『人事実務』2010年9月15日号
「勤務間インターバル規制とは何か?」 濱口桂一郎
はじめに
2009年春闘と2010年春闘において、情報労連は勤務間インターバル規制の導入に向けた取組を行い、同傘下の通建連合(全国情報・通信・設備建設労働組合連合会)は、いくつもの加盟組合において実際に勤務間インターバル規制を盛り込んだ協定の締結に至った。昨年7月刊行の拙著『新しい労働社会』(43頁)でもその意義を述べたが、本稿ではその具体的な取り組み経過と制度の内容を紹介し、その考え方の源流であるEUにおける休息期間規制について解説を加えたい。
1 情報労連傘下組合の締結した勤務間インターバル協定
情報労連は、2009年春闘において、「可能な組合は、超過勤務実施時における翌勤務開始時とのインターバル規制などの導入に向けた労使間議論を促進する」という方針を掲げ、2010年春闘では「労働の終了から次にの労働の開始までの休息時間の確保を図る観点から、勤務間のインターバル規制について積極的な労使間議論を行うとともに、可能な組合においては協定の締結を図る」と踏み込んだ。これを受けて、ほとんどの加盟組合で労使間議論が行われてきているが、現時点で協定の締結に至っているのは通建連合傘下の諸組合である。以下、通建連合の資料に基づき、昨年と今年の取り組みを見ていこう。
2009年春闘において通建連合は、①1日における時間外労働の最長期間を7時間以内とする、②時間外労働終了時から翌勤務開始時まで最低でも8時間の休息時間を付与する、③休息時間が勤務時間に食い込んだ場合は勤務したものとみなす、ことを盛り込んだ制度の締結を目指した。
その結果、通建連合傘下の東北情報インフラユニオンが関係会社7社との間で、休息時間を8時間とする協定を、2社との間で非拘束時間を10時間とする協定を、それぞれ締結した。いずれも、この場合の勤務時間が当該勤務日の勤務時間に満たない時間については勤務したものとしている。また1日の時間外労働の上限は7時間としている。
さらに同じく通建連合傘下の九州情報通信設備建設労働組合は関係会社2社との間で、昼夜連続業務は原則行わないこととしつつ、業務上の必要により行う場合には、安全面・疲労回復等の時間を総合的に勘案し、業務終了時(帰社時間)から必要時間(8時間+通勤時間)後に出社とする協定を締結した。
2010年春闘では東北情報インフラユニオンがさらに2社との間で休息時間を8時間とする等の協定を締結している。
このように、勤務間インターバル規制はいまだ情報労連の中でも大規模に普及するに至ってはいないが、傘下のほとんどの組合において労使間論議が行われており、要求に対して拒否の回答だけではなく、引き続き労使間で協議を継続するとしている交渉単位も多いという。この制度の実現を掲げて協議交渉を行っている労働組合はまだその例が他にないだけに、今後のさらなる取り組みが期待されるところであるし、他の産業別組織においても、とりわけ無制限な長時間労働によって労働者の心身の健康が損なわれる危険性の高い分野においては、情報労連の取り組みを踏まえて、それぞれに検討を重ね、労使間の議論につなげていくことを期待したい。
2 EU労働時間指令における休息期間規制
ここで、勤務間インターバル規制の発想のもとになったEU労働時間指令の概要を見ていこう。EU加盟国はすべてEU指令の内容を国内法として規定する義務を負っており、これらはEU諸国における共通の基準となっている。
現在のEU労働時間指令は、1993年に制定され、2000年に一部改正されたものである。その制定根拠は、労働者の健康と安全を保護すべきとのEC条約第137条にあり、指令前文第4項では「職場における労働者の安全、衛生、健康の改善は、純粋に経済的な考慮に従属すべきでない目的である」と明記している。従って、指令のどこにも賃金に関わるような規定はない。賃金をどうするかは労使が決めることであって、労働時間指令の関わり知るところではない。労働時間の上限をまったく制限せず、割増賃金というゼニカネしか関知しないアメリカの公正労働基準法とは全く重なるところのない法制というべきであろう。これを同じ労働時間法制と呼ぶこと自体が間違いとすらいえる。
その主な内容を箇条書きにすると、
①1日の休息期間:24時間につき最低連続11時間の休息期間を求めている。これを裏返せば、1日につき休憩時間を含めた拘束時間の上限は原則として13時間ということになる。
②休憩時間:6時間を越える労働日につき休憩時間を設けることを求めているが、その時間や条件については国内法や労使協定に委ねている。
③週休:7日毎に最低連続24時間の休息期間プラス上の11時間の休息期間(従って連続35時間の休息期間)を求めている。なお、算定基礎期間は最高14日とされているから、2週間単位の変形休日は許容される。
④週労働時間:7日につき、時間外労働を含め、平均して、48時間を越えないことを求めている。算定基礎期間は最高4カ月とされているので、4カ月単位の変形労働時間制は許容される。
⑤年次有給休暇:最低4週間の年次有給休暇の付与を求めている。
⑥夜間労働者の労働時間:24時間につき8時間以内とされているが、危険業務以外は変形制が認められている。
⑦夜間労働者の保護:就業前及び定期健康診断、健康問題を抱える労働者の昼間労働への転換なども求められている。
週労働時間の上限が48時間というようなところを見て、「日本より緩いではないか」と思ったら大間違いである。これは「時間外を含め」た労働時間の上限なのである。EUの労働時間規制は、それを超えたら残業代がつく基準などではない(それは労使が決めるべきものである)。それを超えて働かせることが許されない基準なのである。変形労働時間制が認められているが、これも日本のように変形制の上限を超えたら残業代がつくだけのものとは違い、上限を超えることを許さないものである。
何よりも重要なのは、これが労働者の健康確保のためにいかなる規制が必要かという観点から規定されているという点である。日本では割増率のみが規定されて実体的な規制が全くない夜間労働についても、労働時間そのものが規制されているし、何よりも日本に全く存在しない休息期間という概念が、指令本則の筆頭に位置づけられていることが重要である。
ちなみに、EU労働時間指令についてよく語られるのがオプト・アウトである。これはもともと、指令制定時にイギリス政府が要求して導入させたものであるが、上の④の週48時間労働の特例規定である。これによると、加盟国は次の要件を充たせば週48時間労働の規定を適用しないことができるとされている。具体的には、
(i) 使用者は、あらかじめ労働者の同意を得ている場合にのみ、4カ月平均週48時間を越えて労働させることができる。
(ii) 労働者が(i)の同意をしないことを理由にして不利益取り扱いをしてはならない。
(iii) 使用者は48時間を越える全労働者の記録を保存しなければならない。
という3点である。
日本でも誤解している人がたくさんいるのだが、これは残業代の支払いを免除するホワイトカラー・エグゼンプションとは何の関係もない。純粋に物理的な労働時間規制(週48時間という絶対上限)を外れるための制度であって、賃金制度とは何の関係もないのである。むしろ、日本の36協定の仕組みを個別労働者ごとに変えたようなものと言えるかもしれない。
ただ、この制度を導入したイギリスではいろいろと問題が生じている。最大の問題は、雇用契約を締結する際に使用者がオプトアウトにサインすることを要求し、労働者としてはこれを受け入れざるを得ないという状況が蔓延したことである。
ただ、忘れてはならないのは、そういうイギリスにおいても、1日11時間の休息期間の規定はちゃんと存在し、これによって時間外労働に絶対上限があるということである。日本のように無制限の長時間労働を野放しにしているわけではない。
このように、EU労働時間指令の特徴は「休み」の概念をその中心に据えている点にある。④の週労働時間の上限48時間は欧州委員会の原案には含まれておらず、欧州議会の修正によって追加された項目であり、その意味では、原案は1日、1週、1年の「休み」を骨格とする規制体系であった。④が追加されたことでその点がややぼやけたとはいえ、イギリスをはじめとする諸国で適用されているオプトアウトに対するセーフティネットが、今のところこの休息期間規制による週拘束時間の絶対上限78時間(7×24-(6×11+24)=78)であるということも考えれば、なおその重要性は極めて高い。ちなみに、1日の休息期間が最低11時間ということは、厳密に言えばある日の拘束時間がどうしても伸びて13時間を超えることはあり得るが、その日の労働時間終了時刻から11時間後でなければ次の日の労働時間が始まることはないという仕組みである。
3 日本の労働時間法制における休息期間規制
現在に至るまで日本の労働時間に関わる法律に「休息期間」という概念は存在していない。ただ、自動車運転者の労働時間改善基準(現在は大臣告示)の中にこの概念が用いられているだけである。
しかし、その前に問題の本質から考えて休息期間規制とほぼ同じ役割を果たしうる規制という意味で、1日単位の絶対的労働時間規制を振り返っておく必要がある。今日の労働基準法が、1日8時間にせよ1週40時間にせよ、単にそこから割増賃金がつき始める基準時間としての意味しか持ち得なくなっているのに対して、戦前の工場法においては、女子年少者のみがその対象であったとはいえ、就業時間(休憩を含む拘束時間)の上限を12時間(後に11時間に改正)に規制しており、36協定のような恒常的例外措置は認めていなかった。これは1日12時間ないし13時間の休息期間規制とほぼ同じ効果をもたらす。
戦後の労働基準法の下においても、1日8時間労働といいながら成人男子については36協定により無制限の時間外休日労働が可能になってしまったが、成人女子については1日2時間、1週6時間、1年150時間という上限を設定した。すなわち成人女子については1日の労働時間の絶対上限が10時間であり、1時間の休憩を加えても拘束時間の上限は11時間であった。これも1日13時間の休息期間規制とほぼ同じものといえよう。
ところが、男女雇用平等立法の影響で、これら女子保護規定は段階的に撤廃され、現在は女性労働者も男性と同様、拘束時間に物理的上限がない状況、言い換えれば休息期間規制のない状況におかれている。男女平等はいうまでもなく絶対不可欠の要請ではあるが、それが男女共通の際限のない労働時間を正当化するわけではないはずである。
こうして、現在工場法的意味の絶対上限は、原則1日8時間、変形制で1日10時間という形で、18歳未満の年少者についてのみ残っている。これが逆にいえば、現在の成人労働者に休息期間規制を必要とする理由でもある。
さて、自動車運転手の労働時間規制については、1967年の「2・9通達」、1979年の「27通達」、1989年の大臣告示第7号「自動車運転手の労働時間等の改善のための基準」という形で一定の規制を行ってきているが、特に1979年にILO条約第153号(路面運送における労働時間及び休息期間に関する条約)の影響を受けて、拘束時間と休息期間を中心とする規制体系となっている。しかし、他分野への影響はほとんど見られない。
4 今後の展望
情報労連が掲げる勤務間インターバル規制の考え方は、労働者の疲労回復、健康確保という観点からも、より広いワーク・ライフ・バランスという観点からも、同じような長時間労働の問題を抱える他の業種においても重要な意義を有すると思われる。これまで労働時間短縮といいながら、所定労働時間の短縮によって結果的に時間外労働が増えたり、時間外割増率を引き上げることによっても必ずしも長時間労働の是正につながらなかったり、というように、真の意味での実労働時間規制になってこなかったことを考えれば、これこそ今後の労働時間政策の本筋というべきであろう。他の産別組織や、とりわけむしろ企業の人事担当者の側が、この問題意識をしっかりと認識し、労働者が長時間労働でへとへとになって生産性が低迷するようになる前に、積極的に取り組んでいくことを期待したい。
それとともに、公的な労働政策としても、そろそろ労働時間規制といいながら実際には賃金をめぐる綱引きにしかならないような割増率引き上げ政策ではなく、物理的な実労働時間ないし拘束時間/休息期間を正面から政策対象とする方向に転換するべき時機が到来しているのではなかろうか。拙著で述べたことであるが、近年の日本の労働時間をめぐる議論は、名ばかり管理職問題にせよ、サービス残業問題にせよ、ホワイトカラーエグゼンプションにせよ、本来労働者の健康確保、ワーク・ライフ・バランスの観点から論じられるべきことが、ことごとく残業代というゼニカネ話にされてしまい、企業の人事管理に無用な負担をかける時間外労働割増率の段階的逓増のような政策ばかりが実現する一方で、肝心の労働者の健康状況を改善させるための手だてはなんらとられようとしていない。
情報労連が打ち出した勤務間インターバル規制の思想的インパクトは、そういう低次元に低迷している日本の労働時間政策論議に衝撃を与え、まっとうな労働時間政策への道を開く可能性もあるかも知れない。情報労連自身の意図を超えることかも知れないが、筆者としてはそのようなインパクトを期待して、その取り組みを注視していきたい。
こんにちは。日ごろより大いに勉強させていただいております。
今日のこのエントリを読んで、かつて大学受験のときに母と交わした会話を思い出しました。
私「文学部を受ける」
母「小説家になるのかい」
私「あと、政治学科も受ける」
母「政治家になるのかい」
私「…………」
向学心に燃えていた(笑)当時、なんつー俗っぽいことを言うんだ、と反発心を覚えたものですが、案外それは高卒就職した母にとって当たり前のギモンだったのかなー、と今では思います。。。
投稿: いずみん | 2006年4月20日 (木) 22時37分