日経新聞経済教室「働き方改革の視点」に寄稿
本日の日本経済新聞の経済教室「働き方改革の視点」に寄稿しました。
http://www.nikkei.com/article/DGKKZO84644510Q5A320C1KE8000/
先週金曜日におなじみ八代尚宏さんの第1回が掲載された後を受けて、「適切な規制で選択多様に」と、規制緩和ではなくシステム改革が、そしてそのための規制強化こそが必要であることを説いています。
昨年6月に閣議決定された日本再興戦略の改訂版は、女性の活躍促進と働き方改革を旗印に、雇用制度改革に向けた様々な方針を打ち出した。しかし、その後の政治家やマスコミの動向をみると、支持する側も反対する側も、働き方改革の本質を的確に理解していないのではなかろうかと思われる状況が続いている。
ここで提起されているのは、戦後70年にわたり日本の労働社会の基軸となってきた働き方のスタイルを見直すということである。
つまり「女房子供を扶養する男性正社員」を前提に仕事の中身も、働く時間も、働く場所すらも無限定に会社の指示のままにモーレツ社員として働く代わりに、新卒一括採用から定年退職までの終身雇用と、毎年定期昇給で上がっていく年功賃金制を保障された働き方(メンバーシップ型)の枠組みを、もっと多様で一人一人の生き方に合った形に手直しすることである。
無限定な働き方と生涯雇用保障の二つは密接不可分で、お互いに相手を前提として精妙に組み立てられている。一方だけのいいとこ取りができるような仕組みではない。
ところが、雇用の改革はいつも、労働者を無限定に働かせることができる企業の強大な人事権は維持しながら、雇用保障を目の敵にしてもっと自由に解雇できるようにすべきだと主唱する一派と、雇用保障を当然の前提としながら企業の人事権を批判する一派との不毛なポジショントークに覆われ、なかなかまともな議論が進まない傾向にある。
1980年代までは、メンバーシップ型システムが日本の競争力の源泉だと称賛されていた。ところが90年代以降、メンバーシップ型正社員が縮小し、そこからこぼれ落ちた人々はパート、アルバイト型の非正規労働者になってきた。とりわけ新卒の若者が不本意な非正規に追いやられたことが社会問題化した。一方、正社員は幸福かというと、無限定な働き方を要求しながら、長期的な保障もないといういわゆるブラック企業現象が問題になってきた。
したがって求められているのは規制「緩和」ではない。規制があるからではなく、規制がないから問題が生じている。雇用内容規制が極小化されるとともに、代償として雇用保障が極大化されているメンバーシップ型正社員のパッケージと、労働条件や雇用保障が極小化されている非正規のパッケージ、この二者択一をいかに多様な選択肢に組み替えるかが、まさに今求められていることである。必要なのはシステム改革であり、それに伴う規制強化である。
まず最大の誤解が、解雇「規制」である。多くの人々が労働契約法第16条が解雇を規制していると誤解し、これが諸悪の根源だという主張もある。しかしこれは、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない解雇は権利濫用(らんよう)として無効だと定めているだけである。
権利自体は行使するのが当たり前で、例外として無茶(むちゃ)な権利濫用を無効としているだけだ。その権利濫用という例外が、現実には極大化している。なぜなら裁判に持ち込まれる事案ではメンバーシップ型正社員のケースが圧倒的に多いためである。
彼らは職務も労働時間も勤務地も原則無限定だから、会社側には社内で配転をする権利があるし、労働者側にはそれを受け入れる義務がある。残業や配転を拒否した労働者は懲戒解雇してよいと、日本の最高裁はお墨付きを出している。そうであるなら、たまたまその仕事がなくなったからといって配転の努力もせずに整理解雇することは認められまい。解雇は企業の外から規制されているのではない。企業自らがその人事権によって規制しているのである。
日本より欧州の方が整理解雇が容易といわれる。事実としてはその通りだが、法律自体は実体的にも手続き的にも、欧州の方が非常に事細かに規制をしている。欧州ではそもそも労働契約で仕事と場所が決まっており、会社側には配転を命ずる権利がないからである。権利がないのに、いざというときにやれと命ずることはできない。逆に日本は会社にその権利があるから、いざというときにはその権利を行使しろということになる。
解雇ではもう一点、金銭解決の是非を巡る議論がある。これも大きな誤解がある。日本の実定法に、解雇を金銭解決してはならないなどというおかしな規定はどこにもない。地位確認請求訴訟では異なる訴訟物である金銭支払いを命じることができないという民事訴訟法上の技術問題にすぎない。
労働審判では、地位確認請求に対して金銭支払いの審判を下すことができる。訴訟でも判決に至るまでに和解するものが多く、大半が金銭解決をしている。行政機関である労働局のあっせんであれば、金銭解決が3割で残りは金銭解決すらせず、泣き寝入りの方が多い。そこまでに至らない水面下の泣き寝入りも多いと思われる。欧州並みに解雇の手続き規制を整備し、救済としての金銭補償を明確化することこそ、労働者保護に資するのではなかろうか。
次に限定正社員(ジョブ型正社員)についても賛成派反対派双方に「解雇しやすい」などの誤解がある。労働契約で職務や労働時間や勤務地が限定されることの論理的な帰結として、当該職務の消滅や縮小が解雇の正当な理由になるのは当たり前であり、欧州諸国で普通に行われていること。正確にいえば、契約上許されない配転を命じてまで、解雇を回避する義務がないというだけである。
職務が限定されているから、当該職務の遂行能力の欠如も解雇の正当な理由になり得るが、試用期間中ならいざ知らず、長年その職務をやってきた人に、その仕事ができないから解雇だといえるものではない。ジョブ型というのは職務が限定されているという一番肝心なことを忘れた議論が横行しすぎている。「追い出し部屋」に送り込むことが契約上禁じられているのがジョブ型正社員なのである。
最後に、労働時間についても非常に多くの人々が誤解をしている。過去20年、日本の労働時間規制は極めて厳しいという誤った認識の下に、それをいかに緩和するか、という政策がとられてきた。しかし、日本では過半数組合または過半数代表者との労使協定、いわゆる三六協定さえあれば、事実上無限定の時間外・休日労働が許される。
それゆえ日本はいまだに、100年前にできた国際労働機関(ILO)の労働時間関係条約をただの1つも批准できない。皮肉なことに労災保険の過労死認定基準では、月平均80時間超の時間外労働は業務と発症との関連性が強いと評価されるが、それでも労働基準法上は違法ではない。
にもかかわらず、多くの人が日本の労働時間規制を厳しいと誤解するには理由がある。それは残業代規制(だけ)が厳しいからである。国家権力が規制しているという名に値するのはこの部分だけである。規制なので違反したら監督官がやってきて、是正勧告が命じられるが、いうまでもなく残業代とは、時間ではなくお金にすぎない。
実定法上に存在する労働時間規制が労使協定によって空洞化しているからこそ、賃金規制があたかも労働時間規制であるかのように誤解され、「残業代ゼロ」を巡り緩和派と反対派で熾烈(しれつ)な議論がされてきたが、肝心の労働時間規制はどちらからも放置されてきた。いま必要なのは、健康確保のためのセーフティーネット(安全網)として、在社時間の上限規制や、終業時間と翌日の始業時間に一定の間隔を確保する勤務間インターバル規制を導入することではなかろうか。
(追記)
ちなみに、同じ本日の日経新聞の3面のエコノフォーカスに、「なぜ減らない長時間労働」という山崎純さんの署名記事が載っていますが、そちらにも私が登場しています。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS20H7P_Q5A320C1NN1000/?dg=1
・・・・・長時間労働の第1の理由は、終身雇用にある。日本は社員を定年まで雇うのが原則だ。売り上げが落ち、仕事が減っても、解雇されるケースは少ない。米国では受注が増えれば社員を増やし、受注が減れば社員を減らすのが普通だが、日本では「今いる社員の労働時間を増やしたり減らしたりして対応するのが一般的」(浜口桂一郎・労働政策研究・研修機構主席統括研究員)になっている。・・・・・
ただし、「浜口桂一郎」になっています。
新聞社の表記ルールでは、こっちになってしまうのですが、上の経済教室の寄稿記事では、「濱口桂一郎」にしてもらいました。
ついでに裏話を言うと、経済教室の記事は、最初にゲラが来たときには、名前が「濱口」→「浜口」になっていただけではなく、大事な「権利濫用」が「権利乱用」になっていたんですね。
さすがにこれでは、恥ずかしくて労働法学会にも出られないと強硬に主張して、「権利濫用」に戻してもらいました。
そこまで強硬に言わない人の場合、原稿はちゃんと「濫用」になっていたのに紙面で「乱用」になってしまっている場合もあり得ますので、字面だけ見て「こいつはなんという無知な奴だ」と思わないでくださいね。
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