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2014年12月15日 (月)

日本の賃金制度の成り立ちと現在の課題@『情報労連REPORT』12月号

2014_12『情報労連REPORT』12月号に「日本の賃金制度の成り立ちと現在の課題」を寄稿しました。

http://www.joho.or.jp/up_report/2014/12/

はじめに

 去る9月29日、経済の好循環実現に向けた政労使会議の冒頭において安倍首相は、「子育て世代の処遇を改善するためにも、年功序列の賃金体系を見直し、労働生産性に見合った賃金体系に移行することが大切」と語ったと伝えられています。
 安倍首相の発言は事務局の振り付けによるものと思われますが、年功賃金制の意味が必ずしも的確に理解されていないようにも見えます。年功制とはまさに子育て費用を政府の責任ではなく企業の支払う賃金でまかなわせる生活給の仕組みなのであり、上の発言はいささか論理が逆転しているのです。

1 軍部から労組へ:戦中戦後を貫く生活給思想

 戦後日本で一般化した生活給思想の最初の提唱者は呉海軍工廠の伍堂卓雄です。1922年でした。労働者の思想悪化(=共産主義化)を防ぐ観点から、若い頃は高給を与える必要はなく、家族を養う壮年期以降に高給を払うべしと唱えたのです。この発想が戦時体制下において、皇国の産業戦士の生活を保障するという観点から、勅令や行政指導などによって企業に強制されていきました。日本の企業に生活給が普及したのはこの時期です。
 敗戦によりそれらの法令がなくなったので、賃金制度も元に戻るかと思いきや、そうはなりませんでした。今度はそれを支えたのは、急進的な労働運動だったのです。1946年の有名な電産型賃金体系は、本人の年齢と扶養家族数に応じて生活保障給を定める典型的な年功賃金制度でした。当時、GHQの労働諮問委員会や世界労連(国際自由労連が脱退する以前の西側中心の国際労働運動)は、そういう賃金制度を痛烈に批判していたのですが、日本の労働組合は断乎として同一労働同一賃金原則を拒否したのです。

2 労使のせめぎ合い

 これに対し、1950年代以降力を回復してきた経営側は、労働側の賃上げ要求に対して、構造論としての賃金制度改革論、すなわち職務給への移行の論陣を張っていきます。1955年の日経連『職務給の研究』は、「賃金の本質は労働の対価たるところにあり、同一職務労働であれば、担当者の学歴、年齢等の如何に拘わらず同一の給与が支払われるべきであり、同一労働同一賃金の原則によって貫かれるべきものである」と宣言しています。
 これに対して労働側は、口先では同一労働同一賃金を唱えながら、実際には生活給をできるだけ維持したいという姿勢でした。この点で興味深いのが、1949年にマルクス経済学者の宮川實が唱えた「同一労働力同一賃金説」です。彼によれば、マルクス経済学では労働力の価値とは労働力が作り出す価値ではなく、労働力を再生産するために必要な労働の価値なのだから、賃金は労働の質と量に応じて支払われるべきというのは間違いであって、労働力の再生産費によって決まるべきであると唱えました。だとすれば単身の若者の賃金が低く、妻子のある中高年の賃金が高いのは経済学にまったく正当ということになります。
 実際の組合の運動論では、賃金闘争はもっぱら「大幅賃上げ要求」一本槍で、労働者内部に対立をもたらすおそれのある賃金制度の問題は慎重に避けられていたようです。一部の労組ではヨーロッパ型の横断賃率論を掲げるところもありましたが、企業別に分断された現実の組合の姿では、それを実現することは困難でした。

3 そして誰も言わなくなった・・・

 高度成長期には政府も同一労働同一賃金原則に基づく職務給を唱道していました。1960年の国民所得倍増計画や1963年の「人的能力に関する経済審議会答申」はそれを明言していますし、労働行政もそのスタンスでした。1967年に政府がILOの「同一価値労働についての男女労働者に対する同一報酬に関する条約」(第100号)を批准したのも、こういう時代精神を抜きにしては理解しにくいでしょう。
 ところがちょうどこの時期に、経営側が仕事に着目する職務給からヒトに着目する職能給に態度を変えます。1969年に取りまとめられた『能力主義管理』は、「われわれの先達の確立した年功制を高く評価する」と明言していわゆる職能資格制度を唱道し、明確にそれまでの職務中心主義を捨てました。
 そして、大変興味深いのは、これを契機にしてこれ以後賃金制度の問題が労使間でもはや議論にならなくなってしまったということです。口先では同一労働同一賃金を唱えながら、本音では年功制を維持したいと考えていた労働組合側にとって、日経連の転換は好都合なものだったのでしょう。政府も石油ショックで遂に態度を転換し、内部労働市場中心の雇用維持政策を追求するようになります。
 ここで失われたのは、それまで曲がりなりにも口先では維持されてきた同一労働同一賃金原則でした。そんな「古くさい」代物は誰からも顧みられなくなってしまったのです。そして今日に至るまで、経営側は一貫して同一労働同一賃金原則を拒否する姿勢を貫いてきました。

4 非正規労働問題が再度火を付けた

 これが政策課題として復活したのは、非正規労働者の均等待遇問題からです。EUではパート、有期、派遣労働者の均等待遇が法律で義務づけられていますが、日本では正社員の間でも同一労働で同一賃金ではない年功制が最大のネックになります。以前は成人男性は皆正社員で、非正規労働者は家計補助的な主婦パートか学生アルバイトだからといって済ませていられたのですが、1990年代以来自分や家族の生計を維持しなければならない非正規労働者が増大し、社会問題となりました。
 ところが、労働者側としてはそう簡単に年功賃金を手放せない理由があります。まさに、子育てに金がかかるからです。児童手当は惨めなほど貧弱で、高騰する教育費は親がかりが当たり前、男の子と女の子にそれぞれ子供部屋を確保しようとすると住宅費も半端なものではありません。それをまかなってきたのが年功賃金なのであり、逆に言えば西欧福祉国家では政府が負担する費用を、日本政府は負担せずに済ませてきたのです。

5 年功制脱却は子育て世代への経済支援が不可欠

 改めて冒頭の安倍首相発言を見ると、あたかも年功制で子育て世代が損をし、子育てしていない世代が得をしているかのような言い方ですが、あの世の伍堂氏が聞いたらびっくりするでしょう。しかし、非正規労働がここまで拡大してきた中では、たまたま正社員として年功制の利益を享受している子育て世代の利益だけを主張していいわけではありません。正規と非正規の均等待遇を真剣に考えれば、年功制脱却は避けて通れない課題です。
 安倍首相の発言を物事の筋道に沿って正しい方向に修正すればこうなるでしょう。「正社員も非正規労働者も、すべての労働者が等しく子育てできるように、賃金制度を年功制から職務給にシフトさせるとともに、必要な子育て費用は国が-つまり国民全体が負担するようにしていかなければならない」と。しかし、そういう振り付けはなかなか期待できそうにはありませんね。

なお、今月号の同誌の特集は「「労使関係」の再発見」です。登場するのは藤村博之、呉学殊、常見陽平、川村遼平といった面々です。


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