誰でも大学VS誰でもエリートの解@『HRmics』21号
まだわたくしの手元に届いていませんが、既にニッチモのサイトにアップされているので、来週早々には届くのでしょう。とても大事なことが書かれている号なので、ややフライング気味ですが、こちらでも紹介しておきたいと思います。
http://www.nitchmo.biz/hrmics_21/_SWF_Window.html
1章 変わろうとする教育。変われない本質。
01.中教審が打ち出した「美しい」答申
02.アカデミズムを機能させる前に必要なこと
2章 職業訓練をめぐる不機嫌な真実
01.「階層社会へようこそ」という危惧
02.籠の鳥 VS 叩き上げ
03.赤ちゃん受け渡しが機能不全になった理由
3章 たった5つのマイナーチェンジ
01.基礎学力のリメディアル(学び直し)
02.社会人として当たり前の規律
03.職業訓練は、まず専門高校で
04.里子の肌合い合わせ
05.トップ層のハイパー教育は超少数精鋭で
記事では欧米といってもとりわけフランスの教育システムを細かく丁寧に見ていくことで、それが「籠の鳥」の仕組みであり、日本的な「赤ちゃん受け渡し」と対極的な様々な問題を孕んでもいることがよく浮かび上がってきます。
海老原さんの意見は、28ページの「G型L型大学論争の前に」に書かれています。これはぜひご一読を。
なお、わたくしの連載は、今回が最終回です。「労務賃貸借と奉公の間」というどえらく先祖返りしたテーマです。
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フランスの、日本とはかけ離れた、到底マネできない実態を示して欧米出羽守を黙らせ、地に足着いた改革を提唱する見事な構成ですね(笑)。
実際、日本は戦前の複線型教育システムを現代的な形で復活させれば十分ではないかと個人的には思います。イギリスやドイツとの比較も欲しいところですが。
大学改革で問題となるのが私大文系であるのは間違いないでしょうね。人数が多すぎるのは同感ですが、減らせば経営を直撃します。かといって学費を大幅に引き上げることの是非も問題となるでしょう。
高度成長以降の私大文系の肥大化が「誰もがエリートを夢見る社会」の成立に大きく寄与したのは間違いないでしょう。一方、特集記事の中でも、職業高校について、私大文系への進学ルートを提示することで「籠の鳥」からの開放性を確保することを提唱しているわけで、根が深い問題ですね。。。
エリート教育の問題は、教育の中身以前に、どのような人物をエリートとして尊重するかという社会的合意が重要であるように思います。グランゼコールのような教育を受けた人材が育成されたとしても、日本社会や日本の企業がそのような人材をエリートとして遇し、尊敬し、育てていくことができなければ意味がありません。
英語がペラペラで、プレゼンテーション能力に優れた、ハイパーメリトリックなグローバル人材が日本社会でエリートとして尊敬を得られるかというと、疑問が。。。経済界のお偉いさんはそのような人材が理想なのでしょうが、結局便利使いして海外に逃げられるのが関の山だと思いますね。
個人的には幅広い教養を兼ね備えた人物こそエリートにふさわしいと思いますが、大衆化した社会でエリートとして尊重されるかどうか。経済界こそ、そのような人物をエリートとして遇する努力をすべきなのではないかと思いますね。便利使いできる人材を求めるのではなく。
しかし、教養の中身がまた問題となるんでしょうね。明治維新で従来の伝統的教養階級である武士層が解体されてしまい、西洋的教養を授ける旧制高校→帝国大学というルートで新たなエリートを育成しましたが、社会に確固たる地盤を築いたとは言えないでしょう。
フランスのグランゼコールも、革命によって打倒された貴族に代わるエリートを育成するという機能を果たすことで発展したのだと思いますが、その選抜過程では伝統的な教養の有無が問われるわけですよね。このあたりの側面を無視できません。
まあ、エリート云々よりも、非正規の待遇を向上させるのが、労働環境を正常化させる上で最重要点であることは特集記事が示すとおりだと思います。雇用環境を改善しなければ、どんなに制度をいじっても機能しないでしょう。経済界も雇用システムの流動化を求めるのであれば、まず足元の雇用環境の改善に注力すべきですね。雇用環境が良くなければ、動きたくても動けないわけですから。
投稿: 通りすがり | 2015年4月 4日 (土) 19時41分