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« 『若者と労働』は本当に良い本だった。 | トップページ | 鈴木宗徳編著『個人化するリスクと社会』 »

2015年2月18日 (水)

市野川容孝・渋谷望編『労働と思想』

9784906708567さて、熊沢誠『私の労働研究』と一緒に堀之内出版からお送りいただいたのは、市野川容孝・渋谷望編『労働と思想』なんですが、こちらは正直、頭の中がリアルワールドに向かいすぎている現在の私には中身のある感想は書けないので、単なる紹介にとどめておきます。

http://www.horinouchi-shuppan.com/#!rs/c1i8l

はじめに 市野川容孝
シェイクスピア 演劇と労働の力学─「以降」の思想のために 本橋哲也
ロック 労働が所有権を基礎づける? 植村邦彦
ルソー 『社会契約論』を読む 市野川容孝
ヘーゲル 人倫的生活における市民社会の「絶対的否定性」 斎藤幸平
マルクス 「潜勢的貧民」としての「自由な労働者」 佐々木隆治
モース 社会主義・労働・供犠 溝口大助
グラムシ ポスト・フォーディズム時代のヘゲモニー 明石英人
ラカン 労働と「うつ」─四つのディスクールと資本主義 松本卓也
サルトル ストライキは無理くない! 永野潤
ウィリアムズ ストライキ、共同体、そして文化 大貫隆史/河野真太郎
デリダ 職業(プロフェッション)としての言語行為 宮﨑裕助
カステル 労働という重力─「社会問題の変容」を巡って 前川真行
ネグリ゠ハート マルチチュードとマルクスの「物象化」論 斎藤幸平
ラクラウ アーティキュレーション(節合)の政治理論 山本圭
ヒルシュ 近代国家─資本主義社会の「政治的形態」 隅田聡一郎
ホックシールド 快適な職場と不機嫌な家庭─感情労働論以降のホックシールド
スピヴァク 思想と「労働者」─ロウロウシャとは何だ 西亮太
ムフ ムフのヘゲモニー論について 佐々木隆治
ベック 個人化する社会 鈴木宗徳
サッセン グローバル・シティの出現と移民労働者 伊豫谷登士翁
ジジェク 二一世紀のコミュニズム─ベケット的なレーニンとともに 清水知子
ホネット 承認・物象化・労働 大河内泰樹

労働を可視化するために 渋谷望

ここで取り上げられている諸家の諸著のうち、本ブログで取り上げたことのあるのはカステルとホックシールドですので、その時のエントリも再掲しておきます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-acce.html(ロベール・カステル『社会問題の変容 賃金労働の年代記』)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-325e.html(それは日本も同じ)

金子良事さんのつぶやきに若干気になる点が・・・、

http://twitter.com/#!/ryojikaneko/status/189353670851301378

カステルの『社会問題の変容』を眺めていて、フランスもイギリスと同じく雇用関係の基層に奴隷制度があったんだなと思った。これが上昇するイメージ。これに対して日本は規範的には奉公制度で、元々武士の御恩と奉公が江戸時代初期に他の身分に移ったものだから、西洋と全く逆で上から下なんたよね。

いやだから、その点ではフランスもイギリスもドイツも日本も同じなんですよ。まったく同じ構造。逆にたぶん中国とかは違う。

まあそれを「奴隷制度」と呼ぶかどうかは別にして(歴史上別の現象に使われる用語をこっちに使わない方がいいとは思うけど)、日本法制史学者の瀧川政次郎の『日本労働法制史研究』(東京大学経済学部図書館蔵)の冒頭部分を若干引用しておきます。

・・・而して我が国に於いてこの半自由労働制の範疇に入るべき労働法制は、上代に於いては家人及び雑戸の制度であり、中世に於いては所従、従者、下人、名子、被管、候人、譜代、荒子等の名で呼ばれている譜代下人の制度であり、又近世に於いては、それらの名残なる譜代奉公人及び被管百姓等の制度である。即ちこれらの制度の下に労働を他人に提供する者は、いずれも上代の奴隷と同じように、その主人の権力下に隷属している者ではあるがその主従関係ないし終身奉公契約なるものは、亦雇傭契約が賃金を対価とする双務契約なる如く、主人の御恩と庇護を対価とする一種の労務契約であるといっても良いのである。中世の主従関係に於いて、この御恩なる語は、倫理的感情を意味せずして、所領の恩給を受けるという物質的恩恵を意味し、奉公なるものは、この対価に対する忠勤義務の履行であると考えられていた。・・・

・・・足利季世頃からそろそろ文献の上に現れてくる一期半期の所謂出替奉公人及び年期奉公人は、この譜代下人及び譜代奉公人の変化した者であって慶長元禄頃の出替年期の奉公人の性質は、譜代もののそれと大差あるものではないが、これは半自由の範疇に入れないで、自由労働者とする方が穏当ではあるまいかと私は考える。・・・

(追記)

金子さんがご自分のブログで論じられているのですが、今日は午前中、公共政策大学院の講義(労働力需給システム)があるので、とりあえず簡単にひと言だけ。

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-229.html(奉公、武士、規範)

江戸時代だけが関心で「近世以前は関係なし」というのなら、そもそも江戸時代の「奉公」は武家奉公であれ町方奉公であれ、近世的雇傭契約なのであって、中世的「ご恩と奉公」とは位相を異にしている。

中世的忠勤契約が近世的(身分的残滓を含む)雇傭契約に移行したという点で日欧共通と述べているのであって、それ以上のニュアンスを論じ出せば、各国ごとにいろいろ違うところが出てくるのはまた当然。

おそらくそのニュアンスの違いには、トッド的な家族構造の違いがなにがしか影響しているだろうという予感があるが、これは実証研究が必要なのでこれ以上書かない。

(再追記)

http://twitter.com/#!/ryojikaneko/status/189922182254706688

ただ、僕が考えたかったのは規範の問題で、事実レベルの問題ではなかったと書き終わった後で気付きました。整理せずに書いたのがまずかったです。

事実と規範は別次元じゃない。

江戸時代に中世的「御恩と奉公」の事実が希薄化してるのに、観念的な規範だけが空中を漂って近代以降の現実と化するなどということはありえない。というか、そんなことを論証するのは超絶的に難しいはず。

江戸時代の雇傭については、現在でもなお戦前『国家学会雑誌』に書かれた金田平一郎の「徳川時代に於ける雇傭法の研究」を超える研究はないと思う。

それから、職人の話はまた別。佐口さんがどこかで書いていたと思うが、西洋でも日本でも雇傭契約の原型は家内奉公であって、職人は請負契約の流れ。「なぜ、日本がブルーとホワイトが決定的に分裂しなかったか」じゃなくて、もともと別。

それが何でくっついてきたのか?が問うべき事柄。話の流れが逆では?

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-8a19.html(ホックシールド『タイムバインド』)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-7c38.html(鈴木和雄『接客サービスの労働過程論』)

読みながら考えたのは、もともと英語で雇用契約は「コントラクト・オブ・サービス」だったことです。だから、サービスをする側がサーバントで、サービスを受ける側がマスターで、二つ合わせて「主従法」(マスター・アンド・サーバント・アクト)という不平等な関係の法律だったわけですね。

それが19世紀終わりのイギリスでようやく使用者・労働者法(エンプロイヤー・アンド・ワークメン・アクト)になった、というのは労働法の歴史に必ず出てくる話ですが、でもエンプロイヤーとの関係ではもはやサーバントじゃなくなった労働者も、サービスの顧客との関係ではやはり言葉の正確な意味でサービスする人=「サーバント」であるわけで、サービス経済化が再びサーバントを呼び起こしてしまったということになるのでしょうか。

いやもちろん、それにしても顧客はサーバントに対するマスターではないのですから、その言うことを何でも聴かなければならないわけではない。

と考えて、スカイマーク航空のように

http://npn.co.jp/article/detail/57107549/

(1)お客様のお荷物はお客様の責任において収納をお願いします。客室乗務員は収納の援助をいたしません。

(2)お客様に対しては従来の航空会社の客室乗務員のような丁寧な言葉使いを当社客室乗務員に義務付けておりません。客室乗務員の裁量に任せております。安全管理のために時には厳しい口調で注意をすることもあります。

(3)客室乗務員のメイクやヘアスタイルやネイルアート等に関しては、『自由』にしております。

(4)客室乗務員の服装については会社支給のポロシャツまたはウインドブレイカーの着用だけを義務付けており、それ以外は『自由』にしております。

(5)客室乗務員の私語等について苦情をいただくことがありますが、客室乗務員は保安要員として搭乗勤務に就いており接客は補助的なものと位置付けております。お客様に直接関わりのない苦情についてはお受けいたしかねます。

(6)幼児の泣き声等に関する苦情は一切受け付けません。航空機とは密封された空間でさまざまなお客様が乗っている乗り物であることをご理解の上でご搭乗頂きますようお願いします。

(7)地上係員の説明と異なる内容のことをお願いすることがありますが、そのような場合には客室乗務員の指示に従っていただきます。

(8)機内での苦情は一切受け付けません。ご理解いただけないお客様には定時運航順守のため退出いただきます。ご不満のあるお客様は『スカイマークお客様相談センター』あるいは『消費生活センター』等に連絡されますようにお願いいたします。

てなことを言うと、サーバントの分際で何を言うか、と非難囂々となるわけです。

いやなんでここに客室乗務員が出てくるかというと、本書の第2部、ホックシールドの感情労働を取り上げたところでその実例として出てくるのがまさにその客室乗務員だからなんですね。

日本でホックシールドの感情労働が取り上げられるときにはだいたい医療福祉関係のケア労働が中心ですが、これらは必ずしも会社の命令でと言うわけでなくむしろかなりの程度プロフェッションとしての自己統制に属するのに対して、客室乗務員の「スマイル」は、まさに商品としての(メイド・)サーバントなので、より本質的であるわけです。

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