大沢・竹中「論争」について
あんまりこのトピックに深入りする気はないのですが、金子さんが気合いを入れて突っ込んできているので一言だけ。
http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-398.html(再び竹中恵美子先生の著作をめぐって)
まあ、しかし、私は竹中恵美子を読もうとは思っても、自分から『家父長制と資本制』を再読しようとは思わないですし、大沢さんの『企業社会を超えて』もそうですね。今、ちょっと読み返してみたら、やっぱり古いなと感じました(竹中先生ほどではないにしても)。今、読むなら、やっぱり『生活保障のガバナンス』ですよ。これ、大沢先生の中で一番じゃないかなと思います。
それは『生活保障のガバナンス』は1年半前に出たばかりなので湯気が出るくらいホットなのは当然ですが、『企業社会を超えて』だって、たとえば内閣府の男女共同参画会議の今の議論にもっていってもまだ通用する程度には湯気が立っています。最近はあまり読む人はいないのかも知れないけれど、ジェンダー派の社会政策論で一冊挙げろと言われたら、やはりあまりほかにないように思います。
それから、
濱口先生も言及されている大沢さんの竹中批判については完全に的外れで、その昔、大河内先生の型論が批判されたときとまったく同じパターンの理解不足ですから、これを仮に論争と呼ぶならば、完全に竹中先生の勝ちです。
勝ちも負けも、あれはそもそも炎上狙いの難癖であって、その目的は、女のくせにマルクスとかよく勉強してよくやっとるわい、と、どうせ女のことなんか特殊理論だと思って高みから見ていた古めかしい男どもにがつんを一発食らわせることにあり、そのためにそれまで女子労働論の代表だった竹中さんを公衆の面前で殴りつけてみせた、ということなのではないかと。
« 「定年制」戦時体制に源 | トップページ | マル経の枠組みで現状分析に苦闘する »
私もあんまり深入りするつもりはなかったんですが、やはりアカデミズムにはアカデミズムの仁義もございますので。
投稿: 金子良事 | 2015年8月11日 (火) 15時20分