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2014年12月

2014年12月31日 (水)

川端望さんの拙著書評

東北大学経済学部の川端望さんが、拙著『日本の雇用と中高年』について大変的確な視点で書評していただいていたことに気づきました。

雇用システムに関する問題が、「保守とリベラル,「右」と「左」の両方から抵抗にあう」というまことにねじれた位相にあることを、見事に摘出していただいています。

https://plus.google.com/111914211653276243730/posts/PHro7cwVLjx

 この本で提起されているほとんどの論点に賛成だ。私の企業論の講義でも,だいたいは同じようなことを述べている。私の講義は一応,経済学のもので濱口氏の本は労働法のものだが,濱口氏も規範論で押すのではなく,今後の雇用システムが合理的に存続していくことを念頭に置いて議論しているので,違和感はほとんどない。

 新たに学んだのは,雇用問題の重点対象のとらえ方だ。私は1990年代半ばまでは中高年の雇用調整が重点,それ以後は若者の非正規化や展望なき劣悪処遇(以前はがまんしていれば昇進できた)が重点と考えていた。しかし,実は,中高年は正社員として年功序列的処遇がなされている限りでは既得権益を持つが,いったん雇用を失うと再就職が極めて困難であるという両極化はずっと続いており,中高年問題は何も軽減されていなかった。そこに若者問題が重ねて加わると見るべきだった。この点での認識不足は本書にただしてもらった。

 日本的雇用システムの現状に関する私の認識は以下のようなものだが,濱口氏の認識とおそらく重なると思う(メンバーシップに基づくなど,濱口氏に学んだ用語もある)。「男子正社員のみ年功序列で定年まで,職務と対応しない,社員というメンバーシップに基づいて雇用する慣行」(大企業にとくに強く,中小企業で弱い)はこれ以上,経済的にも有効ではないし,社会的にも持たない。経済的にみれば,女性の能力や,性別年齢を問わない専門的能力を正しく評価して発揮させることができないからだ。社会的には,もはや正規と非正規の格差,男性と女性の格差を正当化することができないからだ。また,男子正社員に暗黙の裡に慣行として約束していた処遇も実現できなくなり,さりとて普通解雇もできないためにいじめ,肩たたきでやめてもらうという不合理が横行するからだ。これを持続可能で,社会的に受け容れられる制度に変えていくことが必要だ。

 ややこしいことに,濱口氏が思い,私もほぼ賛同する改革は,保守とリベラル,「右」と「左」の両方から抵抗にあう。

 例えば,濱口氏の言う「ジョブ型雇用」,つまり何の仕事をするか明確にした上での雇用にすれば,あいまいな査定による男女差別や思想差別を大幅に減じさせる可能性が生まれる(査定制度自体をしっかりしないとだめだが)。と同時に,企業の事業縮小により,その仕事自体がなくなったときの解雇は容認される。日本では,「右」からは前者への抵抗がある。人を自由に配置転換したいからだ。「左」からは後者への抵抗がある。解雇を制限することを最重要と考えているからだ(どの国もこうなのではない。きわめて日本的な保守とリベラルだ)。

 またジョブ型雇用では年齢・勤続のみに基づく昇給・昇格は合理性を失うので同一職種についている限りでは賃金カーブはフラットになる。もちろん,能力・成果により高度な職務に移ることができた人は右肩上がりになるが。子育てに必要な給与を企業が年功賃金で保障する形は薄れていく。かわって,社会政策による子ども手当や児童手当を拡充し,子育てを支援することが必要だ。日本では「左」からは前者への反対が強烈だ。中高年の賃金抑制を伴う賃金カーブフラット化には,常に労働組合は反対している。「右」からは後者への反対が強烈だ。子ども手当をバラマキだという非難の何と大きかったことか。この,日本的な「左」「右」の「常識」にともに反しながら進めなければならないことが,雇用改革の難しさだろう。濱口氏はそれに挑戦する一人だ。

 もちろん,合理的な改革なら合理的に進むというわけではない。ものごとは 必ず行きすぎるし,とくに市場競争には慣性がある。労働市場の作用を強めると保守派が勢いづき,競争だけが激化してセーフティネットが置き去りになったり,ジェンダーバイアスがかえって増大したりする。すると反射作用として,リベラル派は市場と競争の作用を強めることに一律に抵抗する姿勢になる。ところがそれでは問題の先送りになってしまい,現行システムの矛盾が拡大する。このいたちごっこからの出口が必要だ。

なお、学部ゼミでは拙著『若者と労働』と楠木新さんの『働かないオジサンの給料はなぜ高いのか』を使っていただいていたようで、その感想もこちらに書かれています。

https://plus.google.com/111914211653276243730/posts/aDoC7cJ1R6t

 学部ゼミ終了。濱口桂一郎『若者と労働』,楠木新『働かないオジサンの給料はなぜ高いのか』を読んで討論した。現在の,男子限定メンバーシップ型正社員のあり方,それと非正規の格差の何が問題かはだいぶ明らかになった。しかし,現状からの改革は,どの立場から,誰が主張し,その場合に誰が反対するかというところが複雑であることがわかった。
 例えば,濱口氏が提案する「ジョブ型正社員」は制度的には漸進的な改革であり改正労働契約法の延長線上にあるという点で現実的だ。企業がやろうと思えばできるわけで,実際にユニクロが実行している。
 しかし,これを利益とみるか脅威とみるかが,非正規労働者,正規労働者,企業,地域の雇用拡大を期待する人々,のそれぞれにおいて一義的でないために,実際に広がっていくのかどうかを見通すのが難しいという結論になった。一義的でないからこそ,利害集団の枠を超えた賛成が集まるかもしれないし,逆にどの利害関係者からも支持が得られずに進まないかもしれない。うーむ。

さらに、わたくしと関心の方向がとても共通していると見えて、例の冨山和彦さんのL型大学をめぐる議論についても、大変的確な指摘をしています。

https://plus.google.com/111914211653276243730/posts/6uncCsyRJ1w

大学をG型とL型の2種類に分けて後者で職業教育せよという冨山和彦氏の文科省有識者会議資料が話題になっている件。議事録などもっと詳しい文書が出てから改めて議論したいが,プレゼンからわかる大きな構図についてのみコメント。実は,これもいま「企業論」の授業でやっていることと関係する。

日本経済をグローバル競争に直接向き合う部分(Gの世界)とローカル市場の独自性が強い部分(Lの世界)に分けて考えるのは,以前にもコメントしたが賛成だ。

また大学で職業教育の比重を高めよということにも賛成だ。そのために大学が機能分化することもやむを得ないと思う。

ただし,研究大学と職業教育大学で,後者を劣ったもの,研究ができないもの,「……だけ教えていればいいのだ」的に扱うことには100%反対だ。冨山氏のプレゼンの最大の欠陥は,職業教育システムをつくろうというポジティブモードよりも今の大学を否定したいというネガティブモードが強すぎるのと,L型大学をG型大学より劣ったものと読めてしまうことだ。案の定,ネットでそう読んだ上での賛否が起こっている。

また,ひとつの大きな問題は,スライド5と6で,Gの世界にGモードの大学,Lの世界にLモードの大学を対応させていることだ。これは間違っていると思う。むしろ,スライド9はこれとちがうことを言っており,これに賛成だ。私なりに言い換えると以下のようになる。

今の労働市場の重要な変化は,企業内労働市場が縮小していること,つまり企業内で,長期雇用を想定して企業内訓練を施される人の割合が縮小していることにある。Gの世界,グローバル企業でもそうなのだ。

しかも企業内訓練を受けない職には2種類あり,いわゆる「ジョブ型雇用」にも2種類ある。1つは職業別労働市場の職,つまり転職できる専門家たち,転職しながらステップアップできる人の世界だ。もう1つは二次的労働市場の職,つまり非正規のパート,アルバイト,大部分の派遣(派遣の一部は専門家)の世界だ。これは,スキルが不要である,または身分差別的な処遇によりそうみなされているから流動性が高い。

大企業が正社員として囲い込み,企業と企業内でのチームワークに対するコミットメントを確保しながら定年まで雇おうとしている人(男性中心)の割合が低下している理由は,ある程度は大企業のコスト削減という政策だ。これは労働組合やブラック企業批判運動がチェックする対象だ。しかし,同時に長期的にみて構造的にも止めがたい傾向でもある。日本が雇用の安定を強めていくにしても,それは企業内労働市場を回復させることによってではない。転職可能な職業別労働市場を整備し,そこに,きちんとスキルを評価してもらい,身分差別なく参加できるようにすることによってなすべきだ。そうしてこそ女性や非正規の冷遇も解決できると思う。

そこで問題は「各企業が訓練しないならば,誰が訓練するのか」ということだ。今までの労働規制緩和論の最悪の側面は,このこと抜きに「流動性を高めて市場を機能させろ」と言っていたことだ。職業訓練は,従業員を長期雇用で企業内に確保するのでなければ,個々の企業には採算に合うものではない。逆に,何もかも自己研鑽に委ねていては高度スキルを身に着けるのはたいへんで効率が悪く,格差がますます広まる。

したがって,労働市場が流動化すればするほど,職業訓練を行う第3者が必要なのだ。私は授業でこう教えている。ここで,高等教育機関が乗り出してやる時ではないか,というのが私の意見だし,それは冨山氏のスライド9とも一致する。ただし,本当にもっぱら大学がやるのが良いのか,高校ではどうなのかなど,考えねばならないことはたくさんある。

職業訓練を重視する大学は冷遇の対象ではない。むしろ,すでに目指す姿がわかっている研究大学よりも予算と手間暇をかけて厚遇し,創造すべき対象だ。もちろん,研究予算に比べて教育予算の比重を高くはすべきだが,独自に実践や地域社会に近い研究活動も必要であり,予算削減の口実にすべきではない。私はここのところでの冨山氏の意見が聞きたい。

そこで学ぶ内容について冨山氏のスライド7は貧困だ。なぜならば,Lの世界でも社会の変化に対応してものを考えねばならず,そこで生きるには,今までよりは実践的な,変化に対応する思考と行動の能力を付けねばならないからだ。冨山氏のスライド7よりは,いま地方の大学がすでに挑戦している地域関係の学部・学科のカリキュラムの方が役立つだろう。もっと深い研究が必要だ。

以上だが,私はこの議論をとにかくネガティブモード全開での罵倒や皮肉にもっていかず,「大学が職業教育に乗り出すことの必要性はどうか」「その具体的な姿はどうか」というポジティブモードに持っていくべきだと思う。

http://www.econ.tohoku.ac.jp/econ/staff/member/kawabata.html

大学の教員紹介をみると、産業発展論と企業論がご専門ということですが、上の引用を見てもわかるように、雇用労働問題に対する見識は、そこらの労働専門学者よりも遥かに高そうです。

2014年12月30日 (火)

警察を民営化したらやくざである(再掲)

伝左衞門さんのこのつぶやきが、あまりにもデジャビュだったもので、

https://twitter.com/yumiharizuki12/status/549845814042836992

リバタリアンは、各人が民営化された警察会社と契約する、という案を述べるのだが、それまさにヤクザではないのかというw

いや、それまさに、4年前の本ブログのエントリそのもですやん。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-143d.html (警察を民営化したらやくざである)

リバタリアンと呼ばれたがる人々はどうしてこうも基本的な社会認識がいかがなものかなのだろうかと思ってしまうのですが、

http://d.hatena.ne.jp/kurakenya/20100818 (警察を民営化したならば)

警察とは一国の法システムによって暴力の行使が合法化されたところの暴力装置ですから、それを民営化するということは、民間の団体が暴力行使しても良いということを意味するだけです。つまり、やくざの全面的合法化です。

といいますか、警察機構とやくざを区別するのは法システムによる暴力行使の合法化以外には何一つないのです。

こんなことは、ホッブス以来の社会理論をまっとうに勉強すれば当たり前ではあるのですが、そういう大事なところをスルーしたまま局部的な勉強だけしてきた人には却って難しいのかも知れません。最近では萱野さんが大変わかりやすく説明してますから、それ以上述べませんが。

子どもの虐待専門のNPOと称する得体の知れない団体が、侵害する人権が家宅侵入だけだなどと、どうして素朴に信じてしまえるのか、リバタリアンを称する人々の(表面的にはリアリストのような振りをしながら)その実は信じがたいほど幼稚な理想主義にいささか驚かされます。そもそも、NPOという言葉を使うことで善意の固まりみたいに思えてしまうところが信じがたいです。

警察の民営化というのは、民主国家においてはかかっている暴力装置に対する国民のコントロールの権限が、(当該団体が株式会社であればその株主のみに、非営利団体であればそれぞれのステークホルダーのみに)付与されるということですから、その子どもの虐待専門NPOと称する暴力集団のタニマチがやってよいと判断することは、当然合法的に行うことになるのでしょうね。

国家権力が弱体化すると、それに比例して民間暴力装置が作動するようになります。古代国家が崩れていくにつれ、武士団という暴力団が跋扈するようになったのもその例です。それは少なくとも人間社会の理想像として積極的に推奨するようなものではないというのが最低限の常識であると思うのですが、リバタリアンの方々は違う発想をお持ちのようです。

(追記)

日本国の法システムに通暁していない方が、うかつにコメントするとやけどするという実例。

http://b.hatena.ne.jp/entry/eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-143d.html

>thesecret3 えええ、、実際暴力装置としての治安維持活動は日本では民間の警備会社の方が大きくないですか?現金輸送車を守ってるのは警察でもやくざでもありませんよ。

いうまでもなく、警備業者は警察と異なり「暴力装置」ではありませんし、刑事法規に該当する行為を行う「殺しのライセンス」を頂いているわけでもありません。

警備業法の規定:

http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxselect.cgi?IDX_OPT=2&H_NAME=&H_NAME_YOMI=%82%af&H_NO_GENGO=H&H_NO_YEAR=&H_NO_TYPE=2&H_NO_NO=&H_FILE_NAME=S47HO117&H_RYAKU=1&H_CTG=1&H_YOMI_GUN=1&H_CTG_GUN=1

>(警備業務実施の基本原則)

第十五条  警備業者及び警備員は、警備業務を行うに当たつては、この法律により特別に権限を与えられているものでないことに留意するとともに、他人の権利及び自由を侵害し、又は個人若しくは団体の正当な活動に干渉してはならない。

 

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-2b5c.html (それは「やくざ」の定義次第)

松尾隆佑さんが、

http://twitter.com/ryusukematsuo/status/23919131166

>「警察を民営化したらやくざ」との言にはミスリードな部分があって,それは無政府資本主義社会における「やくざ」を政府が存在・機能している社会における「やくざ」とは一緒にできない点.民営化はやくざの「全面的合法化」ではなく,そもそも合法性を独占的に担保する暴力機構の解体を意味する.

http://twitter.com/ryusukematsuo/status/23919469693

>他方,民間保護機関や警備会社同士なら「やくざ」ではないから金銭交渉などで何でも平和的に解決できるかと言えば,そういうわけでもなかろう.やくざだって経済合理性に無縁でなく,無駄な争いはすまい.行為を駆動する合理性の中身は多少違っても,本質的に違いがあるわけではない.やくざはやくざ.

言わずもがなではありますが、それは「やくざ」の定義次第。

国家のみが正当な暴力行使権を独占していることを前提として、国家以外(=国家からその権限を付与されのではない独立の存在)が暴力を行使するのを「やくざ」と定義するなら、アナルコキャピタリズムの世界は、そもそも国家のみが正当な暴力行使権を独占していないので、暴力を行使している組織を「やくざ」と呼べない。

より正確に言うと、世の中に交換の原理に基づく経済活動と脅迫の原理に基づく暴力活動を同時に遂行する多数の主体が同一政治体系内に存在するということであり、その典型例は、前のエントリで書いたように封建社会です。

そういう社会とは、荘園経営者が同時に山賊の親分であり、商船の船主が同時に海賊の親玉である社会です。ヨーロッパ人と日本人にとっては、歴史小説によって大変なじみのある世界です。

こういう「強盗男爵」に満ちた社会から、脅迫原理を集中する国家と交換原理に専念する「市民」を分離するところから近代社会なるものは始まったのであって、それをどう評価するかは社会哲学上の大問題ですし、ある種の反近代主義者がそれを批判する立場をとることは極めて整合的ではあります。

しかしながら、わたくしの理解するところ、リバタリアンなる人々は、初期近代における古典的自由主義を奉じ、その後のリベラリズムの堕落を非難するところから出発しているはずなので、(もしそうではなく、封建社会こそ理想と、呉智英氏みたいなことを言うのなら別ですが)、それと強盗男爵社会を褒め称えることとはいささか矛盾するでしょう、といっているだけです。

多分、サヨクの極地は反国家主義が高じて一種の反近代主義に到達すると思われますので(辺境最深部に向かって退却せよ!)、むしろそういう主張をすることは良く理解できるのですが(すべての犯罪は革命的である! )。

http://b.hatena.ne.jp/entry/eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-143d.html

>tari-G いかにも元官僚, 単純素朴, 相変わらず, 頭が悪い 国家の強制力を現在の検警察組織に独占させないという発想自体は、検警察入管等のひどさを考えれば極めて真っ当。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-037c.html (アナルコキャピタリズムへの道は善意で敷き詰められている?)

TypeAさんが、「民間警察は暴力団にあらず 」というタイトルで、わたくしの小論について論じておられます。

http://c4lj.com/archives/773366.html

いろいろとご説明されたあとで、

>しかし、これでも濱口氏は納得しないに違いない。何故なら、蔵氏やanacap氏の説明は、無政府資本主義社会が既に成立し、安定的に運用されていることが前提であるからだ。

と述べ、

>だが、「安定期に入った無政府資本主義社会が安定的である」というのは、殆どトートロジーである。

>現在の警察を即廃止したとしても、忽ちに「安定期に入った無政府資本主義社会」が出現するわけではないからである。これまでの無政府資本主義者は、(他の政治思想も大抵そうであるが)その主張を受け入れてもらうために、己の描く世界の安定性のみを強調し、「ここ」から「そこ」への道のり、現行の制度からその安定した社会に至るためのプロセスを充分に説明していない。「国家権力が弱体化すると、それに比例して民間暴力装置が作動するようにな」るというのは、成程確かにその通りであると認めざるを得ないだろう。

と認められます。

ところが、そのあと、こういう風にその理想社会に到達するという図式を描かれるのです。

>これまでの多くの政府機関の民営化がそうであったように、恐らく警察においても最初は特殊法人という形を採ることになるだろう。法制度の改定により、民間の警備会社にもそれなりの権限は許可されるが、重大な治安維持活動は特殊法人・警察会社に委ねられる。それでも、今よりは民間警備会社に出来る範囲は広くなる。

>特殊法人・警察会社は徐々に独占している権限を手放す。民間警備会社が新たに手に入れた権限を巧く使うことが出来ることを証明できたならば、それは更なる民営化を遂行してよいという証拠になる。最終的に、元々公的機関であった警察は、完全に民営化される。(勿論テストに失敗した場合はこの限りではない。)恐らく数年~十数年は、元々公的機関であった"元"警察を信頼して契約を結ぶだろう。ノウハウの蓄積は圧倒的に"元"警察株式会社にあるだろうからだ。しかし、市場が機能する限り、"元"警察株式会社がその優位な地位に胡坐をかく状態が続けば、契約者は他の民間警備会社に切り替えることを検討することになるだろう。

こういうのを読むと、いったいアナルコキャピタルな方々は、国家の暴力というものを、せいぜい(警備業法が規定する程度の)警備業務にとどまるとでも思っておられるのだろうか、と不思議になります。

社会は交換原理だけではなく脅迫原理でもできているのだという事実を、理解しているのだろうか、と不思議になります。

先のエントリでも述べたように、国家権力の国家権力たるゆえんは、法に基づいて一般市民には許されない刑事法上に規定する犯罪行為(住居侵入から始まって、逮捕監禁、暴行傷害、場合によっては殺人すらも)を正当な業務行為として行うことができるということなのであって、それらに該当しない(従って現在でも営業行為として行える)警備行為などではありません。「民間の警備会社」なんて今でも山のようにあります。問うべきは「民間の警察会社」でしょう。

大事なのは、その民間警察会社は、刑法上の犯罪行為をどこまでどの程度正当な業務行為として行うことができることにするのか、そして、それが正当であるかどうかは誰がどのように判断するのか、それが正当でないということになったときに誰がどのように当該もはや正当業務行為ではなくなった犯罪行為を摘発し、逮捕し、刑罰を加えるのか、といったことです。アナルコキャピタリズムの理念からすれば、そういう「メタ警察」はない、としなければなりませんが、それがまさに各暴力団が自分たち(ないしその金の出所)のみを正当性の源泉として、お互いに刑事法上の犯罪行為を振るい合う世界ということになるのではないのでしょうか。

その社会において、「刑事法」というものが現在の社会におけるような形で存在しているかどうかはよく分かりません。刑事法とはまさに国家権力の存在を何よりも前提とするものですから、ある意味では民間警察会社の数だけ刑事法があるということになるのかも知れませんし、一般刑事法はそれを直接施行する暴力部隊を有さない、ちょうど現代における国際法のようなものとして存在するのかも知れません。これはまさに中世封建社会における法の存在態様に近いものでしょう。

この、およそ「警察の民営化」とか唱えるのであれば真っ先に論ずべき点がすっぽり抜け押してしまっているので、正直言って、なにをどう論じたらいいのか、途方に暮れてしまいます。

ちなみに、最後でわたくしに問われている蔵研也氏の第2のアイディアというのは、必ずしもその趣旨がよく理解できないのですが、

>むしろ公的な警察機構に期待するなら、警察を分割して「児童虐待警察」をつくるというのも、面白い。これなら、捜索令状もでるし、憲法の適正手続条項も満たしている。

というところだけ見ると、要するに、一般の警察とは別に麻薬取締官という別立ての正当な国家暴力機構をつくるのと同じように、児童虐待専門の警察をつくるというだけのはなしにも思えるので、それは政府全体のコスト管理上の問題でしょうとしかお答えのしようがないのですが、どうもその次を読むと必ずしもそういう常識的な話でもなさそうなので、

>さて、それぞれの警察部隊の資金は有権者の投票によって決まる。

はあ?これはその蔵氏のいう第2のアイディアなんですか。全然第2でも何でもなく、第1の民営化論そのものではないですか。

アイディア2というのが警察民営化論なのか、国家機構内部での警察機能分割論なのか、判断しかねるので、「濱口氏は如何お考えであるのか、ご意見を伺いたく思う。」と問われても、まずはどっちなのかお伺いした上でなければ。

(追記)

法システムの全体構造を考えれば、国家の暴力装置を警察だけで考えていてはいけません。警察というのはいわば下部装置であって、国家の暴力の本質は司法機関にあります。人に対して、監禁罪、恐喝罪、果ては殺人罪に相当する行為を刑罰という名の下に行使するよう決定するのは裁判所なのですから。

したがって、アナルコキャピタルな善意に満ちた人々は、何よりもまず裁判所という法執行機関を民間営利企業として運営することについての具体的なイメージを提示していただかなければなりません。

例えばあなたが奥さんを殺されたとしましょう。あなたは桜上水裁判株式会社に電話して、犯人を捕まえて死刑にしてくれと依頼します。同社は系列企業の下高井戸警察株式会社に捜査を依頼し、同社が逮捕してきた犯人を会社の会議場で裁判にかけ、死刑を言い渡す。死刑執行はやはり系列会社の松原葬祭株式会社に依頼する、と。

ところが、その犯人曰く、俺は殺していない、犯人は実は彼女の夫、俺を捕まえろといったヤツだ。彼も豪徳寺裁判株式会社に依頼し、真犯人を捕まえて死刑にしてくれと依頼する。関連会社の三軒茶屋警察株式会社は早速活動開始・・・。

何ともアナーキーですが、そもそもアナルコキャピタルな世界なのですから、それも当然かも。

そして、このアナーキーは人類の歴史上それほど異例のことでもありません。アナルコキャピタリズムというのは空想上の代物に過ぎませんが、近代社会では国家権力に集中した暴力行使権を社会のさまざまな主体が行使するというのは、前近代社会ではごく普通の現象でした。モンタギュー家とキュピレット家はどちらもある意味で「主権」を行使していたわけです。ただ、それを純粋市場原理に載っけられるかについては、わたくしは人間性というものからして不可能だとは思っていますが。

ちなみに、こういう法システム的な意味では、国際社会というのは原理的にアナーキーです。これは国際関係論の教科書の一番最初に書いてあることです。(アナルコキャピタリズムではなく)純粋のアナーキズムというのは、一言で言うと国内社会を国際社会なみにしようということになるのでしょう。ボーダーレス社会にふさわしい進歩的思想とでも評せますか。

 

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-48c2.html (人間という生き物から脅迫の契機をなくせるか?)

typeAさんとの一連のやりとりについて、ご本人がご自分のブログで感想を書かれています。

http://d.hatena.ne.jp/typeA/20100911/1284167085 (負け犬の遠吠え-無政府資本主義者の反省-。 )

いえ、勝ったとか負けたとかではなくて、議論の前提を明確にしましょうよ、というだけなのです。

おそらく、そこに引用されている「平凡助教授」氏のこの言葉が、アナルコキャピタリズムにまで至るリバタリアンな感覚をよく描写していると思うのですが、

>無政府資本主義の考え方にしたがえば,「問題の多い政府の領域をなくして市場の領域だけにしてしまえばいい」ということになるだろう.経済学でいうところの「政府の失敗」は政府が存在するがゆえの失敗だが,「市場の失敗」は (大胆にいえば) 市場が存在しないがゆえの失敗だからだ.

政府とか市場という「モノ」の言葉で議論することの問題点は、そういう「モノ」の背後にある人間行為としての「脅迫」や「交換」という「コト」の次元に思いが至らず、あたかもそういう「モノ」を人間の意思で廃止したりすることができるかのように思う点にあるのでしょう。

人間という生き物にとって「交換」という行為をなくすことができるかどうかを考えれば、そんなことはあり得ないと分かるはずですが、こんなにけしからぬ「市場」を廃止するといえば、できそうな気がする、というのが共産主義の誤りだったわけであって、いや「市場」を廃止したら、ちゃんとしたまともな透明な市場は失われてしまいますが、その代わりにぐちゃぐちゃのわけわかめのまことに不透明な「市場まがい」で様々な交換が行われることになるだけです。アメリカのたばこが一般的価値形態になったりとかね。

「問題の多い市場の領域をなくして政府の領域だけにする」という理想は、人間性に根ざした「交換」という契機によって失敗が運命づけられていたと言えるでしょう。

善意で敷き詰められているのは共産主義への道だけではなく、アナルコキャピタリズムへの道もまったく同じですよ、というのが前のエントリのタイトルの趣旨であったのですが、はたしてちゃんと伝わっていたでしょうか。

こんなにけしからぬ「政府」を廃止するといえば、できそうな気がするのですが、どっこい、「政府」という「モノ」は廃止できても、人間性に深く根ざした「脅迫」という行為は廃止できやしません(できるというなら、ぜひそういう実例を示していただきたいものです)。そして、「脅迫」する人間が集まって生きていながら「政府」がないということは、ぐちゃぐちゃのわけわかめのまことに不透明な「政府まがい」が様々な脅迫を行うということになるわけです。それを「やくざ」と呼ぶかどうかは言葉の問題に過ぎません。

「政府の領域をなくして市場の領域だけにする」という「モノ」に着目した言い方をしている限り、できそうに感じられることも、「人間から脅迫行為をなくして交換行為だけにする」という言い方をすれば、学級内部の政治力学に日々敏感に対応しながら暮らしている多くの小学生たちですら、その幼児的理想主義を嗤うでしょう。

ここで論じられたことの本質は、結局そういうことなのです。

(注)

本エントリでは議論を簡略化するため、あえて「協同」の契機は外して論じております。人類史的には「協同「「脅迫」「交換」の3つの契機の組み合わせで論じられなければなりません。ただ、共産主義とアナルコキャピタリズムという2種類の一次元的人間観に基づいた論法を批判するためだけであれば、それらを噛み合わせるために必要な2つの契機だけで十分ですのでそうしたまでです。

ちなみに「協同」の契機だけでマクロ社会が動かせるというたぐいの、第3種の幼児的理想主義についてもまったく同様の批判が可能ですが、それについてもここでは触れません。

 

『月刊連合』1月号に古市さん、冨山さん・・・

201501_cover_l_2連合HPに『月刊連合』1月号がアップされています。

http://www.jtuc-rengo.or.jp/shuppan/teiki/gekkanrengo/backnumber/new.html

表紙にもでかでかと出ていますが、古賀会長と対談しているのは、どこぞのワカモノを詐称する中年おじさんとは違い、正真正銘の我らが若者代表こと古市憲寿さんです。

戦後70年の節目を迎える2015年。日本の経済社会は、少子高齢化・人口減少、人手不足、格差と貧困、地方の疲弊、安全保障など、いくつもの難問に直面している。もう、先送りは許されない。将来に向けて、今、問題をどう認識し、何を選択していくのかが問われている。さて、月刊「連合」2015年のスタートは、気鋭の社会学者・古市憲寿氏と古賀連合会長の新春対談!難問解決に向けて「若者」と「おじさん」は手を組めるのか?

201501_p0203


なんで古市さんを呼んだかというと、やっぱり昨年の集中点検会合だったようです。

古賀さん曰く:

その古市さんの意見を聞いて、我々が考えていることと大半が似通っていると・・・。

このときの古市さんの発言については、本ブログでも取り上げて(異例に)賞賛したことがあります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-7a24.html(古市くん、チョーまともじゃん)

例の「今後の経済財政動向等についての集中点検会合」に「有識者」として出席した古市憲寿さん。ネット上では誰の代表のつもりだ・・・とかなりな言われようでしたが、公開されたその議事録を読んでみると、実にまっとうな議論を堂々と展開しています。

冒頭「今日は、若いというだけで呼んでいただいたと思うので、できるだけ若者とか現役世代目線の利害を代表したようなことを言いたいと思う」と、謙遜めいた言い方をしていますが、どうしてわかってない下手な大人よりもずっと立派にまともなことを言ってますよ。

も一人、本ブログで話題になった方が登場しています。例の「L型大学」の冨山和彦さんです。

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常見陽平さんの「10冊」

常見陽平さんが「陽平ドットコム~試みの水平線~」で、「を発表しています。

http://www.yo-hey.com/archives/55082244.html

そのなかに、海老原さんの『いっしょうけんめい「働かない」社会をつくる』とならんで、わたくしの『日本の雇用と中高年』も取り上げていただいています。

日本の労働の現実を知る上で、いつも濱口桂一郎先生の本は時に物議や論争を呼びつつ、大変に参考になる。メディアでは若年層の問題ばかりが取り上げられるが、実は長年の論点は中高年。ここと向き合うと、諸々解決の処方箋が見えてくるような。

まあ、「物議や論争」を呼ぶのは、書き方が未熟だからという面もあるのでしょうが、わざとやっている面もないわけではありません。

いずれにせよ、常見さんには来年新天地でもご活躍をお祈りしております。

2014年12月29日 (月)

お正月 ピザブラックは休業します

ブラック企業が話題になった今年を締めくくるにふさわしいCM・・・・・・というべきか、日本人の消費者感覚をあまりにもよく表しているというべきか・・・・・・、

なんにせよ、このCM自体が壮大な皮肉のつもりなんだろうか、という深読みを思わずさせてしまうほどに、労働論壇と消費者感覚の隔絶を面前に突き出してくるような、そんな年末CMです。

(追記)

正月休み明けのキャリコネニュースに取り上げられました。

https://news.careerconnection.jp/?p=5878(お正月はガッツリ休む悪役に「ホワイト企業」と称賛 ピザーラCMは「壮大な皮肉」なのか?)

なんにせよ、12月29日に書かれたエントリを、1月5日に取り上げるということからみても、キャリコネニュースさんはピザブラック並のホワイト企業なんでしょうね。

女性活躍推進法で女性は活躍できるか?@損保労連『GENKI』12月号

113損保労連『GENKI』12月号に「女性活躍推進法で女性は活躍できるか?」を寄稿しました。

http://www.fniu.or.jp/kikanshi/index.html

 最近「女性の活躍」という言葉が政治の場で氾濫するようになりました。先月まで開催されていた臨時国会で「女性活躍推進法案」が提出(審議未了で廃案)されてからは、とくに耳にします。これまでも1986年に男女雇用機会均等法、1999年に男女共同参画社会基本法が施行されるなど、「女性がもっと社会や職場で活躍できるようにしよう」という目標は過去30年にわたって繰り返し唱えられてきたことです。しかし、諸外国に比べてもその歩みが遅々として進まないことから、政府は法律を作ることで、改めて推進することを企図していると考えられます。確かに昨年12月に世界経済フォーラムが発表した「ジェンダーギャップ指数2013(※)」で日本は136カ国中105位でした。健康分野などは高く評価されているなかで低い順位となった理由は、政治分野における女性の割合や会社における女性管理職の割合の低さにあります。今回の法案提出は、この状況を変える必要があるとの認識が、ようやく政権中枢に及んできたことが背景にあると考えられます。

 (※)ジェンダーギャップ指数

   世界情勢の改善に取り組む国際組織である「世界経済フォーラム(1971年設立/本部ジュネーブ/通称「ダボス会議」と呼ばれる年次総会を開催)」が毎年発表する各国における男女格差を測る指数。本指数は、経済分野、教育分野、教育分野、政治分野、保健分野のデータから作成されている。(内閣府男女共同参画局HP参照)

 今回の動きの出発点は、政府が6月に発表した「『日本再興戦略』改訂2014」に、今年3月の産業競争力会議雇用・人材分科会で示された「成長戦略としての女性の活躍推進について」という「長谷川(閑史 産業競争力会議 雇用・人材分科会主査)ペーパー」の内容が盛り込まれたことです。再興戦略では、数値目標として「2020年に指導的地位に占める女性の割合30%」(2013年女性管理職比率:7.5%、2012年:6.9%)が掲げられるとともに、国・地方公共団体、民間事業者における女性の登用の現状把握、目標設定、目標達成に向けた自主行動計画の策定及びこれらの情報開示を含め、各主体がとるべき対応等について検討する。さらに、各主体の取組を促進するため、認定などの仕組みやインセンティブの付与など実効性を確保するための措置を検討し、国会への法案提出を目指すことが明言されています。 

 これを受け、直後の8月から民間部門の対応は厚生労働省の労働政策審議会雇用均等分科会で、公的部門の対応は内閣府の男女共同参画局で検討され、10月の臨時国会に「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律案」が提出されました(注)。同政府法案では、国、地方公共団体及び従業員300名超の民間企業は、国が策定する基本方針に基づき、女性の活躍に関する状況を分析し、それを踏まえて計画期間、女性活躍推進の取り組みによる達成目標、取り組み内容や実施時期に関して「事業主行動計画」を策定・公表することが義務付けられます。従業員300名未満の民間企業は努力義務です。この分析すべき事項の中に、「採用した労働者に占める女性労働者の割合、男女の継続勤務年数の差異、管理的地位にある労働者に占める女性労働者の割合等」が含まれています。国は優れた取組を行う企業を認定するとともに、さまざまな支援措置を講ずるとされていますが、裾野を広げることも含めて間接的な形で女性管理職比率を引き上げることを目的とする法律と言えます。

 また、この政府法案の基本原則には「家族を構成する男女が、相互の協力の下に、育児、介護等について家族の一員としての役割を円滑に果たしつつ職業生活における活動を行うために必要な環境を整備することにより、職業生活と家庭生活との円滑かつ継続的な両立が可能となることを旨として」と規定されていますが、公表される「事業主行動計画」の必須項目にはワークライフバランスが含まれていません。この政府法案では、女性の活躍を阻害している最大の要因を、必ずしも明確に認識していないようです。

 この点に関しては、6月に与党の自民・公明両党から議員立法として提出された「女性が活躍できる社会環境の整備の総合的かつ集中的な推進に関する法律案」の方が目配りがされています。基本理念は政府法案と同様ですが、事業主の責務に「その雇用する労働者に係る多様な労働条件の整備その他の労働者の職業生活と家庭生活との両立が図られるようにするために必要な雇用環境の整備を行うことにより女性が活躍できる社会環境の整備に資するよう努める」ことが明記されている点は政府法案と異なります。特に政府が法施行後2年以内を目途に講ずるべき法制上の措置として、指導的地位への女性の登用の促進と並んで、時間外労働等の慣行の是正も明記されています。

 日本の女性活躍指数が先進国のなかで最低クラスになる大きな要因は、高度成長期に確立された日本型雇用システムにおける男性正社員の働き方が、職務、時間、空間のいずれも無限定であることが前提になっていることにあります。とりわけ、労働時間や勤務場所が無限定である前提で、女性が結婚し、出産や子育てと仕事を両立させることは困難です。そのため、女性たちは、正社員であっても職務内容が補助的な一般職にとどまるか、雇用形態が不安定な非正規労働を余儀なくされてきたわけです。また、未婚のうちは男性と同様に働いていた総合職の女性たちも、出産や子育てとの両立が困難になり挫折することが多いのです。

 日本の女性管理職数を本気で増やすために必要な対策は、なによりもまず長時間労働を当然と考える職場慣行の是正であり、そのうえで短時間で成果を挙げる労働者を男女の差なく、適切に評価し、昇進させていく仕組み・風土・慣行を作り上げていくことでしょう。子供を保育所に預けてから朝遅く出社し、子供を保育所に引き取りに行くために夕方早く退社する管理職が、電子機器を活用して部下に指示することを当然と考える社会になってこそ、女性の活躍は根付くことになります。さもなければ、9月に女性大臣が大量に就任したときも、大臣になれなかった当選回数の多い男性議員からねたみの声が漏れていたことが話題になりましたが、「俺はこんなに夜遅くまで頑張っているのに、女性という理由で、さっさと帰るあいつが出世して」などの新たな課題が充満する危険性があります。


2014年12月28日 (日)

拙著書評2つ

26184472_1年末が近づいて、拙著『日本の雇用と中高年』への書評が続けて2つアップされています。

一つは特定社労士の和田泰明さんの「HUREC AFTERHOURS 人事コンサルタントの読書備忘録」です。かなりの分量を割いて拙著への注文なども書かれています。

http://hurec.bz/mt/archives/2014/12/2255_201405.html日本的雇用の在り方に影響力を持ち得る視座を提起。第5編の提案部分の更なる深耕に期待。

・・・著者は、中高年や若者を巡る雇用問題を「中高年vs.若者」という対立軸で捉えてどちらが損か得かで論じることは不毛であり、雇用問題は雇用システム改革の問題として捉えることが肝要だとしており、ここまでに書かれている歴史的変遷も、それ自体「人事の教養」として知っておいて無駄ではないかと思いますが、ここでは、日本型雇用システムの歴史を探ることでその本質や特徴を浮き彫りにするという意図のもとに、これだけの紙数を割いているようです。

 そして、最終章である第5章において、前著『若者と労働』で若者雇用問題への処方箋として提示した「ジョブ型正社員」というコンセプトが、本書のテーマである中高年の救済策にもなるとしています。「ジョブ型正社員」の是非を巡る労使間の議論が、解雇規制緩和への期待や懸念が背景となってしまっている現状の議論の水準を超えて、労使双方にとって有意義な雇用システム改革という新展望の上に展開されているという点では、本書にも紹介されている1995年の日経連の『新時代の「日本的経営」』にも匹敵する、日本的雇用の在り方に影響力を持ち得る視座を提起しているように思われました。・・・

・・・しかし、終身雇用をベースにした長期決済型の年功制を維持している間も、生産性に見合わない高給取りの中高年が真っ先にリストラ対象となった折も、そうした本質の部分について議論されることが無かった(能力主義であるとか現状において生産性に比べて賃金が割高であるとかいう理屈の上に韜晦されてしまった)のは、「メンバーシップ型」という概念が概念として対象化されず、それでいて企業が、何よりも人事部を中心にその(メンバーシップ型という考え方の)中にどっぷり浸り切っていたためであり、こうして「メンバーシップ型」として概念化し対象化すること自体、意義のあることのように思います。

とくに、最後の第5章はあまりにも駆け足気味できちんと深掘りした議論をしていないと感じられたようで、

・・・その意味では、本書第5章を深耕した著者の次著を期待したいと思いますが、こうした期待は本来著者一人に委ねるものではなく、実務者も含めた様々な人々の議論の活性化を期待すべきものなのでしょう。そうした議論に加わる切っ掛けとして、企業内の人事パーソンを初め実務に携わる人が本書を手にするのもいいのではないでしょうか。

と次著を慫慂されています。いや、次著は現在準備中ですが、第5章の中のとりわけ「2 中高年女性の居場所」を深掘りしたものになる予定なので、和田さんの宿題にどれだけ答えられるものになるかはわかりません。

もう一つは、Faith(フェイス)経営労務事務所を運営される社会保険労務士のT&Dさんのブログ「Faith to Face」です。

http://facetofaithsrtd.blog76.fc2.com/blog-entry-1491.html

本日のお勧めの一冊は「日本の雇用と中高年」(濱口桂一郎 著)です。

・・・このような問題をどのようにとらえどう解決していくのか?について、労働の世界では第一人者の濱口さんがその解決の方向性を示しているのがこの一冊です。

その「方法」については本書を読んでいただければいいのですが、解決法を示すまでに延べられるの中高年の労務管理の諸問題に対する示唆は非常に興味深いものがあります。

また、中高年の対策は実は、日本が抱えている他の問題(非正規問題等)を解決する方向性にも相通ずるものがあると感じる部分があり、濱口氏の提言は今後の日本の人事労務管理の大きな方向性を示しているのですが、個人的には違和感(理屈では分かるのですが本当にそれでいいのかという部分)もあり、しかし納得する部分もあり、と、なかなかためになる一冊でした。

ご興味のある方は是非・・・

「理屈では分かるのですが本当にそれでいいのかという部分」というのは、中高年問題に限らず、雇用問題のいろんな場面にでてくるようです。

日本型雇用に未来はあるか?@『FORUM OPINION』27号

NPO現代の理論・社会フォーラムより『FORUM OPINION』27号が届きました。

これに、9月27日に行ったわたくしの講演の記録が掲載されております。

「日本型雇用に未来はあるか?」というのは、主催者側からいただいたタイトルで、必ずしも話の中身にあっていない面もありますが、restructuringと「リストラ」の違いという切り口から始まって、日本型雇用に関する総論としてわかりやすく語られていると思いますので、年末の頭の整理としてざっと目を通していただければと思います。

http://keizaiken.sakura.ne.jp/?page_id=21

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 「日本型雇用に未来はあるか!?」というタイトルをいただきまして、ちょっと戸惑ったのですが、日本語の「リストラ」を切り口にしてお話をしたいと思います。

 

日本での雇用契約は社員になること

 

 2014年6月にブリュッセルで、日本とEUの政労使で開催された「日本EU労働シンポジウム」のテーマがrestructuringでした。これはヨーロッパからすればナチュラルなテーマですが、日本側の反応は「リストラがテーマ?」だったようです。日本語でリストラと言うと、かなり違うニュアンスになるからです。

「リストラ」という言葉が、独特なニュアンスを持つのはなぜなのでしょうか?日本の労働社会、職業社会の有り様は、ヨーロッパとは根本的に異なります。ヨーロッパの雇用関係の主軸は仕事です。つまり働く労働者と企業とはジョブを通じた関係です。これに対して日本は、社員であること、メンバーシップなんですね。日本語で雇用者を指す言葉は、一般的には社員です。つまりmember of companyです。これが日本の雇用契約の基本的な有り様です。

日本の企業は、構成しているメンバーによる共同体的な性格を持っていると思います。雇用契約もこの仕事をして下さいという形ではありません。仕事は企業に入ってから決めるので、「来月から札幌で営業をしてくれ」となるわけです。これが特徴です。

 どんな仕事をするかも分からずに会社に入って、その命令通りしなければいけない。そんなバカな話があるのかと思うかもしれませんが、逆に言うと産業構造が変わり、事業を縮小しても直ちに「あなたはいらないよ」ということになりません。企業の一員という契約で入っているので、絶対的な縮小でない限り企業の中のどこかに仕事を見つけてくれるのです。

 もちろん日本でもジョブに基づくところもあります。たとえば医療の世界では、医師が余ったから看護師に回すとか、医療事務に回すことはありえません。大学の教員も典型的なジョブ型です。しかし、某予備校では少子化の影響で生徒が減ってきたので、教員を新規事業の介護の仕事に回したという事例はあります。予備校の先生を介護に回しても雇用を維持する、何と温かい予備校だろうということになります。

 こうしたことを見ると、かなり専門的な職能に基づいて雇用関係を作っている分野ですら、企業組織の中での雇用が至上命題になっていることが分かります。

 日本に戦前から進出しているIBMが、ある部門を分割して別の企業と新会社を作るということになりました。ところが、労働者側が反発して裁判になり最高裁まで行った事件があります。

日本で今から14年前に商法が改正され、会社分割という制度が設けられました。その際に労働者保護のために労働契約承継法が作られました。これは基本的にEU型の発想で、仕事が別の会社に移るのであれば、人も一緒に移るという考え方です。国鉄がJRになった時も同じです。それまで日本にはこうした法律はなかったのですが、14年前の商法改正の時にこのようなルールが作られたのです。

IBMの裁判がおもしろいのは、労働側が「私たちは日本IBMに入ったのに、なぜ別の会社に行かなければならないのか」と主張して裁判を起こしたことです。つまり、労働者保護の法律に従って企業がやったことがおかしいというわけです。

 余談ですが、商法改正の少し前に連合の労働者保護を求めるキャンペーンの一環の集会で話をしました。EUにおける労働者保護の話をしたのですが、ふと上を見たら演題には「気がついたら別会社に」と書かれていたのです。しかし、別会社に行かせてもらえず、元の会社に残され仕事がないというのがリスクなはずです。演題は私の話したことと逆だったのです。日本IBMの裁判は、ある意味で象徴的な事件であったと思います。

 日本的な企業と個人の関係は、企業とその人との関係の維持が優先されるので、日本の解雇規制が厳しすぎるという企業側の批判を受けます。たとえば産業競争力会議などで、武田薬品の長谷川閑史会長は、以前ドイツの子会社の社長をした経験からドイツではどんどん解雇できたのに、日本は解雇できないのはおかしいと言っています。しかし、ドイツは「雇用保護法」という法律があり従業員代表機関と協議しなければならないとか、整理解雇の場合にはsocial planを作らなければならないとか、世界で一番解雇について厳しいのです。

 ということで、労働法学者は、長谷川氏はなにも分かっていないと言うのですが、そういう批判も間違いだと思います。

 私は、産業競争力会議とか規制改革会議に呼ばれて話をすることがあります。委員の方が労働契約法第16条はけしからん。こんなのがあるから日本は競争力を失ってダメになると言うのです。しかし、そこには「客観的、合理的な理由がない解雇は無効です」と書いてあるだけです。

 確かにある面、日本の方が解雇しにくいことは確かです。何故かというと企業と個人のつながりが職でなくて企業のメンバーであるからです。企業の一員なので、仕事を理由にして関係を断ち切ることができない。解雇が客観的かつ合理的だとか言う時に、ヨーロッパでは「あなたの仕事がなくなったから」というのは正当な理由になりますが、日本では不当な理由になるのです。

規制改革会議などで、パフォーマンスの悪い社員を首にしたいが、なかなかできないと言います。中高年の人達は年功制で給料が上がっているのだから、それなりの仕事をしてもらわなければ困るということのようです。しかし、会社に入る時の契約には何も書いていないのです。いきなりおまえはパフォーマンスが悪いというのは通るはずがありません。

 

解雇につきまとう「本人の問題」

 

 日本では、雇用契約に仕事の内容は書かれていません。会社の中のどんな仕事でもやりますという契約になっています。ですからヨーロッパのように「あなたの仕事がなくなったので、やめてもらいます」というのが通らないわけです。ということは解雇に際して、会社の中でやれる仕事をさがしたかどうかが問われるわけです。その人にやらせる仕事が何もなかったということで、初めて解雇の正当な理由になります。

そこだけ見ると労働者は守られていると見えます。しかし、それでもその人を解雇すると社会的にどういう意味を持つかのかということです。会社側はその人がやれる仕事を探したが何もなかった。それくらいこの人は何もできないというレッテルが貼られることになるわけです。

 もちろんこれは企業規模によって異なります。「あの人リストラされた人よ」というと、大きな企業になればなるほど、どうしようもない人というニュアンスがついてまわるわけです。ここが「リストラ」とrestructuringの違いですね。restructuringであれば、本人の職業能力とか資質と関係ない話で、だからこそ会社側に責任があり労使協議になります。日本でも整理解雇は本人には責任がない、もっぱら会社の責任なので、より厳しく規制されます。したがって整理解雇4要件があるのですが、そのロジックはヨーロッパと同じです。しかし、企業と労働者の関係のあり方が異なるので、企業の責任を強調すればするほど、それでもなおかつ解雇されるくらい本人に問題があるというような社会的な意味合いを持ってしまうわけです。これはすごく皮肉な話だと思います。

 ヨーロッパでは、restructuringは労働者の責任ではないという意味合いがありますが、日本では逆にダメな奴だ、パフォーマンスが悪いというスティグマがついてしまうのです。

 リストラとか整理解雇といえば言うほど本人の問題となってしまうので、労組も「リストラ反対!」となります。だからますますやりにくくなる。リストラをあえてやれば、解雇された人はますますろくでもない奴だという悪循環になってしまうわけです。

 このことは、景気変動とか産業構造転換など量的な雇用変動に対する対応を難しくしています。ひとつは企業の内部的なフレシキビリティでの対応です。そうした仕組みが可能であったのは、企業との関係がメンバーシップである正社員とそうでない人達、この人達を非正規雇用の労働者と呼んでいいかどうかは議論があるのですが、「正社員でない人達」という二重構造になっていて、量的なフレキシビリティは、その二重構造の外側の人達を対象にしたわけです。70年代のオイルショックも80年代の円高不況もそうです。これは社会的にはほとんど問題になりませんでした。

ところが、リーマン・ショックの時は、企業は同じことをやったのですが、「派遣切り」、「非正規切り」などと社会から批判されました。これは、90年代後半以降、非正規雇用の労働者が増えてきたためだと思います。社会の方が変わったということですね。

 

「雇用調整助成金」が転換点

 

 私は決して「ジョブ型の優位」を言っているわけではありません。一般的にどちらが優位か劣位化を単純に言える問題ではないと思っています。

日本の場合、1970年代のオイルショックから1990年代のアジア通貨危機までの約20年は、労働社会の有り様を前提とした雇用維持型の雇用政策は高く評価されていました。それ以前は、政府や日経連は、日本的な終身雇用とか年功序列などに否定的でした。60年代から70年代の初めの政府の経済・社会政策関係の文書を見ると、日本をもっと近代的な社会にしなければいけないと書かれていました。

 では近代的な社会とは何かということになるのですが、1967年に作られた「第1次雇用対策基本計画」の中では「職業能力と職種に基づく労働市場」と書かれていますが、これはこの時代を象徴する言葉だと思います。当時、企業は若者を採用するのに熱心で中高年を雇おうとしません。政府は、これは「職業能力と職種に基づく労働市場」ができていないためと言っていたのです。

 これが大きく変わるのが、1974-75年です。オイルショック後に雇用保険法が施行されました。雇用保険には、「雇用調整給付金」(数年後に「雇用調整助成金」に改称)という制度ができました。これは景気変動で職がなくなっても解雇せずに休業扱いにすれば、2分の1から3分の2を国が助成するというものです。私は、この雇用調整助成金が歴史的な転換を示したと考えています。

 当時、西ドイツにはすでに「操短助成金」という制度があり、景気が悪くなった時に解雇せずに雇用を維持したら失業保険から金を出すという仕組みです。リーマン・ショックの時も、ドイツはこの制度で雇用を守りました。

日本では、最近「過度な雇用維持型から労働移動促進型への転換」と言って、雇用維持があたかも悪いことかのような雰囲気があります。これは労働力を流動化させればいいみたいな発想で、おかしいと思います。そもそも雇用維持という点では日本もドイツも同じなのです。ただ、これに対して単純に雇用維持こそあるべき姿だと言うのでは、どんな仕事でもいいから会社にいさせてくれということになってしまいます。

 ですから言葉の腑分けをきちんとして議論すべきだと思います。職が一時的に縮小する時に雇用を維持し、景気が回復すれば職も回復しますから、雇用維持は何の不思議もありません。

 ところが日本の場合は、そういう発想でなかったために、雇用政策自体も会社の一員としてじっとしているというイメージになっています。つまり有り様の議論と政策の議論とが、変な風にリンクしてしまっているので、腑分けすることがむずかしくなっているという感じがします。

 ところで、「社員」という言葉はおもしろいですね。そのまま訳せばmember of company ですが、法律上member of companyは出資者のことです。合名会社は全員が無限責任社員で合資会社は無限責任社員と有限責任社員の両方がいます。有限責任社員はお金だけの出資、無限責任社員はお金以外の出資が可能です。労務出資というものもあります。あまり知られていないようですが、商法には出てきます。

 会社とは人の集まりですが、人がお金を出したり労務を出したり知恵を出したりして事業をやっている。合名会社が進化して合資会社になり株式会社になるわけですが、無限責任社員はなくなります。人間が集まって事業をする時に、お金を出す人は会社のメンバーで、労務を出す人はメンバーでないというのはおかしいですよね。この話は「資本主義とはなんぞや」につながるのですが、19世紀から20世紀にかけて議論がありました。資本と労働は対等に出し合って事業をやっていたのに、いつの間にか資本の方だけが会社のメンバーとなったのはおかしい。これが社会主義の出発点とも言えます。

 そこで、ヨーロッパでは会社はあなた達のものと譲るが、労働者としての権利はあるよという考え方で妥協をしたのではないかと私は考えています。

ところで、知的財産権の問題で発明した労働者が特許を取得するようになっていますが、これを会社の帰属にしようという話が出ています。これは、労働者は労働生産物をなぜ取得できないのかという問題の応用問題です。これは民法上の問題でもあります。民法では生産物はその材料の所有者が取得します。材料を提供したのが資本家なら資本家のものです。しかし、民法には付加価値が大きい場合には工作者のものになるという規定があります。しかし、これは請負とか独立の事業を行っている場合です。労働者がどんなに付加価値がついたものを作っても労働者のものにはなりません。というのは、労働者は資本家の補助的手段に過ぎないという考え方からきています。ただ知的生産物だけは労働者のものになるという特例があるのです。

 

日本型は戦時体制にできた

 

 話を戻しますと、日本の仕組みがいつできたかということですが、私は戦時体制下だと考えています。戦時体制のもとで労働者を戦士として動員するため、労働市場や企業の労務管理に規制を加えました。この規制のもとになっているのが「企業の一員」という発想です。これが維持されメンバーシップ型のシステムになったと考えています。

 戦争直後の電力会社の賃金体系である電産型賃金体系が年功賃金のもとになりました。電産の初代書記長は佐々木良作さんで、後に民社党の書記長、委員長を努めました。佐々木さんは戦時中、日本電力の人事にいたのです。戦時中の資料を見ますと、賃金ではなくて給与と書かれています。企業は国家という家からみれば分家みたいなもので、事業主は天皇から経営を任され、そこで働く人やその家族は国家の一機関みたいな感覚が強かったようです。ですから賃金ではなくて給与だというわけです。こうした戦時中の賃金体系が戦後、電産型賃金体系につながったと思います。

労働側は口先では同一労働同一賃金と言いながら、実際には中高年の賃金が下がるので反対していると私には見えます。企業側や政府は、50年代、60年代には、「もっと欧米化しろ」「近代化しろ」と言っていました。日経連が1955年に出した「職務給の研究」には、同一労働同一賃金で職務給にしなければいけないと書かれています。

 先ほど申しましたように、政府が考え方を変えたのはオイルショック後と明確なのですが、経営側はよく分かりません。60年代半ばから70年代半ばにかけてだと思います。60年代末に出された有名な「能力主義管理」という報告書では、仕事ではなく企業のメンバーシップであることを前提に政策を考えています。

90年代以降は少しずつ変わってきています。当時「失業なき労働移動の促進」というフレーズがよく使われました。「労働移動支援助成金」も90年代からありました。この流れの象徴が95年に日経連が出した「新日本的経営」ではないでしょうか。正社員を「長期蓄積能力活用型」として維持し、別立てで「雇用柔軟型」と「高度専門能力活用型」があったのですが、「高度専門能力活用型」は普及しませんでした。理由は雇用柔軟型も「専門能力の活用」となっていたからです。普通の専門能力は雇用柔軟型で、高度なものが高度専門能力活用型となったのです。

この20年の雇用のあり方は、マクロ社会的な形できちんと提起してこなかったことが、議論を複雑にしていると考えています。

 

きしみが出てきた「日本型」

 

質問

ジョブ型が世界標準でメンバーシップ型は特殊日本型と理解しました。アベノミクスは雇用をジョブ型に変えていこうとしているのでしょうか。特に限定社員制度はジョブ型への転換になるのでしょうか。労働界の批判は強いようですが。

 

濱口

世界標準だから正しいとは言えません。そもそも歴史貫通的にいいか悪いかみたいなとらえ方はおかしいですね。この先20年後、30年後にまた世の中が変わって、やはりメンバーシップ型がいいとなるかもしれません。

 私が言いたいことは、メンバーシップ型でやってきたが、状況にあわなくなってきたので、いろいろな問題が起こっているということです。

 アベノミクスの話ですが、安倍首相の頭の中には、労働問題はほとんどないと思います。ジョブ型と言っていますが、中高年の役に立たない人を首にするのに、もっともらしく聞こえるから言っているだけです。本気でジョブ型にする気はないですね。

 限定社員ですが、連合は「解雇しやすい限定正社員に反対」と言っています。確かにその通りですが、コンセプトがけしからんと言うと、会社の言われるままにあっち行けこっち行けではないという、働く人達にとってより望ましい働き方を、労働組合が自らつぶすことになるのではないかと思っています。

 

質問

建設現場などは、たこ部屋同然のところがあります。こういうのはメンバーシップでもなんでもないのではないか。

 

濱口

ルール無視は世界中どこへ行ってもあると思います。ボスがいばって仕切っていたものを、どのようなルールを作るのかということだと思います。そのルールのひとつが欧米では仕事でのつながりで発展してきたし、日本は会社の一員という仕組みとなった。どちらも近代社会がつくった所産だと思います。

 

質問

企業内福祉制度、企業内年金制度もあったが、これらは企業によって切り捨てられていったのではないか。

 

濱口

19世紀から20世紀前半には欧米でも企業内福祉があり、それが徐々に外部化しました。これは企業を超えた形で組織されている労働組合が大きな役割を果たしたと思います。どの国も最初は企業内福祉という形だったようです。

 日本の場合、健康保険ができる前には各企業に共済組合がありました。ところが、共済組合でやっていた大手企業などは健康保険組合になり、中小企業は政府管掌健康保険(協会けんぽ)となりました。日本は企業別の健康保険組合が残ったのです。失業保険も当初は企業の退職金はいらないという話もありましたが、大企業ほど失業しないこともあり残りました。企業別の労働組合の影響で企業内的要素が残ったとも言えます。

 家族手当、児童手当ですが、戦前にできた給与の中の家族手当が膨らみました。ところが60年代に政府は欧米を見習い、児童手当をつくりました。71年に児童手当法が施行され、厚生省は「小さく産んで大きく育てる」、「第5の社会保険」と言ったのです。

ところが90年代に介護保険を作った時に、また「第5の社会保険」と言いだしました。企業が児童手当を出しているのに、なぜ国がよけいなものを出すんだという論調が強まり、つぶせないので残ったというのがその歴史です。

しかし、2000年代になり、ある政党が子ども手当を打ち出しました。すごいことを考えているなと思ったら、「ばらまきだ」と批判されて縮小させてしまいました。個々の制度とそれを支える雇用システムに議論をつなげていくことが必要だと思います。企業の家族手当をやめ公的な家族手当を拡充するという文脈で議論すべきだったと思います。

 

質問

日本は非正規雇用が増加し、若者の貧困化も進んでいると思いますが。

 

濱口

ヨーロッパでもイタリア、スペインなど非正規雇用の労働者が増えている国はあります。期間の定めのない雇用は解雇しにくいので、切りやすい非正規を増やしているのです。雇用を安定させなければという議論はありますが、なかなかむずかしいようです。それでもヨーロッパでは、仕事がなくなり整理解雇の際に労働組合、労働者代表と交渉するという仕組みはあります。また、有期で働いている人の多くは、一定の期間働くと無期に切り替えられます。

ジョブ型社会の最大の欠点は若者が就職しにくいことです。学校を卒業した若者はまだ仕事ができないので、企業は採用しません。そこで若者はまず有期雇用で働き、企業に認めてもらって採用されるのです。若者の非正規が多いのは意味があるわけで、非正規雇用率が高いからけしからんということにはなりません。

 日本の非正規雇用も数字だけでは語れないと思います。日本は何もできない人を入社させます。正規雇用になる回路は少ないので非正規雇用は固定化されてしまいます。そこでジョブカードを作りましたが、非正規での経歴などをジョブカードに書いてもなかなか採用してくれません。

 

質問

ブラック企業をどうとらえるのでしょうか。

 

濱口

ブラック企業については、今野晴貴氏が、日本型の雇用システムを取りながら、それがもたらす長期的なケアが欠落していると定式化しています。私も基本的に同じ考えです。ブラックな存在は多いのですが、昔からあるたこ部屋はブラック企業ではありません。日本的なまともな企業に見えて、そうでないのがブラック企業です。

よく「昔は何日も徹夜して仕事した」という人がいます。日本型企業は、そういうことがあっても、次は楽なところに回してくれるとか、定年までいればトータルでバランスがとれているようです。長時間労働やパワハラだけを現象としてとらえブラック企業と言うと、典型的な日本型企業と区別つかなくなってしまうと思います。大量に採用してパワハラして辞めさせていく、これがブラック企業です。

 

質問

企業別労働組合が日本型雇用に果たしている役割についてどのように評価しているのか。労働組合に未来はあると思いますか。

 

濱口

労働組合は非常に重要なポイントです。戦前の組織率のピークは昭和5、6年で6%程度です。労働組合は企業の外にありました。中小企業中心で大企業は空白地帯です。戦時中に産業報国会となり企業単位で福利厚生をやりました。大河内一男先生などは、戦後の企業別組合は、これがベースになっていると言っています。

そうなると組合も、企業単位で組合員の利益を最大化する方が、メリットがあると考えるのは当然です。終戦直後の組織率は53%まで上がりましたが、日本の圧倒的な労働者は、その時初めて労働組合を体験したわけです。それ以降は一本調子で減り、今や17%程度です。

 

質問

女性労働者についてですが、日本型雇用の恩恵を受けなかったと思います。女性の半分は非正規雇用です。

濱口

 日本型雇用システムは、学卒から定年退職までですが、それは男性社員と言うカテゴリーで、女性社員は結婚退職までです。残ればいかに追い出すかということになります。裁判になったケースで、会社側の主張を読むと、結婚後の女性はなぜ置けないかが率直に書かれています。仕事は補助的なもので、いわば非正規の一種だったわけですね。それが均等法以降、総合職、一般職というラベルを貼り、かつ言い訳できるように総合職に女性を数人入れたりしたわけです。

 均等法以降も女性の活躍といいながら基本のところの認識はあまり変わっていないのではないかという気がします。

 

企業内労組は変わらない

 

質問

労働市場の流動化ですが、EUはセーフティーネットが充実しているので転職しやすいのでは。

 

濱口

労働力の流動化のセーフティーネットは、日本とヨーロッパでそう変わりません。並んでいるアイテムはほとんど変わらないのです。たとえば日本はリーマン・ショックの後、雇用保険と生活保護の間に穴が空いているので、第2のセーフティーネットとして求職支援法を作りました。私は穴は空いていなかったと思っています。生活保護法には稼働年齢層に支給できないとはどこにも書いてありません。単純に運用の話だと思います。

また、自公政権の末期から民主党政権にかけて雇用保険法の改正が行われ、雇用期間が1年未満の非正規の人達が入れないので、6か月未満にして対象を拡大しました。しかし、雇用保険法の条文には1年未満はダメという規定はありません。これは1950年に出された「支給要領」に書かれています。家計補助的な婦女子、学生アルバイトは労働者とはいえないので、対象としないと書かれています。雇用期間1年未満でも臨時工は入っていました。排除していないのです。穴はなかったのです。

同じことが職業訓練にも言えます。職業訓練校を作って企業の外で職業訓練して就職させるという法体系を確立しました。1960年代までは、訓練校がメーンでした。企業内訓練は、認定職業訓練といって本来の職業訓練と同じことを行い、受かった人は技能士の資格が与えられました。

それが78年に職業訓練法(その後、職業能力開発促進法に改称)が改正され、企業に対して助成金を出し、企業内訓練が主軸になります。それ以降、職業訓練校に対する世間の目は、落ちこぼれの行くところとなりました。優秀な生徒は普通科に行き、どこにもいけない生徒が訓練校に行くと言われました。制度は何も変わらないのに、社会の変化で違う位置づけになってしまったのです。

ところが90年代になると、民間の専修学校などの活用によって、形の上では企業外の職業訓練が増えたのですが、問題は社会の中にどのように位置づけられているかということだと思います。

求職者支援法でもお金を出すのだけれども、お金をもらうために訓練を受けるという位置づけになってしまいました。訓練を受けなければ就職ができないという社会でないところに形だけ作ったので、お金をもらうために訓練を受けるみたいになってしまったわけです。

 

質問

日本型雇用というと終身雇用、年功序列賃金、企業内組合がありますが、未来はありますか。

 

濱口

未来はあるとは思えないですね。年功制は変えざるを得ないでしょう。それをどう着地させるかが見えないから悩んでいるのだと思います。年功原理は維持できないが次の原理がない。年功制というのはある年齢以上は変なことをしないというセーフティーネット的な機能もあります。そこを分かってこの話をしているのかどうかが気になるところです。

 終身雇用は変な言葉ですね。勤続年数で言えば日本もドイツもそう変わりません。「過度な維持型から労働移動促進型」へというけれど、労働移動することがいいことかと言えば、仕事がありやっていければその方がいいわけです。成長戦略として民間の人材ビジネスを活性化させるというのであれば、それなりの意味がありますが、産業構造が変わる中で人を動かした方がいい時に、無理やり残すのはいかがかなと思います。企業別組合についてですが、おもしろいのは60年代にあれだけ年功制、終身雇用をやめろという提言が出たのですが、企業別組合をやめろとは一度も言われたことがないことです。

 

 

2014年12月26日 (金)

今年の人気エントリベスト15プラス1

御用納めも終わったところで、恒例の本ブログ今年1年の人気エントリベスト15を発表します。

まず今年のぶっちぎり第1位はこれでした。単なるブラック企業などという言葉ではとうてい形容しがたい異様さの根源をその思想遍歴から探る一編。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-7448.html(すき家の独裁者が目指した世界革命)36,620PV

山のような記事が溢れていますが、こういうときだからこそ、こういう事態をもたらした思想的根源をきちんと考えておくことが必要なはずです。

本ブログで、過去何回かこの会社の経営者を取り上げたエントリを再掲して、その素材としたいと思います。少なくとも、ただの悪辣な資本家とか、労働者を搾取する蟹工船だとかいうような単純な話ではなく、もう少し根が深い問題が潜んでいることが窺われるはずです。

・・・世界革命を目指す独裁者!

世界革命がなった暁には、お前たちにも民主主義が与えられるであろう。

だが、革命戦争のまっただ中の今、民主主義を求めるような反革命分子は粛清されなければならない!

まさしく、全共闘の闘う魂は脈々と息づいていたのですね。

そして、歴史は何と無慈悲に繰り返すことでしょうか。

一度目は悲劇として、二度目は・・・、すき家の外部の者にとっては喜劇として、しかし内部の者にとっては再度の悲劇として。

第2位はこれ。ネット界を駆け巡った例の「L型大学」騒ぎの火付け役になったエントリです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-e593.html(実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議)16,286PV

ここに提出されている冨山和彦さんの資料が大変刺激的で、事務局提出の歯に衣着せた表現をぶちかますような生々しい台詞が満ちています。・・・

・・・と、ある種の大学関係者が一番聞きたくなかったであろう本質を突いた言葉がこれでもかこれでもかと突っ込まれていきます。

そして特にこれは、多くの大学人を逆上させるに十分な台詞ですな。・・・

第3位は意外にもこれでした。すき家話のコロラリーですが、やりがい搾取系ブラック企業の一般論でもあります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-2414.html(営利企業のくせに共産党みたいなノリで働かせるからブラックなの)16,262PV

どうも、基本的なところがよくわかっていないまま筋道がひっくり返った議論が展開されている悪寒・・・。

第4位は送っていただいた本の紹介ですが、あまりにもあまりな内容に、結構話題になりました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/post-62be.html(小林リズム『どこにでもいる普通の女子大生が新卒入社した会社で地獄を見てたった8日で辞めた話』)13,695PV

「男はなぁ、精子をばらまきたいと思っとる。ワシはお前らを片っ端からやり捨てしたいんや」

代表はそう言って、おしぼりを机に押しつけ、講義を締めくくった。

第5位は、読売新聞のサイトに載ったあるマンガの紹介ですが、あまりにも見事にジョブ型とメンバーシップ型を説明しています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-2cb0.html(よくわかるジョブ型とメンバーシップ型)12,728PV

第6位は例の駒崎さんの発言をめぐる騒ぎからぽっと出たエントリで、前からわりとよく言っていることですが、コメント欄で結構長く「論争」が続きました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-7e36.html(「ワシの年金」バカが福祉を殺す)11,600PV

・・・いや、駒崎さんをクローニー呼ばわりする下司下郎は、まさに税金を原資にするしかない福祉を目の敵にしているわけですが、そういうのをおいといて、マスコミや政治家といった「世間」感覚の人々の場合、福祉といえばまずなにより年金という素朴な感覚と、しかし年金の金はワシが若い頃払った金じゃという私保険感覚が、(本来矛盾するはずなのに)頭の中でべたりとくっついて、増税は我々の福祉のためという北欧諸国ではごく当たり前の感覚が広まるのを阻害しているように思われます。

第7位は、労働者側社労士の篠塚さんのブログに書き込まれたあるコメントへの軽いコメントですが、なぜかよくわかっていない(のにわかっていると思っているらしき)人がこれまた延々とコメントし続けるという仕儀と相成りました。読み返すとなんともはや・・・ですが。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-6a3e.html(労基法違反はとっくに刑事事件である件について)10,117PV

問題は、一国の政策立案の中枢で提示されているハイレベルの文書、日本の労働法政策の行く末を左右しかねないハイレベルの政策文書の中において、どうもこういう最も基本的な理路がきちんと理解されていないのではないかと思われるふしがあるからです。

労働基準法で明確に刑事罰が規定されている違法行為であるがゆえに、労働基準監督官はそれを摘発できるのであり、どんなに世の中的にけしからんことであっても、労働基準法上違法でないことを摘発することはできないという、労働法を論ずるのであればイロハのイとしてわきまえておかねばならないことが、どうもきちんと理解されないままに書かれているのはないかとおぼしきふしがあるからです。

第8位は第2位の炎上エントリのフォロー記事です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/l-9948.html(L型大学のモデル)8,318PV

冨山さんのプレゼンの変なところが増幅されて伝わっていることもあってか、批判的な意見が多数を占めて、池田信夫氏のような逆張り論者が褒めちぎるというあまりよろしくない状況に陥っているようです。

第9位は、マスコミ批判。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/post-e622.html(残業代ゼロ糾弾路線の復活?)7,669PV

ですから、これはもう、労働時間問題は働き過ぎでも過労死でもなく、ひたすら残業代ゼロという銭金路線で行くと決めたということでしょうか

第10位は、平家さんのブログエントリの紹介です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-a299.html(人手不足の状態を保つことこそ人手不足対策)7,321PV

以下15位まで並べますと、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-385d.html(人手不足と採用難の悪循環)6,917PV

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-d971.html(日弁連会長声明のどうしようもなさ)6,802PV

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-705c.html(何でもパワハラと言えばいいわけじゃない)5,729PV

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-f7de.html(理念に共鳴して、逆に労をいとわず働いたからけしからんと・・・そこに悔しい思いがある)5,507PV

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-f8da.html(過ちをすぐに反省できる飯田泰之氏の立派さ)5,348PV

と、ここまではすべて当然のことながら今年、すなわち2014年に書かれたエントリなんですが、その次の第16位には、なんとなんと本ブログで過去7年間、ずっと読み継がれてきた古典的エントリが顔を出しています。もちろん、いわずとしれた:

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/3_a7ad.html(池田信夫氏の3法則)4,507PV

渡辺輝人『ワタミの初任給はなぜ日銀より高いのか?』

139342渡辺輝人さんの『ワタミの初任給はなぜ日銀より高いのか?』(旬報社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

オビで今野晴貴さんが推薦してますな。

http://www.junposha.com/catalog/product_info.php/products_id/963?osCsid=7p959bt693n16v1s3jh1pbmv45

著者が「はじめに」でこの本の趣旨をこう説明しています。

 この本の目的は、まず、日々アルバイトに従事し、または就職活動中の学生さんや求職中の人、そして現に労働者として働いている人たちに対して、残業代の法律的な意味、社会的な役割、現在の状況をなるべく平易に説明することにあります。そういう意味で、本書は一般向け法律書です。
 そのうえで、これらの人たちが、企業の求人広告や毎年発行される『会社四季報』(東洋経済新報社)に記載されたデータ、自分の会社の就業規則や給与明細などを元に、残業代を軸として、その企業の労働条件を分析する方法を説明することも本書の目的です。わが国の企業では月給制が広く採用されていますが、月給制の残業代の計算方法は非常に複雑です。しかし、求人広告や『会社四季報』に掲載されたデータを使用すると、かなりの程度、残業代に関する分析が可能です。それはその企業の労働時間や労働日数などの他の労働条件を知ることにもなります。また、ブラック企業は、法律を悪用・脱法する場合が多いので、法律的な分析を通して、その企業がブラック企業かどうかも一定、判断することができます。本書を読めば、ワタミの新卒賃金のカラクリも理解できるでしょう。そういう意味では、本書は労働者の立場からの企業分析の本であり、一種のブラック企業対策本でもあります。
 そして、最後に、本書は、労働者が自分の身を守り、残業代を請求するための方法を解説することも目的としています。そういう意味で、この本は労働者が権利行使をするための実践本でもあります。
 したがって、この本の性格を一言で表すなら「残業代を軸に会社と社会を分析し、権利行使するための本」ということになります。

最後の「第7章 未払い残業代の請求」で、弁護士への相談を勧め、司法書士やとりわけ社会保険労務士の利用に否定的な記述をしている点については、人によってはいろいろと意見のあるところかもしれません。


『戦後労働史研究『新時代の「日本的経営」』オーラルヒストリー雇用多様化論の起源』

075『戦後労働史研究『新時代の「日本的経営」』オーラルヒストリー雇用多様化論の起源』(慶應義塾大学出版会)をお送り頂きました。ありがとうございます。

http://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766421941/

なんだか、カギ括弧がやたらに多いですが、タイトルの中にカギ括弧と二重カギ括弧が既に使われてしまっているので、そのタイトル自体をもひとつ外側の二重カギ括弧でくくって、これがタイトルですよと示さなければならないというなかなか複雑怪奇なことになっています。

編者は、八代充史、牛島利明、南雲智映、梅崎修、島西智輝という労働オーラルヒストリーではおなじみの方々です。

「雇用ポートフォリオ」はなぜ生まれたのか?
雇用流動化の契機とされてきた日経連報告書『新時代の「日本的経営」』刊行に至る証言をまとめたオーラルヒストリー。1990年代、グローバル化に伴い経営環境が激変する中で、日本企業はいかに生まれ変わろうとしたか。
1995年に日経連が刊行した報告書『新時代の「日本的経営」』について当事者が語る初めての単行本。報告書作成に携わった5名と、被雇用者側である連合関係者1名の計6名を対象としたオーラルヒストリー研究。
報告書は、雇用形態の流動化を肯定し、これを促進した契機と位置づけられて批判の対象となってきたが、インタビューからは、報告書作成側の意図、反響への対処などを通して、当時の社会で何が議論されたかだけでなく、何が議論されず日本の雇用政策において積み残された課題となったかがあぶり出される。報告書発表から20年を迎えるにあたり、注目すべき1冊である。

あれ?これって確か前にも見たぞ、とお思いの方、ピンポン、そう、これは昨年出た報告書の書籍版です。報告書をお送り頂いた時に、本ブログで取り上げていましたので、再録。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-82fe.html(オーラルヒストリー「新時代の日本的経営」)

思えば「新日プロ」(「新日本プロレス」じゃなくて「新時代の日本的経営プロジェクト」)発足から20年。ついこの間のようでありながら、少しずつ歴史の領域になりつつある時代ですね。

知っておきたいEU労働指令の基礎知識@『ひろばユニオン』2015年1月号

Hiroba労働者学習センター発行の『ひろばユニオン』2015年1月号に、「知っておきたいEU労働指令の基礎知識」を寄稿しました。これは、「解説・EU労働指令」という特集の総論編で、私の解説以外には、こういう方々のこういう論文が載っています。

濱口桂一郎 知っておきたいEU労働指令の基礎知識

小川英郎 労働時間規制 日欧の彼我

長谷川聡 パート労働 有期雇用 非差別・均等待遇の原則

中野聡 派遣労働 労働者保護と柔軟性と

http://homepage3.nifty.com/hamachan/hirobaunion1501.html

2014年12月25日 (木)

違法労働@『JIL雑誌』2015年1月号

New『日本労働研究雑誌』2015年1月号は「違法労働」が特集です。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/new/index.htm

「違法労働」というのは、世間で「ブラック企業」と言われている現象を指しているようです。水町勇一郎さんが書いている「解題」から:

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2015/01/pdf/002-003.pdf

 「ブラック企業」の存在が社会的に問題となっている。労働法規や労働契約上の義務など法を遵守しないで働かせる「違法労働」や,労働環境が劣悪で離職率が高いといった特徴がみられる「ブラック企業」が横行することは,労働者保護はもちろん,公正な企業競争を阻害し経済や社会の発展を損なうという問題にもつながる。・・・・・・・しかし,この問題の学術的な研究は必ずしも十分にはなされていない。日本の違法労働はどのような歴史的経緯で今日に至っているのか。その原因構造はどのようなものか。国際的にみて日本の違法労働やその監視制度はどのような特徴をもっているのか。違法労働問題に対し現行法はどのように対応し,今後,労働政策としてどのような対応が考えられるのか。本特集は,違法労働問題について学術的な分析・考察を深め,日本における違法労働問題の構造と課題を明らかにしようとするものである。

特集記事は次の通りです。

労働形態と法規制 野川忍(明治大学法科大学院法務研究科教授)

法を守る動機と破る動機─規制と違法のいたちごっこに関する試論 飯田高(成蹊大学法学部教授)

違法労働の発生要因と従業員の主観的ブラック企業認識─職場の特性やHRMに着目して 小林徹(JILPT臨時研究協力員)

「違法労働」の国際比較 小倉一哉(早稲田大学商学部准教授)

「違法労働」監視制度の国際動向 鈴木俊晴(大東文化大学環境創造学部非常勤講師)

違法労働に関する法的対応─規範・主体・手法の概要と課題 坂井岳夫(同志社大学法学部准教授)

「違法労働」と労働政策 山川隆一(東京大学大学院法学政治学研究科教授)

どれも読み応えのある論文です。

あと、今号の話題は、金子良事さんの『日本の賃金を歴史から考えるを』を、大変な人が書評していることです。

大変な人?ええ、金子さんが前に大原雑誌で書評した人です。

アンドルー・ゴードン。そう、『日本労使関係史』のあのゴードンさんが、金子さんの処女作を書評しています。

本書は、日本における賃金の歴史の様々な局面について、思索に満ちた考察を展開している。・・・・・・・比較の視点を持って日本の歴史を相対化するこの試みは、大いに歓迎されるものである。

と、評価する言葉から始めて、

・・・本書には賞賛すべきところがたくさんあるが、疑問に思う見解もある。・・・

と、同じ専門分野の大先輩として厳しい言葉も投げかけています。

最後のこの一節は、本書の書評の形を借りて、労働の歴史をまともに語ることがほとんど絶え果てた現代日本の知的状況をやんわりと皮肉っているようにも思われました。

・・・更に本書は、労働組合のリーダー、組合員、そして企業の人事・労務管理担当者にとって非常に有用な資料であるだけでなく、労働や労務管理の歴史に関する講座の教科書として役立つであろう(そのような講座が日本で-又はどこか他で-継続して広くもたれているかどうかは別問題である)。評者はこれらのグループすべての方々に本書を推奨した。

(参考)

金子さんによるゴードン名著の書評はこちら:

http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/650/650-07.pdf

ついでに、それに対するわたくしのコメント:

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-c4a4.html


改正労働契約法への対応を考える――JILPT 労働政策フォーラムin 大阪から@『BLT』2015年1月号

201501『ビジネス・レーバー・トレンド』2015年1月号が刊行されました。

http://www.jil.go.jp/kokunai/blt/index.html

特集は「正規雇用化への新たな動向――始まる「第2ラウンド」」です。

この中に、去る11月20日に大阪で開かれた労働政策フォーラムのパネルディスカッションの模様が載っています。

パネリスト
北本 修二北本法律事務所弁護士/連合大阪法曹団代表幹事
上原 康夫井上・上原法律事務所弁護士/連合大阪法曹団事務局長
松下 守男松下法律事務所弁護士/経営法曹会議常任幹事
竹林 竜太郎竹林・畑・中川・福島法律事務所弁護士
濱口 桂一郎労働政策研究・研修機構主席統括研究員
コーディネーター
菅野 和夫労働政策研究・研修機構理事長

ここでは、わたくしの発言部分だけをアップしておきます。大阪の労使双方側の弁護士の方々の発言については、ぜひ本誌をお読みください。

Osaka


法改正の意義をどう理解し評価するか

濱口 私は、社会的あるいは政策的な観点からお話します。今回の改正の柱は第一八条と第二〇条の大きく二つあるわけですが、実はどちらもヨーロッパ型の有期法制をそのまま導入したものと言えます。そのままというのは日本風でないという意味です。本来、有期の反対語は無期のはずですが、日本の非正規法制は決してそうしてきませんでした。例えば、パートタイム労働法です。パートタイムの反対語はフルタイムのはずですが、「通常の労働者」という概念との間で差別禁止だの、均衡処遇だのと言ってきた。外国人に説明する際は、この「通常の労働者」の定義に大変汗をかくことになります。
また、細かいことは申し上げませんが労働者派遣法にも常用代替防止という特殊な概念が設けられています。いずれも欧州とは一味も二味も異なる、特殊な非正規法制となってきたのです。
 しかし、改正労働契約法における有期契約の規定は、まさにヨーロッパ型法制そのものであり、それこそがいろいろな議論をもたらしている大きな原因になってきたのではないかと思うのです。つまり、何で五年経ったからと言って無理矢理、正社員にしなければならないのかと文句を言われる。いや、正社員にしろとはどこにも書いてありませんと言っても、無期契約になるのだからつまりは正社員だろうという思い込みが強い。パートタイム労働法や労働者派遣法も含めた今までの非正規労働法における物の考え方が、日本的な正社員とそれ以外という形でやってきたわけですが、そこへヨーロッパ型の有期と無期の図式をスポンと入れてしまった、そのためにいろいろな摩擦が起こっているというのが、この一~二年で生じていることだろうと考えています。

企業(労使)の対応にはどのような困難を伴うか

濱口 第二〇条に関連して問題になってくると思うのですが、これまでの日本的な正社員のあり方をどう見直していくかということと、密接不可分の話になると思っています。そうすると第二〇条だけの話には収まらず、第一〇条(就業規則による労働条件変更)に飛び火する可能性もある。そこで労働組合との交渉状況等が問われてくる、そこまでの射程がある話だろうと考えています。

転換後の労働条件はどうなるのか?

濱口 法律論としては恐らく、別段の定めがない限りは元通りと書いてあるのだから、それに尽きると思います。ただ、元の状態が果たして合理的だったかどうかは、第二〇条とかかわる話ではないでしょうか。第二〇条を裁判規範として考えると、そんなに軽々しいものではありません。一方で行為規範として考えるとき、有期契約労働者のこれまでの労働条件が不合理と認められるほどのものであったかどうかはともかく、ピカピカに合理的だったかという話と実はつながってくるのかも知れない。つまり、有期契約労働者にもいろいろあるわけで、仕事も補助的で責任もない、昔ながらのパート・アルバイトみたいな方もいれば、まさに九〇年代以降、正社員がやってきたことを代替する形でやってこられた方もいる。その方々を無期転換するとき、従前から無期で働いている人との比較で仕事の中身が中核的かどうか、それにふさわしい合理性はこうだろうという形で、裁判規範というよりむしろ職場で新たな労働条件を作っていく観点から、労使で議論する話ではないかと思っています。

無期転換申込権の不行使合意や、更新上限条項は有効か

濱口 私は、要するに今回改正された労働契約法はヨーロッパ型であり、反復更新して五年を超えるようなら、幾らなんでも濫用でしょうという話だと考えています。だとしたら、濫用だけれども文句は言わないでね、というのはやはり変だろうなと。ここでちょっと考えていただきたいのは、特定の期間だけ労働者を使いたいのなら反復更新などという姑息なことをせず、初めから五年や七年の一括契約で雇い入れれば済むのではないかという議論が、ゼロベースで考えれば当然、出てくるはずだということです。そうすると、恐らく労働基準法・第一四条(契約期間等の定めのあり方)との関係でも議論しなければならなかったはずが、これまではあんまりしないまま来てしまった。とくに一一年前の労働基準法改正の折りに附則第一三七条ができてしまい、しかも暫定的だったはずがもう一〇年以上そのままになっているということについて、法政策的にはもう少し議論があっても良いのではないかと思います。

雇止めの有効性は依然、不透明なのか

濱口 無期契約労働者の場合、単に解雇と言わずに整理解雇や能力不足解雇、あるいは非違行為などと分けて議論するのですが、有期契約労働者は全部まとめて雇止めと言ってきました。この点、本当はもう少し慎重に議論しなければならないのではないかと感じています。例えば、この人はちょっと出来が悪いという場合。正社員であれば他の部署に回してふさわしい仕事を探すけれど、有期契約労働者はこの仕事に対して雇ったのだから、これがダメなら仕方がないという話になるのかならないのか。斡旋や労働審判の事例を見ると、言うことを聞かないから雇止めだというケースも結構ありますので、有期契約労働者の雇止めについてももう少し腑分けした形で議論が進んでいけば良いなと思っています。

第二〇条はどのような法的効力を持つか

濱口 第二〇条は冒頭で申し上げた通り、まさにヨーロッパ型の法制そのものです。欧州では別にレギュラーだろうとノンレギュラーだろうと、基本的な賃金決定システムに違いがあるわけではありません。それを日本の場合は二〇年間、パートタイム労働法で均衡処遇などと言って、そもそも物差しがまったく異なって比べられないものをどうするかみたいな話をずっとしてきた。そうした中で第二〇条のような形にしたということは、物差しが違うからそもそも話にもなりませんよ、とはもう言えない状況にしてしまったのだろうと思います。とはいえ、物差しの中にはいろいろなものが入れられています。業務の内容だけでなく責任の程度、配置の変更の範囲やその他の事情など。物差しが違うから比べられませんとはもう言えないが、これまでは物差し自体が違っていたのだからそう簡単にはいきません。だから、不合理と認められるものであってはならないという何か持って回ったような言い方になっているのでしょう。そのために裁判規範として直接的に使うのは若干難しいというのが、多分正直なところだろうと思います。
 ただ、先ほど来申し上げていますように、これをむしろ行為規範と言いますか、今までの正社員の賃金システムそのもの――日本の企業で典型的だった職能資格制度などを、非正規あるいは無期転換した方々と共通の枠組みの中に入れていこうということが、法律の射程に入っているのだろうという感じがしています。これから現場で労使が話し合い、それをどう作っていくかという話ですので、今すぐ何が正義かという話に使おうとすると摩擦も起こると思うのですが、やはりそうしたものを今後は作っていかなければならないという課題を、広く労使に課した規定であると捉える必要があるのではないでしょうか。

企画競争(労働法制普及のための分かりやすいハンドブック企画編集作成業務)

厚生労働省のサイトに企画競争(労働法制普及のための分かりやすいハンドブック企画編集作成業務)の公示が載っています。

http://www.mhlw.go.jp/sinsei/chotatu/chotatu/kikaku/2014/12/kk1225-02.html

情報提供まで

岩出誠『平成26年改正労働法の企業対応』

9784502129315_240岩出誠さんの『平成26年改正労働法の企業対応 ―有期特例法、改正パート労働法、改正安衛法等の実務留意点』(中央経済社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.biz-book.jp/books/detail/978-4-502-12931-5

平成26年中に成立した改正労働法と新法(有期特例法、パート労働法、安衛法等)について、企業の実際的な対応策を実務の第一人者が解説。ストレス検査等の新制度も詳解。

正確に言うと、平成26年の成立・改正法を全部詰め込んだ本にするはずだったのですが、残念ながら派遣法改正案は再び廃案になってしまったので、「改正するはずだった労働法」の解説も含まれています。というか、全体の4分の1以上、項目としては最大の分量が派遣法改正案に割かれていますので、多分最終段階で「をいをい、またも廃案か」とつぶやきながら「案」のままの原稿で印刷に付されたのであろうと想像されます。

目次は次の通りです。実に幅広く今年の労働法の動きをフォローされていることがわかると思います。

目次

 はじめに

第1編 専門的知識等を有する有期雇用労働者等に関する特別措置法(有期特例法):成立
 第1章 特別措置法提案の経緯
  第1節 労政審・労働条件分科会有期雇用特別部会と職業安定分科会高年齢者有期雇用特別部会報告
   1.検討の趣旨
   2.無期転換特例措置報告・建議のポイント ……ほか
  第2節 労政審からの建議と法案要綱の策定と国会への上程
   1.無期転換特例措置報告から法案要綱の策定と法の概要と施行日
   2.専門的知識等を有する有期雇用労働者等に関する特別措置法の施行日

 第2章 専門的知識等を有する有期雇用労働者等に関する特別措置法の内容と実務的留意点
  1.目 的
  2.特例の対象となる労働者 ……ほか

第2編 パート労働法(短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律)の一部を改正する法律:成立
 第1章 パート労働法の改正経緯
  第1節 改正経緯
   1.厚労省平成23年9月「今後のパートタイム労働対策に関する研究会報告書」
   2.労働政策審議会雇用均等分科会建議 ……ほか

 第2章 パート労働法の改正内容と実務留意点
  第1節 改正概要
   1.改正概要の図解
   2.国会での附帯決議 ……ほか
  第2節 実務的課題への企業対応上の実務的留意点
   1.パート労働者の待遇の原則
   2.通常の労働者と同視すべきパート労働者に対する差別的取扱いの禁止 ……ほか

第3編 労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律等の一部を改正する法律案
 第1章 改正案上程の経緯
  第1節 平成25年8月20日「今後の労働者派遣制度の在り方に関する研究会 報告書」
  第2節 平成26年1月29日労働政策審議会建議「労働者派遣制度の改正について」
  第3節 26年建議と平成26年改正法案の相違

 第2章 改正内容の概要
  第1節 改正目的
  第2節 改正法案の概要
  第3節 平成26年改正派遣法案の廃案と今後の予想

 第3章 特定労働者派遣事業の廃止
  第1節 改正経緯―建議内容
  第2節 改正案の内容
   1.特定労働者派遣事業の廃止
   2.労働者派遣事業の許可の基準 ……ほか
  第3節 実務的留意点

 第4章 労働者派遣の期間
  第1節 無期雇用派遣労働者には派遣期間の制限を廃止
  第2節 26専門業務か否かという区分での期間制限の廃止
  第3節 個人単位の期間制限
   1.個人単位の3年の期間制限
   2.組織単位ごとの業務 ……ほか
  第4節 派遣先における期間制限―過半数代表者等の意見聴取による延長
   1.原則的規制
   2.派遣先における期間制限・過半数代表者等の意見聴取による延長における実務的留意点
  第5節 派遣期間制限による派遣終了への派遣元による雇用確保等の実効性確保措置―派遣労働者に対する雇用安定措置・均衡処遇の推進等
   1.特定有期雇用派遣労働者等への雇用確保等の努力義務等
   2.派遣期間制限による派遣終了への雇用確保等の実効性確保措置 ……ほか
  第6節 派遣期間の制限と派遣労働者の希望を踏まえた直接雇用の促進関係等の派遣労働者の処遇
   1.従前の雇入れ申込み義務の廃止又は努力義務化
   2.特定有期雇用派遣労働者への雇入れ申込み努力義務……ほか
  第7節 労働契約申込みみなし制度の対象範囲の変更
   1.改正点の概要
   2.実務上の留意点
  第8節 施行日と経過措置
  第9節 その他の実務的留意点

第4編 安衛法改正,過労死等防止対策推進法:成立
 第1章 労働安全衛生法の一部を改正する法律(成立)
  第1節 改正への経緯
  第2節 改正の概要
   1.改正のポイント
   2.改正全体像の図解 ……ほか
  第3節 ストレス検査関係の留意点
   1.制度の内容
   2.実務上の留意点

 第2章 過労死等防止対策推進法
  第1節 議員立法の動きとマスコミ等の関心の高さと背景
   1.提案経緯と成立
   2.改正の経緯
  第2節 防止推進法の概要
   1.防止推進法の概要の図解
   2.防止推進法の概要 ……ほか
  第3節 実務的留意点

第5編 その他の法令等改正
 第1章 雇用保険法の一部を改正する法律(平成26年1月31日提出・成立)
  第1節 改正の経緯
  第2節 改正法の概要
  第3節 実務的留意点
   1.育児休業給付の充実

 第2章 均等法関係省令・指針の改正
  第1節 雇用均等分科会「今後の男女雇用機会均等対策について
       (報告)」
  第2節 省令等の概要と実務的留意点
   1.配置等における性別理由の差別の禁止
   2.間接差別関係の省令改正等
   3.コース別雇用管理 ……ほか

 第3章 行政不服審査法改正に伴う審査請求手続きの改正
  第1節 改正の概要
  第2節 改正の図解
  第3節 留意点
   1.現行法のもとでの労災行訴までの事業主の参加不能
   2.改正法施行後の事業主の利害関係人としての参加の利用

 第4章 国家戦略特別区域法に基づく「雇用指針」
  第1節 経 緯
  第2節 概 要
  第3節 実務的留意点
   1.内容の有益性
   2.整理解雇への雇用指針 ……ほか

第6編 今後の検討課題
 第1章 労基法の労働時間規制の改正検討開始
  第1節 時間外労働に対する特別割増賃金の適用猶予
  第2節 企画業務型裁量労働制及びフレックスタイム制の見直し 
  第3節 ホワイトカラー・エグゼンプション検討再開の経緯
  第4節 アベノミクスによるWE導入議論の本格的再開
   1.厚労省労政審議会労働条件分科会での審議の開始
  第5節 平成27年WE案の創設をめぐる問題点
   1.平成27年WE案の骨子と平成19年WE案との異同
   2.平成19年WE案をめぐる議論再検証の意義 ……ほか
  第6節 実務的影響

 第2章 多様な正社員に係る「雇用管理上の留意事項」等について
  第1節 概 要
  第2節 実務的留意点
   1.注目すべき判例法理の整理分析
   2.多様な正社員雇用管理留意事項

健康確保策義務付けで合意 労働時間規制の除外で分科会@日経

本日の日経新聞経済面に、「健康確保策義務付けで合意 労働時間規制の除外で分科会」という記事が載っています。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS24H4I_U4A221C1EE8000/

 厚生労働省は24日、労働政策審議会の分科会を開いた。時間ではなく成果に対して賃金を払うホワイトカラー・エグゼンプション(労働時間規制の除外)の適用条件を議論。労働者に一定の休日を取らせるといった健康維持策の義務付けで労使代表が大筋で合意した。時間にとらわれない働き方で生産性を高める一方、働き過ぎで健康を損なわないようにする。

 企業は新制度の対象とする労働者に対して、労働時間や在社時間を把握する義務を負う。残業代や深夜手当を払う必要はないが、長時間労働が疑われるときは産業医の面接を受けさせる。加えて、(1)一定日数の休日取得、(2)労働時間の上限、(3)終業から翌日の始業までの勤務間に一定時間の休息確保――といった措置のいずれかを企業に義務付ける方向だ。

 残る焦点は対象者の年収や職種だ。経営者側はなるべく対象を広げたい一方で、働き過ぎを招くと批判する労働者側はなるべく絞り込もうとしている。厚労省は来年の1月中に制度設計を詰めて、通常国会に労働基準法の改正案を出す方針だ。

昨日の労働条件分科会については、提出された資料はアップされていますが、

http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi2/0000069731.html

どういう議論があったのかは、新聞記事で知るよりほかないので、とりあえず日経記者の目を通した記事として頭にとどめておきたいと思います。本当に労使が合意したのかどうかは、労使の方々に聞かないと分かりませんが。

ここで示されている(1)休日(2)労働時間上限(3)インターバル規制のいずれかの選択制というアイディアは、誰が思いついたのか分かりませんが、EUの有期労働指令における濫用防止措置の発想と似ている面がありますね。こちらは、有期契約の反復更新について(1)正当な理由、(2)更新回数(3)上限期間の選択制としていて、利害が対立輻輳している時の妥協のやり方としては洋の東西を問わないのかもしれません。

最後の「厚労省は来年の1月中に制度設計を詰めて、通常国会に労働基準法の改正案を出す方針だ」というのは、実はその今朝の日経の1面の下の広告欄にも出ています。『労働基準広報』という雑誌の新春対談で、「労働時間法制の見直しに関し年初頭にも建議とりまとめを」といっているので、そういうことなのでしょう。

2014年12月24日 (水)

東大法学部、コース再編

東大新聞に「東大法学部、コース再編」という記事が載っています。

Hougakubu

新第2類は、法曹など具体的な進路を想定したコースとなる。法科大学院で法学既修者が必要になる科目を必修科目として維持しつつ、選択必修科目を基礎法学科目全体に拡大してバランスの良い学修を目指す。

なるほど、法律プロフェッションコースというのはつまり、ロースクールの予科ってことですな。

新第1類は、広い視野を持ち自主的に法学を学修できるよう、基礎法学系科目・政治系科目・経済系科目を選択必修科目とする。また、履修科目選択の指標として「国際取引法務プログラム」と「公共法務プログラム」を設け、全て履修した学生には学位記と別に修了証を授与するという。

ふむ、こっちは公共政策大学院に行くっぽい、と。

政治家になるわけでもない(というわけでも実は必ずしもないのだけれど)政治コースは、世俗の動きを横目に、法学部内文学部の孤高の道をひとり歩み続ける、と。

2014年12月22日 (月)

すき家流究極のOJT?@『POSSE』25号

Hyoshi25『POSSE』25号をお送りいただきました。今号からまた表紙の雰囲気ががらりと変わってますね。

http://www.npoposse.jp/magazine/no25.html

特集は「ブラック企業はなぜ野放しなのか」です。

「ブラックバイト調査」集計結果(速報値)発表の記者会見 大内裕和×上西充子×今野晴貴

 「労基法はなぜ守られないか」 森崎巌(元労働基準監督官)×渡辺輝人(弁護士)×現役監督官

 「過労死訴訟が明らかにした、ワタミの労働実態と労基署の限界」 須田光照(全国一般東京東部労働組合書記長)×坂倉昇平(本誌編集長)

 「広がる「固定残業代」の違法な運用―ハローワーク求人票調査から見えてきたその実態」 川村遼平(NPO法人POSSE事務局長)

 「違法企業に対して求められる社会的な取り組み―すき家の実態から見える今後の課題」 山田真吾(首都圏青年ユニオン事務局長)×坂倉昇平(本誌編集長)×当事者

 「ブラック企業時代の「マタハラ」を考える」 杉浦浩美(立教大学社会福祉研究所特任研究員)×竹信三恵子(和光大学教授)×小酒部さやか(マタハラNet代表)×鈴木絢子(弁護士)×今野晴貴(ブラック企業対策プロジェクト共同代表)

 「たかの友梨 録音された従業員への発言」 誌編集部

 「「たかの友梨ビューティクリニック」争議の経緯とその展開」 青木耕太郎(エステ・ユニオン執行委員)

 「15分でわかる労基法違反の横行 労基法と労基署」 

「労基法はなぜ守られないか」では、渡辺さんが

渡辺:絶対的な労働時間規制のバーターとして、残業代による規制を捨て、WEを導入するという議論が現在なされています。行政における取り締まりとしては両方とも必要であり、片方のみでは成立しないのではないですか。

という誰かさんの議論を意識した質問をされていますね。

さて、今号の特集で一番面白かった(というのは語弊がありますが)のは、山田・坂倉・すき家アルバイトAさんの鼎談に出てくる、すき家流究極のOJTでした。

・・・その後、実際に店舗に入りましたが、商品の作り方については全く教わっていない状態で、入ってからも、時々優しい先輩が教えてくれる程度で基本的にはあまり教えてもらえません。そのような状況にもかかわらず、5回目くらいの勤務で深夜帯の「ワンオペ」をやることになりました。その日に出勤したらマネージャーがいて、「今日ワンオペね」といきなりいわれたんです。それで、いつ何をしたら良いかよくわからない状態のままワンオペになって・・・・・・・。商品の盛りつけ方がわからず、仕方がないのでメニューを客席から取って、メニューの写真を見ながら盛りつけをしました。後で知り合った大学1年生のアルバイトは、2日目でワンオペになったらしく、電話でマネージャーに聞きながら盛りつけをしたと言ってましたね。

一番ピンチだったのは、初日に「牛丼ライト」を注文されたときです。作り方がわからなくて、どうしようかと焦りました。・・・どうしようもなくて、インターネットで「すき家 牛丼ライト 作り方」というようなキーワードで検索してみたところ、「ヤフー知恵袋」で同じような質問をしているような人を見つけました。・・・

世界広しといえども、現場の労働者に何も教えず、ヤフー知恵袋で調べさせるほどにまでOJTをとことんつきつめた企業はすき家くらいではないでしょうか。

仕事の技は先輩から盗めということわざはありますが、ヤフー知恵袋で調べて対応しろというのは、まことに究極のOJTといえましょうか。

その他の記事についてはまた改めて。


『こう変わる!新卒採用の実務』(労務行政)

4648_m労務行政研究所より『こう変わる!新卒採用の実務』(労務行政)をお送り頂きました。

http://www.rosei.jp/products/detail.php?item_no=4648

採用指針の見直しによるスケジュール後ろ倒しで

2016採用はどう動くのか?

これからの採用実務を考える1冊

ということで、こういう中身ですが、

Ⅰ.総論解説
①新卒採用を取り巻く環境変化とこれからの方向性
②多様化する新卒採用選考と今後の在り方
Ⅱ.各論解説
①インターンシップの活用と採用の勘所
②中小企業でも活かせるリクルーター制度
③内定者フォロー策強化のポイント
④学生が惚れる!好感度アップ面接術
⑤大学における就活支援の実情と今後の企業連携の在り方
<特別寄稿>
「就職四季報」前編集長が指南! 
選ばれる企業のための採用データ基礎講座
Ⅲ.最新調査にみる採用活動の現状とこれからの展望
① 各種採用調査から探る学生・企業・大学の動きと予想
②<緊急アンケート>
 変わる採用活動と企業の動向、人事担当者のホンネ調査
Ⅳ.企業事例 
・ネスレ日本
・三幸製菓
・タカラトミー
・コクヨ
・ワークスアプリケーションズ
Ⅴ.採用関連実務Q&A

もちろん、企業側、採用側のための本ではあるんですが、実はこういう本こそ、学生側、就職側が読んでおいた方がいいんですね。少なくともろくでもないシュウカツ本なんかより。だって、人を採用したいと思っている人向けに書かれているんだから。


『週刊医学界新聞』に第9回医療の質・安全学会学術集会の記事

世の中には『週刊医学界新聞』というのがあって、その12月22日号に、先日(11月22日)に幕張メッセで開かれた第9回医療の質・安全学会学術集会の記事が載っています。

http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/pdf/3106.pdf

第9 回医療の質・安全学会学術集会が11 月22―24 日,髙久史麿大会長(医療の質・安全学会)のもと,「患者本位の質・安全を追求する21 世紀医療システムの構築に向けて」をテーマに開催された(会場=千葉市・幕張メッセ国際会議場)。本紙では,医療者の超過勤務,若手医師の質改善活動について議論した2 つのシンポジウムの模様を報告する。

そのはじめの方に、私の報告内容が書かれています。

 医療安全確保には医療者自身が健康であることも重要であり,健康に影響を与える要因としては疲労やストレスが挙げられる。シンポジウム「日本の医療者の超過勤務を考える」(座長=聖路加国際大・井部俊子氏)では,疲労やストレスの原因にもなる超過勤務の問題が取り上げられ,医療者の労働時間の現状や課題が共有された。

 まず,濱口桂一郎氏(労働政策研究・研修機構)が,日本人の労働時間に対する意識の変化について概説。1911年,長時間労働による健康被害から女子年少者を守るために制定された工場法によって,日本で初めて労働時間の規制が行われた。戦後制定された労働基準法で男女共に労働時間の上限が設けられたものの,同法36条に基づき労使協定を結び,届け出を行えば労働時間を延長できたため,長時間労働問題の焦点は,労働者の健康被害ではなく賃金の有無に移行してしまったと指摘。近年,過労死など労働災害の増加により,発生後の補償ではなく予防をめざす動きが出始めたことを受け,氏は,工場法に立ち返り,“労働者の安全と健康を守る”という観点で労働時間を見つめ直すべきだと呼び掛けた。・・・

「若者雇用法」作成中

WEB労政時報に、「「若者雇用法」作成中」を寄稿しました。

http://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=328

 現在、厚生労働省の労働政策審議会で若者雇用法に向けた検討が進められています。正確に言うと、9月から職業安定分科会雇用対策基本問題部会で「若年者雇用対策について」審議されている一方、10月から職業能力開発分科会若年労働者部会で「若者に対する職業能力開発及び勤労青少年福祉対策について」審議されているという状況で、年内には結論が取りまとめられる予定です。ですから、本稿アップ時にはそろそろ建議の形になっているかも知れません。

 現時点ではまだ若者雇用対策についての「これまでの議論の整理」が示されているだけですが、それでもどういう中身の法案にしようとしているかは大体予想がつきます。「対応の方向性」というところをざっと見ておきましょう。・・・・・

 

2014年12月19日 (金)

長時間勤務、是正が必須@北海道新聞

だいぶ時間が経ちましたが、先月末(11月30日)に北海道新聞にインタビュー記事が載っていました。

http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/2014shuin_hyouron/250587.html6.【労働法制】長時間勤務、是正が必須

20141130 今年6月に安倍晋三政権が閣議決定した新たな成長戦略では、労働時間の長さと賃金のリンクを切り離す「時間ではなく成果で評価される働き方」の導入が打ち出された。まるで新たな成果主義のように聞こえるが、現行の労働法制でも基本的に実現可能なものだ。

 労働基準法では、1日8時間、週40時間を超えて働かせてはいけないと使用者に命じているものの、労働時間に比例して賃金を払うことを義務付けてはいない。1日2時間働いて成果を出す人に月50万円を払い、1日8時間かかる人には月20万円しか払わないのは全くの自由。朝9時から夕方5時までを勤務時間と定めているのは社内の就業規則であって、労働法制とは別のカテゴリーといえる。

 ただし、法定労働時間を超えて働かせる場合だけは、使用者には時間に応じて所定賃金を割り増しする残業代の支払い義務が生じ、時間と賃金が比例する形になっている。新たな成長戦略が目指す「成果で評価される働き方」とは、実は残業代という賃金規制を緩和することにほかならない。

 規制改革派は、これを労働時間の規制緩和と主張するが、全くの誤りだ。日本では労使協定さえあれば無制限の時間外や休日労働が許されており、そもそも法律上の労働時間は、上限がない緩い状態だ。代わりに、本来あってはならない時間外労働をさせることへの罰金的な意味をもつ残業代が、長時間労働を抑制する役割を果たしている。

 新たな成長戦略には労働時間の上限規制は明記されていない。残業代を払いたくないのが使用者側の本音だろうが、残業代という長時間労働の間接規制をなくすなら、それと引き換えにドイツなどのように労働時間の上限を直接規制する仕組みを導入するのが筋。いいとこ取りは許されない。

 来年の通常国会への関連法案提出に向けて、厚生労働省の労働政策審議会で法案の方向性が議論されている。新たな成長戦略では対象は年収1千万円以上で、職務範囲が明確で高度な職業能力を有する労働者としているが、労働時間の上限が加えられるかどうかも含めて、どう定義するのか法案の具体的な内容を注視する必要がある。これとは別の健康確保策として、勤務終了後から次の勤務開始まで、一定の休息時間をとらせる勤務間インターバル規制の法整備についても議論が求められるだろう。

 ただ、長時間労働が前提ではない働き方をつくるには、労働時間を規制するだけでは不十分だ。諸悪の根源は、みんなが極限まで働くことが正社員にとって暗黙の標準ルールになっていることにある。従来の無制限に働く正社員中心の雇用制度を改める必要があるが、それ以外の働き方を格下扱いする意識も障害となっている。

 「多様な正社員」を認め、職務や勤務地などを限定するほかに、時間限定の正社員の導入も不可欠だ。出産や育児を担う女性の多くは長時間労働に付き合えない。女性が活躍できる社会の実現は、長時間労働を是正しない限り難しい。(聞き手・宇佐美裕次)

 

2014年12月17日 (水)

佐々木亮弁護士@規制改革会議

本日の規制改革会議雇用ワーキンググループに、労働側弁護士として名高い佐々木亮さんが登場したようです。

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kaigi/meeting/2013/wg3/koyo/141217/agenda.html

有識者ヒアリング(労使双方が納得する雇用終了の在り方について)

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kaigi/meeting/2013/wg3/koyo/141217/item1.pdf

解雇をめぐる個別労使紛争の現状
Ndrsgr5s_32014/12/17 弁護士 佐々木 亮(ささき・りょう)

議事録がアップされるのは先になるでしょうが、規制改革会議の諸氏との間でどんなやりとりがされたのか、興味がそそられます。

組織率17.5%

本日、労働組合基礎調査結果が公表されています。

http://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/roushi/kiso/14/dl/gaikyou.pdf

組合組織率は着実に減って17.5%。

労基署がやってくる!@『週刊ダイヤモンド』

Img_008bd602423cfe70225b18954f70b8aというわけで、なんと『週刊ダイヤモンド』が労基署を特集しちゃいました。

http://dw.diamond.ne.jp/category/special/2014-12-20

税務署よりも目立たないが、実は強い権限を持つ労働基準監督署。実動部隊である労働基準監督官は、ある日、突然あなたの会社にやって来る。そんな知られざる労基署を完全解剖した。さらに最新の労務トラブルも徹底研究し、ブラック企業の烙印を押されないための知恵を詰め込んだ。

中身は盛りだくさん。目次は次の通りですが、

あなたの会社は労働基準監督署の調査、処分を受けているか──。これまで外へ出ることのなかった企業の労務実態を初調査した。
○初調査! 上場237社の労務実態 「わが社に労基署がやってきた」76%
【図解0-1】 あなたの会社は大丈夫? 労基署が狙い撃ちする企業はここだ!
【Part1】知られざる労基署大解剖
労働問題の複雑化、労働者の権利意識の高まりから、労働基準監督署の果たすべき役割は大きくなっている。膨張する〝奥の院〟労基署の秘密、労働Gメンの仕事を大解剖する。
・逮捕もガサ入れもできる! 司法警察官「労働Gメン」の仕事
・最低労働条件からメンタルまで マルサに迫る労基署の膨張
・ダンダリン原作者&現役監督官 覆面座談会
【Part2】あなたの会社も狙われる
労働基準監督署による監督から民事の裁判まで、企業や労働者を襲う労務トラブルの最新事情に迫った。油断は禁物。あなたの会社も狙われる──。
・労働問題の“デパート” ワタミ是正勧告の全容
・メンタル、出向、みなし労働 三大労務訴訟判決で常識一変
・労基署が目を光らせる4業界
・夢の国にもある労務トラブル 労働者の賢い戦い方を伝授
【Part3】最強の対労基署マニュアル
労働基準監督署による取り締まりが強化され、労務トラブルも増加の一途。従来の労務対策では立ち行かない時代を生き抜くために最新、最強の対労基署マニュアルをお届けする。
・基署の是正勧告を丸パクリ “臨検常連”大和ハウスの奇策
・労働の専門家も手探り状態 最新の労基署対策を公開
【Column】 労基署アレルギーが残る マック、キヤノンのトラウマ
・モーレツ世代の管理職必見! シャープ「セルフ労務マニュアル」
【Epilogue】
労働基準監督行政には二つ問題点がある。監督官のマンパワーの欠如と、労働法制の監督行政機関の複雑さだ。行政のひずみを解消することなくして、労働者を保護できない。
・労働サービス後進国ニッポン 監督行政のひずみ
【Column】 監督官が取り締まれない? 「新しい労働時間制度」の行方

経済誌の特集記事なので、経営側の視点に偏っているのではないかと思う人もいるかもしれませんが、いやいや非常に多角的な視点から突っ込んでいて、よくできています。取材陣の名前のトップに浅島亮子さんが載っていますが、彼女のイニシアがかなり効いているのかなという感じです。

特集記事のうち、「・ダンダリン原作者&現役監督官 覆面座談会」がダイヤモンドオンラインに全文掲載されていますので、まずはそれにざっと目を通してみるといいでしょう。

http://diamond.jp/articles/-/63870

雑誌記事で良かったのは、四人の若手から中堅クラスの監督官が登場して、その一日や感じていることを生に喋っている「・逮捕もガサ入れもできる! 司法警察官「労働Gメン」の仕事」ですな。

あと、労働側と経営側の『頼れる』弁護士20人のリストには、人によっていろいろと感想があるかもしれません。

なお、自身若手監督官であるyamachanがブログで取り上げていて、「中の人」らしい感想を書かれています。

http://social-udonjin.hatenablog.com/entry/2014/12/15/190936

ちなみに、特集の最後は編集後記のこのオチです。

「労基署特集をやるのに、労基署に入られたらしゃれにもならない。残業代をきっちりつけるように!」。編集長から、どこぞのブラック企業であるかのような指示が飛んできました。・・・

・・・恥を忍んで、労働Gメンこと労働基準監督官に聞いてみました。「うちの会社って狙われますか?」「違法性を証明するのがきわめて難しい職種です」「じゃ、弊社には入りませんか?」「(私をじろっと見て)もっと優先して救済すべき労働者がいますから・・・・」。

2014年12月16日 (火)

鯨岡仁記者@朝日のまっとうな認識

今朝の朝日新聞の「安倍政治 その先に」という記事に、こんな出し遅れ感溢れる一節が、

・・・周辺には危惧もあった。連合の傘下にあり、派遣社員や管理職などでつくる全国ユニオンの会長、鈴木剛氏は「民主党の姿勢、やばいな」と感じていた。幹部の言動から、財政は増税、金融政策は引き締めをしたいのが透けて見えた。「民主党政権時代の悲惨な株価、悲惨な円高が止まった。そこは勝負がついているとしたいいようがないのに」・・・

そのあたりのセンスについては、その朝日新聞の中にもこういう疑問を持っている記者がいたようです。ツイートから。

https://twitter.com/KujiraokaH/with_replies

民主党などはアベノミクスを「新自由主義だ」と批判しました。うちの紙面でもそういう論調の記事が多く見られました。社内の議論でも、多くの先輩らがそういう認識を持っていました。

アベノミクスは新自由主義ではありません。アベノミクス3本の矢の大規模な金融緩和、(景気に対応する)機動的な財政運営はケインジアン政策です。市場は失敗するのだから、政府が介入しなければならない。労使交渉に任せるのではなく、政府が賃上げに取り組む。欧米では左派の政策そのものです。

それを日本の左派は「新自由主義」などと批判する。安倍首相にとって、見当違いな批判は痛くもかゆくもありません。確かに、所得再分配政策は足りないかもしれませんが、それは分配政策に限った話であって、マクロ政策は明らかにケインジアン的なのです。

朝日新聞を含めて、左派リベラルが見当違いの批判を繰り返す。ここに、日本の左派リベラルの知的怠惰が垣間見えます。「お馬鹿」で「見当違い」な批判を繰り返しているうちに、安倍首相に「賃金が上がった」「景気は良くなった」と追い詰められていった。それが実態ではないでしょうか。

アベノミクスはケインジアン的(あるいはニューケインジアン的)な政策だ。そういう正しい経済政策の評価が土台にあって、初めて議論や批判ができる。そのうえで、いくらでも問題を指摘することもできた。しかし、そういう議論のもっていき方ができなかったことは、敗北だろうと考えます。

松尾匡さんはマルクス経済学者ですが、大胆な金融緩和政策を主張します。松尾さんは「自分の主張は欧州の左派政党と同じ」と言い切ります。その理由はこの本に書いてありますので、左派の皆さんに一読をお勧めします。欧米と日本のねじれも理解できます

ここで名前が出てきた松尾さんもそうですし、本ブログでもヨーロッパの社会主義政党や労働組合の主張を引いて述べていることが、この日本ではなかなか伝わっていかないことについて、その当の伝わりにくいマスコミの中で苦労しているらしい鯨岡さんのいらだつ気持ちが伝わってきます。

2014年12月15日 (月)

日本の賃金制度の成り立ちと現在の課題@『情報労連REPORT』12月号

2014_12『情報労連REPORT』12月号に「日本の賃金制度の成り立ちと現在の課題」を寄稿しました。

http://www.joho.or.jp/up_report/2014/12/

はじめに

 去る9月29日、経済の好循環実現に向けた政労使会議の冒頭において安倍首相は、「子育て世代の処遇を改善するためにも、年功序列の賃金体系を見直し、労働生産性に見合った賃金体系に移行することが大切」と語ったと伝えられています。
 安倍首相の発言は事務局の振り付けによるものと思われますが、年功賃金制の意味が必ずしも的確に理解されていないようにも見えます。年功制とはまさに子育て費用を政府の責任ではなく企業の支払う賃金でまかなわせる生活給の仕組みなのであり、上の発言はいささか論理が逆転しているのです。

1 軍部から労組へ:戦中戦後を貫く生活給思想

 戦後日本で一般化した生活給思想の最初の提唱者は呉海軍工廠の伍堂卓雄です。1922年でした。労働者の思想悪化(=共産主義化)を防ぐ観点から、若い頃は高給を与える必要はなく、家族を養う壮年期以降に高給を払うべしと唱えたのです。この発想が戦時体制下において、皇国の産業戦士の生活を保障するという観点から、勅令や行政指導などによって企業に強制されていきました。日本の企業に生活給が普及したのはこの時期です。
 敗戦によりそれらの法令がなくなったので、賃金制度も元に戻るかと思いきや、そうはなりませんでした。今度はそれを支えたのは、急進的な労働運動だったのです。1946年の有名な電産型賃金体系は、本人の年齢と扶養家族数に応じて生活保障給を定める典型的な年功賃金制度でした。当時、GHQの労働諮問委員会や世界労連(国際自由労連が脱退する以前の西側中心の国際労働運動)は、そういう賃金制度を痛烈に批判していたのですが、日本の労働組合は断乎として同一労働同一賃金原則を拒否したのです。

2 労使のせめぎ合い

 これに対し、1950年代以降力を回復してきた経営側は、労働側の賃上げ要求に対して、構造論としての賃金制度改革論、すなわち職務給への移行の論陣を張っていきます。1955年の日経連『職務給の研究』は、「賃金の本質は労働の対価たるところにあり、同一職務労働であれば、担当者の学歴、年齢等の如何に拘わらず同一の給与が支払われるべきであり、同一労働同一賃金の原則によって貫かれるべきものである」と宣言しています。
 これに対して労働側は、口先では同一労働同一賃金を唱えながら、実際には生活給をできるだけ維持したいという姿勢でした。この点で興味深いのが、1949年にマルクス経済学者の宮川實が唱えた「同一労働力同一賃金説」です。彼によれば、マルクス経済学では労働力の価値とは労働力が作り出す価値ではなく、労働力を再生産するために必要な労働の価値なのだから、賃金は労働の質と量に応じて支払われるべきというのは間違いであって、労働力の再生産費によって決まるべきであると唱えました。だとすれば単身の若者の賃金が低く、妻子のある中高年の賃金が高いのは経済学にまったく正当ということになります。
 実際の組合の運動論では、賃金闘争はもっぱら「大幅賃上げ要求」一本槍で、労働者内部に対立をもたらすおそれのある賃金制度の問題は慎重に避けられていたようです。一部の労組ではヨーロッパ型の横断賃率論を掲げるところもありましたが、企業別に分断された現実の組合の姿では、それを実現することは困難でした。

3 そして誰も言わなくなった・・・

 高度成長期には政府も同一労働同一賃金原則に基づく職務給を唱道していました。1960年の国民所得倍増計画や1963年の「人的能力に関する経済審議会答申」はそれを明言していますし、労働行政もそのスタンスでした。1967年に政府がILOの「同一価値労働についての男女労働者に対する同一報酬に関する条約」(第100号)を批准したのも、こういう時代精神を抜きにしては理解しにくいでしょう。
 ところがちょうどこの時期に、経営側が仕事に着目する職務給からヒトに着目する職能給に態度を変えます。1969年に取りまとめられた『能力主義管理』は、「われわれの先達の確立した年功制を高く評価する」と明言していわゆる職能資格制度を唱道し、明確にそれまでの職務中心主義を捨てました。
 そして、大変興味深いのは、これを契機にしてこれ以後賃金制度の問題が労使間でもはや議論にならなくなってしまったということです。口先では同一労働同一賃金を唱えながら、本音では年功制を維持したいと考えていた労働組合側にとって、日経連の転換は好都合なものだったのでしょう。政府も石油ショックで遂に態度を転換し、内部労働市場中心の雇用維持政策を追求するようになります。
 ここで失われたのは、それまで曲がりなりにも口先では維持されてきた同一労働同一賃金原則でした。そんな「古くさい」代物は誰からも顧みられなくなってしまったのです。そして今日に至るまで、経営側は一貫して同一労働同一賃金原則を拒否する姿勢を貫いてきました。

4 非正規労働問題が再度火を付けた

 これが政策課題として復活したのは、非正規労働者の均等待遇問題からです。EUではパート、有期、派遣労働者の均等待遇が法律で義務づけられていますが、日本では正社員の間でも同一労働で同一賃金ではない年功制が最大のネックになります。以前は成人男性は皆正社員で、非正規労働者は家計補助的な主婦パートか学生アルバイトだからといって済ませていられたのですが、1990年代以来自分や家族の生計を維持しなければならない非正規労働者が増大し、社会問題となりました。
 ところが、労働者側としてはそう簡単に年功賃金を手放せない理由があります。まさに、子育てに金がかかるからです。児童手当は惨めなほど貧弱で、高騰する教育費は親がかりが当たり前、男の子と女の子にそれぞれ子供部屋を確保しようとすると住宅費も半端なものではありません。それをまかなってきたのが年功賃金なのであり、逆に言えば西欧福祉国家では政府が負担する費用を、日本政府は負担せずに済ませてきたのです。

5 年功制脱却は子育て世代への経済支援が不可欠

 改めて冒頭の安倍首相発言を見ると、あたかも年功制で子育て世代が損をし、子育てしていない世代が得をしているかのような言い方ですが、あの世の伍堂氏が聞いたらびっくりするでしょう。しかし、非正規労働がここまで拡大してきた中では、たまたま正社員として年功制の利益を享受している子育て世代の利益だけを主張していいわけではありません。正規と非正規の均等待遇を真剣に考えれば、年功制脱却は避けて通れない課題です。
 安倍首相の発言を物事の筋道に沿って正しい方向に修正すればこうなるでしょう。「正社員も非正規労働者も、すべての労働者が等しく子育てできるように、賃金制度を年功制から職務給にシフトさせるとともに、必要な子育て費用は国が-つまり国民全体が負担するようにしていかなければならない」と。しかし、そういう振り付けはなかなか期待できそうにはありませんね。

なお、今月号の同誌の特集は「「労使関係」の再発見」です。登場するのは藤村博之、呉学殊、常見陽平、川村遼平といった面々です。


「能力評価」と「能力主義」のアイロニー@『生産性新聞』12月15日号

『生産性新聞』12月15日号に「「能力評価」と「能力主義」のアイロニー」を寄稿しました。

 6月に決定された『「日本再興戦略」改訂2014』では、「外部労働市場の活性化による失業なき労働移動の実現」が目標とされ、そのためにジョブカード制度の抜本的見直しやキャリアコンサルティングの体制整備などと並んで、「能力評価制度の見直し」が掲げられています。曰く、労働市場のマッチング機能の最大化に向けては、「産業界が求める職業能力」と「各人が有する職業能力」を客観的に比較可能にすることが必要である、と。

 既に厚生労働省では、昨年9月から「労働市場政策における職業能力評価制度のあり方に関する研究会」を開催して、本年3月に報告書を取りまとめていますし、5月から「キャリア・パスポート(仮称)構想研究会」を開催して年内にとりまとめの予定です。さらに6月から総括的に「職業能力開発の今後の在り方に関する研究会」を開催し、9月には報告書を公表しています。これらをもとに、7月から労働政策審議会職業能力開発分科会で審議が進められ、年内には建議として取りまとめられることになるでしょう。

 ここで改めて考えてみたいのは、なぜ現在の日本では「産業界が求める職業能力」と「各人が有する職業能力」が「客観的に比較可能」になっていないか、ということです。それは外部労働市場が未発達で、労働市場が企業別に分断されているからだ、と簡単な答えがすぐに返ってくるでしょうが、労働市場が企業ごとに分断されていることと、その内部労働市場の中で、各企業が社員の職業能力を客観的に測定し、表示することができないこととは別です。企業ごとではあっても既に職業能力の測定・表示システムが存在するのであれば、必要なことはそれらの間を通訳することになります。ちょうど、今EUで各国の職業資格制度を相互に比較可能にするためのEVQ(欧州職業資格制度)を作っているように、です。

 それが全然できないというのは、企業内においてすら、ある社員が具体的にどういう職務についてどういうレベルのスキルを有しているかがわからない、あるいは少なくとも社内的に明確に表示されるような仕組みが存在していないからではないでしょうか。はっきり言えば、企業は社員の「能力」が分からない状態のまま働いてもらっているのではないか、ということです。とすれば、この問題は単なる通訳問題ではなく、今現在存在しない能力評価システムを更地に作るという難題だということになります。

 これは考えてみれば大変皮肉な事態です。なぜなら、日本の企業は、日経連が1969年に発表した『能力主義管理』以来、「能力主義」に基づいて人事労務管理をやってきたはずだからです。過去半世紀にわたってやってきた「能力主義」とは一体何だったのでしょうか。職能資格制度の中核に位置してきた「能力評価」とは、一体何を評価してきたのでしょうか。少なくともそれが通訳を通せば「産業界」に通じるような代物ではなかったことだけは確かなようです。

 これまで労働経済学は企業ごとに分断された内部労働市場の必然性を企業特殊的熟練という言葉で説明してきました。しかし、企業特殊性100%であればそもそも同業他社への転職など不可能なはずです。「能力主義」の名の下に「職業能力」を無視してきたことのツケが、そうした企業の集積である「産業界」に回ってきているのではないのでしょうか。

2014年12月14日 (日)

ハフィントンポストで小室淑恵さんが「長時間労働をやめれば、日本は変わる」

ハフィントンポストで小室淑恵さんが「長時間労働をやめれば、日本は変わる」と熱く語っています。

http://www.huffingtonpost.jp/2014/12/12/komuro-yoshie-election2014_n_6313526.html

・・・よくよく考えてみると、少子高齢化といった社会保障に関わる問題だけでなく、個人消費の冷え込みといった経済的な問題も含めて、日本の抱える課題の元凶は“長時間労働”なんですね。長時間労働をやめれば、日本は変わります。

・・・この長時間労働の解決にこそ、政府は一番介入していくべきだと思います。政府が、長時間労働に踏み込めるか。経済団体からの風当たりは強いかもしれませんが、「これで景気がよくなる、企業経営がよくなるんだ」と、ちゃんと説得していけるかが重要だと思います。

ところがこれがなぜか一番難しい。

次の一節では私も出てきますが、

・・・長時間労働の上限規制は、すごく大事なことです。長時間労働の働きかたを見直す公約に掲げた党はありましたが、はっきりと残業時間の上限規制を政策にしたのは一党だけで、残念ですね。

規制改革が進められるなか、各党が「労働時間」を打ち出したくないのはわかりますが、労働政策学者の濱口桂一郎さんによると、今必要なのは「柔軟に緩和するのではなく、労働時間の上限規制を入れること」なのだそうです。

小室さんの議論はマクロ的な視野から論じられています。

・・・「人口ボーナス期」の経済発展には、早く大量に物を生産するモデルが合っていました。時間が成果に直結しますので、体力のある男性が長時間働いたほうが儲かったのです。しかし「人口オーナス期」を迎えた日本では、付加価値で勝負するビジネスに切り替えていくことが求められます。

・・・今までは、持てる時間をすべて仕事に投入できる人だけが昇進する社会でしたが、これでは労働者は疲弊合戦になって生産性が下がり、かつ時間に制約のある人のモチベーションは低下します。すべての人が生産性高く、時間内に仕事を終えるモデルに転換していくことが大切です。

そして、女性活躍という文脈でも、あわてて女性を登用しはじめた企業で起こったことから、

・・・その結果、何が起きたかというと「女性たちが管理職になりたがらない」という現実した。多くの企業から相談を受けました。「部長にします」と伝えても「いえいえ、お断りです」、女性向けの研修を実施しても「出席しない」……。男性にとって、昇進は無条件にうれしいものとされていましたから、人事担当者は驚いたようです。

・・・「女性には向上心がない」と位置づけた企業もありましたが、私たちが深くヒアリングしていくと、女性たちは管理職になりたくないのではなくて、「今、目の前にいる管理職のようにはなりたくない」と感じていることがわかったんです。

・・・今の労働時間のまま、女性の管理職登用が進められれば、すべてを犠牲にできる(もしくはアウトソーシングできる)スーパーウーマンだけが抜擢されることになります。育児や介護している女性は、時間の制約があるので、そのコースには乗れません。能力による登用ならいいですが、実際には、労働時間を投入できるかどうかという環境の違いが大きいのです。

もし女性が、労働時間を確保するために、家事や育児を全部アウトソーシングしたとして、それで本当に充実感を得られるか、後輩たちがそうなりたいと思えるかというと、そうではないと思います。

いち早く、女性の登用やダイバーシティの推進に取り組みはじめた企業は、「やっぱり(問題は)長時間労働だ」と気づきはじめています。男性の労働時間を変えずに、女性の労働力だけを都合よく使うことはできません。女性の活躍には、男性も含めた、すべての人の労働モデルを変えていくことが大切だと思います。

最後のところでは、先日一部の心ない「りふれは」がおぞましい罵倒を繰り広げたフロレンスの駒崎さんもでてきます。

・・・「子ども・子育て新制度」財源の一部が、消費増税に紐づいていたので、不安に思っている方もいると思います。先日12月4日に、私たちのスタッフもNPO法人フローレンス代表理事の駒崎弘樹さんたちと一緒に、少子化担当大臣の有村治子さんを訪問し、あらためて予算確保の陳情書を提出しました。

有村大臣も「思いは一緒で、最大限努力したい」とおっしゃったそうです。新制度の実施に向けて頑張っていただきたいと思います。

こういう記事を読んで勉強して欲しい人ほど、こういう領域の話を頭から馬鹿にして読む気がないというのが、現代日本の悲しい現実の一つでもあるのでしょうが。

2014年12月13日 (土)

所得格差は経済成長を損なう@OECD

OECDが去る12月9日に「Trends in Income Inequality and its Impact on Economic Growth」というワーキングペーパーを公表しています。

全文がこちらからダウンロードして読めますが、

http://www.oecd-ilibrary.org/social-issues-migration-health/trends-in-income-inequality-and-its-impact-on-economic-growth_5jxrjncwxv6j-en

簡単な要約がこちらにあり、

http://www.oecd.org/els/soc/Focus-Inequality-and-Growth-2014.pdf

その日本語版がこちらで読めますので、年の瀬のお忙しい皆さんはこちらでどうぞ。

http://www.oecd.org/els/soc/Focus-Inequality-and-Growth-JPN-2014.pdf

所得格差は経済成長を損なうか?

蔓延している所得格差の拡大が社会・経済に及ぼす潜在的な悪影響が懸念されている。最新のOECD 調査によると、所得格差が拡大すると、経済成長は低下する。その理由のひとつは、貧困層ほど教育への投資が落ちることにある。格差問題に取り組めば、社会を公平化し、経済を強固にすることができる。

Inequality

2014年12月12日 (金)

誰かな?労務屋さんブログに怒ってる人は?

労務屋さんの「吐息の日々」が突如閉鎖状態に。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/

この日記は、プライベートモードに設定されています。

何事が起こったのかと思いきや、ツイッターでこう説明が。

https://twitter.com/roumuya

ブログが閉鎖状態になっていてご心配をおかけしておりますが、はてなサポート窓口様から連絡があり過去のエントリで取り上げたさる人物の代理人弁護士から記載の削除要請が来たので対応するまで非公開にするとのことです。そんな要請が来るような身分になったのだなあと妙な感慨にふける私。

私としては代理人弁護士様ご指摘のような事情にはあたらないとは思うところですが、私は温厚なので(まあこんなところで事を構えても仕方ない)いまから要請におこたえするようエントリを書き換えますので、はてなサポート窓口様にご確認いただき次第また公開になるものと思います。

ということで再公開されたらどこが変わったのか探してみると面白いかもしれません(笑)。まあ正直なところ私みたいなチンピラのゴミクズみたいな記事まで目くじら立てて代理人担ぎ出すくらいなら署名記事なんかうわなにをするふじこ

なお非公開に至ったのははてなサポート窓口様からのメールを見落として(いやコメント通知メールとかだと思って読まずに削除してました)いる間に対応期限の1週間が経過してしまったからであって私のチョンボであり、はてなサポート窓口様にはなんら不満はありませんので為念。

私も含め、実名でブログなんかやってますと、品性下劣な誹謗中傷はまあよくあることですが、弁護士を通じて削除要請とはね。

まあ、労務屋さんのエントリに怒って弁護士立ててまで削除要請してくるような方というのは、これはまた労務屋さんの社会的影響力のいかに大なるかを広く世間に知らしめたい方ですなあ。

(追記)

ということで、めでたく修文の結果ブログ再開と相成ったようであります。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20141213#p1(このかんのいきさつ)

ご心配をおかけしましたが無事再公開とあいなりました。やれやれ。

いろいろ憶測が飛び交いましたが(笑)、○○氏でも○氏でもなく(笑)、この記事に関する苦情であったようです。タイトルも変わっておりますな。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20130513(「“正社員特権”は永遠か」?)

(2014年12月12日追記)はてなサポート窓口様から本エントリの一部について支障があるとのご連絡をいただきましたので、当該部分を削除するとともに若干の修文を実施しました。

「ジョブ型」のドラクエ3、「メンバーシップ型」のファイナルファンタジー5

Chuko拙著『若者と労働』が電子ブック化されたことで、さらに読者層が広がっているようです。

本日、やまあきさんの「ファジーロジック」に、こういうブログ記事がアップされていますが、

http://yama-aki1025.hatenablog.com/entry/2014/12/12/%E8%87%AA%E3%82%89%E3%81%AE%E6%84%8F%E6%80%9D%E3%81%A7%E3%80%8C%E6%88%A6%E5%A3%AB%E3%80%8D%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8%EF%BC%88%E6%BF%B1%E5%8F%A3(自らの意思で「戦士」になるということ(濱口桂一郎さんの「若者と労働」を読んで))

新幹線内の読書用にkindleストアで濱口桂一郎さんの「若者と労働」を買って読んだら超面白かったので、内容を簡単にまとめてみようと思う。

というわけで、中身を簡単に説明したあと、こういう表現をぽつりと漏らされます。

読んでて思ったんだけど、これって「ファイナルファンタジー5」と「ドラクエ3」なんじゃないかなと思った。

いや、わたし、どっちのゲームもやったことないので、そう言われてもよくわからないのですが、こういうことのようです。

「ドラクエ3」では、一緒に旅する仲間を「職業」によって選ぶ。

「前線に立てて攻撃力がある人」が必要なら「戦士」を、「後方から魔法攻撃や補助が出来る人」が必要なら「魔法使い」を、「回復役」が必要なら「僧侶」を、それぞれ「ルイーダの酒場」から紹介を受けて採用する。

「直接攻撃力が高い人材」が必要なのに、わざわざ「戦士」や「武闘家」ではない直接攻撃力の低い人材を採用する(パーティーに加える)理由は、少なくとも勇者(プレイヤー、採用する側)にはない。

要するに、その人の職業技能に基づき、必要に応じてパーティーに加える(採用する)かどうかを決めるのが「ドラクエ3」のパーティーの考え方だ。これは「仕事」に人を紐付ける「ジョブ型」の考え方と近い。

それとは逆に、あくまで「人物」に重点が置かれているのが「ファイナルファンタジー5」だ。

「ファイナルファンタジー5」ではパーティーに加える人物は予めストーリーの要請で決められていて、エンディングまで決まったパーティーでストーリーを進行させていくことが義務付けられている*1

ストーリーがスタートする段階では、彼らは特定の技能(アビリティー)を持っていない。「戦士」でも「魔法使い」でもないまっさらな状態、ある意味「新卒者」みたいな状態で物語を始めなければならない。特定の技能を持ってないのだから、「ドラクエ3」なら、そもそも「ルイーダの酒場」で推薦すらされないような状態だ。

ストーリーが進行させていく流れで、プレイヤーはそれぞれのキャラクターを「ジョブ」に就かせ、「アビリティ―(職業技能)」を獲得させていくことで、ストーリーを円滑に進めることが出来る仕組みになっている。それぞれのキャラにどういうアビリティー(職業技能)を習得させてやるかはプレイヤー(雇用者)の裁量に任されている。

このように、パーティーになる人物に対して、パーティー内や周囲の環境に応じて、雇用者の裁量によって、それぞれに何らかの「アビリティー(職業技能)」を習得させてやるのが「ファイナルファンタジー5」の考え方となる。これは「人」に「仕事」を紐付ける「メンバーシップ型」と非常に近いと思う。

ふむふむ、なるほど。

で、このあとのいろんなトピックについても、ゲーム論的な解説がついてきます。

・・・かといって、いきなりジョブ型社会に転換してドラクエ3的な「ルイーダの酒場」に何のスキルもない一般人である若者も含めて全員ぶっこみ、歴戦の戦士や魔法使いたちと仁義なき就職バトルをさせる、というのも現実的には不可能です。車は急に止まれないし、社会は急には変われない。

たぶん、ゲーム世代の人にとっては、あれこれ言うよりはるかにぴたっとくる比喩なんでしょうなあ。

2014年12月11日 (木)

ストレスチェックの難題

WEB労政時報のHRWatcherに「ストレスチェックの難題」を寄稿しました。

http://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=322

 今年6月に、改正労働安全衛生法が、国会での可決成立を経て公布されました。主たる改正点は2011年に国会に改正案が提出されたときから論議が続けられてきたメンタルヘルス対策です。検討の段階から異論が続出し、紆余曲折(うよきょくせつ)を経て最終的にストレスチェックという位置づけにして、法改正に至ったものです。この部分の施行は他よりも遅らせて来年201512月とされています。

 現在厚生労働省では専門検討会を開いて具体的な実施方法等について議論をしているところです。具体的には、7月から9月にかけて「ストレスチェック項目等に関する専門検討会」を開き、926日に「中間とりまとめ」を行っています。その後、10月から「ストレスチェックと面接指導の実施方法等に関する検討会」と「ストレスチェック制度に関わる情報管理及び不利益取扱い等に関する検討会」を同時並行的に進め、12月中には報告書をまとめる予定のようです。・・・

「難題」というタイトルをつけましたが、結構この問題に頭を悩ましている企業も多いのではないかと思います。

2014年12月10日 (水)

『季刊労働法』冬号の特集

247来週発売予定の『季刊労働法』冬号の案内が労働開発研究会のサイトにアップされているので、こちらでも紹介。なかなか面白そうな特集です。

http://www.roudou-kk.co.jp/books/quarterly/1842/

特集:多様な働き方の拡大と円滑な労働移動

●規制改革会議等で行われている雇用改革をめぐる議論を契機に、雇用の安定、雇用の流動化があらためて話題になっています。あるべき労働市場の姿とそれに適合する労働法制の形とはいかなるものなのでしょうか。雇用改革の議論を踏まえ、40代ミドル、また、女性の働き方はどのように変容していくのでしょうか。今号の特集では、これらの論点を検討します。

ということで、ラインナップは次の通りです。

雇用制度改革―規制改革会議のアプローチ慶應義塾大学大学院教授 鶴 光太郎

正社員改革と雇用政策 早稲田大学教授 島田陽一

労働法は,「成長戦略」にどのように向き合うべきか 神戸大学教授 大内伸哉

フランスにおける2013 年雇用安定化法 ――フランス型フレキシセキュリティ 中京大学准教授 柴田洋二郎

40代ミドルの雇用課題を考える リクルートワークス研究所所長 大久保幸夫

今後の女性の働き方のあり方と雇用改革 株式会社イー・ウーマン代表取締役社長 佐々木かをり

その他の論文は以下の通りです。

改正法の解説

改正労働安全衛生法について 厚生労働省労働基準局安全衛生部計画課

改正パートタイム労働法の解説 ~正社員と差別的取扱いが禁止されるパートタイム労働者の対象範囲を拡大~ 厚生労働省雇用均等・児童家庭局短時間・在宅労働課

■論説■

労働法における法人格否認法理の到達点 ――親会社の雇用責任をめぐって―― 大阪市立大学名誉教授 西谷 敏

■研究論文■

労働組合法上の労働者性の再検討 ―労働者性判断枠組みにおける事業者性要素の位置付け及び意義を中心として 筑波大学労働判例研究会 中澤文彦

「就労による自立支援」をめぐる労働法的考察 ~社会保障・社会福祉分野の「非労働者化」政策の検証~ 相模女子大学専任講師 奥貫妃文

台湾の新集団的労働三法と不当労働行為救済制度 京都大学法学研究科博士後期課程 張智程

■労働法の立法学 第37回■

労働教育の形成,消滅,復活 労働政策研究・研修機構統括研究員 濱口桂一郎

■神戸大学労働法研究会 第30回■

退職勧奨に応じなかった労働者に対する出向命令の可否 リコー(子会社出向)事件・東京地判平成25年11月12日労判1085号19頁 北海道大学准教授 池田 悠

■北海道大学労働判例研究会 第35回■

厚生年金被保険者資格取得届出漏れに対する使用者の損害賠償責任と消滅時効 Y社事件(東京地判平成25.9.18 判例集未搭載) 社会保険労務士 北岡大介

■文献研究労働法学 第14回■

外国法研究編(イタリア) 神戸大学教授 大内伸哉

■アジアの労働法と労働問題 第22回■

中国における労働者の辞職権と教育訓練費用の返還請求 中国西南政法大学講師 戦東昇

■ドイツ労働法古典文献研究会 第6回■

ジンツハイマーと労働の法体系 京都大学准教授 島田裕子

●重要労働判例解説

定年再雇用後の人員過剰を理由とする更新拒絶 社会福祉法人新島はまゆう会事件・東京地判平25・4・30労判1075号90頁ダ(全文) 日本大学教授 新谷眞人

会社分割により転籍した身体障害者への勤務配慮廃止の効力 阪神バス事件・大阪高決平25・5・2労判1078号5頁 淑徳大学教授 辻村昌昭


テレワーク@『Vistas Adecco』41号

『Vistas Adecco』41号の特集「現代の働き方「テレワーク」そのメリットと課題とは?」に、わたくしもインタビューで登場しています。

http://www.adecco.co.jp/vistas/adeccos_eye/41/

安倍政権も推進するテレワーカー人口の増加。
在宅型テレワーク、モバイルワーク(モバイル型テレワーク)など、オフィスに捉われない柔軟な働き方は、ワークライフバランスとダイバーシティを推進する一方、なかなか定着しないのが現状だ。
テレワーク導入に立ちはだかる壁と、その打開策を探った。

・・・・また労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎氏は、テレワークが定着しない理由を次のように指摘する。

「日本は欧米と異なり、空間および時間をみんなで共有することが重要な働き方になっている。だからテレワークでは管理も評価も難しくなってしまうのです。テレワークが定着したイギリスやオランダでは、資料がすべてデータ化され、自宅でも見られるなら何の問題もない、という感覚です。一方、日本では勤務時間内、時間外に本音での話ができないと、なかなか仲間として仕事の輪の中に入れない。この感覚が暗黙の前提となっている以上、テレワーク導入は難しいと思います」

さらに日本では共有するのは空間、時間、感覚だけではないという。

「日本は仕事を部署全体で共有するスタイル。たとえば休暇中の人の業務に対しても、必ず別の人が対応しフォローします。このように、"ジョブ共有型"のため、個人の業務内容を厳密には切り出しにくく、これが在宅ワークだけでなく、残業削減、有給消化促進などの障害になっています」(濱口氏)

このように、環境が整っているにも関わらず、テレワークを実行するのは難しいのが実態だ。では打開策はどうすれば見えてくるのか──。

「今年、消費者庁が全管理職に週1日の終日在宅勤務をする実験を始めましたが、同庁のようにまずは管理職が実際にやってみることです。そうすれば、さまざまな障壁が見えてくる。そして、その問題点を明確にし、障壁をなくす働き方をみんなで議論しながら模索することが第一歩となるでしょう。たとえば裁量労働制なのに遅刻は厳禁ということがあるかもしれない。このような不自然な働き方を、一つずつ潰していく先に、テレワーク普及の現実味が見えてくると思います」(濱口氏)

欧米では個室からメールと文書で指示を出すのが管理職というイメージだが、日本では部下に睨みを利かせる存在。

「この管理職のイメージを変えることで本格的な普及につながるのでは」と濱口氏は語る。・・・・・・・

2014年12月 5日 (金)

産業競争力会議雇用・人材・教育WG

本日、わたくしが川崎市麻生区方面で3題話をしている時に、日本の中枢では「教育・人材改革と雇用制度改革の一体的推進」というテーマで標記ワーキンググループが開かれていたようです。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/wg/koyou/dai1/gijisidai.pdf

そこには、こういう方々が出席して話をされていたようです。

資料1:金丸主査提出資料
資料2:厚生労働省提出資料
資料3:文部科学省提出資料
資料4:柴田励司氏提出資料
資料5:海老原嗣生氏提出資料
資料6:佐藤博樹教授提出資料
資料7:大久保幸夫氏提出資料
参考資料1:12月1日濱口桂一郎氏ヒアリング概要
参考資料2:濱口桂一郎氏12月1日提出資料

このうち、海老原さんの資料は、一昨日紹介した『HRmics』20号の特集記事そのものです。たいへんよくまとまっていますので、雑誌の方は「後で読む」の方も、こちらは「今読む」で目を通してみてください。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/wg/koyou/dai1/siryou5.pdf

さて、下の方に誰かさんの名前もありますね。この人、月曜日に呼ばれて何か喋っていたようで、それを事務局の人がまとめたものもアップされています。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/wg/koyou/dai1/sankou1.pdf

(大学教育について)
 ○ 日本のいわゆる普通のサラリーマンの世界、典型的には文科系の法学部や経済学部を卒業して入社する世界は、ほかの国々と比べると、学校教育課程において特定のジョブのスキルを身につけるという度合いが最も少なく、入ってからそれを身につける度合いが最も高い。
 ○ 企業の側からすれば、学校教育で特定のジョブの特定のスキルを身につけるのではなく、(成績等)素材が良く、かつ、会社に入ってからどんな仕事でも教えればこなしていける真っ新な良い人材であることが最も望まれてきた。20年ほど前までは、このような仕組みであるが故に欧米のような若者雇用問題がなく、非常にすばらしい仕組みと褒め称えられてきた。
 ○ しかし、90年代半ば以降、正社員の枠が収縮してきた結果、そこからこぼれ落ちた若者は、学校で何のスキルも身につけておらず、アルバイト等で働いていたとしてもスキルを身につけていると社会的にみなされず、2000年代に入って、年長フリーターや就職氷河期世代という形で問題になってきた。
 ○ 企業から見ると、就職の段階でどの会社からも良いと言われなかった若者は、素材としてクエスチョンマークがつき、その後でどんなスキルを身につけたとしてもなかなか採用しない。うまく回っているときは非の打ちどころのなかった日本の仕組みも、1つおかしくなると、(欧米の若者雇用対策を真似して)部分的に良い政策をやろうと思っても、欧米のような意味では効かない。そこから近年、教育課程そのものをもう少し職業志向的なものしていこうという議論が出てきており、方向性としてはより欧米に近い仕組みにしていこうということだろう。
○ 一方で、職業スキルを身につけることを目的としない、つまり役に立たない教育をすることに意味があるという歴史を前提に大学教育が成り立ち、学術を教える先生が多く職についている。大学教育を変えるとなれば、このような大学の先生の食い扶持にも影響してくる。

(新卒一括採用について)
○ 日本は、先進国の中で、例外的に若年失業率が大変低い。何のスキルもない若者が、むしろそれ故に企業にどんどん採用してもらえるというありがたい仕組みで、これをわざわざ捨てなければならない積極的な理由があるかというと難しい。
○ 一方で、会社に入る前からの大くくりの方向づけは、ある程度あったほうがよい。例えば、日本の中でジョブ型の労働市場が存在している医療の世界では、学校教育で相当程度の知識とスキルを身につけ、かつ、仕事を始めてからもそれを前提に積み重ね、数年たつと少しずつ一人前になってくる。このように繋ぎ目をうまくセッティングする仕組みを常に考えながら、どのような職業分野にいくかについては、ある程度前倒しにしていくことを考える必要があるのではないか。(ただ、医療の世界は国家が国家資格で規制しているためにこのような仕組みになっており、そこの仕組みをどうするかという点は難しい。)

(高校教育について)
○ 60年代から70年代初め頃まで、日本政府は職業高校をたくさん作ろうという政策をとっていた時期があるが、先行きのないようなコースに自分たちあるいは自分の子を無理やり送り込むような、無慈悲な教育政策はけしからんという大きな紛争になったことがあり、いわば国民の抵抗によってひっくり返ってしまった。このような声に背中を押される形で、どんどん普通科が新設されていったという経緯がある。
○ その結果、末端の普通科が一番悲惨な状態になっている。偏差値が同程度の職業高校と普通科高校を見ると、職業学校は地元の中小企業等に結構就職できているが、普通科高校では就職もほとんどできず、進学もできない。かなりの人がフリーターになったり、どこへ行ったかわからないような形で彷徨いだしたりしているという報告がなされている。子供たちのためだと思って、職業科に行かせないという選択が、結果として、このような形になっている。
○ かつて高校レベルで生じていた事態が、最近、大学でも起こりつつあるのかもしれない。

(中高年の労働移動について)
○ 中高年の雇用問題については、この20年近くで、正面から、問題として認識されるようになり、最近になって、様々な問題が現実に起きている。
○ 「年功制」は、結婚して子供ができると生活費がかかるため、それに応じ賃金を上げていくという出発点だったのが、ある時期から、職務遂行能力が上がっているから賃金が上がっていくという説明になった。
○ しかし、日本の職能的資格制度における職務遂行能力は少なくとも会社の外に出ると全く説明がつかない。もし、職務遂行能力が上がっているのであれば、中高年の人を追い出し部屋に入れる必要はない。そこには、建前と本音のずれがあり、このずれが、景気が悪い時期に露呈したのだろう。
○ 社内向けの職能資格では、外に出たときに、その人の能力を証明することができず、かつ、その人がスキルをどれだけ持っているかということを指し示すようなものさしがどこにもない状況において、労働移動を無理に流動化しようとすれば、あちこちに悲鳴が起こるのは当然である。そういう意味で、雇用維持型から労働移動支援型へというスローガンだけが先行するのは大変まずい。  
この人は何がどれくらいできるのかということをきちんと会社の内外で本当に証明できるような仕組みをどうやってつくっていくか、そこを集中的に考えていく必要がある。

(能力評価システムについて)
○ 会社外とのつながりを持った形で、社内における能力評価の仕組みをつくることが考えられる。社外とのつながりを持たせるようなオフィシャルな仕組みは、現在のところ存在しておらず、近似すると言えるのは、いわゆる人材ビジネスである。彼らは、そのままでは社内にしか通用しない履歴書を深掘りし、企業の外の人に対し「この人はこういう仕事がこれだけできる人だ」と翻訳する仕事をしている。人材ビジネスのように、外に向けてどのように語ればいいか分かっている人の手を借りて社内的な仕組みを作るというのが1つの考え方ではないか。
○ また、そのためには、現在のキャリアコンサルタントより一段上の翻訳ができる人たちをどう養成していくかという点が、政策課題になっていくのではないか。

(その他①:女性を取り巻く雇用環境について)
 ○ 世界経済フォーラムが発表した女性の社会進出度に係る指数は、どんどん下がっており、正面から日本の雇用のあり方、雇用システムの問題に取り組まなければならない。
 ○ 欧米はジョブに人をつけるという考え方であり、その中に存在する男女格差を解消するため、同一ジョブ同一賃金を前提として、「女性をどんどんこれまで男性が占めていたジョブに就けていかなければいけない」と、ポジティブアクションを進めてきた。一方、そのような考え方・仕組みになっていない日本では、無理やり男女平等をやろうとした結果、ジョブの平等ができないが故に「コースの平等」を作った。
○ 「コースの平等」とは、それまで男性正社員が通ってくるのが当然だと思われてきたコースに女性も入れるという考え方で、それに乗った人は総合職、乗らない人は一般職と呼ばれている。しかし、コースに乗った総合職の女性には、専業主婦、パートの主婦のような、家庭を支える存在がおらず、仕事も家庭もこなさなければならない、大変つらい状況になっている。
○ ワーク・ライフ・バランスという議論が出てきたのはここ十数年であり、男性の働き方云々という話になったのは数年前に過ぎない。今は確かにあらゆる人がワーク・ライフ・バランスと言っているが、男性は全然実行していないというのが実態だろう。例えば、育児休業取得率について、よく「女性は90何%、男性はまだ数%」というが、女性は1年近く取得しているのに対し、男性の取得期間は数日から1週間であり、より大きな落差がある。
○ また、90年代後半頃から、企業において一般職から非正規への切り替えが行われ、女性の労働力の非正規化が進んだにもかかわらず、当時、それほど問題意識を持たれなかった。一方で、男性の非正規雇用が増加して初めて非正規労働者の問題が取り上げられ始めた所に、相当大きなジェンダーバイアスがあるのではないか。

(その他②:働き方改革について)
○ 労働時間をもっと自由にするという言い方をすると、できる人が短くやるのではなく、長くやればできる人がますます必死にやる方向にドライブがかかってしまうということが起こってきたのではないか。
長時間労働をなくすためには、上限規制で物理的に断固として働かせず、それで実績を出せなければ低い評価をする必要がある。これは、日本の社会の底流にある努力価値説を踏みにじるような価値観を日本人が受け入れられるかという話で、例えば子供を5時にピックアップしなければいけないような制約のある人への間接的な差別をやめようとすると、能率が悪くて時間内にできない人間はそこで時間切れ、アウトにしてしまうという血も涙もないことをしないといけなくなるだろう。こういう言い方をすると反発も大変出てくると思うが、はっきり言うことで問題の所在がクリアになる面があると思う。

女性が管理職になりにくい社会 @『生産性新聞』12月5日号

『生産性新聞』12月5日号 に「女性が管理職になりにくい社会」を寄稿しました。

 先の臨時国会では成立に至りませんでしたが、女性活躍推進法案は企業の人事担当者にとって悩ましいものであったと思います。6月の「『日本再興戦略』改訂2014」で、数値目標として「2020年に指導的地位に占める女性の割合30%」が打ち出され、これを実現するために急遽10月に提出された法案です。国の策定する指針に基づき、国、地方公共団体及び民間企業(従業員300名超の大企業)は、女性の活躍に関する状況を分析し、それを踏まえて「事業主行動計画」というものを策定・公表しなければなりません。中小企業は努力義務です。この分析すべき事項の中に、「採用した労働者に占める女性労働者の割合、男女の継続勤務年数の差異、管理的地位にある労働者に占める女性労働者の割合等」が含まれています。要するに間接的な形で女性管理職比率の引き上げを行わせようとする法律だと言ってよいでしょう。

 確かに、性別職業構造を国際比較すると、日本の女性管理職比率の低さは群を抜いています。これが主な原因となって、世界経済フォーラムの「ジェンダーギャップ指数2013」では136カ国中105位でした。他の職業ではむしろ男女の性差が少ない国なのに、なぜ管理職だけ少ないのか。その大きな要因は、高度成長期に確立された日本型雇用システムにおける男性正社員の働き方が、職務、時間、空間のいずれも無限定であることがデフォルトルールになってしまっていることにあります。とりわけ、労働時間や勤務場所が無限定ということでは、女性が結婚し、子供を産み育てていくことと仕事でフルに活躍することを両立させることは困難です。そのため、無限定な働き方のできない女性たちは、正社員であっても職務内容が補助的な一般職にとどまるか、雇用も不安定な非正規労働を余儀なくされてきたわけです。未婚のうちは男性並みに働いていた総合職の女性たちも、出産や子育てに直面して挫折することが多いのです。女性が管理職に到達する前に挫折するように仕組まれてしまっているシステムと言えるかも知れません。

 実を言えば、法律の要請に従って表面づらだけ女性管理職を増やすことはそれほど難しくはありません。欧米のジョブ型社会では昇進においても職業資格が極めて重要な判断基準になりますが、日本のメンバーシップ型社会では判断基準結局一般的な人間力になってしまうので、差別があってもそれを差別だと立証しにくい反面、とにかく数合わせしろという無茶な要求でも、何でもありでやれてしまう面があります。実際には暗黙のルールとして年次昇進があり、今までは「まだまだ女性が育っていませんので・・・」というのが言い訳になっていたわけですが。

 日本の女性管理職の数を本気で増やすために必要なのは、なによりもまず長時間労働を当然と考える職場慣行の是正であり、短時間できちんと成果を挙げる男女労働者を適切に評価して昇進させていく空気を作り上げていくことでしょう。子供を保育所に預けてから朝遅く出社し、子供を保育所に引き取りに行くために夕方早く退社する管理職が、電子機器を駆使して部下に指示することを当然と考える社会になってこそ、女性の活躍は根付くことになります。さもなければ、「俺はこんなに夜遅くまで頑張っているのに、女というだけでさっさと帰るあいつが出世しやがって」などという低レベルのねたみが充満する危険性があります。

本日、川崎市麻生区方面で若者話をせよと言われて行ったのですが、若者と中高年と女性の3題話になりました。その女性編の最後のオチが上の最後のパラグラフ。うまくオチたかどうかは、聞いていた人のみぞ知る。

2014年12月 3日 (水)

『HRmics』20号

1海老原さんちの『HRmics』20号です。特集は「学校で仕事を教え、資格で能力を表せるか」。

http://www.nitchmo.biz/hrmics_20/_SWF_Window.html

現在、成長戦略に基づいて政府で進められつつある職業能力評価システムのネタ元であるヨーロッパ、とりわけフランスやドイツの実態を、現地の人々の証言や研究者の声をもとに、ビビッドに描き出しています。

1章 日本が憧れる欧州型職業教育

01.公的な職業教育が再び騒がれる理由
02.フランスとドイツの職業教育と資格

2章 欧州の資格社会での暮らし

01.教育・資格・入職
02.勤務状況・昇進
03.学歴や社会について

3章 研究者が語る欧州社会のリアル

01.夢がなければ不満がたまる。だから、大学も資格も必要となった
02.大卒後に見習い従弟が多数!インターンはブラック化問題も
03.社会や企業が、大学生に対して求めているもの

2014年12月 2日 (火)

二宮誠『労働組合のレシピ』

1106467250二宮誠さんより『労働組合のレシピ』(メディア・ミル)をお送りいただきました。伝説のオルグ二宮さんの一代記です。

中身の大部分は、オーラルヒストリーで語られたことですが、いろんな方々との対談も収録され、また最後のところで、二宮さんの労働組合論が骨太に語られており、改めて読んで感動できる本です。

第1章 労働運動家として生きる
第2章 ゼンセン最後の“バンカラ”
第3章 政治と労働組合 組合員を知らない労働組合
第4章 組織化は、情報と情熱
第5章 人の心に寄り添う「プロの仕事」
第6章 激変する労働環境—変わっていくものと変わらないもの

この第6章では、「ブラック企業は、なぜはびこってしまったのか?」とか、「進む格差社会。大手牛丼チェーン店アルバイトのスト騒ぎはなぜ起きた?」とか、「労働組合が捨ててしまった?民主主義 組合離れは、社員数の減少だけが原因ではない」など、存分に語っています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-e847.html(『二宮誠オーラルヒストリー』)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/h-7bb6.html(組と組合はどう違う?)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-5f85.html(誰か『組合オルグ一代』を映画かドラマにしませんか?)

残業なぜ減らない@日経エコノ探偵団

本日の日経新聞エコノ探偵団は「残業なぜ減らない」がテーマです。鶴光太郎さんや黒田祥子さん、それにわたくしも登場しています。

http://www.nikkei.com/news/print-article/?R_FLG=0&bf=0&ng=DGXKZO80375120S4A201C1TJP001&uah=DF100520127548

96958a99889deae2e1e5e7e3e0e2e2e0e3e・・・明日香は「日本特有の要因はあるかな」。労働政策研究・研修機構の浜口桂一郎さん(56)を訪ねると、「欧州連合(EU)では1日ごとに休息時間が規定されています。日本は組合と会社の間で労使協定がかわされていれば無制限に時間外労働が許されます」。欧州の組合は産業別で組織されているのに対し、日本は企業別で、業績次第で強い主張ができない面もある。「日本企業はチームで作業をするので、早く帰ったり休んだりしにくいという性格もあるでしょう」と浜口さん。・・・

・・・明日香が再び浜口さんに聞くと「もともと法定時間内の労働に対する支払い方は自由です。残業代以外も時間にリンクしているのは慣行によるものです」。鶴さんも・・・

「強制的に社員を早く帰らせることが重要みたいです」。明日香が所長に報告すると、「よし、今日はノー残業で飲みに行くぞ」。所長夫人の円子が「それも若い人には残業みたいなものね」とチクリ。

筆者は井上円佳記者です。最後のオチは、ご自分も子育てに追われる井上さんにとっては笑い話ではないチクリですね。

2014年12月 1日 (月)

「特殊日本型派遣法からの脱却」 @『全国労保連』11月号

Kaihou1411『全国労保連』11月号に「特殊日本型派遣法からの脱却」 を寄稿しました。原稿執筆時はこれから審議という状況でしたが、刊行時には国会解散で再び廃案になってしまいました。これはさすがにまったく予測していませんでした。

 先の通常国会で条文ミスのために廃案になった労働者派遣法改正案が再度臨時国会に提出された。マスコミや国会では依然として、そもそも派遣という働き方は良いのか悪いのかという議論ばかりが盛んであるが、今必要なのは、そういう派遣労働だけを取りだして、他の労働法分野の常識とは隔絶した特別扱いをしたがる発想そのものの見直しではないか。

 労働法研究者の多くがうすうす気がついているにもかかわらず、敢えて言挙げしてこなかったことは、日本の労働者派遣法制が世界的に見て極めて異例な仕組みになっているということである。先進諸国の派遣法制は、派遣労働者を保護するための労働法である。当たり前ではないかと思うかも知れないが、日本の派遣法はそうではない。派遣という本質的に望ましくない働き方を抑制するために派遣事業を規制することが目的の事業立法である。問題は、派遣という働き方が誰にとって望ましくないのか、だ。派遣法制定時の政策文書を見れば分かるように、「望ましくない」のは日本的雇用慣行の中にいる常用労働者にとってであって、派遣という働き方をしている労働者にとってではない。それを象徴する言葉が派遣法の最大の法目的とされる「常用代替の防止」だ。派遣という「望ましくない」連中が侵入してきて、われわれ常用労働者の雇用が代替されては困る、という発想である。

 ではどうしたら常用代替しないように仕組めるか。最初に派遣法が制定された時のロジックは、新規学卒から定年退職までの終身雇用慣行の中にいないような労働者だけに派遣という働き方を認めるというものだった。それを法律上の理屈としては、専門的業務だから常用代替しない、特別な雇用管理だから常用代替しない、と言ったわけである。しかし、その「専門的業務」の中身は、結婚退職したOLたちの「事務的書記的労働」であった。「ファイリング」という職業分類表にも登場しない「業務」が最大の派遣専門業務となったのは、その間の論理的隙間を埋めるものであり、後には事務職なら最低限のスキルである「事務用機器操作」が専門業務としてその隙間を埋めた。このごまかしが世間で通用したのは、OLは新規学卒から結婚退職までの短期雇用という暗黙の了解の下に、OLの代替は常用代替ではないと認識されていたからであろう。男性正社員の終身雇用さえ維持できれば、OLがいくら派遣に代替されてもかまいやしなかったのである。その虚構を維持するためなら、高度な専門業務をやっている男性の派遣を禁止しながら、補助的な女性の事務派遣ばかりが拡大しても、誰も文句を言わなかった。

 このごまかしに満ちた特殊日本的労働者派遣法を抜本的に作り替えるチャンスが実は一度だけあった。ILO181号条約の制定を受けて行われた1999年の派遣法改正だ。筆者は1997年のILO総会で同条約の採択過程に立ち会い、世界の政労使が交わす議論をつぶさに見てきただけに、この改正が新条約の思想に立脚して行われると考えていたが、残念ながらそうはならなかった。「常用代替の防止」という日本独自の派遣法思想は何の修正もなく維持され、専門業務だから常用代替しないというフィクションも維持された。付け加えられたのは、専門業務ではなく、それゆえ常用代替する危険性のある一般業務について、派遣期間を限定するから常用代替の危険性が少なくなるという新たなロジックである。

 この奇妙なロジックの矛盾が露呈したのが、有名ないよぎん事件である。普通の雇用であれば有期契約を何回も反復更新すれば雇止めが制限される可能性が出てくるのに、裁判所は、派遣法は常用代替防止が目的だからといって、それを認めなかった。日本的派遣法は、派遣労働者を差別することを要求しているのである。

 今回再提出された派遣法改正案は、その元になった研究会報告において史上初めて、特殊日本的「常用代替防止」論からの部分的脱却を打ち出した。そこでは、まず「無期雇用派遣については、派遣労働の中でも雇用の安定やキャリアアップの点で優位であること」から「常用代替防止の対象から外」し、有期雇用派遣については「個人が特定の仕事に有期雇用派遣として固定されないこと」を目的とするとともに、従来通り「派遣先の常用労働者が有期雇用派遣に代替されないことという派遣先レベルの常用代替防止」も維持するというのである。だが前2者は、少なくとも特殊日本型派遣法が制定されたときに考えられていた意味での「常用代替防止」ではない。むしろヨーロッパで一般的な無期雇用原則である。

 均等待遇原則や集団的労使関係システムの活用が極めて不十分であるなど、細かな点では色々と問題もあるが、世界共通の原則に基づく派遣法に転換しようとしている今回の改正案を、男性正社員の常用代替防止ばかりを金科玉条にしてきた旧来の思想で批判するだけでは、議論はますますガラパゴスの如き袋小路に入り込んでいくだけであろう。

昭和型正社員?-岩崎仁弥『よくわかる「多様な正社員制度」と就業規則見直しのポイント 』

2472398001_3特定社労士の岩崎仁弥さんより『よくわかる「多様な正社員制度」と就業規則見直しのポイント 』(日本法令)をお送りいただきました。

http://www.horei.co.jp/shop/cgi-bin/shop_itemDetail.cgi?itemcd=2472398

厚生労働省では「いわゆる正社員」と「非正規雇用の従業員」の働き方の二極化を緩和し、ワーク・ライフ・バランスと、企業による優秀な人材の確保や定着の実現のため、職務、勤務地又は労働時間を限定した「多様な正社員」の普及・拡大を進めている。
 本書はこの多様な正社員制度について、本制度ができるまでの経緯や仕組みの解説のほか、報告書の規程例、各企業の実規程例、本書のモデル規程を比較しつつ、就業規則見直しのポイントをまとめたもの。

ということなんですが、実用書的雰囲気にもかかわらず、この政策の考え方をきちんと本質に踏み入って解説している点が最大の特徴でしょう。下記目次を一瞥しても分かるように、第1章は日本の労働政策史を振り返るところまで踏み入っています。

第1章 多様な正社員制度の解説5
Ⅰ 「多様な正社員制度」が注目される理由6
 1 多様な働き方の実現6
 2 多様な正社員制度普及の必要性9
 3 多様な呼称がある「多様な正社員」11
 4 それぞれの用語に着目するポイント12
 5 昭和型正社員と多様な正社員のベストミックス17
 6 行政の動向等19
 7 多様な正社員の活用29
Ⅱ 昭和型正社員から多様な正社員へ33
 1 そもそも正社員とは何か33
 2 昭和型正社員から多様な正社員へ37
 3 これまでの人事管理制度にみられる社員区分39
 4 無限定正社員と限定正社員42
 5 限定正社員と多様な正社員の関係43
 6 雇用ワーキング・グループにおけるジョブ型正社員44
 7 ジョブ型正社員とメンバーシップ型正社員46
 8 ワーク・ライフ・バランスと多様な正社員制度48
 9 価値観の多様化と多様な正社員52
Ⅲ 労働者の区分について55
 1 正規と非正規の問題55
  2 各種統計調査による労働者の区分57
 3 短時間正社員とは65
 4 正社員以外の労働者の整理67
Ⅳ 非正規雇用問題を理解するために70
 1 有期雇用と非正規雇用問題70
 2 有期雇用と無期雇用73
 3 昭和型正社員と無期雇用74
 4 労働条件通知書の例76
 5 非正規雇用問題の拡大83
 6 非正規雇用問題の解決85
Ⅴ 我が国の労働政策史を振り返る87
 1 積極的労働市場政策と消極的労働市場政策87
 2 戦後70年の労働市場政策89
 3 歴史から見た「限定正社員」「ジョブ型正社員」の評価94
 4 シングルインカムからダブルインカムの社会へ95
 5 ジョブ型雇用は今後主流となるのか97
Ⅵ 多様な正社員制度構築の視点100
  1 留意すべき点100
 2 新制度構築の視点103
 3 無期転換制度について106
 4 社員区分と就業規則107
 5 パートタイム労働法と限定正社員108
 6 1国2制度から1国1.5制度へ110
第2章 就業規則見直しのポイント123
Ⅰ モデル規定の検討124
 1 就業規則見直しの必要性124
 2 制度導入の有無の検討130
 3 「職務」「勤務地」の限定133
 4 「労働時間」の限定145
 5 労働条件の明示150
 6 いわゆる正社員と異なる労働条件158
 7 試用期間160
 8 賃 金161
 9 社員区分の転換167
10 雇用の終了180
Ⅱ 運用上の留意点193
 1 キャリア形成193
 2 転換制度195
 3 均衡処遇198
 4 労使コミュニケーション200
 5 労使紛争の防止202
 6 いわゆる正社員の働き方の見直し203
 7 これからの動向204
 8 終わりに205
第3章 モデル就業規則207
第4章 資 料241
 1 規制改革会議雇用ワーキング・グループ「ジョブ型正社員の雇用ルールの整備について(改訂版)」(2013.4.28)242
 2 規制改革会議雇用ワーキング・グループ報告書「雇用改革報告書」(抜粋)(2013.6.5)251
 3 「日本再興戦略-JAPAN is BACK-」(抜粋)(2013.6.14閣議決定)262
 4 ジョブ型正社員の雇用ルール整備に関する意見(2013.12.5)263
 5 産業競争力会議「雇用・人材分科会」中間整理~世界でトップレベルの雇用環境・働き方」の実現を目指して~(抜粋)(2013.12.16)265
 6 「日本再興戦略」改訂2014-未来への挑戦-(抜粋)(2014.6.24)269
 7 規制改革実施計画(抜粋)(2014.6.24)279
 8 経済財政運営と改革の基本方針2014~デフレから好循環拡大へ~(抜粋)(2014.6.24)281
 9 多様な正社員の普及・拡大のための有識者懇談会報告書(2014.7.30)283
10 多様な正社員に係る「雇用管理上の留意事項」等について(2014.7.30)333

おおむね、政府の各種会議体の議論やわたくしの著書などをもとに説明しているのですが、ある言葉だけは、そういう出所のない岩崎さん流の用語ですね。それは、無限定正社員、メンバーシップ型正社員という意味で使われている「昭和型正社員」ということばです。

ふむふむ、「昭和」という年号はそういう使い方をされるに至ったわけですね。

その昔は「昭和の子供だ、僕たちは」なんて歌もあったわけですが・・・。

ちなみに、この岩崎さんという方、こういう経歴の持ち主のようです。

大学卒業後、日本道路公団関連会社に入社し、人事、総務を幅広く担当。巨大で複雑な組織の中で現場の実務を10数年間体験する。持ち前の探究心の強さから、実務の本質を究めようと社会保険労務士の資格取得を目指す。多忙のなか合格を果たすが上司からは「余計な勉強をする暇があったら仕事をしろ!」と叱られてしまう。これをきっかけに我が国の職場の在り方に疑問を持ち、その日のうちに退職を決意、小さな社会保険労務士専門の受験指導校に転職する。

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