p

組合への反感というのも典型的にそうだが、「団体」であることへの理屈を超えた敵意というものが、おそらくは80年代以降の日本のマスコミ的「民意」というものを形成してきた。そこはまあつねづねあまりにもルソー的と揶揄することろ。もちろんその敵意というのは当然ながら「都市」にも向かう。

200年遅れのル・シャプリエ法?

131039145988913400963つか、まさにそこが『新しい労働社会』第4章のテーマでもあったわけですが。

・・・・このように見てくると、規制改革会議の意見書に典型的な利害関係者の関与を排除する考え方と三者構成原則の対立の背後には、民主主義をどのように捉えるかという政治哲学上の対立が潜んでいることが浮かび上がってきます。
 前者において無意識のうちに前提されているのは純粋な代表民主制原理、すなわち国民の代表たる議員は社会の中の特定の利害の代表者であってはならず、その一般利益のみを代表する者でなければならないという考え方でしょう。それをもっとも純粋に表現したものがフランス革命時に制定された1791年のル・シャプリエ法です。同法はあらゆる職業における同業組合の結成を刑罰をもって禁止しました。団結の禁止とは、個人たる市民が国家を形成し、その間にいかなる中間集団をも認めないという思想です。
 それに対してEC条約やEU諸国のさまざまな制度には、社会の中に特定の利害関係が存在することを前提に、その利害調整を通じて政治的意思決定を行うべきという思考法が明確に示されています。歴史社会学的には、これは中世に由来するコーポラティズムの伝統を受け継ぐものです。この考え方が、中世的なギルドや身分制議会の伝統が革命によって断ち切られることなく段階的に現代的な利益組織に移行してきた神聖ローマ帝国系の諸国に強く見られるのは不思議ではありません。コリン・クラウチはその著書の中で、中世の伝統と社会民主主義が結合して20世紀のコーポラティズムを生み出したと説明しています。
 大衆社会においては、個人たる市民が中間集団抜きにマクロな国家政策の選択を迫られると、ややもするとわかりやすく威勢のよい議論になびきがちです。1990年代以来の構造改革への熱狂は、そういうポピュリズムの危険性を浮き彫りにしてきたのではないでしょうか。社会システムが動揺して国民の不安が高まってくると、一見具体的な利害関係から超然としているように見える空虚なポピュリズムが人気を集めがちになります。これに対して利害関係者がその代表を通じて政策の決定に関与していくことこそが、暴走しがちなポピュリズムに対する防波堤になりうるでしょう。重要なのは具体的な利害です。利害関係を抜きにした観念的抽象的な「熟議」は、ポピュリズムを防ぐどころか、かえってイデオロギーの空中戦を招くだけでしょう。

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コメント

ポピュリズムってそんなに悪ですかね?恥ずかしながらも民主政治を標榜するならば、それを具現的媒介するセクターを利己(縁、所属組織・・・要は目先の快楽主義)で括る文化そのものでしょう。
プリンシプルがないに等しいことを是とする多神教国家ならではの現象です。
因果はありません、と思いますがいかがでしょう。
「一致結束」のほうが怖いですよ。それって決定論につながる一神教ですから。

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