言葉の運命
面白いことに、わたくしがこねて作った言葉のうち、「りふれは」(≠「リフレ派」)は、わりと私が意図した意味で使われることが多くなったようです。もちろんそれは、ネット上での著名な「りふれは」(≠「リフレ派」)諸氏の様々な言動のしからしむるところであって、それら言動を目の当たりにした人々がその印象を言い表すのに「りふれは」(≠「リフレ派」)という用語がぴったりしたということなのでしょう。
これと対照的なのが、それ以前から結構気の利いた言葉だと思ってこねて作ったつもりの「リベサヨ」が、
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%EA%A5%D9%A5%B5%A5%E8
リベラル左派。左派を自任しながら国家権力の介入を嫌悪するあまり新自由主義(ネオリベラリズム)に近づく層。濱口桂一郎の造語。
現実のネット界では、99.5%以上全く違う意味で使われてしまっていて、「リベサヨ」の「リベ」が「ネオリベ」ないしヨーロッパ諸語でいうところの「ソーシャル」の反対語としての「リベラル」の「リベ」であると正しく認識して使っている方はほとんど見当たらない(「ふくろうおやじ」さんくらいか)、という状況です。
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