フォト
2023年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ

« 「実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の在り方について(審議のまとめ)」 | トップページ | 岩佐卓也『現代ドイツの労働協約』 »

2015年3月28日 (土)

はじめからメルトダウンしていた古賀茂明氏の倫理感覚

いろいろと話題になっているらしい「輝ける脱藩官僚の星」について、本ブログがどういう視点で見てきたか、いくつかのエントリを改めて引用しておきたいと思います。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-916a.html (古賀茂明氏の偉大なる「実績」)

4062170744 正直言って、ここ十数年あまりマスコミや政界で「正義」として語られ続け、そろそろ化けの皮が剥がれかかってきたやや陳腐な議論を、今更の如く大音声で呼ばわっているような印象を受ける本ではありますが、それ自体は人によってさまざまな見解があるところでしょうし、それを素晴らしいと思う人がいても不思議ではありません。

彼が全力投球してきた公務員制度改革についてもいろいろと書かれていますが、不思議なことに、公務員全体の人数の圧倒的多数を占める現場で働くノンキャリの一般公務員のことはほとんど念頭になく、ましてや現在では現場で直接国民に向かい合う仕事の相当部分を担っている非正規公務員のことなどまるで関心はなく、もっぱら霞ヶ関に生息するごく一部のキャリア公務員のあり方にばかり関心を寄せていることが、(もちろんマスコミ界や政界の関心の持ちようがそのようであるからといえばそれまでですが)本来地に足のついた議論を展開すべき高級官僚としてはどういうものなのだろうか、と率直に感じました。まあ、それも人によって意見が分かれるところかも知れませんが。

しかし、実はそれより何より、この本を読んで一番びっくりし、公僕の分際でそこまで平然とやるのか、しかもそれを堂々と、得々と、立派なことをやり遂げたかのように書くのか、と感じたのは、独占禁止法を改正してそれまで禁止されてきた持株会社を解禁するという法改正をやったときの自慢話です。

不磨の大典といわれた独禁法9条を改正するために、当時通産省の産業政策局産業組織政策室の室長だった古賀茂明氏は、独禁法を所管する公正取引委員会を懐柔するために、公取のポストを格上げし、事務局を事務総局にして事務総長を次官クラスにする、経済部と取引部を統合して経済取引局にし、審査部を審査局に格上げするというやりかたをとったと書いてあるのですね。

嘘かほんとか知りませんが、

公取の職員はプロパーなので、次官ポストが出来るというだけで大喜びするはずだ。公取の懐柔策としてはこれ以上のものはないという、という私の予想は的確だった。

思った通り、公取は一も二もなく乗ってきた。ただ、公取としては、あれだけ反対していたので、すぐに持株会社解禁OKと掌を返しにくい。・・・

・・・公取の人たちは「こんなことをやっていると世間に知れたら、、我々は死刑だ」と恐れていたので、何があっても表沙汰には出来ない。

この独禁法改正が、今のところ私の官僚人生で、もっとも大きな仕事である。

純粋持株会社の解禁という政策それ自体をどう評価するかどうかは人によってさまざまでしょう。それにしても、こういう本来政策的な正々堂々たる議論(もちろんその中には政治家やマスコミに対する説得活動も当然ありますが)によって決着を付け、方向性を決めていくべきまさ国家戦略を、役所同士のポストの取引でやってのけたと、自慢たらたら書く方が、どの面下げて「日本中枢の崩壊」とか語るのだろうか、いや、今の日本の中枢が崩壊しているかどうかの判断はとりあえず別にして、少なくとも古賀氏の倫理感覚も同じくらいメルトダウンしているのではなかろうか、と感じずにはいられませんでした。

わたくしも公務員制度改革は必要だと思いますし、とりわけ古賀氏が関心を集中するエリート官僚層の問題よりも現場の公務員のあり方自体を根本的に考えるべき時期に来ているとも思いますが、すくなくとも、国家の基本に関わる政策を正攻法ではなくこういう隠微なやり口でやってのけたと自慢するような方の手によっては、行われて欲しくはない気がします。

それにしても、通常の政策プロセスで、それを実現するために政治家やマスコミに対して理解を求めるためにいろいろと説明しに行くことについてすら、あたかも許し難い悪行であるかのように語る人々が、こういう古賀氏の所業については何ら黙して語らないというあたりにも、そういう人々の偏向ぶりが自ずから窺われるといえるかも知れません。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-9945.html (そうだよね!と共感できる、同じ視点のコメント)

古賀茂明氏の著書について、先日のエントリに「ようやく同じ視点のコメントが・・・」という共感の声が届きました。

http://pu-u-san.at.webry.info/201106/article_94.html

>「改革派官僚」古賀茂明氏については、新たな動きが大きく報じられているけれど、各方面の論客の皆様からも、やはり、いろいろな発信が。

池田信夫さん・・・もなかなか興味深い。「なるほど」と、説得力を感じるのです。

当然のことながら、改革の同志とも言える高橋洋一さんも大いに発信。・・・

でも、かもちゃん自身は、ベストセラーになっている「日本中枢の崩壊」の中身について、かなり違和感を感じていて、・・・それと同じようなことを誰も指摘しないのは、自分の感覚がずれているのかなぁ、と思っていたのでした。

そうしたら、hamachanブログが・・・

そうだよね!と共感できる、同じ視点のコメントをようやく見つけた。

わたくしからも、共感できるコメントです。

>結局、古賀さんたち「改革派官僚」なる方々の視野に入っている「公務員」とは、どこまでなのでしょうか。

被災地の現場で連日苦闘しておられる公務員の方々については、どのようにお考えなのでしょうか。

考えてなんか、いないのでしょう。

古賀茂明氏にしろ、池田信夫氏にしろ、高橋洋一氏にしろ、こういう「改革」芝居型の人々の頭の中にある公務員改革というのは、霞ヶ関村の中の権力争いで、どういう人々が権力を握るかどうかということでしかないように思われます。

現に今、被災地の現場で日々苦闘している多くの正規、非正規の公務員たちのことなんぞ、これっぽっちも頭にはないのでしょう。

そして、もうひとつ、こういう「構造改革」派の人々が、古賀氏が自らの著書であっけらかんと証言している独禁法改正の裏取引に対して何も言わないのは、自分たちが考える「正義」を実現するためなら、どんな手口でも許されると考えているからではないかという気もします。

古賀氏の正体を知るためにも、池田氏や高橋氏の賞賛で読んだ気にならずに、ちゃんと自分でこの本を買って、じっくり読んでみることをお薦めします。それで古賀氏のやり口に感動したというなら、それはそれでけっこうですから。

今では口をぬぐって知らん顔をしているようですが、池田信夫氏にせよ高橋洋一氏にせよ、一時は古賀茂明氏を褒めちぎっていたことをよもやお忘れではありますまい。

私には、皆さんよく似たタイプの方々に見えます。

最後に、労働法学サイドから大内伸哉さんのコメントに一点だけ苦情を申し上げたこともあります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-5435.html (ふつう、そんなやり方はしません)

先日コメントした古賀茂明氏の著書ですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-916a.html (古賀茂明氏の偉大なる「実績」)

大内伸哉先生が読まれたようで、その感想を「アモーレ」に書かれているのですが、

http://souchi.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-bccc.html (日本中枢の崩壊)

ちょっと気になるコメントがありました。

>この本で個人的に関心をもったのは,持株会社解禁のときの公正取引委員会との戦いやクレジットカード偽造の刑法犯化のときの法務省との戦いのように,古賀氏が具体的に扱った問題についてのことが書かれている部分です。なるほど,こういうようにして法律ができていくのかと勉強になりました。

いや、私も霞ヶ関で何回か法案作業やりましたけど、反対している官庁に次官級ポストをつけてやって黙らせるなんて話は聴いたことがありません。「なるほど、こういうようにして法律ができていくのか」と思われると、心外な方々が数多くおられると思いますよ。

« 「実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の在り方について(審議のまとめ)」 | トップページ | 岩佐卓也『現代ドイツの労働協約』 »

コメント

古賀茂明氏も、単に内部の権力闘争に敗れただけの者が自分を正当化したくて正義の仮面をかぶっていた、よくある人物の一人にすぎなかったということですね。

この手の人物が権力闘争に勝利して権力を得たところで、今まで権力を握っていた者と同じことをやるのでしょうね。つまり、古賀茂明氏等この手の人物の言う「改革」は、権力を奪還するための手段でしかないということです。

まあ、私は、単に外国を手本にしろと主張したり、民間、特に企業経営者の権限拡大につながる提案をしたりしている人物については、初めから信用していません。古賀茂明氏に初めから期待しなかったのは正しかったと思います。

>池田信夫氏にせよ高橋洋一氏にせよ、一時は古賀茂明氏を褒めちぎっていたことをよもやお忘れではありますまい。/私には、皆さんよく似たタイプの方々に見えます。

竹中平蔵氏もそうだけど、こういう人たちは言ってる中身はアレでも、世渡り(術)的にはちょっと見習いたいなぁ、とつい思ってしまう。。。(実が伴っていないのに、世間受けしていて、いい立ち位置とか高ギャラとかもらえてる。)

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: はじめからメルトダウンしていた古賀茂明氏の倫理感覚:

« 「実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の在り方について(審議のまとめ)」 | トップページ | 岩佐卓也『現代ドイツの労働協約』 »