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2015年9月23日 (水)

結構ラディカルな高専改革案

日刊工業新聞に載っている記事ですが、残念ながら自民党のHPに行ってもこの記事のソースが見つからないので、原資料主義の本ブログで取り上げるのはやや時期尚早なのですが、内容が興味深いので、あくまでも業界紙の記事という前提で紹介しておきます。

http://www.nikkan.co.jp/news/nkx1520150923abaj.html (自民党、高専改革の提言を了承-工業高校の高専化による全県設置など検討)

自民党政調文部科学部会は、議員連盟で検討していた高等専門学校(高専)改革の提言を了承した。提言は、修業年限と学位のあり方、県立工業高校の高専化による高専の全県設置などについて今後研究、検討することと記した。・・・

その具体的な内容の中には、

修業年限と学位については、本科卒業生への学位授与や、現在は本科5年間の課程を6年間にして大学卒業と同等の扱いにし、大学卒業生よりも早く大学院に進めるようにするなどの意見がある。・・・

というのがあります。6年制の高専?ということは、

案の一つとして、本科の修業年限を1年延ばして教育の種類や内容を大学並みにし、大学卒業生と同じ扱いにすれば、高校―大学のコースを取った学生より早く大学院に進めることになる。・・・

高校大学学部経由だと7年かかるところを高専経由だと6年で済むという話ですね。

高専創設の事情を振り返ると、1951年の政令改正諮問委員会答申が、高校と大学を合わせた5~6年制の職業教育に重点をおく専修大学の創設を求め、また1958年の中央教育審議会の答申が5~6年制の技術専門の学校を早急に設けることを求め、文部省がいわゆる専科大学法案を国会に提出しましたが、短大関係者の強い反対で審議未了が続いたため、中堅技術者養成のための専門教育機関として高等専門学校を創設する法案を国会に提出し、1961年成立に至ったという経緯があります。

それからもう60年近く経ち、世の歯車が大きく一回転して、再び高等教育レベルにおける職業教育が政策課題になるようになり、そして高専の見直しという話にも繋がってきたようです。

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コメント

これは凄いですね。
ただ現状工業以外の職業教育があまりに貧弱ですので
他の分野の職業教育も強化して欲しいな。
現政権はこの問題は結構やる気があるようなので期待しております。
今回は大学関係者などから反対はあるんでしょうかね?
私立大から職業大学へ転向できるなら歓迎する動きもありそうですが


こんにちは正直、なにが改革なのかがよくわかりません。
①高専は現状でも地方自治体で設置するのは 問題ありません。 実際に設置しています。
②高専は現在でも5年で大学レベルを終了しています。
③問題として教養部分があまりにおろそかになっている。
④高専卒では大学レベル教育を終わっているにも 関わらず、大卒扱いされずに卒業生が不遇になっていたので専攻科の設置や編入学を推進してきた。


自分は高専制度自体が時代に合わなくなっている。学生の選択の道を狭めていると考えいるので高専を廃止すべきだと思っています。。高専に入ったために時間を浪費した人、人生を誤った人を多く作る学校種だと考えています。卒業するまでに異常と言えるすさまじい数の中退者をだしています。中学校卒時点で将来を選択させるのは無理です。普通高校から大学という道をとらせた方が明らかに良いと考えます。

当事者(過去そうだった方も含む)や教育制度論者以外の学歴エリートで、高専問題が視野が入っているのは、①このブログhamachan様と②匿名の「社会科学者の随想」ぐらいでしょう。当の高専教員や文科省さえも問題意識が低すぎる者が多い。2015年9月27日「地方に住む人」が言うとおりです(ただし、高専は人文社会分野の教養教育は論外として、あまりに基礎科学教育とが薄いため、これにつらなる専門科目についても大学レベルとは言いがたい)。学校制度がマイナーでありその実態や企業側の思惑があまり知られていないため、この制度についての美辞麗句が一人歩きしてしまい、これを政治家が一面的に捉えた結果、高専を倍増すればよいなどという、暴論が出てしまうのです。2016年の今言われている職業専門大学なら、15歳卒業時において進路を選択したうえ、5年もの長期にわたって、特殊な教育に拘束されるという高専教育の致命的欠陥を避けつつ、18歳高校卒業以降の職業教育を充実させることができるかもしれないのだが、どうも、議論の方向性をみていると、高専問題はそのままにして、職業専門大学をつくろうというふうに見える。例えば、職業専門大学には学位を与えるという。ところが高専に学位授与権はない。そうすると、調理師職業専門大学の卒業生には学位がある一方、(美辞麗句で)比較的優秀者層を誘っている高専卒には学位がないという、歪な構造ができてしまうのである。その他、洗い出せばキリがない。考えてみれば、高専設立当初の専科大学構想では、15歳から18歳までの前期課程は必ずしも必要とされていなかった。ところが、おっしゃるとおり、短期大学の猛反発で専科大学構想がとん挫し、中学卒業生に工業技術の高等教育を授けて、中堅技術者の需要を満たすという“玉虫色”の決着を見たのであった。天野郁夫らの教育行政学者が指摘する通り、これが高専という制度の悲劇の始まりであった。
結局、高専の改革や見直しどころか、従来から人知れず指摘され続けてきた高専問題は残ることになる可能性もあるわけである。職業専門大学と高専をどう関連付けられていくか、あるいは関連付けられないのかよく注視する必要があると思う(私は、高専(特に問題の多い前期課程)を廃止して、職業専門大学に接続すべきと考える)。

本ブログでも高専を扱っていたのか。
L/G含め他の研究部門でご意見拝聴の記憶があります。
教育含めコモンズ的セクターの多くの経営主体が公<私にあるこれも日本の政治的縮図のように思われますが違いますか?
ミクロ論議は容易ですが、毎度失礼ながら需要側および供給側につじつま合わせのエセ均衡があった帰結と思われます。
高専ですね。ずばっといえば、高等学校進学時に失礼ながらトップの大学進学を知財ともに許される側と、知はあっても財に難題をもたれる側との均衡を昔は創れたが今はそうではなくなった事実だけが残存したものを、その先にある生産セクターは時間を止めたがごとく学士化する方法論は、過去の制度をそっくり引き上げ平等化してもそれこそ低賃金学士難民を産みかねない過去懺悔としか思われません。こうしたマター設定こそ公が得意な先送り手法かと存じます。
要するに高専卒に供給先がなくなりつつあり、しかし一方でそれ以下と認められていた(社会的にですよ)専門学校の学士化が、学士工科系のすぐ経済化されやすい選択と集中政策と相まって、その対局にある文化系廃止論とシンクロしてしまった生き残り方法論のようにしか思えません。
繰り返しますが、学士であろうが修士であろうが博士であろうが以前もコメントしましたが、Beyond Doorがそれを規定していることを教育制度の供給マターで論じられておられるようでそれはそれで良しとしても、それこそ後悔されておられる、あるいは退学されてしまった方々の位相を創るだけではないかと以前より思っており、しかしまたそれに殉じてしまわれた方々や指導された当時の中学教員はどう考えておられるのかの方が重要な気がいたします。なぜなら、学士なんぞとうの昔に価値をなくした遺物ですからそれを前提にすれば、批判されてもなくならない偏差値ブランド大学こそ勝者=安定を勝ち取る唯一の手段なのです。その一例が医学部偏差値急騰現象です。肯定しているのではありませんが、椅子があまりに減ってしまった構造を変えないとレントや世襲社会でにっちもさっちもダイナミズムなき落日の日本となるのではと危惧いたします。質的成長とでも申しましょうか。

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