「ジョブ型」のドラクエ3、「メンバーシップ型」のファイナルファンタジー5
拙著『若者と労働』が電子ブック化されたことで、さらに読者層が広がっているようです。
本日、やまあきさんの「ファジーロジック」に、こういうブログ記事がアップされていますが、
http://yama-aki1025.hatenablog.com/entry/2014/12/12/%E8%87%AA%E3%82%89%E3%81%AE%E6%84%8F%E6%80%9D%E3%81%A7%E3%80%8C%E6%88%A6%E5%A3%AB%E3%80%8D%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8%EF%BC%88%E6%BF%B1%E5%8F%A3(自らの意思で「戦士」になるということ(濱口桂一郎さんの「若者と労働」を読んで))
新幹線内の読書用にkindleストアで濱口桂一郎さんの「若者と労働」を買って読んだら超面白かったので、内容を簡単にまとめてみようと思う。
というわけで、中身を簡単に説明したあと、こういう表現をぽつりと漏らされます。
読んでて思ったんだけど、これって「ファイナルファンタジー5」と「ドラクエ3」なんじゃないかなと思った。
いや、わたし、どっちのゲームもやったことないので、そう言われてもよくわからないのですが、こういうことのようです。
「ドラクエ3」では、一緒に旅する仲間を「職業」によって選ぶ。
「前線に立てて攻撃力がある人」が必要なら「戦士」を、「後方から魔法攻撃や補助が出来る人」が必要なら「魔法使い」を、「回復役」が必要なら「僧侶」を、それぞれ「ルイーダの酒場」から紹介を受けて採用する。
「直接攻撃力が高い人材」が必要なのに、わざわざ「戦士」や「武闘家」ではない直接攻撃力の低い人材を採用する(パーティーに加える)理由は、少なくとも勇者(プレイヤー、採用する側)にはない。
要するに、その人の職業技能に基づき、必要に応じてパーティーに加える(採用する)かどうかを決めるのが「ドラクエ3」のパーティーの考え方だ。これは「仕事」に人を紐付ける「ジョブ型」の考え方と近い。
それとは逆に、あくまで「人物」に重点が置かれているのが「ファイナルファンタジー5」だ。
「ファイナルファンタジー5」ではパーティーに加える人物は予めストーリーの要請で決められていて、エンディングまで決まったパーティーでストーリーを進行させていくことが義務付けられている*1。
ストーリーがスタートする段階では、彼らは特定の技能(アビリティー)を持っていない。「戦士」でも「魔法使い」でもないまっさらな状態、ある意味「新卒者」みたいな状態で物語を始めなければならない。特定の技能を持ってないのだから、「ドラクエ3」なら、そもそも「ルイーダの酒場」で推薦すらされないような状態だ。
ストーリーが進行させていく流れで、プレイヤーはそれぞれのキャラクターを「ジョブ」に就かせ、「アビリティ―(職業技能)」を獲得させていくことで、ストーリーを円滑に進めることが出来る仕組みになっている。それぞれのキャラにどういうアビリティー(職業技能)を習得させてやるかはプレイヤー(雇用者)の裁量に任されている。
このように、パーティーになる人物に対して、パーティー内や周囲の環境に応じて、雇用者の裁量によって、それぞれに何らかの「アビリティー(職業技能)」を習得させてやるのが「ファイナルファンタジー5」の考え方となる。これは「人」に「仕事」を紐付ける「メンバーシップ型」と非常に近いと思う。
ふむふむ、なるほど。
で、このあとのいろんなトピックについても、ゲーム論的な解説がついてきます。
・・・かといって、いきなりジョブ型社会に転換してドラクエ3的な「ルイーダの酒場」に何のスキルもない一般人である若者も含めて全員ぶっこみ、歴戦の戦士や魔法使いたちと仁義なき就職バトルをさせる、というのも現実的には不可能です。車は急に止まれないし、社会は急には変われない。
たぶん、ゲーム世代の人にとっては、あれこれ言うよりはるかにぴたっとくる比喩なんでしょうなあ。
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