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2015年8月20日 (木)

ブラックバイトが問いかけるもの@『労基旬報』2015年8月25日号

『労基旬報』2015年8月25日号に「ブラックバイトが問いかけるもの」を寄稿しました。

タイトルから想定される中身よりも、数段皮肉の効いたものになっているのではないかと思います。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roukijunpo150825.html

 2012年に今野晴貴『ブラック企業』(文春新書)が刊行されて以来、労働論壇の注目トピックはブラック企業問題でしたが、最近そこにブラックバイトという言葉が付け加わったようです。今年4月に刊行された大内裕和・今野晴貴『ブラックバイト』(堀之内出版)も話題を呼び、厚生労働省も今年3月には「アルバイトの労働条件を確かめよう!」キャンペーンを実施し、6月には 「アルバイトの労働条件」について労働基準局長と大学生の座談会が開催されるなど、政策課題としても注目されつつあります。

 ブラックバイトとは、「学生であることを尊重しないアルバイト」と定義されます。具体的には、学生に対して拘束力が強まり、試験前や試験期間にテスト勉強ができないとか、講義やゼミをアルバイトのために欠席してしまい、単位を落としてしまうといった事態が頻発しているというのです。

 この問題を特集している『POSSE』27号によると、ブラックバイトとは(a)職場への過剰な組み込み、(b)最大限安く働かせる、(c)「職場の論理」に従属させる人格的支配からなるということですが、これは今までの日本型雇用システムにおける正社員に適用されるロジックと非正規労働者に適用されるロジックの奇妙な組合せになっていることがわかります。

 しかし、筆者も含めた上の世代には、こうした最近のアルバイト事情はなかなか伝わりにくいようです。なぜブラックバイト問題が上の世代に伝わりにくいかというと、上の世代にとってはブラックではない学生バイトが当たり前だったからです。かつては、学生の都合に合わせてシフトを調整するという企業が当たり前であったのです。ところが、それが大きく変わってしまいました。

 実は、これはアルバイトと並ぶ伝統的非正規労働形態であるパートタイマーにおいて先行して起こった非正規労働の基幹化という事態の、文脈を異にした再現という面もあるのではないかと思われます。

 ただし、パートの場合は、主婦が片手間にパートをしている→パートの仕事が基幹化して肝心の主婦業がおろそかになっている、ケシカラン・・・という主婦モデルからの批判が主流化する方向には行かず、パートといえどもれっきとした労働者だ→パートの仕事が基幹化してきたのなら、それに応じた処遇にしろ・・・という労働者モデルからの批判が主流化する方向に行きました。そして、家事育児といったそれまで主婦の「本業」と考えられていたことどもについては、(もちろん社会意識は必ずしもそうなっていませんが)労働者みんなにとってもその間のバランスを取られるべき問題であるというWLBモデルが主流化していきます。

 また、いわゆるフリーターの場合は、主婦や学生といった社会学的「本業」がないだけに、より直裁に、かつての臨時工をめぐる議論に近い形で、労働者モデルからの批判がされました。

 これに対して、ここに来て改めて学生という社会学的「本業」とのコンフリクトが前面に出てくる形で非正規労働者の基幹化がクローズアップされてきたわけです。

 とすると、目の前の様々な問題を一旦括弧に入れて、マクロ的にものごとの推移を考えれば、
・学生が片手間にバイトをしている→バイトの仕事が基幹化して肝心の学生業がおろそかになっている、ケシカラン・・・という学生モデルからの批判
・バイトといえどもれっきとした労働者だ→バイトの仕事が基幹化してきたのなら、それに応じた処遇にしろ・・・という労働者モデルからの批判
という二つの方向性があることがわかります。現時点では、この両方の流れが入り交じっています。

 主婦モデルが(意識は別として)政策レベルでは過去のものになりつつあるのに対し、学生モデルは現在でもなおかなりの正統性を持っています。だからこそ「学生であることを尊重しないアルバイト」という単純明快な定義がされるわけです。「主婦であることを尊重しないパート」がブラックパートだなんて言ったら、アナクロニズム扱いされるのとは違います。

 しかし、私はむしろそこにブラックバイト現象を根っこのところで生み出している問題点があるように思います。それは、そんなに大事な大学の授業って、ほんとにそんなに大事なの?という肝心要のところで、実は必ずしもそうだと思われていない、とりわけ人文社会系の学部ではそういう傾向が強いという、みんなうすうすわかっている問題です。その背景にはもちろん、中身は空白の石版でも、働く意欲だけは満々であることが求められる「就活」があるわけです。そこまで踏み込まないでこの問題を議論しても、表層的な議論にとどまっている感をぬぐえないところがあります。

 やや先走って言うと、学生が大学で受ける授業とコンフリクトのない正しい就労形態というのを追求していくと、それこそドイツのデュアルシステムとか、アメリカのインターンシップモデルのような産学連携型の学習と労働の組み合わせという方向にならざるを得ないのではないでしょうか。しかし、それこそ人文社会系の大学の先生方から口を揃えて非難囂々の政策なのです。

 

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