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2015年7月28日 (火)

小森陽一・成田龍一・本田由紀『岩波新書で「戦後」をよむ』

S9011小森陽一・成田龍一・本田由紀『岩波新書で「戦後」をよむ』(岩波新書)を、著者の一人である本田由紀さんからお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1507/sin_k841.html

戦争が終結して七〇年,日本の何が変わり,何が変わらなかったのか.戦後の知は何を問うてきたのか.時代の経験と「空気」が深く刻み込まれた二一冊の岩波新書を,文学者・歴史学者・社会学者が読み解くことで,今を生きる私たちにとっての「戦後」の意味を塗り替えていく.現在と歴史の往還の中で交わされた徹底討議!

全体の本の選び方については後ほど。ここではまず、本田さんが報告者になっている教育・労働・社会関連の本から、まず熊沢誠さんの『女性労働と企業社会』と湯浅誠さんの『反貧困』が選ばれているのはいかにもという感じです。ただ、この辺は「戦後」というよりむしろ「現代」そのものであり、「「戦後」をよむ」のとは違うという感じがします。

読んでおらず(、というよりそもそもそんな本があることも知らず)、本書を読んでなるほどと思ったのは、1970年の田代三良『高校生』で、本田さんがこっぴどくやっつけているこの感覚が、半世紀近く経って、今度は大学生を相手に再演されている姿を背景に読むと、なかなか味わい深いものがあります。

・・・本書はそういうエリート性がどんどん失われて大衆化していく高校教育の状況に対して、非常にエリート志向の強い教師が苦々しい憤懣のようなものを吐露している本だと認識します。著者の田代三良は1918年生まれ、1941年に東京大学文学部を卒業し専門は国文学、卒業後は都立高校の中でも進学校として名高かった戸山高校の教諭を長い間続け、名物教師と言われていた。・・・私自身は、自らの研究上の立場からしても、このような見解が当時の高校に対するある種標準的なまなざしであったことに対して、残念な気持ちを持たざるを得ない。これほど義務教育に準ずるような形にまで発展していた高校教育を、卒業後の社会との接続という目で捉えることができず、過去の非常に理想主義的な教育が最善であるという閉じられた観点からしか見ることができなかった古き知識人が教員を務めていたことの、日本の高校にとっての不幸をしみじみ思います。

この発言の「高校」というところを「大学」に置き換えれば、ほとんど何の修正もなしに、昨今の職業大学構想に対するdisりに没頭する「古き知識人」に対する批評の言葉になるはずですが、なぜか鼎談はそういう方向に行きませんね。現在の観点から過去の本を読み直すというのなら、当然そういう視点になって不思議ではないように思うのですが。

というか、実は本書を通読して違和感を感じたのは、こういう企画って、(現在からは批判の対象である)過去の文脈で書かれた本を過去の文脈と現在の文脈を交錯させながら読み解くということなのではないかと思うのですが、そういうのが歴然と出ているのはむしろこの『高校生』くらいであって、タイトルは『岩波新書で「戦後」をよむ』となっているけれども、ここで読まれている「戦後」は、実は現在の観点からその源流として評価されるべき(と考えられた)本を選び出しているのではないか、という疑問だったのです。これはとりわけ戦後の前期の本についてそう感じます。

私はある意味で確かに岩波新書がそのときどきの「戦後」を示していたと思いますが、その「戦後」とは、たとえば岩波新書の青版目録を見れば分かるように、

http://seesaawiki.jp/bookguide/d/%b4%e4%c7%c8%bf%b7%bd%f1%28%c0%c4%c8%c7%29%a1%a7No.1~500

現在の時点で小森さんや成田さんも積極的に評価しがたいけれども、とはいえね・・・というようなクラシックな左翼系の本や高踏的な知識人の本が多かったわけで、本書で選ばれているのは、どちらかというとその時点ではむしろ非主流的であった、それゆえにむしろ半世紀後に今日の問題意識の源流として評価するんだ、みたいな本になっています。

それでは、しかしながら「岩波新書で「戦後」をよむ」ことになっていないんじゃないか、というのが、私の違和感なんです。まさに本田さんがdisりにdisっている田代三良『高校生』みたいな、その当時は進歩的知識人の典型的な言説で、日教組も大いに応援していたけれども、今になってみたら何と無残な言説だったことよ・・・・というような本が、残念ながら本書にはほかに登場してきません。しかし、そういう本が岩波新書の絶版目録にはいっぱい並んでいることも確かなのですね。

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そういう絶版書こそ電子化し、低価格で入手できる便を図ることで、生き長らせるようにすることが、出版社の社会に対する貢献だと思うのです。

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