ジョブと脱ジョブの逆説(心覚えメモ)
ジョブ型の議論で、欧米もかつてよりもジョブの硬直性をなくす方向に向かってきたというのがある。
その通りなのだが、その社会的コンテキストが見事に逆向きであることが、どこまで理解されているか?
欧米では、ジョブの共通性こそが労働者の集団性の立脚点であり、ジョブ型を強調することが個別性をできるだけ否定して、みんな同じこのジョブの労働者だから、という集団的労使関係の重要性を強調することになる。
ジョブの硬直性を批判してジョブにこだわらない柔軟な内部労働市場を称揚することは、即ち同じジョブだからと言って同じ立場じゃない、一人一人別だ、と労働者の個別性を強調して、労働組合の介入を拒否することを意味する。
ここが、日本のコンテキストと全く逆向きであることに、どこまで自覚的であるかが重要。
日本では、ジョブを強調することが会社的集団性に対する批判として、社員である以前にこのジョブの労働者だ、と極めて個別主義的インプリケーションをもち、欧米では個別主義的意味を持つ脱ジョブ志向がむしろ、同じ社員じゃないか、と濃厚な集団性の色彩をまとう。
だから、ジョブ型の反対語がメンバーシップ型というのは、それ自体が極めて日本的な二項対立図式なのであって、欧米では組合メンバーシップと親和的なジョブ型の反対語は、非メンバーシップ型というべきかもしれない。
« 平成27年度香川大学経済学部編入学試験問題 | トップページ | 倉重公太朗さんの『日本の雇用終了』書評 »
コメント