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2015年7月30日 (木)

東大社研の公募に思う

東京大学社会科学研究所が人材公募をしているようですが、

http://jww.iss.u-tokyo.ac.jp/recruitment/recruit150925.html

1.募集対象 准教授1名

2.所  属 比較現代経済部門

3.専門分野 労働経済(労使関係論、人事管理論などを含む)

4.着任時期 2016年4月1日(予定)

そういえば、あの氏原門下が膨大な労働調査をやってきた東大社研に、いま労使関係論や人事管理論の専門家って何人いたっけ?と思って調べてみたら、

http://jww.iss.u-tokyo.ac.jp/division/index.html

理論的に攻める労働経済学の方はいますが、現場の現実にとことんへばりつく労使関係論とか人事管理論の方って、ものの見事に、ただの一人もいらっしゃらなくなっていたようです。

そうか、あの東大社研に、氏原正治郎の衣鉢を受け継ぐ人はいなくなってしまったんだなぁ、と、しみじみ物思う人もおられるのではないでしょうか。

(念のため)

いやですから、労働経済学者はもう十分すぎるくらい足りているんだから、どぶ板を這い回るような労使関係論の人を採用しなくちゃ、社研の意味がないんじゃないんですか?といいたいわけです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-2ae9.html(どぶ板の学問としての労使関係論)

本日、某全国紙の記者の方と3時間くらいお話をしておりましたが、その中で、「どうして労働研究者の人はそういうことをいわなかったのですか」という話が出て、いささか個人的な見解を披瀝してしまいました。

それは、本来労働問題というのはどぶ板の学問である労使関係論が中心であって、それに法律面から補完する労働法学、経済面から補完する労働経済学が、太刀持ちと露払いのごとく控えるというのが本来の姿。

これはちょうど、国際問題というのもどぶ板の学問である国際関係論が中心であって、それを国際法学と国際経済学が補完するというのと同じ。

国際問題を論ずるのには、まずは現実に世界で何がどうなっていて、それは歴史的にどうしてそうなってきたのかという話が先であって、それをすっとばして国際法理論上どうたらこうたらという議論はしないし、国際経済理論的に見てこうでなければという話にもならない。それは理屈が必要になって、必要に応じて使えばいいもの。それらが先にあるわけではない。

そんなことしてたら、何を空理空論からやってるんだ、まずは現実から出発しろよ、となるはず。どぶ板の学問の国際関係論が、アカデミックなディシプリンとしてははっきり言っていいころかげんな代物であるとしても、やはり出発点。

ところが、労働問題は国際問題と異なり、その中心に位置すべき労使関係論が絶滅の危機に瀕している。空間的、時間的に何がどうなっているのかを知ろうというどぶ板の学問が押し入れの隅っこに押し込まれている。そして、本来理屈が必要になっておもむろに取り出すべき労働法学や労働経済学が、我こそはご主人であるぞというような顔をして、でんと居座っている。

そういう理論が先にあるアカデミックなディシプリンの訓練を受けた人ばかりが労働問題の専門家として使われるという風になってしまったものだから、今のような事態になってしまったという面があるのではないか、と思うのですよ・・・。

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コメント

このあたり、90年代以降の大学改革における研究者のキャリアパスの不安定化がからんでいるのではないかと思います。

「どぶ板の学問である労使関係論」を真面目にやれば手間がかかるし、なかなか成果が出ない。そうすると学位もとれず、アカポスにもつけず、当該分野の研究者が減少して研究自体が衰退してしまうという悪循環にはまりこんでいるのではないでしょうか。特に英米とのシステムの違いを無視して博士号取得をアカポス獲得の条件にしてしまえば、研究者の雇用市場が供給過多な状況の下で、机上の議論でさっさと論文が量産できる分野ばかりが盛んになるのは必然でしょう。このような
ことは労使関係論以外の分野でも起こっているように思われます。

よく言われるように、研究は長い目で評価する必要がある。そのためには余裕をもって長期的視野から研究に集中できる環境が必要です。しかし、学術研究へ投入できる資源が限られている状況では一部の優秀な人間に絞り込んでそのような環境を保障するしかありません。大学院拡大はそれを困難にしてしまったのでしょう、大学の無責任な行動が自らの研究基盤を掘り崩したのです。自治能力のない人間に自治などやらせてはいけない。

新たに導入される予定の卓越研究員制度はこのような事態への対応なのでしょう。しかし所詮弥縫策としか思えません。提案者がアメリカの大学の在り方を理想としているのも大きな問題です。日本でアメリカのマネをすれば失敗するともはやいい加減学習すべきでしょう。

抜本的に研究者養成システムの在り方、研究者のキャリアパスの在り方をデザインしなおす必要がある。少なくとも文系については教養部を復活してそこに大量のポストを確保するのがよいと思うのですが。。。

>。大学院拡大はそれを困難にしてしまったのでしょう、大学の無責任な行動が自らの研究基盤を掘り崩したのです。自治能力のない人間に自治などやらせてはいけない。

大学院拡充は政府・文科省(文部省)の政策ではなかったでしょうか。

>大学院拡充は政府・文科省(文部省)の政策ではなかったでしょうか。

かつて、こちらのコメント欄に書かせていただきましたが、

経済学部の職業的レリバンス(再掲)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-e54a.html
文部省が進めた大学院倍増計画は理系の修士を想定したもので、文系の大学院拡大は考えられていなかった。しかし大学側が安上がりな文系の大学院の乱造に走ったというのが実態のようです。
計画に関わった潮木守一氏の証言
「大学院倍増計画の実相」
http://ushiogi.com/inbaizou.pdf
「しかし「倍増計画」という言葉がたちまち一人歩きするようになった。あたかもどの分野も単純に一律倍増を答申しているように理解されたが、実際はそうではなかった。理工系大学院は積極的拡大が必要だったが、文科系大学院の場合には拡大の必要性は低かった。
むしろ既存の収容定員を削減しなければならないかもしれない恐れさえあった。分野ごとのアンバランスは明確であった。
しかし国の立場からすれば、ある分野は拡大させ、ある分野は縮小するといった、分野限定的な施策を打ち出すことはできない。そこで結論的には、大学院全体を大括りにした倍増する必要があるとする基本方向を示すにとどまった。もともとすべての分野を均等に倍増するといった考え方はまったくなかった。ところで国の立場からは直接定員管理を行えるのは、国立大学だけである。私立大学の大学院新増設に対しては「準則主義」が原則であり、提出される計画が基準を満たしている限り、それを認めるのが基本的な立場であった。つまり大学院卒業者の需給アンバランスは、私立大学それ自身の責任で考えるべき問題で、かりにある分野での需給アンバランスがおきたとしても、国の関与すべき問題ではなく、各大学院が自主的に判断すべき課題とされていた。」

少なくとも文系大学院の肥大化には大学側の無責任、ガバナンス能力の欠如が大きかったのは否定できないでしょう。もちろん文科省の責任も否定できません。権限が乏しいとはいえ、もう少し調整できなかったのかと思いますし、最近の新国立競技場の件といい、仕事が杜撰すぎます。コントロールできないなら大学院拡大なんて最初から言うべきではなかった。

潮木守一氏いわく
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2010/01/report-morikazu-ushiogi-the-un/
「博士修了者の大学への就職について、その全容を調査し把握する機関が日本にはないことが問題だと指摘。文科省はそうした機関を率先してつくらないだろうから、大学の連合で手を打たなければならない」とのことですが、フランスでは大学審議会が大学教員の人事をコントロールするという話からしても、研究者の人事や人材マネジメントについて、各大学に任せず、ある程度中央集権的に規律する必要があるように思います。もちろん、政府が直接コントロールするのは学問の自由の観点から問題があるでしょうから、研究者によって構成された中立的な機関が行うべきでしょう(学術会議とか?)。

卓越研究員はそのような観点からは一応の評価ができますが、今後の大学改革と併せて、抜本的なシステム改革が必要だと思います。

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