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2015年5月25日 (月)

「無拠出セーフティネットへの反発と互酬原理」@『労基旬報』5月25日号

『労基旬報』5月25日号に「無拠出セーフティネットへの反発と互酬原理」を寄稿しました。

 筆者は2004年度から毎年東京大学公共政策大学院で労働法政策の授業を担当してきているが、さすがに水準の高い学生たちとの対話で、毎回目を開かれるような指摘を受けることが多い。先日も「労働市場のセーフティネット」について論じたときに、近年の生活保護やいわゆる第2のセーフティネットをめぐる政策過程に関わって、なぜ日本では無拠出型のセーフティネットに対してマスコミや政治家、ひいてはその背後にある一般国民レベルの反発が強いのだろうかという問題が提起され、教室内で議論が盛り上がった。

 失業保険(日本では雇用保険)が拠出型社会保険であり、それゆえ受給資格がなかったり受給期間が満了してしまったらそこからこぼれ落ちることは世界共通である。しかし、とりわけ多くの欧州諸国では労働市場における無拠出型セーフティネットとして失業扶助が存在し、原則的には特段の行為要件を課することなく一定額の給付がなされる。これは英独仏などどの国も共通である。そしてさらにその外側に最後のセーフティネットとして社会扶助(日本では生活保護)が存在するという3層構造になっている。つまり、収入が無くなるというリスクに対する社会保護システムは切れ目のない形で存在しているのである。

 ところが日本ではそうではない。少なくともそうではないと考えられてきた。それゆえに、2007年に連合が提案した「就労・生活支援給付」は、雇用保険(第1層)と生活保護(第3層)の間の空隙に第2層のセーフティネットを設けるべきだという形で提起されたのである。実を言えば、生活保護法の厳密な解釈上その認識にはいささか問題がある。無差別平等原則からすれば、雇用保険がなくなるその瞬間から生活保護の担当となると解釈することも可能だからである。問題は保護の補足性原理(「保護は、生活に困窮する者が、その利用しうる資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる」(第4条))との関係であるが、失業というのはまさに働く能力はあるけれどもそれを(本人の意思に反して)活用できない状態のことを言うのであるから、それを(法の趣旨である)自らの意思であえて働く能力を活用しない状態と同視するのは疑問がある。とはいえ、現実には長らく、客観的に働く能力のある現役世代で障害や傷病がなく母子家庭の母でもない人々は、生活保護の対象からはデフォルトで外されてきた。生活保護統計で「その他」とされていることがその発想をよく物語っているし、上記連合の提案も、それを前提としている。

 連合の提案は、その翌年(2008年)にリーマンショックで大量の非正規労働者が失業し、セーフティネットもないまま労働市場に投げ出されるという事態が発生したことで、急速に実現に向かい、同年末には融資制度、2009年には予算措置による「訓練・生活支援給付」、そして2011年には恒久法として求職者支援法が成立するに至った。しかし、この「第2のセーフティネット」は、欧州諸国の失業扶助とは異なり、職業訓練の受講を要件とするものとして構築された。やや細かく言うと、90年代から2000年代にかけて、欧州でワークフェアとかアクティベーションといった政策が流行し、こうしたセーフティネットについてただ給付するのではなく、職業訓練の受講や試用雇用等といった労働市場プログラムを受けることを要求するようになっていたことを時代背景として(筆者自身もそれらを紹介していた一人であるが)、職業訓練受講を要件とする形で制度設計されてきたのである。

 しかしながらその結果、切れ目のないセーフティネットとして存在することを前提としてそのアクティベーション効果を高めようとする欧州諸国とは異なり、職業訓練を受講しなければそもそも給付の対象にならないという意味で、はじめから切れ目のあるセーフティネットであったし、さらに予算措置による基金訓練時代に(急遽訓練施設をかき集めてやったこともあり)職業訓練政策としてかなり問題のある事例が多く指摘されたことから、求職者支援法の立法時には訓練施設に対しても受講生に対してもさらに厳格な要件を課する方向にシフトした。それはもちろん、職業訓練政策の適正化策としてはもっともなものであったが、隙間を埋めるはずの第2のセーフティネットとしては、そのカバレッジをもっぱら縮小する方向に働くものでもあった。

 一方、社会保障政策の方では、この間就労可能者に対する生活保護の支給が急速に拡大したが、それに対するマスコミや政治家の批判も急激に強まり、地方自治体との協議を経て、一昨年の生活保護法の改正に至った。同時に立法された生活困窮者自立支援法は、生活保護に行く手前でさまざまな支援措置を講じようとするものであり、今年4月から施行されて。その中には「中間的就労」と呼ばれる雇用以外による就労支援も含まれている。興味深いことに行政当局(社会・援護局)はこれを「第2のセーフティネット」と呼んでいる。「第2のセーフティネット」と称する制度が雇用保険寄りと生活保護寄りにそれぞれ一つずつ、計2つ存在し、しかもその間にはなお空隙が存在して、欧州のような切れ目のない状態にもなっていないというのが現在の日本の姿というわけである。

 なぜ日本では無拠出のセーフティネットに対してかくも抵抗が強いのだろうか。あるいは、無拠出の制度に対しては、訓練受講などのなにがしか対価的な行為を要求するのだろうか。ここからはいささか文化人類学的な議論になるが、通常考えられるような意味での市場原理ないし交換原理が強いから・・・ではないのではないか、というのがここでの論点である。市場原理が社会を覆うような市場社会は、近代欧米社会で生み出され、世界に広がっていった、ということは世界史の基礎知識である。しかし、市場社会の本家である欧米といえども、市場原理ないしその基礎をなす交換原理だけで社会が構成されているわけではない。宗教的ないし共同体的性格を残しつつ市民社会レベルでも国のレベルでもさまざまな交換原理によらない-贈与原理に基づく-仕組みが存在している。国レベルの贈与原理を表す一つの例が、本稿で取り上げたさまざまな無拠出型のセーフティネットであろう。

 日本社会がこうした贈与原理に冷たいのは、欧米以上に市場原理が貫徹しているから・・・ではおそらくないのではなかろうか。むしろ、欧米であれば冷静な市場原理だけでビジネスライクに進められるであろうさまざまな関係が、企業間の取引関係であれ、企業内の雇用関係であれ、ある種互酬的ともいうべき疑似共同体的関係、つまり義理や人情のような相互に非特定的な責務を負わせるような関係によって彩られていることは周知の通りである。そのことが、つまり、市場原理が市場原理として貫徹せず、互酬原理が強く働いていることが、逆に欧米であれば市場原理ではどうしようもないとしてあっさり贈与原理の手に委ねられる領域に対しても、やはり互酬原理が働いてしまい、給付をもらうのであればそれに見合うようななにがしかの姿勢を示させずにはおかない、という制度設計をもたらすのではなかろうか。いささか労働政策論の土俵を逸脱した議論ではあるが、世間に提起してみたい論点である。

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コメント

無拠出のセーフティネットの一つの形態として、C.H.ダグラスの提唱する、税によらない 「国民配当」 があります。
ただし、これは 「結果的に、無拠出のセーフティネットの役割を果たす」 というものであり、またダグラスのA+B定理を中心とした 『商品価格と所得のギャップ理論』 がその根拠になっています。
もしこのギャップ理論が正しいなら、税による再分配とは別の観点から、必然的に、そのギャップを補うための所得保証 (国民配当、および補償価格) が必要になってきます。
ぜひ、翻訳・解説等、お願いします。

【参考】

◆ C.H.ダグラスの経済分析の解説書 (A.W.JOSEPによる)
http://www.alor.org/Library/Joseph%20AW%20-%20The%20A%20B%20Theorem.pdf

◆ Difference Between a 'Basic Income' and the National Dividend
http://www.socred.org/blogs/view/the-big-difference-between-a-basic-income-and-the-national-dividend

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