野川忍・山川隆一・荒木尚志・渡邉絹子編著『変貌する雇用・就労モデルと労働法の課題』
野川忍・山川隆一・荒木尚志・渡邉絹子編著『変貌する雇用・就労モデルと労働法の課題』(商事法務)をお送りいただきました。ありがとうございます。
https://www.shojihomu.co.jp/publication?publicationId=1040836
「法務」という実務的な見地も踏まえつつ、現在の理論状況と実務における状況を明らかにしたうえで、労働者像の再構築と雇用モデルの合理的再構築という観点から、法的・実務的問題点を検討し、今後の展望を試みる論文集。
編者の筆頭に野川さんの名前が出てきますし、冒頭の「序論-問題の所在」という大論文を野川さん自身が書かれていますが、この大冊、野川さんの還暦記念論文集なんですね。
第1章 序論─問題の所在
第2章 労働者像の変化と法政策のあり方
第3章 労働者概念をめぐる法的課題
第4章 正規・非正規の区別と実務的・理論的課題
第5章 有期労働契約と新たな法規制
第6章 パートタイム労働者
第7章 派遣労働者
第8章 高齢者雇用
第9章 障害者雇用
第10章 労災補償と労働者
版元の目次には残念ながら執筆者が載っていませんが、それこそ錚々たる方々が名を連ねています。特に、この手の記念論集では同じ法律学者かせいぜい弁護士が執筆者を占めることが多いのですが、本書では経済学者や労使実務家が執筆に参加しており、野川さんの活動の広がりを感じさせます。
経済学者からは、鶴光太郎さんと安藤至大さん。これはいかにもという感じです。
労使実務家からは、いわずとしれた労務屋こと荻野勝彦さんは別格として、連合OBの熊谷謙一さんと富士通の三宅龍哉さんが参加しており、とりわけ後者は(この手の還暦記念論集ではなかなか読めないような)大変興味深い論文になっています。
三宅さんは1980年に富士通に入社以来30余年間、人事と人材育成を担当してきた、ミスター富士通人事とも言うべき方で、1990年代に大きな話題になった富士通の成果主義について、今日の視点から振り返り、実におもむきのある指摘を多々されています。一行一行が面白いのですが、この台詞はなるほど、というのは、「部下が何をしているかわからない」というパラグラフです。
パソコンとインターネットを使えば、ほとんどの業務を行うことができるため、社員は1日中パソコンに向かって「何か」をしていることになった。以前であれば、電話での会話や、担当者の打ち合わせの様子を通じて、管理職は何が起きているのかを把握することができたが、今ではアウトプットを作成するのも、関係者と連絡を取るのも、情報収集も、作業の外形からは区別ができなくなった。時に業務外のことをしていてもわからないこともある。加えて、オフィススペースの効率化のため、いわゆるフリーアドレスとするところも多く、管理職は部下の状況を把握することに従前以上の労力を要することになった。
あと、三宅さんの論文で、日本と外国の人事管理のあり方を粘土の塊とレゴのブロックにたとえているところも、いかにもという感じです。
・・・これは、日本の人員管理があたかも粘土で壺を作るようなもので、作りかけの壺に粘土の塊が追加される(職場に人員が追加される)と壺全体に粘土が練り込まれて一回り大きな壺ができる(職場のメンバー全員で仕事を再配分する)のに例えることができる。これに対して非日本的な人事管理はレゴブロックでカップを作るようなもので、ブロックの1ピースを与えられても、今あるブロックと入れ替える以外、カップの原形を保つことはできない。
これが問題を生むのは、日本人を海外拠点に派遣したり、逆に海外から社員を日本に派遣するときで、粘土のかけらを追加して練り込む感覚では、誰のジョブを任せるか、入れ替えた人の次のジョブをどうするかが不明で納得できず、やってられないということになるわけです。グローバルな実務に当たっているからこそ感じるところでしょう。
なお、労務屋こと荻野さんの論文については、既に御自分のブログで紹介されています。
http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20150417#p1
ただまあ私が入稿してからさらに10か月が経過しておりますのでさらなる強者がいらっしゃったものと想像します(笑)
たしかに、いくつかの論文には、「2014年4月脱稿」とわざわざ明記してありますね。
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