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谷口功一『ショッピングモールの法哲学』

08410l谷口功一さんより『ショッピングモールの法哲学 市場、共同体、そして徳』(白水社)をお送りいただきました。

http://www.hakusuisha.co.jp/detail/index.php?pro_id=08410

ニュータウンの風景を初めて目にした時の違和感は何だったのか? 文化表象としてのゾンビや多摩ニュータウンという場を問題にしつつ、荻生徂徠からサンデルまで規範理論を用いて〈郊外〉の実像に迫る!

「多摩川の向こう岸に忽然と現れるニュータウンの風景は、私にとっては衝撃的なものであり、いつしか、この風景を主題として何か書きたいと思うようになりゆく中、自らの故郷の風景と重なったのだった。」──「終わりに」より

本書の後半は、かつて『国家学会雑誌』に載せた難しそうな論文ですが、前半はややエッセイ風な感じの郊外論。

序章 国家と故郷のあわい/断片
 Ⅰ 郊外の正義論
第一章 南大沢・ウォルマート・ゾンビ
第二章 市民的公共性の神話と現実
第三章 グローバライゼーションと共同体の命運
第四章 共同体と徳
Interlude 本書の構成と主題
 Ⅱ 「公共性」概念の哲学的基礎
序 公共性論をめぐる状況
第一章 テーゼⅠ「共同性への非還元性」
第二章 テーゼⅡ「離脱・アクセス可能性」
第三章 テーゼⅢ「公開性」
第四章 テーゼⅣ「普遍的正当化可能性」
第五章 公共性の条件
終わりに

とりわけ、第1章の「南大沢・ウォルマート・ゾンビ」には、谷口さんが首都大学東京に赴任したときの強烈な思い出が語られています。

・・・私自身、都内に居住を開始してから、すでに人生の過半を過ごしたこととなるが、その生活本拠は長らく私鉄沿線の所謂「第3山の手地区」にあり、現在の勤務校へと通うため、京王相模原線に揺られて多摩川境を越え、さらにその先、進行方向右手に忽然と現れる若葉台の超人工的マンション群を初めて目撃した際(二〇〇五年当時)の印象・感慨は今もって忘れがたいものがある。それは、私にとって、ある種の唐突なSF的パノラマに対面したかのような「違和感」でさえあったのだった。

・・・さて、南大沢に再び踵を返そう。駅の改札を出て右手に向かって大学を目指すと、その両脇には二〇〇〇年九月に三井不動産によって開発された巨大なアウトレットモールが非日常的・祝祭的空間を形成し、それが終わるところに大学キャンパスが門口を開けている。実際それは、二〇〇八年四月一日に改称されるまでは、南仏「プロヴァンス風の街並み」と「祝祭(La Fête)」という二つのテーマの下に「ラフェット多摩」と呼ばれていたのである。このイメージコンセプトの最たるものは、大学への進行方向左手の店舗壁面に麗々しく掲げられたフランス語表記の「偽史」——“La able de la Fête Tama et le voyage fantastique de la Famille Verne” であり、その中では、南大沢が、プロヴァンスに住むヴェルヌ一家がタイムマシン(?)に乗ってやって来て棲みついた街であることが記されている。ちなみに私の勤務校には、長男のパスカル君が学んでいるそうである。

こういう地域に比べると、その前身の都立大学がもとあった目黒区の都立大学駅近辺の方が、よっぽど日常的というか界隈的雰囲気がありますね。

「第3山の手地区」というのがどういう意味なのかよくわかりませんが、例えば下高井戸駅前商店街の雰囲気など、ある種下町的名感じもします。

それにしても、谷口さんの、ゾンビ映画をはじめ、さまざまな文学や芸術への造詣の深さはすごいものがありますね。

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コメント

首都大の谷口です。濱口先生、さっそく拙著をご紹介頂き、誠にありがとうございます。

ところで「第3山の手」ですが、これは三浦展氏が以前提唱したもので、郊外論とかでよく使われているようです。参考までに以下のURLなども。

http://allabout.co.jp/gm/gc/389897/

第1山の手 本郷界隈
第2山の手 麻布・青山あたり
第3山の手 世田谷・杉並・目黒
第4山の手 三多摩・横浜・川崎市内陸部などを中心に開発された新興住宅地ゾーン

投稿: 谷口功一 | 2015年2月26日 (木) 11時33分

おいでくださいませ。

本郷界隈が麻布・青山より上というのがよくわかりませんが、第2から第4の並びはよくわかります。

投稿: hamachan | 2015年2月26日 (木) 19時18分

ナンバリングは、江戸~明治期からの発展の順番じゃないしょうか。麻布も江戸時代は「狸穴」だったりしたわけで。

投稿: 谷口功一 | 2015年2月26日 (木) 20時07分

江戸時代「本郷もかねやすまでは江戸のうち」だったわけですね。

投稿: hamachan | 2015年2月26日 (木) 21時20分

>ニュータウンの風景を初めて目にした時の違和感は何だったのか?

古くは(1983年刊だからそんな古くないけど)富岡多恵子が『波うつ土地』で、ニュータウンにおける微妙な感じ(違和感とはちょっと違うかもしれないが)を捉えどころない調子で、なかなかうまく描いていたなぁ。

(ちなみに谷口先生のブログの読書日記に『十字架と三色旗』が取り上げられてたのには好感もったっす。)

投稿: 原口 | 2015年2月27日 (金) 00時15分

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