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2015年8月19日 (水)

職業教育忌避の原点は戦時期の記憶

金子良事さんつぶやいて曰く

https://twitter.com/ryojikaneko/status/633555635506819072

戦時期の本を読んでたら、まあ、戦後教育の人たちが職業教育を嫌ったのも分かった気がした。あれは完全にマンパワーポリシーへの反発だよね。そりゃ、清水義弘(の政策)が生理的に嫌われるわけだわ。

いやだから前からそう云うてます。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/kikan242.html(「職業教育とキャリア教育」 『季刊労働法』242号)

戦時下には1941年に国民学校高等科に必修として実業科をおき、これを高等科教育の根幹としました。また、中学校、高等女学校では芸能科及び実業科がおかれました。しかし、戦争が激しくなると、実業教育的学習は勤労動員の中に吸収されてしまいました。これが戦後非難の的になり、勤労に対する拒否反応が強く、普通教育における実業教育の伝統を正当に評価できなくなってしまいました。

その結果、戦後も

戦後、新制中学校では、国民学校高等科の実業科を受け継いで必修教科として職業科をおきました。これは農業、工業、商業、水産、家庭の諸科目と職業指導を合わせ、一般教育、職業指導及び職業準備の3つの目標を持つものとして設けられました。ところが、この趣旨は理解されず、ほとんどなおざりとなり、混乱と不振を極めました。そこで、1951年には職業・家庭科として生活技術学習とされました。その後、1962年からは技術・家庭科として、男子向けには工業中心の内容、女子向けには家庭科中心の内容となりました。職業指導的側面は教科からは消え、進学指導とともに「進路指導」とされ、学級活動の一部となってしまったのです。

 さて、戦前から女子については小学校及び中等学校レベルで裁縫と家事が必修とされており、戦後の高等学校でも家庭科が必修とされてきました。女子差別撤廃条約の批准を契機として、1989年の学習指導要領の改正によりようやくこの男女差別が解消されました。これはすべての男女生徒に職業人教育を課すようにするためのいい機会でしたが、家庭科関係者の反対で実現しませんでした。

ということになってしまったわけです。

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