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2015年5月 4日 (月)

「いやあ,戦後,女に選挙権を与えたのがそもそも の間違いでしたな。ワッハッハッハ」

『大原社会問題研究所雑誌』4月号が同研究所のサイトにアップされています。

http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/678/index.html

特集は、「第27回国際労働問題シンポジウム ディーセントな雇用創出と雇用制度改革」で、次のような人々が喋っていますが、

特集にあたって 鈴木 玲 →PDF01

2014年のILO総会について 上岡恵子 →PDF02

第6議題の議論について 上村俊一 →PDF03

政府の立場から 堀場絵里香 →PDF04

労働者の立場から 向澤 茂 →PDF05

使用者の立場から 松井博志 →PDF06

労働法制の展開と課題 野川 忍 →PDF07

パネルディスカッション →非公開

参考資料 →PDF09

一番読んで面白いパネルディスカッションの部分がなぜか非公開になっていますが、

そのパネルで面白いやりとりが起こるネタを作った野川忍さんの発言はPDFファイルで全部読めますので、そのネタの部分を含む一節をご紹介しておきます。

http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/678/678-07.pdf

・・・この高度成長期というのは,どのような特質を持っているのか。高度成長時代の本質は企業における人材の長期的な育成活用です。要するに,企業の中核的な労働力については若い人を採用して,定年まで自分のところの企業か関連企業でもってずっと雇用し続けていく。勤続を奨励し,解雇権は自己抑制し,その代わりに企業に対する精一杯の献身を期待するということで,内部労働市場,つまり企業内労働市場を極めて高度化していく。その代わり頻繁な転職ということは論理必然的に想定されませんので,外部労働市場は未熟なままで進んでいくという状況です。

 労働組合も,企業ごとに正社員を丸ごと組織して,企業と緊密に協力していく。これで企業内労使関係ができて,これは右肩上がりの時代には非常に功を奏したわけです。ちなみに日本の女性が家で働いて,男は朝から晩まで企業で働くのが普通の姿だというイデオロギーも,この時代に出来上がりました。

 というのは,それでうまくいったからなのです。当時の働き方は労働集約的な働き方が中心で,東京にも工場がいっぱいあって,工員さんが働いていて,長く一生懸命みんなで働ければ生産性が上がる時代でした。重筋労働は,一生懸命,力を使って,体力や気力を使って頑張るという仕事なので,そういうことを子どものときからたたき込まれている男のほうがなじむわけです。しかもみんなと一緒になって,濃密な会社との間の人間関係を形成していったほうが効率的なわけです。

 女性はどうするのかというと,専業主婦となって,企業も家族手当だとか住宅手当だとか子女教育手当だとかを出して,家族ごと丸抱えするということに成功しました。経団連の松井さんは違うと思いますが,一定年齢以上の男性たちはいまだに女は家で家事育児をやって,男が働くのが当然だというイデオロギーの持ち主は多いです。

 赤松良子さん,均等法を作ったときの労働省の局長ですが,あの方が本の中で書いていましたけれども,経団連の当時の稲山さんという会長のところに行って,「均等法を作りたいのでお願いします」と言ったら,稲山さんが何と言ったか。「いやあ,戦後,女に選挙権を与えたのがそもそもの間違いでしたな。ワッハッハッハ」と言ったという状況は,本質的に変わっているのかなということがあります。

 長期雇用システムというのはそういう意味でうまくはいったけれども,それをいまだに続けるというのはいかがなものかという状況になってきている。しかしそれを前提として判例法,つまり裁判所によって,企業人事のルールができました。例えば2つだけ申し上げます。

 1つは就業規則法理。アメリカでもドイツでもイギリスでも,一応,人を雇うときにはこれは労働契約だという意識があります。例えば私が住んでいたドイツでも,文房具屋さんに行くと労働契約のフォーマットの書類が売っているのです。それをコピーして必要事項を書き込めばいいようになっています。自分が会社で働くということは会社と契約を結ぶことなのだと考えられています。

自分が賃金いくらで,何時間働いて,休憩時間がどうなっていて,ということは合意の上で決めるのだということが認識されています。

 日本の労働者はそんな認識をしている人はごく少ない。会社で働くということは,組織の一要素となって,全て会社の言った通りに動くことなのだと認識しています。賃金がいくらかも,労働時間がどれくらいか,会社が言ったことに従うのが当たり前なのだと思い込んでいる。

 しかし実際には,民法の世界からいうと,日本でも労働関係は契約関係なのです。契約関係だという原則がありつつ,実態は,会社に入ったら全部就業規則によって会社が労働者を組織の一要素として扱っているという状況があり,原則と実態が乖離しています。法律の原則は契約合意なのに,実態は就業規則による管理だと。これを何とかしなくてはいけないということで,日本の裁判所は,就業規則の内容が合理的で周知されていれば,それは嫌だという労働者もこれに従うということをルールとして確立した。これが7年前にできた労働契約法に取り入れられたわけです。

 もう1つは解雇法理です。解雇権濫用法理という理屈ですが,例えば労働者が解雇される。企業側にはもちろん理由があります。「いくら仕込んでもこいつはだめだ。だからやむを得ず解雇したのだ」と言っても,裁判所に行くと「この解雇は無効だ」と言われることが多い。それをもって企業側は日本の解雇の規制は厳しすぎると言うのですが,実はそんなことは全然ありません。

 それは高度成長期に労使で暗黙の了解の取引があったからです。労働者は企業にほとんど絶対的に服従します。その代わり雇用保障を期待する。逆に,企業からいえば,おまえの雇用だけは命がけで企業は保障するから,夜中でも働いてくれ,東京からどこへでも辞令1本で飛んでくれ。家庭も顧みず働いてくれと。これは取引です。強大な人事権と雇用保障。これが取引で成り立っていたのです。だから日本の労働者もそれで了解していた。

 だとすると,安易な解雇はいわば取引違反です。企業社会自身が作り上げた慣行に違反しているわけです。だから安易な解雇が無効になるのは別に何も理不尽ではなかった。逆にいえば,そういった慣行がなくなっていって,外資系企業あるいは外国の企業型のようにドライでいつ転職してもいいよ,でもいつでも首にするよと,そんなに企業に縛らないよと,契約できちっと決めましょうということになれば,解雇規制も変わっていくでしょう。そういう話です。

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