マル経の枠組みで現状分析に苦闘する
金子良事さんが始めた時ならぬ竹中恵美子系社会政策の話ですが、ねずみ王様からこんなツイートがついて、
https://twitter.com/yeuxqui/status/630606761158799364
マル経の枠組みで現状分析に苦闘するというのは、ぼくのひとまわり上ぐらいの世代までは残存していたスタイルだった。読むとたしかに達成も蓄積もあるのだが言語的障壁が高い。ある世代は、マル経的価値論の枠内からの離脱にかなりの負荷がかかっているのだが、その意味は理解しがたいものでもある。
実は、先日ある本を読んだばかりだったので、私も全く同じ感想を抱いていたところだったのです。それは、中川スミ『資本主義と女性労働』(桜井書店)という本で、
http://www.sakurai-shoten.com/content/books/088/bookdetail.shtml
フェミニストによる経済学批判と切り結んで、経済学とジェンダー、女性雇用、家事労働、労働力の再生産、性別賃金格差、「家族賃金」思想など、女性労働問題の核心を追究。
66歳で急逝した『資本論』研究者の女性労働論集。
えっ?「フェミニストと切り結んで・・・」ということは、フェミニストの敵側?というと、書いていることのかなりの部分は、その論敵(?)とよく似ていて、正直あまり見分けがつかないのです。ある一点を除けば。
- 序章 経済学とジェンダー:家事労働・労働力の価値・「家族賃金」
- 第1章 家事労働と資本主義的生産様式:私的・無償労働としての家事労働の性格づけをめぐって
- 第2章 女性労働問題の「特殊性」をめぐって:大沢・竹中論争の意味するもの
- 第3章 「家族賃金」イデオロギーの批判と「労働力の価値分割」:家族単位から個人単位への労働力再生産機構の変化
- 補論 大沢真理さんのコメントに答えて
- 第4章 日本型企業社会における女性の労働と家族
- 第5章 ジェンダー視点から見た賃金論の現在:マルクスはどう読まれてきたか
- 第6章 女性の雇用労働者化と「家族賃金」思想:「労働力の価値および価値分割」論をどう理解すべきか
- 第7章 賃金理念をめぐって:労働総研報告書「均等待遇と賃金問題」が提起したもの
その一点、というのは、おそらくこれが1942年生まれの著者と私の間の世代差の所以かも知れませんが、そのフェミニスト風の議論の一つ一つにこれでもか、これでもか、というくらい、マルクスの資本論の典拠を一生懸命もってきて、それによってその議論の正当性を論証しようと努力し続けている点なのですね。
そして、これまた大変皮肉なことに、この本で、内容的に論敵として批判の対象になっているのは、実はもっぱら正統派のマルクス主義者たちなんですね。これは前にもちょっと書いたことがありますが、戦時中からの家族賃金論を経済学的に正当化したのはマルクス経済学者たちによる「同一労働力同一賃金説」で、女房子供の生活費まで含めて成人男子労働者の労働力の『価値』なんだからそれだけよこせ、という議論ですね。この中川さんの本を読むと、1990年代になってもそういう議論で中川さんを批判する学者が結構居たようです。
いや、何が言いたいかというと、そういう議論の中身では完全にマル経学者たちと正反対で、フェミニストたちとほぼ同じ議論をしている中川さんが、議論の枠組みというか、立て方の作法としては、徹頭徹尾マルクスの資本論のここにこう書いてあるから正しいんだ、という議論の仕方を貫いているのです。
なんでそこまでマルクスなんていうひげのおっさんに操を立てなければいけないかがよくわからない、という素朴な感想を抱いていたところなので、ねずみ王様の感想がぴたりときた感じです。
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