杉田真衣『高卒女性の12年』
大月書店の角田三佳さんから、彼女が編集に携わった杉田真衣『高卒女性の12年』をお送りいただきました。ありがとうございます。
http://www.otsukishoten.co.jp/book/b201130.html
高校3年から30歳まで、ノンエリート女性たちは、どのような関係と環境のなかで働き、暮らしてきたのか。わずかなつながりを支えに、東京で生きぬく女性たちの歩みを、インタビュー調査から描く。
本の構成はほぼ前半の第1部が4人の高卒女性の10代後半から30歳までのライフヒストリー。ここがなかなか面白くて、下手な作家の下流ものより、ずっとリアルな描写が続きます。
後半の第2部は分析編ですが、労働編、生活編の間に性的サービス労働を分析する第6章が入っている点が、彼女らのリアルな人生経路をよく示しています。
さっき「下流」という言葉を使いましたが、この本ではそういうキャッチーな形容詞は使われていません。「ノンエリート」という言い方になっています。しかし、労働研究の世界で使われるノンエリートとはだいぶ違う感じです。それは、彼女らが普通科底辺校出身であり、労働世界の「野郎ども」型ノンエリートの職業教育→職業現場という移行も経験しない、在学中からアルバイトで働いて家庭にお金を入れ、卒業後も引き続き非正規で働いたり辞めたり、性的サービスに行ったり辞めたり、を繰り返しているからでしょう。
しかし、杉田さんの視線はおそらくこの「ノンエリート」という言葉をもう少し広い視野で見ようとしているのでしょう。確かに彼女らの出た普通科高校は、「一定の職業領域への生徒の進路を水路付け、そこへの参入のために専門的な知識や技術、職業態度や職業倫理を身につけることを目標とする専門学科とは異なり、原理的に子供達の進路を特定の方向への水路付ける機能は持たない」ので、その帰結として、高校時代のアルバイトの延長線上に、性的サービス労働も含む非正規労働と無業を繰り返すことになります。その点はまさに普通科の高校の職業的レリバンスの欠如の現れという風にいうこともできるのですが、それとともに、その底辺普通科高校時代の同級生ネットワークが彼女らが30歳に至るまでずっと続いていき、それが彼女らの時として危うい人生を支えてきているという点に着目しているところが、なかなか一筋縄ではいかない所だと思います。
・・・第5章では、職業的な技術や知識の伝達を通じて所与の状況から抜け出す手がかりとなるという学校のバイパス機能に着目し、彼女たちが通っている普通科高校がその機能を果たしていないことを批判的に論じた。とはいえ、上述の議論を踏まえるならば、学校が担っているもう一つの機能、所与の状況から抜け出すことを支援するのではなく他者と時間や場を共有することを通じて埋め込まれる関係を作り出す、いわば「所与性」を作り出す機能にも着目する必要があるだろう。・・・とりわけ、学校卒業後は安定した関係を築ける環境に恵まれず、他方で学歴や経済力など個人として生きていく資源にも恵まれないノンエリートの女性たちにとっては、学校でいかなる関係が構築されるかが、その後の人生を生きていくための社会関係資本を得る上で重要な意味を持っていると言える。
なお、ある種の関心からは第6章の「若年女性と性的サービス労働」が興味深いと思われますが、少なくとも鈴木涼美さんの本とは違う地べたからの目線で書かれてますので、ご注意を。
序章 若年ノンエリート女性をどのようにとらえるか
第Ⅰ部 高卒後、一二年の軌跡――四人のライフヒストリーから
第1章 先が見えないし長生きはしたくない――非正規で働き続ける庄山真紀さん
第2章 三〇歳なのに二〇歳みたいに悩んでいる――二〇代後半から芸能の道を歩む西澤菜穂子さん
第3章 親がいる限り自由がない――健康問題を抱え姉弟と家計を支える浜野美帆さん
第4章 結婚一〇周年には旅行に行きたい――家族形成を軸にネットワークを拡げる岸田さやかさん
第Ⅱ部 労働、生活、ネットワーク――つくりだされる〈社会〉の輪郭
第5章 若年女性たちの労働の姿
第6章 若年女性と性的サービス労働
第7章 若年女性たちの生活のかたち
終章 彼女たちのこれまでとこれから
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