鈴木宗徳編著『個人化するリスクと社会』
『POSSE』での軽妙洒脱な社会学講義が評判の仁平典宏さんより、仁平さん執筆の章を含む鈴木宗徳編著『個人化するリスクと社会 ベック理論と現代日本』(勁草書房)をお送りいただきました。私のようなベックも碌に読んだことのないような輩にまでお送りいただき、ありがとうございます。
http://www.keisoshobo.co.jp/book/b186368.html
90年代後半以降、日本社会は「第二の近代」へと突入したと言える。労働の柔軟化、未婚化・晩婚化の進行、社会的孤立、自己責任論の跋扈など、さまざまな領域において生じた一連の現象を、本書では個人化という統一的な観点から説明を試みる。現実・理論・政策を包括的に把握し、日本社会の進むべき方向を照らし出す。
仁平さんが書かれているのは第2部第8章「日本型市民社会と生活保障システムのセカンドモダニティ―二つの個人化と複数性の条件」という章ですが、
ベック理論とゼロ年代の社会変動(ベック・テーゼを問いなおす;個人化論が受容された背景 ほか)
第1部 個人化する日本社会の課題(社会学史における個人と社会―社会学の課題の変容とそれへの理論的格闘;社会の構造変化と家族―「家族の機能」再考;日本型企業社会とライフコース―その成り立ちと個人化による揺らぎ;資本主義経済システムにおける人間関係の外部性)
第2部 個人化という謎を解き明かす(後期近代における監視社会と個人化―子どもの「見守り」技術の導入・受容に着目して;個人化社会における孤立と孤立死;道徳による貧困層の分断統治―一九世紀福祉史と個人化;日本型市民社会と生活保障システムのセカンドモダニティ―二つの個人化と複数性の条件;個人化のパラドクスを超えるために)
上述のように、碌にベックを読んでいない私にとって、「ゾンビカテゴリー」とか「ゾンビ化」といった概念はなかなか新鮮で興味深いものでした。この一節は、ちょうど私が雇用をめぐっていろいろと考えている領域と重なるところが大きく、頷くところが多かったです。
・・・ネオリベラリズムは、国家の無作為化・市場化によって、標準を壊すことには荷担するが、オルタナティブを作らない。結局は、壊れかけた家族への依存を強めたり、階級・階層の影響を強めるなどゾンビの跳梁を許す。つまり、ネオリベラリズムと、自由の増大を意味する個人化は本来対極にある。・・・
第2に、国家はゾンビカテゴリーのうちでも特異な位置にある。彼は、国家をゾンビカテゴリーの典型とするが、実は、家族や階級、貧困などの他のゾンビカテゴリーと並列におけない。むしろ、転移可能性を高めて後者のゾンビ群を消すためにこそ、国家の実効化が必要になるという点で、両者は対極的な位置にあるのだ。・・・
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