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« 山口浩一郎監修『統合人事管理』 | トップページ | 視点・論点「働き方改革の基本路線」 »

2015年3月14日 (土)

日本のアニメ産業環境は厳しいのではない。”違法な劣悪環境”である。

本ブログでも何回かその翻訳を取り上げたくみかおるさんが※欄で紹介しておられた日本のアニメ業界に来たアメリカ人のお話ですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-abd9.html#comment-110345380

それで少々虫がいいのかもしれませんが、濱口先生のこのブログで今一度取り上げていただけないでしょうか。アニメマニア同士の閉じた議論に少しでも風穴を開けたいのです。

どういう話かというと、出発点はこの英文記事です。

http://www.cartoonbrew.com/artist-rights/japans-animation-industry-isnt-just-tough-its-illegally-harsh-110074.html(Japan’s Animation Industry Isn’t Just Tough, It’s “Illegally Harsh” Says American Artist)

これがTwitter上で紹介され、

http://togetter.com/li/794400

日本のアニメ産業環境は厳しいのではない。”違法な劣悪環境”である。
夢見ていた日本のアニメ産業で働いたアメリカ人アーティストが語る。週給$25(3000円)完全な奴隷労働者。

「はっきりしておきたいのは日本のアニメ産業は厳しいのではなく、違法な劣悪状態であるということ。彼らは最低賃金さえ払わず、現場で嘔吐し、病院に運ばれるまで長時間労働が課せる。締め切りに間に合わないと分かれば、。1ヶ月半1日の休みもなく働かされます。通常ですら週6、1日10時間勤務」

「私がニューヨークでアニメーターとして働いていた時は家賃も払えたし、自分のものを買ったり、”人生を生きる”時間もありました」

・・・・・・・

06111128_5397bedeedbb7そこでくみかおるさんが、「それでしっかりした議論のたたき台として、私の『ミッキーマウス~』小論をネットに公開したほうがいいと考え」、

http://www.godo-shuppan.co.jp/img/kokai/kaisetsu_kokai.pdf(訳者解説)

http://www.godo-shuppan.co.jp/img/kokai/atogaki_kokai.pdf(訳者あとがき)

を公開されたというわけです。

本ブログにおける紹介です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-cfbe.html(『ミッキーマウスのストライキ!』)

このエントリの※欄で、私がこう述べた思いは変わっておりませんので、

読みながら、これをもっと膨らまして新書版くらいの分量で世間に出して読まれるべきだと強く感じました。

いま出版社は、労使関係とかいうとそれだけで尻込みするような感じですが、アニメ界の労使関係という切り口は突破口になりそうな気がします(もう一つはスポーツ界ですが)。知ってる人々が出てくるというのはすごく売りになるように思います。

そう、ジブリ関係の本を出しているところなんか、久美薫さんの本を出しませんか?(→中の人たち)

つまらん本を量産するより、よっぽど世のため人のためでしかもすごく面白い。

心ある編集者の方は、上のリンク先の訳者解説と訳者あとがきを読んで、考えてみてください。

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コメント

現在テレビで放映されている『shirobako』というアニメはアニメ制作の現場をリアルに、しかしかなり美化して描いています。記事で紹介されているアメリカ人アーティストはおそらく動画担当の人で月給1万か2万という境遇の職種ですが、このアニメでは出てきません。動画を経て原画担当に昇格すれば一応食べられるようになるけれど、それでも100万やそこらで、作画監督になれてようやく人並みの給料がもらえるようになるそうです。

このアニメは美化しつつも一応制作現場の厳しさにも触れていて、アニメで食べていけるのか不安を抱える若手アニメーターや現実に打ちのめされて腐ってしまっている若い制作進行を描いています。CGの普及にあせるアニメーターの心情を取り上げたり。

アニメ業界では転職が頻繁になされている様子も描かれていて、典型的なジョブ型雇用ですね。その意味でアニメ制作現場の労働環境の劣悪さは日本型雇用を前提とするブラック企業の問題とはやや位相を異にするでしょう。アニメの場合は供給過剰の問題が大きいように思います。制作本数自体も多いですし、劣悪な環境が知れわたっているにもかかわらず、アニメ業界に入ろうとする若者も多いようですから。

テレビアニメが普及する前の、まんが映画としてアニメが作られていた時代はアニメ関係者の給与水準は高かったと聞きます。60年代後半からテレビアニメが普及するとともにまんが映画は没落し(映画自体が斜陽化しますが)、大手の東映動画では労使紛争が激化して(宮﨑駿、高畑勲はその中心人物)、合理化の波のなかで宮崎、高畑ら多くのスタッフが退社して零細プロダクションが乱立しました。70年代の前半ですが、この頃にできた、ジョブ型雇用を前提に劣悪環境上等という制作体制が維持されたまま、ここまで来てしまったようですね。

ジブリは例外的な存在でしょうね。固定給を保障していたようです。一方、『スタジオジブリ 夢と狂気の王国』という映画のなかで宮崎駿は終身雇用ではないと言っているので、まさに限定正社員です。アニメ制作現場としては「夢」のような職場でしょうね。しかしそのジブリも解散してしまうわけで、宮崎、高畑という天才の看板なくしては維持できない楽園なのでしょう。

ただ、他方、ジブリには「狂気」の部分もあるんですよね。映画の中で、宮崎駿は他人のエネルギーを自分のエネルギーに変換する天才とか、スタッフを自分の下駄だと思ってるという周りの評価が出てきたり。宮崎駿の理想に答えられないスタッフはやめていく、優秀な人ほど距離を置くという話が現役のスタッフから出たり。この場合、まさに日本型雇用におけるブラック企業に近い側面が出てきたりしてるんですよね。宮崎駿自身が、自分の幸福のためにがんばるというのはおかしいと言っていたり。自分は幸福だったことなんてないとつぶやいている。

おそらく、人間が集団で仕事をする以上、どのような形であれ、支配と従属、搾取の問題は出てくるのだと思います。制度によってそれを防ぐというより、どこまで許容するのかというのが本質でしょうね。このような問題を考えるのに、アニメの制作現場は格好の素材でしょう。

くみかおるさんが宮崎駿直系のアニメーターと組んで本を書かれるというのは楽しみですね。できれば虫プロ系にも目配りしてほしいところです。ガンダムの監督の富野由悠季はスタッフを蹴り飛ばしてたとまことしやかに言われていますが。

>ジョブ型雇用を前提に劣悪環境上等という制作体制が維持されたまま

うーん残念ながら間違いです。そもそも「雇用」されていないんですよ。スタジオで机を並べてひたすら絵を描いているひとたちの姿、よくテレビでも紹介されますよね。あれは社員じゃなくてフリーランス。だから福利厚生なんにもなし。健康保険も自分で入るしかない。

宮崎駿がアニメの世界に入ってきたのが1963年4月。ちょうど手塚治虫がアニメの『鉄腕アトム』で大当てした年です。東映アニメでは彼が最後の「正社員」採用で、半年後に入ってきた芝山努(後に『ドラえもん』でブレイク。藤子F先生からの信頼も厚かった)はたしか歩合制。一枚描いていくらの契約だからフリーランスだと思います。

ジブリは平成に入ってからはずっと雇用です。いわゆる契約社員。福利厚生も充実していて毎年健康診断まで受けられる。もっともそのために人件費が他のスタジオに比べてとても高くつくため、大ヒット作を連発しても内実は経営が苦しかったのです。うわさでは宮崎監督が自分に入って来るいろいろな印税のかなりをジブリにまわして持たせていたとか。赤字ですかんぴんだった虫プロに、社長の手塚治虫が自分の莫大な収入をまわして会計上は優良企業にしていたのと似ています。

宮崎天皇も引退を表明し、後継者はそれなりに育てたものの、息子さんを含めてこれといったヒット作が出ないなか、店じまいは必然でした。いずれ数年したらまた活動再開でしょうが、そのときはもう雇用はせずアニメ業界のデフォである「お前らフリーランス、俺らは机を貸してやるだけ。福利厚生なんて知らないよ」に切り替える腹だと思います鈴木P。

日本のアニメ業界がおかしい、働く者が労働基準法で守られていないという話は何十年も前から言われていることですし、実際そのとおりなのに、どういうわけかこれまで議論の俎上にあがってきませんでした。

なぜか?アニメというと誰でもまず作品に目が行ってしまうため、労働環境という地味な話にファンは気を留めないのです。

そのうえどうやって回っているのか、外部からはわかりにくいところがあります。制作工程を追ったドキュメンタリーの類ならいくつもあります。ただあれはあくまで作業工程を追ったものなので、給与がどうなっているとか労働時間がどのくらいか等の、絵にならないテーマははじめから映らないし、ファンもみようとしない。

ファンがみたいのはかっこいいガンダムの暴れまわる姿や、ナイスバディの童顔美少女が駆け回る姿。あとは有名アニメーターや監督のお顔。近年は声優さんがAKB並みにアイドル化しているからそっちにカメラが向いてしまう。かつてウォルト・ディズニーが、白雪姫の声をあてた女優さんがうっかりラジオ番組に出演したのをとがめて「白雪姫は本当にいるんだと世間に思ってもらわなきゃいけないのに契約に背いてよそに出演するとは何事か!」と裁判まで起こした時代とは隔世の感があります。

華やかなイメージになればなるほど、地味なものは隠ぺいされていくのです。

ええい連投しちゃいます。

アニメ業界は外からはわかりにくいところがあるので、労働法の視点から論じたくても「ああ、ああ、素人さんにアニメの世界はわからないでしょうね」と切り返されて黙るしかありませんでした。

「新人が月5万も稼げない?ああ、それは大相撲と同じですよ。序の口ならやっぱりそのぐらいですし、それが嫌なら強くなればいいんですよ。十両になれば年収は1200万円です。プロ野球だってサッカーだって強ければたくさんもらえるし、テレビの芸人さんだって売れっ子になればやはりそうでしょ。アニメーターでも凄腕なら年収一千万クラスは何人もいますよ」と説得されれば、ああそういうものかとうっかり納得してしまう。

大相撲の場合は序の口でも各部屋が衣食住を用意してけいこに専念できるようにしていることはスルー。野球やサッカーでも打率とか出塁率とか得点率とか観客動員数とかの具体的なデータが出るからそれをもとに契約交渉がされることもスルー。テレビの芸人さんなら視聴率や人気投票をもとにギャラ交渉ができる。ところがアニメの絵描きさんはそういう大衆の目にさらされての判断材料がない。「今日のサザエさんでお魚くわえて駆けていくドラ猫をおっかけるシーンはくみかおるが描いたの?すごいねぇ迫力あったよ」と個別評価のしようがない。それで一枚いくら、一カットいくらの仕事になる。カツオくんたちが学校でドッジボールしている群衆シーンはとても手間がかかるのに、波平さんがお座敷でお茶をすすっているカットと同じ報酬。

こういう特殊な業界だから外部の人間が何を言おうと「うちはそういう業界ですので」で終わってしまう。そしてそこに労働搾取のトリックが生まれるわけです。

大島渚の『戦場のメリークリスマス』は、日本人の監督があえてイギリス人の目線で旧日本軍を描いた映画でした。原作はイギリス陸軍将校で日本軍の捕虜経験のある人物による小説で、主役もやはりイギリス人のデヴィッド・ボウイ。日本軍の捕虜となったボウイの目線から浮かび上がってくるのは、西洋への憧れと劣等感に苛まれるエキセントリックな日本人の姿。

同じことをアニメの研究でできないか、と前から考えていました。業界内部の目線ではなく、外部からの目線で撮ったら何が浮かび上がってくるんだろう、と。要するに濱口先生の目線で日本のアニメ業界に迫ったらどんな映画になるのだろうと考えたわけです。

浮かび上がったのは、ブラック企業ならぬブラック業界の姿でした。


>そもそも「雇用」されていないんですよ。

いやいや、実質を見れば、使用者の指揮命令下に労務を提供する「雇用」です。それを「請負」と偽装しているだけ。実際は「雇用」なのにそうではないとするフィクションを打破する必要があるわけですから、くみさんがそんなフィクションにまるまる乗っかってはだめですよ。当事者の主観と、客観的現実との「ズレ」をどう扱うかがこの問題の要諦でしょう。外から見たくみさんが、お前らの現実はこうだと知らしめてやらないと。くみさん自身はこのことを分かっているだろうけれど、かなり言い方を工夫する必要がある。

問題は働く側の意識でしょうね。何故そんなフィクションが何十年もまかり通ってきたのかといえば、働く側の多くがそのフィクションを何の疑問も抱かず受け入れてきたから。アニメ関係者、特にアニメーターはクリエイター、アーティストという自意識を持つため、単なる労働者にすぎないという客観的現実を受け入れられていない。スポーツ選手や芸能人であれば成功して何千万、何億という報酬が期待できるが、アニメーターにはそんな期待はほとんどできない。一方で、スポーツ選手や芸能人であれば初期の育成コストを球団や事務所に負担してもらえるが、アニメーターにはそれもない。意識だけが高くて現実が全く追いついていないし、追いつく可能性もほとんどない、それがアニメーターでしょう。まず身の程を知れということを言わないと。

これは日本型雇用における正社員にも言えるわけです。単なる使われる立場の労働者にすぎないのに、会社のメンバーとしてみんながエリートになった気分に浸ってしまう。ある日突然リストラを突きつけられるまで、そのことを自覚できない。

結局日本ではジョブ型でもメンバーシップ型でも、主観と客観との「ずれ」、大いなる勘違いが生じてしまっている。この勘違いは高度成長においては役に立ったかもしれないけれど、高度成長終焉後の今日では害悪にしかなっていない。これをなんとかすることはアニメ業界だけではない、あらゆる職場における喫緊の課題です。

しかし、アニメ業界が異常なのは、これだけ劣悪待遇が知れ渡っているのに新規参入しようとする若者が大量に存在するということです。マクロ経済が悪く、他に希望を持てる仕事がないという要因は無視できませんが、他にやりたいことがないのでアニメーターという中身のない夢に逃避してしまう若者が多くいるように思います。この点は学校教育における職業教育の貧しさの影響が否定できないでしょう。

>いやいや、実質を見れば、使用者の指揮命令下に労務を提供する「雇用」です。

間違い。なにしろ裁判で争って勝ったケース、ゼロです。ちなみに雇用されたものの一方的に解雇されたので撤回せよの裁判ならぽちぽちあるんですが、この半世紀で判決までこぎつけた例はわずか一件。それも白黒の『オバケのQ太郎』時代の地裁判例。他はみーんな和解。手打ちの金をそれなりにもらって、職場復帰はできずに終わる。(詳しくは私の論考「アニメーションという原罪」のp582を参照)http://www.godo-shuppan.co.jp/img/kokai/kaisetsu_kokai.pdf

仮に最高裁まで争ったとしても、原告(働く側)が勝つ可能性は三割ないとみます。アニメーターは自宅で作業することも多く、命令下で拘束されているといえるかどうか微妙なのです。近い例としてはあるオペラ歌手が訴えた裁判で最高裁が差し戻しを命じた(オペラ歌手は「雇用」されていたとする判断)ケースがありますが、アニメの場合これが有効な判例になるかどうか、大いに疑問です。


>マクロ経済が悪く、他に希望を持てる仕事がないという要因は無視できませんが、他にやりたいことがないのでアニメーターという中身のない夢に逃避してしまう若者が多くいるように思います。

これも違いますね。単純化すると底辺校の子たちが、進学する意欲も学力もなくて、といってすぐに就職もしたくないので専門学校に進むんです。「アニメ業界への就職率100%!」とか何とか宣伝している学校に。2年そこでぶらぶら絵を学んで、どこかのアニメスタジオに「入る」。物心ついたころからアニメを見て育っているので強い憧れとともにがむしゃらに働きだす。ところが一枚いくらの歩合制だから、新人では月10万どころか5万も怪しい。親元から職場に通うか、親から仕送りしてもらうか、学生時代にアルバイトで貯めた金を切り崩していくかで持たせる。やがて夢破れて「ああ自分には才能がなかったんだ」と納得して去っていく。3年で9割がいなくなる。9割ですよ。

9割が去っていくことは織り込み済みで毎年新人を受け入れている業界です。蒸気エンジンと同じ。憧れの心を熱源に水が湯になって水蒸気になって体積が一千倍に膨らみ、それを運動エネルギーに変換して車輪がまわる。やがて冷めるともとの水に戻る。ああ夢よさらば。使い捨てポイ。また若くて元気のいい子が入って来るから別に困らないよあなたが抜けても。じゃあね元気でね。

ろくに制作費がないのに毎週膨大なアニメが放映されるカラクリがこれです。新人の労働力を絞れるだけ絞って、適当なタイミングで自主的に去っていただく。こうやって足りない制作費が労働搾取で補われていく。はっきりいいましょう、業界ぐるみで新人の親のすねをかじって回っている!

連投ですが

>に人件費が他のスタジオに比べてとても高くつくため、大ヒット作を連発しても内実は経営が苦しかったのです。うわさでは宮崎監督が自分に入って来るいろいろな印税のかなりをジブリにまわして持たせていたとか。

ここら辺の収支構造を具体的な数字で解明する必要があると思うんですよ。ただ、ジブリは会社法上の大会社ではないから、損益計算書なんかは公開されていないはずなので、フローの具体的な金の流れが分からない。もう制作部門を一旦解散したんだから、鈴木Pが全部ぶちまけてくれないかなあ。アニメ業界への最後のご奉公と思って。ジブリだけでなく、零細プロダクションの収支構造を明らかにして比較する必要があるでしょうね。

宮崎ジュニアの『コクリコ坂』が興収50億を超えられなかったのが痛かった。ジュニアやほかの後継者による映画が50億の大台に乗るかどうかでジブリの今後を占おうという空気があって、どれもだめだったわけです。

ジブリ映画はものすごく配当のいい株みたいなもので、例えば20億円かけて映画を作って150億円稼げば制作委員会には40億は残る(これはテキトーな数字ですので真に受けないように)として、制作費のうち5億を四社がそれぞれ出していれば各社10億返って来るわけです。それで制作委員会は電通とか日テレとかディズニーとか他大企業で囲い込む体制ができていました。

しかしながら『コクリコ』『アリエッティ』『マーニー』がどれも今一つの興行成績。これで宮崎駿なら当たるけどジブリではそこそこしか当たらないことがはっきりして、それで出資者が退き始めたわけです。鈴木Pはそれも見越して先手を打った。制作の中止。

ちょっと私の言いたいことが伝わってないかなあ。

「雇用」というのは裁判で法律論をギリギリ争う段階までいかない、実際の労働現場の実態について言ってるんですよ。特に動画の現場で働いている人間は実態として指揮命令下にあるわけでしょう。にもかかわらず、請負という建前でまともな待遇がなされず、初期の育成コストも負担してもらえない。不当な「雇用」形態として問題にすべきだと思うけれど、そもそも裁判まで行ってしまったらどんな判決が出ても「負け」なんですよ。裁判まで行く前に解決しないと。そもそも働いてる本人も自分はクリエイターであって単なる労働者ではないという意識を前提として働いているわけで、裁判まで行ってしまったら、労働契約ではないという判決が出るのは当たり前。このような当事者の意識と実態との食い違いを問題にするために、あえて「雇用」と位置づけて議論する必要があると思うんですよ。判例にもかかわらず、これは実態として「雇用」なのだと押していく、アニメーターも自覚しろ、そんな戦略性が必要だというのが私の主張で、判例云々という話とはすれ違ってしまってる。別に矛盾はしないけれど。

オペラ歌手の判例は新国立劇場事件のことだと思うけれど、これは労組法上の労働者性の判例ですよね。実態として労働組合が組織されていて、団体交渉がなされている。こういう状況までいかにアニメの現場をもっていくか、アニメーターの意識の問題が非常に大きい。判例ではアニメーターには労働者性が認められません、終わり、では困るわけです。判例にもかかわらず、労働者として意識させる必要があるわけですから。もちろん、くみさんが一番そのことを理解してると思いますが。

「アニメーターという中身のない夢に逃避してしまう若者」というのは、くみさんが活写している「底辺校の子たち」をそのままイメージして言った言葉です。9割の人間が脱落していく(あらかじめそう仕組まれている)仕事に進学意欲も学力も低く、就業意識も薄弱な人間がなだれ込んでいる様は「中身のない夢に逃避」と表現すべきだと思います。

>新人の労働力を絞れるだけ絞って、適当なタイミングで自主的に去っていただく。こうやって足りない制作費が労働搾取で補われていく。はっきりいいましょう、業界ぐるみで新人の親のすねをかじって回っている!

ただ問題は、このようなすねかじりなしに今のアニメ業界が回っていくのかということです。勘違いしないでくださいね。別に今のアニメ業界の在り方を肯定しているわけではない。言いたいことは、現状、このような労働搾取なしに経済的にアニメ業界は成立しうるのかという問題です。

例えば悪い資本家がいて、若手アニメーターを搾取することで大儲けしているとするならば、そいつを攻撃すればいいだけかもしれない。某アパレル大手や飲食などのブラック企業として叩かれた企業はそういう側面を持っていた(いる)と思います。

しかしアニメ業界では、ジブリですら収益性が悪化して存続する見通しが立てられなくなった。先手を打って撤退しなければ、いずれ倒産していたかもしれない。零細プロダクションはもっとひどいものでしょう。

ジブリ以外の多くのアニメで誰かが大儲けしているという構図がイメージできないんですよね。むしろ、貧乏人がバカな若者を搾取してようやく食いつないでいる、そんな構図が頭に浮かぶ。

つまり、アニメはビジネスとしてはとっくに破綻しているのかもしれない。

しかし、このあたりは業界の収益構造を精査する必要があるわけで、くみさんにはそういう仕事も期待したいところです。

>このような当事者の意識と実態との食い違いを問題にするために、あえて「雇用」と位置づけて議論する必要があると思うんですよ。

無駄。

ジブリの利益構造の話が出ていて開示義務がないという話だったので、開示義務の有るプロダクションIGの場合を見てはどうでしょうか?
当方はアプリや紙の制作なのでアニメスタジオは門外ですが、興味が有るのでポストしてみました。
(東映系とタツノコ系では違うかな?SHIROBAKO繋がりでタツノコもいいと思うのですが。)
http://www.kabupro.jp/mark/20140825/S1002WOJ.htm

何かこう日本人にとって、「働く」って言うのは、どういうことなのか? ていう根っこの部分から考えていかないと、何の解決にもならないんじゃないかと思うけど。

あと、日本の社会構造と、日本人のメンタリティが実は「江戸時代」とほとんど同じことにも、原因があると思うし。

中でも、近代国家では当たり前の「社会契約説」が機能していないっていう問題もあるし。

この「社会契約説」って言うのは単純にいえば、「日常生活は契約行為(法律行為)の連鎖として動いていく」こういう考え方になるけど。

つまり、道路を歩くのは「道交法」に基づく法律行為(契約行為)であり、コンビニで弁当を買うのは「民法に基づく法律行為」。

よって、「働くことは労働法その他に基づく法律行為」になる。

で、今回のアニメーターの場合は、「勤務としての実態があるから、業務委託契約ではなく、雇用契約である」。こう言う主張がなされているけど、そもそも一番最初の段階で、どういう契約がなされるのか、相互の確認をきちんとしているかどうかが、まず問題だと思うし。

これは、ディズニーランドを巡るトラブルにも言えることだけど。

欧米では、一番最初の段階でその点ははっきりさせると思うけど、日本の場合には全くあいまいで、その挙句「滅私奉公」や「奴隷労働」的なものが横行する。

そういう意味では、社会契約説その他の「教育」を一番最初に行うことが、必要なんだと思う。

あと、「夢」って言うものが、人を搾取するための手段として利用されているっていう現実があって、その典型として、今回のアニメの話があると思う。

なんていうか、今の企業の中には「チョウチンアンコウ」や「ウツボカズラ」のような所があるのではないか?

つまり、チョウチンアンコウは鼻づらのぴらぴらを振って小魚を誘い、そのびらびらを餌と間違えた小魚が、自分の口元に来たら大口を開けて餌食にする。

また、ウツボカズラは虫やカエルなどの小動物を、甘いにおいで誘って、フラスコ状の本体内部に誘った上で口を閉じてフラスコの底にある消化液で獲物を溶かして餌食にする。

ブラック企業の過労死や自殺、あるいはどこかの居酒屋や牛丼屋の会長を見ていると、「人の皮を被ったチョウチンアンコウやウツボカズラ」がいて、「夢」で人を誘って、食い物にする図が浮かんでくるし。

このアニメに関する話について、関連しそうな話題があったので、紹介しておきます。
http://togetter.com/li/814074
アニメーターは仕事じゃなくて趣味なんだから給料低くても文句言うなと主張するサラリーマン
これは、「アニメーターの給料」というツイッターの話題に関して、ある人が、「アニメーターは趣味でやっているようなものだから、それに対する給料を払う必要はない」という趣旨の投降をして、そこから「炎上状態」に発展しているようです。
また、この人は「アニメーターは大道芸人にと同じようなものだ」とも述べています。
この話題について、通りすがりさんと、くみかおるさんは、どうお考えかご意見を伺いたいと思うところです。
自分的には、「6対4」で「それは違うだろう」という感じですが。
例えば、「アニメーターはプロ野球選手や大道芸人のようなもの」という論法は、一定の「理」はあると思いますが、問題は、アニメーターは基本的に「裏方」であって大道芸人や、プロ野球選手と「同じ次元」で捉えること自体が、筋が違うだろう。ということです。
あるいは、演劇にたとえると、演じる俳優と舞台の設営や照明などの裏方を担当するスタッフとでは、同じ舞台にかかわっていてもやはりそこには「次元の違い」があるわけです。
ましてや、個人個人が、自分の楽しみのために行う、「趣味」と「一定の契約関係に基づいて、労務を提供すること」をごっちゃにしている(同じ次元で扱っている)ことに、この人の主張の問題点があると思います。
まあ、この人の本音は別のところにあって、アニメーターを都合のよいかませ犬に使っているだけのようですけれど。

まずアニメーターは給料をもらっていません。だから「月給3万円」というのは間違いです。

アニメーターにも職種がいろいろあって、まず最初に経験するのは「動画」。まあ一番下っ端です。一枚200円。新人では一日に五枚も描けないから稼げるのは月に3万円。最低賃金を大きく下回る額。ところがアニメーターは同法でいう「労働者」ではなく「個人事業主」(これは厳密には労働法ではなく税法の用語ですが)の建前なので国が介入することはないわけです。

むろん詭弁です。ですが「これも修行だ」と自分を納得させながらがむしゃらに描く。経営側も「これも修行だ」と刷り込む。「こんなのおかしい」と気が付く者はさっさと去っていく。こうして賢い者は業界から淘汰されて、残るのは職人バカ。適者生存の法則がこんな歪んだ形でまわっています。

アニメで金がまわるのは「製作」の世界。ガンダム商品は確実に売れます。そして著作権者のふところにたくさん印税が入ってくる。「制作」はすかんぴん。ガンダムのアニメを作る部署のことです。「制作」は著作権をもたない。持っていても親会社つまり「製作」がもっていく。ここはややこしいので詳しくは省略。とにかく「制作」にはろくに制作費がまわってこない。そこで新人を歩合制で安くこきつかって間に合わせる。「修行だから」と親心のふりをして。こうすることで、本当は3000万円かかるところを1000万円で済ませてしまう。2000万円が労働搾取のぶん。いやもっと身も蓋もないことをいうとですね、新人たちは収入の不足を貯金や親からの仕送りで持たせているわけだから、つまりアニメ業界は業界ぐるみで新人たちの親のすねをかじってまわっているのです。「これも修行だ」と親心のふりをして。

9割が「修行」に耐えられず去っていく。残った者はプライドを抱く。「俺は修行に耐えた。だから今こうしてなんとか食べているぞ」と。同年代のサラリーマンより少ない年収なのに「どうだ」と誇らしく感じてしまう。職人バカだから。そして新人たちに吹きこむのです。「これも修行だ」と。

「これも修行だ」。
自分は日本のブラック企業に関連することとして、「日本人には事業と修業の区別、芸事と仕事の区別が付いていないのではないか」と思っています。
もちろん、世の中は、「芸事即仕事」の世界もあるわけです。
ただ、それはあくまでも特殊な例でしょう。
その一例として、歌舞伎役者や能楽師(能楽師は文字通り個人事業主だそうですが)。があるわけで、しかし彼らとアニメーターとを同じ次元におくことはできないでしょう。
にもかかわらず、「同じ次元」で扱われている現実がある。「アニメーターは個人事業主」だからといって。

しかも、それが「アルバイト」にすら拡大されて、「バイトは個人事業主だから、残業代は払わなくていい」という論法がまかり通り過労死が起こる。
こういう状況を、改善していくためには、「事業と修業の区別、芸事と仕事の区別」を明確にして、仕事にかかわる法的な「契約関係」の整備をしてい行く必要があると思います。
あと、日常生活が「契約行為の連鎖である」という社会契約説に基づく認識を日本人が持つことも大切ですが。
余談ですが、日本の企業において「職場は人生の道場である」と主張して、「修業」の要素を持ち込んだのは、どうやら松下幸之助さんのようです。
悪く言えば、そこから日本のブラック企業の歴史が始まったのではないでしょうか?

どうも、この「個人事業主」という考え方自体が、拡大解釈されて独り歩きしているのではないかと思います。
しかも、不当労働行為を正当化するための免罪符に利用されている現実があると。
例えば、養鶏場で狭いケージに入れられて、飼育されている鶏に向かって「あれは野鳥だ」という主張が通用するでしょうか?
もちろん、ハクチョウや燕などの渡り鳥や、カラスやスズメなどは「野鳥」で自分自身で餌をとって生きているわけですが、養鶏場で飼育されている鶏にその論法は通用しないでしょう。
いわば、個人事業主は、「野鳥」であり、その一方でアニメーターの立場は文字通り、「養鶏場の鶏」そのものだと思います。
であるならば、養鶏場の経営者には、きちんと飼育している鶏に、「餌」を与える義務があると思います。
それをせずに、「ろくに卵を産まない」とか「肉の質が悪い」と言っている。
そういう考え方が、まかり通っているところに、今の日本の労働環境の問題点があるのではないでしょうか?

連投になりますが、宮崎駿さんや庵野秀明さんにとって、アニメ作りは単なる「仕事」ではなく「天命」になっていると思います。

英語で、「仕事」というと一般的な「job」や「work」以外に「calling」というものもあります。
このcallingは「神の召命」という意味であり、「お前はこれをやりなさいと神に命じられた仕事」という意味で、日本語に訳せば「天命(分かりやすく言えば天職)」になるでしょう。

で、この天職に就く者は文字通り「24時間死ぬまで働く」あるいは、「自分の全存在を引き換えにしてでも、その仕事を貫徹する」という意思と覚悟が求めらると思います。

あるいは、「人間到るところに青山あり」という覚悟が。

そして、宮崎さんや庵野さんはアニメ作りに、その「天命」を見出したのだと。

ですが、こういう働き方をする人は、ほんのごく一握りでしょう。

それ以外の一般的な人は、「組織の末端の歯車」として、一日一日を過ごすための「収入」を得るために「job」や「work」をしているわけです。

そして、欧米ではこのcallingとjobは明確に区別されていて、一般的にcallingをしているとみなされる人は、総じて高収入でありハードワーカーです。

ですが、日本では歯車としてjobやworkをするだけの人に(いわんやただの学生バイトにすら)低収入でcallingをすることを求めている現実があるのだと思います。
しかも、ろくな労働契約を結ばずに。
そして、その土台を作ったのが、松下幸之助さんではないのかと。

労働の倫理観がヨーロッパでどう変容したかについては水町先生の新書本をお勧めします。

現在、世界のスタンダードとされている法制の大半は19世紀ヨーロッパの発明品です。シャーロック・ホームズや小公女セーラの時代の産物。セーラはママンがフランス人で本人はイギリス国籍だけどインド生まれでしたね。インドをはじめそれぞれの土地の風土や民族や文化の違い関係なしに、ヨーロッパのローカルルールを「人類普遍」の名の下に上から網を被せて区分けていったのです。日本のアニメ界の歪みも、さかのぼるとそこに行き当たります。

ところで濱口先生、先日「アニメーション制作者 実態調査報告書 2015」なる代物が公開されましたがうわさは耳にされているでしょうか。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150428/k10010063221000.html(←NHKニュース) 文化庁の委託で、ある団体が一年がかりでまとめた内容です。よく頑張っていましたが、離職率を全然調べないで、つまり業界に生き残った者だけを調査対象にしているため、調査関係者の発言がまたアサッテ方向に飛びまくっています。

入って3年で90%、10年で95%が去っていく世界といわれています。が、これまでこうした離職率の調査がされていません。「そんな調査、不可能だ」と関係者には言われてしまいました。できるのにね。この数字を押えたうえで調査報告書を読み直すと、調査チームが気が付いていない(気が付きたくない)恐るべき事実が浮かび上がってきます。

ツイッターで思うところを多少述べてみました。どなたかまとめてくださいました。http://togetter.com/li/815163

それにしても既婚率がわずか25%で、そのうえ100人に3人しか子孫を残せない業界だなんて、誰がそんなところにわが子や孫や教え子を入れたがるのでしょう。私なら殴ってでもやめさせます。

議論白熱のところ、横から失礼します。

小生の業界(舞台裏方)も同じ様相を呈しておりまして、実態は雇用(労働契約)、しかし契約・報酬・社会保障となると個人事業主が多いわけです。
これは、若い人(いま現在年配者でも、その人が若いころはそうでした)で一定のジョブのある人が業界に入ろうとした場合には、敷居が低く手非常に入りやすいわけですね。嫌なら別の事務所に移ればよく、同じように直ぐに仕事ができるわけです。
皆さんが問題にされている労働法とマッチしない実態は指揮命令や危険負担については労働者として扱われる、偽装的な請負(個人事業主)になっています。これももちろん問題です。ただ、労働法を知らない若い人が多く入ってくるとか、取りあえず雇用関係なんかどうでもよくてあとから何とかしようとする人も多くいます(あとからでは遅いんですがね)。結局は制作事務所としては別段労働力には不自由しないこともあって、そこに”見えざる手”ははたらかないのだろ思います。

しかしもう一つの問題として、そこで幾分でも長く働いていると、そこに経済的重心をもっていかざるを得ないわけですね。いつまでも親兄弟に経済基盤を頼るわけにもいかなくなってきますし、なかなか芽が出ない書生を囲って世話するような粋なご人も今や居られない。
一部企業メセナなど芸術に寄付をする企業もありますが、これは、著名な芸術を振興することにより企業価値も上がるという利益の存在が付属しているお話であり、助手で個人事業主という身分の人を直接支援しているわけではありません。

我が国では、労基法上の労働者という設定の敷居が高く、これを根拠にして、労委法の規定は勿論、雇用保険・社会保険が手当される他にも、労働契約の存否、賃金か報酬かについてもこれが判断基準です。ところが1次的に労基法上の労働者性を判断するのが「監督官」ある限り、労基法上の問題が発生し、それが労働者性を判断する最初の端緒になるわけで、これが発生しないと労働者性は問われないことになります。理論上は。

我が国の一部の産業(アニメや舞台・映画等)では、就労する際、社会に出る際に、労働者性についてはどうでもよいことになっているのです。雇用保険社会保険についても、一部ではどうでもよいことになっているんですね。
おそらくオーデションをしないで仕事を始めさせておいて、その後の市場によりオーディエンスする方が都合が良いからでしす。だから労働契約ではマズイわけです。
業界(業種)が特殊だからという観念で、みんながこれを許しているのでしょう。そもそも法令(特に労働法や社会保険法)を当てはめようとはしないんですね。
私は、これが一番問題だと思っています。

横から失礼します。

> 「アニメーターは大道芸人にと同じようなものだ」

社会的な「需要の有無」の観点で異なると思います。

大道芸人が生活できないとすれば、単純な需要不足です。投げ銭の数や金額が少なかっただけの話です。需要が少ないんだから、大道芸人が廃業しても、世間はあまり困りません。

対して、アニメーターは需要があるんですね。社会から必要とされてます。金を払ってくれるユーザーも、元請け企業も存在します。仕事量も有ります。フルタイム(以上)拘束される程度には。たとえば、駆け出しの声優は仕事量が少ないからアルバイトをする(できる)のであって、それとは異なります。

くみかおるさんが仰るとおり、中抜きが酷いだけ。需要があるんだから、「神の見えざる手(市場原理)」で、適切に処遇されて然るべきなのですが...

今回のお話の焦点は、「労働法にまつわる矛盾と、不当な中抜きによって、末端のアニメーターにまでお金が行きわたっていない」ことになりますが、視点を変えて、「時間」について考えてみたいと思います。

人間は、何をするのにも「時間」を使います。
今、自分は、このコメントを書いているわけですが、これにも時間を使っています。

では、その「時間」はどこから来るのでしょうか?

その答えは、「自分の命」からです。

今現在人の平均寿命は80歳ですが、これに365日をかけて、24時間をかけるとその答えは「700800時間」であり、これが人が使える時間の基本的な上限です。

しかも、その時間は減りこそすれ増えることは、基本的にありません。

そして、人はその700800時間の中から、削りだして様々な活動をしているわけです。

もちろん、その「活動」の中にはアニメーターの仕事やendouさんのような舞台の裏方の仕事もあるわけで。

「労働」ということを考えるときに、「法律や契約」のことを考えるのは、重要なことで以前書いたとおり、これに関する啓発や教育をしていく必要があると思います。

その一方で、思うのが「時間」に対する配慮があまりにも、なおざりにされているのではないか? ということです。

一般的には、「残業代の未払い」や、「不当な長時間労働」等がそれに当たるわけですが、それ以外にもendouさん等には、「一つの舞台を完成させるために、自分がどれだけの時間をかけたのかがあまりにも評価されていないのではないか?」という思いも、あるのではないかと思います。

自分は、ある意味「資本主義経済は時間の奪い合いであり、今の世の中は「時間」をお金の変えて回っている」こう思っているのですが、その時間の出所が、「人の命そのもの」であることにいい加減で気づいていかないと、色んな意味で大変なことになると思うのですが。

あと、「ヨーロッパのローカルルールを人類普遍の物に仕立てた」というくみかおるさんの主張は、ごもっともだと思います。

今の世界が直面している様々な「矛盾」の根源が、おそらくこれでしょうから。

結局、某山賊集団の暴挙の背景には、これに対する「抗議」という意味も含まれるでしょう。

もちろん、彼らの成したことは許しがたものだとしても。

それで、今から5年前に亡くなられた小室直樹さんの著書「日本人のための憲法言論(あるいは痛快憲法学)」を機会があれば、読んでいただけたらと思います。

この本は、「民主主義と資本主義が、マックスヴェーバーの言う「禁欲的プロテスタントの論理」に従って、キリスト教から生まれ、そこから人権や憲法が生み出された」ことが書かれています。

おそらく、その流れが、くみさんのいう「世界のスタンダードとされている法制の大半は19世紀ヨーロッパの発明品です」に合致すると思いますが。

その文脈の中で、「契約(社会契約説)」や「天職(calling )」についても書かれています。

自分が、曲がりなりにもこういう、「社会契約説がー」とかいうコメントを「知ったかぶり」で書くことが出来るのも、土台として小室直樹さんの著作群を、読んだからなのですが。

とはいえ、その一方で欧米人たちの生み出した概念が「人類普遍の原理」として独り歩きしている現実も、そろそろ変えていくべき時なのかもしれません。

なぜ若者は遣い潰されるのか――日本のアニメはブラック業界
http://synodos.jp/society/14091
ネット論壇紙「シノドス」に寄稿しました。本日掲載。すごい勢いで拡散しているようです。

濱口先生、先日論考をネットに上げました。ネット論壇誌「シノドス」の有料版に寄稿したものを、同編集部の承諾のもとPDFで無料公開しました。http://www.godo-shuppan.co.jp/img/K_yumenokuniha.pdf 気が向いたらご論評ください。

これまで同じテーマで二本、無料版「シノドス」に寄稿してhttp://synodos.jp/society/14091 アニメ監督やベテランアニメーターから絶賛袋叩きされてしまいました。私に痛いところを突かれたようです。その続きとして書き下ろしました。

このタイトルに関する熱心なコメントを初めて総覧しましたが、はまちゃんブログで取り上げられる以上特に本年度アクセス上位とされたものすべてに通じる本ブログの当然といえば当然の帰結でしょうが、サービス産業も教育界も、アニメをはじめ情報・芸術産業も数多の経済セクターの実状は異口同音にそれを支えている多数の「各セクターの都合勝手により社会に存在しない労働者たち」の再生産と使い捨ての循環によってのみ成立する分配構造のこれまた帰結が「今」なのでしょうが、社会経済活動の利益収縮がテクノロジー進化や人口構造による消費構造変化で究極にすすみゼロに近い日本において、今以上に進むことが容易に想像できる来年以降を凌ぐ術に知恵を出し合い、同時並行で未来へ向けての分配のあり方を生産と支出の要である企業と国家、そして各位が己を浸食させず我のみはから、共鳴することの効用に利益があることを生活者が実感できる制度設計が急務なのでしょう。皆一人ひとりが「差異」あることに違和感も嫉妬も悲しみもが少しでもなくなる「平等」ではなく「差異」を畏れる必要がない社会とはなにかを考える最期のチャンスかもしれないなあと思います。とても有意義なブログではまちゃん先生のご努力に、勝手コメントする者としまして感謝いたします。

消費税の内税がらみで去年から今年にかけてアニメ業界に混乱が起きたんですよ。消費税があがれば絵描きたちへの報酬もその分増やしてあげないといけないのに、一部のアニメスタジオは報酬据え置きで押し通そうとしました。「年収が1000万円に達しない事業者は消費税免除される。お前ら個人事業主なんだし1000万円も稼いでいないのになんで値上げしてやらんといかんのだ?」 天下の東映でさえそういう理屈をこねたため、公正取引委員会から勧告がされたほどです。

もっと驚いたのはアニメーター連中がツイッターで愚痴るのは山のように目にしたのに、とうとうマスとして動かなかったことです。去年あるアニメ労働者の互助団体(組合ではなく一般社団法人)が税金講座を無料開催したら参加者わずか四名!結局東映の組合ぐらいでした正面から声をあげたのは。

大企業から中小零細に繋がる日本の垂直統合経営のアニメ版ですね。というより、失礼かもしれませんが、原発(F1)事故後の作業にあたる孫受け、曾孫受け労働者へのピンハネそっくりです。未組織労働者群(用は請負や日雇いに近い方々ですか)ですから、物言えば唇寒しですね。大手労組とてくみさんのコメント類を読むに限りその立場は五十歩百歩なのでしょう。ですから、以前はまちゃんブログで紹介された損保労組の幸せそうな労働課題と成果を皮肉った次第です。とはいえ、バラバラでは力になりませんから役立つかどうかはわかりませんが、産別労組化はそうであってしかるべきかもしれません。しかし資本主義である以上株主もその役割を担うというのがガルブレイス大先生の見立てなのですが、日本じゃなあw。はまちゃん先生のコメント「交通整理の交通整理」に出てくる昔の労組大親分、総評も所詮「男根思想」のようでしたからw。その昔米国でしたか「キッチンのない家」だったかな?おもしろい本があったことを思い出しました。世界も変わらんねえw。

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