若森みどり『カール・ポランニーの経済学入門』
実を言うと、、カール・ポランニーはもう40年近く前に大学のゼミで読まされて以来、物事を考える際の一つの基軸であり続けています。
http://www.heibonsha.co.jp/book/b201320.html
その時に読まされた『大転換』(旧訳、悪魔の挽き臼の絵が表紙の奴)が、大学時代の本を次々と手放していってもなぜか手元に残り続け、未だに書棚に鎮座しています。
20年近く前に、ブリュッセルに勤務していた頃、当時連合総研におられた井上定彦さんと鈴木不二一さんが来訪されて、吞みながらあれこれ喋っていて、何かの拍子にポランニーの話になって、とても意気投合したこともありました。
今よみがえるポランニーの思想には、「人間のための経済」への想像力がある。民主主義を犠牲にしてまで経済効率が優先される現代世界の状況を警告したその思索をたどり直し、ポスト新自由主義時代を見据えた「人間の自由」を問う。市場システムへの自発的隷従という呪縛を解き、産業文明における良き社会の可能性を探る一冊。
日本に戻ってからいろんなところでものを書いたり喋ったりするようになって、基本的には雇用労働の個別問題を論じているのですが、ちょっと風呂敷を広げると、そこに奥から出てくるのは若い頃に学んだポランニー的な枠組みであったというのは、たとえばこれなんかによく現れていますね。
http://homepage3.nifty.com/hamachan/keieiminshu1.html (EU労働政策の新たな方向(『経営民主主義』2000年夏号)
冒頭のある方は、本書の参考文献に私の「「失敗した理念の勝利」の中で」が載っているよ、ということで知らせてきたのですが、これも、欧州労研の論文集の紹介なのですが、その根っこにある思想は、ポランニー的なものだと思います。
http://homepage3.nifty.com/hamachan/seikatsurinen.html (「失敗した理念の勝利」の中で(『生活経済政策』2012年4月号))
・・・・この急激な経済思想の逆転劇を、去る2012年1月に刊行された欧州労研(欧州労連の附属研究機関)の報告書は「失敗した理念の勝利(A triumph of failed ideas)」*1という苦い題名の下に描き出している。この言葉は、アメリカの経済学者ポール・クルーグマンがニューヨークタイムズ紙のコラム(「ゾンビが勝利するとき」*2)で書いた次の文章からきている。「歴史家が2008-2010年を振り返ったとき、一番不思議なのは、私が思うに、失敗した理念の奇妙な勝利だろう。自由市場原理主義はあらゆることについて間違ってきた--なのに、そいつらが今やかつてよりも全面的に政治の場を支配している。」もちろん、クルーグマンは米国のコンテキストでこの台詞を述べているのだが、それをちょうど現在の、金融危機がソブリン危機に転化することで、それまでの金融資本主義批判の雰囲気が一気に緊縮財政、公共サービス削減に転換してしまった現在のヨーロッパの政治状況を批判する台詞として使おうとしているわけである。
ほんの数年前には「失敗した理念」と烙印を押されていた死せる経済思想の奇妙な「黄泉帰り」をもたらしたものは何か?同報告書は、EU各国の様々な資本主義モデルとそれらが示した危機への対応の様相が、逆説的に今日の市場原理主義の制覇をもたらしたことを明らかにしている。
本書が力を込めて描き出しているのは、そしてその原典であるポランニーの『大転換』が説いているのは、19世紀に猛威をふるい、次第に「社会の自己防衛」により押しとどめられてきていた自己調整的市場への信仰が、第一次大戦後のヨーロッパ大陸という、もっとも不適切な時期に不適切な場所で、絶対正義として押しつけられ、その結果ファシズムを生み出してしまったという苦い経験ですが、それとほとんど同型的なパターンが、ソブリン危機後のヨーロッパで繰り返されているということほど、一度目の悲劇を二度目の喜劇で繰り返してもまだ飽き足りずに三度目の正直を狙っている歴史の皮肉を感じざるを得ません。
上の論文で紹介した欧州労連の『失敗した理念の勝利:危機における欧州資本主義モデル』(2012年)の続編が、『分断された統合:欧州における失敗した理念の勝利-再訪』として今年刊行されています。
これらの本で欧州労連が警告を発しているのは、まさに欧州統合という名の下に、各国民を分断するような政策が進められているということに対してです。
こういう現代ヨーロッパの姿を頭に置きながら、若森さんの本を読んでいくと、どきっとするような記述が一杯出てきます。
なぜ、失敗した理念が勝利し続けるのか?
ポランニーの問いは現在もなお生きています。
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https://twitter.com/ystt/status/635059255674978304
「マドリックはシンプルでエレガントな理論よりも、 国により時により異なる『汚い理論』の構築に挑むという社会理論の王道を歩めと経済学者に求めているが、それには数式を振りかざせば知的と感じるような幼児性や教科書を講じてポストを得るという既得権を捨てるだけの勇気と教養が必要である。」
投稿: 21世紀 | 2015年8月23日 (日) 22時05分