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2015年7月

2015年7月31日 (金)

千葉商科大学図書館第1回書評コンテスト

Chiba


千葉商科大学付属図書館が学生向けに第1回書評コンテストというのをやっていて、

http://www.lib.cuc.ac.jp/pdf/contest2015/bookreview_contest2015.pdf

その課題図書の一冊に、拙著『若者と労働』(中公新書ラクレ)がはいっています。

1 貧困の中の子ども 下野新聞子どもの希望取材班 ポプラ新書
2 人間の尊厳 林典子 岩波新書
3 若者と労働 濱口桂一郎 中公新書ラクレ
4 日本人はいつから働きすぎになったのか 礫川全次 平凡社新書
5 あなたのTシャツはどこから来たのか? ピエトラ・リボリ 東洋経済新報社
6 田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」 渡邉格 講談社

常見陽平さんの推薦・・・というわけでもないようですが、まあ学生の書評用図書としては手頃ということなのでしょう。

2015年7月30日 (木)

東大社研の公募に思う

東京大学社会科学研究所が人材公募をしているようですが、

http://jww.iss.u-tokyo.ac.jp/recruitment/recruit150925.html

1.募集対象 准教授1名

2.所  属 比較現代経済部門

3.専門分野 労働経済(労使関係論、人事管理論などを含む)

4.着任時期 2016年4月1日(予定)

そういえば、あの氏原門下が膨大な労働調査をやってきた東大社研に、いま労使関係論や人事管理論の専門家って何人いたっけ?と思って調べてみたら、

http://jww.iss.u-tokyo.ac.jp/division/index.html

理論的に攻める労働経済学の方はいますが、現場の現実にとことんへばりつく労使関係論とか人事管理論の方って、ものの見事に、ただの一人もいらっしゃらなくなっていたようです。

そうか、あの東大社研に、氏原正治郎の衣鉢を受け継ぐ人はいなくなってしまったんだなぁ、と、しみじみ物思う人もおられるのではないでしょうか。

(念のため)

いやですから、労働経済学者はもう十分すぎるくらい足りているんだから、どぶ板を這い回るような労使関係論の人を採用しなくちゃ、社研の意味がないんじゃないんですか?といいたいわけです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-2ae9.html(どぶ板の学問としての労使関係論)

本日、某全国紙の記者の方と3時間くらいお話をしておりましたが、その中で、「どうして労働研究者の人はそういうことをいわなかったのですか」という話が出て、いささか個人的な見解を披瀝してしまいました。

それは、本来労働問題というのはどぶ板の学問である労使関係論が中心であって、それに法律面から補完する労働法学、経済面から補完する労働経済学が、太刀持ちと露払いのごとく控えるというのが本来の姿。

これはちょうど、国際問題というのもどぶ板の学問である国際関係論が中心であって、それを国際法学と国際経済学が補完するというのと同じ。

国際問題を論ずるのには、まずは現実に世界で何がどうなっていて、それは歴史的にどうしてそうなってきたのかという話が先であって、それをすっとばして国際法理論上どうたらこうたらという議論はしないし、国際経済理論的に見てこうでなければという話にもならない。それは理屈が必要になって、必要に応じて使えばいいもの。それらが先にあるわけではない。

そんなことしてたら、何を空理空論からやってるんだ、まずは現実から出発しろよ、となるはず。どぶ板の学問の国際関係論が、アカデミックなディシプリンとしてははっきり言っていいころかげんな代物であるとしても、やはり出発点。

ところが、労働問題は国際問題と異なり、その中心に位置すべき労使関係論が絶滅の危機に瀕している。空間的、時間的に何がどうなっているのかを知ろうというどぶ板の学問が押し入れの隅っこに押し込まれている。そして、本来理屈が必要になっておもむろに取り出すべき労働法学や労働経済学が、我こそはご主人であるぞというような顔をして、でんと居座っている。

そういう理論が先にあるアカデミックなディシプリンの訓練を受けた人ばかりが労働問題の専門家として使われるという風になってしまったものだから、今のような事態になってしまったという面があるのではないか、と思うのですよ・・・。

2015年7月29日 (水)

思想信条による採用拒否は最高裁がお墨付きを出している件について

どうもやはり、労働法の割と基本的な常識が世間で共有されていないということが多いのですが、

https://twitter.com/go2_kota/status/626263169871147008

デモ参加で不採用って、内規がなんだろうが法律がアカンといってるでしょう。思想・信条の自由を犯してはならないってのは労基法とかの基本中の基本だったと思うけど…。

https://twitter.com/go2_kota/status/626263446808465408

「デモ参加なんて言語道断!労基法がなんだろうが、内規でアカンと決まっている!」って人はやっぱり安保法案と憲法の関係とかもまるで気にならない人なのかな?

いや、どっちの方々も、まずは労働法の入門書に目を通してからつぶやいた方が・・・・。

有名な、いやホントに、労働法を勉強したと言っていてこの判決を知らなかったらモグリですが、三菱樹脂事件最高裁判決で、日本国最高裁はこう述べています。

・・・・・企業者は、かような経済活動の一環としてする契約締結の自由を有し、自己の営業のために労働者を雇傭するにあたり、いかなる者を雇い入れるか、いかなる条件でこれを雇うかについて、法律その他による特別の制限がない限り、原則として自由にこれを決定することができるのであつて、企業者が特定の思想、信条を有する者をそのゆえをもつて雇い入れることを拒んでも、それを当然に違法とすることはできないのである。憲法一四条の規定が私人のこのような行為を直接禁止するものでないことは前記のとおりであり、また、労働基準法三条は労働者の信条によつて賃金その他の労働条件につき差別することを禁じているが、これは、雇入れ後における労働条件についての制限であつて、雇入れそのものを制約する規定ではない。また、思想、信条を理由とする雇入れの拒否を直ちに民法上の不法行為とすることができないことは明らかであり、その他これを公序良俗違反と解すべき根拠も見出すことはできない

 右のように、企業者が雇傭の自由を有し、思想、信条を理由として雇入れを拒んでもこれを目して違法とすることができない以上、企業者が、労働者の採否決定にあたり、労働者の思想、信条を調査し、そのためその者からこれに関連する事項についての申告を求めることも、これを法律上禁止された違法行為とすべき理由はない。もとより、企業者は、一般的には個々の労働者に対して社会的に優越した地位にあるから、企業者のこの種の行為が労働者の思想、信条の自由に対して影響を与える可能性がないとはいえないが、法律に別段の定めがない限り、右は企業者の法的に許された行為と解すべきである。また、企業者において、その雇傭する労働者が当該企業の中でその円滑な運営の妨げとなるような行動、態度に出るおそれのある者でないかどうかに大きな関心を抱き、そのために採否決定に先立つてその者の性向、思想等の調査を行なうことは、企業における雇傭関係が、単なる物理的労働力の提供の関係を超えて、一種の継続的な人間関係として相互信頼を要請するところが少なくなく、わが国におけるようにいわゆる終身雇傭制が行なわれている社会では一層そうであることにかんがみるときは、企業活動としての合理性を欠くものということはできない。のみならず、本件において問題とされている上告人の調査が、前記のように、被上告人の思想、信条そのものについてではなく、直接には被上告人の過去の行動についてされたものであり、ただその行動が被上告人の思想、信条となんらかの関係があることを否定できないような性質のものであるというにとどまるとすれば、なおさらこのような調査を目して違法とすることはできないのである。

ちなみにこの「思想信条」の具体的な内容は次のようなものです。

被上告人は、東北大学に在学中、同大学内の学生自治会としては最も尖鋭な活動を行ない、しかも学校当局の承認を得ていない同大学川内分校学生自治会(全学連所属)に所属して、その中央委員の地位にあり、昭和三五年前・後期および同三六年前期において右自治会委員長らが採用した運動方針を支持し、当時その計画し、実行した日米安全保障条約改定反対運動を推進し、昭和三五年五月から同三七年九月までの間、無届デモや仙台高等裁判所構内における無届集会、ピケ等に参加(参加者の中には住居侵入罪により有罪判決を受けた者もある。)する等各種の違法な学生運動に従事したにもかかわらず、これらの事実を記載せず、面接試験における質問に対しても、学生運動をしたことはなく、これに興味もなかつた旨、虚偽の回答をした。

もちろん、この判決に対しては労働法学者による批判が多くなされています。しかし、うえの最高裁判決をじっくり読めば分かるように、これは終身雇用制の下で雇用関係が単なる労務と報酬の交換契約ではなく人間的な信頼関係が重要な「仲間」の選抜であるからという理由付けがなされているのであり、そこのところを抜きにして、単純に論じられるようなものでもありません。

最近では例えば水町勇一郎さんが『労働法入門』(岩波新書)において、

S1329・・・フランスで日本の労働法の授業をする時、強い違和感をもって受け止められ、説得的に説明するのが最も難しいのが、労働者の内面の自由より会社の経済活動の自由を優先するこの日本の判例の立場である。多様化が進み、閉鎖的な共同体社会の弊害が大きく顕在化する中、日本の判例を見直すべき時に来ているのではないだろうか。

と述べています。しかし、この議論は、日本の雇用のあり方全般について、共同体的な性格を見直すべきという議論のコロラリーとしてなされているのであって、そこの所だけ都合良くつまみ食いできるものではない、ということもきちんと認識しておくべきことでもあります。

(追記)

コメント欄に「りんどう」さんが

役所の方から「公正採用選考が大事ですよ」ということで「思想信条に関わることは採用基準にするのはもってのほかで、面接で聞くのもやめてください」とわりとしっかり周知啓発されております。

と書き込まれているほか、なんだか大きな話題になっているようで、今朝の朝日新聞でも、

http://www.asahi.com/articles/ASH7W5SYRH7WUTIL03M.html(デモに参加すると就職に不利? 「人生詰む」飛び交う)

という記事になっています。

せっかくなので、労働法全体の見取り図を説明しておきます。

労働法は大きく3つ、労働市場法制、労働条件法制(労働契約法制)、労使関係法制に分かれます。募集・採用というのは、1番目と2番目とのちょうどリンケージにあたります。

労働条件法制(労働契約法制)としては、いったん採用して雇用関係が生じた以上は、信条による差別は許されません。上の最高裁判決で、

労働基準法三条は労働者の信条によつて賃金その他の労働条件につき差別することを禁じているが、これは、雇入れ後における労働条件についての制限であつて、雇入れそのものを制約する規定ではない。

と言っているとおりです。

一方、労働市場法制としては、もともと労働基準法と同じ時にできた職業安定法第3条で、職業紹介、職業指導等について信条による差別を禁止しています。

第三条  何人も、人種、国籍、信条、性別、社会的身分、門地、従前の職業、労働組合の組合員であること等を理由として、職業紹介、職業指導等について、差別的取扱を受けることがない。但し、労働組合法の規定によつて、雇用主と労働組合との間に締結された労働協約に別段の定のある場合は、この限りでない。

しかし、これは職業紹介機関が差別してはいけないと言っているだけであって、企業の採用の自由には関わらないものでした。その旨は、当初から職業安定法施行規則第3条第3項に明記されていました。

第三条
3 職業安定法(昭和二十二年法律第百四十一号。以下法という。)第三条の規定は、労働協約に別段の定ある場合を除いて、雇用主が労働者を選択する自由を妨げず、又公共職業安定所が求職者をその能力に応じて紹介することを妨げない。

これが、三菱樹脂事件判決が出た当時の法制状況です。

1999年に職業安定法が一部改正され、第5条の4という規定が追加されました。

第五条の四  公共職業安定所等は、それぞれ、その業務に関し、求職者、募集に応じて労働者になろうとする者又は供給される労働者の個人情報(以下この条において「求職者等の個人情報」という。)を収集し、保管し、又は使用するに当たつては、その業務の目的の達成に必要な範囲内で求職者等の個人情報を収集し、並びに当該収集の目的の範囲内でこれを保管し、及び使用しなければならない。ただし、本人の同意がある場合その他正当な事由がある場合は、この限りでない。

この改正は、ILO181号条約の批准のための改正で、同時に労働者派遣法のネガティブリスト化なども行われていますが、大きく言えば、労働市場ビジネスを積極的に認めていく一方で、労働者保護をきちんと強めていこうという趣旨のものの一環でした。

で、この条項の名宛人である「公共職業安定所等」とは何を指すかというと、

第五条の三  公共職業安定所及び職業紹介事業者、労働者の募集を行う者及び募集受託者(第三十九条に規定する募集受託者をいう。)並びに労働者供給事業者(次条において「公共職業安定所等」という。)は、それぞれ、職業紹介、労働者の募集又は労働者供給に当たり、求職者、募集に応じて労働者になろうとする者又は供給される労働者に対し、その者が従事すべき業務の内容及び賃金、労働時間その他の労働条件を明示しなければならない。

公共民間の労働市場アクターに加えて、「労働者の募集を行う者」というのが入っています。ここで初めて、労働者を募集している企業自体を名宛人として、「個人情報」という観点からの一定の規制がかかったわけです。しかし、現になお職業安定法施行規則第3条第3項がそのまま存在していることからも分かるように、これは「雇用主が労働者を選択する自由を妨げ」るものではありません。

上の労働法の分野分けで言うと、労働市場法制としては、個人情報保護という観点から募集の際の手法に一定の制約は課せられていますが、採用するかしないかの意思決定には制約はありません。一方で、労働条件法制(労働契約法制)としては、いったん採用(内定も含む)したら差別は許されなくなりますが、採用するかしないかの意思決定自体はなお完全に自由です。

こういう風に頭の中を仕分けしておくと、いろんな情報が錯綜するのを理解しやすくなると思います。

最低賃金目安決定

恒例により、昨日午後3時から始まった中央最低賃金審議会目安に関する小委員会は、お約束通り日付変更線を超え、今朝方ようやく目安を決定したようです。

http://www.asahi.com/articles/ASH7Y2DRZH7YULFA002.html?iref=comtop_list_pol_n01

2015年度の最低賃金(時給)の引き上げ額について、厚生労働省の中央最低賃金審議会の小委員会は29日、全国平均で18円上げるべきだとの目安をまとめた。この通り実現すれば全国平均は798円になる。平均で10円超の引き上げとなれば4年連続となる。

 引き上げの目安額は、都道府県を所得や物価などの指標をもとにA~Dの4ランクに分けて決める。今年度はAが19円、Bは18円、Cは16円、Dは16円となった。今後、この目安を参考に各都道府県の審議会が最終的な額を示し、秋以降に順次改訂される見通し。

最賃審の委員としては、さっさと夕方に決着して「ゆう活」などしていたら出身組織にぶん殴られるので、明け方まで頑張った結果こうなったということにしなければならないわけですが、とはいえ、先に本ブログでも取り上げたように、直前の先週木曜日の経済財政諮問会議で、首相自ら露骨な「口先介入」をしているという状況下では、昨年を下回る決着というのはそもそもあり得なくなっていたのでしょうね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-d8c7.html(最低賃金引き上げに意欲)

仮に今回の目安で各地賃が決定されるとすると、東京が888円から907円と初の900円台乗り、沖縄等の677円が693円と700円台目前になります。

2015年7月28日 (火)

小森陽一・成田龍一・本田由紀『岩波新書で「戦後」をよむ』

S9011小森陽一・成田龍一・本田由紀『岩波新書で「戦後」をよむ』(岩波新書)を、著者の一人である本田由紀さんからお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1507/sin_k841.html

戦争が終結して七〇年,日本の何が変わり,何が変わらなかったのか.戦後の知は何を問うてきたのか.時代の経験と「空気」が深く刻み込まれた二一冊の岩波新書を,文学者・歴史学者・社会学者が読み解くことで,今を生きる私たちにとっての「戦後」の意味を塗り替えていく.現在と歴史の往還の中で交わされた徹底討議!

全体の本の選び方については後ほど。ここではまず、本田さんが報告者になっている教育・労働・社会関連の本から、まず熊沢誠さんの『女性労働と企業社会』と湯浅誠さんの『反貧困』が選ばれているのはいかにもという感じです。ただ、この辺は「戦後」というよりむしろ「現代」そのものであり、「「戦後」をよむ」のとは違うという感じがします。

読んでおらず(、というよりそもそもそんな本があることも知らず)、本書を読んでなるほどと思ったのは、1970年の田代三良『高校生』で、本田さんがこっぴどくやっつけているこの感覚が、半世紀近く経って、今度は大学生を相手に再演されている姿を背景に読むと、なかなか味わい深いものがあります。

・・・本書はそういうエリート性がどんどん失われて大衆化していく高校教育の状況に対して、非常にエリート志向の強い教師が苦々しい憤懣のようなものを吐露している本だと認識します。著者の田代三良は1918年生まれ、1941年に東京大学文学部を卒業し専門は国文学、卒業後は都立高校の中でも進学校として名高かった戸山高校の教諭を長い間続け、名物教師と言われていた。・・・私自身は、自らの研究上の立場からしても、このような見解が当時の高校に対するある種標準的なまなざしであったことに対して、残念な気持ちを持たざるを得ない。これほど義務教育に準ずるような形にまで発展していた高校教育を、卒業後の社会との接続という目で捉えることができず、過去の非常に理想主義的な教育が最善であるという閉じられた観点からしか見ることができなかった古き知識人が教員を務めていたことの、日本の高校にとっての不幸をしみじみ思います。

この発言の「高校」というところを「大学」に置き換えれば、ほとんど何の修正もなしに、昨今の職業大学構想に対するdisりに没頭する「古き知識人」に対する批評の言葉になるはずですが、なぜか鼎談はそういう方向に行きませんね。現在の観点から過去の本を読み直すというのなら、当然そういう視点になって不思議ではないように思うのですが。

というか、実は本書を通読して違和感を感じたのは、こういう企画って、(現在からは批判の対象である)過去の文脈で書かれた本を過去の文脈と現在の文脈を交錯させながら読み解くということなのではないかと思うのですが、そういうのが歴然と出ているのはむしろこの『高校生』くらいであって、タイトルは『岩波新書で「戦後」をよむ』となっているけれども、ここで読まれている「戦後」は、実は現在の観点からその源流として評価されるべき(と考えられた)本を選び出しているのではないか、という疑問だったのです。これはとりわけ戦後の前期の本についてそう感じます。

私はある意味で確かに岩波新書がそのときどきの「戦後」を示していたと思いますが、その「戦後」とは、たとえば岩波新書の青版目録を見れば分かるように、

http://seesaawiki.jp/bookguide/d/%b4%e4%c7%c8%bf%b7%bd%f1%28%c0%c4%c8%c7%29%a1%a7No.1~500

現在の時点で小森さんや成田さんも積極的に評価しがたいけれども、とはいえね・・・というようなクラシックな左翼系の本や高踏的な知識人の本が多かったわけで、本書で選ばれているのは、どちらかというとその時点ではむしろ非主流的であった、それゆえにむしろ半世紀後に今日の問題意識の源流として評価するんだ、みたいな本になっています。

それでは、しかしながら「岩波新書で「戦後」をよむ」ことになっていないんじゃないか、というのが、私の違和感なんです。まさに本田さんがdisりにdisっている田代三良『高校生』みたいな、その当時は進歩的知識人の典型的な言説で、日教組も大いに応援していたけれども、今になってみたら何と無残な言説だったことよ・・・・というような本が、残念ながら本書にはほかに登場してきません。しかし、そういう本が岩波新書の絶版目録にはいっぱい並んでいることも確かなのですね。

2015年7月27日 (月)

日本的労働・雇用慣行によって排除される人々@筒井淳也

『仕事と家族』(中公新書)を出されたばかりのイケメン社会学者こと筒井淳也さんが、労政時報の人事ポータルのジュンジュールに「日本的労働・雇用慣行によって排除される人々」を寄稿しています。

https://www.rosei.jp/jinjour/article.php?entry_no=66024

1980年代には、日本的な雇用や働き方、それを軸とした日本社会の在り方について否定的な言論が見いだされることは少なかっただろう。1970年代前半のニクソン・ショックやオイル・ショックに際し、日本経済は重化学工業からの方向転換によって見事に危機を乗り越え、比較的安定した成長を維持することができた。雇用の面では、内部労働市場を活用した頻繁な異動と女性の非労働力化・パート労働化により、企業は男性稼ぎ手の雇用を保障することができた。

 同時期に政府は、いったんは拡充する姿勢を見せてきた社会保障を「企業と家族」に預け返す方向に舵(かじ)を切った。田中内閣による1973年の「福祉元年」の宣言から、大平内閣時1979年の「日本型福祉社会」への転換である。これにより、1980年代から日本は西欧型の政府主導の「福祉国家」を目指さなくなった。

 これら、企業の動向と政府の動向に共通してみられたのが、性別分業を前提とし、またそれを強化する動きである。日本型福祉「社会」とは日本型福祉「国家」とは異なり、生活保障の供給の主体をあくまで社会、すなわち民間に置く構想である。すなわち企業が男性雇用を守り、男性によって扶養された女性が家事・育児・介護を行うという性別分業体制が前提となる。

 日本が光り輝いた時期に性別分業が強化されたことが、仕事と家庭の両立を促す度重なる政策介入にもかかわらず共働き社会化が日本で進まなかった大きな要因であるといえる。・・・・・

ここでは、家族との関係で論じられていますが、労働のあり方の全般にわたって、1970年代半ばという時期がある種の文化革命(反革命?)の時期であったことは、意外にきちんと認識されていないように思われます。

私自身、1960年代から70年代前半期というのはまだ幼いながらも物心はついていた時期のはずですが、社会的なものごとに対するアカデミックな言説により言語されるような意識が生まれてきたのがその後であったこともあり、それ以前の時期が政府をはじめ一応全てのアクターが西欧型の労働市場を目指し、西欧型の福祉国家を目指していた時代であったという、その時代の本や雑誌をざっと見れば一目瞭然のことがらが、意外にきちんと認識されていないままになっているようです。

改めて考えてみると、この1970年代の日本における「革命」(反革命?)は、単純に日本経済のパフォーマンスが優れているからという理由から産み出された経済的ナショナリズムであったというだけではなく、欧米先進国と共通の60年代末期の「文化革命」、すなわち(西欧諸国では既に確立していた)福祉国家型社会システムへの批判が受け手の側の一つの土俵となっていた面もあるのではないかと思われます。

1968年「革命」が日本的システム礼賛の源流であるというのは意外に聞こえるかも知れませんが、知識社会学の一つの素材として、誰かきちんと分析して欲しいテーマです。

2015年7月25日 (土)

格差と貧困 豊かさを求めた果てに@NHK日本人は何を目指してきたのか

本日深夜、11:00から0:30に、NHKの戦後史証言プロジェクト「日本人は何を目指してきたのか」の第4回目として、「格差と貧困 豊かさを求めた果てに」が放送されるようです。

http://www.nhk.or.jp/postwar/program/schedule/

20150725 戦後の日本は、格差や貧困に、どのように向き合ってきたのか。

敗戦後、新憲法の25条は、「健康にして最低限度の文化的生活を営む」権利を保障した。この生存権の理念を実現すべく、病床から生活保護の充実を求めて裁判を起こした朝日茂さんの「朝日訴訟」(1957年)。支援の輪とともに、日雇いや中小零細企業の労働者を支援する個人加盟の労働組合が全国に広がる。

1965年、国は貧困世帯の調査を打ち切り、地方への補助金や公共事業などの経済対策で所得再分配を行う政策を推進。正社員になれば安定した生活がおくれる日本型の「企業社会」が作られていく。高度経済成長期、低所得者層の社会調査を続けてきた経済学者の江口英一は1972年に“働いても働いても最低限の生活が送れないワーキング・プアーworking poorが存在する”と指摘。しかし、世界第2位の経済大国となり「一億総中流」の意識が広がる中で、格差と貧困は注目されることはなかった。そしてバブル崩壊後、派遣法が改正されて非正規雇用が大量に生まれると、ようやく人々は格差と貧困を社会問題として「再発見」する。

敗戦から2008年の年越し派遣村まで、生活保護と雇用の現場で声を上げてきた市民たち、そして社会保障政策を担ってきた官僚や政治家などの証言をもとに、格差と貧困の戦後史を描く。

さて、どんな番組にできあがっているか楽しみです。

第2回目の「男女共同参画社会 女たちは平等をめざす」は、正直、15年前のプロジェクトXの「女たちの10年戦争」の使い回し感もありましたが・・・。

宮本太郎さん on 学びが生きる採用選考を@毎日新聞

本日、毎日新聞の経済観測というコラムに、宮本太郎さんが「学びが生きる採用選考を」を寄稿しています。

http://sp.mainichi.jp/shimen/news/20150725ddm008070145000c.html

 就職活動の解禁が遅くなったため、実態はともかく、かたちの上では8月から企業の採用選考が始まる。そんな折、労働組合の連合が古賀伸明会長と大学生との討論集会を開催し、就職活動のあり方などを巡って意見交換した。

 そこである学生は、採用選考では大学で学んだ知識や技能はあまり問題にされず、結局何が採用を決めるのかが分からないと不安を語っていた。そのとおりであって、労働問題研究者の濱口桂一郎氏の表現を借りれば、日本の正規雇用は人間に仕事が張り付く「メンバーシップ型」だ。仕事に人間が張り付く欧米流の「ジョブ型」とは大きく異なる。とくに文系の場合、学生はこれからさまざまな仕事を張り付ける「素材」として評価され、必要な知識や技能はその都度会社のなかで教えられる。就職活動解禁時期の変更は、学生に学業をしっかり修めてもらうためとされるが、ここには大きな矛盾があるのだ。

 サークルやゼミで何に取り組んだかを聞かれるのは、大学の偏差値共々、「素材」の良さを示すエピソードとしてである。ゆえに、「ご縁がありませんでした」という不採用通知がたまると人間が否定されたような気持ちになる。

 メンバーシップ型雇用が「会社人間」をつくってきた面があり、ジョブ型雇用への転換を求める流れもある。だが、メンバーシップ型には職業生活の幅を広げる効用もある。大事なことは、仮に「素材」重視が続くとしても、雇用のダイバーシティー強化(多様化)で人材評価の幅を広げ、併せてその客観的基準も示していくことや、さらにその基準と大学教育の達成目標とをリンクしていくことだ。大学は職業生活の予備校ではない。しかし、大学でのがんばりは採用選考で評価されるべきだ。

最後のパラグラフが、現実と折り合いをつけながらも、なんとか方向性を示したいという希望がない交ぜになった苦衷を表しているように思われます。

レリバンスのない大学教育における『がんばり』を、採用選考でどう『評価』しうるのかが明確でないが故の現状でもあるわけで。

2015年7月24日 (金)

「労働局あっせん、労働審判及び裁判上の和解における雇用紛争事案の比較分析」@『労基旬報』2015年7月25日号

『労基旬報』2015年7月25日号に「労働局あっせん、労働審判及び裁判上の和解における雇用紛争事案の比較分析」を寄稿しました。

 去る6月15日、筆者らが行った調査研究の報告書『労働局あっせん、労働審判及び裁判上の和解における雇用紛争事案の比較分析』が公表されました。これは、「日本再興戦略」改訂2014(平成26年6月24日閣議決定)において、労働紛争解決手段として活用されている都道府県労働局のあっせん、労働審判の調停・審判及び民事訴訟の和解について、事例の分析・整理を平成26年度中に行う旨が明記されたことを踏まえ、厚生労働省からの依頼を受け、裁判所の協力を得て、独立行政法人労働政策研究・研修機構において実施したものです。研究担当者は筆者と高橋陽子研究員です。

 労働局あっせんについては既に筆者らによる全数調査型の研究が行われ報告書にまとめられていますし、労働審判についても東大社会科学研究所のグループによるアンケート調査型の研究が行われ報告書にまとめられています。しかし今回の研究の特徴は、政府の方針で研究の実施が決定されたため、裁判所の協力を得て労働審判や裁判上の和解についても全数調査型の研究を行えた点にあります。具体的には、①都道府県労働局のあっせん事案(以下「あっせん」):2012年度に4労働局で受理した個別労働関係紛争事案853件、②労働審判の調停・審判事案(以下「労働審判」):2013年に4地方裁判所で調停または審判で終結した労働審判事案452件、③民事訴訟の和解事案(以下「和解」):2013年に4地方裁判所で和解で終結した労働関係民事訴訟事案193件の関係資料から必要なデータを収集し、統計分析しました。

 その事実発見の一部を以下に示しますが、これら3種類の個別労働紛争解決システムの性質の違いがくっきりと浮かび上がっていて、大変興味深いところです。

1.性別:あっせんは男性53.6%、女性46.4%、労働審判は男性68.6%、女性31.4%、和解は男性77.2%、女性22.8%と、後者ほど男性の比率が高い。

2.雇用形態:あっせんは正社員47.1%、直用非正規38.1%、労働審判は正社員75.7%、直用非正規21.0%、和解は正社員79.8%、直用非正規19.2%と、後者ほど正社員の比率が高い。

3.勤続年数:中央値で見ると、あっせんは1.7年、労働審判は2.5年、和解は4.3年であり、後者ほど長期勤続の労働者が利用している。

4.役職:役職者の比率は、あっせんは4.9%、労働審判は12.4%、和解は22.8%であり、後者ほど役職者の利用が多い。

5.賃金月額:中央値で見ると、あっせんは191,000円、労働審判は264,222円、和解は300,894円であり、後者ほど高給の労働者が利用している。

6.企業規模(従業員数):労働審判と和解についてはデータが得られないものが多く厳密な分析ではない(小規模企業ほど従業員数を拾いやすいことによるバイアスがある。)が、中央値で見るとあっせんが40人、労働審判が30人、和解が50人である。

7.制度利用にかかる期間:中央値で見ると、あっせん期間(解決事案のみ)は1.4月、労働審判期間は2.1月、訴訟(和解)期間は9.3月であり、訴訟が長期間かかっている。

8.解決に要した期間:事案発生日から解決までの期間を中央値で見ると、あっせんは2.1月、労働審判は5.1月、和解は14.1月であり、後者ほど長期間かかっている。

9.弁護士等の利用:弁護士の利用を見ると、あっせんでは労使双方なしが95.0%(労働者側の利用は0.7%)であるのに対し、労働審判では労使双方ありが88.9%、和解では95.3%と、対照的な状況である。なおあっせんでは社会保険労務士の利用が可能だが、やはり労使双方なしが94.0%である。

10.請求金額:中央値で見ると、あっせんは600,000円、労働審判は2,600,000円、和解は5,286,333円であり、後者ほど高額である。

11.解決内容:(以下、あっせんについては合意が成立した事案に限る。)金銭解決の比率が、あっせんは96.6%、労働審判は96.0%、和解は90.2%であり、いずれも金銭解決が圧倒的大部分を占めている。

12.解決金額:中央値で見ると、あっせんは156,400円、労働審判は1,100,000円、和解は2,301,357円であり、後者ほど高額であるが、いずれも散らばりが大きくなっている。

13.月収表示の解決金額:解決金額を賃金月額で除した数値を中央値で見ると、あっせんは1.1か月分、労働審判は4.4か月分、和解は6.8か月分であり、後者ほど高くなっているが、いずれも散らばりが大きくなっている。

 本調査研究を行うもととなった「日本再興戦略」改訂2014(平成26年6月24日閣議決定)においては、あっせん、労働審判及び和解の事例分析を行うことと並んで、「分析結果を踏まえ、活用可能なツールを1年以内に整備する」とされています。本調査研究結果をもとに、厚生労働省はこのツールを開発し、一般の利用に供することを予定しています。

労使コミュニケーション@『JIL雑誌』

New『日本労働研究雑誌』8月号は、「労使コミュニケーション」が特集です。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2015/08/index.html

総論担当は、久本憲夫さんと荒木尚志さんというそれぞれの分野の二大巨頭が、淡々としかし細部まで行き届いたまさにいい意味での教科書的な叙述で、社会政策と労働法両面から、この問題を論じようとするなら頭に置いておくべき事柄を説き聞かせています。

それを受けて、禹宗杬さんと細川良さんが、各論として終戦直後の経営協議会の話と、フランスにおける労使対話促進法政策について、ブリリアントな筆致で書いています。

さらに、これは特集に合わせたのかどうか分かりませんが、労働政策の展望に小池和男さんが登場し、ヨーロッパ型の従業員代表の経営参加を主張しています。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2015/08/tenbou.html

その記述で興味深かったのは、労使コミュニケーション調査では、1977年と1984年に企業の役員会への従業員代表の参加の可否という項目があったのに、その後はそれはなくなったという記述です。

これは、1970年代後半に、イギリスも含めて当時のヨーロッパ諸国で経営参加が政策の焦点になっていたことから、日本でもかなりの注目を集めていたことが背景にあります。同盟が監査役会への参加を打ち出したのもこの時期です。

しかしその後、そんなヨーロッパのような経営参加制度を設けなくても、日本の職場では現に事実上の参加が進んでいるではないかという声がとりわけ経営側から強く、そうした事実上の参加こそが日本の競争力の源泉という考え方が主流となり、結果として制度的な経営参加への関心は縮小していき、労使コミュニケーション調査でも今さらあえて取り上げる必要はないということで、その項目が落ちていったのでしょう。

ある意味で皮肉だと思うのは、そういう事実上の職場レベルの参加の意義を高く評価する研究の代表が小池和男さんであったことです。その小池さんがヨーロッパ型参加システムを高く評価するようになったことは、裏側から言えば職場レベルの労使コミュニケーションがかつてほどうまく回らなくなったことを物語っているのかも知れません。

従業員代表制への関心は、その後とりわけ1990年代以降労働法学の世界で次第に高まっていきますが、今日まで法政策に結実するところには至っていません。

いずれにせよ、この分野の思想史のような形で、一度誰かがきちんとまとめておく必要があるような気がします。

最後に書評欄。JILPTの仲琦さんがデイヴィッド・ウェイルの『分断された職場』(Fissured Workplace)を書評しています。下請、フランチャイズ、サプライチェーンといった手法を駆使して進められるアウトソーシングが働く場とそこで働く人々に与える影響を描き出した名著を簡潔に紹介しています。

最低賃金引き上げに意欲

安倍首相が最低賃金引き上げに大変積極的な姿勢を示しているようです。報道もいろいろされていますが、昨日の経済財政諮問会議の甘利大臣の会見から、

http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/minutes/2015/0723/interview.html

「経済の好循環を2巡目、3巡目と回していくためにも、賃金の上昇は重要であり、今年の春闘でも17年ぶりの引上げ幅となった。現在、最低賃金については審議会で審議されているところである。政府として最低賃金の大幅な引上げが可能となるよう、中小・小規模事業者の方々の環境整備や、サービス産業の生産性向上に全力を挙げることとする。関係大臣は、最低賃金引上げに向けてしっかり対応していただきたい。」

会議資料に、内閣府作成の「最低賃金について」というのがありますが、厚生労働省作成の資料が淡々と事実を並べているのに対し、何というか、官邸の意向をそのまま反映したかのように、大変前のめりな表現が頻出しています。

http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/minutes/2015/0723/shiryo_03.pdf

・一般的に景気回復の初期時点においては、物価上昇が賃金上昇に先行する傾向。特に、長きにわたるデフレからの脱却の局面にある現在、経営者には、いまだデフレマインドが残り、賃金引上げに消極的な面があり、労働分配率は低下を続けている。

• いわば、こうした「賃金の硬直性」はデフレ脱却・経済再生の重大なハードルとなりかねない。

• こうした状況を脱却し、持続可能なデフレ脱却・経済再生に移行するためには、名目賃金が物価上昇率以上に上がること、むしろ、賃金が物価上昇をリードしていくことが重要である。その際、政府が一定の役割を果たすことも重要である。

• 最低賃金に関しては、こうしたマクロ的観点、さらには、春季労使交渉によって17年ぶりの引上げ幅となった大・中堅企業、中小企業の賃金や昨年と比べて大幅に引き上げられた非正規労働者の時給とのバランスの観点からも対応が必要である。なお、その際、個々の中小企業等の経営を圧迫する面もあることから、円滑な価格転嫁対策、資金繰りの円滑化や生産性の向上に向けた事業転換を支える環境整備等を進めることが重要である。

この後のデータ説明のところも、

○最低賃金程度の時給で働く労働者は300~500万人程度(*)。最低賃金を引き上げる場合、最低賃金程度の時給で働く労働者の所得を引き上げるとともに、労働者全体の賃金の底上げにも効果。

とか、

○仮に最低賃金の引上げ(10~20円)により300~400万人程度の労働者の賃金が上昇した場合、総雇用者所得の増加額を試算すると400~900億円程度。さらに、労働者全体の賃金の底上げにも効果。

○安倍内閣におけるこれまでの最低賃金引上げ額は15~16円、2015年度の春季労使交渉における非正規労働者の賃金引上げ額は16.8円、17年ぶりの引上げ幅となった春季労使交渉の賃上げ率2.2%といったこれまでの成果を踏まえて、最低賃金を引き上げていく必要。

と、生活保護との逆転現象がなくなって引き上げの動力が弱まった最低賃金へのてこ入れに大変力が入っています。

(追記)

例によって、3法則氏が全開ですが、

https://twitter.com/ikedanob/status/624257385834528768

内閣府は「賃金が上がると雇用が減る」という法則を知らないのか。

さすが、20年前のカードとクルーガーの研究も知らずに、居丈高に「法則」とか口走る経済評論家の面目躍如といったところです。いや、躍如としてめ面目ない。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/on-da7a.html (クルーグマン on 最低賃金)

さて、賃金決定に関する我々の理解は、政府が最低賃金を変えたら何が起こるかについての素晴らしい一連の研究によってもたらされた知的革命によってーこれは言いすぎじゃないよ-大転換しているんだ。

20年以上も前に、経済学者デービット・カードとアラン・クルーガーは、ある州が最低賃金を引き上げたら労働市場にどういう影響を与えるかを実験的に明らかにした。実験というのは、隣接する州が最低賃金を引き上げないという自然のコントロールグループが提供されていたからだ。カードとクルーガーは、ニュージャージー州が最低賃金を引き上げたけれどもペンシルベニア州は引き上げなかった時に、ファーストフード業界-最低賃金の影響を一番受けると言われている業界だ-で何が起こったかを観察することで彼らの洞察を適用した。

カードとクルーガーの研究まで、多くの経済学者たちは-僕自身も含めて-最低賃金を引き上げたりしたら雇用に明らかなマイナスの影響を与えると思い込んでいた。ところが彼らは、それどころかプラスの影響があることを発見したんだ。この結果は多くのエピソードからのデータによって確認されてきている。最低賃金を引き上げたら雇用が失われるなんて言う証拠は全くないんだ。少なくとも、(最低賃金の引き上げの)出発点が現代アメリカのように低い国ではね。

イスラムスカーフと労働法

EU司法裁判所に、フランスの破毀院(最高裁判所)から付託された事案が、いずれもイスラム女性がかぶるスカーフを巡るもので、どのような判決が出ても、労働法の枠を超えた政治的なインパクトも予想され、興味深いものです。

フランスのブニャウイ事件について、EU法レーダーというサイトが詳しく紹介しているので、それを見ると、

http://eulawradar.com/case-c-18815-bougnaoui-wearing-an-islamic-headscarf-in-the-information-society/

Beauty23966388ミクロポール・ユニヴェールというIT企業に就職したアスマ・ブニャウイさんは、研修を終えてツールーズの顧客企業に派遣されたのですが、そこでずっとイスラムスカーフをかぶっていたため、顧客企業から「あんなの送るな」と言われ、本人に「スカーフをかぶらないでくれ」と頼んだけれども拒否されたので、解雇した、とこういう事案です。

EUは15年前に一般均等指令を制定し、人種等と並んで宗教、信条による差別も禁止されていますが、さてイスラムスカーフをかぶっているために顧客から苦情が寄せられたことを理由とする解雇はどうなのか。

ミクロポール社は彼女に対し、「いや、我が社は表現の自由と宗教的信条は完全に尊重しているんだ。ただ、会社の中であれ外であれ、お客様と接触する時にはスカーフを外して欲しい」と言っていて、客商売の立場からはよくわかるとともに、宗教的信条とはそういうものではないのだろうな、とも思われ、なかなかディープです。

日経がFTを買収

 日本経済新聞社がイギリスのフィナンシャルタイムズを買収するというニュースが流れていますが、

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ23I5H_T20C15A7000000/?dg=1

今から20年前、EU日本政府代表部に勤務していた頃、新聞はフィナンシャルタイムズ、週刊誌はエコノミストが基本で、たしかに日本の新聞や雑誌とはレベルが違うなと感じていましたが、そのレベルが違った日本の新聞に買収されるというのは、何とも奇妙な感じです。

2015年7月23日 (木)

『社会政策』第7巻第1号

200901『社会政策』第7巻第1号が届きました。昨年10月に岡山大学で開かれた第129回大会の共通論題「社会政策としての労働規制」が特集で、私の報告も載っています。

http://www.minervashobo.co.jp/book/b200901.html

【特集】社会政策としての労働規制
社会政策としての労働規制――ヨーロッパ労働社会との比較(森建資)
EU労働法政策の現在(濱口桂一郎)
ドイツにおける労働への社会的規制――「雇用の奇跡」と二重共同決定制度(田中洋子)
デンマークにおけるグローバル化と労働規制(菅沼隆)
日本における雇用政策・労使関係の現状と課題――ヨーロッパにおけるフレクシキュリティ政策を念頭に(戸室健作)
日本の労働規制改革とジェンダー(清山玲)

その他の記事は次の通りです。

【巻頭言】社会政策としての住宅最低基準(岩田正美)

【小特集】障害者雇用・就労における「合理的配慮」
〈小特集趣旨〉小特集に寄せて:障害者雇用・就労における「合理的配慮」(長澤紀美子)
「障害を理由とした差別」および「合理的配慮」をめぐる問題整理と論点抽出(遠山真世)
基幹的能力の概念を軸とした障害者の賃金についての考察――合理的配慮規定に関連して(山村りつ)
障害者に対する「社会的雇用」の課題と展望――東アジア諸国における保護雇用の取り組みをとおして(磯野博)

【研究レビュー論文】
日本の積極的労働市場政策(高田一夫)

【投稿論文】
1970年代フランス福祉国家と家族モデルの変容過程――議会の言説・文書分析から(牧陽子)
低収入世帯の子どもの不利の緩和に学校外学習支援は有効か――世帯収入が中学生の学校外学習時間に与える効果の分析をもとに(卯月由佳)
欧州政府債務危機と社会支出の削減――何が削られたのか(伊藤善典)
介護報酬複雑化の過程と問題点(三原岳・郡司篤晃)

【書評】
熊沢 誠著『労働組合とはなにか:絆のある働き方をもとめて』(評者:上田眞士)
伊藤大一著『非正規雇用と労働運動:若年労働者の主体と抵抗』(評者:橋口昌治)
小谷 幸著『個人加盟ユニオンの社会学:「東京管理職ユニオン」と「女性ユニオン東京」(1993年〜2002年)』(評者:呉 学殊)
久本貴志著『アメリカの就労支援と貧困』(評者:小林勇人)
橋本 理著『非営利組織研究の基本視角』(評者:五石敬路)

SUMMARY/学会関連資料

特集以外で興味深いのは、高田一夫さんの「日本の積極的労働市場政策」という研究レビューです。私のアクティベーション政策紹介なども引用されて、よい概観になっているとは思うのですが、宮本太郎さんや山田久さんの「対案」に比べて、濱口の対案であるステークホルダー民主主義の確立は「政策の決定過程に関する提言である。どんな政策を志向すべきかという議論はない」という評価は、はじめから比べられないものを比べられてしまった感がなくもありません。


杉浦浩美『働く女性とマタニティ・ハラスメント 』

53121先日、大月書店の角田三佳さんからお送りいただいた杉田真衣『高卒女性の12年』の紹介をしましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/12-5e9a.html(杉田真衣『高卒女性の12年』)

その際、一緒にお送りいただいたのがこの本です。今流行りの「マタハラ」をタイトルにしているので最近の本と思われるかも知れませんが、いやいや6年前、2009年に出版されている本で、むしろこの本のタイトルがじわじわと広がっていって、昨年来マタハラが時ならぬバズワードになったというべきでしょう。

http://www.rikkyo.ac.jp/news/2014/12/15503/(社会福祉研究所の杉浦浩美特任研究員 「マタハラ」の語源として2014新語・流行語大賞トップ10に入選)

12月1日(月)2014ユーキャン新語・流行語大賞が発表され、「マタハラ」がトップ10に入選。「マタハラ」という言葉の語源として、『働く女性とマタニティ・ハラスメント』(大月書店、2009年)の著者である本学社会福祉研究所の杉浦浩美研究員が表彰されました。

本書には、この「マタハラ」という言葉の産み出される瞬間が描かれています。杉浦さんが本書の元になった最初の調査を行った2001年、

・・・筆者自身はこの言葉を女性たちの日常的な「声」から得た。1990年代半ばのインターネットの普及とともに、「働く母親=ワーキングマザー」を対象としたホームページが登場するようになり、両立に関する情報交換や意見交換を行う場も徐々に増えてきた。そうした場では、育児と仕事の両立についてだけでなく、職場における妊娠期のトラブルを記しているものも見受けられた。妊娠を上司に告げることができない。あるいは告げたら怒鳴られたというもの、妊娠期の残業や出張をどうするのか、妊娠したことによって周囲の態度が変わった等々、その内容は多岐にわたるものだった。なかには「マタ・ハラ」というような表現を使って、自らの経験を語っているものもあった。「マタ・ハラ」とは、「マタニティ・ハラスメント」の略称であり、「股」(=産む身体の象徴)に対するハラスメントという意味もかけているのではないかと思われる。・・・

そうだったのか、「マタ・ハラ」の「マタ」は「マタニティ」であるとともに「股」でもあったのですね。

これがぴんぴんと来たのは、著者の杉浦さん自身に経験があったからで、徳間書店で編集者として16年勤務する間に2回妊娠出産を経験しているようです。

序章 女性労働者の妊娠期を問うこと 
 1 なぜ、妊娠期に着目するのか 
 2 三つの領域における研究の位置づけと意義 
 3 当事者経験への依拠――調査データ 
 4 本書の構成 

第1章 女性労働研究における「女性労働者」の不在――「女性」と「労働」の関係をめぐって
 1 女性労働者とはいかなる存在か
 2 家族社会学における母親役割優先モデル 
 3 女性労働研究におけるジェンダー・ニュートラル・アプローチ 
 4 「女性役割解体」後の「産む身体」――本書の立場と方法 

第2章 女性労働者の「身体性」という問題
 1 矛盾する二つの身体 
 2 母性保護をめぐる議論――「身体性の制度化」をめぐって 
 3 女性の身体性の肯定/否定
 4 身体性の無効化 
 5 性差の解体と差異の個人化 

第3章 母性保護要求をめぐるジレンマ
 1 妊娠期の実態調査の必要性 
 2 調査の方法――「マタニティ・ハラスメント」という概念 
 3 調査の経緯 
 4 妊娠・出産保護と「妊婦の申出」 
 6 「当然の権利」から「選択的権利」へ

第4章 平等化戦略の矛盾と限界
 1 「総合職・専門職型労働」における妊娠期という問題
 2 フェミニズムの射程から消えた総合職女性
 3 ホモソーシャルな領域における「女性の身体」
  4 聞き取り調査の事例から 
  5 統合化の内実 
  6 女性の身体性の表出 
  7 過剰適応を生むメカニズム 
  8 「労働する身体」に「なりきれない身体」を生きること

第5章 差異化される女性労働者
 1 出産退職の現状と女性労働者間格差 
  2 一般職の出産退職を問う意味 
  3 調査の概要と調査対象者 
  4 就業継続意欲が「子どものための退職」に変化するプロセス
5 「総合職」と「一般職」という差異化 
  6 「一般職女性」に付される意味づけ 
  7 女性と労働――再考 

第6章 身体性の主張のありか
 1 「矛盾」の境界――身体性の主張の困難 
  2 「産む身体」が「矛盾」とならないとき 
 3 身体性の主張の転換 
  4 再び、女性労働者の妊娠期を問うこと 

一貫するキーワードは「身体性」。男女平等戦略が、女性の身体性を否定するジェンダーアプローチに傾いていっても、そうなりきれない「女性の身体性」が噴出するのが妊娠という状況だというのです。それは場合によっては露骨に「性的」なものともなりえます。

・・・妊娠によって喚起される身体性には、もう一つの側面があった。妊娠は女性の身体を「セクシュアルな身体」として表出することにもなる。・・・

男性身体も含めて「性的なるもの」を封印することによって成立している職場に、「妊婦」という身体は、無防備な姿でさらけ出される。それはもっと直接的に言えば「セックスをした身体」として、まなざされることを意味する。そうした「性的身体」へのまなざしが、露骨な形で女性に向けられてしまえば、「いつ頃やったんだ?」というような言い方に代表される性的揶揄の対象ともなる。・・・

・部長から「本能のままに行動したやろ」といわれた(システムエンジニア。34歳)

・職場の人(男)に「お前もついにあの診察台に上がって足を開いて見せたわけやな」といわれ、なんと言っていいか分からずその場を立ち去った(事務職。34歳)・・・・

かくしてマタハラは限りなくセクハラにも接近していくわけです。

2015年7月21日 (火)

『Social Agenda』41号は職業訓練特集

Blobservlet欧州委員会雇用社会総局発行の『Social Agenda』41号は「The skills imperative」が特集です。

http://ec.europa.eu/social/BlobServlet?docId=14277&langId=en

その終わり近くに、CEDEFOP(欧州職業訓練機構)のカレハ氏の寄稿が載っていて、ある種の日本人にも読ませる値打ちのある文章なので、一部引用しておきます。

Learning by doing is older than learning by reading and writing. But, at some point during its development, humankind attributed learning by reading and writing a higher esteem than learning by doing. Over time, working conditions, social status and quality of life became determined by the type of learning one followed.
The students’ revolution in Europe in the late 1960s and the early 1970s brought a new dimension to vocational education and training (VET). In several European states, VET gained better visibility, relevancy and flexibility. Employers view VET as a fast track to employability, production and capital, but the potential it provides is overlooked as academic university education remains a target for many European families, even though it may not lead to jobs.

実地で学ぶことは読み書きで学ぶことより古い。しかし人類は読み書きで学ぶことの方を高く祭り上げてきた。時を経て、労働条件、社会的地位、生活の質は人が受けた学びのタイプで決められてきた。1960年代末から70年代初めの学生革命は職業教育訓練に新たな次元をもたらした。欧州諸国の中には、職業教育訓練がより見える化し、有意味なものになり、柔軟になった国もある。使用者は職業教育訓練を雇用可能性、生産、資本へのファーストトラックと見るようになったが、アカデミックな大学教育が(それが仕事をもたらすわけではないのに)なお多くの欧州の家族にとって目標であり続ける中で、その潜在力は見過ごされている。

The 2008 economic crisis was a wake-up call, not so much for those countries who have entrenched VET in their culture and invested seriously in it, but for those who persisted with the belief that only intellectual and conceptual competences bring economic growth. Unemployment was high and remains high in the latter. Growth, in countries were vocational training is weak, is also weak. Lack of foreign investment, quality jobs and the reskilling and retraining of an ageing workforce continues to hold Europe back.

Pushing people into university education without a wider economic and social strategy is a recipe for unemployment, unrest and discontent. The ‘lost generation’ is a product of an education that is too remote from new labour market dynamics.

2008年の経済危機は、その文化に職業教育訓練を定着させてきた諸国だけでなく、知的で概念的な能力だけが経済成長をもたらすと頑固に信じ込んできた諸国にも目覚まし時計のベルとなった。後者の諸国では失業が高止まりしている。職業教育訓練が弱体な諸国では成長もまた弱体である。・・・

広範な経済社会戦略もなしに人々を大学教育に押し込むことは、失業と社会不安と不満のためのレシピである。「ロストジェネレーション」は新たな労働市場のダイナミクスからあまりにもかけ離れた教育の産物なのだ。・・・

もちろん、ジョブ型労働社会のヨーロッパであるからこそ、労働市場が求めもしないようなアカデミックな大学教育はストレートに失業の原因となるのであり、無限定のやる気だけを求める日本のメンバーシップ型労働社会では、ヨーロッパでは失業を即生み出すはずのアカデミックまがいの大学教育を受けたことが「官能」のレベルで選好されるという大きな違いがあるわけですが。

とはいえ、それを擁護するならするで、その構造自体の冷酷なメカニズムくらいは認識しておく必要があるでしょう。

2015年7月20日 (月)

大分空港の「すし処宙」

本田由紀さんがつぶやいているこの寿司屋は:

https://twitter.com/hahaguma/status/623021079305416704

講演だんで、帰りの搭乗前に空港のお寿司屋さんで、関鯵、イサキ、雲丹、小肌、穴子。おおいいしい

Photo01 大分空港の3階にある「すし処宙」ですね。

ここはたしかに驚くほどうまかった。

親父さん曰く、ここの寿司を食うために、用事がなくてもわざわざ飛行機に乗って大分空港にきて、寿司を食ってまた飛行機に乗って帰る客もいるとか。

労働組合は政治の駒じゃない

田中龍作氏のツイートに対する黒川滋さんの(いささか嘆息気味の)つぶやき:

https://twitter.com/tanakaryusaku/status/622665507649404928

内閣支持率が30%を割ると政権は危険水域に入る。毎日新聞の世論調査による安倍内閣の支持率は35% 。

安倍内閣を退陣に追い込むまであと少しだ。ここで労働組合が政治ストを打てば、安倍政権は一気に倒れるのだが。

https://twitter.com/kurokawashigeru/status/622682664999325696

何で政治ストなんかに期待されなきゃいけないんだ。逆にスト鎮圧した側に大義名分を与え、支持率を上げることになるでしょう。

労働組合を政治の駒みたいに語るのやめていただけないかと思います。

https://twitter.com/kurokawashigeru/status/622686826889768960

労組職員時代、非労組系の左翼と飲めば、ふだんは既得権益だ、体質が古いだ、小泉純一郎(正確には飯島秘書官や竹中平蔵)みたいに言いたい放題言われたが、こういう情勢になると政治目的のストを打て、と。そんな言説、しかもやらなきゃ平和を何だと思っているんだとか言われそうで、ゲンナリします。

引用ツイートに尽きていますが、もう一言付け加えれば、労働者の労働条件の維持向上を目的とする労働組合にとって、すべての組合員にとって納得できる政治活動とは、労働法制や労働政策に関わる政治活動くらいであって、いかなる方向性であれイデオロギー的な政治活動はそれとは異なる思想を持つ組合員の声を無視して行われるものだということを認識しておくべきでしょう。

自分の正義が誰にとっても正義だと思い込んでいる人には見えにくいのかも知れませんが、安全保障法案賛成、集団的自衛権賛成の労働者だって結構いるはずです。

フランスやイタリアみたいに、政治的色分けで労働組合が別々に組織されている国ならともかく(ちなみに、そういう国では、団体交渉するときは政治的に対立している組合が仲良く一緒に交渉の席に着きます)、そうじゃないはずの日本で、労働組合を政治運動のはしため扱いするような言い方がまかり通るのは、いかに労働運動が心の底のレベルで馬鹿にされているかを物語っているように思われます。

Miyoshi Hirotakaさんの拙著評

131039145988913400963 Miyoshi Hirotakaさんが、読書メーターで拙著『新しい労働社会』を評されています。

http://bookmeter.com/cmt/48881166

海軍工廠が起源の年功型生活給は戦後も維持された。長期雇用とセットになることで、中高年に実績以上の賃金を払うために必要だったからだ。また、年齢とともに昇給しなければ、増加する生活、住宅、教育などの費用を社会保障として給付しなければならなくなる。つまり、これは政府にとってもメリットがあった。ところが、これは労働力を固定化し、同一労働同一賃金という原則から乖離する。雇用は複雑な社会システム。ある原則だけを強調すると常識外れの議論に陥り、現実に適合しない。時間的、空間的な広がりの中で労働社会を捉えることが必要。

もう6年前に出た本ですが、こうして現在のアクチュアルな関心に結びついて読まれ続けていることに、こちらも感謝の心で一杯です。

2015年7月19日 (日)

DSCHさんの拙著評

Chuko 読書メーターで、DSCHさんが拙著『若者と労働』に短評を加えています。

http://bookmeter.com/cmt/48795265

週刊東洋経済でもメンバーシップ型雇用とジョブ型雇用が取り上げられていたが、濱口氏の説明は歴史的な視点と国際比較の視点のバランスが良く、高度な内容を平易かつ説得的に説明されていると思う。本書は主に若者の雇用について詳細に述べられている。ただし、労働雇用問題のみならず、人文社会系学部を縮小し職業に繋がる学部に転換を促す昨今の大学改革を考えるうえでも欠かせない射程をもつ内容であり、教育関係者にもぜひ読んでいただきたい一冊である。

ありがたい言葉です。こういう皆様のおかげで、一昨年刊行された本書が今回4刷目まできました。膨大な数の新書が生み出される中で読み捨てられるものも多い中、こうやって着実にロングセラーとして読まれ続けていることを思うと、読者の皆様に感謝の言葉もありません。

なお、DSCHさんは他の拙著についても読書メーター上で短評をされています。

131039145988913400963 『新しい労働社会』岩波新書

http://bookmeter.com/cmt/39164516

日本の雇用システムと労働政策について国際比較と歴史的考察によりさまざまな問題点が整理されている本書は、非正規雇用やワークライフバランス等について考える際のよりどころとして最適だと思う。企業別労働組合が従業員代表として全社員の利益を集約できていない点については、最近、大企業で非正規労働者を組合員とする動きが拡大しつつある中で、鋭い指摘であると感じた。また、労働政策審議会の三者協議による政策形成過程と経済財政諮問会議による政治との関係等、考えさせられる内容も豊富である。

112483 『日本の雇用と労働法』日経文庫

http://bookmeter.com/cmt/39018288

日本の雇用について法制面と実際の運用の両面からアプローチされている本。労基法等の法制度の面ではジョブ型雇用を基本に制度設計されているが、企業の実際ではメンバーシップ型雇用となっていることを、判例も交えて解説されている。また、戦中の国家統制の影響や戦前、戦後の歴史的な側面も知ることができてよかった。労働法や労働問題を扱う専門家にとっては自明と思われる歴史的な経緯についても知らないことが多かったので、非常に勉強になった。

生活賃金

Dio 連合総研から『DIO』306号をお送りいただきました。特集は「働く者にとって望まれる 「多様な働き方」の前提条件」で、ラインナップは

http://rengo-soken.or.jp/dio/pdf/dio306.pdf

雇用社会の危機と労働法制の課題 毛塚 勝利……………………4

「多様な働き方」における生活賃金の課題 藤原 千沙……………………8

フランスにおける非正規労働者への均等待遇制度 大山 盛義 …………………12

労働者派遣における集団的労使関係の形成の課題 ~ドイツでの経験が示唆するもの~ 高橋 賢司 …………………16

4人中3人までが労働法学者ですが、ここではむしろ違う観点から生活賃金の問題に切り込んでいる藤原千紗さんの文章を。

言われていることは、私も『新しい労働社会』などで語ってきたことに繋がりますが、

 これまで日本の労働組合は、いわゆる電産 型賃金で知られるように、「食える賃金」「生 活できる賃金」を求めて、生計費を考慮した 賃金要求を行ってきた。純粋な生活給として だけでなく、職務給、職能給、成果主義賃金 など賃金をめぐってさまざまな議論が行われる なかでも、雇用労働者である以上、賃金で生 活することは大前提であり、たとえ仕事や成 果に応じた賃金であろうと生活できる賃金水 準を下回ることは想定されていなかった。賃 金が生活できる水準であることは当然であり、賃金をめぐる労使の議論はその水準を超えて、 どのような賃金決定が公平・公正であるかが 焦点とされてきたのである。

 労働組合は、少なくとも正社員の賃金につ いては、その賃金制度がどうであれ、生活で きる賃金水準を曲がりなりにも獲得してきたと して、では「多様な働き方」ではどうなのか。 「多様な働き方」とは従来のような正社員では ない働き方を意味するものだとすると、そう いった働き方を選択しても生活できる賃金は 保障されるのか。

 「多様な働き方」の議論で決定的に欠けて いるのは、果たしてそれで食べていけるのかと いう、賃金の視点である。

 不思議なことに、「多様な働き方」の議論に おいては、その仕事の賃金だけで生活するこ とは想定されておらず、他に生計維持手段が あることが前提されているかのようである。 パートの女性は夫がいるので、生活できる賃 金水準でなくても困らないという前提で、正社 員の賃金とはかかわりなく、最低賃金制度や 労働市場の需給関係で賃金が決められてき た。

 このように、正規と非正規とでは賃金の考 え方や決め方がまったく異なり、均等処遇が 行われていない日本の現状において、「多様な 働き方」=「従来の正社員ではない働き方」 が広がれば、生活できる賃金を得ることので きない労働者が増加するのは必然である。稼 働年齢層の貧困率が他の先進諸国と比べても 高い日本の現状は、非正規雇用の賃金では必 ずしも生活できないことを知っていながら対処 してこなかった労使の双方と、賃金の不十分 性を税や社会保障といった所得再分配でも対 処してこなかった政府、政労使すべての責任 である。

では、これまでの電産型賃金の流れを引く正社員の「生活できる賃金」ではなく、すべての労働者にとっての「生活できる賃金」とはどのようなものであるべきか。

藤原千沙さんはこのように語ります。

 第一に、世帯モデルとしては、親1人子1人 モデルを提唱したい。現状でも最低賃金でフ ルタイム働けば自分一人の生計費は確保できる かもしれない。だが労働者一人の生活をかろ うじて満たすだけの賃金水準では、子どもを 産み育てることはできず、労働力の世代的再 生産は不可能となる。

 他方、親2人子2人といった共稼ぎモデルで は、その賃金水準の半分で親1人子1人の世帯 が暮らせるわけではない。規模の経済が働か ないからである。むしろ、親1人子1人が生活 していくことができる生計費を「生活できる賃 金」水準として設定すれば、親が2人いれば 子どもは2人以上養育することが可能となるの であり、母子世帯や父子世帯であっても少な くとも子ども1人であれば貧困に陥らずに生活 していくことができる。

 第二に、その賃金水準を得るために必要な 労働時間は、日々の労働力再生産のために、 また世代的な労働力再生産のために、必要な 生活時間が加味されていなければならない。 これについては、連合が掲げる「年間総労働 時間1800時間」モデルは、労働時間1日7.5時 間、年間労働日240日(週休2日)をベースとし たものであり、妥当であろう。  生活できる賃金を考えるうえで労働時間の 視点は重要である。時給1000円で年間3000 時間働けば年収300万円を得ることはできる。 だが年間240労働日で年間3000時間とは1日 12.5時間労働である。1日24時間の半分が有 償労働に費やされ、それ以外は生物体として の生理的時間だけで毎日が終わる暮らしは、 生活しているとはいえない。ただお金があれ ば子どもが育つわけではなく、子どもと向き 合いともにすごす時間が必要である。労働力 の再生産にとって必要なのはお金だけではな く、時間の保障が不可欠である。

 第三に、このように設定された生活できる 賃金を、誰がどのように保障するかである。直接賃金として個別企業に求めるのか、ある いは間接賃金として税や社会保障のルートで 求めるのか、いずれの方法もありうる。 

そして、その観点から賃金制度のあり方についても、次のように重要な指摘をしています。

 重要なのは、労働者の職務に合わせた賃金 であっても、労働者の能力に合わせた賃金で あっても、それが生活できる賃金水準を下回ら ないことである。そしてその水準は子どもの養 育費用が全額社会化されない限り、労働者の 年齢にしたがって上昇していく。それゆえ、労 働者の年齢にしたがっていかに賃金を上げてい くことができるか、能力形成や職務配置のあり 方が具体的な労使の課題となる。また、現実 問題として、3年や5年といった有期雇用が広が るなかでは、単なる一企業の処遇のあり方にと どまらず、企業横断的な教育訓練や評価制度 のあり方を考えていかなければならないだろう。

ややもすると細かい議論に没入しがちな賃金論について、少し原点に戻って議論するために必要なことがさらりと示されています。

2015年7月18日 (土)

クルーグマン on 最低賃金

Krugmancircularthumblargev4 別段目新しい話でもありませんが、ネット上で威勢の良い特殊日本的な「りふれは」(「リフレ派」ではなく)には最低賃金を目の敵にして、雇用を失わせるに決まっているという方々が多数いることもあり、そういう彼らがなぜか(自分らの政治的立場とは異なるにもかかわらず)引用したがるポール・クルーグマンの昨日のコラム「Liberals and Wages」から、最低賃金に言及した部分を引いておきます。全然目新しい話ではありません。

http://www.nytimes.com/2015/07/17/opinion/paul-krugman-liberals-and-wages.html?rref=collection%2Fcolumn%2Fpaul-krugman&action=click&contentCollection=opinion®ion=stream&module=stream_unit&contentPlacement=1&pgtype=collection&_r=1

Meanwhile, our understanding of wage determination has been transformed by an intellectual revolution — that’s not too strong a word — brought on by a series of remarkable studies of what happens when governments change the minimum wage.

More than two decades ago the economists David Card and Alan Krueger realized that when an individual state raises its minimum wage rate, it in effect performs an experiment on the labor market. Better still, it’s an experiment that offers a natural control group: neighboring states that don’t raise their minimum wages. Mr. Card and Mr. Krueger applied their insight by looking at what happened to the fast-food sector — which is where the effects of the minimum wage should be most pronounced — after New Jersey hiked its minimum wage but Pennsylvania did not.

Until the Card-Krueger study, most economists, myself included, assumed that raising the minimum wage would have a clear negative effect on employment. But they found, if anything, a positive effect. Their result has since been confirmed using data from many episodes. There’s just no evidence that raising the minimum wage costs jobs, at least when the starting point is as low as it is in modern America.

さて、賃金決定に関する我々の理解は、政府が最低賃金を変えたら何が起こるかについての素晴らしい一連の研究によってもたらされた知的革命によってーこれは言いすぎじゃないよ-大転換しているんだ。

20年以上も前に、経済学者デービット・カードとアラン・クルーガーは、ある州が最低賃金を引き上げたら労働市場にどういう影響を与えるかを実験的に明らかにした。実験というのは、隣接する州が最低賃金を引き上げないという自然のコントロールグループが提供されていたからだ。カードとクルーガーは、ニュージャージー州が最低賃金を引き上げたけれどもペンシルベニア州は引き上げなかった時に、ファーストフード業界-最低賃金の影響を一番受けると言われている業界だ-で何が起こったかを観察することで彼らの洞察を適用した。

カードとクルーガーの研究まで、多くの経済学者たちは-僕自身も含めて-最低賃金を引き上げたりしたら雇用に明らかなマイナスの影響を与えると思い込んでいた。ところが彼らは、それどころかプラスの影響があることを発見したんだ。この結果は多くのエピソードからのデータによって確認されてきている。最低賃金を引き上げたら雇用が失われるなんて言う証拠は全くないんだ。少なくとも、(最低賃金の引き上げの)出発点が現代アメリカのように低い国ではね。

(追記)

https://mobile.twitter.com/yeuxqui/status/625455548427689984?p=p

というか「経済学者」、最賃引き上げや、賃上げの批判しなくなったなw。都構想とかは突然擁護してみたりはするが。

というか、「りふれは」ケーザイ学者ね。

2015年7月17日 (金)

プロテスタントの財政倫理

ドイツのEU労働法労使関係研究所(Institute for Labour Law and Industrial Relations in the European Union (IAAEU))に、先月のディスカションペーパーとして、「プロテスタントの財政倫理:ドイツにおける宗教的懺悔とユーロ懐疑主義」(The Protestant Fiscal Ethic:Religious Confession and Euro Skepticism in Germany)という論文がアップされていて、ざっと読むとなかなか面白い。というか、一瞬マックス・ウェーバーかというタイトルで、ここのところのギリシャ騒ぎの宗教社会学的な根っこが垣間見えるようなところがあります。

http://www.iaaeu.de/images/DiscussionPaper/2015_07.pdf

During the European sovereign debt crisis, most countries that ran into fiscal trouble had Catholic majorities, whereas countries with Protestant majorities were able to avoid fiscal problems. Survey data show that, within Germany, views on the euro differ between Protestants and Non-Protestants, too. Among Protestants, concerns about the euro have, compared to Non-Protestants, increased during the crisis, and significantly reduce their subjective wellbeing only. We use the timing of survey interviews and news events in 2011 to account for the endogeneity of euro concerns. Emphasis on moral hazard concerns in Protestant theology may, thus, still shape economic preferences.

欧州の国家債務危機の間、財政問題に突入した多くの諸国はカトリックが多数派であったのに対し、プロテスタントが多数派の国は財政問題を回避できた。調査データによると、ドイツにおいてユーロに対する見方はプロテスタントと非プロテスタントで異なる。非プロテスタントと比べて、プロテスタントでは、危機の間ユーロへの懸念が高まり、その主観的福祉をを著しく引き下げた。・・・プロテスタント神学におけるモラルハザード懸念への強調が経済的選好をなお形作っているようだ。

いやギリシャはカトリックじゃなくてギリシャ正教なんですけど・・・。

それはともかく、いまさらウェーバーかという人もいるかも知れませんが、やっぱりプロテスタントの倫理は強かったということですかね。こないだできたような経済理論でどうこうなるようなやわなもんじゃない、と。

杉田真衣『高卒女性の12年』

33309246大月書店の角田三佳さんから、彼女が編集に携わった杉田真衣『高卒女性の12年』をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.otsukishoten.co.jp/book/b201130.html

高校3年から30歳まで、ノンエリート女性たちは、どのような関係と環境のなかで働き、暮らしてきたのか。わずかなつながりを支えに、東京で生きぬく女性たちの歩みを、インタビュー調査から描く。

本の構成はほぼ前半の第1部が4人の高卒女性の10代後半から30歳までのライフヒストリー。ここがなかなか面白くて、下手な作家の下流ものより、ずっとリアルな描写が続きます。

後半の第2部は分析編ですが、労働編、生活編の間に性的サービス労働を分析する第6章が入っている点が、彼女らのリアルな人生経路をよく示しています。

さっき「下流」という言葉を使いましたが、この本ではそういうキャッチーな形容詞は使われていません。「ノンエリート」という言い方になっています。しかし、労働研究の世界で使われるノンエリートとはだいぶ違う感じです。それは、彼女らが普通科底辺校出身であり、労働世界の「野郎ども」型ノンエリートの職業教育→職業現場という移行も経験しない、在学中からアルバイトで働いて家庭にお金を入れ、卒業後も引き続き非正規で働いたり辞めたり、性的サービスに行ったり辞めたり、を繰り返しているからでしょう。

しかし、杉田さんの視線はおそらくこの「ノンエリート」という言葉をもう少し広い視野で見ようとしているのでしょう。確かに彼女らの出た普通科高校は、「一定の職業領域への生徒の進路を水路付け、そこへの参入のために専門的な知識や技術、職業態度や職業倫理を身につけることを目標とする専門学科とは異なり、原理的に子供達の進路を特定の方向への水路付ける機能は持たない」ので、その帰結として、高校時代のアルバイトの延長線上に、性的サービス労働も含む非正規労働と無業を繰り返すことになります。その点はまさに普通科の高校の職業的レリバンスの欠如の現れという風にいうこともできるのですが、それとともに、その底辺普通科高校時代の同級生ネットワークが彼女らが30歳に至るまでずっと続いていき、それが彼女らの時として危うい人生を支えてきているという点に着目しているところが、なかなか一筋縄ではいかない所だと思います。

・・・第5章では、職業的な技術や知識の伝達を通じて所与の状況から抜け出す手がかりとなるという学校のバイパス機能に着目し、彼女たちが通っている普通科高校がその機能を果たしていないことを批判的に論じた。とはいえ、上述の議論を踏まえるならば、学校が担っているもう一つの機能、所与の状況から抜け出すことを支援するのではなく他者と時間や場を共有することを通じて埋め込まれる関係を作り出す、いわば「所与性」を作り出す機能にも着目する必要があるだろう。・・・とりわけ、学校卒業後は安定した関係を築ける環境に恵まれず、他方で学歴や経済力など個人として生きていく資源にも恵まれないノンエリートの女性たちにとっては、学校でいかなる関係が構築されるかが、その後の人生を生きていくための社会関係資本を得る上で重要な意味を持っていると言える。

なお、ある種の関心からは第6章の「若年女性と性的サービス労働」が興味深いと思われますが、少なくとも鈴木涼美さんの本とは違う地べたからの目線で書かれてますので、ご注意を。

序章 若年ノンエリート女性をどのようにとらえるか

第Ⅰ部 高卒後、一二年の軌跡――四人のライフヒストリーから
第1章 先が見えないし長生きはしたくない――非正規で働き続ける庄山真紀さん
第2章 三〇歳なのに二〇歳みたいに悩んでいる――二〇代後半から芸能の道を歩む西澤菜穂子さん
第3章 親がいる限り自由がない――健康問題を抱え姉弟と家計を支える浜野美帆さん
第4章 結婚一〇周年には旅行に行きたい――家族形成を軸にネットワークを拡げる岸田さやかさん

第Ⅱ部 労働、生活、ネットワーク――つくりだされる〈社会〉の輪郭
第5章 若年女性たちの労働の姿
第6章 若年女性と性的サービス労働
第7章 若年女性たちの生活のかたち

終章 彼女たちのこれまでとこれから

2015年7月15日 (水)

政治スト

毎日新聞に「安保法案:今こそ「伝家の宝刀」 労組、スト権確立続々と」という記事が載っていますが、

http://mainichi.jp/select/news/20150715k0000e040245000c.html

政府・与党が安全保障関連法案の成立を目指して突き進む中、労働組合で同法案に反対してストライキを構えようという動きが広がっている。ストライキは春闘の賃上げ交渉の手段にとどまらず、かつては日米安保条約改定などに反対する際にも「政治スト」として盛んに行われたが、1970年代半ばをピークに件数は減少の一途をたどってきた。だが、国民の間で安保法案への危機感が高まる中、「伝家の宝刀」が再び注目されている。【東海林智】

記事自体は事実を伝えているので別にいいのですが、最後の解説部分が大変ミスリーディングというか、間違った情報を伝えかねない危険性を感じます。

【ことば】ストライキ

 組合員が職場で一斉に仕事を放棄する行為。労働者の団結権や団体交渉権と共に労働者の権利として憲法28条で認められ、正式な手続きを踏めば会社からストを理由とした処分や損害賠償請求を受けない。春闘などで労働条件改善を目的に行われる「経済スト」に対し、政府の施策への抗議など政治に関連するものは「政治スト」と呼ばれ、以前盛んに行われた。

いや前半は法制の説明としてはそのとおりです。給料上げろでも、残業なくせでも、使用者ができることである限り、要求できるし、スト権もある。後半は政治史の説明としてはそのとおりです。かつては政治ストがいっぱいあった。ただし、ここが大事ですが、日本の判例通説は、政治ストは違法であり、労働組合法の保護を受けられないとしています。そこのところの一番大事なところを、どうもこの解説はわざと抜かしているように見えますが、もしこれを読んで、政治ストも現行法(判例)上認められていると思い込む人が出たりするとまずいので、ここはちゃんと注釈をつけるべきでしょう。

なお、労働法学者の中にはある種の政治ストは合法だという人もいます。労働法改正反対などの経済的政治ストと、労働者の経済的利益に関係しない純粋政治ストを区別し、前者は許されるという説です。ただしそのその説も判例通説ではありません。

しかし仮にその二分説にたったとしても、安全保障関連法案での政治ストは純粋政治ストですから、どうひっくりかえっても合法的にはなりえません。

ここは、最近集団的労使関係法の人気がなくなったために、あまりきちんと説明する人がいなくなっていて、ややブラックホール状態になっていますが、大事なポイントなので、誰か関係の人がきちんとそのリスクを説明しておくべきではないかと思います。

やや皮肉を言うと、社長に向かって直接スト権という刃を向けることもできないような労働組合が、社長の目の前で、しかし刃の向きはあっちの方のあらぬ方向に向けて、ストだストだと騒いでみて何の意味があるのか、真面目に考えてみる必要があるのではないでしょうか。

そしてもっと深刻なのは、労働者の労働条件の向上という労働組合の本来の役割はあちらの方に放っておいて、政治団体か思想団体かと間違えられるようなことばかりがクローズアップされればされるほど、そういうけしからん政治活動ばかりやるような労働組合とか言う不逞の輩は抑圧しなければならないというような、とんでもない発想に一生懸命せっせと燃料を注ぐことになるのではないか、と、そういう懸念も少しはもってもらいたいものです。

(追記)

しかし、この記事へのツイートを見ていくといささか絶望的になります。

https://twitter.com/search?q=http%3A%2F%2Fmainichi.jp%2Fselect%2Fnews%2F20150715k0000e040245000c.html

とにかく、本来の、労働条件の向上のためのストという、それであれば民事上の損害賠償も受けないし、刑事上の訴追も受けないストライキがほとんど絶滅危惧種になりつつある異常な世の中で、

ストを打たれてもその相手の経営者にはいかんともし難い高度な政治問題を掲げたストという、あえてやれば民事上の損害賠償請求もまともに食らうし、場合によっては刑事上の訴追もあり得るようなリスクのある政治ストばかりが、観念的にネット上でもてはやされるという異様な事態に、少しは違和感を感じている人がいないのだろうかと、一生懸命探してもほとんど出てこない(ごくわずかはありますが)。

自分が政治ストの相手の経営者になったとして考えてみてください。

給料上げろとか残業なくせというのは、経営者が自分でやれること、それを理由にストを打たれて損害を出しても、それは経営者の責任というのが労働組合法の大原則。

安全保障法案を理由にストを打たれて、打たれた経営者は何をどうしろというのか、こういう現場感覚に即した発想が雲散霧消してしまった廃墟に、空中浮遊するかのような政治スト礼賛論ばかりがはびこるということに、もう少し危機感を持って欲しいなあ、と。

最低賃金と生活保護

本日の中央最低賃金審議会目安に関する小委員会の資料がアップされていますが、

http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi2/0000091489.html

その中でも注目されるのは「生活保護と最低賃金」の資料です。

ご承知の通り、2007年、第1次安倍内閣の時に最低賃金法が改正され、地域最賃の原則として、

3 前項の労働者の生計費を考慮するに当たっては、労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう、生活保護に係る施策との整合性に配慮するものとする。

という規定が入りました。

それ以来、政権は変われども最賃を少なくとも生活保護を下回らない所まで上げていくというのが、(もちろん唯一ではないとしても)かなり大きな動力源として働いてきたことは間違いありません。

生活保護データは平成25年度ですが、最低賃金は平成25年度、平成26年度と両方のグラフが用意されています。両方平成25年度で見ると、なお北海道は逆転してますが、最低賃金を平成26年度にしたグラフでは、北海道も逆転が解消しています。

Saichin

このデータを踏まえて、今後労使がどういう議論をしていくかですが、やはり労働側としては、アベノミクスや賃金引き上げの勢いを削減することのないように、というような議論になるのでしょうし、経営側としてはギリシャの影響がどうなるか分からないし・・・というような議論になるのでしょうか。

政府のマクロ政策ドクトリンとしては、経済財政基本方針において、

http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11201250-Roudoukijunkyoku-Roudoujoukenseisakuka/0000090327.pdf

また、中小企業・小規模事業者への支援を図りつ最低賃金引上げに努める。

と、また日本再興戦略2015において、

http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11201250-Roudoukijunkyoku-Roudoujoukenseisakuka/0000090323.pdf

すべての所得層で賃金上昇と企業収益向上の好循環が持続・拡大されるよう、中小企業・小規模事業者の生産性向上等のため支援を図りつつ、最低賃金の引き上げに努める。

と書かれていますので、マクロ経済政策としてはなお追い風ではあるわけですが。

いずれにしても、生活保護との逆転解消という追い風がやんでしまってから初めての最賃の土俵ですので、どういう風に動いていくか引き続き注目です。

2015年7月13日 (月)

労働法の教科書に書いてないことが一番大事

ブラックバイト問題について、あるいはそれにとどまらずブラック企業問題について、実は一番重要な指摘は、前からPOSSEの人たちが指摘してきた

https://twitter.com/magazine_posse/status/620545592381456384

もう何回もつぶやいてるけど、ブラックバイトユニオンに寄せられた600件の労働相談で一番多いのは「辞められない」。サービス産業の学生バイト依存が背景。低賃金のアルバイトに店を任せ、過剰な責任と業務を負わせる。それでも辞めようとすれば「仕事をなめるな」「自分勝手だな」と責任感を煽る。

という点にあるのだと思う。

そして、皮肉なことに、この点は「だから若者に労働法の知識が大事!」という意識の中にはなかなか入ってこないのだ。なぜなら、これは民法の原則そのものであって、それを修正してできた「労働法」じゃないから。

若者に必要なのは、民法を修正してできた労働法よりもその前の民法そのものであり、労使は対等じゃないから労働者を保護しなくてはいけないという理屈で作られた労働法である以前に、労使は対等なんだから辞めたければ辞めていいんだよ、という市民法の原則であるという皮肉を、どこまで関係者の皆さんが的確に理解しているかという問題でもある。

というようなことを昨年も書いた記憶が・・・

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-632c.html (労働法教育の前にまず民法を)

てなことをいうと、一世代か二世代くらい昔であれば、せっかくブルジョワ市民法原理を克服する労働法を確立したのに、元に戻れというのか?と怒り心頭に発したおしかりを各方面から受けることになったに違いありませんが、いやいや昨今の労働者の相談なるものをみていくと、そんな先走ったあれこれの労働者の権利なんてものに行く前のもっともっと前の段階で、それこそブルジョワ市民法原理をもちっとしっかりと身につけてもらわんことには、どうしようもないという姿が浮かび上がってくるわけでごぜえますだよ。・・・・・

・・・・まさに「働くことに関する基本的な知識が労使双方で不足」には違いないのですが、ここで問題なのはそれがいわゆる近代市民法を修正してできた現代労働法に属する部分における「知識の不足」じゃないということです。

それよりも、もっと根源的なというか、中世封建社会を否定してできた近代市民社会(そう言いたければブルジョワ社会とでも何とでも言えば良いが)の基本原理自体が、労使双方にしかと認識されておらず、ご主人様が駄目だと言ったら召使いは勝手に辞めることも許されないのが当たり前みたいな感覚があるらしいことです。未だに主従法の世界か!?

私もここ数年来、いろんな人々の驥尾に付して労働法教育が必要だの何だのと言ってきてますけど、なんだか事態はもう少し深刻で、いわゆる労働法学で教えているような労働法以前の、民法の雇用規定それ自体を改めてしっかりと教えておかなければいけないような状況なのかもしれないな、と感じる次第です。

コマ給、コマ雇用

51swul89ujl__sx350_bo1204203200__2さて、先週末に頂いた『POSSE』27号ですが、特集の「塾とブラックバイト」でかなり大きく取り上げられているのが「コマ給」の問題です。

しかし、これは学生アルバイトの話だけではないはずです。塾、予備校業界は基本的にコマ給制だし、そもそも大学の非常勤講師だってコマ給なんじゃないですか?

さらにいうと、これは労働局に寄せられてた個別労働紛争に幾つか塾、予備校関係のものがあるんですが、そもそも雇用関係自体がコマ単位で結ばれていて、それが翌年度入れる入れないでも揉めてるケースが幾つかあるのですが、そういう風にいわばコマ雇用とでもいうべき状態がかなり普通なのではないかと思われるのです。

いずれにしても、こういったコマ給、コマ雇用の問題はそれ自体突っ込んで論ずべき内容を含んでいるとはいえ、ブラックバイトのブラックたる所以の話とはどうも道筋が少しずれた話になりかねない感があり、いささか据わりの悪い感じがしています。

(追記)

この話題に、社会保険労務士で「労働者を守る会」代表の須田美貴さんがこんなコメント:

https://twitter.com/sudatora/status/620499880738361345

塾や予備校講師の経験者から言わせてもらうと、コマ給で契約して休み時間に時給が発生しないことをブラックだというのはおかしいね。最初にその説明がないなら会社が悪いけど、説明してるはず。講師やっている人なんてそれで今年はいくつコマがもらえるかでやる気に繋がるんだし、

https://twitter.com/sudatora/status/620499909699960832

タレントみたいなもので、人気があれば稼げてそれがコマ数に反映される。元々時給が高いのは休み時間の対応分も含まれていると思っているし、準備に時給が発生しないなんで、どんな仕事でも言えると思う。労働者を守る会だからといって、どんなケースでも労働者が正しいという団体ではない。

https://twitter.com/sudatora/status/620499936610680832

そこでどうやって働き続けるか、または転職して気持ちよく働くか、それにはその仕事に合う合わないというのが一番問題なので、そのも含めてアドバイスできればと思っている。会社を叩けばいいってもんじゃないです。

ちなみに、この須田美貴さん、そんじょそこらのただの社労士だと思ったら大けがをします。

http://wpb.shueisha.co.jp/2013/08/23/21315/(度重なる解雇から人生を大逆転させた“鉄人女”須田美貴「クビなんて大したことない。人生の肥やしだ、くよくよするな」)

「職場でヒドイ目に遭っている人を救いたい」―。そんな思いで現在、社労士として活躍中の須田美貴さん。セクハラ、パワハラ、不当解雇……。数々の地獄から這い上がってきた彼女に体験談を語ってもらった。

この須田さん、本当にブラックな予備校と闘った経験があるだけに、言うことに無言の迫力があります。

http://sr-partners.net/archives/51887807.html(営業活動は無報酬でやれ,と講師に指示していた資格予備校)

資格予備校LECの元講師須田美貴さんが,労働組合派遣ユニオンを通じて東京都労働委員会へLECの不当労働行為の救済命令申立書を提出したそうです。

(再追記)

おそらく結構な数の弁護士の方々が、ロースクールの非常勤講師をされているはずですが、その報酬制度はおそらくやはりコマ給のはず。それに文句をつけたという話を聞かないので、こういうコマ雇用においては授業の準備作業も含めてコマ給を払っているという認識が一般的なのではないかと思われます。もしそうではないというのであれば、今から各大学に抗議に行く必要があるような。

2015年7月12日 (日)

UAゼンセン2組合の勤務間インターバル

Img_559 勤務間インターバル制度(休息時間)については、今年の春闘で情報労連のKDDIというおおどころが獲得したというのが注目を集めているのは当然ですが、小さなところでもいくつか獲得した組合があります。

ここでは、UAゼンセン傘下の立山科学グループとサガミチェーンの労組が、それぞれ8時間、9時間の勤務間インターバルを獲得したという情報が、UAゼンセン新聞の記事に紹介されています。

http://www.uazensen.jp/cms2/cms_file/journal/file1_559.pdf

2015労働条件闘争の取り組みのなかで、賃金闘争以外の総合的な労働条件の改善でも加盟組合で多くの進展がありました。そのなかから労働条件改善の取り組み事例を2回にわたり紹介します。今号では、労働時間の改善として「勤務間インターバル規制」 の導入について労使合意した、 立山科学グループ労働組合 (製造産業部門・富山県)とサガミチェーン労働組合(総合サービス部門・愛知県)を紹介します。

2015年7月11日 (土)

EU労働法からオプトアウトするキャメロン

ここ何年か、ギリシャをはじめとする南欧諸国への緊縮政策の強制でネオリベの権化のように見られているEUですが、イギリスというネオリベの本家本元からすると、EUのソーシャルな法令は不愉快なものであることに変わりはないようです。

英紙ザ・ガーディアンの本日付の記事に、イギリスのキャメロン首相が、EUとの脱退交渉で、労働時間指令や派遣労働指令のような労働社会政策からのオプトアウトを求める予定であると報じています。

http://www.theguardian.com/politics/2015/jul/11/david-cameron-employment-law-opt-out-eu-membership-renegotiation(Cameron to include employment law opt-out in EU membership negotiations)

1378 David Cameron is to make an opt-out from EU employment social protection laws such as the working time directive and the agency workers’ directive one of his goals in his negotiations with Europe, according to reports from Conservative political sources in Brussels.

ご承知の通り、かつてサッチャー、メージャー保守党政権時代、イギリスはEUの労働社会政策には入らないというオプトアウトをしていました。1997年にブレア労働党政権になって、オプトイン、つまりEUの労働社会政策に参加するようになったのですが、キャメロン首相にとっては、ドーバー海峡の向こうからの指令でルールが決められるのは不愉快なのでしょう。保守党と労働党という観点からすればわかりやすい話です。

ただ、この話は大変複雑です。そもそも、EU脱退交渉は、UK独立党が勢力を拡大したためにいやいややらざるを得ないもので、EU市場から利益を得ている経済界の支持を頼む保守党本体としては、EUから脱退なんかしたくないのが本音。

ところが、今回のオプトアウトの話は、労働側からするとEUに入っている意味が大幅になくなってしまう(EUの市場原理だけはやってくるけれども、ソーシャルな政策は入ってこなくなる)ので、労働側をEU反対派に追いやるかも知れない。そうすると、目算が狂って、EU脱退派の方が多くなってしまい、困った結果になるかも知れない。

現在EUのあちらこちらで、リベラル対ソーシャルという経済社会政策の軸と、ナショナル対スプラナショナルという民族主義の軸とが奇妙にねじれあい絡み合う事態が起こっていますが、イギリスのこの状況も興味深いものがあります。

A demand for Britain to be excluded from employment laws restoring the opt-outs negotiated by John Major and then abandoned by Tony Blair in 1997 would be a high-risk political move, since it would enhance the risk of a large no vote putting Britain’s entire relationship with the EU at risk.

Pro-Europe businesses would have to calculate whether the enhanced risk of a defeat in the referendum would be worth the prize of achieving the opt-outs.・・・

There is already an increasingly Eurosceptic mood in parts of the left due to the imposition of austerity on Greece. But the move would please Conservative Eurosceptics who have been unimpressed by the modesty of Cameron’s demands.

『POSSE』27号は「塾とブラックバイト」特集

Hyoshi27 『POSSE』27号をおおくりいただきました。「塾とブラックバイト」が特集です。

http://www.npoposse.jp/magazine/no27.html

特集はなかなか充実していて、

◆特集 「塾とブラックバイト」

 「「ブラックバイト調査」集計結果(全体版)発表の記者会見」 大内裕和(中京大学教授)×上西充子(法政大学教授)×今野晴貴(NPO法人POSSE代表)

 「ブラックバイトを生み出すサービス業・小売業における労務管理の変容」 佐藤博樹(中央大学大学院教授)

 「なぜ個別指導塾はブラックバイトの象徴なのか」 本誌編集部

 「塾はどのようにブラック企業になったか―市進学院の事例」 全国一般東京東部労組市進支部

 「「コマ給」をどう捉えるか―法的視点から考える個別指導塾の労働問題」 嶋﨑量(弁護士)

 「全国の学生アルバイトユニオンはブラックバイトとどう闘うか」 岩井佑樹(首都圏学生ユニオン代表)×渡辺謙吾(関西学生アルバイトユニオン共同代表)×石井伸一(札幌学生ユニオン役員)×坂倉昇平(ブラックバイトユニオン事務局長)×青木耕太郎(ブラックバイトユニオン執行委員)

 「連載 ブラック企業対策のいま #02ブラックバイトユニオン」 渡辺寛人(ブラックバイトユニオン共同代表)

 「高校生のブラックバイトに対し、現場の高校教員はいかに取り組むことができるのか」 阪本宏児(神奈川県立高校教員)×今野晴貴(NPO法人POSSE代表)

 「15分でわかるブラックバイト」

冒頭の編集部の「15分でわかる」がもちろんよくまとまってますが、労働問題として歴史的なパースペクティブで考える際には、佐藤博樹さんのインタビューが役に立ちます。

なぜブラックバイト問題が上の世代に伝わりにくいかというと、上の世代にとってはブラックじゃない学生バイトが当たり前だったからですが、その背景にある労務管理の変化がわかりやすく語られています。かつては、学生の都合に合わせてシフトを調整するという企業が当たり前であったのです。

実は、これはアルバイトと並ぶ伝統的非正規労働形態であるパートタイマーに先行して起こったことの、文脈を異にした再現という面もあるのではないかと思います。

ただし、パートの場合は、主婦が片手間にパートをしている→パートの仕事が基幹化して肝心の主婦業がおろそかになっている、ケシカラン・・・という主婦モデルからの批判が主流化する方向には行かず、パートといえどもれっきとした労働者だ→パートの仕事が基幹化してきたのなら、それに応じた処遇にしろ・・・という労働者モデルからの批判が主流化する方向に行きました。

そして、家事育児といったそれまで主婦の「本業」と考えられていたことどもについては、(もちろん社会意識は必ずしもそうなっていませんが)労働者みんなにとってもその間のバランスを取られるべき問題であるというWLBモデルが主流化していきます。

また、いわゆるフリーターの場合は、主婦や学生といった社会学的「本業」がないだけに、より直裁に、かつての臨時工をめぐる議論に近い形で、労働者モデルからの批判がされました。

これに対して、ここに来て改めて学生という社会学的「本業」とのコンフリクトが前面に出てくる形で非正規労働者の基幹化がクローズアップされてきたわけです。

とすると、目の前の様々な問題を一旦括弧に入れて、マクロ的にものごとの推移を考えれば、

・学生が片手間にバイトをしている→バイトの仕事が基幹化して肝心の学生業がおろそかになっている、ケシカラン・・・という学生モデルからの批判

・バイトといえどもれっきとした労働者だ→バイトの仕事が基幹化してきたのなら、それに応じた処遇にしろ・・・という労働者モデルからの批判

という二つの方向性があることがわかります。現時点では、本誌の記事を見てもわかるように、この両方の流れが入り交じっています。

主婦モデルが(意識は別として)政策レベルでは過去のものになりつつあるのに対し、学生モデルは現在でもなおかなりの正統性を持っています。だからこそ、「15分でわかる」の冒頭でも、「学生であることを尊重しないアルバイト」という単純明快な定義がされるわけです。「主婦であることを尊重しないパート」がブラックパートだなんて言ったら、アナクロニズム扱いされるのとは違います。

しかし、私はむしろそこにブラックバイト現象を根っこのところで生み出している問題点があるように思います。それは、「15分でわかる」にもちらりと出てきますが、そんなに大事な大学の授業って、ほんとにそんなに大事なの?という肝心要のところで、実は必ずしもそうだと思われていない、とりわけ人文社会系の学部ではそういう傾向が強いという、みんなうすうすわかっている問題です。その背景にはもちろん、中身は空白の石版でも、働く意欲だけは満々であることが求められる「就活」があるわけで、そこまで踏み込まないでこの問題を議論しても、就活で講義に出てこられない可哀想な学生に呪いをかける某哲学の先生と大して変わらないレベルになってしまうという問題です。

やや先走って言うと、学生が大学で受ける授業とコンフリクトのない正しい就労形態というのを追求していくと、それこそドイツのデュアルシステムとか、アメリカのインターンシップモデルのような産学連携型の学習と労働の組み合わせという方向になるように思います。しかし、そういうのが一番忌み嫌われるのは日本でもあるんですね。

2015年7月10日 (金)

有期契約労働者の育児休業取得権

本日、厚生労働省の「今後の仕事と家庭の両立支援に関する研究会」に、報告書素案が提示されたようです。

メインのテーマは介護休業の拡充なんですが、育児休業の方で興味深い提起がされています。

http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11901000-Koyoukintoujidoukateikyoku-Soumuka/0000091340.pdf

(2)有期契約労働者にかかる育児休業の取得要件

(現行制度の状況等)

○ 有期契約労働者については、平成 16 年の法改正により、一定の要件の下で休業 取得の対象とされた。一方で、平成 16 年の法改正時及び前回平成 21 年の法改正時 の国会での附帯決議において、有期契約労働者への制度の適用範囲の在り方につい て引き続き検討することを求められている。

○ この点、平成 16 年の法改正の施行から 10 年を経過したが、有期契約労働者の育 児休業取得率は 69.8%と、女性全体が 83.0%であるのに比べ低い割合となってい ることや、パート・派遣については、育児休業を取得して就業を継続する割合は 4.0%で、正規の職員の 43.1%に比べ低水準にとどまるとの調査結果もあり、有期 契約労働者への制度の適用範囲について、見直しを含めて検討する必要がある。

○ 有期契約労働者への適用範囲は、申出時点において次の要件のいずれも満たして いる者に限られている。 ①同一の事業主に引き続き雇用された期間が1年以上であること ②子が1歳に達する日を超えて引き続き雇用されることが見込まれること (③子が1歳に達する日から1年を経過する日までの間に、労働契約期間が満了し、 かつ、労働契約の更新がないことが明らかである者を除く。)

○ このような要件が設けられた趣旨は、育児・介護休業法の目的が労働者の雇用の 継続にあるところ、労働契約の更新を繰り返して継続して雇用される者も多くいる ことから、相当期間雇用の継続が見込まれると考えられる者について育児休業や介 護休業を認めることにある。

(今後の対応の方向性)

○ 上記の要件のうち、②の要件について、特に1年未満の契約を繰り返し更新して いる場合など、申出時点で将来の雇用継続の見込みがあるかどうかを有期契約労働 者が判断することは困難であるとの意見や、労働者側と事業主側とで判断が分かれ るところであり、紛争の原因になりかねないといった意見等があった。

○ 現行の②の要件では子が1歳に達した時点で引き続き雇用されているかが不明 18 な場合が特に問題になることから、②の要件や③の要件をなくし、少なくとも育児 休業の申出時点から当該雇用契約の終了までの期間については育児休業の取得が 可能となるようすべき、との意見や、②の要件を、子が1歳に達する日までの間に、 労働契約期間が満了し、かつ、労働契約の更新がないことが明らかである者のみ育 児休業が取得できないこととすべき、との意見があった。

○ 要件の見直しを検討するにあたっては、雇用の継続という育児・介護休業法の目 的に加え、事業主の雇用管理上の負担を十分に考慮し、また不利益取扱いの考え方 等を整理しつつ、さらに検討を深める必要がある。また、労働契約法の改正により、 有期労働契約が反復更新されて通算5年を超えたときは、労働者の申込みにより、 無期労働契約に転換できるようになったことも踏まえるべきであるとの指摘もあ った。

○ なお、産前産後休業を取得した有期契約労働者のうち、育児休業を取得した割合 は 83%である一方、産前産後休業や育児休業は法律上の要件を満たせば事業所に制 度がなくても取得できることを知っていた有期契約労働者は 33.6%と低い割合とな っていること(平成 27 年)から、そもそも産前産後休業を取得できることを知ら ないために、育児休業の取得率も上がらない可能性がある。そこで、有期契約労働 者でも産前産後休業・育児休業制度等を利用できることについて、引き続き周知す ることが重要である。その際、自治体が独自に育児休業について母子健康手帳に記 載している例のように、個人に向けた情報提供が有効であることに留意すべきであ る。

有期契約の将来の見込みという要件は、今問題になっている派遣事業における特定派遣の要件が「全員常用」なんだけど、これが有期を反復更新する見込みでいい、というインチキ要件になってしまっている例でもわかるように、予定は未定にして決定にあらずなのにそれで前もって決めてしまうという矛盾をどうしてもはらんでしまうのですね。

なんにせよ、これが報告書になって、その後さらに三者構成の労政審での審議を経て法制化という段取りですから、もう少し事態の推移を見ていきたいと思います。

ワーキングマザーの歌

リクナビジャーナルに、「【人事の課題を“歌”に!?】年間500社超を訪問する人事ジャーナリストがCDデビューした理由」という記事が載っています。

http://next.rikunabi.com/journal/entry/20150709?hatena_remove_after=1&vos=nrnngooglermct00009

・・・その楠田氏が先月、なんとCDデビューを果たした。収録曲のタイトルは『ワーキングマザー』『育児休暇促進のうた』『フィードバックで成長できるさ』『あゝそれが役職定年』など。企業が抱える人事的な課題を歌にして、自らアコースティックギターを奏で、歌う。なぜ氏はこのような活動を始めたのだろうか?

その楠田祐さんのご尊顔はこちらです。

20150709153611

どんな歌を唱うかというと、たとえば「ワーキングマザー」(作詞・作曲/楠田祐)

夕べは あまり 寝ていない 夜泣きと オムツ変えて 私寝不足
今朝も手作り お弁当を作って 保育園に 子供を連れていく
夕方4時になったら 私は保育園に迎えに行くのよ
ワーキングマザー 子育てをしながら
ワーキングマザー 私は働いているのよ

私が4時に帰ったあと 職場のみんな あとは宜しくね
5時になったら 部長が戻って来る その時 この書類を渡しておいて
6時になったら電話があるから 明日の10時に折電するって伝えて
ワーキングマザー 職場のみんなが協力してくれる
ワーキングマザー 顧客もわかってくれてる

うわあ、この歌詞ぐさぐさ来る人も多いのでは。

でも、できれば、育休世代の女性にこそ歌って欲しい感も・・・。

ちなみにお名前からも想像されるように、楠田丘さんの甥に当たる方のようです。

2015年7月 8日 (水)

小宮文人『労働契約締結過程(労働法判例総合解説9)』

201262 小宮文人さんの『労働契約締結過程(労働法判例総合解説9)』(信山社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.shinzansha.co.jp/book/b201262.html

はじめに

第1章 職業安定法等による求人・募集の法規制

 第1節 職安法等による規制

 第2節 職業紹介規制

 第3節 募集規制

 第4節 労働者供給事業

第2章 採用の自由と規制

 第1節 採用の自由

 第2節 法律による採用自由の規制

 第3節 使用者の採否決定のための調査の自由

第3章 労働契約締結過程の信義則

 第1節 契約締結過程の信義則の意義

 第2節 求人者による契約交渉の一方的破棄

  1 新卒者の契約締結期待の保護

  2 転職勧誘による労働者の契約締結期待の保護

 第3節 契約成立直後の契約解消

 第4節 契約内容説明義務

第4章 労働契約の成立

 第1節 採用内定

  1 採用内定の法的性格

  2 就労始期付と効力始期付

  3 その他の構成

  4 中途採用の場合

  5 内定取消しの有効性の判断

  6 内定取消しの無効・有効の具体例

  (1)適格性欠如/(2)入社前研修不参加/(3)経営上の都合

  7 救済としての損害賠償の内容

  8 労働者の内定辞退

 第2節 身元保証契約

  1 身元保証契約の成立

  2 身元保証契約の内容

  (1)身元保証契約期間/(2)使用者の通知義務違反/(3)身元保証責任の範囲

 第3節 試用期間

  1 試用期間の法的性格

  2 試用期間の長さ・更新・延長

  3 留保解約=解雇と解雇予告

  4 留保解約権=解雇権の濫用

  (1)技術・知識・能力欠如/(2)勤務態度不良・協調性欠如/(3)勤務成績不良/

  (4)経歴詐称/(5)その他労働者側の事由/(6)人員整理

 第4節 試用期間と有期労働契約

 第5節 有期労働契約の試用期間等

 第6節 再雇用

  1 再雇用について

  2 高年齢者雇用安定法に関する判例

第5章 労働契約の内容確定

 第1節 労働契約の成否

 第2節 雇用・労働条件の内容

  1 求人票と労働契約の内容の確定

  2 求人広告と労働契約の内容

 第3節 期間の定めの有無

 第4節 勤務地・職種の限定,その他

  (1)概観/(2)勤務地の限定/(3)職種限定

判例索引

2015年7月 7日 (火)

経済学部の職業的レリバンス(再掲)

本田由紀さんが意味不明のつぶやきをしていたので、思い出しました。

https://twitter.com/hahaguma/status/617745186106404865?p=p

なんか今見てる手元のデータでは、経済学の大学教育の質がやばい感じなのだが…ごにょごにょ…寝よ…

大学の経済学部の教育のレリバンスについては、6年前にこんなエントリを書いてましたな。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-f2b1.html

たまたま、今から11年前の平成10年4月に当時の経済企画庁経済研究所が出した『教育経済研究会報告書』というのを見つけました。本体自体もなかなか面白い報告書なんですが、興味を惹かれたのが、40ページから42ページにかけて掲載されている「経済学部のあり方」というコラムです。筆者は小椋正立さん。本ブログでも以前何回か議論したことのある経済学部の職業的レリバンスの問題が、正面から取り上げられているのです。エコノミストの本丸中の本丸である経企庁経済研がどういうことを言っていたか、大変興味深いですので、引用しましょう。

>勉強をしないわが国の文科系学生の中でも、特にその傾向が強いと言われるグループの一つが経済学部の学生である。学生側の「言い分」として経済学部に特徴的なものとしては、「経済学は役に立たない(から勉強しても意味がない)」、「数学を駆使するので、文科系の学生には難しすぎる」などがある。・・・

>経済学の有用性については、確かに、エコノミストではなく営業、財務、労務などの諸分野で働くビジネスマンを目指す多くの学生にとって、企業に入社して直接役立つことは少ないと言えよう。しかし、ビジネスマンとしてそれぞれの職務を遂行していく上での基礎学力としては有用であると考えられる。実際、現代社会の特徴として、経済分野の専門用語が日常的に用いられるが、これは経済学を学んだ者の活躍があればこそ可能となっている。・・・

>・・・ところが、経済学の有用性への疑問や数学使用に伴う問題は、以上のような関係者の努力だけでは解決しない可能性がある。根本的には、経済学部の望ましい規模(全学生数に占める経済学部生の比率)についての検討を避けて通るわけにはいかない。

>経済学が基礎学力として有用であるとしても、実社会に出て直接役に立つ分野を含め、他の専攻分野もそれぞれの意味で有用である。その中で経済学が現在のようなシェアを正当化できるほど有用なのであろうか。基礎学力という意味では数学や物理学もそうであるが、これらの学科の規模は極めて小さい。・・・

>大学入学後に専攻を決めるのが一般的なアメリカでは、経済学の授業をいくつかとる学生は多いが専攻にする学生は少ない。もちろん、「望ましい規模」は各国の市場が決めるべきである。歴史的に決まってきた現在の規模が、市場の洗礼を受けたときにどう判断されるのか。そのときに備えて、関係者が経済学部を魅力ある存在にしていくことが期待される。

ほとんど付け加えるべきことはありません。「大学で学んできたことは全部忘れろ、一から企業が教えてやる」的な雇用システムを全面的に前提にしていたからこそ、「忘れていい」いやそれどころか「勉強してこなくてもいい」経済学を教えるという名目で大量の経済学者の雇用機会が人為的に創出されていたというこの皮肉な構造を、エコノミスト自身がみごとに摘出したエッセイです。

何かにつけて人様に市場の洗礼を受けることを強要する経済学者自身が、市場の洗礼をまともに受けたら真っ先にイチコロであるというこの構造ほど皮肉なものがあるでしょうか。これに比べたら、哲学や文学のような別に役に立たなくてもやりたいからやるんだという職業レリバンスゼロの虚学系の方が、それなりの需要が見込めるように思います。

ちなみに、最後の一文はエコノミストとしての情がにじみ出ていますが、本当に経済学部が市場の洗礼を受けたときに、経済学部を魅力ある存在にしうる分野は、エコノミスト養成用の経済学ではないように思われます。

(参考)

経済学の職業的レリバンスについては:

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_bf04.html(職業レリバンス再論)

平家さんのブログでのやり取りに始まる11日のエントリーの続きです。

平家さんから再コメントを頂きました。

http://takamasa.at.webry.info/200604/article_11.html

この中で、平家さんは「大学の先生方が学生を教えるとき、常に職業的レリバンスを意識する必要はないと思っています。勿論、医学、薬学、工学など職業に直結した教育というものは存在します。そこでは既にそういうものが意識されている、というよりは意識しなくても当然のごとくそういう教育がなされているのです。法学部の一部もそういう傾向を持っているようです。問題は、むしろ、柳井教授が指摘されているように経済、経営、商などの学部や人文科学系の学部にあるのです」と言われ、「特に人文科学系の学問(大学の歴史をたどればこれが本家本元に近いでしょう。)は、学者、ないしそれに近い知的な職業につくケースを除けば、それほど職業に直結していません。ですから、そういう学問を教えるときに職業的レリバンスを意識しても、やれることには限界があります」と述べておられます。

この点については、私は冒頭の理科系応用科学分野及び最後の(哲学や文学などの)人文系学問に関する限り、同じ意見なのです。後者については、まさにそういうことを言いたいたかったのですけどね。それが、採用の際の「官能」として役立つかとか、就職後の一般的な能力として役立つかどうかと言うことは、(それ自体としては重要な意義を有しているかも知れないけれども)少なくとも大学で教えられる中味の職業レリバンスとは関係のない話であると言うことも、また同意できる点でありましょう。

しかしながら、実は大学教育の職業レリバンスなるものが問題になるとすれば、それはその真ん中に書かれている「経済、経営、商などの学部」についての問題であるはずなんですね。この点について、上記平家さんのブログに、次のようなコメントを書き込みました。

きちんとした議論は改めてやりますが、要するに、問題は狭い意味での「人文系」学部にはないのです。なぜなら、ごく一部の研究者になろうとする人にとってはまさに職業レリバンスがある内容だし、そうでない多くの学生にとっては(はっきり言って)カルチャーセンターなんですから。
ところが、「経済、経営、商などの学部」は、本来単なる教養としてお勉強するものではないでしょう(まあ、中には「教養としての経済学」を勉強したくってきている人がいるかも知れないが、それはここでは対象外。)文学部なんてつぶしのきかない所じゃなく、ちゃんと世間で役に立つ学問を勉強しろといわれてそういうところにきた人が問題なんです。

現在の大学の「職業レリバンス」の問題ってのは、だいたいそこに集約されるわけで、そこに、実は本来問題などないはずの哲学や文学やってる人間の(研究職への就職以外の)職業レリバンスなどというおかしな問題提起に変な対応を(本田先生が)されたところから、多分話が狂ってきたんでしょうね。
実は、今燃え上がっている就職サイトの問題も、根っこは同じでしょう。職業レリバンスのある教育をきちんとしていて、世の中もそれを採用の基準にしているのであれば、その教育水準を足きりに使うのは当然の話。

もちっと刺激的な言い方をしますとね。哲学や文学なら、そういう学問が世の中に存在し続けることが大事だから、大学にそれを研究する職業をこしらえ、その養成用にしてははるかに多くの学生を集めて結果的に彼らを搾取するというのは、社会システムとしては一定の合理性があります。
しかし、哲学や文学というところを経済学とか経営学と置き換えて同じロジックが社会的に正当化できるかというと、私は大変疑問です。そこんところです。

哲学者や文学者を社会的に養うためのシステムとしての大衆化された大学文学部システムというものの存在意義は認めますよ、と。これからは大学院がそうなりそうですね。しかし、経済学者や経営学者を社会的に養うために、膨大な数の大学生に(一見職業レリバンスがあるようなふりをして実は)職業レリバンスのない教育を与えるというのは、正当化することはできないんじゃないか、ということなんですけどね。

なんちゅことをいうんや、わしらのやっとることが職業レリバンスがないやて、こんなに役にたっとるやないか、という風に反論がくることを、実は大いに期待したいのです。それが出発点のはず。

で、職業レリバンスのある教育をしているということになれば、それがどういうレベルのものであるかによって、採用側からスクリーニングされるのは当然のことでしょう。しっかりとした職業教育を施していると認められている学校と、いいかげんな職業教育しかしていない学校とで、差をつけないとしたら、その方がおかしい。

足切りがけしからん等という議論が出てくるということ自体が、職業レリバンスのないことをやってますという証拠みたいなものでしょう。いや、そもそも上記厳密な意味の人文系学問をやって普通に就職したいなんて場合、例えば勉強した哲学自体が仕事に役立つなんて誰も思わないんだから、もっぱら「官能」によるスクリーニングになったって、それは初めから当然のことなわけです。

経済学や経営学部も所詮職業レリバンスなんぞないんやから、「官能」でええやないか、と言うのなら、それはそれで一つの立場です。しかし、それなら初めからそういって学生を入れろよな、ということ。

(法学部については、一面で上記経済学部等と同じ面を持つと同時に、他面で(一部ですが)むしろ理科系応用科学系と似た側面もあり、ロースクールはどうなんだ、などという話もあるので、ここではパスしておきます)

<追記>

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20060417

「念のために申しておきますとね、法律学や会計学と違って、政治学や経済学は実は(それほど)実学ではないですよ。「経済学を使う」機会って、政策担当者以外にはあんまりないですから。世の中を見る眼鏡としては、普通の人にとっても役に立つかもしれませんが、道具として「使う」ことは余りないかと……。」

おそらく、そうでしょうね。ほんとに役立つのは霞ヶ関かシンクタンクに就職した場合くらいか。しかし、世間の人々はそう思っていないですから。(「文学部に行きたいやて?あほか、そんなわけのわからんもんにカネ出せると思うか。将来どないするつもりや?人生捨てる気か?なに?そやったら経済学部行きたい?おお、それならええで、ちゃあんと世間で生きていけるように、よう勉強してこい。」・・・)

コメント

こんにちは。日ごろより大いに勉強させていただいております。
今日のこのエントリを読んで、かつて大学受験のときに母と交わした会話を思い出しました。
私「文学部を受ける」
母「小説家になるのかい」
私「あと、政治学科も受ける」
母「政治家になるのかい」
私「…………」
向学心に燃えていた(笑)当時、なんつー俗っぽいことを言うんだ、と反発心を覚えたものですが、案外それは高卒就職した母にとって当たり前のギモンだったのかなー、と今では思います。。。

投稿: いずみん | 2006年4月20日 (木) 22時37分

いずみんさん、それはお母様が正しかったのですよ、人的資本理論からすると。

もとより、人間は人的資本であるだけではありません。そういう経済理論を「俗っぽい」と見下して、イデアの世界に生きるプラトニックな人生観もありえます。というか、そういうのがなかったら、人間世界にあんまり希望はないかも知れません。

ただ、問題はそれが経済学自身に跳ね返ってくることで、

いずみん「経済学部を受ける」
母「ケーザイ学者になるのかい」

とは普通ならないで、

いずみん「経済学部を受ける」
母「ビジネスウーマンを目指すのね」

となるのが普通でしょう。(ホント?)

それが、実学じゃないとか、「世の中を見る眼鏡」とかいわれたのでは、娘の学費を出す立場からすると、詐欺か?と言いたくなるかも知れません。

(追記)
ホントのところを言うと、経済学は役に立たないわけではありません(と思います、素人なりに)。人的資本理論なんかも、会社の人事担当者にとっては、私は必須の知識だと思います。

参考までに:
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4532131618/qid=1145845019/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/503-0048332-7207103

投稿: hamachan | 2006年4月24日 (月) 09時22分

その前のエントリが:

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_c7cd.html(哲学・文学の職業レリバンス)

その後のエントリが:

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_722a.html(なおも職業レリバンス)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_c586.html(専門高校のレリバンス)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_8cb0.html(大学教育の職業レリバンス)

2015年7月 6日 (月)

ギリシャの労働法「改革」

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-1d62.html (ドイツとギリシャのアイロニー)

Jilfire でちらと述べた、IMFとECBとECのトロイカによってギリシャに押しつけられた労働法「改革」について、在英のギリシャ人労働法学者による詳しい解説が、昨年JILPTがまとめた『欧州諸国の解雇法制―デンマーク、ギリシャ、イタリア、スペインに関する調査―』に収録されています。

http://www.jil.go.jp/institute/siryo/2014/142.html

第2章ギリシャのPDFファイルはこちらです。執筆者はマンチェスター大学講師のAristea Koukiadaki氏です。

http://www.jil.go.jp/institute/siryo/2014/documents/0142_02.pdf

やや長いですが、関心のある方はぜひリンク先の論文を読んでください。ここでは、冒頭の「はじめに」と、最後の節の最後のパラグラフだけコピペしておきます。

2009 年後半以降のギリシャは、政治的、経済的、社会的に重大な危機の真っただ中に置かれている。2008 年の世界的不況とギリシャ経済の構造的な問題によってこうした危機に陥った結果、労働法は広範に渡って変更された。この改革の大部分は、ギリシャ政府、国際通貨基金(IMF)、欧州中央銀行(ECB)、ユーロ圏加盟国を代表して活動している欧州委員会間で締結されている借款協定を枠組みとして実施された。この改革の趣旨は、ギリシャ経済が競争力に欠けるのは労働市場での柔軟性の欠如、および極度に雇用を保護した法律が原因であるとする旨の支配的な見解と一致していた∗1。その結果、労働法および労使関係の本質的特徴は根底から改められ、労働市場の規制における政労使の役割に対して重大な影響を与えている。しかし、巨額債務と大幅な赤字という二大問題への取り組みを中心に推進されてきたこの改革が、逆に生活条件と労働条件を大幅に悪化させているという証拠も増えつつある。

・・・・・・・・・・・・・・

こうした証拠を踏まえると、賃金と社会保障費の削減により競争力格差を埋めることができるという主張には説得力がない。実際には、そうした試みの短期的な結果として、失業と倒産の急増および不況の悪化がもたらされ、さらにその結果、ギリシャのみならず現在危機に直面している他の EU 加盟国の公的債務の返済がより一層困難になっている133。ILO が述べているように、「ギリシャの危機は、ギリシャだけの問題ではなく、世界的な問題がギリシャで発現しているのである」134。危機からの「脱出戦略」は、一連の財政施策群として提示されて一件落着となるものではなく、民主主義的プロセスに基づいて、社会の進歩および絶えざる生活条件と労働条件の改善を保証し続けるものであるべきである。同様に、欧州議会は、2011 年に採択した決議の中で、「危機に対する欧州の対応は、欧州統合の深化、共同体方式の追求、議会間対話の強化、社会的対話の促進、福祉国家の強化(社会的包摂、雇用創出、持続可能な成長などの支援を通じた)、および欧州連合の基本目標としての社会的市場経済とその価値のさらなる構築を基盤として、諸条約および欧州連合基本権憲章に定める諸価値に基づく欧州プロジェクトに全ての EU 市民を結集させるよう、行わなければならない」ことを想起して宣言している135。しかし、このような宣言にもかかわらず、危機に面した諸国家の監督に直接関与している諸機関、とりわけ、IMF、ECB および EC が、ギリシャに対してこの宣言と同様の取り組みを採用しているという証拠は今のところない。現時点では、財政状態の悪化を考慮すると、ギリシャには第三回財政支援プログラムが必要になるだろうという憶測が強まっている。そうしたプログラムが実行された場合、それに伴って労働法のさらなる改正や賃金の削減がなされ、労働条件ひいては生活条件の一層の悪化へとつながることは疑う余地がない。

日本から課長が消える?@『AERA』

17184 『AERA』7月13日号に、NewsPicksとの共同企画で「日本から課長が消える?」という特集が組まれていて、

http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=17184

そこのインタビューに、海老原嗣生、濱口桂一郎、弘兼憲史といったのが登場しています。

大特集

AERA×NewsPicks 共同企画

生き方

日本を支える課長のリアル

【2411人調査】主流は「40代男性・既婚子なし・持ち家あり」/年収1千万円なのに使えるのは月5万円未満

ホクレン課長…マツコのCMで「ゆめぴりか」「ななつぼし」を全国区に/リクルート、スタバ、日産化学

企業

再生も成長も課長改革から

人事制度改革の要も課長/ソニーは半減、パナソニックは復活/CCC、LIXIL、総務省

役割

6割が「課長になりたい」理由

課長でマネジメントのOJT/日本人は「課長の内示」でアドレナリン

働き方

現役課長座談会 5つの受難こう乗り切る

新世代部下のメンタルが難敵/スマホで24時間臨戦態勢/上司のマインドが時代に合わず/バブルと女性が

給料

管理職の給料革命が起きる

仕事の負荷や重要度で値付けされる/部下なし「名ばかり管理職」は降格、減給/役割給導入で「社内格差」拡大

選択肢

さらば課長! 退職してもスキルは生きる

学習

課長ブートキャンプで「枠超え」体感

20150713

ILO条約における「強制労働」

法律や条約に関わる領域を、通常の英語の常識だけで論じてはいけないという実例。

1930年のILO強制労働条約に曰く、

第 二 条

1 本条約ニ於テ「強制労働」ト称スルハ或者ガ処罰ノ脅威ノ下ニ強要セラレ且右ノ者ガ自ラ任意ニ申出デタルニ非ザル一切ノ労務ヲ謂フ
2 尤モ本条約ニ於テ「強制労働」ト称スルハ左記ヲ包含セザルベシ
 (d) 緊急ノ場合即チ戦争ノ場合又ハ火災、洪水、飢饉、地震、猛烈ナル流行病若ハ家畜流行病、獣類、虫類若ハ植物ノ害物ノ侵入ノ如キ災厄ノ若ハ其ノ虞アル場合及一般ニ住民ノ全部又ハ一部ノ生存又ハ幸福ヲ危殆ナラシムル一切ノ事情ニ於テ強要セラルル労務

Article 2
  1. 1. For the purposes of this Convention the term forced or compulsory labour shall mean all work or service which is exacted from any person under the menace of any penalty and for which the said person has not offered himself voluntarily.
  2. 2. Nevertheless, for the purposes of this Convention, the term forced or compulsory labour shall not include-- 
    • (d) any work or service exacted in cases of emergency, that is to say, in the event of war or of a calamity or threatened calamity, such as fire, flood, famine, earthquake, violent epidemic or epizootic diseases, invasion by animal, insect or vegetable pests, and in general any circumstance that would endanger the existence or the well-being of the whole or part of the population;

つまり、日本が戦前に批准していたILO第29号条約の用語法においては、「緊急ノ場合即チ戦争ノ場合ニ於テ強要セラルル労務」(any work or service exacted in cases of emergency, that is to say, in the event of war)は、「強制労働」(forced or compulsory labour )ではない、という概念区分になっており、当然外務省の条約担当者はこういう経緯を知り尽くした上でものごとをやっているわけです。白馬が馬でないと言っているわけではないということですね。

ドイツとギリシャのアイロニー

ギリシャの国民投票で、反対が多数を占め、ツィプラス首相が勝利宣言というニュースが流れていますが、

http://www.nikkei.com/article/DGXLASFK06H0P_W5A700C1000000/?dg=1

ここでちょっと視線を国際金融とかの上の方から労働社会政策といった下の方にずらし、EUにおけるドイツとギリシャのアイロニカルな関係を見ておきましょう。昨年、日本EU学会で喋ったものですが・・・、

Ⅳ フレクシキュリティの逆説-ドイツ型フレクシキュリティが掘り崩す南欧の労使関係
 
 あれだけ熱っぽく論じられていたフレクシキュリティであるが、2007年12月6日の閣僚理事会で「フレクシキュリティの共通原則」が採択された後、熱が冷めたように動きが止まった。毎年の雇用報告書ではなお義理的に書かれていたが、2013年度にはそれも消えた。
 より正確に言えば、2008年以降の経済危機により急速に失業率が上昇したデンマーク型フレクシキュリティモデルの魅力が減退し、むしろワークシェアリング等による雇用維持で低失業率を維持しながら、一人勝ちとも言われる高い経済パフォーマンスを誇るドイツ型フレクシキュリティモデルの人気が高まってきた。デンマークモデルとは対極的なフレクシビリティとセキュリティの組合せが雇用戦略の筆頭に鎮座するようになった。いかなる「モデル」の人気もその時の経済パフォーマンスの従属変数に過ぎないという法則が、改めて実証されたと言うべきであろうか。
 
・・・ところが皮肉にも、これがEU全体の緊縮財政志向をもたらし、とりわけ南欧諸国における労働法、労使関係の空洞化をもたらしている。
 危機がもっぱら金融危機であった2009年頃までは、破綻した金融機関の救済や企業や労働者への支援、そして大量に排出された失業者へのセーフティネットなどのために多額の公的支出が行われ、それが加盟各国の財政赤字を拡大させた。ところが、その不況期には当然の財政赤字が、金融バブルの拡大と崩壊に重大な責任があるはずの格付け機関によって、公債の信用度の引下げという形で、あたかも悪いことであるかのように見なされるようになった。
 しかも、ここにヨーロッパ独自の特殊な事情が絡む。いうまでもなく、共通通貨ユーロの導入によって、「安定成長協定」という形で加盟国の財政赤字にたががはめられてしまっていることである。本来景気と反対の方向に動かなければならない財政規模が、景気と同じ方向に動くことによって、経済の回復を阻害する機能を果たしてしまうこのメカニズムは、自由市場経済ではなく協調的市場経済の代表格であるドイツの強い主張で導入され、結果的に市場原理主義の復活を制度面から援護射撃する皮肉な形になってしまっている。そしてドイツ主導で進められた財政規律強化のための財政協定が2013年1月に発効し、各国の財政赤字はGDPの0.5%を超えない旨を各国の憲法等で規定し、これを逸脱した場合には自動修正メカニズムが作動するようにしなければならず、これに従った法制を導入しない国にはGDPの0.1%の制裁金を課するという仕組みが導入された。
 このように事態がドイツ主導で進められる背景には、経済危機に対してドイツ経済が極めて強靱な回復力を示し、ドイツ式のやり方に他の諸国が文句を言いにくいことがある。しかしながら、ドイツの「成功」をもたらしたのは、危機からの脱却のために政労使がその利益を譲り合うコーポラティズムである。労働側は短時間労働スキーム(いわゆる緊急避難型ワークシェアリング)により雇用を維持するとともに、さまざまな既得権を放棄することで、ドイツ経済における労働コストの顕著な低下に貢献した。これにより、他の諸国と対照的に、ドイツの失業率はむしろ低下傾向を示した。
 このドイツ型コーポラティズムの「成果」がEUレベルでは緊縮財政を強要する権威主義的レジームを支え、ドイツにおける協調的市場経済の「成功」が結果的に他国におけるその基盤となるべき雇用と社会的包摂への資源配分を削り取っているというのが、現代ヨーロッパの最大の皮肉である。

・・・もっとも典型的なギリシャを見よう。債務不履行を回避するための借款と引き替えに強制されたのは、個別解雇や集団解雇の容易化だけでなく、労使関係システムの全面見直しであった。2010年の法律で有利原則を破棄し、下位レベル協約による労働条件引下げを可能にするとともに、賃金増額仲裁裁定の効力を奪い、2011年には従業員の5分の3が「団体」を形成すれば企業協約締結資格を与えることとした。これにはさすがにILOが懸念を表明するに至った。

ギリシャを苦しめているのはアングロサクソン流の「ねおりべ」ではなく、国内的には大変ソーシャルなドイツのEUにおけるヘゲモニーであるというアイロニーほど、この問題の複雑さを物語るものはないように思われます。

2015年7月 5日 (日)

ジョブ型男女不平等

617mbofd7ml_sl500_sy344_bo120420320 ちょっと確認したいことがあって、ロナルド・ドーアの名著『イギリスの工場・日本の工場』(筑摩書房)を再読していたところ、かつて読んだときにも眼に入っていたはずなのに、全然記憶に残っていなかったある一節が、結構インパクトがありました。

それは、イギリスのエングリッシュ・エレクトリックと日本の日立製作所の賃金制度を比較しているところで、要するに私の言い方でいえば日本の属性主義的な賃金とイギリスのジョブ型な賃金を対比しているところなんですが、本筋じゃないところで、原著が出された1973年、あるいはむしろ元となった調査が行われた1960年代の感覚がにじみ出ているなあ、という記述が目に飛び込んできたのです。

・・・この時給を規定しているのは次のような諸条件である。

(1)労働者の性別-これは唯一の帰属的特質である。熟練度には関わりなく、女子は男子の賃金の3分の2以下の額しか受け取っていない。これは全く同じ仕事をしていても当てはまる。

(2)資格。これは労働者の待遇を決定する基本的な基準となる。

(3)実際に行っている仕事の性質。

労働関係者には言わずもがなですが、ここで言う(2)の「資格」というのは、特殊日本的な企業内でのみ通用する職能資格とは全く違います。ジョブの資格のことです、もちろん。

なんですが、今回再読して、(1)に、同一労働同一賃金は男同士だけであって、女は同一労働でもずっと低い賃金だと堂々と、何の問題意識もなく書いていることに逆に驚きました。

さらに、この記述。

・・・支払いはやっている仕事(現実にか、擬制的にかは問わない)に対してであり、なし得る仕事に対してではない、という原則は、かなり一般的に受け入れられている(より正確に言えば、やっている仕事に相当する額に、男子なら男性係数、女子ならば女性係数を乗じた額を受け取る)。・・・

なし得る仕事に払う日本的な職能給ではなく、やっている仕事に払う職務給であるというなんということのない記述なんですが、そこにわざわざ、男子には男性係数、女子には女性形数、と唯一の属性主義賃金原理が持ち込まれていることが明記されていたんですね。

男女平等関係に詳しい人ならご存じのように、イギリスに男女同一賃金法ができたのは1970年、この本の原著が出る少し前ですが、調査時点ではそんな感覚はイギリスの職場にはかけらもなかったのだということがよくわかります。

これも、本ブログの多くの読者にとってはややトリビア的な情報かも知れませんが、私にとっては、結構インパクトのあることでした。

2015年7月 4日 (土)

KDDIの勤務間インターバルが日経の記事に

本ブログでも何回か取り上げてきたKDDIの勤務間インターバル11時間が、本日の日本経済新聞の記事になり、

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ03HYS_T00C15A7EA2000/ (KDDI、退社後11時間は出社禁止に 全社員1.4万人対象)

KDDIは全社員1万4千人を対象に、退社してから出社するまで11時間以上あけることを促す人事制度を始めた。11時間未満が月に11日以上となった社員には勤務状況の改善を指導し、残業が目立つ部署には是正が勧告される。残業時間総量の削減だけでなく、1日のうち一定時間、休むことを重視する。・・・

ツイートやはてブでも結構話題になっているようです。

https://twitter.com/search?q=http%3A%2F%2Fwww.nikkei.com%2Farticle%2FDGXLASDZ03HYS_T00C15A7EA2000%2F&src=typd&vertical=default&f=tweets

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.nikkei.com/article/DGXLASDZ03HYS_T00C15A7EA2000/

本ブログでも、ちょうど昨日、KDDI労組機関紙に載せた短文を紹介したところですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/eukddi56-3ce1.html (「EUの労働時間法制」@KDDI労組機関紙56号)

4月に春闘情報として、KDDI労組のフェイスブックの記事を紹介していますし、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/11-b330.html (KDDI労組が11時間の勤務間インターバルを獲得)

5月に大阪で開かれた産業衛生学会では、EUの勤務間インターバル制度を紹介する前振りとして、最近合意したばかりのKDDIの話をしたところでした。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/8-8fc0.html (第88回日本産業衛生学会の案内)

もう5年も前に、勤務間インターバルについて書いたものですが、ご参考までに再掲しておきます。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/jinjijitsumu0915.html

『人事実務』2010年9月15日号

「勤務間インターバル規制とは何か?」               濱口桂一郎

 

はじめに

 

 2009年春闘と2010年春闘において、情報労連は勤務間インターバル規制の導入に向けた取組を行い、同傘下の通建連合(全国情報・通信・設備建設労働組合連合会)は、いくつもの加盟組合において実際に勤務間インターバル規制を盛り込んだ協定の締結に至った。昨年7月刊行の拙著『新しい労働社会』(43頁)でもその意義を述べたが、本稿ではその具体的な取り組み経過と制度の内容を紹介し、その考え方の源流であるEUにおける休息期間規制について解説を加えたい。

 

1 情報労連傘下組合の締結した勤務間インターバル協定

 

 情報労連は、2009年春闘において、「可能な組合は、超過勤務実施時における翌勤務開始時とのインターバル規制などの導入に向けた労使間議論を促進する」という方針を掲げ、2010年春闘では「労働の終了から次にの労働の開始までの休息時間の確保を図る観点から、勤務間のインターバル規制について積極的な労使間議論を行うとともに、可能な組合においては協定の締結を図る」と踏み込んだ。これを受けて、ほとんどの加盟組合で労使間議論が行われてきているが、現時点で協定の締結に至っているのは通建連合傘下の諸組合である。以下、通建連合の資料に基づき、昨年と今年の取り組みを見ていこう。

 2009年春闘において通建連合は、①1日における時間外労働の最長期間を7時間以内とする、②時間外労働終了時から翌勤務開始時まで最低でも8時間の休息時間を付与する、③休息時間が勤務時間に食い込んだ場合は勤務したものとみなす、ことを盛り込んだ制度の締結を目指した。

 その結果、通建連合傘下の東北情報インフラユニオンが関係会社7社との間で、休息時間を8時間とする協定を、2社との間で非拘束時間を10時間とする協定を、それぞれ締結した。いずれも、この場合の勤務時間が当該勤務日の勤務時間に満たない時間については勤務したものとしている。また1日の時間外労働の上限は7時間としている。

 さらに同じく通建連合傘下の九州情報通信設備建設労働組合は関係会社2社との間で、昼夜連続業務は原則行わないこととしつつ、業務上の必要により行う場合には、安全面・疲労回復等の時間を総合的に勘案し、業務終了時(帰社時間)から必要時間(8時間+通勤時間)後に出社とする協定を締結した。

 2010年春闘では東北情報インフラユニオンがさらに2社との間で休息時間を8時間とする等の協定を締結している。

 このように、勤務間インターバル規制はいまだ情報労連の中でも大規模に普及するに至ってはいないが、傘下のほとんどの組合において労使間論議が行われており、要求に対して拒否の回答だけではなく、引き続き労使間で協議を継続するとしている交渉単位も多いという。この制度の実現を掲げて協議交渉を行っている労働組合はまだその例が他にないだけに、今後のさらなる取り組みが期待されるところであるし、他の産業別組織においても、とりわけ無制限な長時間労働によって労働者の心身の健康が損なわれる危険性の高い分野においては、情報労連の取り組みを踏まえて、それぞれに検討を重ね、労使間の議論につなげていくことを期待したい。

 

2 EU労働時間指令における休息期間規制

 

 ここで、勤務間インターバル規制の発想のもとになったEU労働時間指令の概要を見ていこう。EU加盟国はすべてEU指令の内容を国内法として規定する義務を負っており、これらはEU諸国における共通の基準となっている。

 現在のEU労働時間指令は、1993年に制定され、2000年に一部改正されたものである。その制定根拠は、労働者の健康と安全を保護すべきとのEC条約第137条にあり、指令前文第4項では「職場における労働者の安全、衛生、健康の改善は、純粋に経済的な考慮に従属すべきでない目的である」と明記している。従って、指令のどこにも賃金に関わるような規定はない。賃金をどうするかは労使が決めることであって、労働時間指令の関わり知るところではない。労働時間の上限をまったく制限せず、割増賃金というゼニカネしか関知しないアメリカの公正労働基準法とは全く重なるところのない法制というべきであろう。これを同じ労働時間法制と呼ぶこと自体が間違いとすらいえる。

 その主な内容を箇条書きにすると、

①1日の休息期間:24時間につき最低連続11時間の休息期間を求めている。これを裏返せば、1日につき休憩時間を含めた拘束時間の上限は原則として13時間ということになる。

②休憩時間:6時間を越える労働日につき休憩時間を設けることを求めているが、その時間や条件については国内法や労使協定に委ねている。

③週休:7日毎に最低連続24時間の休息期間プラス上の11時間の休息期間(従って連続35時間の休息期間)を求めている。なお、算定基礎期間は最高14日とされているから、2週間単位の変形休日は許容される。

④週労働時間:7日につき、時間外労働を含め、平均して、48時間を越えないことを求めている。算定基礎期間は最高4カ月とされているので、4カ月単位の変形労働時間制は許容される。

⑤年次有給休暇:最低4週間の年次有給休暇の付与を求めている。

⑥夜間労働者の労働時間:24時間につき8時間以内とされているが、危険業務以外は変形制が認められている。

⑦夜間労働者の保護:就業前及び定期健康診断、健康問題を抱える労働者の昼間労働への転換なども求められている。

 週労働時間の上限が48時間というようなところを見て、「日本より緩いではないか」と思ったら大間違いである。これは「時間外を含め」た労働時間の上限なのである。EUの労働時間規制は、それを超えたら残業代がつく基準などではない(それは労使が決めるべきものである)。それを超えて働かせることが許されない基準なのである。変形労働時間制が認められているが、これも日本のように変形制の上限を超えたら残業代がつくだけのものとは違い、上限を超えることを許さないものである。

 何よりも重要なのは、これが労働者の健康確保のためにいかなる規制が必要かという観点から規定されているという点である。日本では割増率のみが規定されて実体的な規制が全くない夜間労働についても、労働時間そのものが規制されているし、何よりも日本に全く存在しない休息期間という概念が、指令本則の筆頭に位置づけられていることが重要である。

 ちなみに、EU労働時間指令についてよく語られるのがオプト・アウトである。これはもともと、指令制定時にイギリス政府が要求して導入させたものであるが、上の④の週48時間労働の特例規定である。これによると、加盟国は次の要件を充たせば週48時間労働の規定を適用しないことができるとされている。具体的には、

(i) 使用者は、あらかじめ労働者の同意を得ている場合にのみ、4カ月平均週48時間を越えて労働させることができる。

(ii) 労働者が(i)の同意をしないことを理由にして不利益取り扱いをしてはならない。

(iii) 使用者は48時間を越える全労働者の記録を保存しなければならない。

という3点である。

 日本でも誤解している人がたくさんいるのだが、これは残業代の支払いを免除するホワイトカラー・エグゼンプションとは何の関係もない。純粋に物理的な労働時間規制(週48時間という絶対上限)を外れるための制度であって、賃金制度とは何の関係もないのである。むしろ、日本の36協定の仕組みを個別労働者ごとに変えたようなものと言えるかもしれない。

 ただ、この制度を導入したイギリスではいろいろと問題が生じている。最大の問題は、雇用契約を締結する際に使用者がオプトアウトにサインすることを要求し、労働者としてはこれを受け入れざるを得ないという状況が蔓延したことである。

 ただ、忘れてはならないのは、そういうイギリスにおいても、1日11時間の休息期間の規定はちゃんと存在し、これによって時間外労働に絶対上限があるということである。日本のように無制限の長時間労働を野放しにしているわけではない。

 このように、EU労働時間指令の特徴は「休み」の概念をその中心に据えている点にある。④の週労働時間の上限48時間は欧州委員会の原案には含まれておらず、欧州議会の修正によって追加された項目であり、その意味では、原案は1日、1週、1年の「休み」を骨格とする規制体系であった。④が追加されたことでその点がややぼやけたとはいえ、イギリスをはじめとする諸国で適用されているオプトアウトに対するセーフティネットが、今のところこの休息期間規制による週拘束時間の絶対上限78時間(7×24-(6×11+24)=78)であるということも考えれば、なおその重要性は極めて高い。ちなみに、1日の休息期間が最低11時間ということは、厳密に言えばある日の拘束時間がどうしても伸びて13時間を超えることはあり得るが、その日の労働時間終了時刻から11時間後でなければ次の日の労働時間が始まることはないという仕組みである。

 

 

3 日本の労働時間法制における休息期間規制

 

 現在に至るまで日本の労働時間に関わる法律に「休息期間」という概念は存在していない。ただ、自動車運転者の労働時間改善基準(現在は大臣告示)の中にこの概念が用いられているだけである。

 しかし、その前に問題の本質から考えて休息期間規制とほぼ同じ役割を果たしうる規制という意味で、1日単位の絶対的労働時間規制を振り返っておく必要がある。今日の労働基準法が、1日8時間にせよ1週40時間にせよ、単にそこから割増賃金がつき始める基準時間としての意味しか持ち得なくなっているのに対して、戦前の工場法においては、女子年少者のみがその対象であったとはいえ、就業時間(休憩を含む拘束時間)の上限を12時間(後に11時間に改正)に規制しており、36協定のような恒常的例外措置は認めていなかった。これは1日12時間ないし13時間の休息期間規制とほぼ同じ効果をもたらす。

 戦後の労働基準法の下においても、1日8時間労働といいながら成人男子については36協定により無制限の時間外休日労働が可能になってしまったが、成人女子については1日2時間、1週6時間、1年150時間という上限を設定した。すなわち成人女子については1日の労働時間の絶対上限が10時間であり、1時間の休憩を加えても拘束時間の上限は11時間であった。これも1日13時間の休息期間規制とほぼ同じものといえよう。

 ところが、男女雇用平等立法の影響で、これら女子保護規定は段階的に撤廃され、現在は女性労働者も男性と同様、拘束時間に物理的上限がない状況、言い換えれば休息期間規制のない状況におかれている。男女平等はいうまでもなく絶対不可欠の要請ではあるが、それが男女共通の際限のない労働時間を正当化するわけではないはずである。

 こうして、現在工場法的意味の絶対上限は、原則1日8時間、変形制で1日10時間という形で、18歳未満の年少者についてのみ残っている。これが逆にいえば、現在の成人労働者に休息期間規制を必要とする理由でもある。

 さて、自動車運転手の労働時間規制については、1967年の「2・9通達」、1979年の「27通達」、1989年の大臣告示第7号「自動車運転手の労働時間等の改善のための基準」という形で一定の規制を行ってきているが、特に1979年にILO条約第153号(路面運送における労働時間及び休息期間に関する条約)の影響を受けて、拘束時間と休息期間を中心とする規制体系となっている。しかし、他分野への影響はほとんど見られない。

 

4 今後の展望

 

 情報労連が掲げる勤務間インターバル規制の考え方は、労働者の疲労回復、健康確保という観点からも、より広いワーク・ライフ・バランスという観点からも、同じような長時間労働の問題を抱える他の業種においても重要な意義を有すると思われる。これまで労働時間短縮といいながら、所定労働時間の短縮によって結果的に時間外労働が増えたり、時間外割増率を引き上げることによっても必ずしも長時間労働の是正につながらなかったり、というように、真の意味での実労働時間規制になってこなかったことを考えれば、これこそ今後の労働時間政策の本筋というべきであろう。他の産別組織や、とりわけむしろ企業の人事担当者の側が、この問題意識をしっかりと認識し、労働者が長時間労働でへとへとになって生産性が低迷するようになる前に、積極的に取り組んでいくことを期待したい。

 それとともに、公的な労働政策としても、そろそろ労働時間規制といいながら実際には賃金をめぐる綱引きにしかならないような割増率引き上げ政策ではなく、物理的な実労働時間ないし拘束時間/休息期間を正面から政策対象とする方向に転換するべき時機が到来しているのではなかろうか。拙著で述べたことであるが、近年の日本の労働時間をめぐる議論は、名ばかり管理職問題にせよ、サービス残業問題にせよ、ホワイトカラーエグゼンプションにせよ、本来労働者の健康確保、ワーク・ライフ・バランスの観点から論じられるべきことが、ことごとく残業代というゼニカネ話にされてしまい、企業の人事管理に無用な負担をかける時間外労働割増率の段階的逓増のような政策ばかりが実現する一方で、肝心の労働者の健康状況を改善させるための手だてはなんらとられようとしていない。

 情報労連が打ち出した勤務間インターバル規制の思想的インパクトは、そういう低次元に低迷している日本の労働時間政策論議に衝撃を与え、まっとうな労働時間政策への道を開く可能性もあるかも知れない。情報労連自身の意図を超えることかも知れないが、筆者としてはそのようなインパクトを期待して、その取り組みを注視していきたい。

2015年7月 3日 (金)

『社会政策』第7巻第1号

200901社会政策学会誌『社会政策』第7巻第1号がもうすぐ発行されるようです。版元のミネルヴァ書房に出ていました。

http://www.minervashobo.co.jp/book/b200901.html

90年代以降の日本では規制緩和を促す動きが見られたが、近年、国際競争力を強化するためのヨーロッパにおける社会政策・労働政策の再編に注目が集まっている。特集では、フレクシキュリティ政策、ドイツやデンマークの事例を取り上げ、ジェンダー問題等も踏まえ、日本の労働規制・雇用政策の現状と課題を検証する。小特集では障害者への「合理的配慮」の視点から、賃金・社会的雇用等、障害者の雇用・就労問題を考察する。

【巻頭言】社会政策としての住宅最低基準(岩田正美)

【特集】社会政策としての労働規制
座長報告:社会政策としての労働規制(森建資)
EU労働法政策の現在(濱口桂一郎)
ドイツにおける労働への社会的規制(田中洋子)
デンマークにおけるグローバル化と労働規制(菅沼隆)
日本における雇用政策・労使関係の現状と課題(戸室健作)
日本の労働規制改革とジェンダー(清山玲)


【小特集】障害者雇用・就労における「合理的配慮」
〈小特集趣旨〉小特集に寄せて:障害者雇用・就労における「合理的配慮」(長澤紀美子)
「障害を理由とした差別」および「合理的配慮」をめぐる問題整理と論点抽出(遠山真世)
基幹的能力の概念を軸とした障害者の賃金についての考察(山村りつ)
障害者に対する「社会的雇用」の課題と展望(磯野博)

【研究レビュー】
日本の積極的労働市場政策(高田一夫)

【投稿論文】
1970年代フランス福祉国家と家族モデルの変容過程(牧陽子)
低収入世帯の子どもの不利の緩和に学校外学習支援は有効か(卯月由佳)
欧州政府債務危機と社会支出の削減(伊藤善典)
介護報酬複雑化の過程と問題点(三原岳・郡司篤晃)

書評/SUMMARY/学会関連資料

特集は、昨年10月に岡山大学で開かれた社会政策学会大会での報告とシンポジウムの記録で、わたくしは「EU労働法政策の現在」を報告しております。


若者は今!『はたらくこと』から考える@川崎市中原区

川崎市中原区が9月から12月にかけて、「若者は今!『はたらくこと』から考える」という連続講座を開くということで、その第1回目がなぜかわたくしに回って参りました。

http://www.city.kawasaki.jp/nakahara/page/0000068661.html

今、若者が仕事に就くことが難しくなっているといわれています。

その背景にある雇用・教育・家庭の変化や、若者の現状を知り、若者自身や市民に何ができるのかをともに考えます。

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「EUの労働時間法制」@KDDI労組機関紙56号

KDDI労組機関紙56号に、「EUの労働時間法制」を寄稿しました。

なお、KDDI労組は今年の春闘で、安全衛生規程で勤務間インターバル11時間を休息確保の指標として導入した労働組合です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/11-b330.html(KDDI労組が11時間の勤務間インターバルを獲得)

機関紙同号には、大きく見開きで「勤務間インターバル導入」という記事が載っています。

その脇に小さい解説記事として、私の「EUの労働時間法制」が載っています。

 現在、労働時間規制のあり方が大きな政治的課題となっているが、ややもするとその焦点は「時間でなく成果で評価される制度」とか「残業代ゼロ」といった賃金制度論の是非に偏り、労働時間規制本来の趣旨、すなわち労働者の健康と安全のために物理的労働時間をいかに規制すべきかという問題は背後に追いやられる傾向にある。これに対し、1993年に制定されたEUの労働時間指令では、労働者の健康確保のための物理的労働時間規制のみが整然と規定されている。本稿では、現在EU28か国の国内法として施行されている同指令の具体的内容について概観する。

 まず、週労働時間の上限は48時間である。原則として4か月単位、労使協定によれば1年単位の変形制が認められている。これを見て、日本より緩いではないか、と思ってはいけない。この週48時間とは、時間外労働がそこで終わる時間である。所定労働時間は労働協約で40時間なり35時間なり好きに決めて良い。しかし、その外側の時間外労働も週48時間で終わりである。日本の週40時間が、時間外労働がそこから始まる時間であるのとは対照的である。変形制も同じこと。日本の変形制とは、残業代がそこからつく時刻が早くなったり遅くなったりするだけで、その外側に時間外労働があることを予定している。EU指令の変形制とは、時間外労働がそこで終わる時刻が前後するのである。ただし、週48時間については労働者個人が望めばそれを超えて働くことが可能となっており(個人別36協定とでもいえようか。英語では「オプトアウト」という)、イギリスではむしろそれが一般化していると言われる。

 次に週休は1日である。正確には7日ごとに24時間の休息が必要である。これも日本と同じだと思ったら大間違いである。日本の休日規制とは、休日労働させたら(25%ではなく)35%の割増を払わなければならないというだけの意味に過ぎない。EU指令の休日規制とは週1回は必ず休ませなければならない絶対休日規制である。労働協約で週休2日としている国が多いが、うち1日は所定休日出勤が可能な日、もう1日はそれが不可能な日ということである。

 このように、一見日本の規制とよく似ているように見える週労働時間規制や休日規制も、その本質はまったく異なっているわけだが、日本の法令には全くその姿を見ることができないのが、EU指令の中核とも言うべき休息期間規制、いわゆる勤務間インターバル規制である。すべての労働者は24時間ごとに継続11時間の最低1日ごとの休息時間を得る権利がある。言うまでもなくこれも絶対休息時間規制であり、手当を払えば働かせてもいいものではない。そして、毎日の睡眠時間と生活に必須の時間を確保するために必要な最低限度の時間として、これは週48時間をオプトアウトしていても必ず適用される。この場合、1日13時間×6日=週78時間が、EU労働者の週拘束時間の上限ということになる。

2015年7月 2日 (木)

平成27年度(2015年度)日本留学試験(第1回)

131039145988913400963去る6月21日に実施された平成27年度(2015年度)日本留学試験(第1回)の日本語読解問題に、拙著『新しい労働社会』の一節が問題文として使われたようです。

日本の雇用システムが外国のそれといかに違うかを説明しているところなので、当の外国人にとっては逆向きの意味でわかりやすかったのではないかと思います。

2015年7月 1日 (水)

balthazarさんの拙著評

Chuko 読書メーターで、balthazarさんが拙著『若者と労働』を評されています。

http://bookmeter.com/cmt/48395131

「新しい労働社会」の著者の本。「若者」とあるけれど、実際には中高年労働者も含めて日本の労働問題について論じる。著者が提唱している「メンバーシップ型」雇用形態が就活問題、ブラック企業、非正規雇用などの様々な問題を引き起こしていることが明確に述べられており、解決策として非正規雇用の労働者を「ジョブ型」雇用に漸進的に転換し、学校教育の場で職業教育を充実させていくことを主張。この本の主張も鋭い。もっとも今メンバーシップ型雇用にどっぷり漬かっている日本の労使にはまだこれらの改革を受け入れるのは難しいのかな。

『日本再興戦略』改訂2015-未来への投資・生産性革命-

昨日、「日本再興戦略改訂2015」が閣議決定されました。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/

雇用労働関係は、女性活躍関係も含めると57ページから81ページまでに書かれています。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/pdf/dai2_3jp.pdf

新たに講ずべき具体的措置の中で、注目されるのはやはり「予見可能性の高い紛争解決システムの構築等」ですが、さらっと読むと気がつきにくいのですが、3月の規制改革会議の提言と読み比べると、ある部分が消えていることがわかります。

労働紛争の終局的解決手段である訴訟が他の紛争解決手続と比較 して時間的・金銭的負担が大きいこと等から訴訟以外の解決手続を 選択する者もあり、その場合には、訴訟と比較して低廉な額で紛争が 解決されていることや、労使双方の事情から解雇無効判決後の職場 復帰比率が低いこと等の実態があることから、「あっせん」「労働審判」「和解」事例の分析・整理の結果や諸外国の関係制度・運用に関 する調査研究結果も踏まえつつ、透明かつ公正・客観的でグローバル にも通用する紛争解決システムを構築する必要がある。このため、解 雇無効時における金銭救済制度の在り方(雇用終了の原因、補償金の 性質・水準等)とその必要性を含め、予見可能性の高い紛争解決シス テム等の在り方についての具体化に向けた議論の場を直ちに立ち上 げ、検討を進め、結論を得た上で、労働政策審議会の審議を経て、所 要の制度的措置を講ずる。

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kaigi/publication/opinion3/150325/item2.pdf (「労使双方が納得する雇用終了の在り方」に関する意見  by 規制改革会議)

訴訟の長期化や有利な和解金の取得を目的とする紛争を回避し、当事者の予測可能 性を高め、紛争の早期解決を図ることが必要である。このため、解雇無効時におい て、現在の雇用関係継続以外の権利行使方法として、金銭解決の選択肢を労働者に 明示的に付与し(解決金制度の導入)、選択肢の多様化を図ることを検討すべきであ る。またこの制度は、労働者側からの申し立てのみを認めることを前提とすべきで ある

規制改革会議の意見は、労働側の反発が極めて強い使用者からの申し立てによる金銭解決を否定していましたが、再興戦略ではそういう制限は意識してかどうかはわかりませんがつけられていません。

連合が今日発表した事務局長談話では、こう批判しています。

http://www.jtuc-rengo.or.jp/news/danwa/2015/20150701_1435712922.html

「雇用制度改革・人材力の強化」は、いわゆる解雇の金銭解決制度を導入する方針が明記されている。不当解雇を行って敗訴した使用者をも「救済」する制度が導入された場合、不当解雇が実質的に合法化されることとなる懸念が強いこと等から撤回すべきである。

さて、これが注目されるのは当然ですが、その前の「未来を支える人材力の強化 (働き手自らの主体的なキャリアアップの取組支援) 」には、セルフ・キャリアドック(仮称)をはじめとして、教育訓練関係の様々な施策がずらりと並んでいます。話題の「実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化」や「大学等における「職業実践力育成プログラム」認定制度の創設」といった職業的レリバンス志向が並んでいますが、それを見ていくと、やはり出てきたな、というのがこれです。

⑬職業実践能力の獲得に資する教育プログラムへの教育訓練給付 による支援の拡充

「日本再興戦略」を踏まえ、社会人の中長期的なキャリア形成 を支援するため、雇用保険法を改正し、①業務独占資格・名称独 占資格の取得を訓練目標とする養成施設の課程(訓練期間は1 年以上3年以内)、②専門学校の職業実践専門課程(訓練期間は 2年)、③専門職大学院の課程(訓練期間は2年以内または3年 以内)のうち、厚生労働大臣が指定した講座を受講した場合に、 教育訓練給付金の給付割合の引上げや追加支給を可能とする 「専門実践教育訓練給付」を創設し、昨年 10 月から実施してい る。 今後、「職業実践力育成プログラム」認定制度や「実践的な職 業教育を行う新たな高等教育機関」で行われる教育プログラム 等の実態も踏まえつつ、「専門実践教育訓練給付」の対象講座の 在り方等について、仕事と両立しやすい多様で弾力的なプログ ラムも含め、社会人の職業実践能力の形成に真に効果的なもの であるか等の観点から検討を行い、速やかに結論を得る。

私がWEB労政時報で予想したとおりの展開になっているようです。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=398大学等の職業実践力育成プログラム

・・・・・要するに、雇用保険の教育訓練給付制度を財源として使いたいという趣旨がにじみ出ています。これは、1回目の検討会の議事録の上にも、文部科学省の牧野専門教育課長補佐の発言として、

……本検討会で御議論いただく認定制度が労働行政を担当する厚労省や産業界、労働関係者の皆様から、厚労大臣が指定する教育訓練としてふさわしいものだと評価していただけますよう作り上げてまいりたいと文科省としては思っております。

※文部科学省「大学等における社会人の実践的・専門的な学び直しプログラムに関する検討会(第1回)議事録」→リンクはこちら

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/065/gijiroku/1357594.htm

――と、かなり明確に言われています。

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