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「能力評価」と「能力主義」のアイロニー@『生産性新聞』12月15日号

『生産性新聞』12月15日号に「「能力評価」と「能力主義」のアイロニー」を寄稿しました。

 6月に決定された『「日本再興戦略」改訂2014』では、「外部労働市場の活性化による失業なき労働移動の実現」が目標とされ、そのためにジョブカード制度の抜本的見直しやキャリアコンサルティングの体制整備などと並んで、「能力評価制度の見直し」が掲げられています。曰く、労働市場のマッチング機能の最大化に向けては、「産業界が求める職業能力」と「各人が有する職業能力」を客観的に比較可能にすることが必要である、と。

 既に厚生労働省では、昨年9月から「労働市場政策における職業能力評価制度のあり方に関する研究会」を開催して、本年3月に報告書を取りまとめていますし、5月から「キャリア・パスポート(仮称)構想研究会」を開催して年内にとりまとめの予定です。さらに6月から総括的に「職業能力開発の今後の在り方に関する研究会」を開催し、9月には報告書を公表しています。これらをもとに、7月から労働政策審議会職業能力開発分科会で審議が進められ、年内には建議として取りまとめられることになるでしょう。

 ここで改めて考えてみたいのは、なぜ現在の日本では「産業界が求める職業能力」と「各人が有する職業能力」が「客観的に比較可能」になっていないか、ということです。それは外部労働市場が未発達で、労働市場が企業別に分断されているからだ、と簡単な答えがすぐに返ってくるでしょうが、労働市場が企業ごとに分断されていることと、その内部労働市場の中で、各企業が社員の職業能力を客観的に測定し、表示することができないこととは別です。企業ごとではあっても既に職業能力の測定・表示システムが存在するのであれば、必要なことはそれらの間を通訳することになります。ちょうど、今EUで各国の職業資格制度を相互に比較可能にするためのEVQ(欧州職業資格制度)を作っているように、です。

 それが全然できないというのは、企業内においてすら、ある社員が具体的にどういう職務についてどういうレベルのスキルを有しているかがわからない、あるいは少なくとも社内的に明確に表示されるような仕組みが存在していないからではないでしょうか。はっきり言えば、企業は社員の「能力」が分からない状態のまま働いてもらっているのではないか、ということです。とすれば、この問題は単なる通訳問題ではなく、今現在存在しない能力評価システムを更地に作るという難題だということになります。

 これは考えてみれば大変皮肉な事態です。なぜなら、日本の企業は、日経連が1969年に発表した『能力主義管理』以来、「能力主義」に基づいて人事労務管理をやってきたはずだからです。過去半世紀にわたってやってきた「能力主義」とは一体何だったのでしょうか。職能資格制度の中核に位置してきた「能力評価」とは、一体何を評価してきたのでしょうか。少なくともそれが通訳を通せば「産業界」に通じるような代物ではなかったことだけは確かなようです。

 これまで労働経済学は企業ごとに分断された内部労働市場の必然性を企業特殊的熟練という言葉で説明してきました。しかし、企業特殊性100%であればそもそも同業他社への転職など不可能なはずです。「能力主義」の名の下に「職業能力」を無視してきたことのツケが、そうした企業の集積である「産業界」に回ってきているのではないのでしょうか。

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