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学部と職業

大和総研のHPのコラム「不可測な時代の教育サービス」( 岡野武志氏)に、大学の学部学科と就職先職業(会社じゃなくって)の興味深いグラフがあったので、紹介しておきます。

http://www.dir.co.jp/library/column/20150910_010106.html

20150910_010106l_3

主な分野(関係学科)の就職状況をみると、就職者数が多い「社会科学」と「人文科学」では、「事務従事者」と「販売従事者」に分類される職業への就職者が7割を超える。「事務従事者」と「販売従事者」には、他の分野からも一定の採用があり、この二つの職業で就職者全体の過半を占める。日本では、採用後に企業の特性に合わせて能力開発を図る、いわゆるメンバーシップ型が根強いものとみられる。

一方、「保健」や「工学」、「教育」などの分野では、「専門的・技術的職業従事者」に分類される職業に就く比率が高い。産業別にみても、「保健」では「医療、福祉」への就職率が高く、「工学」では「製造業」や「建設業」、「教育」では「教育、学習支援業」への就職者が多くなっている。これらの分野では、大学入学時点で将来の職業を一定程度イメージできる、いわゆるジョブ型が広がっている可能性がある。

教育の意味という観点からすると、緑色のところはレリバンスの高いところ、赤や青はレリバンスの低いところ、つまりその学部学科でなければならない必然性が低いところということでしょう。

メンバーシップ型が根強い大企業中心の経団連としては、やはり中核労働力はジョブ型ではないという意識が強いでしょうから、

http://www.keidanren.or.jp/policy/2015/076.html(国立大学改革に関する考え方)

・・・今回の通知は即戦力を有する人材を求める産業界の意向を受けたものであるとの見方があるが、産業界の求める人材像は、その対極にある。

というのも当然でしょう。こういう当たり前の反応を目にして「教育の職業的派、完全撃墜じゃんw」などと感激するタイプの方々に、さらに力強い助っ人が現れたようです。

http://www.sankei.com/column/news/150910/clm1509100001-n1.html(言語を磨く文学部を重視せよ 評論家・西尾幹二)

・・・殊にわが国では政治危機に当たって先導的役割を果たしてきたのは文学者だった。ベルリンの壁を越える逃亡者の実態を最初に報告したのは竹山道雄(独文学)であり、仏紙から北朝鮮の核開発を掴(つか)み、取り上げたのは村松剛(仏文学)だった。その他、小林秀雄(仏文学)、田中美知太郎(西洋古典学)、福田恆存(英文学)、江藤淳(英文学)など、国家の運命を動かす重大な言葉を残した危機の思想家が、みな文学者だということは偶然だろうか。

本欄の執筆者の渡部昇一(英語学)、小堀桂一郎(独文学)、長谷川三千子(哲学)各氏もこの流れにある。言葉の学問に携わる人間は右顧左眄(うこさべん)せず、時局を論じても人間存在そのものの内部から声を発している。

人文系学問と危機の思想の関係は戦前においても同様で、大川周明(印度哲学)、平泉澄(国史)、山田孝雄(国語学)、和辻哲郎(倫理学)、仲小路彰(西洋哲学)などを挙げれば、文科省の今回の「通知」が将来、いかにわが国の知性を凡庸化せしめ、自らの歴史の内部からの自己決定権を奪う、無気力な平板化への屈服をもたらすことが予想される。・・・

こういう素晴らしい「文学者」を大学教授として維持するために、その学生たちにとっては卒業後の職業人生には役に立たなくても、「文学」を大学で教えるという社会的形式を守らなければならないというのは、言うまでもなくそれ自体としては理屈の通った議論です。

本ブログでも、それ自体は「やむを得ないシステム」だと述べております。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_c7cd.html(哲学・文学の職業レリバンス)

・・・一方で、冷徹に労働市場論的に考察すれば、この世界は、哲学や文学の教師というごく限られた良好な雇用機会を、かなり多くの卒業生が奪い合う世界です。アカデミズム以外に大して良好な雇用機会がない以上、労働需要と労働供給は本来的に不均衡たらざるをえません。ということは、上のコメントでも書いたように、その良好な雇用機会を得られない哲学や文学の専攻者というのは、運のいい同輩に良好な雇用機会を提供するために自らの資源や機会費用を提供している被搾取者ということになります。それは、一つの共同体の中の資源配分の仕組みとしては十分あり得る話ですし、周りからとやかく言う話ではありませんが、かといって、「いやあ、あなたがたにも職業レリバンスがあるんですよ」などと御為ごかしをいってて済む話でもない。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_8cb0.html(大学教育の職業レリバンス)

・・・大学文学部哲学科というのはなぜ存在するかといえば、世の中に哲学者という存在を生かしておくためであって、哲学の先生に給料を払って研究していただくために、授業料その他の直接コストやほかに使えたであろう貴重な青春の時間を費やした機会費用を哲学科の学生ないしその親に負担させているわけです。その学生たちをみんな哲学者にできるほど世の中は余裕はありませんから、その中のごく一部だけを職業哲学者として選抜し、ネズミ講の幹部に引き上げる。それ以外の学生たちは、貴重なコストを負担して貰えればそれでいいので、あとは適当に世の中で生きていってね、ということになります。ただ、細かくいうと、この仕組み自体が階層化されていて、東大とか京大みたいなところは職業哲学者になる比率が極めて高く、その意味で受ける教育の職業レリバンスが高い。そういう大学を卒業した研究者の卵は、地方国立大学や中堅以下の私立大学に就職して、哲学者として社会的に生かして貰えるようになる。ということは、そういう下流大学で哲学なんぞを勉強している学生というのは、職業レリバンスなんぞ全くないことに貴重なコストや機会費用を費やしているということになります。

これは一見残酷なシステムに見えますが、ほかにどういうやりようがありうるのか、と考えれば、ある意味でやむを得ないシステムだろうなあ、と思うわけです。・・・

ただまあ、それにも限度というものがあるだろうと言うことでしょう。

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コメント

>その学生たちにとっては卒業後の職業人生には役に立たなくても、「文学」を大学で教えるという社会的形式を守らなければならない

学生が大学に行くのも親御さんが学費を払うのも
教養を身につけ学者になりたいさせたいというより
大卒という肩書きを手に入れて
安定した職業に就きたい就いて欲しいってのが第一だと思うので
これはどうなんでしょうね?
もっとも文系学者が
教養が大事
直ぐには役に立たないけどいずれは役に立つ
直ぐに役立つ知識は直ぐに役立たなくなる
これが分からない奴は教養が無い
職業教育とか下賤だと
言うのも立場を考えたら仕方ないとは思います。
自分が渦中の文系学者だったとしたら同様の言い分で自分の食い扶持を守ろうとするでしょうし
あと自分で書いてて何ですが文系と理系みたいな分け方も不適当
だとは思います。理系でも生物系だとポスドク問題とかありますし

投稿: 7衛門 | 2015年9月10日 (木) 16時50分

結構キツイ事を書きましたが
自分を含め文系の分野が不要という人はいないと思うんですよね。
問題は現在の規模が適切かどうかという事だと思います。
国が要不要を決めるのが不適切と感じるなら
学生や親御さんのニーズというか市場原理に任せて
整理したらいいのではと思いますが…
ただその場合は貧しい学生には教育バウチャーの様な仕組みで支援する
事も必要でしょう。
これで不本意な大学や学部の選択も減るでしょうし

投稿: 7衛門 | 2015年9月10日 (木) 17時15分

知り合いの、ピアニストでありとある短大の准教授もなさってる方が、ピアノを演奏する上でも哲学は必要なのではないかと考えて、改めてマスターコースに入ったと豪語していました(ちゃんとM論書いて修士号もらったそうです)。なんとも羨ましいことです。

おそらく極めてまれでしょうが、こういう需要もあることはあるということで。

投稿: 通行人弐號 | 2015年9月10日 (木) 19時22分

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